二節 ヤマダの相棒

 まっ昼間、それも他人の視線がある野外で、である。

 だいたんに乱れるニーナの痴態を頭のなかで再現しながら、ゴルゴダ酒場宿のカウンター席に座るツクシは低い声でいった。

「失敗だった」

「何がです?」

 悠里がへらへら笑いながら訊いた。

「買い物へ行くのに、レィディを使ったのは、かな――」

 ツクシが眉根を寄せて視線を落とした。

 ニーナはまだ二十歳前の筈だ。

 誰が、あんな感じのドすけべに仕込んだのだろう。

 軍隊にいたとき、よくよく訓練されたのか。

 それとも、派手なパーティで遊び回っている貴族の女は、元よりみんなああなのか。

 もしかすると、こっちの世界の女は全般的に貞操観念が軽いのかも知れんよな――。

 深刻な顔のツクシが考えているのは、こんな下世話な内容である。

「ああ、なるほど――」

 頷いた悠里が苦笑いになった。

 ツクシは冷めた紅茶を一息に飲み干し、目の前にチラつくニーナの白い肉体を振り払って、

「レィディに乗って街中を移動すると目立ちすぎるぜ。いつも見ていると気にならなくなるが、骨だからな、あれ」

「何よ、他人ひとに見られるくらいのことで。ツクシの意気地なし」

 横からそういったのは、直径二十センチ以上あったレモン風味のレアチーズケーキを、丸々一個完食したアヤカである。

「あぁん?」

 ツクシが横で紅茶を飲むアヤカを刺すように睨んだ。

「――ふん」

 さすがは邪神というべきか。

 アヤカはツクシの凶悪になった顔へ、棘のある視線を余裕をもって流しつつカウンター席を立った。ツクシはそのアヤカへしつこくガンを飛ばし続けた。意気地を取り上げるとこの男には何も残らない可能性があるので必死である。

 ムッと顔色を変えた悠里が、

「おい、アヤカ。ツクシさんにご馳走様くらいいっていけよ」

「ツクシ、おなか一杯になったから二階いって寝る」

 アヤカは感謝ではなく今後の予定を伝えると、そのまま振り返らずに階段を上がっていった。

「うわあ――!」

 悠里はあとに続ける言葉を失った。

「あれは大変なお嬢ちゃんだな――」

 ツクシは口角を歪めた。

「ええ、まあ、本当に大変なんですよ。ツクシさん、アヤカの失礼のお侘びです。僕に酒を奢らせてください」

 悠里はツクシの横に席を移した。

「おう、悠里、遠慮はしないぜ。おい、マコト、いつものを頼む。払いは全部、悠里だ」

 口角をゆるませたツクシが脇を抜けようとしていたマコトを捉まえて、いつものエールを注文した。

「あ、僕もエールを頼むよ、マコト」

 ついでに悠里も声をかけた。

「はい」

 短い返事と一緒にマコトは厨房へ消えた。エイダは「もう借金ツケでツクシに酒を飲ませるんじゃないよ!」とミュカレやユキやマコトへ厳命してある。最近のツクシは先払いか払う人間を指定しないとゴルゴダ酒場宿で酒を飲むことができない。しかし、ツクシが頭を下げて泣きを入れると普通に酒が出てきたりもする。ツクシは他人に頭を下げるのが死ぬほど嫌いな男だが酒のことになると実に簡単にこうべを垂れる。もちろん、ゴルゴダ酒場宿で酒を飲むと、ツクシの借金は確実に増えていく。この男は本当にだらしがないのである。

 そのだらしないツクシが、横でニコニコと笑う悠里を距離を取って眺めながら、

「ところで悠里、最近はアルさんの所の冒険者団が宿にいることが多いな。いいのか、団の営業担当が遊んでいるみたいだが?」

「ああ、ええ、僕は今朝も冒険者管理協会に顔を出してきたんですけどね。内陸方面の仕事が極端に減っているんですよ。食うに困って王国軍の下請け仕事に手を出す同業者も出始めてます」

 悠里が渋い顔になった。

「軍の下請けっていうと、傭兵になるのか――」

「そうなりますね。北部の戦線が魔帝国に押されてますから、そっちの仕事はたくさんありますよ」

 悠里は王都を離れて仕事をすることが多いので世情に詳しい。

「ククッ! 王都新聞には王国が押してるって書いてあったぜ」

 ツクシは悪い顔で笑った。

 これは極悪人の顔である。

「いやいや、笑いごとじゃないですよ、ツクシさん」

 悠里は苦い笑顔で返した。

「――だな。おう、マコト、悪いな」

「ありがと、マコト。ツクシさんは日本へ帰るんでしょう?」

 カウンター・テーブルの向こう側から、エールが注がれたタンブラーが二個、マコトの手で届いた。そのついでにオリーブの塩漬けが盛られた木の小皿も一緒に出てくる。ツクシも悠里も注文をしていない。しかし、頼まなくても黙って出てくるのがゴルゴダ酒場宿の常なので、ツクシも悠里も何もいわない。

「いつもなら、『うちの冒険者団へ是非どうぞ』とくるだろ。さすがに悠里も同じ台詞はいい飽きたか?」

 ツクシがタンブラーを傾けながら口角を歪めた。

「ああ、いえ、そのですね――」

 言葉を濁した悠里がタンブラーに口をつけた。

「今すぐにでも日本へ帰ったほうがいいって話か――そんなに戦況は悪いのか?」

「はい、間違いないです。ここ一ヶ月で魔帝軍に取られた王国の都市も多くて。ミトラポリスの周辺は特に酷い。まあ、僕はいいんですよ。何があっても死にませんし。アヤカだって絶対に平気です。あいつはヒト型の兵器ですから。でも、ツクシさんやヤマさんは――」

 悠里は腑抜けた笑顔をツクシへ見せている。

「悠里、日本へ帰りたくても、まだ手詰まりだぜ――ユキ、もう一杯頼む。今日は悠里の奢りだ」

 ツクシが空の杯を掲げた。厨房付近で丸椅子に腰かけてジャガイモの皮を剥いていたユキは返事をしなかったが、二つの猫耳をぴこぴこ動かしたので、ツクシの注文を承諾した様子だ。半年近くゴルゴダ酒場宿で暮らしているツクシは、もうここで働く従業員からお客様扱いをしてもらえない。特にユキなどは返事もしないことが多い。

「でも、ツクシさん。ネストの前線は押してるんでしょう?」

 悠里がオリーブの塩漬けを口へ放り込んだ。

「営業職はさすがに耳が早いな」

 ツクシがいい加減な返事をすると、

「この前、僕はツクシさんから聞いたんですよ?」

 だそうである。ツクシは悠里に喋ったことを逐一覚えてはいないが、悠里はツクシの喋ったことを一字一句漏らさず覚えているようだ。悠里の記憶力が良いのか、それとも他に理由があるのか、ツクシはあえて考えないようにして、

「おう、そうだったか? まあ、ネスト制圧軍団が地下九階層へ進撃しそうなんだ。ネスト・ポーターの間で噂になってる。だが、その先が地下何階層まであるのかまだわからんだろ。だから、一階層ていど進んだところで意味はない。ネスト制圧軍団がそこで異形種どもを全滅させちまえば、また話は違ってくるが――」

「――一体、ネストって何なんでしょうね?」

 悠里が首を捻った。

「何だろうな、本当に――おう、ユキ、遅いじゃないか」

 ツクシが眉根を寄せたところで、

「んもー、ツクシ、わたし忙しいのに」

 ユキはツクシへ横からぐいぐい身を寄せた。まだ陽が落ちる前で来客は少なく、本当に忙しいわけでもなさそうだ。

 ユキは笑っている。

「うん、ユキ、悪かった」

 ツクシは猫の手で運ばれてきた杯を片手に口角を歪めて見せた。

「――んっ。ゆるしたげる」

 笑顔のユキが猫のしっぽをぬるぬると振りながら厨房へ戻っていった。

 今日のユキは虫の居所が良いらしい。

「――ツクシさんは、日本へ帰れる確証がないのに、随分とネストにこだわるじゃないですか?」

 独り言のような調子で悠里が訊いた。

「『ここではないどこか』へ繋がってる『扉』は、ネストの下層にあるぜ。それだけは間違いねェ。実際、ネストのなかで、ここではないどこかから来た存在――異形を、俺もこの目で確認したからな」

 ツクシはエールで喉を湿らせながら応えた。

「でもその扉って、どういうモノなんです?」

 悠里が釈然としない表情をツクシへ向けた。

「まだ、具体的にはよくわからんな――」

 ツクシは前を向いたまま呟いた。

「調べても、調べても、ネストに関する資料は全然見つからないんですよね。何かすいません、力になれなくて――」

 悠里が顔をしかめた。ツクシに頼まれて悠里もネストの情報を集めている。

 日本にいた頃の話だ。

 大学のサークルでファンタジー文学研究会に所属して、自分でもファンタジー世界を主題にした小説を書いていた(ツクシが聞いたところに拠れば、悠里は小説賞の公募にも何度か挑戦したようだが、作家デビューはできなかったそうである。そのうち、悠里は自分の夢を諦めたらしい――)この悠里は、カントレイア世界の調査や探索を趣味にしているので、「ネストの情報を、手が空いたときに集めてくれないか」というツクシの頼みごとを苦にしていない。しかし、悠里が王立図書館へ足繁く通い詰めても、ネストに関する情報はまったく見つからないのである。大タラリオン城の南区画にある、四階建ての王立図書館は、カントレイア世界屈指の蔵書量を誇っているのにも関わらずだ。悠里にとってもネストの存在は喉にかかった魚の小骨のようなものになっている。

「――いや、無理をいってるのは俺だから謝る必要はないぜ。まあ、ネストの奥にあるものを見つけたら悠里にも教えてやるよ。気になるだろ?」

 ツクシが悠里へ目を向けた。

「ツクシさん、僕にそれを教えてから、日本へ帰ってくださいね」

 不貞腐れたようにそういって、悠里がタンブラーに口をつけた。

「それ、できるかな――いや、『行ったり来たり』もできるかも知れんぞ。そのまま、『四次元ドア』だよな――」

 ツクシが腕組してウンウンと唸りながら無い知恵を絞った。

「ツクシさん、それって根拠はあるんですか?」

 悠里は怪訝な顔である。

「俺が今できる。十二歩半だけだがな」

 ツクシがいった。

「――え?」

 悠里はツクシを凝視した。

「『跳べる距離』だとか、『跳べる間隔』の問題だと俺は考えてるが――まあ、これは俺の予想だぜ。そいつを――賢者の石だかドラグーン・ボールだか知らんが――とにかく、日本へ帰る『扉』を見つけたくても、今のところ、俺はネストで好きに動けないからな。せめてその扉の位置が、ネストのどのあたりにあるかわかれば見通しも立つんだが。ジークリットは動くといってたが、あいつは何をやってるんだ? 使えねェ野郎だな――」

 ツクシがぶつぶつ愚痴を垂れ流した。まだネスト・ポーターはネスト内部で自由に行動ができない状態にある。少し前、ジークリットは軍部の思惑通りに動かないネスト管理省を近いうちに解体してやると明言したが、ネストを取り巻く状況は変化がない――。

 考えているうちに、ツクシが苛々しだした。

 長く考えごとをしていると、いつもこの男はこうである。

 悠里がへらへら笑いながら、

「気になるなあ。ツクシさん、僕に詳しく教えてくださいよ」

「いよう、ツクシ。お、悠里もいるなァ。景気はどうでえ?」

「おばんっす、ツクシさん、悠里さん」

 こんな挨拶と一緒に、ゴロウとヤマダがゴルゴダ酒場宿を訪れた。

「――おっ、ゴロウとヤマさんか」

 ツクシがエールのタンブラーを片手にカウンター席を立った。

「善い夕べですね、お二人さん。ゴロウさん、景気は見ての通り良くないですよ――おお、ヤマさん、それは?」

 カウンター席を立つ途中の悠里がヤマダの背負った弓を目にして動きを止めた。

「へえ、ヤマさん、その弓は何だよ、随分と厳ついな――」

 ツクシが近くの丸テーブル席へ移動して訊いた。

 今日のヤマダは背に奇妙な形状の弓を背負っている。

「へへっ、とうとう完成したっす」

 ヤマダが背から弓を下ろした。ヤマダが手にしたそれは握りの部分の上下に短い円筒が二つ装着された白い弓だ。全体的なバランスとるためか、安定器スタビライザーが何本も突き出し、立派な照準器までついている。弓の本体部分――リム部分は以前のような木と骨の合成素材ではなく白い金属だ。大きさだけは以前と変らない。

 ヤマダの弓を眺めていたゴロウが、

「ヤマ、結局それはいくら銭がかかったんだ?」

「即金で金貨八十二枚と銀貨四枚、少銀貨が八枚っすね」

 ヤマダの眉間に浅い谷ができた。

「かぁあァ! トムのおとっつぁん、がめつく取りやがったなァ――」

 ゴロウが髭面をひん曲げた。

「まあ、トムさんは武器の扱いが専門外ですし、自分も色々と弓のスペックに関してはわがままをいったし、これは妥当な値段っすよ。でも、ちょっと高かったかな、かなり粘って交渉したんすけどね――」

 ゴロウもヤマダも金目の話になると人格が豹変する。

 ゴロウはヤマダの話を真剣に聞いていた。

 手の弓を睨んでヤマダは殺気立っている。

 ヤマダの弓を見つめて固まっていたツクシが、

「――そ、それが金貨で八十枚以上だと?」

 ツクシの声が掠れていた。ヤマダが新調した弓の値段は、ツクシがゴルゴダ酒場宿に作った返せそうにない借金のおおよそ倍だった。ツクシがカントレイア世界に迷い込んでから見たことがないほどの大金を、ヤマダは即金でポンと支払ったとはっきりいった。ヤマダの弓はぴかぴかの若い元気な馬が三頭くらい買える値段だった。

 ツクシは動揺している。

「ええ、ツクシさん。チムールさんの弓を改造してもらったっすよ」

 ヤマダが頷いた。

 ツクシの返事はない。

「ヤマさん、ヤマさん、それをちょっと、僕に見せてもらってもいいですか?」

 興味できらきら目を輝かせた悠里がいうと、

「ええ、どうぞどうぞ」

 ヤマダが悠里へ弓を手渡した。

「これは凄い弓だな――ん? でもこの握りについてるの、どう見ても秘石ラピスの収納容器――導式機関ですよね? ヤマさん、もしかして精神変換を――導式を扱えるんですか?」

 悠里は真剣な表情だ。

「それ人工の秘石を使った安価な導式機関っすよ。人工秘石を媒介して運命潮流マナ・ベクトルを制御するときは、精神変換サイコ・コンヴァージョンより単純な軽級精神変換ナロウ・サイコ・コンヴァージョンで事足りるっす。その分、扱える導式も制限されますけれど――ゴロウさんに、色々と教えてもらいました」

 ヤマダはゴロウへ顔を向けた。

「ああよォ、俺も驚いたぜ。成人になってから才覚の芽が見つかるなんて、滅多にあることじゃねえ。こういっちゃあなんだが、ヤマ、おめェがモノになるとは思っていなかったからなァ――」

 ゴロウは本当に感心している様子である。様々な奇跡を引き起こす導式を扱うには、この次元にあまねく奇跡の力――運命潮流マナ・ベクトルを導く式を高い集中力で描き出す必要がある。この技術をカントレイア世界では精神変換と呼称している。これは生まれ持った資質が問われる技術であり、学べば誰でも使用できるわけではない。

「それ、かなり凄いですよ、ヤマさん! 日本から来たひとも導式の才覚の芽を持っているケースがあるんですね! 実は僕も導式を少し勉強したことがあるんですが、からっきし駄目だったんですよ。おやっさんにはっきり、『お前には才能がまるでないから諦めろ』と僕はいわれました――ところで、ヤマさん、この弓はどこで作ったんです?」

 ほうほうと叫んだあと、悠里はヤマダへ弓を返した。

 顔を赤くしたヤマダが丸テーブル席に腰を下ろして、

「いやあ、そんな、大したものじゃあないっす。ああ、悠里さん、これ正確には、チムールさんの狩人弓ハンター・ボウをベースにした改造なんすよ。ゴロウさんのツテを頼りました、本当、お世話になりっぱなしで。悠里さんは知っていますかね? ネスト前大通りにある果物屋を南に入った場所です。そこに『トムの導式具細工店』っていうお店があるんですが――」

 すぐミュカレが注文を取りにきた。

「ミュカレ、いつものをくれ――」

 ヤマダの弓の値段に萎縮してずっと下を向いたままのツクシが、弱い声で注文した。

 不審に思ったミュカレがうつむいたツクシの顔を下から覗き込む。

「二週間ほど前の話になるっす」

 ヤマダが語りだした。


 §


 今は亡きチムールからヤマダが形見分けで譲り受けた狩人弓ハンター・ボウである。

 そのサイズは獲物を追って森のなかを歩くのに適当な取り回しの良い大きさだ。数字で表すと全高で八十センチ足らずになる。ただ、弓の達人チムールが愛用したその短弓は、小さくとも強力な張力を持っていて元々扱いが難しかった。少なくともヤマダの腕力では、この短弓を使って矢を連射することができない。

 ネストで強力な異形種ヴァリアント――エイシェント・オークと遭遇したヤマダは、手持ちの武器だけでは今後対応できない事態があるかも知れないと思い悩み、ゴロウへその相談を持ちかけた。話を聞いたゴロウは武器の強化――弓の改造を提案するのと同時に『トムの導式具細工店』をヤマダへ紹介した。

 ネスト管理省の南に小さな店を構えるその導式具細工店へ、チムールの弓を持ち込んだヤマダは、店主で薄らハゲの導式具細工職人トム・グアリーと交渉中である。

「――それに加えて、少なくとも、厚さ二トンヴ(※カントレイア世界の長さ単位。一トンヴで三センチ弱)の白鉄装甲板を、六十スリサズフィート(※おおよそ五〇メートル)範囲内からの射撃で完全に貫通できるていどの威力にはしたいっすね」

 そう伝えたヤマダがチムールの弓をカウンターの上に置いた。

「連射に加えて、それだけ無茶な威力もって、アンさんねえ。導式具細工職人は、神様ってわけじゃないんですよ?」

 カウンターの向こう側で、ブレスレット型導式具を加工していたトムが顔を上げて、導式ゴーグルを広々とした額へ引き上げた。強欲が生命力となって溢れ出している、一筋縄ではいかなさそうな、トムの老いた面構えだ。

「はい、これ、手付金てつけきんです、トムさん」

 ヤマダはカウンターへ金貨を並べた。

「――おっと、手付金だけで金貨十枚とくるかあ。うーん、ヤマダさん、商売は一体、何をやってなさるんですか?」

 トムの目の色が変わった。この薄らハゲは、抜群の腕を持つが金に意地汚いと同業者と顧客の双方から太鼓判を押されている、この界隈では有名な業つくジジイなのである。

「僕はただのネスト・ポーターっすよ」

 黒ぶち眼鏡の厚いプラスチック・レンズで瞳を隠して、常にフラットな表情のヤマダは、外から感情が読み取り辛い。

「ああ、ネスト・ポーター。それで金貨ね――ヤマダさん、ネスト・ポーターを相手に分割払いは無理だよ。払いが終わる前におっんだら取れるものも取れないんでね、わかるでしょ?」

 鼻を鳴らしたトムは加工中の導式具へ視線を落とした。「もう帰れ」といわんばかりの態度だ。実際、この得体の知れない黒ぶち眼鏡の男が持ち込んできた仕事は要求が高く、金貨十枚の手付金では割に合わないものでもあった。

「いえいえ、トムさん、僕の要求通りのものが出来上がったら一括で金を支払いますよ」

 ヤマダは眼鏡のレンズとレンズの間――ブリッジへ突き立てた中指をやった。トムの失礼な態度を前にしても、ヤマダは感情の動きを表に出さない。

 狭く薄暗い店内にトムが導式具へ削りを入れる金属音だけがしばらく響く。

 ヤマダが帰る気配はない。

 根負けしたトムが溜息と一緒に口を開いた。

「――はあ。だからね、ヤマダさん。素人さんにはわからないでしょ。うん、そりゃあ無理はないんですがね。なるほど、ヤマダさんがいう通り、コアに人工秘石を――導式機関を使うなら、まあ安上がりではある――」

 トムが上目遣いにヤマダを見やった。

 ヤマダの表情に変化はない。

 大袈裟に首を振ったトムが、

「でもねえ、ヤマダさん。アンタの要求したスペックはね、弓本体のほうも専門の弓職人へ頼まなきゃあ、とても手に負えんものですよ。私の専門は、もっと細かい細工のほうでね。主にやるのは機関部分の彫金です。これは細かい作業です。導式彫金、知ってます? まあ、素人さんにもわかるようにいうとね、どうやっても高くつくんですよ、武器の細工はね。本来はですよ。お上に許可が出ないと、導式弓は作れないんです。作る前から申請が必要なんです。導式を使った武器は、加工も他の手間も、時間がえらいかかるシロモノなんですよ――」

 そこまでいって、トムはまたヤマダを見やった。

 ヤマダは無言で頷いてトムの話を促した。

 ふぅうぅうと長い溜息を吐いたトムが、

「もちろん、うちも商売だから色々と抜け道はありますよ。役所に提出する書類の関係なんですがね。まあ、ぶっちゃけていえば、そこらへんはコネが有るか無いかです。導式武器製作・加工申請ってのはね、重火器の製作や販売の申請よりも、ずっと審査が厳しいわけです。そこをね、ネスト・ポーター風情がですよ、金貨十枚ていどの手付け金でね――」

 嫌味たらしい長話でヤマダを追い返そうとしている最中、

「――んなあはっ! はっ、白金貨あ!」

 トムが仰け反った。

「これは、仕事が終わったあとの話で――」

 白い硬貨をトムの鼻先へ突きつけていたヤマダが、表情をフラットに保ったまま、その硬貨を財布へ戻した。

「ヤ、ヤマダさん、アンタ、どうやってそんな大金を。本当にネスト・ポーターなんですか? み、見た目も小奇麗だしねえ――?」

 トムの声が震えた。タラリオン白金貨はタラリオン王国内において金貨百枚と等価交換されるもので、日常の生活ではほとんど目にする機会がない高額な硬貨である。

「自分はネスト・ポーターの他に副業もしていますから」

 ヤマダが淡々といった。

「副業って、ヤマダさん、まさか、アンタ、盗賊ギ――ああ、だめだ、だめだめ! ヤマダさん、そりゃあいけないよ、すぐにうちの店から出ていってくれ! 私は金に汚くても堅気一本槍が自慢なんだ。そこだけは断じて譲れんところでね。組織からの注文は受けないよ。そういう話なら専門の業者のほうへ――」

 椅子を尻で弾き飛ばして立ち上がったトムが血相を変えて出入口を指差した。

「いやいや、トムさん、いやだな。自分がやってる副業は酒屋の手伝いっす。堅気もいいところっす」

 ここでヤマダが取引用のポーカー・フェイスを崩して、いつもの苦笑いを浮かべた。

「おっ、驚かさんでくださいよ、ヤマダさん、心臓に悪いじゃないですか。へぇえ、勤め先は酒屋ときたか。それはどこのお店です?」

 同じく苦笑いのトムが床へ倒れた丸椅子を戻した。

「ボルドン酒店っす。トムさんはご存知ですか?」

「ああ、ああ、ウイシュキの! 王都新聞の広告欄でよく見かけますよ――ん? ボルドン酒屋のヤマダ――ヤマダっていうと、あなたが、あのヤマダ・コータロさん?」

 トムがヤマダをまじまじと見つめた。

「ええ、その山田孝太郎が自分っすけど――」

「ああ、もう、ヤマダさん、それを最初にいってくれればいいのに! へええ、このヤマダさんが、あの有名なボルドン酒店の共同経営者か! いやはや、これはたいへんな失礼をいたしました。なるほどねえ、それなら白金貨も納得だ――」

 トムは警戒心を解いたようだ。右肩上がりの売り上げが続くボルドン酒店は、以前よりも従業員が増えて王都でも名が知れている。

「ああ、いや、自分はパート従業員みたいなもんで――あの、それで、トムさん、弓の件は受けてもらえますか」

 頬を赤らめたヤマダは頭に乗せた鹿撃ち帽子ディア・ストーカーへ手を置いた。

「何をおっしゃいます、もちろんですとも――いや、しかしですよ。こりゃあ、改造するより弓の本体も一から設計したほうがいいかも知れませんなあ。こしらえはいかにも玄人好みで良いものですが、随分と古いですからねえ――」

 トムはチムールの弓を手にとると眉を気難しく寄せて職人の顔になった。

「いえ、トムさん、それを改造してください」

 ヤマダの声に頑なな感情がある。

「うーん、これをベースにねえ――無駄な手間と無駄な金がかかると思いますが――」

 トムが少ない毛髪を手で整えた。

「はい、その弓は僕の手に馴染んでいるし――」

 ヤマダがいった。

「ふむ――」

 頷いたトムが促した。

「――思い入れもありますから。その弓は相棒みたいなものっす」

 ヤマダはその道具を相棒と呼んだ。

 それを聞いたトムの目つきが真剣なものに変わって、

「なるほど、この道具はヤマダさんの相棒ですか。わかりました。この仕事は私が預かりましょ。なぁに、ヤマダさん、大船に乗ったつもりでいてくださいよ。こう見えてもね、私はやると決めた仕事をスカしたことは一度もないんです。ああ、ヤマダさん、そこに座って、座って、時は金なりだ。すぐ細かい話を始めましょうか」

 こうして、チムールの弓はヤマダの弓になった。


 §


 ツクシたちがヤマダの新しい弓を話のネタに酒をガブガブ飲んでいるうちに、

「じゃあ、ここでヤマさんが新調した弓の威力を見せてもらおうか」

 そんな話の流れになった。

「ただマトに当てるってだけじゃあ、つまらねェよな――?」

 ツクシは厨房からリンゴをひとつ持ってくると、酒場の壁際に悠里を立たせて頭の上に乗せた。

 酒がだいぶ回ったツクシは、とても悪い顔で笑っている。

「マジですか、ツクシさん、マジでやるんですか、これ!」

 酒が入った悠里もへらへらしていた。

 ウィリアム・テルごっこだ。

 本日、緑の妖精旅楽団はゴルゴダ酒場宿を訪れていない。出し物がなくて暇にしていた周囲の酔客が、「これは、いい見世物になりそうだ」と騒ぎ出して、新しい弓――導式機関弓を持つヤマダの引っ込みがつかなくなった。ヤマダだって酔いの勢いがある。大いに盛り上がる場の雰囲気に追い詰められたヤマダが、「ええい、ままよ!」と、悠里の頭の上のリンゴを狙って弓を番えた。

 酒に酔うと手元が狂うのである。

 ヤマダが導式機関の力を借りてごうと放った矢は、悠里の頭の上にあるリンゴを貫く予定であったが、しかし狙いが外れて悠里の額へ突き立った。本来の的であったリンゴのほうは床を転がっていった。その矢尻が後頭部から飛び出して壁板にまで突き刺さっているので、悠里は壁へはりつけにされたような姿勢だった。対異形種用にあつらえた、矢じりから柄までが金属の重い矢で額をぶち抜かれた悠里は手をだらんと下げて、耳や鼻から血を垂れ流し、口から白い泡を吹いている。これは誰が見ても悠里の射殺体だったが、周辺は爆笑の渦だった。

 ゴルゴダ酒場宿へ訪れる客は荒くれものが大半なのである。

「――うーわ、やっちゃった、すんません、悠里さん!」

 やらかした本人のヤマダが磔状態の悠里へ駆け寄った。

「ああよォ、ヤマ。今、謝っても悠里に聞こえてねえと思うぜ?」

 ゴロウは瞳孔が開きっぱなしになった悠里の青い瞳を覗き込んでいる。

「おお、ヤマさん、これはすごい威力だな。さすがは金貨八十枚だぜ。矢羽の部分まで悠里の額に食い込んでるぞ――」

 ツクシはヤマダの矢で壁に打ちつけられた悠里の死体の傍らでしきりに感心をしている。

「ツ、ツクシ、悠里はそれで本当に大丈夫なのか!」

 リュウは悠里の死に様を見て血相を変えた。つい先ほどゴルゴダ酒場宿へ訪れた、シャオシン、リュウ、フィージャが、ツクシとその他の酔っぱらったおっさんのウィリアム・テルごっこを見物していたのだ。

「ああ、うん、リュウ、これでも悠里は大丈夫らしいぜ。ああ、いや――どうだろうな、これは、どう見ても死んでるよな――」

 すぐ自信をなくした様子のツクシが、

「――おい、ゴロウ。悠里は本当に大丈夫なのか?」

「あァ、悠里なら何をされても全然平気だろ。ホレ、矢は抜いてヤマダに返してやれよ、ツクシ」

 顎髭をいじりながらゴロウが命令すると、

「おう、そうだな。よっ、こいせ!」

 ツクシが悠里の額に刺さった矢を抜いた。足の裏を使って悠里の死体を押さえ、思い切って後ろへ体重をかけないと引き抜けないほど深く刺さっていた。

 悠里の死体は笑い声の響く酒場の床へゴロンと転がった。

「――ん、悠里が動かん。やっぱり、死んだか?」

 矢を持ったままツクシは怪訝な顔である。

 その横でヤマダの顔色がすごく悪くなっていた。

「ツクシ、平気だっていっているだろ。俺ァ、一度、キレたアヤカ嬢ちゃんの『魔牙掴まがつかみ』で、悠里が八ツ裂きにされたのを見たことがある。頭を矢が貫通したていどで悠里が死ぬとは思えねえよ」

 ゴロウは「やれやれどっこいせ」と丸テーブル席へ腰を落ち着けた。そこにいたシャオシンとリュウとフィージャは目を丸くしてゴロウを見つめている。ゴロウは杯の赤ワインを豪快に喉へ流し込んだ。

「何だ、そのツカミって?」

 ゴロウの横へ腰を下ろしたツクシは杯からエールを喉へ流し込んだ。

 シャオシンとリュウとフィージャが、不機嫌な顔で上機嫌に酒を呷るツクシを凝視している。

「ツクシ、『まがつかみ』だ、まァ、告死鎌デスサイズだな。アヤカ嬢ちゃんはそれを手からいっぱい出すぜ。手品みたいによォ――リュウも、どんどんやれやい。今日は悠里の奢りらしいからな、遠慮するな、ホレ、杯を出せ」

 ゴロウがワイン・ボトルを手にとって酒を勧めた。

「あっ、ああ――」

 リュウは自分の杯を震える手にとった。

「デスサイズ――ああ、鎌のことか、鎌を使ってアヤカ嬢ちゃんが悠里をバラバラにしたのか――おう、シャオシンもフィージャも遠慮をするな。好きなものをどんどん注文しろ。今日は全部、悠里に勘定を出させる。言質はもう取ってあるからな。お前ら、運がいいぜ」

 ツクシがシャオシンとフィージャへ口角を歪めて見せた。ツクシとゴロウは、丸テーブルの脇で死体になって転がっている男へ、今日飲み食いしている勘定を押しつける腹積もりらしい。

「うっ、うん――」

「あっ、はい――」

 シャオシンとフィージャは返事をしたが表情も声も硬かった。

「そうだ、あのときの悠里は、アヤカ嬢ちゃんに切り刻まれて細切れになってた。しばらくしたら元に戻ってたけどな。ツクシ、アヤカ嬢ちゃんを怒らすと本ッ当に怖いぞ。ありゃあ危険人物だ。気をつけろよ。滅多に二階の部屋から出てこないがなァ――」

 声をひそめたゴロウが天井吹き抜けから見える階上の渡り廊下を見やった。

「バラバラになっても元に戻るのか、それは便利だな」

 感心したツクシが悠里の死体へ目を向けると、

「――ツクシさん、魔牙掴はアヤカが使う十刀流の告死鎌デスサイズです。どうやってるのかはわかりませんが、腕から鎌が『生える』んですよ。例えるのが難しいんですけれど、あれは人間ミキサーみたいな感じですかね――ああ、それはそうと、死ぬかと思いましたよ、ヤマさん、非道いじゃないですか!」

 邪神アヤカが扱う超兵器のひとつを説明しながら、ムクリと起き上がった悠里が、近くに佇んでいたヤマダを批難した。

 悠里の額には傷跡すら残っていない。

「おお、良かった、生き返った――本当、すんませんでした、悠里さん!」

 ほっと胸をなでおろしたヤマダが頭をヘコヘコ下げた。

「おう、生きてら。さすがはゾンビだよな」

 ツクシは大皿にあった子羊の串焼きを手にとった。

「な、おめェら、だからいっただろ。悠里は絶対に死なないんだよ」

 ゴロウも子羊の串焼きへ手を伸ばした。

「まあ、ヤマさん、気にしないでください。こういうのを酔ってやるもんじゃないですよね、危ないし。あははっ!」

 笑顔の悠里が立ち上がって丸テーブル席へ戻ってきた。

 ヤマダも苦笑いを浮かべながら席につく。

「し、信じられん、悠里、それはどういう理屈だ!」

「悠里よ、どうなっているのじゃ、わらわに教えろ!」

「悠里さん、本当にどうなっているんですか?」

 悠里が席につくと、リュウ、シャオシン、フィージャが、椅子から腰を浮かせて質問攻めだ。

「あはっ! まあ、話すと長くなるんですがね――」

 一声笑った悠里が自分の経歴を語りだした。

 ゴルゴダ酒場宿はまだ宵の口。

 悠里が長い話をする時間は十分ある。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る