十一節 白い巨人(参)

 ネストダイバー連合レイドは二日目も進行が遅かった。

 連合が地下九階層の北東区に入った時点でもう夜だ。再び早朝までの野営に入った。先日同様、連合傘下にいる代表者が集まって車座を作っている。今回の連合の目的は下り階段の付近に残った地形データをすべて収集し、地下九階層の地図を完成させること。

 それにエイシェント・オークの完全排除――。

「――今回は地下十階層まで入らないと収支に赤字アカが出るかも知れん」

 アレス団長がエールの杯を片手に告げた。

「無駄に人数が増えて進行が遅すぎるんだ」

 その横で、ボゥイ副団長がエールの杯を呷った。

黒字クロが出るまで帰らなければいいだけの話だろ。予定通り、地下十階層まで足を伸ばせばいい」

 ロジャー団長はナイフで大きなハムを切り分けている。

「そういってもロジャー団長よお。下層ではエイシェント・オークの群れが待ち構えている可能性もあるぜえ?」

 アドルフ副団長は自分のところの団長が切り分けたハムを横からひょいひょいつまんで食っている。自分が食うために切ったハムを横から部下に盗られているような格好だが、ロジャー団長は何もいわない。淡々とハムを切り分けている。

「アドルフ副団長。奴らがもう全滅している可能性もある」

 背筋を伸ばして綺麗な胡坐のリュウの発言だ。リュウはその体勢で、片手に酒の杯、片手にエールの大きなピッチャーを握りしめていた。その横では、空のタンブラーを両手で握り締めたツクシが虎視眈々とリュウの手を狙っている。

「心配しなくても、十階層に入る前に私の鼻と耳で先にいる数は把握できますよ。あるていどですけれどね」

 フィージャがいうと、その横に身を寄せて座っていたシャオシンが二度頷いた。

「頼もしいな。ウチの団にも一人、フェンリル族が欲しいものだ」

 アレス団長がゆったり笑った。

「オッサン、猫じゃあ間に合わんか?」

 ツクシがボゥイ副団長へ目を向けた。

「嫌味な奴だな――」

 ボゥイ副団長が猫耳と顔をツクシから背けた。

「しかし、エイシェント・オークがいなくなるのと、下層に待ちかまえているのと、どっちがいいのかなァ。異形種討伐金は惜しいだろォ――」

 ゴロウは小アトラスから照射された班の振り分け表を眺めている。

「エイシェント・オークがいなくなれば、地形探索データ収集の効率は良くなるっすよ。ただ、ウチの班は人数が少ないっすから――」

 横に座るヤマダの眉間に谷ができた。

「ゲロ、賃金減ル。ゲッコ、チョト困ル――」

 ツクシの横で正座中のゲッコが呟く。

「何いっていやがる。ゲッコは金がなくなったらまた河で魚を採って暮らせばいいだろ。それとも、ウチの宿で贅沢を覚えて気が抜けたのか?」

 ツクシがいうと、

「ゲッ、ゲロゲロ!」

 ゲッコがパカンと口を開けて絶句した。

 何やら心当たりがあるようだ。


 §


 早朝だ。

 場所は地下九階層北西区の下り階段前広場。壁際で異形の篝火が炊かれたその空間は赤く照らされていた。

「マンマッ、マンマッ、マンマァ、ァ、ァ、ァ、ッツ!」

 咆哮した白い巨人は、エイシェント・オーク・スパルタンの首根っこを捕まえると、それを持ち上げて石床へ叩きつけた。血の泡を吹いて手足をだらりと下げたそのスパルタンはもう絶命しているようだ。しかし、白い巨人はその巨大な死体を何度も床へ叩きつけた。癇癪を起こした幼児が玩具を叩き壊す姿とよく似ていた。スパルタンの死後の余韻が完全に途絶えると、身を屈めた白い巨人はそれに食らいついた。

 金属が引き千切られる耳障りな音と、骨と肉が咀嚼される音が反響する。

「イマ、ジョグジ、ヤメロ!」

「オヂヅゲ!」

「『ベル』、メイレイ、ギゲ!」

「ドメロ、ドメロ!」

 異形犬の群れが叫びながら、白い巨人の首輪に繋がる何本もの鎖を引っ張った。

「異形犬どもは下層したから何をつれてきたんだ?」

 シルヴァ団長は眼前の光景に圧倒されている。

 ヒト型。

 身長八メートル以上。

 目算で体重は想定不能。

 異形犬の群れがその白い巨人を鎖で引いてきた――。


 アマデウス冒険者団の六十六名余は、地下九階層の南東区から南西区へ抜けるルートを使って下り階段に辿りついた。ネストダイバー連合を追い抜く形での突貫だ。アマデウス冒険者団の人数は少なく大量の敵に対応しきれない。アマデウス冒険者団は対応しきれないほどの敵と遭遇した場合、追撃してくる敵をまたネストダイバー連合に衝突させる計画だった。

 その計画だったのだが――。

「――シルヴァ団長、異形犬の相手だけで俺の手勢は手一杯です。あの白い奴の相手まではとてもできません」

 最前線から駆け戻ってきたエッポが報告した。柄の悪いドワーフ戦士を三十名率いるエッポはアマデウス冒険者団の切り込み隊長役だ。

 アマデウス冒険者団は異形犬の群れに囲まれている。

 アマデウス冒険者団が下り階段前に到着したのは、地下十階層から上がってくる大量の異形犬がエイシェント・オークの残党を駆逐した直後だった。アマデウス冒険者団は異形犬の群れを相手に切り結び、発砲し、押し返してていたのだが、階段から上がってきた白い巨人が戦況を一変させた。

「よ、予定通りやろう。キルヒ、お前の精霊で異形犬と白い奴を足止めしてくれ」

 シルヴァ団長が命令した。紫檀色の軽装鎧に黒マントをなびかせたシルヴァ団長の周囲にいるのは、襟を立てた白い武装ハーフ・コート姿のレオナ副団長、赤い軽武装服姿にオレンジ色のマントを羽織ったユーディット、重鎧姿のエッポ、獣甲鎧姿のダンカン、これらに加えてあと一人いる。

 暗いオリーブ色のフード付外套で全身を覆ったキルヒだ。

「おい、キルヒ、返事をしろ!」

 もう一度、シルヴァ団長が声をかけた。

「――また逃げる?」

 キルヒは奇跡の触覚で白い巨人を眺めていた。白い巨人は周囲に群がった異形犬に制されて、どうにかスパルタンの屍骸を貪り食うのを諦めた様子だ。

 その口が真っ赤に塗れている。

「キルヒ、た、頼む、はっ、早く!」

 シルヴァは声が震わせたが、キルヒは動かない。ドワーフ戦士に交じって、β型導式機動鎧姿のエレミアが大戦斧を振り回し異形犬の突撃をどうにか食い止めている。だが、銃でそれを援護する他の団員たちは、シルヴァたちが佇んでいる位置まで下がっていた。発砲を繰り返しても敵が減らない。

 敵が多すぎる。

「落ち着いて」

 レオナ副団長がガクガク震えだしたシルヴァ団長へ身を寄せた。

「あ、ああ、レオナ。俺は落ち着いてる落ち着いてる。おい、キルヒ、返事をしろ!」

 シルヴァ団長が叫んだとき、その横にキルヒはいなかった。

 キルヒは薄暗がりの外套を揺らしながら進み出た。

「総員、下がれ、キルヒさんが威厳あるものインペリアルを出すぞ!」

 エッポが大声で命令した。駆け戻ってきた団員だちは恐怖で顔を強張らせていた。退避命令を待ち侘びていた様子だ。

「フーッ! キルヒ、あまり焦らすなよ――」

 大袈裟な溜息で前髪を揺らしながら、シルヴァ団長がその顔に空白の笑みを浮かべて、下がってきた仲間たちへ余裕を見せつけた。

「嫌な女!」

 レオナ副団長が呟くと、

「そうだよねー」

 その隣にいたユーディットが頷いた。

 この両名は、決して仲がいいわけではないのだが、こういうときだけ気が合うようだ。

「エレミアも早く戻って来い!」

 シルヴァ団長が叫んだ。エレミアはまだ前方の遠い位置で異形犬を叩き殺している。その周辺にいたドワーフ戦士はすべて後方へ退避済みだ。

「エレミア、聞こえてないの!」

 レオナ副団長が叫ぶと、

「――あ、はい、レオナお姉さま」

 エレミアがようやく返事をした。もっとも、防毒兜のなかで発したエレミアの声は小さいものだったので、シルヴァ団長とレオナ副団長には聞こえない。

 異形犬の群れを迎撃していた団員たちと入れ違いになる形だ。

「風と契りしキルヒ・アイギスの名に応えろ、威厳ある風精の王よ――」

 キルヒは歩を進めながら彼女は彼女と契約を交わしたものの名を呼んだ。

 異形の大迷宮に突風が吹く。

 アマデウス冒険者団の面々が強い風に顔を背けた。

 異形犬の群れの動きが止まった。

 白い巨人は咆哮することをやめた。

 キルヒの背にあった薄暗がりの翼が大きく広がって青い背中が見えた。

 キルヒの黒革鎧は肌の露出が多いデザインだった。

「愛しいひと、呼ばれずとも出ようと思っていた矢先だ」

 キルヒの横に発現した巨大な男性の形が風の声で告げた。はためくローブの先や、流れる髪の先が大気に溶けて、彼は大気と一体になっている。

 管理者としての意志を持った運命マナの王――威厳ある風精の王インペリアル・シルフォンだ。

 異形犬の群れは広場の中央に固まって隊列を作っていた。異形の隊列の中心に鎖で繋がれた白い巨人がいる。その向こうの壁に下り大階段が黒い闇をぽっかり開いていた。異形犬の群れを相手に奮闘していたエイシェント・オーク・スパルタンやスカウントは脇道へ逃げてゆく。逃げる途中、スパルタンの一体が力つきて倒れた。

 その背に異形犬の使うねじくれた槍が何本も突き立っている。

「――ゴロセ!」

 異形犬の一匹が吼えた。

「デギ、デギ!」

「ニンゲン、ゴロゼ!」

「ゴロゼ、ゴロゼ!」

「ニンゲン、ミナ、ゴロジ!」

「クジザジニジロッ!」

 応じた異形犬が一斉にキルヒへ槍を投げつけた。弧を描いで飛ぶ何百という槍は遠めに見ると黒い雨のように見えた。その何本かは間違いなくキルヒを貫く軌道だ。しかし、それらはすべて路面に突き立った。キルヒを背から抱きかかえるような体勢のシルフォンが槍の軌道をすべて逸らした。風に巻かれた薄暗がりの外套の裾が舞い上がり、キルヒの顔を隠していたフードが外れた。

 長い黒髪が風精の威厳に任せてたなびいている。

 路面を見つめるような体勢で佇むキルヒは異形犬の群れを奇跡の触覚で観察していた。

 二足歩行。

 螺旋状にねじれた槍を持ち、その背にも何本か同じ槍を背負う。

 全身が汚れた獣毛で覆われている。

 上向いた鼻は低く、その部分だけ見ると犬というよりも豚のようだ。

 避けた口からは何本もの牙が突き出している。

 牙が邪魔になって口が閉じきらない。

 口から糸を引く黄色い唾液が漏れ出ている。

 耳だけは完全な獣のそれだ。

 猿のような、豚のような、犬のような、ヒトのような――これが異形犬の容姿だった。この世のものでない形だ。

 まさしく異形、異形の犬――。

「――ひたすら醜い。切り刻め、シルフォン!」

 キルヒが眉間に険を見せた。

「承知」

 威厳ある風精の王――シルフォンはその巨躯を起こして両腕を広げ、ローブを大通路いっぱいに広げた。キルヒの背後に長髪を暴風に躍らせて立つ神話の巨人がいる。異形犬の群れは槍を掲げて突撃してきた。何百という数だ。しかし、その毛むくじゃらのどの足も、前へ進まない。

 シルフォンが呼ぶ風の圧があまりにも凄まじく前へ進むことができないのだ。

「コォ、ォ、ォ、ォ、ォ、ォ、ォ、オッ!」

 シルフォンは益々その巨躯を押し広げて暴風を呼ぶ。異形犬の群れに吹きつける風音が轟音に変わった。神話が呼ぶ暴風は異形犬のけたたましい悲鳴を押し流した。暴風は刃と化している。獣毛と一緒に異形犬の肉がざくろのように弾け飛んだ。飛んだ血肉が暴風に舞って階段前広場の視界が赤くけぶるなか、異形犬は次々倒れてゆく。

「マンマッ、マンマーッ!」

 風の刃に切り刻まれた白い巨人も四肢を振り回し、涙を流し、身悶えながら咆哮した。しかし、白い巨人は倒れない。倒れるどころか暴風の刃に抗って前へ進んだ。その足元で伏せていた異形犬を、まとめて踏み潰している。

 白い巨人は自分の飼い主を踏み潰しながら進撃を開始――。

「――何?」

 キルヒが眉を強く寄せた。

 奇跡の触覚が白い巨人を観察している。

 その巨人は裸体だが股に生殖器がついていない。

 口腔と排泄口、耳と鼻はらしきものはある。

 正確には耳孔と鼻孔があった。

 鼻と耳がないのである。

 その口には唇も無かった。

 口内には青黒い刃物のような牙がある。

 手足が長く、僧帽筋がいびつなまでに盛り上がった白い肉体は体毛がまったくない。

 ぬるりつるりとした白い顔にまぶたのない眼球が二つある。

 この部分はひとの眼球とまったく変わらない。

 要所要所がひとを思わせるものゆえに、それだからこそ、見るものに生理的な嫌悪感を呼び起こさせる、そんな白い巨人の造形だった。

「愛しいひと、どうも、白い彼奴きゃつめもこの世界のものではないようだ」

 シルフォンが警告した。

「頼りにならぬ。インペリアルの名が泣くぞ」

 キルヒが冷たい声で返した。

「ここが地上ならば、あの醜い白子しらこを楽に引き裂けたものを」

 顔を歪めた風精の王は自尊心が挫けている様子である。

「ふっ、白子。しかし何故――」

 鼻で笑ったキルヒがすぐまた眉を寄せた。

「どうした、愛しいひと」

 シルフォンが訊いた。

「何故、『呼び出されたもの』の『種類』がばらけている?」

 キルヒが呟いた。

「ここの転生石の主は何を考えて?」

 続けて、キルヒが呟いた。

「俺にもそれはわからぬ。冥はすべての世界のことわりの外にあるがゆえ――」

 シルフォンがいったときには、キルヒの眼前に白い巨人が迫っていた。

 切り裂かれた腹から、赤い臓物がはみ出しているが、それでも、白い巨人は足を前へ、前へ、そうして、

「マ、ン、マァァァァァァアッツ!」

 異形の白子は絶叫した。

「――止めろ、シルフォン」

 キルヒが踵を巡らせた。

「やってみよう。否々、愛しいひとのため、これはやるしかあるまいよ?」

 シルフォンが神話の唇を皮肉に歪めた。

「――ふっ」

 キルヒが鼻で笑うと、舞い上がっていた黒髪がその背に落ち着いた。はためいていた薄暗がりの翼がキルヒの身体を包み込む。この場を支配していた暴風の刃が消えたのだ。

 薄汚れた獣毛に血肉をまとわりつかせた異形犬がゆらりゆらりと身を起こす――。


「――キ、キルヒでも駄目なのか!」

 シルヴァ団長が絶句した。

「うっそ、マジで? あの気持ち悪いの、威厳ある風精の王インペリアル・シルフォン風殺効果範囲キリング・フィールドを耐え切ったの?」

 ユーディットが表情を消した。

「おい銃班。お前ら、全員、前に出ろ」

 エッポが部下に命令した。銃を持っているのはヒト族の団員だ。その彼らは銃を片手に青ざめた顔を見合わせた。

「お前らは俺たちの撤退の支援をしろ。オラ、早く動け」

 エッポの隻眼に浮かんでいる感情はない。エッポの周囲にいるドワーフ戦士たちも、やはり何の表情もなく、怯えるヒト族を眺めている。

「そ、そうだな、すぐに退避を――」

 シルヴァ団長は撤退を決断したが、

「いえ、シルヴァ。それはまだよ。落ち着いて、あれをよく見て」

 レオナ副団長がシルヴァ団長の耳元で囁いた。

「ふーん、一応、足止めはできてるってわけね――」

 ユーディットが悠々と歩いて戻ってくるキルヒから視線を逸らした。威厳ある風精の王インペリアル・シルフォンは、キルヒの背を守るように後退しながら風を手繰っている。今度の風は石床の上を低く這い、異形犬の足と白い巨人の足へ絡みついていた。粘土のような風圧が、その歩みを縛っているのはもちろんある。それに加え、その風は異形犬と白い巨人の身体にある水分と一緒に体温を奪い取り続けていた。異形犬の群れと白い巨人の足は凍えて、その歩みが極端に遅くなっている。

「全員、ここで待機だ」

 エッポが命令すると団員たちはほっと息をついた。

「キ、キルヒの姉御、さすがでさ!」

 逃げ出そうとしていたダンカンが慌てて戻ってきた。

 キルヒはダンカンを一瞥だにしない。もっとも、一瞥しようにも、黒い両眼眼帯で目を隠しているキルヒは視線を送れないのであるが――ともあれ、戻ってきたキルヒは周辺に無関心な態度で足を止めた。

「変な動きをしていると思っていたわ。エイシェント・オークの残党は下り階段前に集まって、あの白い巨人を警戒していたのね」

 レオナ副団長がエレミアへ視線を送ると、

「そうですね。レオナお姉さま」

 エレミアが小声で返事をした。

「異形犬の群れの戦力だけで、エイシェント・オークの残党を押しているのは、どうも納得がいかなかったからな。異形犬にはあんな強力な仲間がいたのか。それでどうする、レオナ。銃か爆薬か――それか『俺の力』で奴らを片付けて、この先に――地下十階層に進むか?」

 シルヴァ団長が訊いた。

「――いえ、シルヴァ。あれを見て」

 レオナ副団長は下り階段の出入口を睨んでいる。

「じょ、冗談だろ、まだあんなに――」

 シルヴァ団長が呻いた。

 階段から続々と異形犬の軍勢が上がってくる。

 白い巨人も階段から上がってくる。

 一体、二体、三体――。

「マンマァ!」

「ゴロゼ!」

「マンマァーッ!」

「ゴロゼ、ゴロゼ!」

「マ、ン、マァァァァアーッ!」

「ゴロゼ、ニンゲン、ミナ、ゴロゼッ!」

 絶叫しつつ、唸りつつ進撃する異形の進撃を、シルフォンの手繰る暴風がどうにか遅くしている。キルヒの青い美貌に汗が浮いていた。この場にある運命マナが枯渇した場合、精霊は契約者の運命を食らって力を持続させる。王都の地下深くにあるネストには風の精霊がその存在を維持するための運命が元より少ない。本来、地下に風は吹かないのだ。シルフォンはその存在を維持するために、キルヒ自身が持つ運命マナを奪い続けている。

 レオナ副団長はキルヒの眉間に浮かんだ疲労を横目で眺めながら、

「シルヴァ、ここは無理をせずに計画通りにやりましょう」

「うん、そうだな」

 シルヴァ団長は素直に頷いた。

「ユーディット、聞こえていたでしょう。さっさと始めなさい」

 素直なシルヴァ団長に満足して笑顔のレオナ副団長が命令した。

「はぁあ、上から目線で命令すんなっての。この女、マッジ、うざっ――」

 ユーディットが顔を背けた。

「ユーディット、機嫌を直してくれよ。レオナに悪気があるわけじゃないんだ。一応、レオナは副団長だからさ――わかるだろ?」

 シルヴァ団長がユーデットへ顔を寄せて囁いた。仲の悪いレオナとユーディットの橋渡し役は、この魔人の団長の大事な仕事になっている。

「――まっ、さっさと片付けちゃおうか。炎と盟約を結びしユーディット・イカルガの名に加勢せよ、炎の精霊たちサラマンダー!」

 そっぽを向いたまま、ユーディットが炎の精霊を呼び出した。ユーディットが使役する炎の精霊たちは風精の王と比べるとずっと低位のものだ。それらは炎をローブにして身にまとう手のひらサイズの乙女姿で言葉もほとんど発しない。しかし、この彼女たちも使いようだ。ユーディットの腰のベルトには火薬入りの小さな樽がいくつも下がっている。これらに炎の精霊たちが着火すると強力な武器になる。

「みんな、予定通りの退路を使って移動しろ。精神変換サイコ・コンヴァージョン、導式陣・天明の閃光テラ・ライトを機動!」

 黒マントをひるがえして号令したシルヴァ団長が右手の先で導式陣を機動した。そこから照明用の光球が飛んで、東の脇道の奥で炸裂し、その場所の照明を確保した。

 この脇道がアマデウス冒険者団の退路になる。

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