十四節 鬼哭高らかに(伍)

「ニーナさん、そんな――」

 混乱したヤマダがふらふらと前へ出た。

「ギルベルト隊長、オリガ大尉、よくぞ、ご無事で!」

 ヤマダの足をイスコ曹長の怒鳴り声が止めた。ヤマダが振り返るとギルベルト少尉とオリガ大尉が合流している。導式機関の動力を借りて移動するこの両名の足は速い。

「下がれ、兵士もネスト・ポーターも下がれ、今、大階段基地へ逃げ込むのは無理だ!」

 ギルベルト少尉が防毒兜の面当てを引き上げて顔を見せ、周辺にいた兵士に自分が生きていることを確認させながら全体へ命令した。

「ほう、この様子だと我々が今まで相手をしていたのは本隊から派遣されていた分隊だったのか。これは相手にしてやられたな!」

 オリガ大尉が笑った。

「う、う、後ろ、後ろ、異形種、異形種ーッ!」

 ボルドウ特務少尉が大階段前基地の逆方向を指差して喚いている。

「ギルベルト隊長、追撃してきた敵の数も増えています!」

 報告したのは辿りついたばかりの銃歩兵だ。

「いっひひ、わ、わ、脇道へ逃げろ、退避、退避ぃい!」

 ボルドウ特務少尉が泣き喚きながら近くの脇道へ逃げ込んだ。

 予備役兵とネスト・ポーターが数人が釣られてボルドー特務少尉の後を追う。

「勝手な行動をするな!」

 ギルベルト少尉は怒鳴ったが、

「ぶぎゃあーッ!」

「うあっ!」

「んがっ!」

「ああっ」

「た、助けて、助けてえ、げっ――」

 脇道から悲鳴と一緒に千切れたひとの手足や胴体が飛んできた。びっくり仰天の表情をしたボルドウ特務少尉のなま首も転がってくる。ネスト管理省所属の行政員、グレゴール・ボルドウ特務少尉、四十七歳、男性、こんなのでも末端貴族でしかも既婚だった。

 殉職である。

 悲鳴が途切れた脇道の奥から、「ヴォエ、ヴォエ!」とエイシェント・オークの高笑いが聞こえてくる。

「――ふむ。やはり脇道も敵の手で閉鎖されていたか」

 ギルベルト少尉は足元まで転がってきたボルドウ特務少尉のなま首を見やって、したり顔で呟いた。そういってはいるが、この際、脇道へ退避するのもありかとギルベルト少尉も考えていたので、慌てて命令しなくて良かったなと安心している。

 この男はあくまで冷徹だ。

「基地で野砲の掃射が始まりましたね――」

 イシドロ伍長が呟いた。

「基地への入場はできんのか、すぐ近くに俺たちがいるのに!」

 イスコ軍曹が歯ぎしりをした。

「大階段前基地は近い。兵士もネスト・ポーターも固まってここで戦え、持ちこたえろ、他に生き残る道はないぞ!」

 ギルベルト少尉が命令すると、兵士たちは青ざめながら銃を握った。生き残ったネスト・ポーターも青い顔で護身用の武器を構える。退路はなく、戦力は少なく、大階段前基地からの応援も期待できない。

 だが、ギルベルト少尉はまだ戦えると考えていた。

 俺たちはどうやら死神を味方にしているようだからな――。

 背から両手持幅広剣バスタード・ソードを引き抜いたギルベルト少尉が、銃歩兵の集団と一緒に遅れて到着した男へ目を向けた。

「ヤマさん!」

 到着したツクシは、何かいおうとしたギルベルト少尉の脇を抜けて、ヤマダのもとへ走った。

「ヤマァ!」

 ツクシと一緒にゴロウもドタバタ駆け寄った。無視されたギルベルト少尉はムッとした表情でツクシの背を睨んでいる。その横で、オリガ大尉がギルベルト少尉の不満気な顔を眺めてへらへらしていた。

「ツクシさん、ゴロウさん、ニーナさんが、ニーナさんが!」

 ヤマダが顔を赤くして怒鳴った。

「――ああ、走ってる途中で見えた。野砲の砲撃に敵は気をとられている。ゴロウは走ってニーナにチチンプイプイだ。絶対に助けろ」

 ツクシは荒ぐ息と一緒に唸った。

「ああよォ、やってやろうじゃねえか!」

 ゴロウが髭面を真っ赤にして頷いた。

 ここより北に広がっているのは誰の目にも明らかな死地だ。

 しかし、倒れたニーナを見たゴロウは退く気がない。

「ヤマさん、テトと親父はまだ生きてるみたいだ。あいつらを安全な場所へ――ギルベルトの近くへ連れてきてくれ」

 ツクシは十字路の中央でテトに覆いかぶさるように倒れたジョナタンの手足が確かに動いたのを確認した。

「了解っす!」

 ヤマダが背中の矢筒から異形殺しの矢を手にとった。

「ツクシ、おめェはどうするつもりだ?」

 ゴロウは殺戮を睨んでいた。スカウトはまだしつこく逃げまどうものを追っている。

「俺が敵を引きつけてニーナを治療する時間を稼ぐ」

 ツクシが唸りながら前に出た。

「あの数を相手にか、どうやって!」

 ゴロウがその背に怒鳴った。

「あの一番でかい金ピカが、どう見たって奴らの大将なんだろ。なら――」

 ツクシが魔刀ひときり包丁を引き抜いた。

「――この俺が奴を叩ッ斬る。行くぜ、ゴロウ、ヤマさん」

 死神の翼を広げてツクシが奔る。

「本気かよォ、ツクシ! くっそ、ニーナ生きてろ、生きてろよォ! 息さえあれば俺がなんとかしてやるからなァ!」

 ゴロウがツクシを追った。

「ジョナタンさん、テトちゃん、僕らが退路を作るっす!」

 叫んだヤマダも前へ出る。

「おい、待て――あの馬鹿、大階段基地方面へ突っ込むつもりか!」

 ギルベルト少尉が怒鳴った。

「まあ、ギルベルト、前でも後ろでも戦わなければなるまい?」

 横でオリガ大尉がいった。

「まあ、確かにそうですが――」

 顔をしかめたギルベルト少尉は南から迫るエイシェント・オークの群れへ目を向けた。ここまで移動してきたギルベルトたちを追ってきた敵である。

 逃げ場はない――。

「――それに、ツクシの選択が正しい」

 オリガ大尉は黒い人皮のマントを背になびかせた黄金の鬼を見つめていた。

 ギルベルト少尉も顔を向けて、

「あれが、エイシェント・オーク・『レックス』ですか。初めて見ました」

「ここまで丸一年間。ネスト制圧軍団が追っていた敵の総大将が目の前にいる。これをらない手はないだろう?」

 唇を舐めるオリガ大尉の声は永年恋焦がれた異性に愛の告白をするような響きだった。

「しかし、オリガ大尉。あの一体を仕留めても敵の数が減るわけではないでしょう?」

 ギルベルト少尉が冷めた声で反論した。

「いやいや、敵の総大将を仕留めれば指揮系統が混乱するのは必定!」

 オリガ大尉は愉しそうに首を振りながら導式機関剣を引き抜いた。

「エイシェント・オークにそこまでの知能が――確固とした組織がありますかね?」

 ギルベルト少尉は半信半疑の様子である。

「ああ、それはあるね。本営の考えが甘すぎたのだ」

 オリガ大尉は断言した。

「――そうですか」

 不承不承、ギルベルト少尉が同意した。エイシェント・オークの軍勢は防衛能力が低い大階段前基地の南門を突破して、下の階層で戦う味方の軍と合流する予定のように見えた。大階段前基地が壊滅すると地下八階層で戦っているネスト軍団の部隊は補給線を断たれて壊滅する。エイシェント・オークの軍勢はエレベーターの穴を這い上がってすぐ地上へ出ようと考えていない。まず自分たちの本営を――エイシェント・オークの王座を上階へひとつ進めようとしていた。エイシェント・オークの軍勢はネスト制圧軍団が設置した導式エレベーターの開通を狙って作戦を決行した。エイシェント・オークの軍勢はおそらく、以前にも何度か偵察の部隊を使って情報を集め、ネスト制圧軍団が上階に形成した防衛構造を把握している。その上で、この反抗作戦を立案したのであろう。

 エイシェント・オーク側は、いつ、どのようにして偵察の部隊を出したのか。

 夏頃にあった石牢プリズンのエレベーター・キャンプ襲撃は本来、襲撃ではなく偵察が目的だった。功を焦った一部の敵を除き、他の偵察部隊は報告に戻ったのだ。石牢のエレベーターキャンプがスカウトに襲撃された時期と、エイシェント・オークの軍勢が地下九階層へ撤退を開始した時期は重なっている。エイシェント・オークの軍勢は敵陣を偵察をした上で、あえて地下九階層に撤退し、導式エレベーターをネスト制圧軍団の手で作らせた。敵の手で作られた通路を利用して進撃するために――。

 ここで冷静沈着が売り物のギルベルト少尉もさすがに顔色が変わった。

 しかし、今になって気づいても後の祭りだ。

「――奴らは――古代種・オーク族は、ヒト族とさほど変わらんよ」

 オリガ大尉が独り言のようにいった。

「あれがヒト族と変わらないですか。獰猛に過ぎますよ」

 ギルベルト少尉は散らばったネスト・ポーターの死体を回収して歩くスカウトを睨んでいた。

「ギルベルト、ひとだって獰猛だぞ。こと、戦場ではな――」

 笑って見せたオリガ大尉が後方の戦場と前方の戦場を見比べて、

「うん、私はまずツクシを援護しよう。基地の外にいる我々はあの死神だけが頼りだ。あっさり死なれると困るからな」

「後ろの手伝いも忘れないでください、オリガ大尉」

 ギルベルト少尉が身体を反転させた。エイシェント・オーク・スパルタン十五体、追随するスカウトは三十以上。これがギルベルト隊の南から迫る敵の戦力だ。

 前述の通り脇道には敵の伏兵もいる。

「ほう、お前が私に頼みごととは珍しい!」

 叫んだオリガ大尉が宙を駆け上がった。

「もうこの際、使えるものは何でも使います」

 オリガ大尉を見上げて、ギルベルト大尉が冷たく笑う。

「ハハッ! そろそろ後ろから『客』が来るぞ、ギルベルト!」

 オリガ大尉が宙を駆けていった。

「全体、聞け。大階段前基地方面の防衛はオリガ大尉とツクシへ任せよ。銃歩兵、背面に迫っている敵を撃て! ネスト・ポーターどもはなるべく固まっていろ、勝手に逃げると必ず死ぬぞ!」

 ギルベルト少尉の命令で銃歩兵が発砲を始めた。

 だが、銃歩兵が持つ弾も残り少ない――。


 十字路ではスカウトが何体かが、潰れたひとの死体を拾い上げ、それを革の袋へ詰め込んでいた。

 この作戦が成功すれば水も食料も酒もたくさん手に入る。

 大王はそういった――。

 このスカウトが白い鎧を着たヒト族の若いメスを目に止めた。見たところ損壊が少ない食材だった。毛のない猿の若いメスは脂が乗って肉がやわらかく、悪鬼にとってはご馳走になる。革袋を担いだスカウトが倒れたニーナへ喜び勇んで駆け寄って――。

「――ヴォア?」

 食材調達係のスカウトの首がドスンと落下した。

「――させねェぜ」

 ツクシが首を失ったスカウトの身体が倒れるのと一緒に路面へ降り立った。

 スカウトの首を地に落としたのは、むろん、ツクシの魔刀である。

「ニーナ、おい、ニーナ!」

 遠くからツクシが呼びかけた。横たわったニーナからの反応はない。ツクシだって駆け寄りたかったがそれはできない。敵に気づいたスカウトが駆け寄ってくる。そのスカウトは右手に一刀だけ大ナタを持っていた。空いた方の手は死体入りズタ袋を大事そうに抱えている。

 迷うな、前だ――。

 ツクシはスカウトが振り下ろした大ナタを前転してかわした。大ナタの切っ先が石床を割ったのと同時に、白い光がスカウトの片足に断線を作る。左足を膝の下を失ったスカウトが悲鳴を上げながら、まだあるほうの膝をついた。低い位置にきたスカウトの頭を、縦一閃、ツクシの魔刀が叩き割る。

「――ゴロウ、早くニーナを!」

 血煙のなかからだ。

 ツクシが叫んだ。

「あ、あ、よォ!」

 ゴロウが倒れたニーナに駆け寄って両膝をついた。

「――ツクシさん、囲まれてる!」

 ヤマダの声と一緒に放たれた異形殺しの矢は、ツクシを囲むスカウト一体の後頭部に突き立った。ツクシはスカウトに囲まれている。

「さっきは大見得を切ったが、この数を相手にすると、ちょっと厳しいかもな――」

 ツクシが顔を歪めた瞬間である。ツクシに最も接近していたスカウトの頭上半分を赤い閃光が切り飛ばした。脳髄をそっくり失ったスカウトはぐにゃりと倒れた。

 赤い閃光の攻撃は上空からだ。

「鈍いぞ、愚図どもめ!」

 燃える赤髪の狂犬が王国陸軍外套の裾をはためかて宙で歓喜している。

 行きがけの駄賃だ。

 降下のついでに、導式機関剣から伸びる導式の赤い刃を振り回し、二体のスカウトを斬殺したあと、オリガ大尉がツクシの前に着地した。

 オリガ大尉は導式機関剣の切っ先を、にじり寄るスカウトへ振り向けて、その足をとめると、

「ツクシはレックスをるつもりだろう。私が援護する」

「レックス?」

 ツクシが訊いた。

「奴らの王様のことだ」

 オリガ大尉が大階段前基地の方面へ顎先を向けた。

「なるほど、あの金ピカは奴らの王様ってわけか。いや、援護はいらんぜ。オリガはゴロウとニーナを守ってくれ」

 ツクシがエイシェント・オークの王を睨んだ。その周辺に大階段前基地南門からの砲撃が届いている。エイシェント・オークの主軍は後方――ツクシのいるほうへの警戒が薄い。主力のスパルタンはほぼすべてが大階段前基地方面へ突撃を開始していた。

「ほお、ツクシ、私に命令か?」

 オリガ大尉が無表情でツクシを見つめている。

「――オリガ、俺は頼んでるんだ」

 女ってのは本当にしち面倒くせェ生き物だよな――。

 ツクシはオリガ大尉へ横目で視線を返した。

「頼みか、ならば、良し!」

 オリガ大尉が再び宙へ駆け上がる。エイシェント・オークは飛び道具を持つものが少ない。ツクシを囲んでいたスカウトはオリガ大尉の三次元空間を使った遊撃で混乱している。ツクシはニーナの治療を開始したゴロウを見やった。治療の邪魔になるニーナの導式機関重甲冑をゴロウが外している。ニーナの下にできた血溜りが見えた。

 必ずニーナを助けろ。

 ゴロウ、必ずだぜ――。

 胸中で唸って、ツクシは王へ視線を向けた。

 殺しの刃がエイシェント・オーク・レックスを目標に定める。


 十二スリサズフィート(※だいたいで十メートル)を、『漆黒の革鎧の剣士』は一瞬で移動する。

 だが漆黒の革鎧の剣士は連続して『不可解な移動』ができない、

 しかし、漆黒の革鎧の剣士が持つ奇妙な刃は、我らウビ・チテムの民の装甲鎧を楽々切り裂く力を持っている――。

 片膝をついて頭を垂れたスカウトへ、

「――エ、ライヒ。ヒンガ、リコーネ」

 王がいった。

「エイ、アハ、トンガ」

 返事をしたスカウトは姿勢を低くしたまま後ろへ下がって隊列の後方へ戻った。

 偵察兵の報告を受けたエイシェント・オークの大王は、まず前方の主戦場へ視線を送った。突撃した装甲部隊が大階段前基地の南門へ辿りついて、そこで機動歩兵の集団と戦闘している。野砲の砲撃は止まった。対異形種加農砲アンチ・ヴァリアント・カノンは敵に接近されると無力になる。大王の軍勢は戦を優勢に進めている。

 敵陣の南門を突破するのは時間の問題であろう――。

 大王はまず満足して今度は背後へ視線を送った。

 そして唸った。

 大王は用心に用心を重ね、主力の装甲兵を分隊に加えてまで地下七階層を警戒をしていたのだが、この警戒網を突破して隊の背面を遊撃している集団がいる。ツクシたちとギルベルト隊だ。

 回廊を移動していたのは、毛の無い猿のなかで最も弱く、戦う意志が貧弱な集団の筈。

 それが何故、ここまで生きて辿りついた――。

 大王が抱いた疑問には偵察兵の報告が応えた。

 偵察兵は「十以上の装甲兵が黒い革鎧の剣士によって斬り殺された」と、大王に告げた。

 剣士と呼べるものが、毛の無い猿の群れに交じっているとは、にわかに信じられぬ――。

 最初、大王は報告を聞いて思った。しかし、百聞は一見にしかずだ。大王は自軍の背面で跳梁跋扈するその黒い革鎧の剣士を見ると納得をした。

 不可解な瞬間移動と、目にもとまらぬ剣さばき。

 漆黒の革鎧の剣士は、縫い針のような細い刃(大王から見れば)を使って、偵察の兵を鎧袖一触、次々と両断している。

 大王が見つめているのはツクシである。

 毛の無い猿の身でありながら見事な腕前。

 立派な戦士。

 敵ながら敬意を払ってよい存在――。

 大王は感心した。

 ドラゴニア大陸の大半を深緑で塗りつくすウビ・チテム大森林地帯、

 太古の昔、その地の王者であった古代種・オーク族。

 彼らが作る社会は至極単純だった。

 最も大きく、最も強いものが王となって部族を支配をする。強きものに最大の敬意を払うのが、彼ら古代のオーク族の主義であり生き方だった。

 大王の護衛部隊――不可視化迷彩服を着ていないスカウトの三十体余が、ツクシを警戒して大王の近くに身を寄せた。彼女たちは無骨な装甲鎧と比較すると、飾り気のある軽装鎧を身につけている。彼女だ。大王の護衛はすべてエイシェント・オークの女性だった。

「――カウア、エ、イナ、イナ!」

 大王の言葉が落石のように響いた。周囲にいた女性のスカウトが、さっと左右に分かれて彼らの王のために道を空けた。大王は腰から吊っていた二つの大戦斧を両手にとって、ゆっくりと歩きだした。

 黄金の装甲兜の奥で黄緑色の瞳が魔刀を片手に疾走してくるツクシを捉えている。

 ツクシは悪鬼の王へ突進しながら三体のスカウトを始末した。

 血煙を突き抜けて、ツクシは走る。

 視線の先にエイシェント・オークの大王がいる。

 その距離は二十メートルを切った。

 大王の親衛隊らしき一団が控えていたが、どういうわけか、ツクシのほうへ向かってこない。

 しかし、王はツクシに向かって歩を進めてくる。

「一対一か、上等だ――!」

 ツクシが口角を歪めた。

 黄金の巨躯を揺らして歩くエイシェント・オーク・レックス。

 それに向かって疾走するツクシ。

 両者の間にあった距離が、ツクシの歩幅で十二歩半に達した。

 ツクシの敵は魔合マアイる。

 虹色の光を散らしたツクシが大王の視界から消滅した。大王は身長七メートル以上。体重は何トンにも及ぶ巨躯を持ち、全身を黄金の装甲で覆っている。これのどこを叩き斬れば良いのか、ツクシは少し迷ったが、やはり、その首を落とすことにした。

 ツクシが出現した座標は大王の顔面付近、敵の視界からは少し外れた位置だった。

 しかし、ツクシの刃が届く位置に大王の首がない。零秒で襲いかかるツクシの刃から逃れる術はない。だが、その攻撃を予測することはできた。ツクシが大王を魔合に捉えた瞬間、大王は背後へ倒れこむように背を反らして、魔刀が展開する決死圏から逃れている。

 ツクシの刃は虚空を割った。

 かわされた――!

 ツクシは目を見開いた。

 宙にあるツクシを左から大王の大戦斧が襲う。

 倒れ込んだまま身を捻った大王の一撃だった。

 毛の無い猿にしては良い剣士だが、しかし、まだまだ未熟、未熟――。

 大王は黄金の兜のなかで笑った。

 真横に飛ばされたツクシは壁面に激突すると石床へグシャンと落下した。

 ツクシもエイシェント・オーク・レックスに倒された。


※異界語の翻訳※


原文「――エ、ライヒ。ヒンガ、リコーネ」

訳文「――む、よい、下がれ偵察兵」


原文「エイ、アハ、トンガ」

訳文「はい、我らの大王」


原文「――カウア、エ、イナ、イナ!」

訳文「――いらぬ。退け、退け!」

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