十七節 昼下がりの決斗(参)
「はい、たった今、出先から戻ってきました」
悠里がツクシへ笑顔を向けた。
「いよう、悠里。どうでえ、景気は? 冒険屋は儲かってるか?」
ゴロウの挨拶だ。
「ゴロウさん、相変わらず良くないですね。戦争が悪いんですよ、戦争が――」
悠里が視線を落とした。
「それは、違いねえ――」
ゴロウの視線も悠里に釣られて落ちた。
「あっ、悠里さん、どもども」
軽い挨拶と一緒にヤマダが頭を下げた。
「おっ、ヤマさんもお元気そうで。いつも心配してるんですよ。ネストは危険ですからね」
悠里が顔を上げて笑った。
「へっへっ、お陰さまで今回も無事に帰れたっす」
ヤマダも苦く笑って返した。
「それで、ツクシさん、あのリザードマンをどこで――」
そういっている最中、悠里の頭が血肉を散らして弾け飛んだ。エイダが大戦槌で殴り飛ばしたゲッコの円形盾が悠里の頭に直撃したのだ。悠里の頭をカチ割ったゲッコの円形盾はビィィィンと音を鳴らして壁にめり込んでいた。
相当な勢いである。
「おう!」
ツクシは目の前で頭を爆発させた悠里を見て感嘆した。
「うーお――」
ゴロウは呻いた。
「ああ、悠里さん――」
ヤマダはくちゃんと崩れ落ちた悠里を見て苦笑いを固めた。
「グロいな」
ツクシがその死に様を端的に表現した。
「まァ、俺ァ商売柄、こういう死体も結構見てきたけどよォ――」
そういいつつも、ゴロウは床へ赤いものを広げている悠里から微妙に視線を逸らしている。
「うっわ、悠里さんの脳漿がとろけるプリンみたいに! ゴロウさん、これでも悠里さんは平気なんすかね?」
ヤマダの発言通りだ。パックリとひらいた悠里の頭部から、その内容物が床へとろとろ流れ落ちている。
「ここまで派手に壊れると、いくら悠里でも駄目かも知れんよなァ――」
ゴロウが悠里の死体をチラチラ見やりながらいい加減ことをいった。
「ま、悠里が死んだのは、俺たちの所為じゃないさ。あまり気にするな」
ツクシがブッ殺し合いを続けるエイダとゲッコへ視線を戻した。
「そうっすね。事故っすよこれ」
頷いたヤマダも観戦に戻った。
「てえかよォ、ツクシ、女将さんとゲッコの喧嘩をおめェが止めろ」
ゴロウがいった。
「あぁん? ゴロウ、あれだって俺たちには関係ないだろ」
ツクシの不機嫌な返答だ。
「でもツクシさん、このままだとお店が全部壊れちゃいそうっすよ」
ヤマダが店を惨状を見回した。天井に大穴が空いているし、床板はほとんどめくれ上がっているし、水浸しであるし、窓ガラスは割れて丸テーブルも椅子も無事なもののほうが少ない。ホール中央にあった大きな薪ストーブも破壊されて機能を停止している。
「メシ食って一杯ひっかけて気分良く帰ろうと思ってたのによォ――」
ゴロウは喧嘩観戦に飽きてきたようだ。
「確かに落ち着いて座れる雰囲気じゃあねェよな――」
ツクシもボヤいた。
「うーん、今日はゴロウさんの宿で飲みますか?」
ヤマダの提案である。
「俺の宿って――やどりぎ亭か? 味は
ゴロウは気乗りしない様子だった。
「女を買いにいくわけでもないのに女衒街まで歩くのは面倒だろ。疲れてるし、水に濡れたしな――」
ぶつぶついっているツクシは出不精の傾向がある。
「それによォ、下手に動くと悠里みたいになりそうだぜ?」
ゴロウがホール中央で火花を撒き散らしているエイダとゲッコへ目を向けた。
お互いの攻撃の熱量で溶接作業ができそうである。
「うーん、そうっすね、今、動くのは危ないっすよね――」
ヤマダが呟いた。
「ツクシ、やっぱりおめェがあれを何とかしろ。ゲッコの師匠なんだろ?」
ゴロウがツクシを横目で見やった。
「――これは仕方ないか。なあ、ヤマさん、トカゲって食えるのか?」
小さく息を吐いたツクシが左手で腰の魔刀ひときり包丁の鯉口を引いた。ネスト管理省の留置所では昼食が出なかった。ツクシは腹も減っている。セイジさんなら、トカゲだって料理できるのじゃあなかろうか、ツクシはそう考えた。あとで尋ねたところ「この世界にリザードマンの肉を食う習慣はありません」とセイジにいわれた。
「――こ、殺しちゃうんすか!」
表情を固めて、ヤマダがツクシを凝視した。
「ああよォ、ツクシ。どうしておめェはいっつもいっつも、そうやって短絡的な発想しかできねェんだよォ――」
呆れ顔でゴロウがいった。
ゲッコを『トカゲのひらき』にするのは造作もねェ。
しかし、気軽に踏み込むと、女将さんが振り回しているトンカチが俺にぶち当たって、『ツクシのたたき』も同時に出来上がりそうなんだよなあ――。
ツクシはそんなことを考えながら腰を落として
「何だ、ゴロウ、他に手があるか?」
ツクシの右手は魔刀の柄にある。
零秒必殺の準備は万端だ。
「ツクシはゲッコの師匠なんだろ。だから、弟子のゲッコはおめェの命令なら聞くんじゃあねえのかなァって話を、俺ァしていたんだよ」
ゴロウが説明すると、
「あっ、それもそうっすよね」
横のヤマダが頷いた。
「――そうですよ。僕はリザードマンにすごく興味があります。絶対、殺しちゃだめですよ、ツクシさん。殺したら貴重な情報を得る機会を永遠に損失しちゃいます」
死んでいた身体をムクッと起こした悠里もゴロウの意見に賛同した。
「あっ、悠里さん、生き返ったっすね。よかったよかった」
ヤマダがあまり感動のない声でいった。
「まったく、死ぬかと思いましたよ!」
悠里が壁に刺さっていたゲッコの円形盾を睨んだ。
表面に大蛇のシンボル・マークがついた金属製の分厚い丸盾である。
「いや、悠里、おめェ完全に死んでたぜ」
ゴロウがいうと、
「ですよね、ゴロウさん。よく考えると意識がなかったし。あはっ!」
悠里が立ち上がって笑った。ついさっきパカンと二つに割れた悠里の頭は傷ひとつ残っていない。悠里は
「まあ、いつまでも壁際に突っ立ってるわけにもいかんな。このままじゃ酒にも昼メシにもありつけねェ。駄目元で声をかけてみるか――おい、ゲッコ、喧嘩をもうやめろ!」
ツクシが壁際から一歩前へ出た。
「ゲッ、ゲロ、師匠――」
エイダの大戦槌の一撃を食らって吹っ飛んだゲッコが片膝をついたまま、ツクシへ視線を送った。円形盾を失ったゲッコは形勢が悪いようだ。ゲッコはエイダの打撃をまともに受けている。一方、黄金の装甲鎧で身を固めたエイダにはダメージがほとんどなさそうだった。
「その、何だ、ああと、だな――ゲッコ、お前は俺についてきて、ネストで男の修行をするんだろ。ここでお前が女将さんにブチのめされたら、それができんだろうが。さっき散々俺にいってたあれは嘘なのか。一度交わした約束を反故にするのは、男の沽券に関わる話だよな。リザードマンの男は違うのかよ、あ?」
ツクシは考え考えそういったあと、「ゲッコはオスなのかメスなのか、俺はまだ訊いてなかったなあ」そう思い直して不安になった。
ゲッコはピタリと動きを止めた。
「どうした、トカゲ野郎、ビビったのかい。さっさとかかってきな!」
エイダが雷鳴のように唸った。
「ゲロゲロ――」
ゲッコは偃月刀を投げ捨てると、エイダに背を向けて正座をした。
「へえ、トカゲ野郎。それは、何の真似だい?」
大戦槌を手にしたままエイダが訊いた。
「師匠ニ痛イ事イワレタ。ゲッコ、コレ以上、戦エナイ。オマエ、好キニシロ」
ゲッコがエイダへ背を見せたまま応えた。
「いい覚悟じゃないかい――だったら、ここで砕け散りな!」
咆哮したエイダが大戦槌を振りかぶった。
このトカゲ野郎を今この場で確実にブチ殺す――。
エイダの殺意は揺るがなかったのである。
「あっ、おいおい、女将さん――」
「ああよォ――」
「だめかあ――」
ツクシ、ゴロウ、ヤマダが同時に肩を落とした。
この三人はゲッコの命を諦めたのだが――。
「女将さん、殺したら絶対にだめです。リザードマンは本当に貴重な種族で、僕はこれから是非ともそのひとの話を聞き――」
しかし、悠里だけは叫びながらエイダとゲッコの間に飛び込んだ。エイダの大戦槌が大気を割って振り下ろされた。好奇心が猫を殺す。これは実に的を得た格言である。
ゴッカン、ブチ、ブチ、ブチ――。
「――あっ、ああ、悠里、アンタは何をやってるんだい!」
エイダが黄金の兜のなかで叫んだ。
「――ゲロ?」
死を覚悟していたゲッコが、その瞬間がいつまでもこないことを不思議に思って背後へ視線を送ると、そこで見知らぬヒト族が鬼の鉄槌の犠牲になっていた。
「おう、かなりグロいな」
ツクシが悠里の死に様を端的に表現した。
「あ、ああよォ、悠里、ぺっしゃんこだよなァ――」
ゴロウが髭面を引きつらせた。
「悠里さんの中身が全部外へ飛び出てますけど。ゴロウさん、あれでも悠里さんは大丈夫なんすか?」
ヤマダがゴロウへ顔を向けた。
「どっ、どうだろうなァ、これは俺でもわっかんねえなァ――」
ゴロウは大戦槌に折りたたまれた悠里の死体からはっきりと顔を背けている。
§
「――それじゃあ、グリーン・オーク共和国とリザードマン戦士国は休戦中なのかい。それを最初にいいなよ。リザードマン戦士国からの刺客が来たのかと、わたしゃ勘違いをしたじゃないか!」
丸テーブル席の脇でエイダが咆哮した。
「サルコマンド・レーン合衆国、三年前、ウビ・チテムノ森、侵攻開始シタ。ヒト族、森ヲ焼イテ畑ツクル。山削テ石掘ル。森ノ住人、ヒト族ニトッテ、ミンナ邪魔。森住ムグリーン・オーク族、エルフ族、両方、ゲッコタチ休戦申シ入レタ。グリーン・オークモ、エルフモ、両方、弱イ弱イ。ゲゲッ!」
椅子へ器用に腰かけたゲッコが嘲るようにゲコゲコ笑う。
「へえ、まだあたしとやろうってのかい、このトカゲ野郎!」
エイダがゲッコを鬼の形相で睨んだ。
「この世界も色々と面倒な事情があるんだな――」
ツクシは鬼の手で運ばれてきた麦と鶏肉を使ったスープ粥を口に運んだ。悠里の尊い犠牲でエイダとゲッコが始めた殺し合いは決着がつく前に終わって、ツクシたちは遅い昼食と酒にありつけた。ツクシは昼食の席に着く前に濡れた服を替えてきた。濃い茶色のセーターに黒ズボン姿だ。この格好で熱いスープ粥をはふはふしているツクシはただのオッサンに見える。実際、ツクシはただのオッサンでもある。
天井に穴が空き、窓ガラスは割れ、ストーブは破壊され、壁の一部は欠損し、ミュカレが撒き散らした水はまだ床に残っている。床板は全体の面積の半分以上が砕け、エイダとゲッコが全力で殴り合っていたホール中央などは爆心地のようだ。建物の基礎どころかその下にある地面まで見えていた。ゴルゴダ酒場宿は隙間風と湿気でかなり寒い。猫耳をぴょこたんぴょこたんさせるユキと、暗い表情で視線を落としたミュカレがモップを使って宿から水を追い出している。ユキとミュカレが頑張っても後片付けは一向に捗っていないように見える。
ゲッコによると、グリーン・オーク共和国とエルフォネシア連邦は、リザードマン戦士国と長い間、交戦状態にあったらしい。ゲッコを見たエイダとミュカレは、リザードマン戦士国からの刺客が自分たちの命を狙って到来したと勘違いした。しかし、現在は政情が変わり、一時休戦協定が結ばれたのだと、ゲッコは今になって語っている。この事実をエイダとミュカレが知ったのは、ゴルゴダ酒場宿のホールを彼女たちが破壊し尽くしたあとのこと――。
ツクシがエールのタンブラーを手にとって、
「おい、女将さん、もう喧嘩はやめておけよ。これ以上やると本当に宿がぶっ倒れちまうぜ。大工だってもう呼んだんだろ?」
「そうさねえ、これは修理費が高くつきそうだね。はあ、このトカゲ野郎に全額請求したいけどさ、どうせこいつは無一文なんだろ?」
エイダがうなだれた。
「ゲゲッ! トニカク、ゲッコノ国、戦争ヤッテナイ。ダカラ、ゲッコ、修行必要」
ゲッコがパカッと大口を開けて、そこへぬるくなったスープ粥を皿から流し込んだ。大きなトカゲの手を持つゲッコは、ヒト族用に作られたフォークだのスプーンが扱い辛いようだ。
「興味深いですね。そんな事情が――」
悠里がスープ粥を食べる手を止めて顔を上げた。身体は元に戻ったが、服はボロボロになった悠里も昼食前に二階で着替えてきた。悠里はタートル・ネックのセーター姿だ。
「でも、悠里さん、悠里さん。タラリオンの新聞に、サルコマンド・レーン合衆国がグリーン・オーク共和国やエルフォネシア連邦を相手に侵略戦争をやっているなんて情報、全然なかったっすよね?」
ヤマダが身を乗り出していった。
「ゲッゲッ――」
ゲッコがトカゲの目を細めて笑った、ように見えた。
「俺もそれは聞いたことがねえなァ。新聞の国際面では南大陸――ドラゴニア大陸の記事も結構多いんだけどよォ――」
ゴロウは一番最初にスープ粥を食べ終わって、今は三杯目の赤ワインの杯を傾けている。
「お、俺だって新聞は毎日読んでるぜ、うん――」
ツクシがエールの杯に口をつけながら小さな声でいった。
「ゲロゲロ」
ゲッコが鳴いた。
「――タラリオン王国はヒト族の国だからね。ゲッコ、本当にサルコマンドの奴らは、わたしの
重い口調でエイダが訊くと、
「ゲゲッ、信ジル信ジナイ、オ前ノ自由。信ジタイモノ自分デ選べ」
ゲッコが冷血な返事をした。
「南大陸にあるヒト族の国家――前にヤマさんから聞いたよな――」
ツクシが眉根を寄せた。
「タラリオン王国もサルコマンド・レーン合衆国も人口構成はほとんどがヒト族ですよね――」
悠里がうつむいたツクシへ視線を送った。
「ヒト族にとって他種族への一方的な侵略は後ろめたい情報なんで、タラリオン王国でもその情報を公にしないんすかね?」
眉間に小さな谷を作ったヤマダの推測だ。
「それが本当なら、かなり胸クソの悪い話だよなァ――」
ゴロウが唸るようにいった。
「ゲッコの国は、そのサルコマって国と戦争をしていないのか。お前らは戦争大歓迎なんだろ?」
ツクシが訊いた。聞いたところ、リザードマン族は非常に好戦的な種族で、平和が問題視されるようなお国柄なのだそうだ。
「ゲッコノ
ゲッコがつまらなそうにいって、パカンと大きく開いた口へ特大タンブラーの水を流し込んだ。
「ツクシ、リザードマン戦士国と実質的に国境が接しているのは、エルフォネシア連邦とグリーン・オーク共和国だけなんだよ。サルコマンド・レーン合衆国とリザードマン戦士国は少し離れた位置にあるからねえ」
エイダが補足説明をした。
「なるほど、女将さん。地理的な事情もあるんだな」
ツクシが頷いたところで、
「女将さん、呼んできました」
マコトが出入口から入ってきた。
マコトに続いて、
「おーい、女将さん、来たぜ!」
「あーあ、派手にやったねえ、こりゃ!」
大声で挨拶しながら、がっしりとした中年男と、ひょろりと背の高い若者が入ってくる。双方、頭にねじり鉢巻をして、ツナギの上に作業用ベストを羽織り、腰に工具ベルトを巻いていた。
見た感じ、イキの良さそうな職人風の二人組だ。
「何だい何だい、女将さんは
捻り鉢巻の中年男が破壊された店内の惨状を眺めながら苦笑いを浮かべた。
「おっ、親方、親方! 本当にいるぜ、竜が、ほら、あそこ――」
捻り鉢巻の若者がゲッコを指差した。
「――うっ、へえっ!」
捻り鉢巻の中年男が後ずさりをした。ここから逃げ出しそうな気配である。
「ああ、大工の親方ね、このトカゲは気にしないでおくれな。じゃあ、ツクシ、わたしゃ、大工の親方と店の修理の相談をしてくるよ。はぁーあ――」
エイダが声をかけると大工の二人組は逃亡するのを思い留まったようである。
「おう、大変だな、女将さん」
ツクシがいった。
「そうだよ、ツクシがおかしなのをつれてくるからさ!」
エイダは背中越しに鬼面の半分を見せつけた。
「おう――」
ツクシの視線が泳いだ。
「ゲロゲロ!」
ゲッコが短く笑った。
「こりゃひどい。女将さん、店内の補修だけでも二週間は見といてくんな」
大工の親方が破壊された店内を調べて回って告げた。
「女将さん、この際だろ。宿の全体的な改修も検討してみたらどうだい?」
ついでに親方は勧めた。大工だって商売だ。
「そうさね、この際だからねえ、店の模様替えも検討しようかねえ――」
自分でブッ壊したものを自腹で直すだけというのも気に食わなかったエイダは渋々の態度で頷いた。外装の吹きつけ(※再塗装)もやっておこう、そんな流れになって、ゴルゴダ酒場宿の周囲に足場が組まれる。本格的なリフォーム工事が開始されたゴルゴダ酒場宿は臨時休業になった。ゴルゴダ酒場宿がエイダ、ミュカレ、セイジ、ラウの手で運営されるようになって十年近くになるそうだが完全休業は初めてのことらしい。事情を知らずに夜訪れた荒っぽい団体客が『臨時休業中』と札が下がったウェスタン調扉を見て目を丸くしていた。
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