二節 王座の街(弐)

 王座の街に帰還したツクシ一行は丸テーブル席に仲良く座って夕食中である。

 王座の「街」といっても、その地下空間にある家屋はすべて天幕で簡易なものだ。ツクシ一行が地上へ帰還する前に立ち寄った『酒場宿ヤマサン』も、ネスト管理省から借りた敷地(ネスト管理省は賃貸料を毎月しっかり取るらしい)を天幕で囲っただけで、その内部は頑丈なだけが取り得のテーブルや丸椅子、カウンター・テーブルなどを配置した飾り気の無い造りだった。そんな造りでも店内はネスト探索者やら、兵士やら、ここで商売をする者やらが、ものを食ったり酒を飲んだりしつつ歓談を交わしていて、なかなか商売繁盛をしている。

 王都の街に駐留するネスト制圧軍団の兵員は四万人以上。その上で、ネスト探索者の募集が始まると、元より人口が多かった王座の街へ地上の戦争の影響で仕事を減らした冒険者やら商売人が押し寄せてきた。予想外の反響に苦慮したネスト管理省は急遽、民間業者のネスト内部営業許可条件を緩和して対応した。その結果、ネスト管理省の前線基地は外部から流入した商売人の手によって天幕で造られた街のような景観になった。以前は『ネスト制圧軍集団地下八階層第二基地』と長い名前がついていたのだが、すぐこの基地は『王座の街』と呼ばれるようになって、今ではその呼称が定着している。王座の街の西区画の片隅に看板を掲げた天幕の酒場宿ヤマサンも探索者や兵士を相手に商売をしている店舗のうちのひとつだ。

「――六人編成の小規模な班などは貴様らだけだぞ。本来なら通らなかった貴様らネストダイバー九班の審査に手心を加えてやったのは何を隠そうこの私なのだ。だから、今後は貴様らのほうから率先して私に協力をするべきだよな」

 燃える赤い髪の女がツクシを見つめた。シャツにズボンとシンプルな服装の各所を高級導式具で武装装飾しているこの女性は、ネスト管理省の副長官、兼、三ツ首鷲の騎士のオリガ・デ・ダークブルームである。よほど気に入っているのだろう。いつ見てもオリガは導式ゴーグルをつけている。今はそれを額へ上げてあった。

「オリガ、『何を隠そうなのだ』じゃねェよ。いい加減にしろ。そんなこと、こっちからは一度も頼んでねェだろうが」

 ツクシは不機嫌な返答をして、タンブラーのエールに口をつけた。

 ゴロウがじゃがいもとチーズの大きなガレット(※千切りしたジャガイモをまとめて焼いただけの料理。お手軽である)を、赤ワインの杯を片手にモリモリと食べながら、

「ああよォ、ツクシ、騎士様に向かってそういう口の利き方をなァ――お偉いお方なんだぞ、この姐さんはよォ――」

「オリガはネスト管理省の副長官なんだろ。上がいるなら下っ端だ。そこを何が騎士『様』だ、しゃらくせえ!」

 ツクシが酒精と不機嫌をカッと放出した。

「そんな、ツクシさん、三ツ首鷲の騎士を下っ端って――」

 頬を膨らませたヤマダは苦笑いだ。

 ヤマダもゴロウと同じものを食べている。

「ツクシ、そこまで騎士オリガを邪険にするな。あの件は俺たちとしても気になっているところではあるだろう?」

 口を挟んだリュウは豆とソーセージのスープを食べていた。

「リュウ、あれは相当な功夫クンフーを積んだもののわざですよ」

 フィージャの前にあるのは木皿に山と積まれたボイルド・ソーセージだ。

 何の肉かは不明瞭だが、とりあえずサイズは長くて大きい。

「――だな。やはり気になるな、フィージャ」

 リュウが深々と頷いた。

「連続殺人事件じゃ! わらわは気になるぞ、気になってめしが喉を通らんぞ!」

 こういったが、シャオシンはすいとんのスープを淀みなく口へ運んでいる。すいとんを鶏がらと野菜でぐつぐつ煮込んだこの料理は、グリフォニア大陸の北西部でよく食べられている郷土料理だとのこと。

「殺人事件って、シャオシンなァ。殺されているのは、エイシェント・オークだぜ。あれってひとかァ?」

 ボヤくような調子でいったゴロウが赤ワインの杯を手にとった。

「事件は事件じゃろ、赤鬼!」

 シャオシンは憎まれ口にスプーンを咥えている。シャオシンの反抗的な態度に慣れてきたゴロウは特別な反応を見せずに赤ワインを喉へ流し込んだ。

「オリガさん、殺されたエイシェント・オークの件で、本当に探索者の賞金申請はないんですか?」

 天幕の酒場宿ヤマサンのオーナー、兼、ボルドン酒店の社外取締役、兼、ネスト探索者のヤマダが訊いた。ボルドン酒店のドワーフ社長ボルドンは、以前から飲食関係のチェーン店の展開(このチェーン店というアイディアはヤマダがボルドンへ教えたらしい)を考えていて、地上に比べれば競合者が少ない王座の街へ子会社化した飲食店を出店することに決めた。そこで店のオーナーとして白羽の矢が立ったのがヤマダである。実際、ヤマダはネスト探索者としてネストへ足繁く通っているから、ネストの店のオーナーとしてうってつけだ。店の名前もヤマダが決めたわけではなく、ボルドンの鶴の一声で決定されたものらしい。ヤマダの苦心もあって酒場宿ヤマサンの経営は好調である。社長のボルドンは、これでチェーン店用のマニュアルが作成できそうだ、とほくほく顔だが、ヤマダは仕事が増えて大変だ。

「ヤマ。それがまったくないから、こうして貴様らに犯人探しを頼んでいるのだ。私はジークリットからおかしな役職ポストを投げられて、気軽に動けない立場になってしまったしな」

 オリガが唇にダイキリのグラスを寄せた。ダイキリはホワイト・ラムにフレッシュ・ライムを絞り適量の砂糖を加えて作るカクテルだ。口当たりはいいがアルコール度数はかなり高い。甘さと酒精に警戒しながら杯を傾けているその様子を見ると、オリガは酒にあまり強くないようだ。王都でカクテルは一般的ではない。ヤマダは他店との差別化を図るため実験的に数種類のカクテルをメニューへ加えている。

「オリガ、そんなものは放っておけ。地下九階層の異形種が減る分には誰も迷惑してないだろ。まあ、あのバカでかいオークどもにとっては傍迷惑な話だな。ククッ!」

 ツクシは空になったタンブラーの底を睨みながら邪悪に笑っている。

「ツクシ、そうもいっていられんのだ。ここ二週間、エイシェント・オークを毎日のように抹殺しているのは、ネスト外部からの侵入者の可能性が高い。現場にトカゲのような足跡があったといったな。異形種にそんな種類がいるという報告はこれまで一度も上がっていないし――」

 オリガが眉間にシワを作った。

「外からネストへ無断で入られると困るのは王国軍だけだろ。俺たちには関係のない話だぜ」

 ツクシはオリガが何をいっても興味がなさそうである。

「まあ、そうだが――」

 オリガは不満気だ。

「だいたいな、ネスト内部にある出入口は、ねずみの兵隊が完全封鎖している筈だろ。管理省だって出入口の位置はすべて把握している筈だよな?」

 ツクシが空になったタンブラーの底をまた睨んだ。

「――まあ、そうなんだが」

 オリガはツクシから視線を外して返事をした。

「へえ、その返事だと、どうやら、ネスト内部の出入口は誰かしらに突破されてるな。もうオリガにはその報告があるんだろ。それか、お前らはねずみどもと一緒にまた何かを企んでいるのか?」

 ツクシがオリガへ不機嫌な顔を向けた。横の席にいるオリガは完全に顔を背けているので、どんな表情をしているのかわからない。その上でオリガの返答はない。

「都合が悪くなるとダンマリか。ジークリットといい、お前といいな。三ツ首鷲の連中は本ッ当に信用ならねェぜ――おーい、ジョナタン、じゃがいも酒を一杯くれ!」

 ツクシがカウンター・テーブルの向こう側に声を投げると、

「はいよう、ツクシさん」

 ジョナタンが返事をした。髭を落として小綺麗な白いシャツに前掛けをつけたジョナタンは、小ざっぱりした顔つきの中年男に変貌している。このジョナタンが酒場宿ヤマサンの雇われ店長なのである。「酒場の親父なんて、百姓のオラにとてもできねえだ!」だとか、ヤマダが誘いをかけたとき及び腰だったジョナタンも、今は手慣れた様子で酒場の雑務をこなしている。定職にありついた所為か以前よりも生き生きとした表情だ。

「ツクシはまた、じゃがいも酒あれを飲むのかよォ――」

 呆れ顔のゴロウがツクシを見やった。

「安酒しか注文できないのは、ゴロウ、手前の所為だぜ。俺の細かい給与明細を作って女将さん(※ゴルゴダ酒場宿のエイダである)にいちいち渡してるんじゃねェよ。クソッ、この野郎はでかい図体の癖にチマチマと――」

 ツクシが横目で睨みつけると、

「泣き喚いても治療費はビタ一文負けねえ。前にそういっておいただろォ?」

 ゴロウは歯を見せてニヤニヤ笑った。ツクシはまだゴルゴダ酒場宿に借金がいっぱいある。ツクシがネストで得た金はゴルゴダ酒場宿に戻るたび、エイダにすべて取り上げられる。お小遣い制である。我慢がなくてだらしのない大酒飲みの中年男ツクシは、金を持たせると持っている分だけ酒だの商売女だのに貢ぐ。そうするのが当然だという態度は借金まみれでもまったく変わらない。だから、持っている金を神経質に取り上げないと、ゴルゴダ酒場宿にある借金は一向に減らない。この一向に減る気配のない借金に、以前、ゴロウがツクシへ請求した治療費が加算された。

 常時無一文のツクシから金を取るのは、さすがの俺様でも難儀するだろう。

 つーか、無いものは逆立ちしても取れねえしなァ――。

 そう考えたゴロウは、ツクシの債権をすべて握るエイダと結託したのだ。簡単にまとめると、ツクシから借金を取立てることに失敗したゴロウは持っていたツクシの債権をエイダへ売り渡した。不埒な借り逃げ野郎に業を煮やした債権者が、その債権を二束三文で怖いひとに売っ払って憂さを晴らすのは、よく聞く話でもある。

 殺気立つツクシを見て苦笑いのヤマダが、

「ツクシさん、裏メニューのじゃがいも酒じゃなくて、うちの表の商品をもっと試してくださいよ。最近、女王様のツテでボルドン酒店では南方の酒も扱い始めたんす。この店はマーケティング・リサーチも兼ねて色々と珍しいものを置いてありますよ。カクテルとか一杯、どうっすかね?」

「ああ、ヤマさんの店の酒は値段が高くて高くてな――」

 カクンとうつむいたツクシがしみったれた声で応じた。

「ツクシさんはこの味がわかってるべ」

 笑顔のジョナタンがタンブラーをツクシの前に置いた。これが酒場宿ヤマサンの裏メニュー『ジョナタン特製じゃがいも酒』だ。これはタラリオン王国では安い食材で大量に手に入るじゃがいもを原料に何度も何度も原酒の蒸留を繰り返して極限までアルコール度数を高めた酒である。火をつけると青い炎を噴いてよく燃える。このじゃがいも酒は酒場宿の裏手にある天幕でジョナタンがこっそり造っているものだ。

「ツクシ、密造酒をお目こぼししてやっているのも忘れるなよ」

 オリガがじゃがいも酒のタンブラーへ顔を寄せて顔をしかめた。ジョナタン特製じゃがいも酒は鼻腔に突き刺さる臭気を発しているし、顔を近づけると揮発したアルコール成分が目に沁みて痛い。これはお酒というよりも、酔うだけが目的の薬品原液といったほうが正解になる。

「あのな、オリガ、密造酒そっちは俺に何の関係もないだろ。ジョナタンの都合だぜ――ぐおっ、あっあ!」

 ツクシが呻き声を上げた。この「ぐおっ、あっあ!」という発言部分が、じゃがいも酒の味わいだ。一杯飲んで目を回し、二杯飲んで腰が抜け、三杯飲んであの世行き。こんな評価を受けているジョナタン特製じゃがいも酒は、ただ酔うだけという目的なら手っ取り早いので、金のない若い兵士や仕事が上手くいかないネスト探索者に根強い人気がある。酒税をまるっと逃れている分、値段がとても安いのだ。

「ツクシ、貴様はそれを私の目の前で飲んでいるだろう。造っても飲んでも同罪だ同罪。酒税を誤魔化すのは罪が重いぞ。最高十年の重労働つき懲役刑、もしくは死刑だ。幸いツクシの探索班にはフェンリル族がいる。フィージャ・アナヘルズだったな。獣人の能力を使えば侵入者を追うのも容易い筈だ。だからこうして私が頭を下げて頼んでいるのだ」

 オリガがツクシの歪んだ顔の真横に唇を寄せて恫喝した。タラリオン王国の刑法は非常に大らかで軽犯罪を犯した者でも警備兵に捕まるとあっさりと死刑になることが多い。記述が遅れたが、ツクシが今飲んでいるのは密造酒である。

「何をいっていやがる。だいたい、お前は脅しを入れているだけで頭なんて全然下げてないだろ――」

 ツクシはじゃがいも酒を不機嫌の燃料にして憤っている。薄い水色の瞳の、白い頬にちょっとそばかすがあって、色鮮やかな赤い口紅ルージュを塗ったオリガはそれなりに愛嬌のある美女なのだが、これは息を吸って吐くようにしてひとを殺傷する凄腕の戦士である。この女の渾名は『タラリオンの赤い狂犬』である。そのオリガに顔を寄せられても、ツクシはゾッとしない。背筋が凍るという意味合いならそれはある。

 何の代償もなしに自分の要求を押し通そうとするオリガを、悪い酒の杯を呷りながら、ツクシがのらりくらりかわしていると、

「――ね、ね、ツクシ」

 ギャルソン風の美少女がツクシの不機嫌な顔を覗き込んだ。一見、「美少年かな?」と思えるような、涼やかな目元の褐色肌の美少女である。

「――おう、なんだよ、テト」

 ツクシは真横にきたテトの顔を横目で見やった。つい先日まで、ツクシはテトから蛇蝎のごとく嫌われていた。だが、酒場宿ヤマサンのウェイトレスとして働くことになったテトへ、「へえ、小綺麗にしたら多少は色気が出てきたか?」ツクシが一言褒めただけで、テトの態度は大幅に軟化した。テトはかなり乙女なのである。接客をするようになったテトは、もう意図して顔を汚すこともしていない。

「じゃがいも酒を禁止されたらウチの酒場の経営危機なの。ツクシ、この騎士様のお願いを聞いてあげて?」

 唇に右拳を当てたテトがクネクネしながらおねだりをした。

 これでもかと上目遣いでもある。

「テト、あのな――」

 ツクシがじゃがいも酒を喉へ流し込んだ。

「なぁに、ツクシ?」

 テトは最近始めた接客業で覚えた完璧な作り笑いで応じた。

「――くおっ! あのな、テト。無い色気を無理に絞り出しているんじゃねェよ。そのぺったんこを膨らませてから出直して来い」

 ツクシはテトの胸元を眺めている。ツクシの呻き声は喉に流し込んだじゃがいも酒の感想であって、テトの青臭い色気に心躍ったとかそういうわけではないようだ。

「――ぺったん。このヘンタイ!」

 顔を赤くしたテトが胸元へ腕を回すのと同時に、リュウが顔を向けて厳しく睨んだが、ツクシはそのどちらも気づかないフリで押し通した。活発で熱がりなテトはブラウスのボタンを上から二つも外してある。身を屈めると、その内容がどのていどのものか、ツクシには確認ができた。テトのそれは申し訳ていどの大きさだ。

「死ねよ、このすけべ親父」だとか、

「そのいやらしい目つきが最低。女の敵の目つき」だとか、

「呪われろ、このクズ男」だとか、

 ツクシは口のなかでぶつぶつ抗議を続けるテトを平然と眺めながら、

「大体なあ、俺は子供ガキがネストにくるのに賛成ができな――」

「あーもう、ツクシ、それ聞き飽きた! だいたい、ツクシはシャオシンを探索につれていってるじゃん、いってることとやってこと矛盾してるじゃん!」

 プイツンしたテトがすいとんを食べ終わったシャオシンへ目を向けると、

「テト、わらわは十四歳じゃ。十四歳はもう立派な大人なのじゃよ、この小娘め――」

 シャオシンは柘榴グレナデンシロップジュースが注がれたゴブレットをおもむろに傾けながら、余裕を見せつけた。

「シャオシン、わたし、十五なんだけど?」

 テトはせせら笑いながらふふんと顎を上げた。シャオシンはくっと一声吼えて視線を斜め下へ落とした。年齢が近いテトとシャオシンは顔を合わせるたびに何かと張り合っている。しかし、それでいて二人の仲が悪いわけではない。夕食後、テトとシャオシンは必ず一緒にお風呂へ行く。ツクシはキャッキャしながらネストの浴場(大階段前基地と同様、ネスト内部にある噴水を改造したものだ)へ二人仲良く通う姿を何度も目撃したし、今、ツクシの前でも二人はキャッキャ戯れている。

 二人とも年齢的には中高生だろ。

 本来、こんな場所にいていい年齢じゃないよな――。

 ツクシの渋面がいっそうと渋くなったところで、

「おーい、そこの坊ちゃん、注文、注文だよ!」

 遊んでいたテトを客が呼んだ。

 酒で出来上がった若い兵士の一団だ。

「――ぼ、坊ちゃんって――はぁい、ご注文は何でございましょう、カッ!」

 テトは乱暴な返事と一緒に注文を取りにいった。

「なあ、ジョナタン、一家揃ってネストここにいていいのかよ。お前らだって散々、ネストで怖い思いをしただろうが、あ?」

 ツクシは自分を見つめて返答を待っている様子のオリガを無視して、厨房から出てきたジョナタンに絡んだ。

「ツクシさん。前に比べればネストは安全だべ。ここなら、エレベーターですぐ地上へ逃げることができるしな。それに、天幕街より王座の街はずっとマシな生活ができるかんなあ」

 ジョナタンは盆を持って脇を抜けながら応えた。ネスト管理省が作ったエレベーターは、地下一階層~地下四階層を直通する形に改造された。四階層のフロアを歩いて移動すれば、そこから地下八階層にあるこの王座の街まで導式エレベーターが四つ並んで常時機動している。王座の街は避難経路が確立されているのだ。

王都の街ここの風紀だってかなり乱れてると思うけどな――」

 ツクシはしつこい不機嫌を見せていた。若い兵士や地上の冒険者崩れ、それを相手にする商売人が二十四時間灯る街路灯の下を行き交う王座の街は眠らない。刷新されたネスト管理省のもと新しい制度で始まったネスト探索は命懸けの博打で、無事に帰るものは大金を手にする。この金の匂いを嗅ぎつけて、それを狙う商売女や悪い企みを持つ連中も、あの手この手で王座の街に紛れ込んでいる。探索者用の酒場宿と看板を上げてはいるが、実質は売春宿を営んでいる天幕がそこかしこにあるし、良からぬ薬品や物騒な非合法武器(※魔導式具が多い)を売る業者も目についた。王座の街の治安はかなり悪いのだ。

 豆とソーセージのスープを食べ終えたリュウが真面目腐った顔で、

「ツクシ、騎士オリガの提案を呑んで、次の探索で寄り道するくらいのことは、してもいいのではないか?」

「そうですね」

 フィージャも真面目腐った顔で頷いた。この二人はエイシェント・オーク・スパルタンと互角に戦う存在に興味津々のようだ。フィージャの横でシャオシンもふごふごと首を縦に振っている。何をいっているのかわからないが賛同しているらしい。シャオシンの口にはフィージャの前にあったボイルド・ソーセージが詰まっていた。

「ゴロウ、手前てめえが色気を出して異形種討伐金の申請をした所為で、オリガにバレたんだぞ。責任をとってゴロウが独りで探せよ。その、なんだ、エイシェント・オーク殺しの犯人をか?」

 ツクシが左隣のゴロウを鋭く睨んだ。ネストダイバー九班の班長は現地の言葉に明るいこのゴロウだ。ツクシでは細かい書類やら何やらが読めないし、ヤマダは副業(本業?)も忙しい。三人娘は揃っておっちょこちょいだから地道な作業に回すとだいたい失敗する。探索を終えたあと、王座の街のエレベーター脇にあるネスト管理省天幕の受付へ立ち寄って、探索済みデータと引き換えに賃金を受け取るのもゴロウの役割になっている。その際、ゴロウは自分たちの手で討伐していない異形種討伐賞金申請をした。例によって強欲を自慢したのだ。

 これはネスト管理省が内密に仕込んでいた探索者監視システムだ。

 小アトラスには地形と一緒くたにしてネスト探索者の大まかな行動も記録される。ツクシたちの班が持ってきた『戦闘の記録がないのにも関わらず、戦果だけが残っているネスト探索データ』に不審を感じた受付嬢が、上役へその異常を報告した結果、酒場宿ヤマサンの丸テーブル席でくついろいでいたツクシたちへ呼んでいない客が到来した。その招かれざる客が、ツクシの横に座ってカクテルの杯を傾けながら、自分が出した無理難題に対する快い返答を待ち詫びているオリガになる。

「あァーッ! ジョナタンのおっかさん、赤をもう一杯もらえるか?」

 このような態度でツクシの非難を逃れたゴロウが、カウンター・テーブルの向こう側に顔を出した女性に声をかけた。

「はいよ、すぐ持っていくからね!」

 返事をしたのは、ジョナタンの妻でテトの母親、パメラ・メンドゥーサだ。このパメラはテトと同じ褐色肌の中年女性で、お尻も胸も大きい熟れ切った肉体が男の目を惹く美熟女である。「若い頃はもっと細かったんだけどね」これがパメラの口癖なので、若い頃は痩せてたのだなとここに来る客はみんな知っている。しかし、パメラが痩せていた時代を知るのは彼女の旦那であるジョナタンだけだ。料理が得意なこの魅惑的な人妻が酒場宿ヤマサンの厨房を仕切っている。

 ヤマダが料理と酒に対する客の反応を視線を走らせて観察しながら、

「でもっすよ。手馴れた冒険者連中でも避けて通るエイシェント・オーク・スパルタンを、刃物で正面から仕留める奴って、かなり危険じゃないっすか?」

「そうだな、ヤマ――敵をどう見る、フィージャ」

 リュウが空になったタンブラーに落ちていた視線をフィージャへ向けた。

「あの装甲したエイシェント・オークを相手にして、正面から打ち合える力の持ち主ですか――地上にいる種族だと、グリーン・オーク族くらいですよね。他は導式機動鎧を装備した王国軍の兵士。導式を使った剣術の使い手もあり得るのでしょうか。フェンリル族は導式に不得手なので断言できませんが――」

 フィージャが空になった自分の皿へ視線を落とした。シャオシンが横から手を出してソーセージを盗っている。哀しそうに視線を落としたままのフィージャを、ソーセージで頬を膨らませたシャオシンが、「おい、わんころ、どうしたのじゃ?」といいたそうな表情で眺めていた。

「フィージャ、導式剣術はない。エイシェント・オークの死体に残っていた傷はすべて力業で作られたものだった。あの大雑把な切り口を見ると、分の厚いサーベルのような刃物を使ったのだろうな。『鈍器のようなもの』も使っていたようだが――どちらにしろ、犯人が並大抵の腕力ではないのは確かだ」

 この発言は眉間にシワを作って思案顔のオリガである。

「へえ、オリガが死体を確認したのか?」

 ツクシはじゃがいも酒の壮絶な味わいに顔を歪めながら嫌々の態度で訊いた。

「ああ、何体も検分した。死体を作るのならともかく、眺めているのなんて退屈だが、まあ、私の仕事のうちだからな。今のところ、ネスト管理省に登録された探索者のなかにグリーン・オーク族は存在せん。機動歩兵隊なら王座基地に駐屯をしているが、兵士が異形種を仕留めれば、必ず戦果の報告が上がってくる筈だから、それもない。それにだ、エイシェント・オーク・スパルタンを仕留めるのは、たいていがねずみどものストーム・エンカウンター――対物ライフルなのだよ」

 オリガがカクテルの杯を呷った。王座の街には以前、エイシェント・オークの装甲兵に対して絶大な威力を発揮したストーム・エンカウンターを持つ、ラット・ヒューマナ王国の生活圏防衛軍も駐屯チュウだ。

「我々としても一気にネスト最下層へ進撃したいのだが、ストーム・エンカウンターに使う導式徹甲弾は供給量不足で無計画な進撃は不可能なのだ、チュッチュウ――」

 これは王座の街で部隊を訓練していたメルモが、ツクシにこっそり教えてくれた内部事情である。

「オリガ、俺たちは明日の朝一番に地上へ帰るんだ。ひと稼ぎしたし年末だからな。だから、そんなことを頼まれても困るぜ。だいたい、お前の都合なんか俺は知ったこっちゃあねェしな」

 ツクシは話を聞くだけ聞いておいて、その要求を全面的に拒絶した。今回、ツクシたちのネスト探索は一応の成功をしたので、ネスト管理省から無事に賃金を受け取ることができた。ツクシの懐は何枚かの金貨で潤っている。もっとも、ゴルゴダ酒場宿へ帰還すれば、ツクシの稼ぎはすべてエイダに取り上げられるから、これは一時的な潤いである。

「ツクシ、もう帰るのか!」

 オリガがキッと顔を向けた。

「もうって、俺たちは一週間近くネストここにいるぜ――」

 ツクシはタンブラーの底に残ったじゃがいも酒を見つめている。

「ここ最近、本格的な冒険者団の探索者登録も増えてきたぞ。先日、ここを出立したのは、二百くらいの人数がいたかな、ヴァンキッシュとかいう冒険者団だったか? 愚図愚図していると先行している者に追いつけなくなるぞ?」

 オリガは脅したが、

「それ三日前に馬をつれてきた団体様のことだろ。あのジェット・コースターみたいなエレベーターでほとんどの馬が骨折してたよな」

 ツクシはじゃがいも酒で喉を焼いて口角を歪めた。確かにネスト探索者を希望して地上からやってくるものは、元より荒仕事や探索作業が得意な冒険者連中が多い。冒険者は装備も人数も大規模だ。ツクシたちのように六人編成の小集団は他にない。だが、地上から来た冒険者は人数と装備を頼りに強行するので簡単に死ぬ。生きて戻ってこなければ金は受け取れない。導式情報統合器――大アトラスがネスト管理省天幕の広場で表示する立体掲示板には『警告、今月の探索事故死者数九百九十九人!』と、注意喚起用のカウントが大きく表示されていた。それだけの犠牲者がもう発生しているのである。

 冒険者やつらは探索や荒仕事の専門家かも知れん。

 だが、ネストに関しては、ネスト・ポーターをやっていた俺たちに一日の長がある。

 無理に急ぐことはないだろうぜ――。

 ツクシはこう考えていた。

「かわいそうにな。グリフォニア大陸産の馬は大きくて頑丈だが、あの乱暴なエレベーターは耐えられんだろう――あっ、テト、俺にウイシュキを一杯――」

 リュウが厨房とホールを行き来していたテトを呼び止めたが、

「あの死んだ馬、食用になったらしいですね」

 そういったフィージャが、上がりかけたリュウの手をもふもふの手で掴んだ。

 最近、リュウの酒量が彼女たちの家計を圧迫しているらしい。

「タラリオンでは馬を食べるのかえ!」

 シャオシンが眠たそうだった顔をはっと上げた。

 ジョナタンがカウンター・テーブルの向こうでタンブラーの列へ酒を注ぎながら、

「普段は馬なんて食べねえけんどな。脚をやっちまった馬は他にどうしようもねえ。あのとき死んだ馬はヤマサンで買い上げて、このオラが解体しただ。シャオシンだって結構食べてるべ?」

「えっ!」

 シャオシンがジョナタンを凝視した。

 ジョナタンは鼻歌交りにお盆へタンブラーを並べている。

 テトがそのお盆を両手に持って、ツクシたちの丸テーブルの脇を抜けながら、

「あの馬ね。ぜんぶ、ソーセージとジャーキーにしたの」

「くうっ!」

 リュウが空の深皿を凝視した。

 レンズ豆と馬のソーセージのスープが入っていた深皿である。

「何でも食べなきゃ大きくなれないよ、シャオシン!」

 パメラが厨房とホールを仕切る天幕の間から顔を出して笑った。どうも、この三人娘の出身地ウェスタリア大陸では馬の肉を食べる習慣がないようで、リュウとシャオシンは血相を変えている。フィージャは平気な顔でてふてふ舌を突き出していた。

 ああ、馬刺ならこの悪い酒にも合いそうだな。

 焼酎に近い味だし――。

 そんなことを考えながら、

「テト、もう一杯、じゃがいも酒を頼む」

 ツクシが空になったタンブラーを掲げた。

「テト、俺ァ赤をくれ――騎士の姐さんよォ、馬をつれてきたあの連中、またネストにきてるのか?」

 ゴロウも空の杯を掲げて訊いた。

「テト、私にはダイキリをもう一杯――ゴロウ、今度は馬を連れてきていなかった。全員、徒歩だったぞ」

 オリガが空の杯を掲げて唇の両端を反らせた。

「あァ、凝りねえ奴らだなァ――」

 ゴロウが歯を見せて笑った。

 店内の様子を油断なく眺めていたヤマダが出入口の垂れ幕を割って颯爽と入店してきた緋色の男を見て、

「あっ、ギルベルトさん」

 ツクシたちも出入口へ目を向けた。

 オリガだけは素早く顔を背けた。

 酒場宿ヤマサンから歓談の声が引けてゆく。

「ナ、騎士ナイトだって?」

 カウンター席から振り返った探索者の若い男がポカンと口を開けた。

「ほう、あの若いのがネスト管理省の新しい長官か?」

 若者の横に座っていた壮年の探索者は、できる限りの貫禄の見せようと頑張ったが、声が完全に裏返っていた。

「ネスト管理省の長官はもっと年寄りだって聞いたけど――」

 壮年の探索者にもたれかかって、酒を勧めていた金髪の若い商売女が、ギルベルトを品定めするように眺めた。ギルベルトは黒髪に白い顔の美青年だ。しかし、冷めた目をして、男にしては艶っぽいその唇をいつも硬く結び、とっつきにくい印象ではある。それでも、肌の露出が多い黄色のロング・ドレスを着たその商売女は喉を鳴らして目の色を変えた。

緋色の騎士スカーレット・ナイトが何をしにここへ?」

 丸テーブル席にいた若い兵士が呻いた。

「お、おい、お前ら、立て、立て!」

 その丸テーブル席にいた兵士全員がガタガタと席を立った。

「貴様らに用はない。楽にしていろ」

 ギルベルトは冷めた声で直立不動の彼らにいった。緋色の鍔広帽子の下にあるギルベルトの表情に変化はない。実際、ギルベルトの用事があるのは若い兵士の集団ではなく、ツクシのいる丸テーブル席だ。

 ギルベルトはツカツカ一直線に歩み寄ってきて、

「オリガ大――いえ、騎士オリガ」

「何だ、ギルベルトか、うるさいな」

 オリガは顔を背けたまま返事をした。

「まだ何もいっていません」

 ギルベルトが艶っぽい唇の端を歪めた。

 テトが運んできたダイキリを、ツクシのほうへ追いやったオリガが、

「これから、貴様は私にうるさいことをいうのだろう?」

「騎士オリガ、長官がお呼びです」

 ギルベルトが職務中に飲酒する自分の上官の横顔を冷ややかに見つめた。

 その横でツクシがダイキリを飲んでいる。

「ああ、あの爺様、地下八階層したにきているのか。うるさいのが増えて面倒だな――」

 オリガはうなだれた。

「こんなところで油を売っていられると困ります。書類も溜まっていますよ。あと本日、二一〇〇ふたひとまるまる時、臨時で会議が入りました」

 顔を傾けたギルベルトは勝ち誇った様子だった。

「二一〇〇時――もうすぐではないか。下に来た爺様の発案だな。ということは爺様も会議で一緒だ。ああ、面倒な――ツクシ、例の件、頭の片隅に留めておけよ」

 オリガは胸元から取り出した金ピカの懐中時計を睨みながら天幕の酒場から出ていった。

 丸まったオリガの背を満足気に眺めていたギルベルトへ、

「いつ見ても派手な格好だな、騎士ギルベルトさんよ」

 ツクシがいった。緋色の鍔広帽子、緋色の王国陸軍外套、それに超高級な導式革鎧と秘石が眩く輝く導式具の数々。ギルベルドは宝石で飾られた騎士といった感じだ。実にきらびやかである。

 ド派手だった。

「ツクシ、俺はまだ見習い騎士だ」

 ギルベルトの横を向いた顔が少し赤い。ネストの異形種を相手に孤軍奮闘した功績が認められたギルベルト少尉は、つい先日、三ツ首鷲の騎士団の見習い騎士として登用された。ツクシが元いた世界の過去にいた騎士というと、貴族の使いっぱしりていどだとか、街道盗賊や橋下の追いはぎと似たような立場だったのだが、タラリオン王国においての騎士は身分がたいへん高い。一軍の司令官の立場になる。出世のために使うコネがまったくなかった貧乏貴族のギルベルト・フォン・シュトライプにとってこれは大出世といえる。

「へえ、その格好で見習いなのか。お前の上司よりずっと派手だぜ」

 ツクシが口角を歪めた。ツクシは賞与だとか、権威だとか、他人からの尊敬だとかとは無縁で生きてきた男だ。だからといって、ツクシが出世を果たしたギルベルトに嫉妬しているわけではない。ツクシが考えているのは、余計な肩書きがついて大変だな、そのていどのことだ。

「三ツ首鷲は私生活でも制服の着用が義務の筈だ。騎士オリガあのひとは規則をまったく守らん――」

 ぶつぶついいながら、ギルベルトが踵を巡らせた。

「酒場に来て一滴も飲んでいかないのか。馬鹿な野郎だぜ」

 ツクシはダイキリのグラスに口をつけながらまだ悪い顔で笑っている。それでも、ギルベルトという男をツクシが嫌っているわけではない。

「肩肘を張りたおせるんだから、ギルベルトあいつはまだまだ若いよな――」

 ツクシは少し愉快な気分でいた。

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