十八節 日常に残ったもの
ネストで多種多様な死体を見慣れているモグラは平気な顔をしていたが、アリバはマディア・ファナクティクスのアジト周辺に転がった斬殺体の数々を見て吐いてしまったらしい。モグラがニッと笑いながらツクシへ教えた。そのモグラの横に座ったアリバはムッと不満気な顔でキッシュを食べている。本日の朝食は、ほうれん草やきのこなどの野菜類、それに分厚いベーコンを具に使ったキッシュ(※具とクリームを詰め込んだパイのような料理)と各自の飲み物だ。
戦争帰りの子供たちは、グェンの葬儀もあって(簡素なものであったが――)、昨日は丸一日、落ち着かない様子を見せていた。だが、二日目になるとその心は少しづつ日常へ戻ってくる。
王都十二番区マディアの倉庫街で勃発した暴動から数えて二日目の朝である。
ツクシはギャングスタの子供たちと一緒に朝食を食べていた。ゴルゴダ酒場宿のカウンター・テーブル席に並んで座る五人は右端から、シャル、ツクシ、アリバ、モグラ、マコトとなる。
「おう、それは悪かっ――」
ツクシは話の途中で珈琲をひと口飲んで、
「――いや、それで、お前らの戦争は一件落着したのか?」
やたら食い応えがある具を
顔うつむき加減のツクシは物悲しい気分だ。
「ツクシ、終わったも何もさあ――」
アリバが手に持ったキッシュの断面にあるベーコンの塊を見つめて、頬にソバカスのある顔をしかめた。
豚の死肉のきれっぱしを見つめたまま動きを止めたアリバに代わって、
「オイラたちがファナクティクスのアジトへ殴り込んだときは、全員が死体だったよう、ツクシ!」
キッシュを口いっぱいに頬張ったモグラが元気良く応えた。
「あれは誰がやったのかな」
マコトがいった。普段からマコトは口数が多い少年ではない。表情も姿勢も変えずに淡々と朝食を食べるマコトは物思いに耽る哲学者のように見える。
「うーん、警備兵かなあ?」
アリバは天井を見上げながらキッシュを口へ詰め込んだ。
「それはないよ、アリバ。彼らは全員が同じ刃物で斬り殺されていた。予備役ばかりの警備兵にあんな真似はできない。僕が知る限りだと、あの仕事を少人数でやれるのは、王国陸軍特別軽装歩兵隊に所属する
マコトは酒場に横から差し込む朝陽を眼鏡のレンズに反射させて断言をした。
冷静で、力強く、説得力のある口調だ。
まだ若いのに随分と肩が凝る生き方をしていやがるよな――。
ツクシは呆れている。
アリバは口のなかのキッシュを牛乳で流し込んでから、
「――それがさ、マコト兄貴。あいつらを殺したのはどうも死神なんだってさ」
モグラはタンブラーの牛乳を一気に飲み切って、
「アリバ、オイラもその噂を聞いたよう! あの戦争の夜、燃える馬に乗った黒衣の天使が倉庫街を駆け抜けた!」
「アリバ、モグラ、僕もその噂を聞いた。だけど、それはあり得ない。ひとを意図して殺すのはいつも必ずひとだ。天使だの悪魔だのは物事を誤魔化すための詭弁に過ぎない。悪いのはいつだって――」
子供の噂話を全否定しようとするマコトを、
「マコト」
ツクシが遮った。
「――はい?」
マコトがうつむき加減のツクシを見つめた。
「生身のひとを助けるのはいつでも必ず生身のひとだろ。神様も悪魔も死人だけしか助けてくれねェからな。マコト、グェンはどう生きていた?」
ツクシがいった。いつもの不機嫌な表情で、いつもの不機嫌な低い声だ。
だが、ツクシは目を細めてマコトを見つめている。
「――はい」
マコトは視線を落とした。朝からでも子供は喜んで食うが、大人にとっては胃に重たいドワーフ・スペシャル・キッシュを、カウンター席に座ったまま持て余しているツクシの右隣でシャルが朝食をとっている。沈黙したシャルの視線は、ツクシの腰にある魔刀ひときり包丁にずっと貼りついていた。
「んと、ツクシさん――あの夜、ツクシさんがレィディに乗っていったのを僕は見――むっぐぅ!」
手に持ったキッシュを皿に置いて、おずおずと話しかけてきたシャルの口へ、ツクシが手に持っていたキッシュを素早く突っ込んだ。電光石火の動きだ。何が起こったのかわからないシャルは目をパチクリしている。
ツクシの左手がシャルの後頭部を固定した。
「おう、まだ食うか? シャルよ」
ツクシはシャルのお口へキッシュをぐいぐい捻じ込んだ。
「――んくっ、んぷっ、うむっ、んおうっ!」
シャルの喘ぎ声である。ツクシに喉の奥まで責められているシャルは、眉尻を大きく下げて頬を上気させ、とても苦しそうだった。
「ツクシ、シャルをいじめるなよう!」
見かねたモグラが批難の声を上げた。
「モグラよ、俺がシャルを虐めているように見えるか? これは大人の愛情ってやつだ――オラオラ、もっと食え、飲み込め、喉の奥まで使って、ていねいにねぶれ。シャル、お前は男の子だろ。なら、たくさん食ってたくさん筋肉をつけるんだ。筋肉だ、いいぞ、シャル、筋肉はいいぞ――」
ツクシはシャルの愛らしい唇や小さな舌やいたいけな口内を食べ物を使ってしつこくもてあそんだ。
子供たちは呆れ顔でツクシを眺めている。
シャルは涙目だ。
§
ネスト・ポーターは一度仕事を逃すと、丸四日間は暇になってしまう。ゴルゴダ酒場宿に勤める子供たちは、朝食後に日常の仕事へ戻った。朝食後のツクシは暇人になった。暇になったツクシは、カウンター席にそのまま居座ってぬるいエールを独りでちびちび飲んでいる。時間が空くと酒を飲むことしか思いつかないのがツクシという男だ。この男は発想が貧困なのである。もしかすると、発想を作る脳髄が酒毒でもうダメになっているのかも知れない。
ともあれ、朝から飲んだくれて昼頃だった。
「――ツクシ。おい、ツクシ、ちょっと来い!」
ツクシにとって耳障りなダミ声が裏口から聞こえてきた。
「ゴロウ、でかい図体でこそこそしやがって、何なんだ?」
裏口からツクシの不機嫌な顔が出てきた。
異界の古都の上に広がった秋の空は快晴だ。
落ちてくる陽差しが目に眩しい。
「まァ、酒場のなかじゃ、ちょっとな――」
往診鞄を片手に佇むゴロウは所在なさげだった。
ツクシは、浅い青色で一面が染まった空を、目を細めて見上げ、ひとつ大きな
「あのブレスレットの件か?」
「ああよォ、ツクシ、女王様のブレスレットをどうする?」
ゴロウが頬髯へ右手をやった。
「まあ、それは
ツクシが面倒そうにいった。
「そうなんだろうけどよォ。俺ァ、ちょっと気が進まねえんだよな。こんな危ねえシロモノを、あの色呆けで頭アーパーな女王様へ返却するのはよォ。何に使うのか知れたもんじゃねえだろォ。また不注意で紛失するかも知れねえしよォ――」
ぶつぶついったゴロウが懐から
ツクシはそれへ視線を送って少し考えたあと、
「ゴロウ、それは俺が預かっておく」
「おめェがこれを持って女王様のところへ行くのか?」
ゴロウは躊躇しているようだ。
「いや、俺は行かんぞ。女王様とはなるべく顔を合わせたくねェ」
ツクシは躊躇いなしできっぱりいい切った。
「あんだよォ、女王様はいい女じゃねえか。性格は面倒くさそうだけどよォ――はァん、さてはおめェ、ニーナに気を使ってるな?」
ゴロウが下卑た笑顔を見せた。
「あぁ! ゴロウ、俺を見くびるな。この俺はな、この九条尽という男はな、浮気の二つ三つ、いつでもどこでも誰が相手でも上等だ!」
ツクシは目に殺気を込めて力の限り凄んだ。このような考えで生きてきたから、この男は今の今まで戸籍にバツの字ひとつもつかないのだ。
「おめェは本当に節操のない野郎だよなァ――」
表情を消したゴロウがツクシを見つめた。
ツクシが真面目な顔でいった。
「――いや、そうじゃねェんだ、ゴロウ。女王様は二千歳だろ?」
「見た目は若いだろォ」
「その上にしつこい」
「女なんて男に惚れると、誰でもあんな感じだろォ」
「あれはすごくわがままだし、ひとのいうことをまったく聞かん。そもそも、あれは最初から他人のいうことを耳に入れるつもりがない」
「おめェも似たようなモンだぜ」
「何よりも金遣いが荒い。ゴロウも見ただろ、あの贅沢な家と派手な服装をよ。あんな浪費癖のある女をお前は養えるのか、あ?」
そこまでツクシがフロゥラの欠点を並べると、
「ああよォ、確かにあれは金がかかりそうな女だ。ツクシ、それは間違いねえ!」
そう唸ってゴロウが頷いた。
「あの女王様は、とても俺の手には負えん」
ツクシは真顔で断言した。
ツクシだって手に負えない男の
この事実は本人がいけしゃあしゃあと棚に上げている。
「おめェは、いつでも金欠だしなァ――」
ゴロウのダミ声にひとを心底から哀れむような調子がはっきりあった。
イラッときたツクシがゴロウの髭面を刺すように睨んだ。
ゴロウはうつむいた顔を上げない。
ツクシは歪んだ顔を横に向けて、
「とにかく、
「あァ、なるほど、女王様がブレスレットとニバスの探索を頼んだのは、あの騎士様だからな。ツクシ、それが一番の正解だぜ」
ゴロウが納得した表情を見せた。
「そうだろ? これで片付くぜ」
ツクシが右手をゴロウへ突き出した。
「おっしゃ、わかった。ツクシ、持っていけ」
ゴロウがツクシヘ独裁者のブレスレットを手渡した。
ツクシは手にきたブレスレットを眺めながら、
「ゴロウ、この黒い石がブレスレットの
蜘蛛の脚を模したツメ(※宝石を支える金属具)で抱えられた、親指の先ほどの大きさの黒い石が一個、ブレスレットから金色のチェーンでぶら下っている。
「いや、ツクシ。それはエルブ・アブサント黒曜星石――ニガヨモギ星石だ。魔導石だな。どの国にある鉱山でも魔導石は滅多に見つからねえから価値はえらく高いぜ。もっとも、タラリオン王国の市場で魔導石が流通することはないがな。魔導石はもちろん、そのブレスレットの形状全体も
ゴロウは太陽の光を浴びても輝かず、周囲の空間を歪め闇を押し広げようする魔導石を見て髭面を曲げている。
「へえ、やっぱり価値はかなり高いのか。なるほど、こうして持ってみると手にズシリときやがる。リンク部分や蜘蛛の飾りは純金だろ。お前がこいつを質屋に入れて銭に換えちまうんじゃあねェかな、と俺は思っていたぜ?」
ツクシがゴロウを見やった。
「馬鹿を抜かせ。その魔導式具は邪悪が過ぎる」
ツクシに煽られてもゴロウは怒らなかった。
この邪悪な魔導式具が存在しなければ、グェンはまだ生きていたのかも知れない。
ツクシとゴロウは呪いのブレスレットを睨んで押し黙った――。
「――ああ、そうだよな、ゴロウ」
ツクシが呪いのブレスレットを上空へ放った。
「あァ――?」
ゴロウは目を細めて宙へ高く飛んだ呪いのブレスレットを見やった。時刻はちょうどお昼どき。秋空のてっぺんに太陽がある。
重心を落としたツクシが魔刀の柄へ手をかけた。
その白刃が秋の陽射しを反射してゴロウの瞳へ映り込む。
地へ落ちた呪いのブレスレットがシャリンシャリンと澄んだ音を鳴らした。
「うあァあァあァ!」
ゴロウの目の玉が飛び出しそうになった。
黙ったまま、ツクシは魔刀の刃を柄へ帰した。
「――しっ、知らねえぞ、ツクシ! 俺ァ、関係がねえからな、関係がねえからな!」
ゴロウが竜巻のごとく踵を返した。
白い武装ロング・コートの裾がぶわりと浮いて円を描く。
そのまま、ゴロウは全速力で逃げていった。
振り返らない。
「――ククッ。それ見ろ、やっぱり、あの野郎は根性がねェ」
ツクシはドタバタと遠ざかる白い背中を特別に邪悪な笑顔で見送った。
ゴロウと別れたツクシは酒場宿へ戻った。
いつものカウンター席に座ったツクシへ、ミュカレが運んできた本日の昼食はサバ・サンドだった。魚のサバである。ツクシは食べ物にさほどのコダワリがない。しかし、ピリッと辛いオニオン・スライスやフレッシュ・トマトやレタスと一緒に、グリルしたサバをバリパリと香ばしいパンで挟み、レモン汁をたっぷりとかけた、さっぱりとした味のサバ・サンドは、朝に食った胃もたれを呼ぶドワーフ・スペシャル・キッシュより、ツクシにとって旨かった。
ツクシはエールのタンブラーを片手にサバ・サンドを頬張りながら、
「今朝のアレより、こっちのほうが俺の好みだな」
「あの重たいキッシュ、子供たちの大好物なのよ」
ミュカレが微笑みながら厨房へふわりと消えた。日中で酒場の客は少なくても、ミュカレは結構忙しいようだ。まだ熱が残っているユキは貸し部屋で横になっているし、エイダとマコトはアルバトロス曲馬団の馬を借りて買出しに出かけている。
サバ・サンドを手土産に、上で寝ているユキの具合を見にいってやるか――。
そう考えながら昼食を済ませたツクシが顔を上げると、アルバトロスと悠里が近くに並んで立っている。
茶色い武装ロング・コート姿のアルバトロスがバツの悪そうな表情で、
「ああ、あのな、ツクシ――」
「どうした、アルさん?」
ツクシが訊いた。
「――おい、悠里、お前がいえよ」
アルバトロスが視線と一緒に促した。悠里も鍔広帽子を頭に乗せて濃い茶色のマントを羽織った格好だ。
どうも、この二人は外出してきた直後らしい。
「ツクシさん、おやっさんは
笑顔の悠里が帽子を手にとった。
こちらはアルバトロスと違って臆面もない態度だ。
「なるほどな、アルさんたちも、ニバスの件で動いてたってわけか――」
ツクシは淡々とした口調で呟くとエールの杯を呷った。アルバトロス曲馬団がジークリットの依頼でニバス・デメルクを追っていたことを知っても、ツクシは驚かない。あのとき骨馬レィディがいっていたのは、別働していたアルさんたちのことだったのか、そう思ったていどだ。
「ツクシ、俺たちが――冒険者がやるヤバイ仕事には、たいてい、守秘義務ってのがあってな。まあ、面倒な話なんだが――」
アルバトロスは視線を惑わしながら帽子を手にとった。
「まあ、そういうことです。あっ、ツクシさんがうちの団へ入れば――」
悠里が腰を折ってツクシへ顔を寄せた。
美青年の笑顔から仰け反って距離を取りながら、
「――ああ、いい。悠里、それはいいから。まあ、アルさん、俺のほうは全然、気にしてないぜ。ほら、これをジークリットへ持っていきなよ」
ツクシはズボンのポケットから独裁者のブレスレットを引っ張り出して、それをアルバトロスへ突きつけた。
「ああ、悪いな。ほうほう、これがジークリットの欲しがっていた独裁者の――って、おいおい、ツクシ――!」
受け取ったブレスレットを手に乗せたアルバトロスがとても嫌そうな表情になった。
手のひらへ何かしらの臭う汚物を乗せてしまったような顔である。
「あっ、これは――」
悠里の笑顔が引きつった。
「まあ、そうしておくのが正解だろうぜ。その道具は危険だろ」
ツクシがエールを一息に飲み干した。
「ツクシなあ、俺の都合も考えろよ――」
アルバトロスはボヤきながら、真っ二つに割れて機能を失った独裁者のブレスレットを見つめた。
「アルさん、もういわなくていいぜ。守秘義務を守るんだろ?」
ツクシが口角を歪めて見せた。
「くっそ、ツクシ、この野郎。いやあ、参ったなあ、これは――」
アルバトロスは右の眼窩にある導式義眼を高速で点滅させながら、ニカワか何かでくっつかねえかなコレなどと誤魔化す方法を色々と考えている。しかし、魔導式具の核である魔導石が完全に真っ二つなので、どうやっても、この破損を誤魔化すのは難しそうだ。
「まあ、おやっさん、とにかくジークリットさんにそれを届けましょうよ。これでも、報酬は出ますかね?」
悠里は眉を強く寄せて心配そうな顔だ。
「畜生、ツクシ、余計なことをしやがったな。ああもう、面倒だなあ、仕事が増えて――」
ぶつぶついいながら踵を返したアルバトロスを、
「アルさん!」
ツクシが呼び止めた。
「んぁあ? ツクシぃ、何だあぁ?」
気の抜けた返事をしたアルバトロスが、気の抜けた表情を浮かべた顔の左半分を、背中越しにツクシへ見せた。この導式義眼の冒険者は六十近い年齢のわりに若々しく見える男なのだが今はそれがどっと老け込んでいる。
「アルさん、
ツクシが訊いた。
「――奴は死んだよ。首と胴体がサヨナラだ」
アルバトロスが左半分の顔で応えた。
「そうか。それなら安心だな」
ツクシは呟くようにいった。
「だが、ツクシ。それでグェンが浮かば――いや、何でもない」
いいかけた言葉を途中で切って、アルバトロスは悠里と一緒に宿から出ていった。アルバトロスの右半分の顔には眼窩を縦に割った派手な傷がある。傷を負ったときに顔面の筋肉が切れたのだろうか。アルバトロスの顔右半分には表情がほとんど出ない。だが、ツクシへ見せた顔左半分には、アルバトロスの二つの感情が浮かんでいた。
ツクシが目にしたそれはアルバトロスの憤りと寂寥だった。
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