二十節 眼に映るのは仇のみ

 リカルドとニーナの葬儀から二週間が経過した。

 来月になると帝歴一〇一二年は終わって暦が新しくなる。カントレイア世界でも新年を祝って迎える習慣があるらしい。王都で暮らす住民は、貧乏人も、金持ちも、そのどちらともいえないものも、今年やり残した仕事をどうにかして年内に片付けようと悪足掻きしている。元よりひとが多く騒がしい王都全体が無用も急用として決め込んで動いているので、どこもかしこもひどい騒ぎようだった。ゴルゴダ酒場宿へ足を向けた荒っぽい酔客も、いつもより忙しなく酒を酌み交わしている。そんな年末の夕べにあるゴルゴダ酒場宿の、カウンター席――いつもの指定席に座ったツクシは、いつものエールのタンブラーを、いつものように独りで傾けていた。

「――いよう、ツクシ」

「――あ、今日もお疲れっした、ツクシさん」

 ツクシの背へ男二人分の声がかかった。

 これもいつも通り、ゴロウとヤマダである。

「んあぁあぁ? んぁあゴロウと社長かぁあ――」

 間抜けな返事をしたツクシが、タンブラーを片手にヨボヨボ席を立って、立ち上がったところで大きな溜息を吐いた。そのあとで、ツクシは近くの丸テーブル席へのろのろ移動した。

 おじいちゃんのような動きと反応である。

「あのよォ、ツクシ、どういう挨拶だよ。ったく、しっかりしろよなァ――」

「いや、ツクシさん、社長って。僕は違うっすからね、社長はボルドンさんっすよ?」

 ゴロウとヤマダが背を丸めてタンブラーのエールをぴちゃぴちゃ舐めるツクシおじいちゃんを見つめた。

「おぁあ、おあえらあぁ、えあえよおぉ――」

 ツクシの呻き声だ。

 視線を落としたゴロウとヤマダが、防寒用の分厚い外套を脱いで丸テーブル席へ腰を下ろした。年末の王都は冬も本番で外では身を切る寒風が吼えている。ゴルゴダ酒場宿のなかは中央にある大きな薪ストーブのお陰で暖かい。

「ゴロウ、ヤマさん。ツクシはずっとこの調子なのよ。やっぱり、悪い病気なのかしら――」

 注文を取りにきたミュカレだ。萎れきったツクシを見つめるミュカレは金色の眉を強く寄せて本当に痛ましい表情だった。

「ウチの職場へくるようになってから、急に元気がなくなっていったんすよ。ツクシさんがこうなったのは、自分の責任かも知れないっす――」

 ヤマダがうなだれた。先日、ネスト管理省が構造改革されてネスト・ポーターは今後一切募集されないことになった。同時にツクシは収入源をバッサリ絶たれた。困り果てたツクシはヤマダの斡旋をうけてボルドン酒店で働くことにした。営業をやれといっても無愛想自慢のツクシでは無理である。であるから配送業務が主な仕事だ。

「ヤマさん。宿にいても同じなのよ。水をいくらやっても枯れる植木鉢みたいな感じで。もう、ツクシ、どうしちゃったの!」

 ミュカレがツクシの耳元で強くいった。返事も反応もない。「んぁあ、んぁあ――」と呻きながら、ツクシはタンブラーを両手で持ってぴちゃぴちゃとエールを舐めている。視線を落としたミュカレは唇を噛んで泣きそうな顔になった。

「それで、ヤマに呼ばれた俺ァ、ツクシの様子を見にきたんだが、なァ――」

 ゴロウは眉尻を思いっきり下げて本気の困り顔だ。このゴロウは今、本業のヤミ医者家業で糊口をしのいでいる。まあ、ゴロウの場合は元々これが本業だから生活費に支障はない。

 しばらく全員が無言の間を置いて、

「――ゴロウとヤマさんは、いつものでいいの?」

 ミュカレが最初に口を開いた。

 これが彼女の仕事でもある。

「あァ、ミュカレ、頼む」

「はい、お願いします」

 ゴロウとヤマダは生気も殺気も消え失せたツクシの残骸を見つめたまま応えた。

「ん、二人は赤ワインとスタウトね。ツクシもまだお代わりが欲しいわよね。エールがいいの? ピルスナーもまた入荷したわよ?」

 ミュカレはできる限りの優しい声音で訊いたのだが、

「――あぁあ、あぅあ?」

 視線を弱々しく上げたツクシの返答はこんなのだ。

 うっと呻いて口元を押さえたミュカレは小走りで厨房へ消えた。

「ああよォ、ツクシ、そんなに酒屋の仕事が辛いのかァ?」

 色々あったから、これは気の病だろうなァ、処置なしだコレ。

 そう考えているゴロウは諦め顔だ。

「まあ、酒樽や瓶の箱の運搬は楽な仕事ではないっすからねえ――」

 うなだれっぱなしのヤマダが呟くようにいった。

「んあぁあ、んぁんぁお――!」

 ツクシが顔を上げて呻いた。

 言葉の意味を成していない。

「あんだ、ツクシ、はっきりといえ! そうか、女か、おめェは女が欲しいんだな? おっしゃ、金を出すなら、とびっきりの上玉を何人でも用意してやるぜ。俺ァ、女衒街で顔が利くからなァ!」だとか、

「もしかして、ツクシさん、職場の待遇改善を要求して、メンタル系のストライキでもしているんすか? いやあ、ウチの経営もそれほど楽じゃないんすよね――」だとか、

 ゴロウとヤマダがそれぞれ見当違いっぽい発言をした。

 視線を落としたツクシの反応がまた途絶えた。

 厨房で泣き崩れたミュカレに代わって、ユキが酒と料理を運んできた。恒例だ。注文した酒と一緒に注文していないおつまみもツクシたちの前に置かれる。小皿に盛られたおつまみは小ぶりな黒い巻貝を煮込んだものだ。これは爪楊枝でずるりと身を引き出して食べる。

 ユキはムスっと沈黙したまま杯と皿を卓上に並べ終えると、

「――ゴロウ、ツクシをすぐ治してあげて」

「ユキ、そういわれてもなァ。どうも、ツクシのこれは俺の治せるような病気じゃあ――」

 ゴロウが言い訳を並べると、

「ちゃんと治してあげて。それが、ゴロウの仕事だよね!」

 ユキがギャンと吼えた。「看板を上げているならその仕事の責務を果たせ、このゴミクズめが!」と子供から怒鳴られた大人のゴロウは肩と視線をがっくり落とした。その横で魂の抜けた顔のツクシがおつまみの巻貝を食べようとしている。震える指先で手にとった巻貝がすべて床へ転げ落ちていた。小さな巻貝を持上げる気力すらなくしたらしい。見かねたヤマダが爪楊枝を手にとってツクシの介護を始めた。

 ユキはうっと声を詰まらせてバタバタ厨房へ走っていった。

 甘辛く煮込まれた黒い巻貝の身は、磯の香りと旨みが舌の上に広がる渋い味わいだ。

 廃人になったツクシと一緒に、ゴロウとヤマダがこのおつまみを口へ放り込みつつ酒の杯を重ねていると、

「ツクシ、たいへんじゃ、たいへんなのじゃ!」

「おい、聞いたか!」

「みなさんは、もう耳にしましたか?」

 息せき切って女の子が三人、ゴルゴダ酒場宿に駆け込んできた。ウェスタリア大陸出身の三人娘である。リュウとシャオシンは外の寒気に叩かれた頬を赤くしていた。フィージャは全身が獣毛でもふもふ覆われているので顔色はいつ見ても変わらない。

「いよう、三人娘、善い夜だな」

 ゴロウが髭面を上げた。

「おばんです。リュウさん、フィージャさん、シャオシンちゃん。いやあ、ここのところ、急に寒くなったっすねえ」

 ヤマダも顔を上げた。

「――おぉうぅ、あぁあ、あうあう?」

 ツクシもふにゃりと顔を上げて呻いた。

 これも一応、挨拶をしたようである。

 しばらくの間、ツクシの腑抜けた顔を見つめていたリュウが、

「ゴロウ、ヤマ、最近のツクシはどうしたのだ?」

「ああよォ、ツクシは何だろうなァ――」

「ツクシさん、どうしたんすかね――」

 ゴロウもヤマダも小さい声で応えたきりだった。

「――これは息をしながら死んでいるようじゃ」

 ツクシを観察していたシャオシンの判定である。

「これはきっと悪い病気だと思いますよ。リュウ、ツクシさんを診てあげたらどうですか?」

 無い眉を寄せたフィージャがリュウへ目を向けた。

あい、わかった。邪魔だ、ゴロウ、そこをどけ」

 リュウが乱暴な口振りで命令した。リュウもそうだが、ゴロウだって人体治療の専門家である。ゴロウはムッと表情で不満を示したが、一呼吸したあと、できるもんならやってみろとそんな気分になって席を譲った。

 襟周りに黒いファーのついた山吹色の外套を脱ぎ捨て、頼りない胸元以外はセクシーな肉体へ密着する濃い紫色のドレス姿になったリュウは椅子へ腰を下ろして、

「ほら、ツクシ、俺に舌を見せてみろ。口を大きく開けるんだ。ほら、あーん。わかるか、ツクシ、あーん、だ!」

 リュウは最初に反応が鈍いツクシの頬を片手で掴んで口をこじ開けると舌を診た。ツクシは鈍いまなこでリュウをぼんやり眺めている。リュウは次に、ツクシの黒い上衣をたくしあげた。贅肉をカンナで削ぎ落したようなムキムキの上半身だ。頬の血色を良くしたリュウが「おおっ、これはこれは――」と感嘆したが、すぐ真剣な表情に戻ってツクシの肉体からだのあちこちつついて触診をしたり、胸に耳を当てて心肺の音を確認した。リュウの名前や言動や行動は男っぽい。しかし、これはこれで長い白髪しろかみと桜色の瞼が印象的な美女だ。これだけ女の肉体が密着すると女性に対して性的に見境いのないツクシは、ぬらぬらイヤらしい気配を放出してしかるべきだったが今は完全に無反応だった。

「んあぁ、んあぁ――」

 ツクシは虚ろな目で天井を見上げている。卓上に転がっている身を引き出された巻貝と同じだ。これは抜け殻である。

 抜け殻の眼球を観察するリュウへ

「――どうですか、リュウ?」

 フィージャが訊いた。

「やはり、ツクシは病気かの?」

 シャオシンがリュウの手で無理矢理に開かれたツクシの目を覗いた。

 瞳の面積が非常に小さい三白眼だ。

「うん、わからん。わからんがよく濁っている。死んで腐った魚のような目だな――」

 リュウは診断というよりも感心をしていた。

「ああ、リュウでも病名がわからないんですか――」

 フィージャがうなだれた。

「死病じゃな――」

 小さい溜息を吐いたシャオシンは何かを諦めた顔つきだった。

 ツクシはもうじき死ぬらしい。

「ああよォ、まァ、おめェらも座れ――」

 ゴロウがドタバタぎゃあぎゃあうるさい三人娘へ着席を促した。

「リュウさんたちは何か話があったんじゃないんすか?」

 ヤマダが巻貝の身をもにゅもにゅ噛みながら訊いた。

 呼気を荒げて無反応なツクシの肉体をぺたぺた触っていたリュウが、

「――あっ! ああ、そうだそうだ。お前たちに話があるのだ。ネストでひとの募集が再開されるのは知っているか?」

「ええ、そうなんですよ」

 外套を脱いだフィージャが丸テーブル席へついた。

「それが今度は荷運びの募集ではないのじゃ」

 席に座ったシャオシンが首に巻きつけていたマフラーを外した。

「荷運びの募集じゃないのかァ?」

 ゴロウがワインを飲もうとしていた手を止めた。

「へえ、今度はネストで何をさせるつもりなんすかね?」

 ヤマダが巻貝の身を爪楊枝の先に刺して、それをツクシの口元へもっていった。

 ツクシはナマケモノのようなのろい動きでそれを食べた。

「うん、説明が少し難しいのだが――」

 うつむいたリュウが右の拳を鼻先に当てたところで、

「――おや、三人娘かい。いらっしゃい、ゆっくりしていっておくれな」

 エイダがツクシたちの丸テーブル席へやってきた。

「おや、女将さんが注文を取りにくるのは珍しいな?」

 リュウが顔を上げた。

「相も変わらず鬼のような面構えじゃのう、エイダ!」

 眩い笑顔のシャオシンが鬼の顔を見上げている。

「ご主人さま、失礼ですよ! すいません、エイダさん」

 無い眉を寄せてフィージャが頭を下げた。

「ぶははっ! 気にしないよ。それに面構えが逞しいといわれるのは、グリーン・オーク族にとっては褒め言葉さね。さあ、アンタらどんどん注文しておくれよ!」

 豪快に笑い飛ばしたエイダである。

「女将さん、ミュカレとユキはどうしたァ?」

 ゴロウが怪訝な顔だ。エイダはどちらかといえば裏で仕事をしていることが多く、酔客の接待に回ることは少ない。

「ミュカレとユキが厨房でうずくまったきり動けなくなってねえ。これから年末で忙しくなるのに弱ったねえ――」

 エイダがボンと鼻を鳴らした。

「え、女将さん、ミュカレさんとユキちゃん、身体がどこか悪いんすか?」

 驚いた様子のヤマダが訊いた。

「まあ、ミュカレとユキは平気さね――ツクシ、アンタの所為だよ」

 エイダが丸テーブル席で背を丸めているツクシを睨んだ。

「――んぉあう?」

 ツクシがゆっくり顔を上げてエイダを見やった。

「ああもう、シャキっとしな! ツクシはいつものでいいのかい!」

 エイダは吼えたが、ツクシの反応は極めて鈍く、

「んあ、んあぁあぁ――」

 そう呻きながら二回頷いただけだ。

 そのまま、ツクシの首がコロンと床へ落ちても不思議ではない弱々しさだった。

「辛いこともたくさんあったからね。アンタが腑抜けちまうのも、わたしゃ、わからんでもないんだけどねえ――」

 注文を受けながら、エイダが歯切れの悪い口調でいった。

 頼んだ料理と酒はマコトの手で運ばれてきた。

「簡単にいうと、ネストの探索をするわけじゃな」

 シャオシンがふにゃふにゃ笑いながら頬張っているのは、ベリーの甘露煮を散りばめて、その上から蜂蜜とクリームをたっぷりとかけた五段重ねのパンケーキだ。ゴルゴダ酒場宿にメニュー表はない。だが、セイジに頼めばたいていのものは作ってくれる。甘いパンケーキを頬張るシャオシンはこの上なく幸せそうな顔だった。

「ご主人さま、夕ご飯にそんな甘いものを食べると虫歯になりますよ?」

 無い眉をひそめたフィージャは豚のスペアリブを骨ごと噛み砕いている。

 狼の食事風景である。

「生牡蠣もあるのだな。この酒場は頼めば何でも出てくるのか?」

 感心した様子のリュウが、ウィスキーが注がれたグラスを片手に、殻の上の生牡蠣を、つるんと呑み込んだ。

 もっともこれはゴロウの注文だ。

 そのゴロウが生牡蠣にレモンを絞りながら、

「この季節になると、西の港街――エイナリオスからわんさと生牡蠣が運ばれてくる。これを食うと王都の冬が来たって感じがするぜ。俺が北の山間やまあいにいたころは海のものが食えなくてなァ――それで、シャオシン、その探索ってのはなんだァ?」

 パンケーキを口へ詰め込むのに必死なシャオシンからの返答はない。

 その横に座るフィージャも豚の骨を嬉しそうに噛み砕いているので喋るのは無理そうだ。

「ツクシさんも生牡蠣を食べます?」

 ツクシおじいちゃん介護役のヤマダが訊いた。

「うぅ、うぉおぅぅ――」

 背を丸めたままのツクシが曖昧な返事をした。

「――うん、ゴロウ。今度のネスト管理省は、冒険者を募っているようだな。ネストの未探索区の調査を民間に委託するという話になる」

 リュウは酒に焼けた吐息を吐きながらいった。グラス一杯分だ。ストレートのウィスキーを一息に飲み干したが顔色ひとつ変わっていない。

 ゴロウが生牡蠣の香りをとろりと舌の上へ広げながら、

「うむう、未探索区っていうと――」

「――ネストの下層っすよね?」

 生牡蠣は「当たり」が怖い。

 だけれども、どれもこれも乳白色の身がぷっくりとつやめいて実に旨そうだ。

 伸るか、反るか――。

 ヤマダは眉間に谷を作って生牡蠣が盛られた大皿を睨んでいる。

「ええ、探索するのは地下八階層から下になるそうです」

 生牡蠣に口を占領されたリュウに代わってフィージャが応えた。

「そういってもよォ、地下八階層まで行くだけでも、かなりの時間がかかるぞ?」

 ゴロウが磯の香りを赤ワインで喉の奥へ流し込んだ。そうしてから、生牡蠣ならワインは白を頼めばよかったかなとゴロウは後悔した。

「ゴロウ、今、ネスト管理省は地下八階層の中央に駐屯地を建設している。そこで、民間人も宿泊ができるらしいのだ。どのていどの設備かは、まだわからんが――」

 リュウは空にしたグラスを見つめている。

「ネストのなかに軍の駐屯地っすか?」

 ヤマダは熟考した上で生牡蠣を手にとった。

「そうじゃ、ヤマ。管理省はネスト内部に大規模な基地を作っているのじゃ」

 シャオシンはタンブラーのホット・ミルクをふうふうしている。

「だけどよォ、それだと、雇われ冒険者募集って話になるだろ。いや、軍の傭兵に近いのか? そういう仕事は冒険者管理協会の区分じゃあねぇのかなァ――あ、おーい、マコト、白ワインをくれ。あァ、リュウも飲むか?」

 ゴロウが注文をするついでに訊くと、

「もらう。白い葡萄酒に生牡蠣は合いそうだ」

 シャッと顔を上げてリュウが即答した。

「――白のボトルですか?」

 寄ってきたマコトが無表情で訊いた。

「あァ、頼むぜ、マコト」

 ゴロウが頷いたときには、マコトはもう背を向けている。

 豚のスペアリブを骨まで残さずに完食したフィージャが、

「冒険者といっても、ゴロウさん、そんな難しい話でないんです」

「ゴロウ、ネストを探索するものには、ネスト管理省から『陰陽鏡子イェンヤンチンズ』が貸し出されるされるのじゃ」

 シャオシンは五段重ねのパンケーキを完食した。

 二人とも満足そうな表情だ。

「イン、ヤン? シャオシン、そりゃ何だァ?」

 ゴロウは白ワインを自分の杯へ注いだ。

「タラリオンでは智天使の眼と呼ばれている道具だよ。ゴロウは知らんのか?」

 リュウが自分の杯をゴロウへ突き出した。

「あ、あァ、リュウ、それなら俺も持ってるぜ――」

 この女も相当なザルだなァ――。

 ゴロウはリュウの杯へお酌をしながら呆れている。

「立体地図を投影する導式具っすか。確かあれ記録もできるんすよね。ああ、そういうことか――」

 ヤマダはタンブラーのスタウトを舐めながら呟いた。

「ああァ、探索ってのはネスト下層の未探索区へ行って、智天使の眼で地図を作って帰ってこい、って話になるのか」

 ゴロウが白ワインの杯に口をつけながら頷いた。

「そうだ、ゴロウ」

 リュウが引き締まった笑みを口元に浮かべて見せる。

「貸し出された導式具を使ってネストの地図を作ると、それに応じて、ネスト管理省から賃金が支払われる仕組みのようです」

 フィージャがコップの水を口からこぼしながらいった。

「ネスト管理省に探索者としての登録をすれば、今後はネストのなかで自由な行動ができるということじゃ」

 シャオシンが珍しく真剣な表情だ。

「――要するにマッピングだな。ジークリットのクソ野郎がここにきてようやくまともな仕事をしたか」

 低い声だった。

「ツクシ!」

 ゴロウが元々丸い目をさらに丸くした。

「しゃ、喋った、ツクシさんが喋った!」

 ヤマダが意を決して生牡蠣を口に入れようとしたところで固まった。

「お、ツクシ、ようやく、目が覚めたのか?」

 リュウが凛々しく微笑んだ。

「はあ、良かった、ツクシさん」

 フィージャがてふてふと舌を突き出した。

「ツクシ、何を今までぼんやりしておったのじゃ」

 シャオシンが眩い笑顔を見せた。

 ゴロウは恍惚の男から不機嫌な男に戻ったツクシを見やりながら、

「はァ、やれやれ。で、リュウ、話はわかったけどよォ、それは本来、王国軍の仕事だろォ?」

「そういわれるとそうっすよね。何でわざわざ民間に委託して探索するんすか?」

 ヤマダが首を捻った。

「俺たちはウェスタリア大陸人だから、これはあくまで外から見た推測になるが――王国軍の兵員にはよほど余裕がないのだろうな」

 リュウは手酌で満たされた杯にできた白ワインの鏡を見つめている。

「それは、そうだろうなァ――」

 ゴロウは自分の杯を見つめた。

 地上での戦争の話になる。

 新聞で公示される情報はエンネアデス魔帝軍を相手にしたタラリオン王国軍の連戦連勝だが、出征したきり帰ってこない多くの兵士や、上がる一方の物価や、商店に並ぶ物品の不足、内陸から王都へ流れ込み続ける戦争難民、これらを見ると魔帝軍が王都へ迫っているのは間違いないと、ゴロウは考えていた。

 ヤマダが手に持っていた殻つきの生牡蠣を口をつけずに卓へ置いて、

「最近、地上でも志願兵の募集が始まったんすよね。確かに、王国軍には人材の余裕がない――」

 ヤマダは二年間近く王都で暮らしているのでこの地に愛着が沸き始めている。

 魔帝軍に蹂躙される王都を想像したヤマダは暗い表情だ。

「北部戦線に手を焼いているタラリオン王国軍は、ネストにこれ以上の戦力を投入できないのでしょうね」

 フィージャが話をまとめかけたが、

「お前ら、それは考えが甘いぜ」

 ツクシが否定した。

「そうかァ? 話の筋は通っていると思うけどよォ」

 ゴロウはツクシの不機嫌な横顔を見つめた。

「シャオシン、管理省はネスト内部に大規模な駐屯地を作っているんだな?」

 ツクシが暖かいゴルゴダ酒場宿でおなか一杯になって眠そうにしていたシャオシンへ顔を向けた

「――うみゃ! そうじゃ、そういう話じゃよ」

 シャオシンは目を開けたまま寝ていたような反応である。

「それなら、王国軍は、ネストの底にある『何か』を見つけ次第、動きだすぞ」

 ツクシが生牡蠣をつるんと呑み込んだ。

「あァ、いつか騎士様が――ジークリットがいっていた賢者の石の件かァ――」

 ゴロウが手酌で白ワインを自分の杯へ注ぎながら唸った。

「ツクシさん、自分たちの目的の『扉』っすね?」

 頷いたヤマダがツクシへ視線を送った。

「ああ、そうだ」

 ツクシが頷いた。

「――そうだな、そう考えたほうが自然だ」

 リュウが呟いて杯を手にとった。

「王国軍が兵隊の数をこれ以上ネストで減らしたくないってのは本音だろうな。だから、王国軍はネスト内部へ基地を作って亀になる。聞いている限り、王国軍やつらは手も足も頭も甲羅から出すつもりがねェ。手や足を出すのは危険だから、民間から人手を募ってるんだ。要するに俺たちがやるのは捨石だぜ。捨石がネストの一番おいしいところを見つけたら、基地にいる王国軍は一気に進撃して、そのおいしい部分をかっさらおうって、そんな腹積もりなんだろ」

 ツクシが低く唸った。

「私たちへ捨石になれですか――」

 フィージャが視線を落とした。

「――不愉快な話じゃの」

 シャオシンがむっと眉を寄せた。

 一同の会話がそこで途切れた。

 各々の思惑で作られた沈黙を、

「それで、リュウさん、賃金はどうなっているんすか?」

 顔を赤らめて表情を厳しくしたヤマダが破った。

 ヤマダの迫力に押されたリュウが、

「そ、そこはネスト・ポーターとさほど変わらん。ネスト内部にある未探索区域の通路を進んだ距離に応じて賃金が支払われる仕組みらしい。掲示では千二百スリサズフィート(※大よその一キロちょっと)探索すれば十五枚だった。他にも条件を満たすと支払われる賃金が上がる。異形種を仕留めると、一匹につき二枚くらいだとか――これは危険を考えるとかなり微妙だろうな」

「リュウ、それは銀貨じゃねえだろうな?」

 ゴロウが唸り声と一緒にリュウを睨んだ。

「む、むろん、金貨だ。これは管理省に登録して、審査が通った探索者の集団に支払われる。まあ、折半だな」

 突然、ゴロウとヤマダに凄まれたリュウは顔を強張らせている。

「――折半かァ。だが、ちょっと行って帰って金貨十五枚なら稼ぎとしては悪くはねえよなァ。しかしよォ、ネストの下層は何がでるかわかったもんじゃあないぜ。そこをほっつき歩くのか――」

 顎髭へ手をやったゴロウが、

「――そりゃあ、死ぬだろ?」

 ゴロウは丸テーブルにいた全員に訊いた。つい先日、異形の攻撃で万単位の死人が出た。ネストは先の見えない戦場である。地下八階層から下へ進めば、どんな地獄を見るかわからない――。

「――ゴロウ」

 ツクシが空にしたタンブラーを卓に置いた。

「あァ?」

 ゴロウがツクシを横目で見やった。

「だから、捨石だっていってるだろ」

 不機嫌な男が不機嫌に唸った。

「金が欲しけりゃ身体を張れってかァ――」

 ゴロウは苦笑いを浮かべた。

「非情っすねえ――」

 ヤマダも苦い笑顔だ。

 ヤマダの発言を最後に、丸テーブル席の会話がまた途切れた。

 周辺の酔客の声は騒がしい。

 埒が明かねえなァ――。

 意を決して、ゴロウが重くなった口を開いた。

「ツクシは、ネストにまた通うつもりか?」

 ツクシは返事をせずに空になったタンブラーの底を睨んでいた。

 そうしていると、エールのタンブラーがマコトの手で置かれた。

 マコトは無言で背を向けた。

 新しい杯を手にとって、それを一息に飲み干したツクシが、

「ああ、もちろん、行くぜ。ネストあれは晴れて俺のかたきになったからな」

 と、低い声でいった。


(七章 人喰い鬼の王座 了)

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