十五節 白い巨人(漆)

 ヴァンキッシュ冒険者団の副団長ボゥイ・ホールデンには父親が三人いたが、彼は最初の父親の顔をよく覚えていない。

 グリフォニア大陸を東西に太く走る中央草原街道の中間点。

 バルバーリ領の北に位置するバーデンハイム領。

 その領内を南北に走るレンツェン山道沿いの旅篭街だ。そこで猫人の父親と猫人の母親の間に生まれたボゥイは、酒場宿の裏手の小さな一軒家に家族三人で暮らしていた。南北を結ぶ輸送路の要所であったその旅籠街は賑やかで金がよく動き、ボゥイ少年とその家族は食うに困らない生活をしていた。仲睦まじい猫人一家。近隣の住人から見るとそんな印象だった。

 しかし、ある日、ボゥイの父親は猫人の悪いサガに囚われて失踪した。

 猟師を主な仕事にしていたボゥイ少年の父親は鉄砲を担いで鳥撃ちに出たまま家に帰ってこなかった。彼の家出に理由は何もない。ふらりと出ていったきり二度と帰ってこないことは気まぐれな猫人族には――特に猫人の男性にはよくある話なのだ。残されたボゥイの母親は、それなりに哀しんでいたが、収入が途絶えた以上、どうにかして生活の糧を得る必要がある。まだ若かったボゥイの母親は旅篭街の酒場女の仕事を得たが、そこで仲良くなった隊商の男に悪い病気を感染うつされてあっさり死んだ。

 五歳で天涯孤独の身になったボゥイ少年は、レンツェンの旅篭街の顔役だったホールデン一家の養子として引き取られた。ボゥイ少年は貰われっ子の常として、ひもじく育ち虐待されて――そんなことはまったくなかった。姓にこだわりのない猫人のボゥイがヒト族同様に姓を――ホールデン姓を名乗っているのは育ての親である彼らへの敬意を示すためだ。ボゥイの養父や養母、義理の兄弟たちは大多数の敬意を受けるべき善性のひとだった。ボゥイも彼らを愛していた。

 であるから、稀な善性を持つひとの常はある。

 ボゥイの養父や養母とその一族は悪党に惨殺された。

 ファンなにがしだとか、ヴァンなにがしだとかという貴族を遠縁に持つらしい、地方の豪商ホールデン一家は旅籠街にあった行政会館――小さな役所の真横に豪邸を構えていた。どちらが行政する場所なのかわからないほどの大きさだ。当然、財も馬も多く持っている。それに目をつけた略奪者団レイダースがホールデンの屋敷を襲った。

 ボゥイが十五歳、真夏の夜の出来事。

 ホールデン家の屋敷を襲った略奪者団は、ゴブリン族と荒野サンドオーク族の混成で稀に見る大規模――二百以上の人員で組織されていた。屋敷には武装した隊商の数十人が離れに滞在していて少なからず抵抗があった。しかし、屈強な荒野オークを前面に出した略奪者団の攻撃は苛烈極まるもので抵抗したものはすぐ死んだ。屋敷にいたものは犯されて、犯す必要のないものは犯す前に殺され、犯すことに飽かれたものもまた殺される。家人が抹殺されたのと同時に屋敷に火の手が上がると、二階の窓ガラスが割れて外へ少年が一人飛び出てきた。

 敏捷性と生来の負けん気を生かして強盗相手に大立ち回りをしていたボゥイ少年である。

 ヒト族を反目しているゴブリン族と荒野オーク族は、ヒト族との共存を選択している猫人族も犯すか殺す以外の選択肢から外さない。ボゥイ少年は野盗に囲まれた。全身切り傷と火傷があった。それでもボゥイ少年は立ち上がる。右手に長剣を一本持っていた。今は家族同然になっていた育ての親と兄弟たちを、押し込み強盗に殺されたボゥイ少年は渾身で憤っている。ボゥイ少年の怒りは、その猫の瞳に屋敷の火事が映っているのか、瞳そのものが燃えているのかわからないほどの激しさだった。略奪者たちは憤るボゥイ少年を見て嘲笑った。

 屋敷を焼く炎に照らされて長く伸びた略奪者の影が哄笑と一緒に揺れている。

 子供ガキだと思って舐めてやがる。

 ひとりでも多く地獄へ道連れにしてやるぜ――。

 ボゥイ少年が長剣を構えたそのときだった。屋敷の正門から馬上のひとが大挙して雪崩れ込む。「うわあっ!」と略奪者たちが声を上げた。「おおっ」と馬上の男たちが気勢で応じる。この日、旅籠街で宿をとっていた冒険者と隊商の男たち――総じて荒くれものが、火事になったホールデンの屋敷を見て駆けつけたのだ。旅籠街の名士だったボゥイの義父――ジョルジ・ホールデンは隊商や冒険者へ積極的に仕事を斡旋していたから人望が厚かった。義理立てに命を張るのは当然と考えているような男自慢の群れが馬上にいるまま略奪者たちへ発砲する。馬から降りる時間も惜しい。そんな勢いだ。

 夜闇に硝煙が流れ、それに血飛沫が混じって、略奪者団側の悲鳴が上がった。

 戦いはしばらく続いた。ホールデン一家の屋敷に駆けつける隊商や冒険者の数は増える一方で、増援がない略奪者団は分が悪い。仲間の死体が多くなると略奪者たちは逃げていった。逃げた略奪者を義理立てにきた男たちは追わない。彼らはジョルジ・ホールデンと、その家族の安否確認を優先した。頭から水をかぶった何人かの男たちが燃え盛る屋敷の玄関口から突入したものの、そこから先は足を前へ出せない。

 屋敷のなかも外もすべて燃えていた。

 ああ、遅かったか――。

 肩を落とした男たちのうちの誰かが中庭の隅で佇んでいた少年を見つけて声を上げた。

 ボゥイ少年は燃え盛るホールデン屋敷を――燃え盛る我が家を見つめている。

「ジョルジ親父さんの養子――確か、名前をボゥイといったな?」

 硬革鎧ハードレザーを着た恰幅のよい禿頭の冒険者がボゥイ少年に歩み寄った。この冒険者がアレス・ヴァンキッシュだった。

 緊張の糸が切れて、ボゥイ少年の瞳から涙が溢れ出た。

 アレス団長に引き取られるような形で、ボゥイ少年はヴァンキッシュ冒険者団へ入団した。アレス団長と共にした冒険の旅がボゥイ少年を一人前の男に鍛え上げていった。

「このひとは俺の三人目の親父だ」

 いつしか、ボゥイ少年はアレス団長を心から敬愛するようになった。しかし、照れ屋のボゥイのことだ。いつもボゥイはアレスを「団長」と呼んでいた。

 いつも、顔を逸らして、ボゥイは三人目の父親をそう呼んでいた――。


 §


 場所はネスト地下九階層北西区、その中央から東寄りの位置。

 ヴァンキッシュ冒険者団が主体となって形成された、連合第四探索班、兼、ネストダイバー連合レイド本部は異形犬の群れと白い巨人からの逃亡を続けていた。導式陣砲収束器で炎壁フランマ・ウォールを後方に形成、さらに銃の発砲を続けて迫る異形の群れの追撃を食い止めようとした。

 異形犬は炎を見て足が止まった。

「マ、ン、マーァッ!」

 白い巨人は炎の壁を突き破り空気を震わせ絶叫した。

 退路を確保するために、しんがりを務めていた団員の三十名余は恐怖を噛み殺し、白い異形へ発砲した。手練てだれの元冒険者たちが発射した鉛弾は、そのほとんどが白い巨人に命中したのだが、それは効果があったように見えない。人類を殺傷するために開発された兵器で白い巨人を止めることはできなかった。血にまみれて泣き喚きながら突貫してきた白い巨人が長い腕を横殴りに振った。白い大蛇がうねるような有様だった。探索班の後方にいた団員はまとめて弾き飛ばされ、石壁に激突すると血肉になって細かく弾け飛ぶ。

 白い巨人は男を一人、その手に捕まえていた。

 探索班の後方でしんがり組の指揮していたアレス団長だった。

「オヤジィーッ!」

 探索班を先導していたボゥイ副団長が振り返った。異形の白い手に拘束されたアレス団長がは団員たちへ目を向けた。アレス団長に家庭はない。アレス・ヴァンキッシュは大きな身体の、大きな人格の男だったから、女に好かれないわけではない。しかし、自分の冒険者団を率いて、グリフォニア大陸を東西南北と移動し続ける根無し草ではある。家庭を持つことを躊躇っているうちアレスを囲む冒険者仲間はどんどん増えた。

「俺のところに来た野郎どもは腹一杯、食わせなければならんだろうな」

 そう考えたアレスは冒険者団の団長として忙しい日々を送ってきた。そうしているうちにヴァンキッシュ冒険者団はグリフォニア大陸の中央でも名の知れた冒険者団になった。アレス団長自身も『中央草原街道グランディア・グラス・ロードの和合人』そんな渾名で呼ばれて、荒くれものから一目置かれる存在になっていた。しかし、結局、アレス団長は生涯独り身だった。とにかく、ここまで仕事に忙しかった。もっとも、この男は生涯独身であったことを特別後悔していない。アレスは旅が好きな男であり、冒険を愛する男であり、仲間を何よりも大事にする男だ。そして、仕事の最中に死ぬのは誉れと考えているような本物の男でもあった。

 そのアレスは今、白い巨人の手のなかにいる。

 何をどうやっても、逃れられそうにない。

 仕事の最中に死ぬのは仕方がない。

 冒険者ってのはそういうものだ。

 死に瀕して、アレス団長はそう思った。

 その男は骨肉を砕かれる痛みも苦しみも意気地で隠す。

「逃、げ、ろ――」

 笑顔のアレス団長が口の動きだけで生き残っていた団員たちへ告げた。生涯家庭を持たなかったアレス団長は、ボゥイ副団長を、自分の団員たちをすべてを、息子のようなものだと考えていた。

「マ、ン、マ――」

 白い巨人がアレス団長へ圧を加えた。アレス団長の口から血と一緒に臓物がびゃっと飛び出た。直後、アレス団長がパンッと弾けて潰れた。アレス団長の残骸が白い巨人の指に引っ掛かっていた。白い巨人はそれをしゃぶった。

 幼児が指をしゃぶるのと似たような仕草だった。

「親父、オヤジ、おやじぃいぃいっ!」

 ボゥイ副団長が腰の導式ウィップへ手を伸ばした。

「副団長、逃げるんだ!」

「だめだ、副団、戻っちゃだめだ!」

「こ、堪えてくれ、堪えてくれ、副団。今、堪えないとアレス団長が浮かばれねえ、そうだろ、副団!」

 ベリーニ三兄弟がボゥイ副団長に飛びついて撤退を促した。

 三人とも泣き顔だ。

「――倒れたものにかまうな。全員、指定座標へ走れ!」

 ボゥイ副団長は背を向けた。

 悲痛に歪む顔。

 頬をつたう涙。

 ボゥイ副団長は涙と憤りを後ろへ飛ばして駆けてゆく。

 連合第四探索班の生き残りも涙を呑んでそれに続いた。

 ネストの壁面と路面を濡らす血。

 散らばるひとの死体。

 死体というよりも肉片の数々。

 かつては生命であったものの残骸――。


 §


 連合第四探索班が逃走を始めたのと同時刻。

 連合全体の集合先に指定されていた位置にいる連合第二戦闘班――ツクシも異形犬から襲撃を受けていた。

 薄暗がりの翼を広げた死神が零秒で跳躍する。

 横一列に槍を並べ、ギャアギャアと喚きながら突撃してきた異形犬の隊列が目標を見失って立ち止まった。ヒトの集団のなかから無言で進み出てきた、目つきが恐ろしく鋭いその男を異形犬の群れは確かにねじくれた槍の穂先で捉えていた筈なのだが――。

 零秒後。

 ツクシの魔刀が異形犬の群れの真っただ中で荒れ狂った。異形犬の持つねじくれた槍は、どのような素材でできているのかわからないのだが不可解な強靭さと鋭さだ。しかし、その男が振るう刃の鋭さは不可解という言葉で片付けられるものではない。一閃、二閃、三閃――白い刃がきらめくと周囲の異形犬がバラバラになって崩れ落ちた。

 路面に落ちた異形犬はその時点ですべて死体だ。

「おい、なんなんだ、この犬畜生どもは!」

 ツクシが刃を跳ね上げると、異形犬が突き出した槍の穂先がまとめてすっ飛ぶ。悲鳴のような驚きの声を上げた異形犬の首を魔刀は次々刈り取ってゆく。

 ぎゃ、ぎゃん、ぎゃん、ぎゃん、きゃん――異形犬の断末魔の声を続けて上がった。

 それが止まらない。

 虐殺である。

「――話は聞いていたが。クジョー・ツクシ、何という局地戦闘能力――よし、導式機動鎧班はツクシを援護だ。異形の犬どもを蹴散らせ!」

 ルシア団長が気を取り直して号令すると、それぞれ大斧槍ギガント・ハルベルトを携えた白い導式機動鎧装備の団員三十名が異形犬の駆逐を開始した。メンヒルグリン・ガーディアンズの団員は五十名前後と少ないが全員が上等な装備を持っている。彼らが使っている導式機動鎧はγ型だ。これは、タラリオン王国陸軍で使用されている最新型の兵器だった。

「――クソッ、犬どもは数が多くてキリがねェぞ!」

 ツクシが苛立って吼えるたび、必殺の断線が駆け巡り異形犬が死んで転がった。この男が持つ魔刀と気性の危険性に感づいて異形犬の腰が引けてきた。そこへ、ルシア団長の命令を受けた導式機動鎧組とゲッコも突撃する。人外の腕力を発揮する導式の機動兵機と、カントレイア世界最強級の戦闘生命体が相手にすると異形犬も為す術がないようだ。兵器と人外の力で打ち振るわれる巨大な刃が、大通路に脇道から出現する異形犬を吹き飛ばすようにして絶命させた。

 乱戦だが連合第二戦闘班は圧倒的に優勢だ。

 不利を悟ったのか、異形犬の群れは脇道へ逃げていった。逃げた異形犬を追うものは誰もいない。

 勝利しても得るものがない殺し合いのあとだ。

 連合第二戦闘班の面々は総じて気味悪そうな表情を浮かべて、異形犬の死体を眺めている。

「ルシア団長さんよォ、この犬人間どもは一体、何だろうなァ?」

 ゴロウが歩み寄って訊いた。

 ルシア団長の足元には異形犬の死体がひとつある。

「ゴロウ、私にもわからんよ。外見はフェンリル族に似ているようだが――」

 ルシア団長がすごい困り顔のゴロウを見て笑った。

 横にいたゲバルド副団長が顔をしかめて、

「ルシア、どう見てもフェンリル族とは別物だろ。こいつは間違いなく、ネストの異形種ヴァリアントだぜ。まだ識別名がついてない新種なんだろうな」

「ゲッゲッ。犬ドモ、弱イ、弱イ!」

 返り血まみれのゲッコが意気揚々と戻ってきた。

「ヤマさんたちは無事なのか?」

 ツクシが西の壁面から続く脇道を見やると、

「第四探索班が戻って来るぞ!」

 脇道の警戒にあたっていた男が声を上げた。

「生きていたか。導式鎧組は撤退してくる連中を出迎えてやれ!」

 ルシア団長が指示を出したと同時に、撤退してきた連合第四探索班――ヴァンキッシュ冒険者団の面々が脇道から飛び出てきた。

「ボゥイ、一体、何が起こってる!」

 真っ先にツクシが駆け寄った。

「ツクシ、話はあとだ。気をつけろ、すぐに馬鹿でかい奴が来る――」

 息荒げたままのボゥイは逃げてきた脇道の奥へ視線を送った。

「馬鹿でかい奴?」

 ツクシは眉根を寄せた。

「この脇道から敵の追撃だ。炎壁フランマ・ウォールをくれ!」

 白い導式機動鎧姿の団員が怒鳴ると、後方に控えていた導式陣砲収束器を持つ団員が光球焼夷弾を投射して脇道を塞いだ。

 頷いたルシア団長が視線を送ると、ゲバルド副団長が「銃持ちは俺に続け!」そう命令して近くにいた何人かを集めて脇道へ向かった。

「おい、ボゥイ、アレスオッサンは――」

 ツクシの言葉は途切れた。

 導式ウィップを手にしたボゥイ副団長は炎の奥に出現した巨大な敵影を睨んでいる。

「マ、ン、マ――」

 呟いた巨大が影が炎の壁を踏み越えて、

「マ、ン、マァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァアッ!」

 白い絶叫が大通路にあった喧騒をすべて消した。

「ボゥイ、お前ら、何をつれてきたんだ――?」

 ツクシが目を見開いた。

「で、でけえ。エイシェント・オークよりもまだでけえぞ――!」

 ツクシの後ろでゴロウが呻き声を上げた。

「ゲロゲロゲロ――」

 ツクシの横でゲッコがパカンと大口を開けた。

「銃持ちはぶちかませ!」

 ゲバルト副団長が命令した。「ひっ」悲鳴のような返事をした、ゲバルト副団長の率いている五十名余が銃を構えた。

「あっ、だっ、駄目だ!」

 ニックが叫んだ。

「銃で奴は止まらねえ、だめだ、無駄なんだよ!」

 リッキーは泣きそうな顔だった。

「逃げるんだ、そいつは、ツクシさんに――!」

 ハーヴェイの声は連なった銃声に掻き消された。

「あの白い奴は導式陣砲収束器カノン・フォーカスでも止まらなかった――」

 ボゥイ副団長が呟いた。

 銃撃を浴びて泣き叫ぶ白い巨人を睨んでいたツクシへ魔刀がギラリと笑いかける。

 ツクシは顔を歪めて舌打ちを返した。

「マンマッ!」

 白い巨人は叫び声と一緒に跳んだ。全長八メートル以上の白い巨体が宙に舞ったのだ。高々と跳んだ白い巨人は発砲を続けていた男たちの上へ着地した。当然、踏み潰された何名かは悲鳴を上げる間もなく絶命する。

「マンマァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァアーッ!」

 着地した場所で白い巨人は腕を振り回した。跳ね飛ばされたひとが宙に舞う。白い巨人が行動を起こすたびひとが死ぬ。

 瞬く間に死者の数は三十名近く――。

「ぜっ、全員、引け引け、この白い奴から距離をとれ!」

 顔色を変えたゲバルト副団長が踵を返した。

 しかし、その前に連合第二戦闘班の面々は逃げ散っている。

「導式鎧組があの白い奴を止めろ!」

 ルシア団長が号令をすると白い導式機動鎧が白い巨人を囲んだが――。

「――γ型でも一撃すら耐えられんのか?」

 ルシア団長が呻いた。白い巨人の一撃で導式機動鎧を装備した団員がまとめて吹っ飛ばされた。その半数以上が路面や壁面に激突したあとピクリとも動かない。白い巨人は腰を屈めて死体を手にとるとそれを齧った。死体の上半身がザクリと消える。脇道を塞いだ炎壁の向こうから異形犬の群れが白い巨人に食事を止めるよう呼びかけている。白い巨人は飼い主の忠告に耳を貸さない。周辺に散らばったヒトの死体を拾っては食らい、拾っては食らい――食事を優先した白い巨人は攻撃を止めた。

 静まった大通路に死体を食らう咀嚼音と異形犬の鳴き声だけが響く――。

「――ボゥイ、アレスオッサンの姿が見えねェ。どうした?」

 ツクシが前に進み出た。

 ワーク・キャップの下で死神の瞳が蒼く燃えている。

 死神の双眸は異形の白子を捕らえていた。

「俺の親父は――団長はあの白い奴に殺られた――」

 ボゥイ副団長がいった。

「なるほど。俺の仕事は怪獣退治ってわけか――?」

 ツクシが低く唸った。

「頼む、ツクシ」

 ボゥイ副団長が視線を落とした。

「ツクシ、防壁を張るから、少しだけ待ってろォ!」

 怒鳴ったゴロウが精神変換サイコ・コンヴァージョンを開始した。

「師匠、ゲッコモ戦ウ!」

 円形盾と偃月刀を手に身構えたゲッコが呼びかけた。

 死神は振り向かずに薄暗がりの翼を広げ虹の煌きと一緒に消失した。零秒後、ツクシは必殺の座標に出現。白い巨人は周囲に散らばった餌を――ヒトの死体を拾い集めるのに必死で、自分の首元に出現したツクシへ注意を払っていない。魔刀ひときり包丁が閃いて残光を描いた。大通路にいた面々はあっと息を呑んだ。

 ツクシの魔刀が白い巨人の首を一撃で刎ね飛ばしたのだ。

「見てくれはでかいが、ただそれだけの豆腐じゃねェか、あ?」

 宙にいたツクシは毒づいたが――。

「――ぐっあ!」

 ツクシはガラスの割れるような音と一緒に真横へ吹っ飛んだ。白い巨人が腕をムチャクチャに振り回し、宙にいたツクシを弾き飛ばしたのだ。白い巨人の首は確かに地面へ落ちている。胴体の切断面からは天井に届けとばかりに血が噴き上がってもいる。しかし、白い巨人は攻撃を続けた。首から上なくした白い巨人は視野を奪われているので、その攻撃は適当だったが、足を踏み鳴らした先で石床が砕け、拳を突き立てた先で粉塵が上がる。

 首を無くした白い巨人は暴力の震源地と化していた。

「――あ、ありえん。あれはどのような異形種ヴァリアントなのだ?」

 顔面蒼白のルシア団長が呻いた。

「く、首を失っても死なないだと――」

 その横でゲバルト副団長も呻き声を上げた。

「ゲッ、ゲッ、師匠!」

 ゲッコが首無し巨人に突撃した。

「おい、ゲッコ、何をするつもりだ!」

 ゴロウは叫んだが、ゲッコは止まらない。ゲッコは左右に跳んで首無し巨人の腕の攻撃を交わし懐に潜り込むと、その胸の中心へ偃月刀を突き立てた。首無し巨人は視覚と聴覚を失ってもまだその感覚は残っている。巨大な白い手がゲッコを掴んで放り投げた。突き立てた偃月刀が巨人の胸に残った。ゲッコは宙でくるくる身体を丸めると暴力の震源地から離れた場所へ着地した。すごい運動神経である。しかもゲッコは無傷だ。すごい生き物である。首無し巨人は拳で石壁を突き崩すと、その行動を最後にずるずると崩れ落ちて動かなくなった。

「――死んだのか」

 ルシア団長が息を吐いた。

「心臓を破壊しないと駄目なのか?」

 ゲバルト副団長は呟いたが周囲から返ってきた答えはない。

 連合第二戦闘班の死者はこの時点で五十名を超えている。


「――クッソ痛ェ。まったく、この赤髭はつかえねェ魔法使いだぜ」

 路面で大の字になったまま毒づいたツクシを、

「無事なのかよォ、まったく、悪運の強え野郎だよなァ――」

「ゲッゲッ、流石、師匠!」

 ゴロウとゲッコが覗き込んでいる。

 ゴロウが張った導式の防壁が功を奏し、ツクシの命は無事のようだ。

「おい、第一、第三戦闘班はどうなったんだ――?」

 顔を歪めたまま、ツクシが半身を起こした。

 大通路の北へ視線を送ったゴロウが、

「遠くだが見えてるぜ。北北西運輸互助会は生きてるみてえだ。さすが、ドワーフどもだよなァ」

「ロジャーの――第三戦闘班はどうだ?」

 ゲッコのしっぽを掴んで、ツクシが立ち上がった。

「そっちは連絡もねえなァ。南にも白い異形種が出ているのかァ――?」

 大通路の南へ目を向けてゴロウが髭面を曲げた。

「ああ、すぐにヤマさんたちを探しに――」

 ツクシがまだふらつく足を踏み出した。

「おい、無茶をするな。どこへ行くつもりだ、ツクシ?」

 ゴロウが呼び止めると、

「無茶をしなきゃならん状況だろうが、あ?」

 ツクシがゴロウを睨んだ。

「――わかった。俺が導式鳥を飛ばして連絡を取ってみる」

 ゴロウが太い眉尻を落としていった。

「早くやれ」

 ツクシが吐き捨てた。大通路から西に続く脇道はすべて炎壁フランマ・ウォールで遮断されていた。異形犬の姿は見えないが、その唸り声が重なって聞こえる。

 異形犬の大群がこの場所へ押し寄せている。

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