六節 地下二五〇〇メートルの復讐(壱)

 ネスト地下十階層の中央区に迫ったのは二十名余の小集団だった。軽武装服姿のもの、導式ゴーグルをつけたもの、導式機動鎧姿のものと、それぞれ違った装備の集団である。

「何だ、これ?」

 その集団に参加していたニックが驚きの声を上げた。

「て、鉄の繭?」

 周辺を見回してリッキーが顔を強張らせた。巨大な鉄の繭のようなものが大通路の壁際に立て掛けられるようにして並んでいる。形状は楕円形で材質はツヤのない黒色の金属だ。ほとんどの繭は前面のハッチが開いていて空だった。その内部に赤と青で色のついた管が何本も垂れ下がっている。この場所にはネストの他の区画では見られないものがまだあった。照明が確保されているのだ。上空四十メートル付近。アーチ状の石天井へ導式灯らしきものが設置されていた。よく見ると壁面に並ぶ黒鉄の繭の側面から何本もの導熱管が伸び、それが壁面に接続されている。

 この区画はどこかしらから熱源を得ているのか――。

「――おい、ニック、リッキー。あっちの繭を見てみろ!」

 ハーヴェイが髭面を震わせた。ハーヴェイが指差した先にある黒鉄の繭は前面ハッチが閉じていた。ハッチはガラス――恐らくはガラスのような素材で内部が透けて見える。黒鉄の繭のなかにいたのはグレンデルだった。薄い緑色の液体に満たされたその繭のなかでグレンデルが眠っていた。眠っているといってもグレンデルにはまぶたがない。ギロリと巨大な眼球が二つ、自分を見上げる男たちを凝視しているように見えた。

「だが、このグレンデルはひどく形が――」

 黒いβ型導式機動鎧装備の中年男が兜の面当てを引き上げて顔をしかめた。

「内臓器が剥き出しだ。これでも生きているのか?」

 導式術兵ウォーロック姿の若者が導式ゴーグルを額へ上げて呻いた。

「皮膚や筋肉がほとんどない。まるで、この繭のなかでグレンデルが作られている最中のように見えるが――」

 この発言は銃を背負ったずんぐりとした体形の男だ。全体的に黒を基調とした装備品で身を固める彼らは、スロウハンド冒険者団に所属する団員たちだった。

「ということは、ここに並んでいる鉄の繭は全部奴らの――異形種ヴァリアントの卵なのか?」

 ニックが周辺を見回しながらいった。

「どういうことよ?」

 リッキーが首を捻った。

「さあなあ。しかし、薄気味が悪い――」

 ハーヴェイが首を竦めた。

「動く気配はないな。こんな中途半端な状態では、グレンデルでも活動できんのだろう。放っておけ――おい、ルーカス、見つけたか?」

 黒いβ型導式機動鎧姿の中年男が大通路の中央にいた若い男へ声をかけた。導式ゴーグルを機動させて、東西に長く伸びる大通路の東奥手を眺めている導式術兵姿の若い男がルーカスである。

「――ああ、ジェイコブ。見つけた。コボルトどもは先の大広間で固まってる。グレンデルもいるな。二千三百スリサズフィート前方だ(※だいたい二キロメートル先)」

 ルーカスが導式機動鎧姿の中年男――ジェイコブに返事をした。

「ジェイコブ、何匹いる?」

 ルーカスに歩み寄ってが訊いた。

「数え切れんね。笑えてきた――」

 目を導式ゴーグルで隠したルーカスの口元が笑いの形に引きつっている。

「そんなにたくさんいるのか。逃げ切れるかな?」

 ニックが呟いた。

「足の速い奴を集めたからよ。大丈夫だ、ニック」

 リッキーがニックへ視線を送った。

「それでも誰かしらは死ぬかもな――」

 そうはいったが、厳しい顔のハーヴェイには怯えている様子がない。

「おい、ベリーニ三兄弟。遺言なら聞いておくぞ」

 ジェイコブが笑った。

「遺言? 『ここでくたばってたまるか』で頼むよ」

 ニックが笑顔を返した。

「シルヴァの野郎のほえ面を見るまでは死ねないぜ――」

 リッキーが呟いた。

「アレス団長は俺たちの親父同然だった。ヴァンキッシュの残党は全員、腹をくくってるぜ。死んだって文句はいわねえ」

 ハーヴェイが唸った。

「いい覚悟だ。死んだら文句もいえんがな」

 ジェイコブが軽口を叩いた。

「ジェイコブ、始めるか?」

 ルーカスがサイズの一対の導式陣砲収束器カノン・フォーカスを背から下ろして、それを両腕に装着した。ルーカスの周辺へ導式術兵の男が五人集まった。彼らが持つ導式陣砲収束器には一一年式、ソリウム・バースト・エヴォーカーという名称がついている。これは光球炸裂弾のみを投射する単導式陣砲投射型の収束器で、その有効射程距離は百メートル~二千五百メートルていど。魔帝軍の扱う複数参加型の魔導式陣砲と比べると破壊力も飛距離も劣るが、それでもタラリオン王国軍では遠い距離にある敵陣への攻撃手段として重宝されている兵器である。これから彼らはコボルトの群れのなかへ遠方から光球炸裂弾を撃ち込み、敵を揺さぶり起こす。釣りだした敵はすべて南西区を探索中のアマデウス連合へぶつける予定だ。

 意趣返しである。

 復讐者たちはアマデウス連合を壊滅させる腹積もりだった。


 §


 場所はネスト地下十階層南西区だ。

 地下十階層中央に敵が多いことを考慮したアマデウス連合は、南西区の北寄りへ連合本部を設置、その東方面を第一戦闘班に警戒させ、南方面へ第二戦闘班と探索班を展開する方針を取った。ここより東にある中央区へ一気に進撃する案も連合参加者から出たが、実質的な連合指導者のレオナ副団長は慎重策を選んだ。疲弊したキルヒは今回も連合に帯同していない。シルヴァ団長に近づいてネストの探索をしつこく勧めたキルヒを、レオナ副団長は信用していない。しかし、その戦闘能力は高く評価している。キルヒが使役する精霊の王はアマデウス連合の切り札だ。自軍の決戦戦力なしで恐らくは敵の最大戦力が控えている本陣を攻撃するのは危険であろう。レオナ副団長はそう判断した。この意見にシルヴァ団長も同意している。今回のアマデウス連合の目的は南西区の探索データ収集と、そこにいる敵の排除だ。レオナ副団長が立案した計画はリスクを最小限に抑えたもので、反対意見はひとつも出なかった。

 しかし――。


「――まだ、あんなに数がいたのか」

 暗視望遠鏡を覗いていたエッポが白い髭面を歪めた。大通路の奥手――東約二千五百メートル先だ。幅五十メートルを超える大通路の道幅一杯をコボルトが大群が埋めていた。グレンデルの姿も何体か見える。まるで、アマデウス連合が来るのを待ち構えていたような敵の動きだ。アマデウス連合本部の東へ展開し敵襲を警戒していたエッポ率いる連合第一戦闘班は、人員にして五百名余の連合最大の戦力が与えられている。しかし、この先で結集している敵も過去最大級の戦力に見えた。エッポの視線の先にある敵戦力が西へ一直線に進撃してきた場合、第一戦闘班だけでは耐えられそうにない――。

「――あの数を俺たちだけで対応するのは無理だな。イーゴリ、連合本部に合流の連絡だ。ドワーフ野郎どもは最初に退くぞ。ヒト族どもはここに残って俺たちの撤退を支援――はあ?」

 エッポが命令したが自分の横にイーゴリがいないことに気づいて、不満気に鼻を鳴らした。イーゴリは大通路の脇にいた。男たち五十名前後と一緒だ。その全員がスロウハンド冒険者団に所属する団員だった。

「おい、お前ら何をしている。すぐに撤退だ」

 エッポが大戦斧を片手に歩み寄ると、大通路の脇道から美少女のような容姿の男が進み出てきた。

 イーゴリの背後にあった脇道からだ。

「ゾラ?」

 エッポの足が止まった。

 脇道から姿を現したのは、スロウハンド冒険者団の副団長、ゾラ・メルセス=ノーミードだった。

「――ゾラ、何でここにいるんだ。お前は連合本部に配属されていた筈だろう?」

 エッポが肩に担いでいた大戦斧を下ろした。ゾラは何も応えずにエッポを見やっている。身構えたエッポがひとつだけの視線で、背後に控えていた仲間へ合図を送った。

 頷いたドワーフ戦士八十名が重装鎧をガチャガチャと鳴らして進み出る。

「ゾラ、イーゴリ、お前らは何を考えてる?」

 エッポが唸った。

「全体、聞け!」

 ゾラが声を上げると、連合第一戦闘班の視線がすべてゾラへ集中した。

「ボクたちに敵対するものは、今日、死んでもらう。以上だ」

 笑顔のゾラが至極簡単に宣言した。

 ここより彼らはアマデウス冒険者団へ反撃を開始する。

「――面倒な奴らだ。仇討ちの真似事かあ?」

 エッポは片方だけある目を細めてニタリと笑った。

「俺の嫁の――ガラテアの仇だ。今から、アマデウス冒険者団の命、すべて貰い受ける」

 大戦斧片手にイーゴリが進み出た。金属と金属がぶつかる音が鳴った。イーゴリは茶色いフード付サー・コートで頭から足元まで隠しているが、その下は重装鎧で全身を固めている。

「おいおい、兄弟、頭を冷やせよ。ドワーフ野郎が、ヒト族やエルフ族みたいなクソの肩を持つのか?」

 エッポはまだ笑顔だ。

 眉間を冷やしたイーゴリは無言で歩を進めた。

「前にもいっただろ。あれは事故だった。事故だったんだよ、なあ、兄弟よ――」

 笑顔のままのエッポが先に行動を起こした。

 エッポの大戦斧が横殴りにイーゴリを襲ってガッと火花が散る。

「――くそっ、この野郎!」

 エッポは渾身の打撃をイーゴリの大戦斧に打ち返されてよろけた。

「チンピラ、その手は食わん!」

 吼えたイーゴリの大戦斧がエッポを襲う。

 早い、早い、早い。

 ヒト族の腕力ではとても振り回せないような大戦斧を使った連撃だ。

「おいおい、兄弟、頭を冷やせ、なあ!」

 エッポはイーゴリの痛烈な連撃をどうにか受け流しながら喚いた。

「貴様に兄弟と呼ばれる筋合いはない!」

 大喝したイーゴリが大戦斧を振り下ろした。イーゴリが放った一撃を受け流し損ねたエッポは胸鎧から火花を散らした。

「おい、ドワーフ野郎ども、もう構わん、イーゴリを叩ッ殺せ!」

 もんどりうって倒れたエッポが後ろへ転がって距離を取った。エッポの胸鎧はイーゴリの打撃で抉れていたが血は流れていない。

「おお、エッポ兄貴を助けろ!」

 後方に控えていたドワーフ戦士が大斧槍を振りかざして突撃した。

「よし、相手をしてやれ!」

 ゾラが低い姿勢で奔りながら叫んだ。黒いβ型導式機動鎧装備の団員が大斧槍を掲げて前へ出た。

 両軍が激突する。

 大戦斧と大斧槍がぶつかって火花を散らした。ドワーフ戦士の数は八十以上。導式機機動鎧装備の男たちは三十名弱。数の上ではゾラの率いる集団が不利である。しかし、エッポが率いるドワーフ戦士側は戦っていないものが多かった。ここにいるドワーフ戦士の半数以上は戦闘をただ眺めているだけだ。戦闘に参加することを躊躇しているのは解散した北北西運輸互助会に所属していたドワーフの男たちだった。

「――死にたくなければ退けい!」

 イーゴリは大戦斧をぶるんぶるん振り回しながら怒鳴った。三人、四人のドワーフ戦士を相手にイーゴリは戦っている。それでも優勢だ。

 このドワーフ族の中年男、恐ろしく強い。

「冒険者となる前の俺はドワーフ重騎士団の一員だった!」

 イーゴリが手近な敵へ大戦斧を振り下ろした。痛烈な打撃に弾かれて、敵の手から離れた大戦斧が宙を飛んだ。火花と一緒に血も飛んだ。

「ぎゃあ!」

 鎧ごと肩口を叩き割られたドワーフ戦士が路面を転げ回った。

「貴様らチンピラドワーフと俺とでは戦士としての格が違う」

 イーゴリが悶絶する敵を見下ろした。その全身に導式の強い光が巡っている。内機動導式だ。導式で輝くイーゴリを囲むドワーフ戦士の足がじりじり下がっていった。

 その導式光の強さはドワーフ戦士の強度に比例する。

「貴様らの奸計で死んだ俺の妻は――ガラテアはドワーフ公国軍の窮屈な生活を嫌った。ガラテアは自由を求めた。愛する女性ひとのわがままだ。俺は喜んで重騎士の栄誉を捨てて冒険者となった」

 イーゴリが笑った。

 歯茎まで見せるその笑顔は危機的な印象を見るものに与えた。

「――わかるかっ!」

 イーゴリは表情を一変させて吼えた。

 今、イーゴリの顔はいつも見せている気弱な中年男のものではない。

「貴様らは男子の誉れを捨ててまで愛した女性ひとを俺から奪ったのだ――」

 低く唸るイーゴリは荒獅子の相貌。

「貴様らの命、もはや、此処にあるものと思うな!」

 そして、荒獅子の大戦斧が怒りの雄たけびを上げた。イーゴリと対峙していたドワーフ戦士がまた一人、その犠牲となって路面へ転げる。

「――ドドド、ドワーフの重騎士だと! そっ、そいつは、イーゴリは後回しにしろ、相手にするな! 先にエルフのカマ野郎と導式鎧を潰すんだ! やれよ早く! こっちのほうが数は多いんだ!」

 後方に下がって銃班の男たち――四百名程度のヒト族の集団に紛れ込んだエッポが遠くから喚いた。

「――カマ野郎だって? 舐めるな、クソ樽野郎!」

 ドワーフ戦士を相手に格闘していたゾラのこめかみにビシッと青筋が浮いた。

「戦うときのボクは常に男だぞ!」

 咆哮と一緒にゾラの拳が加速する。

「うがっ!」

 頭をゾラにぶん殴られて目を回したドワーフ戦士が仰向けにひっくりかえった。ゾラの打撃はドワーフ戦士の兜の上からだったが、その面当てのない兜の側面が豪快に凹んでいる。

「んぎゃっ!」

 ゾラの後ろ回り蹴りを喰らったドワーフ戦士が吹っ飛んだ。呻き声を上げながら路面を転げ回るドワーフ戦士の胴鎧が完全に変形していた。

「ぐぅえぇえっ!」

 ゾラの放ったアッパー・カットで、ドワーフ戦士が高々と打ち上がった。このドワーフ戦士は生死が怪しい。ゾラはその手や足に土精の効果オーラをまとわりつかせ、繰り出される打撃の威力を倍増させていた。地中にあるネストでは土精の効果オーラの威力も極限まで高まる。精霊の力を使役するエルフ族は戦場の地形に依存して戦闘能力が増減するのだ。周囲でケタケタ笑い転げる土くれの乙女たちと共に格闘するゾラは、敵対するドワーフ戦士を相手に鬼神の働きだった。ゾラに率いられて戦うスロウハンド冒険者団の団員たちも、ドワーフ戦士へ大斧槍をゴインゴインと叩きつけて優勢に戦っている。

 ゾラの率いる反乱軍の数は少ないが士気は高い。

「――じゅ、銃だ、収束器フォーカスだ、早く撃て! 奴らをまとめて撃ち殺せ。おい、お前ら何をボヤボヤしている!」

 エッポが怒鳴った。

「そういわれても、なあ――」

 気のない返事をしたのっぽの若者が銃班の面々を見回した。

「今、撃ったら、味方に当たっちまうだろ」

 顔に無精ひげをまぶした冴えない中年男が面倒そうにいった。

 この彼は両腕に旧式の導式陣砲収束器カノン・フォーカスを装着している。

「大体さ、どっちが味方なん――あんぎゃ!」

 横幅がある体形の中年男の言葉は、顔面に叩き込まれた大戦斧に止められた。これは死の突っ込みである。エッポの大戦斧で顔面を二つに割られたその中年男は倒れて動かなくなった。

「俺が命令したらさっさと撃て。愚図のヒト族どもが。まだ死にてえのか!」

 エッポが血に濡れた大戦斧を振り回しながら喚いた。

「ひっ、ひゃあっ!」

「エッポが狂ったぞ!」

「助けて!」

 銃班は散り散りに逃げだした。

「くそっ、どいつもこいつも使えねえ!」

 悪態と一緒にエッポは踵を返した。

「――ああっ、エッポの兄貴、どこへ!」

 ドワーフ戦士の一人が声を上げた。

「お、俺たちも逃げ――えひゅう!」

 エッポの背を追ったドワーフ戦士の眉間に手投げ斧がガツンと突き立った。そのドワーフ戦士は前に崩れ落ちて死んだ。エッポが振り向きざまに腰の手投げ斧を投擲したのだ。

「誰ががお前らに撤退を命令した。残って戦うんだよお!」

 エッポは大戦斧を肩に担いで逃げていった。

「――ゾラ、エッポが逃げた!」

 ドワーフ戦士と刃を交えながらイーゴリが怒鳴った。このイーゴリの声を聞いて、ドワーフ戦士――アマデウス冒険者団に元々所属していたドワーフ戦士たちが戦う手を一斉に止めた。彼らは一様に仲間を見捨てて逃げるエッポの背を見つめている。

「まったく、どっちがカマ野郎なんだか――やめろ、追うな!」

 ゾラがエッポを追撃しようとした味方を制した。

「さて、上官に逃げられたお前らはどうするんだ?」

 ゾラは額の汗を手の甲で拭いながら、エッポ配下にいたドワーフ戦士を見回した。エッポの手勢の半数以上は路面に転がっていた。生き残りは十数名だ。髭面を見合わせたあと、ドワーフ戦士は大戦斧を投げ捨てた。

 北北西運輸互助会に所属していたドワーフ戦士は元々ゾラやイーゴリへの敵意がない。それでも緊張した面持ちでその場に佇んでいたが、控えめな笑顔のイーゴリがひとつ頷いて寛容を見せると、それで彼らは安堵したようだ。銃班に所属していたヒト族の男たちもゾラやイーゴリへ敵意を見せない。ここまで危険な仕事をヒト族へ全部押し付けてきたエッポには人望がまったくないようだ。

 まあ、当然の話ではあるが――。

「――うん。それが賢いね。アマデウス冒険者団はこれからボクたちが壊滅させる。お前らは今からボクの指揮下に入れ」

 笑顔のゾラが声を上げると連合第一戦闘班が集まってきた。

「ゾラ、奴を――エッポを追わないのかい?」

 少し気弱そうな穏やかな顔――いつもの表情でイーゴリが訊いた。

「いや、イーゴリ。今は撤退が最優先だ。東に集結しているコボルドの軍勢が総攻撃を開始する気配だぜ。凄まじい数だ。『特攻班』はちょっとやりすぎたんじゃないのか――」

 ゾラではなく、その横にいた導式術兵姿の団員が硬い声で応じた。この彼は導式ゴーグルを使って大通路の東――コボルトの軍勢が集結している方角を眺めている。

「うん、撤退優先だね。それに、イーゴリ、エッポはもうどうやっても逃げられないと思うよ。連合本部の方面は――」

 ゾラはエッポが逃走していった方角を見やった。

 大通路の西だ。

「――ああ、そうだったね。すぐ撤退を始めようか」

 イーゴリは悔しそうな表情だったが頷いて見せた。

「よし、全体は小路を使って上がり階段まで移動する。狭い小路を使って移動すれば追ってくるコボルトの数が多くても対応はできるからね。生きて帰りたければ必ず固まって行動をしろ!」

 ゾラが歩きだした。スロウハンド冒険者団の団員とイーゴリに率いられたドワーフ戦士がそれに続く。少し戸惑いながら、他のひとびともゾラを追った。アマデウス連合の第一戦闘班に配属された五百名余は連合への反旗を翻したスロウハンド冒険者団の副団長ゾラ・メルセス=ノーミードの指揮下に入った。この集団はネスト地下十階層南西区から北へ向かって移動する。

 現在地より西に本部を置くアマデウス連合は東にあった防衛力をすべて失った形になった。

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