四節 新たな望み(弐)
情にほだされたわけではない。
よく見れば、ルチャーナの出店に並んでいる商品は作りが頑強で見栄えもいい良品ばかりだった。そこでツクシは濃い茶色のセーターを一枚購入した。突然、機嫌の良くなったルチャーナが、ユキのコートを選んでやると張り切った。
「これなら間違いないよ」
店のあちこちを引っ掻き回したあと、ルチャーナが勧めたのは、羊毛を使った藍色のPコート(幅広の襟がついたハーフ・コート)だった。
「すごくあったかい。これいいかも!」
試着したユキは猫耳をぴこぴこさせながら喜んだ。
「このPコートは、
ルチャーナが商品の説明した。それは実際、高級品だった。ルチャーナはそのPコートを金貨五枚で売るという。金額を聞いて顔を青くしたツクシが粘りに粘って金貨二枚と銀貨四枚まで値段を負けさせた。ルチャーナは顔のシワを深くして渋っていたが、最後にはツクシのしつこさに根負けした。すべての会計を合わせると、ツクシは金貨三枚と銀貨が九枚、少銀貨八枚をルチャーナへ支払うことになった。大出費である。
メイド服の上に藍色のPコートを羽織って、チェック柄のマフラーを首に巻いたユキは、冬服を着た女子中学生のような風貌になった。ユキは十歳くらいらしい。来年、十一歳になるみたいである。猫人族は自分の年齢だとか苗字だと血筋だとか、そういう部分が大雑把なので、ユキは自分の年齢も適当な数字しか覚えていない。
何にしろ、中学生だとまだ少し早いか――。
ツクシが自分の左腕にまとわりつきながら歩くユキへ視線を送った。
顔を上げたユキは嬉しそうに微笑んだ。
バザール会場は軽食を売る屋台も出店していた。
ツクシとユキは匂いに釣られて、食べ物の屋台が並ぶ区画へふらふらと足を向けた。そこらで一番人気の屋台は何かを蒸した軽食を売っているようだ。
「ツクシ、あれ、すごくおいしいよ」
猫耳をピンと立て、瞳孔を丸くして、湯気がもうもうと立ち上る屋台を見つめるユキは、獲物を狙う顔つきだった。
「ふぅん、ユキ。あの屋台のものが食べたいのか?」
ツクシが剣帯右のポーチから革製の巾着袋を取り出した。これがツクシの財布である。開くと、そこにあったのは小さい銀貨と銅貨が数枚だ。金色の偉い硬貨は一枚もない。ツクシの財布は存在している意味がないほど軽くなっていた。
ツクシが顔色を悪くしていると、
「こんどはわたしがツクシに買ってあげる」
ユキが屋台の周囲にできた人集りのなかへ、ひょいひょい潜り込んでいった。戻ってきたユキは新聞紙に包まれた白い棒状の食べ物を手に二つ持っている。ツクシがひとつ受け取ると手にほかほか暖かい。蒸しパンのようだ。ツクシは白い棒状に噛みついた。蒸しパンのなかに具と肉汁がぎゅうぎゅう詰まっていた。
うん、これは肉まんだよな――。
ツクシが頷いたところで行進曲がバザール会場に流れだした。
「何事だ?」
ツクシが顔を向けると、バザール会場の中央に陣取った軍楽隊が演奏を始めていた。広場中央に設置された王国軍の天幕前に若者が並んでいる。
「ユキ、ひとがたくさん並んでいるあの天幕は何してんだ?」
モグモグしながらツクシが訊いた。
「しがん兵受付ちゅう――」
ユキが棒状肉まんに猫の牙を立てながら応えた。
「あの天幕前の立て看板にそう書いてあるのか?」
ツクシの声が低くなった。中年前後のツクシから見れば、まだ小僧っ子のような若い男たちが天幕前に並んで兵隊を――戦争を志願していた。TVのドキュメンタリー番組で何度もツクシが見たことのある若い顔が死地へ向かう受付に並んでいる。第一次世界大戦直前のヨーロッパを記録した古い映像だ。出征の見送りに集まったひとへ手を振りながら、笑顔で戦地に向かう若者たちである。今、ツクシの前にある行列は、それとまったく同様だった。若い顔の列は、「自分だけは、きっと大丈夫、生きて帰ってこれるさ」そういっていた。
その自信には何の根拠もない――。
「――うも」
モグモグしながらユキが頷いた。
「――ユキ、そろそろ宿へ帰るか」
視線を落としたツクシの脳裏にルチャーナの涙が浮かぶ。
「そうだね、ちょっと遅くなっちゃった」
暖かい食べ物をお腹に入れて頬を赤くしたユキがツクシに身を寄せた。
今日は王都の住民三百万超が新年を迎える準備をしている。
そういうわけだから、ユキとツクシの帰り道の通行人は、いつもの倍の数と速度で行き交っていた。気を抜くと誰かしらと肩がぶつかるような密度と勢いだ。忙しさは伝染する。集団のなかで誰かひとりが、「忙しい、忙しい!」と喚きだすと、隣にいるひとまで忙しくなったような錯覚を覚える。それを見ている他人も自分だけがノンビリしているのではないかという気分になってくる。突き詰めて考えれば本当に必要な用事など、そうたくさんないのであるが、それでも年末の忙しさというものは格別で、いくら巻き込まれまいと注意をしていても、流感のように伝染してくるものだ。バザールへ足を向けて想定外の出費を重ねてきたツクシも、この『年末だけ多忙症候群』に罹患したうちのひとりである。
肉まんを食べ終えたツクシが、自分の左腕に絡みつきつつ、棒状肉まんを頬張って歩くユキへ視線を送った。ツクシが眺めているのは、そのユキが小脇に抱えている赤頭巾ちゃんマントだ。新しい外套を買ったとき、「ユキちゃん、その古いマントはこっちで処分しとくかい?」とルチャーナが訊いた。ユキは少し考えたあとで、「持って帰る」と短くいった。他人から見ればぼろきれのようになったそのマントは、ユキの母親が生前、愛娘へ買い与えたもの――。
「――本当に良かったのか?」
ツクシは曖昧な表現で訊いた。
「んっ?」
ユキが棒状肉まんの包み紙代わりになっていた新聞紙をクシャクシャと丸めて、躊躇なく道端へ放り投げた。王都の住民は気軽に路面へゴミを捨てるので、どこの道を歩いてもまんべんなく薄汚い。
「外套を変えたが、その、何だ――」
ツクシは歩く道同様に言葉を濁して顔を歪めた。
「この新しいコートもマフラーも、わたし、大すき」
ユキはマフラーに口元を埋めて瞳を細くした。
「そうか、気に入ったか。そのコート、えらく高かったからな。気に入ってもらわないと困るぜ」
ツクシは口角を歪めた。
「古いの、どうしよ――」
ユキが小脇に抱えた赤マントへ目を向けた。
「仕立て直せば何かに使えるか? 例えば、そうだな、スカーフにするとか――」
ツクシはそういったものの、ユキが捨てるに忍びないと判断したこの赤いマントは生地が痛みすぎているように見える。
「わたしのママンはおさいほうも得意だったなー」
含み笑いでユキがいった。
何かを懐かしんでいるような笑みである。
「そうか」
強い奴だな、とツクシは思った。少しのきっかけで子供はぎゃんぎゃん泣き喚くものだが、ユキはそうではなかった。ただ、この猫耳美幼女は頭に血が上ると泣き叫んで暴れることも結構ある。もとい、よくある。猫人の血を半分受け継いでいるユキは感情の起伏がヒト族よりも荒い。このときは違った、というだけの話だ。
「それに、わたしのママンは頭が良くて、字がスラスラ読めて、それに、しょうふのお家(※娼館のこと)で一番きれいだった。わたし、大人になったらママンみたいになりたいな」
ユキがはっきりといった。
「おっ! おう。ユキ、そ、そういう仕事に就職したいと思うのはどうなのかな。おっ、俺自身はだな、そういう仕事をしている女に対して、それなりの敬意と感謝の心を持ち合わせているぞ。だけどなあ、やっぱりなあ、世間一般ではなあ――おい、ユキ、わかるだろ――!」
ツクシの顔がわかりやすく強張っている。
しばらく表情を消して、ツクシの必死な顔を眺めたあとで、
「それ、ちがうから。ツクシ、あのね――」
ユキは平淡な口調でいった。
「な、何だ?」
ツクシは睨むようにしてユキの幼い美貌を見つめた。
「――あのね、ツクシ。わたしのママンは自分のおしごと、あまり好きじゃなかったと思うんだ」
前へ視線を送ったユキは淡々とした態度である。
「ああ――」
俺はユキに何をいえばいいのか――。
ツクシは平静を装いながら、ユキの横顔から視線を外してうつむいた。
「でも、わたしはすき」
ユキがツクシの不機嫌な横顔に視線を流した。猫耳美幼女の流し目だ。ミュカレがこの仕草をよくやるので、近くで働いているユキが真似をするようになった。
「な、何だと!」
ツクシが顔を向けて怒鳴った。
また表情を消して、ツクシの必死な顔ををしばらく眺めたあと、
「ゴルゴダ酒場宿のおしごとのことだけど?」
ユキは平淡な口調でいった。
「お、おう。そうかそうか、それはいいことだな――」
ツクシの額に脂汗が滲んでいる。
「女将さんたちや、ギャングスタのみんなといっしょに、ずっと宿で働けたらいいな」
ユキがいった。しかし、汚れた路面を見つめてそういったユキは世間の荒波に揉まれて生きてきた女の子だから、それが儚い望みであることを知っているようにも見える。
「――そうか、ずっとか」
笑いも怒りもせずに、ツクシは低い声でいった。
「んっ」
ツクシの左腕にしがみついてユキが笑った。
ゴルゴダ酒場宿に帰るや否やだ。
「遅いじゃないか、どこで遊んでたんだい、忙しいのにさ!」
厨房から飛び出てきたエイダにユキが怒られた。ムッと気色ばんだユキは無言で横を向いた。不貞腐れた態度である。こういうときのユキを下手に取り扱うと起爆する。ぶすんと鼻を鳴らして怯んだエイダが、ブンムクれたユキの横で買い物袋を抱えて突っ立っていたツクシを思いっきり睨みつけた。
俺の所為じゃないぞ――。
ツクシもユキ同様に不機嫌な顔を横へ向けた。だが、お使いに余計な時間がかかったのは、間違いなくこの男の所為である。ツクシを見下ろす(エイダの身長は二メートルを超えている)緑鬼の視線は怒りで熱を帯びたまま目標から離れる気配がない。横を向いたツクシの頬に冷や汗がひとつ流れ落ちた。エイダは怒らせるとすごく怖い。何しろこの彼女はカントレイア世界で最強の力持ちと称されるグリーン・オーク族なのだ。立派な牙だって下顎から二本、上へ向かって生えている。
女将さんは横に太い体形だが、これは贅肉じゃあねェ。
全身が筋肉の塊だ。
これにブン殴られたら、俺は誇張抜きでぺしゃんこになる。
ここは何か言い訳を考えるか――。
顔を強張らせたツクシが色々と考えだしたところで、
「おや、ユキ。その外套は上物じゃないか。そんなのバザールで買えたのかい?」
エイダが驚いた顔を見せた。
「うん、ツクシに買ってもらった」
ユキがエイダを見上げた。
「ふぅん、ツクシがねえ。確かにユキのマントはボロボロだったけどねえ――」
この男が酒と女郎買い以外に金を使うのかね――。
エイダが胡乱な視線をツクシに送った。ツクシは気恥ずかしいのもあり、エイダの目が疑わしいものなのでイラッしたのもありで、不機嫌な顔を横へ向けたままだ。
「女将さん、わたしに似合ってる?」
ユキは真剣な顔で訊いた。
「――若い子が着るとなると、ちょっと色合いが地味かもねえ。でも、ユキにはよく似合ってるよ」
少し考えたあと、エイダがいった。
「そうだよね!」
ユキが笑った。
「うん、ウチは客商売だから、見栄えも大事さ!」
笑顔を返したエイダは怒りが消えたようである。ツクシから買い物袋を受け取ると、エイダがユキをつれて厨房へ消えた。エイダの奮闘で綺麗になった――そういっても、料理油が幾層にもこびりついた酒場宿は、ぴかぴかになったとまではいえない――ゴルゴダ酒場宿の正面出入口は開け放たれているし、厨房から旨そうな料理の匂いも漂ってくる。だが、不思議なことに席に座っている酔客は誰もいなかった。たまに、ここで働くギャングスタの少年たちや、アルバトロス曲馬団の面々がバタバタと出入りしているのみだ。怪訝な顔のまま、ツクシがカウンターの指定席に座ると、厨房からせかせかとミュカレがやってきてエールのタンブラーをツクシの前に置いた。
「ツクシ、お買い物、お疲れさまね」
「おい、今日は客が全然いないがどうした?」
ツクシは訊いたが、ミュカレはもう厨房に引っ込んだあとだ。ツクシは首を捻りながらタンブラーに口をつけた。冷たく乾いた冬の空気に水分を取られた喉には、いつものエールが、いつもより旨く感じられる。杯を干したツクシが酒場を見渡すと、時刻はちょうど陽が落ちる頃合で、差し込んでくる陽の光が濃い黄色になっている。いつもなら、ゴルゴダ酒場宿の酔客が分刻みで増える時間帯だ。しかし、客はひとりも来ない。静かな酒場は空気が澄んでいた。厨房であれこれと指示を出すエイダの太い声だけが聞こえる。
「まあ、たまには静かなのも悪くない――」
目を細めたツクシが空になったタンブラーを見つめた。
§
午後の十時を少し回った時刻になっても、ゴルゴダ酒場宿のホールにいる酔客は四人だけだ。
「こんなに静かな夜は
ツクシが空にした杯を卓に置いた。
ことん、とその音が響くほどの静けさである。
「今日は
そう呟くようにいったのは、ツクシと同じ赤ワインの杯を舐めていたヤマダである。
「ツクシさん、この日のこの時間は王都の住民のたいていが、エリファウス聖教会館にいるんですよ」
この発言は太いワイン・ボトルを持った悠里だ。
嬉しそうな顔をしたこの彼が、ツクシの杯が空くたびにお酌している。
ツクシは甲斐甲斐しく自分の世話を焼こうとする悠里を、なるべく視界に入れないよう不機嫌な顔を真正面へ向けたまま、
「年越しの大念仏でもやっているのか?」
「うーん。そういわれると聖教会が年越しにやっているのは、除夜の鐘みたいなもんっすかね」
ヤマダが大皿に盛られたおつまみへ手を伸ばした。大皿に盛られているのはオリーブの塩漬け、クリーム・チーズをドライ・ソーセージで巻いたもの、ザワークラウト(※キャベツの発酵食品)を使ったコールスローサラダ。それに、芽キャベツの素揚げだった。眉間に谷を作ったヤマダが自分の小皿へフォークを使って移したのは芽キャベツの素揚げである。それは、塩とコショウだけのシンプルな味付けで、噛むと極若いキャベツの濃い甘みが口内に広がり、そのあとで舌の上に青い苦味が少し残るものだ。芽キャベツは大きなキャベツとはまた違う味わいの品である。
パメラさんも料理の腕は悪くない。
しかし、プロの料理人のセイジさんにはとても敵わない。
対抗するために、せめて、ゴルゴダ酒場宿の食材の仕入れ先だけでも知りたい。
しかし、商売敵に教えてもらえるものなのだろうか。
何か作戦を練らなければなるまい――。
芽キャベツを噛み砕くヤマダは厳しい表情を見せている。
「確かに年が明けると聖教会の鐘が鳴りますよね。でもあの鐘は新年を祝うためであって、厄を払うためじゃないらしいですよ。ツクシさん、エリファウス聖教徒は年明けに布教師から再洗礼を受ける習慣があるんです」
そう教えながら悠里が自分の杯へワインを注いだ。
ツクシはワインの杯を干して、
「ああ、
「ええ、ツクシさん、普段大して信心深くない連中も、大晦日だけは聖教会へ集まりますから人数はかなり多いですよ。建物のなかへはとても入りきりません。たいていのひとは聖教会館の表の広場で布教師から再洗礼を受けます。ま、建物の中へ入れるのは前もって席を予約した金持ちだけですね。あはっ!」
悠里が笑った。悠里とヤマダはこの世界で丸一年暮らしているので、タラリオン王国の年中行事に詳しい。
「ああ、区役所前の広場を使うのか。確かに、あそこなら大勢が押しかけても屁でもないな。しかし、真夜中にこの寒空の下で待つのかよ。ご苦労なこった――で、赤髭野郎、お前は何で
ツクシはおつまみを忙しなく口に運びつつ赤ワインをガブ飲みしているゴロウへ目を向けた。
馬が餌を食っているような勢いだ。
「俺ァ、聖教会に行くのは、ちょっとなァ――」
食い物を口に入れたままゴロウが髭面を曲げた。
「ああ、ヤブは使えねェから聖教会をクビになったんだよな」
ツクシはふんと鼻で笑った。
「クビじゃあねえ。こっちから三行半を突きつけたんだ」
ゴロウは唸って返したが、ツクシも承知の上で煽っている。
毎度のことだ。
「――あっ、もうないや。早いなあ、あはっ」
悠里は空のワイン・ボトルを振って見せた。ツクシ、ゴロウ、ヤマダ、悠里。この四人がゴルゴダ酒場宿で胴体の太い赤ワインのボトルを飲み回していた。ツクシとゴロウが張り合うようにして杯を空けるので、その特大ワイン瓶は三十分もしないうちに空になった。
「あっ、セイジさん」
悠里が声を上げた。
椅子に座っていても視線の高さがさほど変わらない。
椅子に座る悠里の顔の横にセイジの黒い髭面がある。
「みなさん、男の手ですいません」
セイジが一言断ってワイン・ボトルのコルクを抜いた。特大の芋虫が五本ついたようなドワーフの手作業だがワインのコルクが割れることもなく器用なものだ。
「珍しいな、セイジさんが料理を運ぶなんて。女将さんたちはどこへ行ったんだ。さっきから揃って宿にいないようだが――」
おやと表情を変えたツクシが訊くと、
「宿のものは皆、聖教会へ行っていますよ」
セイジがツクシの杯にワインを注ぎながら応えた。
「ああ、悪いな、セイジさん。へえ、グリーン・オーク族だとかエルフ族だとかも信者なのか、そのなんちゃら聖教?」
ツクシが赤ワインの杯を傾けた。
「ツクシさん、エリファウス聖教ですよ」
お酌の仕事を盗られた悠里が無表情でセイジを見つめている。
「ああ、それだ、それ、エリなんとか教な」
杯に口をつけながら、ツクシはぞんざいな返事だ。
「そういうわけでは、ありませんがね」
セイジがボトルを卓へ置くと、ドワーフ族同様にごついゴロウの手が横からにゅっと伸びてきて、それを掴んだ。
ツクシに顔を寄せた悠里がきらきら笑いながら、
「ツクシさん、エルフ族は四大精霊信仰ですし、グリーン・オーク族は太陽神を崇めています。ドワーフ族は土のですね――」
「ああ、悠里、そういうのは聞きたくない。すぐやめろ。それ以上くだらねェことを駄弁ったら、この場でぶっ殺すぜ」
ツクシは悠里の笑顔を横目で鋭く睨んだ。殺すといっても
「信者とは違いますね。取引先との付き合いがありますから、誘われると断れんのです」
セイジは大地の奥底から響くような声だ。
ツクシの声質も低いほうだが、セイジには負ける。
重ねた年齢の重みか。
それとも、ドワーフ族の男はみんなこういう声なのか。
いや、ヤマさんの会社の贅肉ハゲ親父(※ボルドン・バルハウスのこと)もドワーフ族だが、セイジさんみたいな貫禄はないよな――。
ツクシはそんなこと考えながら、セイジの黒い髭面を見やって、
「なるほどな、商売上の付き合いか。女将さん、そういうところもちゃんとやってるんだな。セイジさんは一人で宿にいるのか?」
「ええ」
セイジが頷くとまるで岩石が動いているような有様だ。
「ああ、やけに静かだと思ったら、ここの
ツクシが杯を呷った。
「いえ、マコトは銭湯の釜炊きをやっています――ああ、ゴロウさん、手を煩わせて、申し訳ない」
セイジはワインの空瓶をゴロウの手から受け取って頭を下げた。
「一人だけ残って働いているのか。
ツクシは空にした杯を卓に置いた。グェンの死後、ゴルゴダ酒場宿周辺にいる浮浪児を取りまとめているのはマコトだ。「マコト兄貴は
今年は本当に色々なことがあった――。
ツクシの口角が赤ワインの渋みと自虐を含んで歪んだ。
「セイジさん、あの、この芽キャベツの仕入れ先なんすけど――ええ、いや、あれ? セイジさんは聖教会へ行かないんすか?」
ヤマダが質問の内容を途中で変えた。
「ああ、俺たちがここで飲んだくれている所為か。セイジさん、何だか悪いな――」
ツクシが顔を歪めた。
「いえ、ツクシさんさん、どのみち、この時期、私は
四人だけの客にセイジが背を向けた。
「――ん? セイジさん、新しい料理ってどんなのですか?」
ツクシへお酌しながら悠里は訊いたが、セイジの姿はもう厨房へ消えたあとだ。
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