九節 新たな望み(漆)

 王都の各所で行われる新年の宴会は夜が白むまで続くようだ。

 明け方近くになると、部下が勧める杯を断り切れずに全部受けていたヤマダが、ばたんとぶっ倒れた。酒店の共同経営者だがヤマダ自身は酒にあまり強くない。

「ヤマさん、大丈夫かよ――」

 ツクシが商売女の参加で賑やかな酔態を晒しているボルドン酒店の丸テーブル席を眺めていると、軽いウェーブがかかった長い黒髪の女が寄ってきて、

「ゴロウ、コータロを背負って帰ってあげて」

 濡れた声色だ。丸テーブル席の卓上には中身のある酒瓶がまだたくさんある。ツクシとゴロウは酒を奪い合う必要もない。

 張り合いもなく赤ワインをだらだら飲んでいたゴロウが顔を上げて、

「おっ、おいおい、ミシャ! こんな夜更けまでほっつき歩いて、身体は平気なのかよォ?」

「――たぶん」

 ミシャが小さく笑った。

「たぶんってよォ――」

 ゴロウは髭面を曲げた。

「ローザも来ているから、何かあっても平気。ボルドン酒店の社長さんが女衒街の有名な姐さんたちを呼んだの。私たちは『流し』の代表」

 ミシャは壁に体重を預けた。

 その態度も、その立ち姿も、儚げである。

「女衒街の姐さん連中は新年早々から仕事か。商売熱心だな」

 ツクシがミシャへ目を向けた。青緑色のロング・ドレスを着た陰のある女だ。ベージュ色のカーディガンを肩からかけている。腕を袖に通していない。年齢は二十代後半か。肌色が青白く不健康そうに見えるが、それがまた男性を扇情するのに一役買っているような美女だ。

 ミシャは顔を半分隠した波打つ黒髪をゆっくり払いのけながら、

「貴方が、ツクシ?」

「俺の名前を知っているのか?」

「コータロから聞いた。私はミシャ」

「ミシャ――いつか、ゴルゴダ酒場宿ここで会ったよな。へえ、ヤマさんから俺のことを――」

「ツクシさんは男のなかの男だって」

 ミシャが弱い溜息のような視線をツクシに流した。

「ヤマさんがそういったのか? そんなんじゃねェぜ。ヤマさんのほうが俺よりずっと立派な男なんだ。俺という野郎は世間様の役にも誰かの役にも立ってねェからな」

 唸って返したツクシはグラスに口をつけた。

「そうなの?」

 ミシャは小さく笑った声である。

「――ああ、そうだ」

 ツクシがウィスキーを飲み下して不機嫌に応えた。

「――ヤマをつれて、そろそろ帰るかァ」

 ゴロウが空にした杯を卓に置いた。

「マジか、まだ酒瓶の中身が残っているのに帰るのか。どうしたんだ、ゴロウ、腹でも痛いのか?」

 ツクシは目を見開いてゴロウを見つめた。

「ああよォ、年明けは、俺も忙しいんだよなァ――」

 ゴロウが卓上に並ぶ酒瓶の数々へ視線を送って髭面を曲げた。

「へえ、そうかよ?」

 ツクシが投げやりな感じで話を促した。

「ホレ、どいつもこいつも慣れないものをたらふく食うだろ。年明けは食あたりやら飲み過ぎやらで、体調を崩す奴が必ず出るんだ。普段から健康な奴らは、ちょっとでも身体を壊すと必要以上に慌てるからな。ま、たいていの奴は大した病気じゃねえよ。でもよォ、ホレ、そこらは俺も商売だからよォ!」

 ゴロウが歯を見せて笑った。

「――なるほどな」

 頷いたツクシも口角を歪めた。

 ゴロウの年明けはちょっとした稼ぎどきらしい。

「そういうわけだ。ツクシ、俺ァここで帰るぜ。あーあ、ヤマが吐いてら。ミシャ、おめェも一緒に帰るぞ」

 ゴロウがゲーゲーやっているヤマダを見やりながら席を立った。

「ゴロウ、私にはまだ客がついてないわ」

 ミシャが壁から背を離した。

「ローザだけに働かせるのは気が引けるか? 無理をして倒れたら何にもならねえぜ。ミシャは家でヤマを看てやれや。ひでえ悪酔いだ――じゃあ、またな、おめェら」

 ゴロウは床で平泳ぎのような動作をしているヤマダのもとへ向かった。小さな笑みを別れの挨拶代わりにしたミシャもゴロウを追った。

「どうやら、ヤマさんを絞り取っているのは、あの女みたいだな。ヤマさんは女の趣味が随分と渋い――」

 ツクシは口角を歪めて、ヤマダを背負ったゴロウとミシャを見送った。

「リュウ、私たちもそろそろ帰りましょう。ご主人さまが座ったまま寝ていますよ」

 フィージャの横にいるシャオシンが椅子の上でふわんふわん揺れている。ツクシが柱時計へ視線を送ると午前三時を回っていた。この時間になっても客は入れ替わり立ち代りで、まだ宴会は続いている。

 リュウは中身入りの酒瓶の列を見つめて、

「うーん、そうか、シャオシンが限界か――」

 リュウという女性はざるの上にうわばみなのだ。酒を飲んでも酔わないなら酒を飲む必要がないように思えるが、それでもそういうひとに限って好んで酒を飲む。その横で酒の杯を手放す気配のないツクシも、リュウの酒豪っぷりには舌を巻いていた。

「――うみゃ! わらわはへいきじゃぞ。月餅ユエピンを食べるのじゃ。まだ、いっぱいあるのじゃ」

 意識を取り戻したシャオシンが大皿の焼き菓子にフォークを突き刺した。あるていど卓の料理が減ったあと、マコトの手で運ばれてきたそれは、パイの皮で白い餡を包んだ焼き菓子だった。直径三十センチの円形で、それが各々食べやすいサイズに切り分けられてある。「めでたい席で食べるものですよ」と、マコトの簡単な説明があったので、ツクシもその焼き菓子を一切れ口に入れてみた。かなり甘い。酒のつまみにならんと判断したツクシはひと口でやめた。パイの皮は香ばしく、なかに詰まった甘い餡はジンジャーとバターの香りがついていて、それは西洋風饅頭といったような味だ。シャオシンは月餅といったが、この西洋風饅頭には『クロード・ガレット』という名がついている。

「ご主人さま、夜更けに食べ過ぎると、あとでおなかが痛くなりますよ」

 フィージャが肉の骨をバリバリ噛み砕きながら主人を嗜めた。

 シャオシンは文字通り夢中で焼き菓子を口に運んでいる。

「そんなにそれが好きか。なら、そのでかい饅頭、お前らで包んで持って帰れよ」

 ツクシがいうと、

「だめ」

 短い拒絶が返ってきた。

 この棘々とした声は、シャオシンではない。

「おう。アヤカ嬢ちゃん、ここにいたのか――」

 ツクシがいつの間にか出現していた黒髪の邪神を見つめた。

 シャオシンとフィージャの間に座ったアヤカは黙々と焼き菓子を口に運んでいる。

「――階下したがうるさくて眠れない」

 ネグリジェ姿にカーディガンを羽織ったアヤカのご機嫌斜めな発言だが、甘い物が口に入っているので、差し引きでその顔は無表情になっている。

「二人揃って眠そうだな。まあ、もう寝ているのもいるが――」

 ツクシはものすごく眠そうな顔を並べて甘い焼き菓子をもぐもぐしているシャオシンとアヤカから視線を外して、右で卓につっぷしているフロゥラを見やった。フロゥラがゴルゴダ酒場宿に参上した当初、奇跡の担い手であるシャオシンとリュウは強大な魔導の胎動を目にして表情を固めていた。フィージャは、カントレイア世界にあまねく奇跡の力を視覚で確認する能力がないので、「おや、前に一度お会いしましたよね。ツクシさんのお知り合いですか?」などと、舌をてふてふ突きだしながら、フロゥラへていねいに挨拶をした。

 ツクシと同じ卓にいた絶世の美少女十四歳と白髪しろかみの凛々しいリュウを目にしたフロゥラは唇を舌で湿らせて大喜びである。この吸血鬼の女王様は捕食対象の性別を問わない。細かくいえば強面の男性と可愛い女性が大好物になる。

「リュウ、こいつ、すげえ危ない女なんだ。正面からじゃあとても敵わないから、酒を使って潰せ。わけのわからねェ小細工をしてくるぞ。特別、目に注意しろよ」

 ツクシが用を足しに席を立つフリをしながら耳打ちをすると、

あい、合点承知」

 真剣な顔で頷いたリュウはツクシの席に移動してフロゥラへ酒を勧めた。状況を察したシャオシンもふるふる震えながら、フロゥラの杯へぎこちなくお酌した。

 しかし、フロゥラは杯に注がれた酒を見つめて、

「うん。正直なところ、ウイシュキやジンの強い香りが、私は少し苦手なのだ――」

 ツクシは機転を利かせ、ウイスキーやジンやその他の強い酒を厨房から持ってきた甘い果物ジュースと混ぜて作ったスペシャル・カクテルを女王様に献杯する。

 ただのちゃんぽんである。

 ツクシとリュウ、この二人の酒豪を相手にすると、フロゥラは万が一にも勝ち目がない。それに加え、リュウとシャオシンは退魔の力を発揮して吸血鬼の女王様が瞳から発する危険な魔の誘惑を退けてもいた。必殺技を封じられた上、酒の攻勢を受け続けたフロゥラは、今、ツクシの横の席でぐったり寝入っている。

 焼き菓子が皿の上から綺麗になくなったところで、睡魔に負けたシャオシンがカクンとうなだれた。そのまま動かない。

「ツクシさん、ごちそうさまでした。私たちは先に失礼しますね」

 フィージャが寝惚けているシャオシンを促しながら席を立った。

「もう帰るのか、そうか――」

 リュウも渋々の態度で席を立った。ツクシへ視線を送りつつ席を立ったリュウは、その未練を酒だけに残しているわけでもなさそうだ。アヤカは黙ったまま階上へ消えていた。酒に打ちのめされたフロゥラと二人きりになったツクシは大あくびをした。たまに呻き声を上げているがフロゥラは目を覚ましそうにない。

 酒場のガラス窓は白みがかっている。

異世界こっちへ迷い込んでから、独りで酒を飲むことが少なくなったよな――」

 ツクシが手酌で杯に酒を注ぎ込みながら物思いに耽っていると、

「ご主人様、ご主人様! ああ、もう、こんなにたくさんお酒を飲んで。大丈夫ですか?」

 少女の声だ。

 ツクシが顔を上げると、明るいブラウンの髪を一本三つ編みにして、丸っこい銀ぶち眼鏡を掛けた、スカート丈の長いメイド服姿の少女が酔い潰れたフロゥラを揺さぶっている。

「――あぁん!」

 ツクシは尻で椅子を跳ね飛ばして立ち上がると、眼鏡でメイド服姿の少女の頬をぎゅっとつねった。

「いっ、ひゃうっ! 痛いれす――」

 身を固めた眼鏡少女が頬を抓られたまま鼻息の荒いツクシを見上げた。

「お前の名前を確か、カレラといったな?」

 ツクシが眼鏡でメイド服の少女――カレラを睨みつつ低い声で訊いた。

「ふゃい――」

 カレラは怯えた様子で殺気立つツクシを見上げている。

 ツクシは無言でカレラの空いていた頬もぐいぐい抓った。

「ひゃ、ひゃめえっ!」

 ツクシの両手で左右の頬を引っ張られるカレラは肩を竦ませてうるうる涙目である。

「――あっ、ああ、いや、すまんかった。また俺は悪い夢でも見ているのかと思ったぜ。お前、生きてたのかよ。その、何だ、カレラは女王様をお迎えに来たのか?」

 怪訝な顔のままツクシはカレラの頬から手を離した。

 こういう場合は普通、自分の頬を抓るものだが、ツクシは何かを間違えている。

「――前に一度、お目にかかりましたか? あの、貴方のお名前は?」

 カレラは両手を胸の前で合わせて、おずおずと尋ねた。

 小動物的な態度だ。

「おう、俺は九条尽だ。ツクシでいいぜ」

 ツクシがバツの悪そうな顔で名乗った。

「――あっ、ツクシ様って、ご主人様の旦那様予定の! 挨拶もせずに失礼致しました。わたしはカレラ・エウタナシオです。フロゥラ様のお屋敷で家政婦メイドをやってます」

 身体の前で手を揃えたカレラがぺこりと頭を下げた。

「ああ、これはごていねいにどうも――」

 頭に右手を置いて、ツクシも小さく頭を下げた。

「ご主人様がご迷惑をおかけしました」

 カレラは卓につっぷしているフロゥラを見つめた。

「それはいいんだがな。その、お前は、その、何だろうな――」

 お前、ネストで兄貴にぶっ殺された筈だよな――。

 ツクシはそういいたかったのだが、その言葉がなかなか口から出てこない。

「さあ、ご主人様、お屋敷へ帰りましょう。ご主人様、ご主人様! ご・主・人・様!」

 ツクシの胡乱な視線に構わず、カレラはフロゥラの肩へ手をかけてかなり乱暴に自分の主人を揺さぶった。その動作は腰が入った感じであり、テーブルの上の酒瓶がガタガタ揺れている。

「――うぅん。カレラか、どうした?」

 フロゥラがカレラの首へ腕を回した。

「ひゃやっ! ダメです、ご主人様、こんなところで!」

 カレラは首元に寄ってきた酒臭くて妖しい美貌から頬を赤く染めた顔を背けた。

「うん? いつもはもっと喜ぶではないか。カレラ、とうとう私が嫌いになったか?」

 フロゥラはカレラの耳たぶに噛みつきながら囁いた。

「やんっ! そ、それは、違いますけど! ほら、ご主人様、コートをちゃんと着てください。外はとても寒いです!」

 さっと身を引いたカレラが主人の背へ毛皮のコートをかけた。フロゥラは眉尻を上げて赤くなったカレラの顔へムスッと不機嫌な視線を送りながら、コートの袖に腕を通して椅子から腰を浮かせたが、そこでよろけて卓の酒瓶を何本か薙ぎ倒した。「きゃあ!」と悲鳴を上げたカレラが泥酔しているご主人様を支えている。その状態で、カレラは小脇に抱えていた自分の外套を器用に羽織った。

「――おう。まあ、お前ら気をつけて帰れよ」

 女王様は、他人ひとへ迷惑をかけずに生きられん性分なのか――。

 ツクシは呆れ顔である。

「――はいっ」

 女王様に肩を貸しながら振り向いたカレラがツクシへ笑顔を見せた。

 少女の笑顔のはっと息を呑むような美しさである。

「何だよ、ものすごい美少女なんだな――」

 ツクシはカレラの肩を借りて帰る女王様に少し嫉妬をした。帰り際、外の冷たい空気で混濁した意識を回復させたフロゥラが、ツクシに恨みがましい視線を送ってきた。女王様はツクシへ吸血鬼の牙を見せつけている。ツクシの口には牙がない。なので、ツクシは口角を歪めて返した。宿の表まで出てフロゥラとカレラを見送ったツクシは自分の視界が傾いていることに気づいた。

 ツクシも酒が過ぎている。

「年齢の所為だな。酒に随分と弱くなった――」

 視界と口角を歪めたツクシが、うつむき加減に溜息を吐いた。酒の匂いが混じるその息は真っ白だ。踵を巡らせたツクシは自分の貸し部屋へ足を向けた。東の地平線から王都へ差し込む白い光線が強くなった。

 朝陽が昇る。


 §


 年明けの宴会で明け方まで酒を飲んだくれて、貸し部屋のベッドへ倒れ込んだツクシは、それでも昼前に目を覚ました。深酒が残った身体は、そのなかに空気より軽い瓦斯ガスを詰め込まれたような、足に地がつかない感覚だった。重いような、軽いような、奇妙な感覚が残った身体を引きずるようにして階下に向かったツクシは階段の踊り場で足を止めた。

 階下の丸テーブル席の上に手付かずのご馳走と酒瓶がずらりと並んでいる。

 呆れ顔で階段を降りてきたツクシに、

「――おや、ツクシ、お目覚めかい?」

 エイダが声をかけた。

「おう、女将さん、今夜も新年の宴会をやるのか?」

 呆れた顔のままツクシが訊いた。

「ぶははっ! 今日の客は金を払わないけどねえ」

 エイダは卓の上に酒瓶を並べながら笑った。

「何だ、金を払わない客?」

 ツクシが首を捻った。

 不思議そうにしているが、ツクシも金を払わない客のうちのひとりである。

「タラリオンで新年最初の日は施しの日なのさ」

 腰に手を置いたエイダが酒場を見回した。

 大きく頷いたエイダを見ると準備は整ったようである。

「――施し?」

 ツクシが訊いたところで、

「女将さん、少しいいですか!」

 セイジが厨房から呼んだ。

「何だい、セイジさん!」

 エイダが吼えた。怒鳴っているのに等しいが、エイダが不機嫌なわけではない。元より地声が大きいのである。

「今、手が離せんのです。地下したのビール樽をひとつ上へ頼めますか?」

「ツクシ、腹が減ってるなら、そこらのものを適当につまみな。ちょっとくらい減ったってかまやしないからさ」

 そういって、エイダは厨房へ消えた。厨房の裏手には食料を貯蔵している地下室へ続く入り口がある。

「そこらへんのものを食えといわれてもな――」

 ツクシが丸テーブル席に並んだ昨夜同様のご馳走に気後れして佇んでいると、

「新しき日を迎えた喜びを、己より貧しき者に分け与えよ」

 これも地から浮いている印象だ。

 軽やかな女の声が後ろから聞こえた。

「ミュカレ、それがタラリオンの習慣なのか?」

 ツクシが顔を向けると長柄の箒を持ったミュカレが佇んでいた。

 宿の表を掃除していたようだ。

「エリファウス聖教の教えらしいわね」

 ミュカレが微笑んだ。

「施しか。そうなると、今からゴルゴダ酒場宿ここに、王都の浮浪者どもでも押し寄せるのか?」

 ツクシが宿の出入口へ目を向けた。

 今のところ、ツクシのいったひとが押し寄せてくる気配はない。

「ええ、押し寄せるの。戦争が始まったあとは流民も多くなったわ。でも、酒と肉がなくなればあっさり帰るわよ。施しを受けるひとは、この日に何箇所かの酒場を回って『ハシゴ』するのよね」

 ミュカレがカウンター・テーブルへ片手を置いて体重をそこに乗せた。王都の道端には、死体なのかそうでないのか判別のつかないような浮浪者がゴロゴロ寝転がっているし、ペクトクラシュ河南大橋の下にも乞食が大量にいる。冬の季節は南へ移動するワタリのようなものもいた。王都は人口が多いので、あぶれものもまた多い。

「へえ、王都では元旦から慈善活動かよ。いい心掛けじゃねェか」

 ツクシは感心して見せたが、

「うーん、それはどうかしらね?」

 ミュカレがその意見に否定的な笑みを見せた。

「――ん?」

 眉根を寄せてツクシがミュカレを見つめた。

「たまにでもご機嫌を伺っておけば、私たちに対して悪い気を起こすひとも、少しは減るのだろうし?」

 ミュカレの言葉は、はぐらかすような響きだった。

「なるほどな。普段満足に食えない連中が溜め込んだ不満を瓦斯ガス抜きするってことか」

 ツクシは頷いた。

「その意味合いのほうが強いわ。どこの酒場宿も新年は必ず貧しいものへの施しをするの。たいていは年明けの宴会の残り物を使うわね」

 ミュカレが微笑みながら卓上に並んだご馳走の数々を見やった。元冒険者であるエルフ族のミュカレはタラリオン王国で育ったわけではないので、ここでの習慣や宗教に対して客観的な視点を保っているようである。

「ああ、それで明け方になっても酒や食い物が大量に余ってたのか。あれは元々、余分に用意してあったんだな」

 ツクシは食べきれないほどの料理や、飲みきれないほどの酒に囲まれた宴会の席を思い出した。

「そういうことね。新年の宴会の費用には、そのあとにある施しの分も含まれているのよ。ほら、テーブルの上に施しをした団体の名札があるでしょ?」

 ミュカレが中央の丸テーブル席へ顎をしゃくった。ご馳走が並ぶ丸テーブル席の中央に、異界の飾り文字で何か書かれたプレートがぶっ立っている。

「――もしかすると、あれは『ボルドン酒店提供』とか書いてあるのか?」

 ツクシはカントレイア世界の文字が未だ読めないが、

「ええ、そうよ」

 頷いたミュカレが正解だと教えた。

「浮浪者どもにまで店の宣伝か。世知辛いのか、商魂たくましいのか――しかし、ユキは大丈夫なのかよ。昨日から寝てないだろ。なんだか、しっぽまで垂れ下がって元気がねえし――」

 ツクシは厨房から料理の大皿を持って出てきたユキへ目を向けた。

 ユキは見るからにふらふらしている。

「ま、もうちょっとだけ頑張ってもらうわ。ツクシ、私だって寝てないのよ。だから、もっと優しくして?」

 ミュカレが艶かしい微笑みをツクシへ投げつけた。

 こいつも女将さん同様、異常にタフだよな。

 どういう身体の作りをしているんだかな――。

 ツクシは呆れ顔で真横にきた人外の美貌を見やった。

「おはようございます、ツクシさん」

 各丸テーブル席に並んだ酒や料理を確認して回りながら挨拶をしたのはマコトである。

「おう、おはよう。マコトは疲れている様子がないな――」

 深酒で身体がひどく重いツクシはマコトの若さを羨んだ。

「ね、マコトは本当にヒト族なのかしら。ほとんど寝ていない筈だけれど――」

 横のミュカレも呆れ顔である。

 酒場宿の出入口に、柊で囲われた小さな白蛇十字架カドゥケウス・シンボルを飾るのが入場許可の合図だった。その日、ゴルゴダ酒場宿で行われた『施しの席』には、王都の浮浪者や流民の群れ――食い詰めものに混じって、十三番区の孤児もやってきた。すべてマコトが率いる餓鬼集団レギオンゴルゴダ・ギャングスタのメンバーである。先代の兄貴――グェンと懇意にしていた、そんな理由で暇を持て余していたツクシはギャングスタの会席に呼ばれた。丸テーブル席には、ユキ、マコト、アリバ、モグラ、シャルの他、ツクシが知らない子供たちの顔もたくさんある。

「先代の兄貴がお世話になりました」だとか、

「マコト兄貴にも、良くしてやってください」だとか、

「いい腰のモノ(※魔刀ひときり包丁のこと)ですね、兄さん」だとか、

 ギャングっぽい挨拶と一緒に、親無し宿無しの少年少女が自分の杯へ注いでくれる酒を、ツクシは苦笑いですべて受けた。子供が飲むものだから、そのりんご酒やらぶどう酒のアルコール度数はごく弱い。地下水の質が悪いタラリオン王都では子供でも弱いアルコール飲料を口にする。ゴルゴダ酒場宿で働く子供たちが女将のエイダと出会ったのは、この施しの席だった。

 ツクシは口数少ないマコトからそう聞いた。

「なるほどな」

 ツクシは短い返事をした。

 昨夜から働き詰めで疲労の限界に達したユキは海ザリガニのしっぽを齧りながら、椅子の上でうつらうつら船を漕いでいる。

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