八章 闇からいずる龍人

一節 王座の街(壱)

 ツクシ、ゴロウ、ヤマダ、リュウ、フィージャ、シャオシンの計六人で編成されたネスト探索団――ネスト管理省の登記名でネスト・ダイバー九班は、ネスト地下九階層の西区画を探索中である。

「こりゃあ、一体、どういうこったァ――」

 ゴロウがエイシェント・オーク・スパルタンの死体の前で目を丸くした。

「やはり、死体でしたか――」

 フィージャが構えていた両手の戦闘爪バグ・ナウを下ろした。石壁へ背を預けるような形で絶命したスパルタンの所々さびの浮いた装甲鎧の切れ間から流れ出した血は、もう黒く固まりかけていた。今から一ヶ月前、ネスト制圧軍団へ乾坤一擲の反撃に出たエイシェント・オークの軍勢は、ヒト族とワーラット族の連合軍の手でネスト下層へ押し返された。現在、エイシェント・オークは小集団に分かれて活動をしている。それでも、ネストの内部で顔を合わせれば危険な存在には違いない。

「――この道は他の奴らに先を越されているのか?」

 不機嫌にいったのはツクシである。

 ゴロウが懐から八卦鏡のような道具を取り出した。

「地図はどうっすか? ゴロウさん」

 ヤマダが導式機関弓を背負い直しながら訊いた。

「ヤマ、地図の表示だと、ここいらはまだ未探索区なんだけどなァ――?」

 ゴロウの手にある八卦鏡のような導式具からはネストの立体地図が投射されている。探索者にはネスト管理省からこの導式具が貸し出される。この道具の正式名称を『小アトラス』というが、たいていのネスト探索者はこの道具を『地図』だとか『ネストの地図』だとか略称で呼んでいる。

「『大アトラス』へまだ報告をしてないだけだろ。クソッ、冗談じゃねえ、今回も稼ぎはなしか?」

 ツクシは全力でゴロウを睨んだ。ツクシのいった「大アトラス」とは、ネスト探索者が集めた小アトラスで集めたデータを集積するネスト管理省の情報統合器のことだ。ネストにある未探索区のデータを小アトラスに記録し、ネスト管理省天幕にある大アトラスへネストの地形データを提供すると、そのデータの量に応じて探索者へ賃金が支払われる。これがネスト探索者のやる仕事の大まかな流れになる。

「ツクシ、壁にも床にも血痕があるぞえ。死んだスパルタンは、ここで『何か』と戦ったようじゃな――」

 壁をみやるシャオシンは身体の周辺にいくつも光球を作っていた。ネスト探索を始めるとこのシャオシンの能力が判明した。ホァン・シャオシンは導式の担い手なのだ。ネスト未探索区は照明どころか光がない。シャオシン、ゴロウ、リュウが、彼らが持つ特別な技術を使って照明を作っている。もちろん、松明なり導式カンテラなり他の照明を使う手段もある。だが、危険なネストでは進行方向の遠くへ光を投射できる導式を使った照明に頼ったほうが安全だ。導式で作った光は強く持続時間も長い。シャオシンはこの照明役を積極的に買ってでた。陰陽導師ホァン・シャオシンは照明用の光球を作るのも得意だが、他にも様々な奇跡の力を扱うことが可能だと、以前、本人が得意気にツクシへ語った。もっとも、シャオシンは異形種と戦ったことがない。エイシェント・オークと遭遇した際は、そのたいていをツクシの魔刀が処理をする。シャオシンはフィージャの背後に隠れて震えているだけだ。

「冒険者崩れの腰抜けどもが、このスパルタンを殺ったのか?」

 ツクシがシャオシンを見やった。返事はない。大通路と比較すれば狭い小路の(それでも道幅は十メートル以上、天井は見上げるほど高いネストの小路――)方々へ、「クァン、クァン(※広がれ、広がれ)」と囁きながら光球を飛ばすシャオシンは、自分の作業に集中していた。

 益々機嫌の悪くなったツクシが闇の濃い進行方向へ視線を送ったところで、

「ヴァオ!」

「ヴオォア!」

 奥からエイシェント・オークの咆哮が聞こえた。

「あぁんッ!」

 ツクシが吼え返した。ネスト管理省は先に探索作業を終えた集団を優先して報酬を支払う。小アトラスにはネストの地形データとともに、そのデータを作成した日時も記録される。簡単にいえばツクシたちが現在探索中の道に先行者がいると、ネスト管理省からお金はもらえない。

 いつも金のないツクシはさっきから苛々しっぱなしだ。

「シャオシン!」

 リュウが呼びかけて、

あい、了解じゃ!」

 照明用の光球を二個、三個、シャオシンが通路の奥へ飛ばした。その光球が着弾した先で白い光が闇を除けると通路奥まで視界が確保される。

 見えるところに敵影はない。

 フィージャが鼻先と獣耳を動かしながら、

「ツクシさん、先にいるのは三体です。二体は恐らくスカウト。一体は不明ですが、これは遠ざかっていきます」

「おい、ツクシ、どうする?」

 困り顔のゴロウが訊いた。進行方向に正体不明の何かがいる。ゴロウは赤い髭面の筋骨逞しい大男だが事に当たるときは、その見た目に反して慎重派だ。

 気が小さいともいう。

「ゴロウ、こっちも死活問題だからな。もうこの際、先行している奴らもドサクサ紛れにぶっ殺してやるか。なぁに、ネストのなかで誰を何人殺ってもわかりゃあしねェさ。クククッ!」

 ツクシは魔刀ひときり包丁を引き抜いて口角をぐにゃりと歪め、とびきりの悪い顔だった。

 強盗殺人の予告である。

「ひ、ひいっ!」

 シャオシンがツクシの本気を目撃して悲鳴を上げた。シャオシンはネストの探索へはしつこく参加を要請したが犯罪に加担するつもりは全然ない。

「ツクシさん、早まらないで!」

 やるといったら、必ず、このひとはやる――。

 フィージャが野生の直感で確信して叫んだ。

「ツクシ、それはいかん、それだけはいかん!」

 リュウが背の龍頭大殺刀へ手をかけてまでツクシを止めようとした。しかし、その時点でツクシは通路の奥に向かって走っている。「くっ!」と、顔を歪めて振り向いたリュウが走るツクシへ視線を送った。その背で外套がひるがえっている。

 全速力である。

「おっ、追いましょう、ツクシさんを追って食い止めましょう!」

 顔色を変えたヤマダがツクシを追った。

「おい、ツクシ、落ち着け、落ち着けよォ!」

 ゴロウも喚きながらツクシの背をドタバタ追った。三人娘も慌ててあとを追う。

 走り方はドタバタ汚いがゴロウは結構足が速い。

 鮮血で濡れて赤く色づいたネストの通路に、暗い色調の戦闘服一式で身を包んだツクシが魔刀を片手に独りぽつねんと佇んでいるのを見たゴロウは、あァこれは手遅れだ、まーたツクシがひとを殺っちまった、そう思った。

 どう見ても殺人の起こった現場である。

 もう、急ぐ必要はねえなァ――。

 足から力が抜けたゴロウが歩いてツクシに近づくと、

「ああ、クソが! ゴロウ、やっぱり、ここいらの道は他の連中に先を越されているぜ!」

 すごく苛々とした口調でこういわれた。

「あァ、こいつら、ひとの死体じゃあねえんだなァ――」

 ゴロウは拍子抜けした顔になった。先行したツクシが睨んでいたのはスカウト二体の死体だ。一体は女性で首を切り裂かれている。もう一体は男性で顔面が叩き潰されていた。

「――こ、今度はスカウトの死体じゃな。ツクシのワザかえ?」

 遅れて走り寄ってきたシャオシンが、辺り一面血まみれの光景を見て顔を青くした。

「いや、シャオシン。俺が来たときは、もう終わってたぜ」

 ツクシの右手から下がる魔刀は血に濡れていないので嘘ではなさそうだ。

「だが、流れている血は新しい。スカウトが持っていた松明もまだ床で燃えているな――」

 そういったのは現場に到着したリュウである。

「――ん? みなさん、これを見てください」

 鼻先をくんかくんか動かしながら周辺を警戒していたフィージャが、石床の上に何かを発見した。

「なんぞ、フィージャ?」

 シャオシンが奇跡の光を指先から広げて、通路に作った照明をさらに明るくすると、

「これはどうも足跡っすよね――?」

 腰を屈めたヤマダが黒ぶち眼鏡のつるをつまんだ。

「ああ、やっぱり先行がいたかよ。結局、今回も骨折り損か、クソ!」

 ツクシは先行者の存在を確信して唸った。

 ヤマダの横にきたゴロウが、

「あ、あんだァ、これ?」

「きょ、恐竜の足っすかね?」

 ゴロウとヤマダが石床についた足跡をまじまじと見つめた。そこにあったのはトカゲのような足跡だった。足の指が長く伸びたそれは、ヒト族の足の倍の大きさがある。流れた血を踏んだのか、その足跡の持ち主が出血しているのか定かではないが、トカゲの足跡が通路の奥に向かって続いていた。その先は異形の巣ネストの闇が広がっている。

「どう見てもこれはヒト族の足跡ではないな。フィージャ、何か匂うか?」

 白い眉を寄せたリュウがフィージャへ目を向けた。

 鼻先を動かしながら通路の奥を見やっていたフィージャが、

「――リュウ。妙な匂いが残っていますよ」

「妙? お前の鼻でも判別ができないのか?」

 リュウも通路の奥へ視線を送った。

「これは干し魚の匂いです。そうとしかいえません――」

 フィージャが首を捻った。

「――干し魚? 俺たちが見たことのない異形種なのか?」

 ツクシが魔刀を鞘へ帰した。

「新しい異形種かァ。それはなるべく顔を合わせたくねェなァ――で、これからどうする、ツクシ?」

 ゴロウは髭面を曲げて訊いた。

 ツクシは剣帯右のポーチから白銀の懐中時計を取り出して、

「午後三時三十分。今日で探索三日目か――」

「す、進むのじゃ!」

 シャオシンがツクシの不機嫌な顔を見つめた。

 ツクシは両拳を握るシャオシンを見やって、

「顔にはもう帰りたいって書いてあるぜ、シャオシン」

「わ、わらわは平気じゃ!」

 キャンと吼えたシャオシンは身体を軸にして光球をくるくる回転させた。

「まあ、先行者がいるなら、これ以上の探索をしても無駄足の可能性が高いだろ。この様子だと逃げ足も速そうだな。クソ、腰抜け野郎め――」

 ツクシが顔を歪めて通路の奥へ視線を送った。

 奥からは何の物音も聞こえない。

「備品の余裕があるうちに、『王座の街』へ戻っとくかァ?」

 ゴロウはヤマダへ目を向けた。

「そうっすね、無理は禁物っすよ」

 ヤマダは背嚢と導式機関弓を背負い直しながら頷いた。

「――この先には何がいるかわからん。そのほうが賢明だな」

 呟くようにいったリュウは床の足跡をずっと見つめている。

「わっ、わらわは平気じゃぞ――」

 シャオシンが視線を落として呟いた。ツクシは何もいわずに踵を巡らせて、元来た道を歩いていった。まだ若い――幼いともいえるシャオシンがネスト探索に参加することを、ツクシは賛同しかねている。

「――帰りましょう、ご主人さま」

 身を寄せたフィージャがシャオシンを促した。

 ツクシたちは、これからネスト管理省がネスト内部に作った基地へ帰還する。ネスト探索者はネスト管理省がネスト内部に作った基地を『王座の街』という通称で呼んでいる。この王座の街は以前エイシェント・オークが生活空間として利用していた場所――ネスト地下八階層の中央にある。

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