七節 新たな望み(伍)

 鐘の音は消えた。

 悠里が重くなった空気を振り払うように、右、左、右と丸テーブル席の一同を見回して、

「それでは、ここで新年の抱負を述べましょうか?」

「あのな、悠里。俺たちは学生じゃねェんだからよ。いいオッサンが雁首を揃えて新年の抱負ってか。アホ臭ェ――」

 ツクシは不機嫌な返答だったが、

「ツクシさんの抱負は日本への帰還っすよね?」

 ヤマダは悠里の話に乗った。

「ヤマ、そのニホンだけどよォ、俺ァ――」

 ゴロウが口のなかの刺身と一緒にモゴモゴと何かいいたそうだ。

 ヤマダはツクシへまっすぐ視線を送っている。

 ゴロウは手元の杯へ視線を落とした。

 飲み干したその杯は空だった。

「まあ、俺はそうなるな。ヤマさんはどうだ?」

 ツクシはこういったが、ネストの下層に辿りついても、日本へ帰れる可能性は低いかもなあ、と考えていた。『ここではないどこかへ続いている扉』を見つけて飛び込んだ先が、エイシェント・オークがわんさと暮らしている世界に続いていたら、ツクシはそこで死ぬだけだ。今のところ、ネストの最下層にあるかも知れない『扉』は、エイシェント・オークの国へ通じている可能性が高いだろう。それでも、ネストを相手に戦う理由ができてしまったツクシはもう退くつもりがなかった。

「ツクシさん、自分も今年の目標は日本への帰還っすよ」

 ヤマダが強く頷いて見せた。

 ツクシがそこに調子を合わせている様子がないことを確認して、

「なあ、ヤマさん?」

「あ、はい?」

 ヤマダが杯に口をつける前に卓へ戻して顔を向けた。

「――うん。ヤマさんがいいたくなければ、応えなくていいんだがな」

 ツクシは故郷の酒――日本酒の味に頷いている。

「はい、何すか?」

 ヤマダがツクシを見つめた。

「ヤマさんはどうして日本へ帰りたいんだ?」

 ツクシは空の杯を見つめて訊いた。

「いやいや、ツクシさんこそ、どうしてそこまでして日本へ帰りたいんですか?」

 悠里がツクシの杯へ日本酒を注ぎながら訊いた。

「悠里、若造が大人の話に口を挟むんじゃねェ」

 ツクシが厳しく睨んだが、その刺さるような視線を浴びて、悠里は心底嬉しそうな笑顔だ。やはり悠里はマゾかホモなのだろう。その両方かも知れない。

「ヤマさん、俺はずっと不思議なんだ。その、何だ――」

 ツクシは相手との会話が上手く進行しないと、凄む、唸る、睨む、そして押し黙るといった対応をする面倒な男である。

 うつむいたツクシはやはり沈黙した。

「――ああよォ、ヤマ。おめェは王都で上手くやってるだろ」

 ツクシの言葉を繋げたのはゴロウだった。

「ヤマダ・コータロといえば、今や飛ぶ鳥落とす勢いのボルドン酒店共同経営者だぜ。俺の近所でも、ヤマの名前を知らねえ奴は少ない。このまま王都に骨を埋めるのもそう悪くはない話だろォ。ヤマ、おめェ、そこまでしてニホンとやらに帰りたいのか。故郷クニにいるときのヤマは、その、何だ――色々と上手くいってなかったんだろォ?」

 酒を飲む手を止めて語るゴロウは真摯な態度だった。

 ヤマダはぷすんと燃料が切れたようにうなだれて、

「へへっ、そうかも知れないっすね。僕は日本でニートってやつでした。無職透明の屑っすよ。顔を上げてお天道様を眺めるのも気後れする立場っすよね――」

 しょげ返って背を丸めたヤマダを見て、ゴロウは困り顔であったし、悠里の笑顔も苦いものだ。

 しかし、ここで不機嫌だけをぐっと増した男がひとりいる。

「ヤマさん、そうやってな――」

 ツクシが唸った。

「――あ、はい?」

 ヤマダが顔を上げた。

「そうやってな。大の男が自分で自分を卑下するんじゃあねェ!」

 ツクシが怒鳴った。これは常に不機嫌な男だが他人のために憤りを見せるのは珍しい。ツクシはヤマダに本気を見せている。

「ツクシよォ!」

「ツクシさん!」

 表情を変えたゴロウとヤマダが大声でその不機嫌を非難した。

「――見ていると苛々するぜ」

 ツクシは視線を落とした。

 ヤマダは何もいわずにうなだれた。

 ゴロウは歯を剥いてツクシを睨みつけている。

 悠里も笑顔を消してツクシをじっと見つめていた。

 ストーブで燃えている薪が大きな音を出して弾けた。

 このまま押し黙ったままなのか、と思われたが、ツクシは不機嫌な顔をヤマダへ向けて、

「ゴロウ、悠里。俺はヤマさんと喧嘩をしているわけじゃないんだぜ。ネストの探索は命懸けだ。できるなら避けたほうがいい。ネストの最下層に辿りついても日本に帰れる保障はないんだぞ。ヤマさん、俺はな、ヤマさんは異世界こっちに残っていたほうが――」

「――自分、日本へ帰らなきゃいけないんすよ」

 ヤマダが顔を上げた。

「危険だぜ。ネストに通っていればいつ死ぬかわからねェ」

 ツクシが不機嫌にいった。

「ツクシさん、僕は異世界こっちへ迷い込んで死ぬ思いで働いてきたっす。そうしなきゃあ、生きてこれなかった」

 ヤマダが苦く笑った。

「ああ、それは、そうだろうな」

 ツクシが不機嫌なまま頷いた。ゴロウがそこで口を開きかけたが、「ゴロウさん!」と悠里の鋭い声がそれを制した。悠里はお喋りなのだが黙るべきときを知っている男なのである。

「ボルトンさんと二人で、毎日、真剣にやってきました。喧嘩もよくしたっす。お互いのアイディアばかりがあって、それでも人手がなくて、資金がなくて、思い切ってやってみても結果がついてこなくて――」

 ヤマダが卓の赤ワインのボトルへ目を向けた。ボルドン酒店が納入しているものだ。つい半年前まで重いリヤカーをヤマダとボルドンの二人で引いて、王都各所を朝から晩まで訪問販売していたボルドン酒店も、今では大量の輸入品を取り扱うほどの資金力を持つ企業に成長した。従業員も総勢五十名を優に超え、商品配送用の持ち馬も今は二十頭以上になった。

「ああ――」

 ツクシが低く唸って話を促した。

「でも、最終的には何とかなりました。だからね、ツ、ツクシさん、自分だってやる気になればできるんすよ。何だってできるっす。なっ、何だって――」

 ヤマダの身体が細かく震えだした。

「ああ、ヤマさんは大したもんだぜ」

 ツクシは本心からそう思っていたし口に出してもそういった。

「だ、だから、自分は日本むこうへ戻って、もう一度、やり直すつもりっす」

 ヤマダの声もその身体同様に震えている。

「ああ、そうか――」

 ああ、そうだよな、やっぱりそう来るよな――。

 そこでツクシは視線を落とした。

「日本に帰って仕事を見つけて、お袋と親父を生きているうちに安心させてやって――」

 ヤマダの顔を真っ赤になった。

 ゴロウと悠里も、ツクシと同様うつむいた。

「――ああ」

 ツクシが丸テーブル席につこうとする沈黙を唸り声で追いやった。

「それで、それで、ぜっ、絶対、あいつらを見返してやるっす」

 鬼のような形相でヤマダも唸る。

「――ああ」

 ツクシは頷いて見せたが胸中では違う考えだった。上手くいかない人生に悩むひとを嘲笑う他人はどこにだっている。どのように生きようが、どのような立場にいようが、見ず知らずの他人からその人生を軽く見られるのは誰もが同じだ。ひとそれぞれ考え方は千差万別なのだから、万人から認められ敬意を受けれるひとなど、実のところは一人もいない。それをわかっていながら、ひとは他人を「ああでもない、こうでもない」と非難したがる。ヤマダを苦悶させているのは映画館から出てきた観客がいう感想のようなものだ。時間が経てば観客はその感想をいったことすら忘れてしまう。

 ヤマダの悩みは他愛のないものだ。

 他愛のないものなのだが――。

「ツクシさん、自分は日本へ帰ってあいつらを見返してやりたいんすよ!」

 ヤマダは吼えた。

 ツクシは返事をしなかった。

 返事ができない。

 ヤマダの考えや憤り、やり切れない想いもまた、ツクシは痛いほど理解ができた。

 理屈と感情は相反する――。

「負けっぱなしで、馬鹿にされっぱなしで、お前は役立たずの屑だって、僕のこれまでの人生を何も知らない奴らに安い値札をつけられっぱなしで人生を終わりたくないっす。ないんすよ、ないんすよ、このままじゃあ、自分は終われないんすよ、ツクシさん!」

 ヤマダは感情を全部吐き出した。

「――そうだな。まったく、ヤマさんのいう通りだと思うぜ」

 ツクシはうつむいたままいった。

 気持ちはわかる。

 痛いほどわかるがな。

 異世界こっちでヤマさんが勝ち取った立場を考えると、その選択はきっと大損だぜ――。

 ツクシの本音は奥歯で噛み砕かれて腹へ落ちていった。

「自分はもう、に、に、逃げない!」

 いよいよヤマダが泣きだした。流れでる涙は滝のようであるし、両方の鼻の穴から鼻水が噴水のように噴き出ている。

 これは男泣きである。

「あァ、ヤマよォ、あのよォ――」

「ヤマさん――」

 ゴロウと悠里は号泣するヤマダに気圧されて言葉が続かない。

「――わかった、ヤマさん」

 ツクシがいった。

「ぐえっ、ふぁい!」

 ヤマダは涙と鼻水流れる顔を上へ向けて大声で返事をした。

「ヤマさんは男だな。やっぱり大したもんだ」

 ツクシがヤマダの泣き顔を見やった。

「えっぐ、ぐえ、ふぁい――」

 ヤマダは小さな声で返事をして今度はうなだれた。

「おい、もうわかったから、ヤマさん、鼻水を拭けよ、汚ねェなあ。ヤマさんがそこまでの覚悟なら、もう俺からは何もいわねえ!」

 ツクシが鼻息も荒く断言した。

 ヤマダは手ぬぐいを取り出して鼻をかみながら、

「ぶっちーん――す、すんません、すんません。ツクシさんには迷惑ばかりを――」

「迷惑だなんで、俺はこれっぽっちも思ってねェ。だから、そうやって簡単に謝まるな。ニーナだって、ヤマさんによくいってただろ、男は気軽に頭を下げるなって――」

 今度はツクシがカクンとうなだれた。リカルドとニーナが死んだあと、ここまでツクシは両人の名前を他人の前で一度も口にしたことがない。

 忘れたわけではない。

 忘れたいわけでもない。

 ツクシは時折、心臓に突き立った刃物のように、リカルドの死を思い出すし、ニーナの夢を見ることだってよくあった。

 会話が途切れて新年の酒の席は静まり返った。

 泣き続けるヤマダはもちろん、ツクシの方面からも手におえないほど陰気臭い空気が漂ってくるのを察したのはゴロウだ。

「あっ、ああよォ! ヤマ、もう一杯いけ、な? 去年の憂さを早く晴らさないと新年が来ねえだろ! だから、ヤマ、飲め、飲め、ほれ、すぐに杯を出せ!」

 ゴロウは悠里の手にあった一升瓶をひったくってヤマダへ酒を勧めた。

「じゃあ、遠慮なく」

 杯を突き出したのは悠里である。

「悠里にはいってねえ、ヤマだ、ヤマァ!」

 ゴロウが歯を剥いた。

悠里こいつも相当なザルだからな。俺は悠里が酔っているのを見たことない気がするぜ」

 ツクシが口角を歪めた。

「ロシア人の血ですかね?」

 悠里が笑った。悠里は何分の一か北方白人の血を引いている日本人だ。肌白く中性的に整った顔だちの悠里はとびっきりのイケメン青年である。悠里はイケメンで日本にいた頃は異性のかわいい彼女がいたらしいが、今では女の子にあまり興味がないようだ。価値観もひとそのものも時と共に変化する。

 それでいいのである。

「――ぐすん。自分、酒に弱くて――みんなが羨ましいっす。今日は見苦しいところを見せて、みなさん、ほんとすんませんでした」

 ヤマダがまだ半分酒が残っている自分の杯を手にとった。

「まあ、いいから飲めよ、ヤマさん」

 ツクシが急かすと、

「へへっ、じゃあもらうっす、今日は浴びるほど飲むっすよ!」

 ヤマダが苦く笑った。

「あァ、いけいけ、ぐっとやれ!」

 ゴロウの手で勢い良く注がれた日本の酒がヤマダの杯から溢れでた。

 ツクシたちが酒席の明るさを取り戻したところで、エイダ、ミュカレ、それにユキがゴルゴダ酒場宿へ戻ってきた。ここで働くギャングスタの子供たち――マコト、アリバ、モグラ、シャルも一緒だ。

「おう、お疲れさん」

 ツクシが声をかけると、

「何をいってんだい、アンタ、忙しいのはこれからだよ!」

 咆哮で返したエイダが毛皮の上等なロング・コートを羽織ったまま厨房へ飛び込んでいった。

 その直後、

「ちょっと、セイジさん、仕事が遅いじゃあないか。一体、どうしたんだい、今日に限ってさ!」

 厨房からエイダの雄々しい雄たけびが聞こえた。

 ゴルゴダ酒場宿が鬼の咆哮でちょっと揺れている。

「女将さん、面目ない、まだまだ勉強不足――」

 セイジの謝る声も聞こえてきた。表情を硬くしたツクシは厨房のほうへ視線を送らないようにした。エイダは本気で殺気立っている様子なので、どんなとばっちりが来るか知れたものではないし、いつも迅速的確なセイジの仕事が遅れているのは半分以上ツクシの所為でもある。

 マコトとユキが外套をパッと脱ぐと下はいつもの仕事着姿だ。少年ギャルソンと猫耳メイドの参上である。銭湯の釜炊きを主な仕事にしているモグラがアリバと一緒に宿の表へ出ていった。今日は二人で客の馬をさばくらしい。ホールの片隅の丸椅子の腰かけたシャルは真剣な顔でリュートの音程を調整していた。

 年明けってのはそんなにたくさんの客が来るものなのか――。

 酒の杯片手のツクシが戦々恐々とする従業員たちを眺めていると、

「おお、寒い寒い。外は雪だぜ。お、お前ら、もうやってるんだな。こんちくしょうめ」

 アルバトロスが帰還した。その後ろには団員たち――ロランド、フェデルマ、フレイア、マリー、クラウン、カルロも揃っている。

 全員が聖教会館からの帰りのようだ。

「へえ、揃って信心深いんだな」

 ツクシはゲンを担ぎに寒空の下で震えてきた冒険者の一団へ口角を歪めて見せた。アルバトロス曲馬団の帰還を皮切りに、ゴルゴダ酒場宿へ次々と客が押し寄せて客席はあっという間に埋まった。緑の妖精旅楽団も賑やかに楽器をかき鳴らしながら訪れた。この彼らは揃いも揃って小っこいオッサンのような容姿で、雌雄の区別がなく老化をしないらしい。緑の妖精――草原の妖精族は中央大草原を駆け抜ける風が奏でた旋律から誕生し、彼らが現世に飽いたとき死が訪れる種族なのだと、悠里がツクシに教えた。カントレイア世界は幻想的ファンタジックに見えるが、その内実は阿鼻叫喚でリアルなディストピアだ。だが、緑の妖精旅楽団だけは生粋のファンタジー世界を想わせる存在だった。

「へえ、あいつら、ぼうふら(※蚊の幼生体である)みたいに生まれるんだな」

 ツクシが気のない返事をしたところで、嬉しそうに妖精族の説明をしていた悠里が口をぴったりと閉じて非難の視線を送った。

 非難を受けた当人はまるで気にしていない。

 そのうちに、悠里が、

「ちょっとだけ、ウチの団のテーブルで新年の乾杯をしてきます。すぐ戻ってきますから!」

 そう強い調子でいい残して席を立った。

「ああ、ゆっくりやってこい。戻ってくんな」

 ツクシが悠里の背に声をかける。

「ああ、ウチの社長も来たっすね」

 ヤマダが自分の上司をフラットな表情で眺めている。

 緑の妖精旅楽団の後ろからボルドンが入ってきた。遠目に見ても趣味の悪い服装のボルドンは従業員だの取引先の連中だのを大量に引きつれている。

「おう、人数が随分と多いな。ヤマさんの会社はまた従業員を増やしたのか。いや、おい、なんだ、社長の両脇にいるあの二人はよ――」

 ツクシが怪訝な顔になった。ふんぞり返って入店してきたボルドンは樽のような体形の若い女性を両脇に抱えている。

「ええ、そうっすね。会社に余計なのも増えたっす――」

 ヤマダがうなだれて肩と声を震わせたが、これは泣いているわけではないだろう。

「ンッ、ヤマ、いたな。今年も会社のために身を粉にして働いてくれよ。一〇一三年は、もっとウチの会社の規模を広げてゆくぞ。二倍、三倍――いやいや、もっともっとだな。四倍、五倍、いや十倍だ。ここはどーんと十倍でいくぞ。飛躍だ、ヤマ。今年はボルドン酒店、飛躍の年にしようじゃあないか、ウェーハハハーッ!」

 寄ってきたボルドンがゲス笑いを響かせた。

 脂肪で出張ったその腹が、ぶるんぶるんとよく震える。

「あ、はあ――」

 ヤマダは溜息を返事の代わりにした。

 ツクシとゴロウは冷ややかな目でボルドンを眺めていた。

 ボルドンは趣味の悪いショッキング・ピンクの貴族風の服装の上に黒い毛皮のコートを羽織って、首回りだとか指に純金の首輪だの指輪だのをいっぱいつけ、それらを自分の禿頭同様ぴかぴか光らせつつ、その左右の腕で派手な女性を抱えている。そんな恰好のボルドンが内ポケットから葉巻を取りだして吸い口を噛み切ると、横の女性に火をつけさせた。

 態度も見た目も成金親父そのものだ。

「お、ツクシもおるのか。そっちの貧相な赤髭はゴロウとかいったな。お前ら、金は儲けておるのか? 金だよ金!」

 ボルドンが紫煙をぶかぶか燻らせながら品のない笑顔を見せた。

「ボルドン、その二人は何だ?」

 ツクシはボルドンに身を寄せる二人の女性を眺めている。髪型はそれぞれショート・ヘアとロング・ヘアで色は栗色とブロンド。高価そうな毛皮のコートを羽織って、その下はスカート丈が短いドレスを着た、樽のような体形の、化粧の濃い、派手な若い女性だった。双方の顎に髭がある。

 女性らしい質感の長い髭だ。

「ヒト族のお兄さん、初めまして、わたし、アケミでぇっす!」

「あたし、ナナだよォ、ヨロシクゥ!」

 黄色い声で自己紹介した彼女たちの名前は右がアケミで左がナナというらしい。

「おう、その、髭の――どう見てもお前らはドワーフ女子だな。社長、この二人はあんたの情婦イロなのか?」

 ツクシは、たぶん、ドワーフ族にとっては色っぽい視線を送ってきたドワーフ女二名から目を逸らした。

「ぐふっげふっ! な、何をいっておる。アケミとナナは俺の秘書だ秘書。社長秘書だ!」

 ボルドンは葉巻の紫煙にむせている。

「へえ、この派手な髭が社長の秘書ねえ――」

 ツクシはヤマダへ視線を送った。

 ヤマダはうなだれてガクガク震えている。

「社長、うちの会社の席はこっちっすよお!」

「ヤマさんも、早く座ってください、始めましょう!」

 ボルドン酒店の従業員が離れた丸テーブル席で声を上げた。その丸テーブル席には数々の酒瓶と中央に置かれた子羊の香草焼きを筆頭に、豪華な料理がこれでもかと並んでいる。大きな皿の上にあるのはナントカの丸焼きが多い、子羊、子牛、豚、鳥、魚と大きなものが、まるっと焼かれて五種勢揃いだ。これらを卓へせっせと運んでいるのはユキとマコトだった。

「ヤマ、何をモタモタしてる。副社長が別のテーブルで飲んでいたら、俺の示しがつかんだろう、早く来い!」

 ボルドンが背を向けた。

「――まあ、それはそうっすよね。ツクシさん、ゴロウさん、僕はちょっと会社の宴会へ顔を出してくるっす。すんません」

 視線を落としたまま、ヤマダはふらりと席を立った。

「大変だな、ヤマさん――」

「あ、ああよォ、まァ、頑張れよ、ヤマ――」

 ツクシもゴロウも口には出さないが、ヤマさんは気苦労が多いんだろうな、と思っている。ここに来てツクシは、やっぱりヤマさんも日本へ帰ったほうがいいのかな、と考え直した。

「へへっ、じゃあ、行ってきまぁす――」

 苦笑いもせずにそういって、ヤマダは会社の宴会に参加した。

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