三節 新たな望み(壱)

 黒竜月の最終日。

 本日は王都の大晦日だ。早朝からゴルゴダ酒場宿は騒がしく、例によってカウンター席に陣取ったツクシは落ち着かない。裏手の倉庫から梯子を引っ張りだしたエイダが煤払いだといってハタキを振り回すと、ツクシのタンブラーのなかに埃がパラパラ落ちてくる。貸し部屋へすごすごと退散したツクシは、部屋の掃除でもしようかなと考えた。そこで貸し部屋の扉がバンッと乱暴に開いた。飛び込んできたのは、バケツと雑巾とブラシ、粉石鹸だのワックス缶だの――お掃除セットを抱えたミュカレだ。

「今から部屋の掃除をするから、ツクシはすぐに出ていって、邪魔!」

 ミュカレは鬼気迫る顔で命令した。長々としたプラチナ・ブロンドの髪が今日は乱れている。髪を整える暇もないほど忙しいようだ。反論できる気配ではない。しかし、宿を出て行けといわれても、ツクシはどこも行くアテがない。ツクシは目を泳がせて開けてあった窓を見やった。

 真冬なので風は冷たいが空は晴れ渡って本日は快晴である。

 ツクシは宿の裏手で日向ぼっこをしながら、読めない異界の新聞を眺めることにした。その宿の裏手の広場で、アルバトロス曲馬団の面々が荷馬車の幌を張替えるといってドタバタやっている。ツクシがどこへ行っても、みんながみんな忙しそうにしていた。

 王都新聞で顔を隠したツクシが気まずくなってきたところで、猫耳をぴょこぴょこさせながらユキがやってきて、

「今から買い物に行くから、ツクシも一緒について来て」

 これも命令である。普段、宿の備品の買出しはエイダとマコトの担当だが、今日はみんな忙しくて、手が空かないという話だった。暇を苦にしていたツクシはユキの申し出を快く了承した。

 王都は人口三百万超を抱えるカントレイア世界最大の都市――といっても、物品の流通は前時代的だ。物流の速さと量を保障する交通機関が、カントレイア世界ではまだ発達していないのである。王都には様々な種類の品物を集めた大きな店舗――百貨店のような形態の大型店はひとつもない。何かを購入したければ、小さな専門店を巡って歩くか、王都各区の区役所前広場で月に何回か開かれるバザールへ足を向ける必要がある。王都に数ある小さな専門店へ市場の動向を知らない素人が買い物に行くと、えらい金額をボッたくられるのがオチだ。専門の商売人から不要な物を売りたい素人までが集まって、大量のモノが売り買いされるバザールで値段を比べて吟味をしつつ、買い物をするほうがお得といえる。

 バザール会場に向かって歩いている最中、

「ツクシ、バザールではスリに気をつけて。とくに年末はすごくひとが多いから」

 ユキがツクシへ注意喚起した。ツクシは返事の代わりに口角を歪めて見せた。一時間ほど北西へ歩いて辿りついた区役所前の噴水広場――バザール会場は見渡す限り出店とひとの波だった。寒風が風切り音を鳴らす冬の大空へ客と売り手の熱気が白く立ち上っている。ツクシとユキはバザール会場を回って、業務用の粉石鹸だとか、急に入用になった香辛料の類だとか、細々としたエイダ所望の品を買い込んだ。

 目的のものを手に入れて帰る段である。

「足を向けたついでだ。ユキは何か入用なものがないのか!」

 買い物用の布袋を右腕に抱え、左腕はユキにまとわりつかれたツクシは大声で訊いた。周囲の喧騒が大きくて、声を大きくしないと伝わらない。

「んー」

 ユキは曖昧な返事をした。

 ツクシが腰を屈めて、

「ユキが着ているそのマントとか、もうボロボロじゃないか。新しいのいらんか?」

「このマント、わたしのマンマが買ってくれたの」

 ユキは淡々としたもので態度にも口調にも非難している調子はない。しかし、鋭く叱責された気分になったツクシは視線を石畳へ落とした。

 ユキの母親は他界しているし、その他の親類縁者もいない――。

「――でも、もう代えていいかも。わたし、前よりずっと背が伸びたから、マント小さくなったし。あっ、ツクシ、向こうに服を売っている出店があるよ!」

 ユキが指を刺した先に服の出店が並ぶ区画がある。

「そうか、小さくなったか。ユキは育ち盛りだからな。じゃあ、ちょっと見ていくか」

 ツクシとユキは服飾を取り扱う屋台が並んでいる区画へ足を向けた。


「――わっ、きれいな服がいっぱい!」

 ユキが出店のひとつの前で足を止めた。

「この店はどうも古着屋じゃなさそうだな。洋品店が出店しているのか?」

 ツクシも足を止めた。その出店は子供用から大人用までサイズがあって品揃えが豊富だ。商品はどれもヨレた感じがない。

「うん、全部、新品だね!」

 ユキは琥珀色の瞳をきらきらさせている。

 この出店には少々値段が張りそうな品物ばかり並んでいるようだが――。

「――よし、俺がユキの外套を買ってやろう」

 ツクシはちょっと迷ったが意を決して宣言した。

「新品の服はたかいよ。ツクシ、だいじょうぶ?」

 驚いた顔のユキが猫耳をぴょこたんさせた。物品が供給過剰とまではいかない王都で新品の衣類は結構お高いのだ。

「今回はネスト探索の稼ぎが多かったからな。いつもより女将さんにお小遣いだって多くもらってきたぜ。心配するな」

 ツクシが口角を歪めた。三十路の山をいくつも越えた男やもめがお小遣い制度とは、どうにも情けない話であるが、ツクシはこの生活にもう慣れた。自分の資産を他人の手でいいように管理されることをもう何とも思っていない。「今回はお小遣いを多くもらった」そういったツクシの顔には屈託がなかった。慣れとは恐ろしいものだ。

「――そこのお兄さん、お嬢ちゃん。ささ、商品を手にとって見ていってよ。『仕立て屋クチュールマルディーニ』は、品質もデザインも王都一番さ。もっとも、本店があるのは一番区でなくて十三番区なんだけどねえ、い、ひっ、ひっ!」

 出店の奥で丸椅子に腰かけて、火鉢に手をかざしていた老婆が来客に気付いて、気味悪い声で笑った。

 この老婆が店主のようだ。

「へえ、婆さんは十三番区の商店街に店を構えているのか?」

 ツクシが商品の列へ視線を巡らせた。

「そうだよ、普段、バザールに出店しない。けれど、年末は稼ぎどきだから、特別さ。ここに来たあんたらは運がいい。必ず満足するものが見つかるよ。あたしは店主のルチャーナ・マルディーニだ。亭主が逝っちまってからは、あたしが店の主をしているのさ――いっ、ひっ、ひっ!」

 店主のルチャーナは灰色の長い髪を後ろで丸くまとめて、金ぶちの丸眼鏡を大きな鼻に引っかけた痩せぎすの老婆だった。年齢は七十歳を超えているように見える。確かに服屋の主人というだけあって、ルチャーナの着ている服は上品だった。しかし、深いシワの刻まれた顔にあからさまな作り笑いを浮かべ、背を丸めているその様子は、ヒト族というよりゴブリン族に近い。どう見ても底意地が悪そうだ。

 どうにも、一癖、二癖ありそうな婆さんだよな――。

 ツクシは警戒をしつつ、ハンガーで吊るされていた茶色いダッフル・コートを手にとって、

「うん。ユキ、このフードにふさふさがついたダッフル・コートはどうだ? 少しサイズが大きいか? でも、すぐに背が伸びるだろ?」

 眉を寄せたユキがツクシが推薦したダッフル・コートをむぅと見つめた。それは薄茶色の、フード周りと裾に白いファーがついた外套だ。作りはしっかりしているものの、あまり飾り気がない品物である。それでも、ユキはツクシが選んでくれたものだからという補正効果付きで、「それがいいかな――」と首を縦に振った。

「――ほっほっほっ。お兄さんは流石にお眼が高い。それは正真正銘のウェンディゴ革で拵えたダッフル・コートですよ、うーひっひっ!」

 膝掛けを脇に置いたルチャーナが、丸椅子から老人の動作で立ち上がった。

「ウェンデ? それって何だ?」

 ツクシが眉根を寄せると、

有角雪毛馬ウェンディゴ・エポの革ですわい、高級素材ですわい。いひっひっ!」

 満面の笑みのルチャーナが擦り寄ってきた。

 ツクシは目が全然笑っていないルチャーナの笑顔を胡乱な目で眺めている。

「――ユキはこの革を知っているか?」

 この婆さんは信用ならん――。

 そう判断したツクシは横で猫耳をぴこぴこさせていたユキへ話を振った。

「うん、ウェンディゴ・エポは馬だよ」

 ユキがツクシを見上げた。

「へえ、これは馬の革のコートなのか――」

 そう納得した様子を見せたが、革製品の優劣など、ツクシにさっぱりわからない。

「ひっひっひっ。お兄さん、値段は勉強させてもらうよ?」

 シワだらけの顔にひからびた笑みをこびりつかせたまま、ルチャーナは油断なく目を光らせている。

「で、婆さん、このダッフル・コートの値段は?」

 ぼったくるつもりなんだろうな、

 そう思いながらツクシが訊くと、

「負けに負けて――金貨十二枚だ!」

 ルチャーナが強い調子で応えた。

「――あぁん? ババア、子供用の外套が金貨十二枚?」

 ツクシは本気で殺気立って唸ったが、

「いやいやいやいや。安い、これは安いよ、お兄さん。魔帝国との戦争が始まって以来、雪毛馬の革は品薄だからね、えっひっひっ!」

 ルチャーナはシワの笑顔を崩さない。

 ツクシは無言でルチャーナを睨みつけた。

 不機嫌な顔とシワの作り笑いに挟まれて突っ立っていたユキが痺れを切らして、

「ツクシ、雪毛馬は寒い場所にすんでいるから、白くて長い毛がいっぱい生えてるの」

「なるほど、それで雪の毛の馬か。そのままだな。婆さん、このフードと裾についた白いファーはその馬の毛を使っているのか?」

 ツクシが不機嫌に訊いた。

「ええ、ええ、そうですとも。雪毛馬の革と毛で拵えた外套は一生モノですよ、お兄さん」

 ルチャーナは作り笑いの上に揉み手を加えた。

「一生モノってなあ。このサイズは子供用だろ? それが金貨十二枚かよ」

 ツクシが顔を歪めた。金貨十二枚はツクシの財布にある金額の三倍以上だ。しかし、「俺が一枚買ってやる」と大きく出てしまった手前、引くに引けない気分でもある。

 苛々しながらツクシがルチャーナを睨み続けていると、

「猫の毛」

 ユキがいった。

「ん、なんだ、ユキ?」

 ツクシが見やると、ダッフル・コートにユキが鼻を近づけてくんくんやっている。半獣人ルー・ガルーのユキは聴覚と嗅覚がとても鋭い。

「――ああっ!」

 ルチャーナの顔から作り笑いが消えた。

「これ、猫の毛」

 ユキがツクシを見上げてはっきりいった。

「――へえ、婆さん、この白い毛は猫から剥いだのか?」

 口角を歪めたツクシが目を向けると、

「猫人は鼻がいいねえ――」

 ルチャーナは顔を背けた。

「婆さん、俺たちをカモにし損ねたな。どうせ、革もその高級な毛馬とやらじゃないんだろ。これは犬の革か何かなのか、あぁん?」

 ツクシは凄んだが、

「小坊主、変ないいがかりはよしな。それは正真正銘、赤牛の革さ!」

 臆面もなく開き直ったルチャーナはツクシを小坊主呼ばわりだ。確かにルチャーナから見れば、ツクシなど小坊主のような年齢ではある。

「何が正真正銘だ、クソババア。それで、このダッフル・コートは正味いくらなんだ?」

 毒を吐きつつ、ツクシが交渉を再開した。

「金貨六枚だ」

 面倒そうに告げると、ルチャーナは丸椅子に腰を下ろし、火鉢の前で老木のような手を擦り合わせた。

「婆さん、いいとこ金貨一枚と半分ってとこだろ。それだって、子供用の外套一着としては、いいお値段だぜ?」

 客の手に持たせたまま店主が背を見せるていどの品物だから、本当ならもっと安いかも知れんよな――。

 ツクシは訝っている。

「それじゃあ商売にならないよ。泣いて泣いて金貨五枚と銀貨が六枚だね」

 ルチャーナはツクシに視線すら寄越さない。大概な接客態度であるが王都の商売人は誰でもこんなものなので、ツクシは憤る気にもならなかった。

「――ユキ、本当にこれが欲しいか?」

 少し考えたあと、ツクシが訊いた。

「猫の毛はぜったいやだ」

 ユキは即答した。

「だよな。お前にとって猫は兄弟みたいなものだろ。ユキ、他の店を見て回るか?」

 ツクシが物干し竿へダッフル・コートを戻すと、

「ちょっと、お兄さん、お嬢ちゃん、ここで何かを買っていっておくれよ! そうでないと、あたしは年を越せないじゃないか!」

 ルチャーナが突然、哀れっぽい声を出した。

手前てめえの都合なんか俺の知ったことじゃあねェよ。他所よそを当たれ、婆さん」

 ツクシの口角がぐにゃりと歪む。

「非道いねえ、貧しいものに施さないと、善い新年にならないよ、アンタ!」

 ルチャーナが唇を尖らせた。

「何をいってやがる、高そうな服ばかり並べやがって、この欲ボケババァめ――」

 ツクシは踵を巡らせたが、

「まって、ツクシ」

「あ?」

 生返事と一緒にツクシが振り返った。

「あのマフラー好きかも」

 ユキは出店の奥に何本かぶら下っているマフラーを見つめている。

「おい、婆さん、奥にぶら下っているマフラーも、そこいらの猫の毛を引っこ抜いて編んだのか、あ?」

 ツクシが不機嫌に訊くと、

「あれは羊の毛糸だよ! アンタの目は節穴なのかい?」

 ルチャーナはもっと不機嫌に応じた。

「信用ならねェんだよ、このクソババア――」

 ツクシがルチャーナと視線を闘わせた。ツクシは面構えが非常に悪く、これが凄むとヤクザだとかマフィアの鉄砲玉にしか見えないのだが、ルチャーナのほうも負けてはいない。亭主の残した店を老いた女手ひとつで守ってきた意地である。中年男と老婆の激しい睨み合いを他所に、ユキはマフラーを見つめていた。

 マフラーていどで満足するなら俺の財布は助かるが――。

 ツクシはそう考えながら、ルチャーナの険しく老いた顔から視線を外して訊いた。

「あの赤い色のやつが欲しいのか?」

 ユキは頭と猫耳をふるふる振って、

「ちがう。薄い茶色の」

「あのベージュのチェック柄か?」

「うん。あれが好き」

 ユキが頷いた。

「随分と渋い趣味だな――」

 女子中学生や女子高校生が制服の外套に合わせそうなデザインだ――。

 ツクシはそう思った。

 そのやり取りを黙って聞いていたルチャーナが、

「猫人のお嬢ちゃんは、あのマフラーを買ってくれるのかい?」

「お婆さん、わたし、猫人じゃないよ。半獣人ルー・ガルー。名前はユキ」

 ユキが丸椅子の上で丸まっているルチャーナへ視線を送った。

「そうかい、ユキちゃんは半獣人だったのかい。大きくて綺麗な目だ。猫の血が随分と強いみたいだねえ――どれどれ、これでいいのかい?」

 ユキの強い瞳に促されるような形で、丸椅子から立ち上がったルチャーナが店の奥に下がっていたマフラーの一本を手にとった。

「うん、お婆さん、わたし、それがすき」

 ユキが頷いて笑った。

「婆さん、そのマフラーはいくらだ」

 ツクシが訊くと、

「本当なら二枚は取りたいところだけどね。ユキちゃんに免じて一枚と半分でいいよ。感謝しときなよ、チンピラ!」

 ルチャーナはツクシへ貫くような厳しい視線を送った。

 反応してむっと不機嫌になったツクシが、

「おい、ババア、ふざけるなよ。マフラー一本で金貨一枚に銀貨が五枚だと?」

「何をいっているんだい、この唐変木とうへんぼくは。銀貨一枚に少銀貨が五枚だよ。疑り深い男だねえ――」

 ルチャーナはシワクチャの顔を歪めた。

「ほんとうに、ツクシが買ってくれるの?」

 ユキの表情が硬かった。

子供ガキに金を出させるわけにもいかんだろ――」

 ツクシは渋い顔である。ユキはゴルゴダ酒場宿で働いて得た賃金(三食宿つきの労働環境なので多くはもらっていないようだが――)を持っているので、無一文というわけでもない。むしろ、万年金欠のツクシより財布の中身が重いのかも知れない。ユキは毎日宿の仕事で忙しく遊びに金を使う暇がないし、本人も遊ぶために金を使う気がない。それでいてユキが不幸というわけでもない。屋根のある場所で、ベッドの上で眠れて、腹いっぱい食えるの住み込み労働生活は元浮浪児のユキにとって何の不満もない環境である。

「んっ」

 ツクシに見せたユキの明るい笑顔はそう断言していた。

「――ほれ、婆さん、金だ。そのマフラーをくれ」

 この業つく婆さんに儲けをやるのは気に食わないがな――。

 ツクシは不機嫌な態度で、ルチャーナの鼻面へいわれた額の硬貨を突き出した。ギシギシと関節から音が鳴りそうな老婆ではあるが、しかし、滑らかな動きでツクシの手から対価を受け取ったルチャーナは、金額に間違いがないことを確認したあと、前掛けのポケットへ小銭を突っ込んで、

「そうかい。ユキちゃんは、このマフラーが本当に気に入ったんだねえ――」

 視線を落としたルチャーナの老いた肩が震えだした。

「な、何だよ、婆さん。ぼったくり損ねて、そんなに悔しいのか?」

 ツクシの声が甲高くなった。

「――あたしの息子に、これと同じ柄のマフラーを持たせたんだ」

 顔を上げたルチャーナの目元が光っていた。老婆の涙はこぼれ落ちる力もないのだろうか。ひび割れた目元にその涙はじわりと滲んでいた。

 ユキも驚いて目を丸くしている。

「息子? ああ、婆さんには息子がいるのか?」

 ツクシが顔を引きつらせた。

「大陸の北は王都よりずっと寒いだろうから、あたしはこのマフラーを息子に持たせたのさ。手袋も靴下も厚くて上等で丈夫なものをね。毛糸の腹巻だって持たせたよ。息子あれは嫌がってたけどね。ま、今頃は母親あたしに感謝をしてるさ。北は寒さが厳しいだろうからねえ。ひっ、ひっ、ひっ――」

 ルチャーナは弱々しく笑った。

「何だ、驚かせやがって。婆さんの息子は仕事か何かで北へ出張中か?」

 この寒空の下、孤独な老人の身の上話を長々と聞かされる羽目になるのか。

 勘弁してくれ、辛気臭ェ――。

 そんな感じで身構えていたツクシは肩の力を抜いた。

「あたしの息子は陸軍の兵隊なんだ――」

 ルチャーナがうつむいていった。

「――ああ」

 ツクシは気の抜けた返事をした。

「息子がね。二ヶ月も手紙を寄越さないんだよ――」

 ルチャーナが小さな声でいった。

 ツクシもユキも視線を落として沈黙した。

 タラリオン王国は戦時下にある――。

「――孫がさ」

 ルチャーナが顔を上げた。

「ああ、婆さんは孫がいるのか――」

 ツクシは少し気が楽になった。ルチャーナはまるっきり孤独な老人というわけではなく、身寄りがあるようだ。

「うちの孫も、ユキちゃんくらい可愛く育つと嬉しいね」

 ルチャーナがユキへ顔を向けた。ユキは笑顔を見せた。お得意の作り笑いだ。だが、作り笑いにも種類がある。ユキが作った笑顔は他人の気分を害するものではない。

「こっちへおいで、ユキちゃん」

 ルチャーナは曲がった腰をさらに曲げて呼んだ。

 ユキが身を寄せると、その首にチェック柄のマフラーをくるくる巻いて、

「――あったかいだろ。あたしの編んだマフラーは正真正銘の防寒具なのさ」

 ルチャーナはシワだらけの笑顔を見せた。

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