三節 百姓三人、子供が一人
ネストの地下五階層の下りエレベーター・キャンプが、エイシェント・オークの襲撃を受けてから二ヶ月近く経つ。その間、エイシェント・オークの攻撃によるネスト・ポーターの犠牲者は一人も出ていない。喉元を過ぎれば熱さを忘れるものだ。一時期、ネストから遠ざかっていた王都の貧者が仕事を求めて、早朝からネスト管理庁前へ行列を作るようになった。
本日、ツクシたちが所属するのはウルズ組である。
ウルズ組が作業する階は、ネストの地下七階層に振り分けられた。地下七階層はネスト・ポーターが作業する最下層にあたる。この階下はネスト制圧軍団が異形軍を相手に戦争中だ。真下が戦場なので、この階層には下り導式エレベーターが設置されていない。他の階層での輸送ルートは上がりエレベーター・キャンプから下りエレベーター・キャンプを往復する形だが、下りエレベーターが存在しないネスト地下七階層は移動する目的地が違ってくる。総勢で三百名以上のウルズ組は、地下八階層へ続く下り大階段前基地へ向けて補給物資を輸送中である。
「――身体が重てェ」
ツクシが四輪荷車の脇を歩きながらボヤいた。昨晩、酔ってタカって悠里から金をムシりとり、べろべろになるまで酒を飲んだツクシの肉体には一夜明けたあとも酒が残っていた。
酔狂の残滓がその足取りを重くする。
「まァ、オッサンはそうだろうなァ」
横を歩くゴロウがニヤニヤ笑った。
「ゴロウは二十九歳だったか?」
不機嫌マシマシのツクシがゴロウを横目で睨んだ。
「来月でいよいよ三十だぜ。はァ、いやになるなァ――」
ゴロウが肩を落として溜息を吐いた。
「ふん、お前もじきにこうなるってことか。三十路を過ぎるとな、酒が次の日まで身体に残るぞ。覚悟しとけよ、この赤髭野郎」
ツクシが脅しを入れて満足気に口角を歪めた。
「ヤマはツクシより二つばかり年上なんだろォ?」
ゴロウが荷車の脇を歩いていたヤマダへ髭面を向けた。ヤマダは見た目より体力があるので、いつもは荷の引き手に回ることが多い。ゴロウは筋骨隆々の大男だが肉体労働を極力避けたがる。ツクシも似たようなものだ。
「――あ、はい、そうっすね。僕は三十六歳っす」
先日大金を払って拵えた導式機関弓の試し撃ちがしたい。
ヤマダはキョロキョロとファングを探していたので遅れて返事をした。
「ツクシ、おめェより年のいってるヤマは元気そうじゃあねえか?」
ゴロウのいう通り、最近は何かに搾り取られてフラフラしてることが多かったヤマダも、今日は元気そうだ。
「いやあ、ゴロウさん、僕はツクシさんほど飲めないっすからね」
ヤマダが苦く笑った。
「ツクシはお酒を飲みすぎなのよ。嗜むていどにするべきよね――よね?」
ツクシを睨んでそういったのは、荷車の脇をガシャンガシャンと歩いていたニーナである。
「まあ、今日は荷押し役が多くて助かったな」
小さい声でいったツクシが四輪荷車第二班の荷車を引く連中へ目を向けた――。
――ツクシが配属されたこの四輪荷車第人班に配属されたのは、ツクシ、ゴロウ、ヤマダ、それにニーナ。ここまではいつものメンバーだった。本日はこれに、ジョナタン・メンドゥーサ、テト・メンドゥーサ、ペーター・オルヴァ、ラモン・パルミロという新顔が加わって計八人の班になっている。リカルドは病欠である。ニーナは何もいわないが、どうも最近のリカルドは体調が優れないようだ。今朝方、ネスト管理局の登記所に並んだときはツクシたちと一緒にリュウとフィージャもいた。
「シャオシンは役に立たんし、迷惑だから家に置いてきた」
リュウとフィージャはそういったが、そういった彼女たちのあとを背嚢を背負ったシャオシンがこっそりつけてきた。
登記所でそのシャオシンを発見したリュウとフィージャははっきり告げた。
「お前は邪魔にしかならないから家へ帰れ、すぐ帰れ」
「いやじゃ、いやじゃ、わらわもネストへ行きたいのじゃ! 働くつもりは一切ないのじゃ! でも、家にいるのは退屈じゃ、退屈でわらわは死んでしまうのじゃ!」
シャオシンが身をくねらせてわがままを吠えると、激昂したリュウがネスト管理省の玄関口でガミガミ説教を開始した。ものすごい剣幕のリュウの横でフィージャが獣耳を折りたたみうなだれている。
ここまでいつも通りである。
相手にするのが面倒になったツクシたちは先に登記を済ませた。三人娘は結局、登記の締め切り時間に間に合わなかった。リュウがいうには、易経(※棒でジャラジャラ占うアレ)で占った結果、今日は出た卦が悪いらしく、シャオシンをつれていくのは危険だという話である。占いに凝るとはリュウも案外女っぽい部分があるのだなあとツクシは思った。
ともあれ、そんな経緯で新顔が四人交じってツクシの班は編成されている――。
「――でもよォ、
髭面をしかめたゴロウが荷車を引く黒い髭面の大男――ジョナタンに声をかけた。ゴロウがいった子供とは荷車を後ろで押している、頭に赤いバンダナを巻いた少年のことだ。背丈は百六十五センチていどで見るからに身体が細い。痩せているというよりもまだ成長中の細さだ。
「あ、ああ、んだべな、ゴロウさん。テトな、オラもお前は家にいたほうがいいと思うんだが――」
ジョナタンがもぞもぞ返事をした。立派な体格だが、このジョナタンは周囲にのろ臭い印象を与える中年男だ。
「俺は十八歳だ。もう大人だよ、父ちゃん」
赤いバンダナの少年――テトがはきはきと若い声でいった。テトはジョナタンの子供らしいが父親にまったく似ていない。目元が涼やかで利発そうだ。そのテトは短い黒髪にくるくる赤いバンダナを巻いて、襟つきシャツにズボンに作業用ベストを羽織り、足元は革のブーツの姿だ。どれも汚れたものを身に着けていた。その上、元々汚れた顔に靴墨のようなものをを塗りたくってフェイス・ペイントをしている。まるで少年ゲリラ兵のような格好だ。
この
ツクシが見やるとテトは顔を背けた。
「テト、嘘をつけよゥ」
そういったのは、ジョナタンの横で荷車を引いていたペーターある。ペーターもジョナタンと同じく黒髭で同じく汚れた襤褸服を着た男だ。背丈はジョナタンよりも低い。
「ここだけの話、テトは三つ年齢を誤魔化して登記してるんだ」
こういったのは、テトの横で荷車を押すラモンだ。ラモンはペーターよりも背が低く小柄な中年男だが、幅のある体格で態度も落ち着きがあって、ジョナタン、ペーター、ラモンの三人のなかでは一番貫禄がある。この四人はグリフォニア大陸の中北部、ヴィーンディンゲン領から戦乱を逃れて王都へやってきたと自己紹介した。元はみんな農夫だったらしい。王国の北部に散在する貧村と違って、土地肥沃で年を通して温暖な王国領中部は、豊かな(そういっても食うに困らないていどらしいが)農民も多いそうだ。
「オラたちは農奴じゃあなかったべ。ペーターも、ラモンも、オラも、土地持ちの百姓だっただ」
そう語ったジョナタンは、そのときだけ誇らし気な顔だった。
「――んだけんども、オラたちは運がいいべ。サムライ・ナイトに、ゴロウさんに、ニーナさんと一緒の班なら何があったって安全だかんなあ」
ジョナタンが笑った。
「ンだなァ、ジョナタン」
「ああ、ジョナタン、ペーター、俺たちは運がいいな」
ペーターとラモンが頷いた。
「おい、俺は他人の面倒まで見るつもりはないぜ」
ツクシが最悪に不機嫌な表情を見せた。
「ああよォ――」
「ツクシ――」
太い眉尻を下げたゴロウと細い眉尻を下げたニーナが身を切るような不機嫌を全身から放出するツクシを見つめた。
「おい、よく聞け、ドン百姓ども」
ツクシが低く唸った。
「俺が守れるのは俺だけだ。それ以前に、赤の他人の安全なんか俺の知ったことじゃあねェ。ヤバくなったら
ツクシはテトを睨んでいる。
テトは顔を背けていた。
三白眼に電撃のような殺気が奔る凶悪極まりないツクシの形相だ。ツクシは今、思い出したくないことを思い出している。その目の裏側で見ている光景は、チンピラに乱暴されて泣きじゃくるユキや、後頭部にこぶを作って顔を真っ赤にしていたモグラや、心臓に短剣を突き立てられて死んだグェンや、エイシェント・オークに襲撃を受けた際に命を落とした青年、それに、その青年の死体の傍らで泣き崩れる父親――。
テトは腰にぐるぐる巻いた布へ粗悪な造りの短剣を一本差していた。
それを目にしてツクシは益々凶悪な顔になる。「ドン百姓」とまでと罵られた元農夫の男たちは、丸めた背中に怒気を匂わせていた。それでも彼らはツクシへ反論をしない。不機嫌なツクシと目を合わせることもしなかった。
「――ドン百姓って、こいつ! 父ちゃん、こんな奴に頼らなくても生きて帰れるよ!」
四輪荷車第三班へ訪れた気まずい沈黙を若い声が打ち破った。
声を上げたテトははっきりとツクシを睨んでいる。
「――いつもはそうだけんどな。テト、今日は一番危険な地下七階層なんだべ」
荷車を引くジョナタンが顔を後ろへ向けた。
ジョナタンは泣きそうな顔だ。
「そんなに心配するなよゥ、ジョナタン。ここ二ヶ月、ネスト・ポーターの死人は出てないって話だしよゥ」
ペーターがジョナタンの背中を叩いたのだが、
「テト、お前に何かあったら、オラはカアちゃんに何ていえばいいのか――」
ジョナタンはがっくりと肩を落とした。その様子を見ると、ジョナタンは自分の意思でテトをネストに連れてきているわけでもないらしい。
「ジョナタン、ネスト制圧軍団は最近勝ちっぱなしだって噂だぞ。上がってくる死体袋だって、前よりずっと少なくなってる。ペーターのいう通り、そこまでの心配する必要はない筈だ」
ラモンがいった。死体袋とは、下層から上がってくる王国軍兵士の死体が入った麻袋である。これを地上へ運搬するのもネスト・ポーターの仕事になっている。
ずっと黙っていたヤマダが口を開いた。
「ジョナタンさん、ペーターさん、ラモンさん、それにテト君もちょっと聞いてください。厳しい言い方ですが、ツクシさんのいう通りなんすよ。
ツクシほどではないが、ヤマダも厳しい表情だった。
「ああよォ、そうだな。それはヤマが正しいぜ。逃げるが勝ちだ――なァ、ジョナタン、ペーター、ラモン、それにテト。ツクシがいってるのはそういうことなんだよ。だから、そう気を悪くするなよな?」
ゴロウがツクシの不機嫌な横顔を睨みながら場を取り繕った。
「そうね、無理に戦う必要は全然ないわ」
ニーナが笑みを見せて同意した。
「ええ、それは間違いないっす。自分らの目的は異形種と戦うことじゃあないっすからね――」
ヤマダも頷いた。
それはどうかな――。
ツクシの口角が歪んだ。エイシェント・オークは高い知能を持ち、敵を襲うときは集団で計画的に攻撃する。そう簡単に獲物を逃がすような相手でないし、逃げ切ることも難しいだろうとツクシは考えていた。だが、ツクシは黙っていた。いう必要がない。逃げの一手だけをヤマダが考えているのであれば、金貨八十枚以上という大枚をはたいて弓を新調する必要がないからだ。ツクシはヤマダという見た目は貧弱な小男を、どうしてなかなか気骨のある野郎だと高く買っている。
「幸い地下七階層に当たる組は、警護の兵隊さんも数が多い。異形種が出たら、まずあいつらに押し付けて、おめェらは全力で逃げちまえ、な?」
ゴロウが輸送隊列中央につく兵士の集団を見やった。警護を担当する兵隊の数が他の階層よりずっと多い。ウルズ組の警護についた兵員数二百名近くの中隊規模だ。構成もネスト管理省から派遣されている予備役兵八十二名に、ネスト制圧軍――タラリオン王国正規軍の百名余が加わっている。何より目を引くのはニーナと同じ(型は微妙に違うようだが)導式機関仕様重甲冑を装備した重装歩兵だった。ただ、その装備は
「――それもそうだな、ゴロウさん」
ラモンが納得した様子で頷いた。
「俺たちは魔帝軍からも逃げ切ったじゃあないかよゥ。だから異形種からだって逃げれるよなァ?」
ペーターがジョナタンを見やった。
「そ、そうだべな!」
ジョナタンが顔を上げだ。
父親の明るい声を聞いて表情をゆるめたテトは、ツクシから視線を外して前を向いた。
「でも、今日はあいつが警備隊の隊長よね?」
ニーナが冷たい声を出した。
元々切れ上がっているニーナの目が今は剃刀のような鋭さの角度になっている。
「――ああ」
ツクシも低く唸った。ニーナが睨んでいるのは、中隊隊長グレゴール・ボルドウ特務少尉だ。可愛げのないブルドッグのような顔をしたその中年男は、ツクシたちにとって因縁浅からぬ相手である。
見るからに殺気立っているツクシへ、
「おい、ツクシ」
ゴロウが声をかけた。
「あ?」
ツクシの極端に不機嫌な返答だ。
「変な気を起こすなよ?」
ゴロウはダミ声で唸った。
「ゴロウは俺を煽ってるのか?」
ツクシが唸り返した。
「ああよォ、俺だって、その気持ちはわかるんだがなァ――」
ゴロウが髭面をひん曲げたところで、
「チュチュ! 逃げる? 異形種の二匹や三匹、我ら生活圏防衛軍の敵ではないぞ。チュ、チュチュ!」
ねずみがツクシたちの後ろから声をかけた。海賊帽子をかぶり、灰色の生活圏防衛軍服を着て、サーベルを腰から吊った、オレンジ色の毛並みのヒト型ねずみである。反らした胸にいっぱい勲章がついていた。
ウルズ組にワーラット工兵中隊も荷を満載したリヤカーだの四輪荷車だのを引いて同行している。
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