十六節 昼下がりの決斗(弐)

 考えるのが面倒になったツクシは、そのままゴルゴダ酒場宿へ入った。リュウもそろっとツクシに続く。フィージャとシャオシンが協力してリュウを阻止した。酒場へ入ると浴びるほど飲むのがリュウという女性だ。ドタバタやりながら三人娘は揃って自分たちの宿へ帰っていった。ゴルゴダ酒場宿へ入店したのは、ツクシ、ゴロウ、ヤマダ、それにゲッコの四人だ。

「おかえりなさい。みんな無事で何よりだわ。あら、珍しいお客さんね。そちらは、ツクシのお友達?」

 出入口前にいた骨馬レィディが帰還したツクシを最初に出迎えた。四つの足元からオレンジ色の炎を噴き上げ、白銀の馬鎧と真紅の馬服でキメた骨馬レィディは今日も上品でおしゃれだった。

「おう、レィディ、帰ったぜ。友達? ああ、ゲッコのことな。いや、こいつは勝手についてきたんだ。トカゲの入店はお断りだってはっきりいってやれよ」

 ツクシはウェスタン調扉へ手をかけた。

 骨馬レィディはピタッと動きを止めたゲッコへ馬の頭蓋骨の顔を向けて、

「ゴルゴダ酒場宿は誰でも歓迎よ。いらっしゃい、蜥蜴のひと」

 眼球のない眼窩の奥で冥界の炎がチロチロ揺れている。

「ゲッ、ゲロ、ゲロロ――」

 ゲッコは喉の奥から絞り出した鳴き声で応じた。

「皆は私をレィディと呼ぶわ。以後、お見知りおきを」

 上品な自己紹介を終えた骨馬レィディがゴロウとヤマダと軽い挨拶を交わした。お天気のことだとか、当たり障りのない会話も少し交えてである。

 ゴルゴダ酒場宿の敷居を跨ごうとしたゴロウに、

「ゴロウ、何ダ、アノ四本足ハ、何ダ?」

 ゲッコがトカゲ面を寄せた。

「何って、レィディのことか? レィディは見ての通り骨の馬だろォ――」

 ゴロウは気のない返事だ。

「――馬。アレ乗ルカ?」

 ゲッコが声をひそめた。

「俺ァ、乗らないけどな。ツクシはたまにアヤカ嬢ちゃんから借りて、レィディを乗り回してるぜ」

 ゴロウが背中越しに答えた。

「師匠、骨ノ馬、乗ル――本当ハ、師匠、ヒト族違ウ――死神トートカ?」

 ゲッコはまだレィディを盗み見て警戒をしている。

「トート? ゲッコ、何だ、それァ?」

 振り返ってゴロウが訊いたが、

「トート、ゴロウ、トート!」

 ゲッコは懸命に同じ単語を繰り返すだけだ。

「ゲッコ、わからねえよ。ヤマ、トートって何だ、知ってるか?」

 ゴロウがヤマダへ話を振った。

「――トート。何のことっすかね?」

 ヤマダが眉間に谷を作ってゲッコを見つめた。ゲッコはぽかんと口を開いている。反応がない。やはり虎魂のネックレスで翻訳しきれない珍しい言語を、ゲッコは使用しているようである。

 夜のゴルゴダ酒場宿は荒っぽい冒険者や猛々しい隊商の客で込み合って、殺伐とした雰囲気になる。しかし、陽の出ている間は客層がまた違った。カウンター席や丸テーブル席に散在して軽食を前に酒の杯をゆっくり傾けているのは、ゴルゴダ酒場宿と商売上のつきあいがあったり、近隣同士の交流がある客が多い。昼の常連さんである。例えば、カウンター席で長風呂自慢のハゲ親父と話しこんでいるチョビ髭の旦那は宿の裏手にある雑貨屋の主人だ。彼は仕事をサボって昼間から酒を飲んでいる。嫁さんに見つかると怒られるのだが、それでも雑貨屋の主人はゴルゴダ酒場宿によく足を向ける。会計は大雑把だが、ちょっとしたつまみも酒も安くて旨い。こういった客が多い時間帯のゴルゴダ酒場宿は喧騒が少なく落ち着いた雰囲気だ。従業員もゆったりとした態度で各自の雑務をこなしている。

 柱時計を見ると時刻は午後二時〇五分。

 昼下がりである。


 ネストから帰ってくるとユキは笑顔でツクシを出迎えてくれる。抱きついてもくる。これはほぼタックルだ。最近ではもうお客様扱いしてもらえないツクシが、ユキからちやほやされるのは、宿に帰還して五分くらいの限定的な時間になっている。

「ツクシ、みんな! お帰りな――」

 ユキが丸テーブルを雑巾掛けしていた手を止めて駆け寄ってきたが、今日はその途中で「うっ!」と駆け足を止めて絶句した。大きく見開かれたユキの瞳が眼窩からこぼれ落ちそうだった。

「おう、ユキ、帰ったぜ。エールを一杯頼めるか?」

「いよう、ユキ、元気にやってるな。俺は赤のボトルだ」

「やあ、ユキちゃん。僕もいつも通りスタウトにしようかな」

「ゲロゲロ!」

 ツクシ、ゴロウ、ヤマダが挨拶ついでに注文した。ゲッコは口を大きく開いてゲロゲロ鳴いた。ユキはギクシャクとした動作で背を向けると、ものすごい勢いで厨房へ駆け込んでいった。

 ユキのしっぽが風船のように膨らんでいる。

「おい、ゲッコ、ユキを脅すなよ。お前、まさかヒトを頭からバリバリ食ったりしないだろうな。いかにも食っちまいそうな面構えだが――」

 ツクシがゲッコを横目で睨んだ。

「ゲッゲッ、師匠、ソノ心配、無用。二本脚、ゲッコ食ベナイ」

 ゲッコは嘲笑うような口調である。

「ああよォ、それを聞いて安心したぜ」

 ゴロウは苦笑いだ。

「ゴロウさん、そんなこと心配してたんすか?」

 ヤマダも苦笑いでゴロウを見やった。

「二本脚食ベル。持ッテル病気ガ感染うつル。師匠、気ヲツケロ――」

 ゲッコの発言だ。

 ゴロウとヤマダはすぐ神妙な面持ちになった。

「ああ、そうかよ。倫理的な問題でなくて衛生上の問題なんだな――」

 ツクシが床を見つめながら呟くようにいった。

「病気イラナイ。ゲッゲッ!」

 ゲッコは健康に気を使っているようである。

「おや、アンタら、おかえりだね。今回も無事に帰ってきたかい。ツクシ、給与明細と稼ぎを寄越し――」

 ホール中央の丸テーブル席に陣取って、算盤を片手に宿の帳簿を睨んでいたエイダが、背中でツクシたちの雑談を耳にして振り向きながらそういったのだが、その言葉が途切れた。

「おう、女将さん。無事に稼ぎも出たぜ」

 ツクシが口角を歪めて見せたが、

「――そうかい。まさか、王都くんだりまでねえ」

 エイダは視線を落とした。

「ゲッゲッゲロゲロゲロ――」

 ゲッコが小さく恐ろしく低い声で鳴いた。

「どうした、女将さん。トカゲは嫌いか?」

 ツクシは訊いたが、

「ちょっと、ここで待っていられるかい?」

 ツクシの問いには応えない。

 エイダが椅子から立ち上がった。

 鬼の顔にある二つの黄金の瞳はゲッコを捉えている。

「無論」

 ゲッコは畏まった調子で応じた。

「――信用ならないけどねえ?」

 エイダの眉間がビシビシ凍えている。顔を引きつらせたツクシはもちろん、表情を固めたゴロウもヤマダも言葉がでない。

 エイダが怒ると超怖い。

「ゲッコ・ヤドック・ドゥルジナス」

 ゲッコが名乗った。

「わたしは、エイダ・メル・ウパカだ」

 エイダが名乗ってゲッコへ背を見せた。巨漢のゴロウよりもまだ大きな背中である。鬼の背中であった。身を低くしたゲッコはエイダへ飛びかりそうな気配を見せているが、その長いしっぽの先すらピクリとも動かさない。

「おい、女将さん、どうしたんだ?」

 ツクシは声をかけたが、やっぱり返事はなかった。沈黙したまま二階へ上がったエイダは自室の扉を開けるとそのなかへ消えた。いつ寝てるのかと疑問に思うほどの働きもののエイダは二階の部屋――寝室に入るところも、そこから出てくるところも、ツクシはまだ一度も見たことがない。

「あんだァ?」

 ゴロウが呟いた。

「どうしたんすか、ゲッコさん?」

 ヤマダが訊いたが、ゲッコも返事をしない。

「――こっちよ、下郎!」

 ミュカレの声がホールに凛と響き渡った。

 ツクシたちの目がその場所へ自然と向く。

 酒の杯を傾けていた先客も注目した。

 ミュカレはカウンター・テーブルを飛び越えてふわりと着地した。

「エルフ族モ、イタカッ!」

 ゲッコが体勢を低くした。

「おう、今、帰って――何なんだよ、今日は全身が光ってるぞ。おい、どうしたんだ、ミュカレ――?」

 ツクシが異常を察して歩み寄ろうとした足を止めた。人外の美貌を持つエルフ族のミュカレは常に周囲の光線を乱反射させているような感じの女性なのだが、それが今日は自慢の長髪を浮かせて自発的に輝いている。そのミュカレは右の手のひらで顔を隠すポーズだ。白い指の間で水流のような色合いの瞳が強く光っていた。

「――水の祝福を受けし精霊の子、ミュカレ・エルドナの望みに応えよ!」

 普段間延びした喋り方をするミュカレとは別の発声で。

「水精の女王『ウンディーネ』!」

 彼女が彼女の守護者を呼び寄せると、ミュカレの周辺の木の床が弾け飛び、そこから太い水流が何本も噴き出した。消防栓を何個もひっこ抜いたような豪快さだ。派手に水飛沫が飛んで、そこにいた酔客――昼間から酒を飲んだくれていたおっさん連中が悲鳴を上げながら壁際へ避難した。酒の杯はしっかりと持っている。見ているうちに、ミュカレが呼び出した水流はひとの形を作った。その形状は長い髪のロング・ドレスを着た女性だった。彼女はそのすべてが水で構成されている。

 水精の女王ウンディーネ。

 これは管理者の意志を持つ運命マナである。

「やりやがった、水精の女王を顕現させやがった、あれは上位の精霊だぞォ!」

 目を丸くして、ゴロウが叫んだ。

「あっ、あれが、エルフの使役する運命管理者マナ・アドミニストレーター! しゅ、しゅごい、ミュカレさん、スタンド使いみたいだ、超格好いい!」

 ヤマダは両拳を握って腰を落として絶叫した。

「ヤマさん、そのスタンドってオラオラオラッてやる漫画のアレのことか?」

 ツクシが訊いてみたが、過剰に興奮しているヤマダからの返事はなかった。

「ツクシ、おい、こっちだ、早くしろ!」

「ああ、そうだ。ツクシさん、壁際に避難して!」

 ゴロウとヤマダが壁際に走った。

 ツクシは何本もの水流が重力の束縛から解き放たれた動きでミュカレとウンディーネの周辺を巡っているのを目にして足を止めた。

「どういう理屈でああなってるんだ――?」

 ツクシは眉根を寄せている。

「お久しぶり、ミュカレ――」

 ミュカレの長い耳元へ顔を寄せたウンディーネがりるるると水の声で囁いた。

「ウンディーネ、話はあとよ。一気に片付けるわ。あのトカゲ野郎を八つ裂きにして!」

 ミュカレが右の手を薙ぎ払った。

「了解!」

 強く応えたウンディーネが右手をゲッコへ差し向けると、床を突き破って大きな水柱が出現し、それが弓なりになって疾走した。刃と化した水柱に巻き込まれた丸テーブルや椅子が切断されて宙を飛び、床は水しぶきと一緒にめくれ上がる、巨大な水の刃はツクシの左隣にいたゲッコへ直撃した。

「グッゲエ!」

 呻き声を上げたゲッコの横で、

「おう、冷てェな――」

 ツクシは頭から水をかぶった。

 季節は暖房が必要な真冬である。

「ゆっ、床が綺麗に真っ二つだぜ、すげえ威力だ――!」

 ゴロウは壁に背をつけて髭面を固めた。

「ツクシさん、早く壁際に! そこにいると本当に死んじゃうっすよ!」

 ゴロウの横でヤマダが叫ぶ。

「ああ、水圧で叩き斬ったのか。まあ、ウォーター・カッターだな。もっとも、これをまともに食らっても、ゲッコは屁でもなさそうだが――」

 むっつり不機嫌に呟きながら、びしょ濡れになったツクシが歩いてきて、ヤマダの横に立った。

「――ゲッゲッゲッ!」

 水飛沫が細かく落ちてくるなかで、五体満足のゲッコがゲコゲコと笑っている。

「ウンディーネ、もっとよ!」

 ミュカレが叫んだ。

「ルラ、ラ、ラ、ラ、ラ、ラ、ラァ!」

 ミュカレがウンディーネの力を借りて放った複数の水の刃はすべてゲッコに着弾した。

 着弾したのだが――。

「――そんな!」

 ミュカレの顔が焦りで歪む。

 その場に腰を落として佇むゲッコは無傷だ。

 ウロコ一枚落としていない。

「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ! ゲッコノ鱗、水ノ斬撃、通サナイ!」

 ゲッコはゲコゲコ叫びながら腰偃月刀をずらりと引き抜いた。それは分厚い反りのある片刃の、禍々しく、重々しく、斬るよりは叩き殺すのに向く凶器だ。

「ミュカレ、戦装束バトル・ドレスもなしでこれ以上リザードマンと戦うのは――」

 ウンディーネは小川のせせらぎのような声で警告をしたが、

「――それでも、今は私たちが奴を止めるしかない!」

 ミュカレは妙に熱い台詞で応えた。そんなエルフとエルフの守護者とトカゲ戦いを、ゴロウもヤマダもおっさん連中も固唾を呑んで見守っている。

「おい、ゲッコ、ミュカレ、お前らいきなり何だ。喧嘩ってのはな、ガンのくれあい飛ばし合いから始めるのが礼儀ってもんなんだぞ?」

 観客のなかで独りだけ呆れ顔のツクシが、自分なりの美学を説きながら、ミュカレとゲッコとウンディーネの間に割って入ろうとしたのだが、それより一歩早く、

「ゲゲッ!」

 ゲッコが地を這うようにして跳んだ。

 一息でミュカレとゲッコの間合が詰まる。

 ゲッコの偃月刀がミュカレへ届く距離へ――。

「――くっ、ウンディ!」

 ミュカレが叫んだ。

「ミュカレ!」

 ウンディーネが水の叫び声で応えた。

ッ!」

 トカゲが偃月刀を振りかざして吼える。

 その瞬間、ミュカレの足元から水飛沫がどっと噴き上がった。

 間欠泉かと見まごうばかりの太い水柱である。

 ホールが水煙でけぶった。

 観客の悲鳴が上がる。

「おうおう――」

 ツクシは天井を破った水柱を眺めていた。ゴルゴダ酒場宿の天井は一部吹き抜けになっているのでかなり高い位置にある。

「やっ、やられちまったのか、ミュカレ!」

 ゴロウが髭面を曲げて悔しそうに叫んだ。

「いやっ、ゴロウさん! ミュカレさんもゲッコさんも『水のなか』にいるッ!」

 テンション上がりっぱなしのヤマダがすごく甲高い声で叫んだ。ミュカレとゲッコは酒場の中央に出現した大きな水球のなかにいる。ミュカレは水中で背を反らして跳びつつ、ゲッコの偃月刀を紙一重でかわしていた。

 水の檻に囚われていたゲッコは、長いしっぽを強く振り、身をくねらせて、ズバンビタンと飛び出して、

「――プゲゲッ! エルフ、小細工、得意。ゲッコ知テル。デモ、小細工ダケ、リザードマン戦士、倒セナイ!」

 ゲッコは口から水をガバッと吐いた。

「コポッ、ポポッ!」

 水中からゲッコを睨むミュカレの唇の端から泡が出た。何か喋っているようである。外には聞こえない。ミュカレの長い髪が空中にある水中で不規則に揺れていた。

「ああ、ミュカレはあの水球のなかで自由に水流を作れるのか。それでゲッコは水中にいるとき、もがいていたんだな」

 ツクシがいった。

「水のなかなら、ミュカレは相手の攻撃を殺しつつ、自分の身体は自由になるってわけかァ。よくできてらァ――」

 ゴロウは何度も頷いて感心している。

「水の精霊使いはあんなこともできるんすね。しゅごい、しゅごい!」

 ふんふん鼻息荒いヤマダの顔が真っ赤だ。

「やっぱり、ミュカレあの女、ちょっとおっかねェよな――おい、ミュカレ、ゲッコ、喧嘩をやめろよもう。店が水浸しだぞ?」

 ツクシはさっさと座って酒を飲みたいのである。

 ぶつくさいいながらツクシが歩み寄ると、ミュカレが水球を解除して着地した。宙にあった大量の水が床に落ちて周辺は洪水のような有様になった。その冷たい水を頭からかぶったツクシは全身ズブ濡れだ。繰り返して記述する。季節は暖房が必要な真冬である。

 ミュカレとゲッコはお互いの出方を窺いつつ睨み合っている。水球から再びひとの形に変化したウンディーネも、ミュカレに絡みつくような形で出現した。対峙するモンスター二名+一名の間で、びしょびしょに濡れたツクシがすごく不機嫌な形相で突っ立っている。

「クソッ、どうしてやるかな、こいつら――」

 視線を戦わせるミュカレとゲッコを、歯をガチガチと鳴らしながらツクシが眺めていると、

「――ミュカレ。アンタは引っ込んでな」

 階上から鬼の声だ。

「エイダ、こいつは私が!」

 ミュカレが叫んだ。

「ミュカレ、貴方のトカゲを憎む気持ちはよくわかります。でも――」

 ウンディーネがミュカレの長耳の横で顔を伏せた。

「――王都の穢れた水脈の上じゃあ、水の精霊を使役するアンタの力は半減する。違うかい?」

 台詞と一緒に二階から階段を降りてくる足音も重く響く。

「知ってたのね、エイダ――」

 ミュカレは眉を痛々しく寄せてうつむいた。

「わかるさ。アンタとわたし、何年の付き合いになると思っているんだい。ミュカレ、いいから、ここはあたしに任せて下がっていな」

 エイダが鼻を鳴らして笑った。見るものの魂を凍らせる凄惨な鬼の笑みだった。

「おいおい、女将さんまで何をするつもりだよ――」

 ツクシが階上からフル武装で帰ってきたエイダを呆れ顔で見つめた。

「ツクシ、女将さんは本気だぜ――」

 ゴロウの髭面が完全に引きつっていた。ダミ声もガクガク震えている。

「あ、あの戦槌、すごく大きいっす――」

 頬を染めたヤマダの声が上ずった。

 階下に姿を現したエイダは、その巨体を黄金の装甲鎧で覆っていた。鬼面を模した面当てのある兜の頭部から雄々しく突き出た角、鋭利な杭が何本も突き出る肩鎧、胸鎧の中央には太陽の紋章――鬼の身体はどこを見ても分厚い装甲で覆われている。その姿で背に黒マントをひるがえして登場したエイダは大戦槌を携えていた。黄金の大戦槌だ。ヘッドの部分がなにしろ大きい。大人の頭三個分の大きさがある。ゲッコは背負っていた円形盾を下ろして、それを左の側腕部に装着した。

 戦いの準備を終えたエイダとゲッコが睨み合う。

 観客は息を呑み声を上げるものがいなかった。

 手に持っていた酒の杯を思い出し、それを急いで呷るおっさんは何人かいた。

 ツクシだけ憮然と対峙するエイダとゲッコを眺めている。

「このトカゲ野郎の鱗は硬くて刃を通さないからねえ――」

 エイダが黄金の兜の面当てを引き下ろした。

「だから、グリーン・オーク戦士は大戦槌こいつを好んで使うのさ――」

 エイダが超重量の大戦槌をグワンと叩きつけた。床がド派手に割れて舞い上がり、その打撃で宿がぐらぐらと揺れる。

 ツクシの目の前を天井から落ちてきた埃の塊が落下していった。

「――この夜明けの大戦槌ゴールデン・ドーン。今からその身体でじっくり味わってもらうよ、ゲッコとやら!」

 エイダが大戦槌のトゲトゲした装飾がついたヘッドをゲッコへ突きつけた。

「ゲゲゲッ! 望ムトコロ!」

 偃月刀と円形盾を構えたゲッコの口角がはっきりと歪んだ。

 誰かの悪い笑顔とそっくりである。

 色々と心配になってきたツクシは歩み寄りながら、

「おい、女将さんもいい加減に――ぐえ――」

 そういったのだが、そういってる途中、後ろから外套の襟首をゴロウに掴まれて強引に引き戻された。

 ツクシが振り返って睨みつけると、

「ツクシ、近寄ったら間違いなく死ぬぞ」

 ゴロウの顔は真剣そのものだ。

「しゅ、しゅごい、打ち合いで衝撃波が――」

 ヤマダが口をパクパクさせた。ゲッコの偃月刀が繰り出す斬撃と、エイダが打ち振るう大戦槌の打撃が恐ろしい速さで衝突している。その衝撃で大気が割れてかまいたちが発生した。床板が千切れて飛び交い、ミュカレの撒き散らした水が浮いて霧になる。気軽に近寄ると一瞬でぺしゃんこになってしまいそうな圧力だ。

「ああ、確かにこれはひとが止められる喧嘩じゃなさそうだな――」

 ツクシがボヤいた。

「あれはリザードマン族じゃないですか! いやあ、ツクシさん、どこで彼を見つけたんです? あっ、もしかしたら、あれは彼女なんですかね? まあそれは今、どっちでもいいですね。とにかく、これはスゴイですよ! ああ、ようやくナマのリザードマンをこの目で見れた。道具を使えて言葉も喋れるんだ。へっええ、そうなんだ!」

 悠里である。

「――ああ、悠里か。お前、宿に帰ってたのか」

 ツクシは目をお星様にしている悠里を横目で見やった。

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