十節 白い巨人(弐)
七つの色があったが、シャオシンが選んだのは黄色だった。
壁に背を預けて黄色い飴玉をひとつ口へ放り込んだシャオシンは、グリフォンを象った大きな石像の口から流れ落ち続ける水を見つめた。連合が野営中である大通路の脇道を進んだ先の円形広場にシャオシンはいる。誰が作ったのかはわからないが、中央に大きな噴水がある広場だ。他のネストダイバー連合の参加者もそこをちらほら行き来している。飴玉の甘さと酸味に頬をゆるめたシャオシンは、最初、ふにゃふにゃ笑っていたが、やがて、独りぼっちでそれを食べても味気ないことに気づいて笑みを消した。
「リュウが悪いのじゃ。すぐにガミガミ怒るから――」
シャオシンが呟いた。手にある飴玉の缶には七つの色の、七つの違う味の飴玉が入っている。赤色がいちご味、橙色がオレンジモドキ味、黄色がレモン味、水色がミント味、青色がキング・ベリー味、紫色がぶどう味、そして緑色がハズレの味――黄緑虫の絞り汁味。飴玉の味は七つ。ツクシの班は七人。
だから、あのとき、班のみんなへ一個づつ配ろうと思って――。
シャオシンが顔をうつむけると、円形広場の壁に設置されている導式灯に照らされてできた自分の影が、白い石床の上で何個にも分かれていた。
「――それ、キミが盗んできたの? いっけないんだあ」
少女の声だ。
「なっ、なっ!」
シャオシンは声をかけてきた少女を凝視した。
「キミ、その飴玉の缶、連合の輸送班から盗んできたんでしょ?」
若草色の瞳がシャオシンを見つめている。
ガラス玉のような、感情の色が浮かんばない瞳だ。
「ぬっ、盗んでなどおらんわ! こ、こ、これはちゃんと、わらわが買ってきたものじゃ、本当じゃぞ!」
シャオシンが言い訳を始めた。
先日、城下街へ、リュウ、フィージャ、シャオシンは三人揃って買い物に行った。
「あれが食べたいのじゃ、これを食べたいのじゃ、全部食べてみたいのじゃ!」
高級菓子店を目に留めたシャオシンはわがままを吼えた。眉を寄せたリュウは渋々、店に置いてある商品のなかでは一番安いが、それでも一般的に流通しているものに比べると値段の高い飴玉の缶をひとつ購入した。シャオシンが手に持っている飴玉の缶がそれだ。しかしこれはリュウが管理していたものだから実質的には盗んだのに等しい。
「――わらわ? のじゃ? キミって変な喋り方」
若草色の瞳の少女が薄く笑った。
「う、うるさいわ、お、お前は何者じゃ!」
キャンと吼えたシャオシンが目の前の少女を睨んだ。少女はうぐいす色の軽武装服を着て、その上に、黒いフード付のマントを羽織っている。シャオシンよりも、頭一個分身長が高く、その体形は細身だった。手も脚も細くすらりと長い。
すっと音も拍子もなく――。
「――いい匂い。レモン?」
壁に手をついて、シャオシンを追い詰めた少女の唇が薄く笑っている。
音のない壁ドンである。
「うっ、あっ――」
少女が作った影に、すっかり隠れてしまったシャオシンが、接近した少女の顔を見上げた。影になった少女の顔で若草色のガラス玉が二つ光っている。
「あっ、ヘルモンド高級菓子店の『
少女が見つめているのはシャオシンが胸の前で抱えている飴玉の缶だ。
「こ、これが欲しいのかえ?」
シャオシンが視線をうろうろさせながら震え声で訊いた。
「うん」
少女はガラス玉の瞳が細くした。
「ふん、欲しくてもやらぬぞ。これは、わらわが買ってきたものなのじゃ。だから、全部わらわのものじゃ!」
上目遣いに睨んでシャオシンが抵抗した。
「盗っちゃおうか?」
その声と一緒に、少女の淡いピンク色の唇が、シャオシンの唇へ寄った。
「いっ、ひっ!」
身を固めたシャオシンが至近距離にきた少女を凝視した。
「どうしよう?」
少女が薄く笑った唇を舌先でチロチロ舐めている。
「――いいっ! 一個だけじゃ、一個だけじゃぞ!」
直感で何かの危険を察知したシャオシンの心がボキンと折れた。飴の缶をブンブン振ったシャオシンの手のひらに落ちた飴玉は紫色のぶどう味だ。
「あーん」
少女はシャオシンの退路を壁ドンで断ったまま口を開けた。
「な、何をっ!」
シャオシンの目が手にもった飴玉よりも丸くなった。
「あーん」
口を開けたままの少女が気後れしている様子はない。
「う、うぅう――!」
シャオシンが少女の口へぶどう味の飴玉を放り込んだ。
「――おいしい。私、甘い物大好き。女の子はみんな甘いもの好きだよね?」
シャオシンからカツアゲした飴玉を舌の上で溶かした少女は瞳をうんと細めた。肩口まである鉄色の髪の毛先が不規則にくるくると丸まった、おでこを広く見せる髪形で眉は短い。肌は青みを帯びるほど透き通り、その顔立ちは絵に描いたような美しさだ。
そして、その少女はヒト族より遥かに長い耳――。
「お前はエルフ族なのかえ。綺麗じゃのう――」
シャオシンはぽかんと呟いた。
「私、半分だけエルフ。キミもすごく可愛いよ――」
少女はシャオシンの耳元で笑った。
今度の笑顔は何だかすごく後ろめたい熱量を持った感じである。
「うっくっ! そ、そうじゃ。わらわはすごく可愛いのじゃ。当たり前のことをいわれても全然嬉しくないぞ! と、ところで、半分だけエルフとはどういうことじゃ?」
シャオシンはとっさに顔を背けた。
「ハーフ・エルフのこと」
そういったハーフ・エルフの少女は、いつのまにかシャオシンの隣で背中を石壁に預けている。
「――ハーフ。お前はヒト族とエルフ族の混血なのかえ?」
シャオシンはほっと細い肩を下ろして訊いた。
「そ」
ハーフ・エルフの少女は細い肩を竦めて見せた。
「お前の父上と母上、どっちがエルフだったのじゃ?」
シャオシンが横目でハーフ・エルフの少女に視線を送った。
「知らない――」
ハーフ・エルフの少女は広場の噴水へ視線を送って短くいった。
「知らない?」
シャオシンが小首を傾げた。
「本当のパパもママもずっといない。だから知らない」
ハーフ・エルフの少女は表情も声も変えずにいった。
「――そうかえ」
シャオシンは視線を落とした。円形広場の中央にある噴水から、さらさらと流れ落ちる水音だけが聞こえている。水場を訪れるひとはそれぞれの用事に忙しいようだ。壁に背を預けて並んだ二人の少女を気にするものは誰もいない。
「――名前?」
顔を傾けたハーフ・エルフの少女が語尾を上げた。
「わらわの名前かえ?」
シャオシンが顔を上げると、
「そ」
短い返事と一緒に、ハーフ・エルフの少女が薄く笑った。
「先にお前が名乗るがよい。それが礼儀じゃろ?」
シャオシンは眉を寄せて見せた。
「私はロレッタ」
ハーフ・エルフの少女――ロレッタが名乗った。
「初対面のときは姓と名をちゃんと名乗るものじゃぞ」
シャオシンはリュウからそう教えられている。
「ロレッタ・ハーレクイン・リヒャルデス=ウンディーニ」
ロレッタは薄く笑って、フル・ネームを名乗った。
「長い名前じゃのう――」
シャオシンがいうと、
「キミは?」
顔を傾けてロレッタが訊いた。
「わ、わらわは
シャオシンが飴玉の缶に視線を落とした。
「短い名前だね」
ロレッタは噴水へ視線を戻した。
「名前が長ければ偉いというわけでもないじゃろ――」
シャオシンが飴玉の缶を振った。シャオシンの手のひらに落ちたのは赤い飴玉だ。シャオシンが飴玉を口へ放り込んで顔を上げると、「あーん」と、口を開けたロレッタの顔が横から接近していた。その高級な飴玉は表面に粉砂糖がまぶしてあるソフト・キャンディ・タイプで長くは舌の上に残らない。
「も、もうやらんぞ。一個だけの約束じゃ!」
プイッと横を向いたシャオシンに、
「――盗っちゃおうか?」
ロレッタの美貌が正面から接近していた。
シャオシンはまたロレッタから壁ドンされている体勢になる。
「うっ、ううっ――!」
シャオシンが表情と身体をギチギチ固めた。
「あーん――」
口を開けたロレッタの美貌と、そこにあるガラス玉のような二つの瞳が、シャオシンの強張った美貌にゆっくり近づく。
「ううっ!」
呻いたシャオシンが背を仰け反らせたが背後は石の壁だ。
その左右はロレッタの腕が通せんぼをしている。
逃げ場はない。
「あーん――」
そういったロレッタの唇は、シャオシンの口先五センチの距離にある。ロレッタの唇の間から見える舌先がぬらぬらと蠢いているのを目に映したシャオシンが、
「あうーッ!」
限界である。
シャオシンは必死で飴玉の缶を振って、手のひらに青い飴玉をひとつ落とし、ロレッタの唇の間へそれを投入した。
「――キミの食べてる、いちご味が欲しかったのに」
キング・ベリー(※カントレイア特有のベリー。南国産の大きな青い果実)の甘酸っぱいさを舌の上で溶かしたロレッタは目をうんと細めて、顔を背けたシャオシンの頬へ囁いた。
南国の風のような、甘い香りの、熱い吐息である。
「うくっ、はうっ――!」
声にならない悲鳴を上げつつ、口内にあったいちご味の飴玉を急いで呑み込んだシャオシンは口を開けて、「もう、このなかにはありません」と、上目遣いでふるふる震えながら主張している。
「キミってネストダイバー九班にいる
ロレッタが壁ドンの檻からシャオシンを開放した。
「し、知ってたのかえ?」
シャオシンは横にきたロレッタをビクビクしながら盗み見た。
「キミたち有名。目立ってるから」
そういったものの、ロレッタはあまりその話題に興味もないような口振りだ。
「そうじゃ。わらわの班は連合最強なのじゃ!」
シャオシンは嬉しそうに笑っている。
「キミ、武器持ってるね」
ロレッタがシャオシンの腰の両脇に吊るされた二本の胡蝶刀を見やった。
「う、うむ、お前も武器を持ってるのう――」
シャオシンもロレッタの武器へ目を向けた。太ももに巻かれたベルトに差し込まれていたのは棒手裏剣だった。ロレッタの細い腰に巻かれたベルトに大きなポーチがついていて、そこにも何か道具が入っているようだ。
「すごい高級な導式具だね」
ロレッタがあまり感心した様子もなくいった。
「わかるのかえ?」
驚いたシャオシンがロレッタを見つめた。
「
そういったロレッタは、シャオシンが手につけている手甲部分(革製品で、指抜きされたデザイン)についた黄色い秘石――豹眼石に顔を近づけた。
「う、うむ。それは当然じゃ」
シャオシンが目を泳がせながらいった。
「やってみせて?」
ロレッタが目を細めた。
「疑っておるな。見ておれ!」
歯噛みしたシャオシンは、まぶたを落とし、片手で拝むような体勢を作ると、
「
シャオシンの身体の前に照明用の光球がひとつ出現した。
「――わっ」
ロレッタは声を上げたが、その表情はさほど驚いている様子でもない。
「驚いたか。回せもするぞ、ほれほれ。他の連中にはこれがなかなかできんらしいのじゃよ」
シャオシンが自分の身体を軸に光球をくるくる回転させて見せた。
「あっ、すごい。キミは光の導式陣を常時機動できるんだ」
ロレッタは呟くようにいった。
今度は本当に感心している様子である。
「これだけは得意なのじゃ!」
腰に両手を置いたシャオシンが、少女らしい胸を反らしたが、
「え、それだけなんだ」
ロレッタは平淡な口調だ。
「ご、『五行・水乃陣』だって『五行・火乃陣』だって使えるぞえ! 火だけは、あまり使いたくはないのじゃが――」
シャオシンは視線を斜め下に落とした。
「キミって本物の導式使いなんだね」
ロレッタが壁から背を離した。
「そ、そうじゃ、ロレッタ。わらわは本物の陰陽導師なのじゃ――」
警戒したシャオシンが光球を高速で回転させたが、この光球にひとを攻撃する力はほとんどない。相手の顔にぶちあてれば目潰しにはなる。
「あっ、名前で呼んでくれた」
目をうんと細めたロレッタが細い肩を震わせながらうつむいた。
声を出さずに笑っているようである。
「何がおかしいのじゃ?」
シャオシンが強張った顔で訊いた。
次の瞬間、
「シャ・オ・シ・ン」
腰を折ったロレッタが、シャオシンの耳元でそう囁いて返答した。後ろめたい熱を帯びたロレッタの吐息でシャオシンの耳が焼ける。
この少女は動作を相手に予測させずに動く――。
「――う、うっ!」
シャオシンが身体を縮めると光球がへなへなと光を散らして消滅した。
「私もこれからキミのことシャオシンって呼ぶ。これで私とシャオシンはもう友達だよね?」
ロレッタの友達宣言である。そう囁いたロレッタの唇が、シャオシンの耳元にくっつきそうだ。
ロレッタはまた壁ドンでシャオシンを壁際に追い詰めている。
「ふっくうっ! ロ、ロ、ロレッタはまだ飴が欲しいのかえ!」
シャオシンが飴の缶をガラガラ振った。必死だ。
「――あーん」
飴玉のカツアゲにまた成功したロレッタがシャオシンを壁ドンの檻から開放した。
「――ふーっ、ふーっ! そ、それでロレッタはどこの団にいるのじゃ?」
息を荒げたままのシャオシンが訊いた。
「組合」
ロレッタの短い返事である。
「組合? 天幕街探索者組合のことかえ?」
シャオシンが眉を寄せた。ここまで耳にした限りでは、あまり周囲からの評判の良くない集団である。
「そ」
ロレッタがシャオシンに視線を流した。
「ロレッタも連合の探索班に参加するのかえ?」
改めてシャオシンはロレッタを眺めた。ロレッタの背丈はシャオシンより頭半分ほど大きい。しかし、胸は薄いし臀部も小さいロレッタは、シャオシンと年齢がさほど変わらないように見えるが――。
「――うん」
ロレッタは無感動な態度で頷いた。
「怖くはないのかえ?」
シャオシンが訊くと、
「別に」
ロレッタが薄く笑った。
「そ、そうかえ――」
シャオシンは視線を落とした。
「ネストは慣れてる。灯りがないのが少し不便だけど」
ロレッタは表情を曇らせたシャオシンから視線を外した。何人か探索者の男たちが、水場で顔を洗ったり、その水を桶に汲んだりしている。連合の補給班に所属しているものが多いように見える。
「灯りがないのかえ?」
シャオシンが訊いた。
「組合には導式使いがいないの。だから、みんな手持ちカンテラを使ってる」
ロレッタがいった。
「ロレッタの仲間には照明を作れるものが一人もいないのかえ?」
シャオシンは透明な表情だ。奇跡の担い手は決して多数派ではないのだが、その血筋に生まれたシャオシンは照明を作るていどの技術など特別珍しくない。
「私の
ロレッタの横顔に薄笑いが浮かぶ。
おかしないい回しじゃのう――。
シャオシンが首を捻ったところで、
「ロレッタ」
男の掠れた声だ。
「誰じゃ?」
シャオシンが声へ顔を向けると、黒いチューリップ・ハットをかぶって、黒い外套を羽織った男が佇んでいた。その丈の長い外套の裾が擦り切れてボロボロになっている。
「テージョ、もう来たの?」
ロレッタは壁に背を預けたまま黒い外套の男――テージョへガラスの目を向けた。
「ネストダイバー九班。ホァン・シャオシン――」
テージョはシャオシンを見つめている。
シャオシンは表情を硬くした。
テージョは墨を垂らしたような黒髪を、うねうねと顔へ垂らした中年男だ。
その白い鮫肌の顔は表情どころか感情すらないような様子で――。
「テージョ、この
ロレッタの瞳が無機質な輝きを帯びた。
「行くぞ、ロレッタ」
テージョが背を向けた。足音どころかその服が擦れる音すらしない。影が動いているような感じである。影は広場の脇道のひとつへ消えた。
「私も行かなきゃ。じゃね」
ロレッタが壁から背を離した。
「ロレッタ、どこへ行くのじゃ?」
硬い表情のまま、シャオシンが訊いた。
「――夜警かな。また会おうね、シャオシン」
ロレッタは背中越しに応えてテージョを追っていった。
「二人きりの夜警班? 怖くないのかのう――」
飴玉をもう一個食べたあと、水場で口をすすいだシャオシンは何となくいい気分で連合の野営地へ帰った。しかし、口からこぼれる飴の香りを気にしても意味がなかった。
「シャオシン、そこに直れ! むろん、正座だ!」
腕組んで仁王立ちのリュウがシャオシンを怒鳴りつけた。目尻を吊り上げたリュウが、飴を盗み食いしていたシャオシンの帰還を今か今かと待ち構えていたのだ。例によって、真横へ顔を向けたシャオシンは、リュウのお説教に不貞腐れた態度で対応した。獣耳を折ってうなだれたフィージャが激昂するリュウを定期的に宥めている。長々とお説教したあとでシャオシンをようやく開放したリュウが打ち合わせ場所に戻ってくると、そこにあったエールのピッチャーを、ツクシが全部空にしてあった。珍しく女子っぽい悲鳴を上げたリュウが、アレス団長に追加のビールを女子っぽくねだる。
「リュウさんは補給班のビール樽を一日で空にするつもりか?」
アレス団長はのっぺりとした口調で諭した。がっくりうなだれたリュウを眺めながら、ほどほど酒の回ったツクシが悪い顔で笑っている。
そのうち、打ち合わせも終わって
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