十七節 独裁者の蜘蛛(伍)

「眠い、疲れた」だの、

「散々働いて、何の銭にもならなかった。骨折り損だ」だの、

おめぇツクシの所為で余計な手間が増えた。責任を取れ、俺の導式は有料だ」だのと、

 ゴロウは馬の背に揺られながら不満を垂れた。しかし、それでも、ローザを無事に連れ戻せたことで気は休まったらしい。ゴロウの髭面は口上で述べている不満とは裏腹に明るいものだ。お礼参りからの帰り道、ツクシはゴロウの愚痴を聞き流しながら、ずっと黙っていた。沈黙を続けるツクシをゴロウが定期的に盗み見る。そのたびに、ゴロウの太い眉尻が少し下がった。

 王都で最も騒がしい十三番区ゴルゴダの交差点を行き交う大量のひとや馬は、それぞれ自分の都合に忙しく、暴動なんぞはおかまいなしといった態度を見せている。ツクシとゴロウがゴルゴダ酒場宿へ帰還したのは夜の十時を少し回った時間帯だった。

 ツクシとゴロウが馬を寄せると、表で来客の馬番をしていたロランドとマリー嬢が駆け寄ってきた。

「ゴロウ――」

「ゴロウさん、ツクシさんも――」

 続ける言葉が見つからない。

 そのままマリーとロランドは沈黙した。

「マリー嬢ちゃん、馬を貸してくれて助かった。横の馬鹿もディアナのお陰で無事だったぜ。寸でのところだったがなァ」

 ゴロウがニヤニヤとツクシを見やりながらディアナの背から降りた。

「馬鹿は余計だ、この赤髭野郎」

 ツクシが骨馬レィディの背から飛び降りた。

 少しの間、ツクシの不機嫌な顔を見つめたあと、

「よし、ツクシ。俺ァ、ローザをつれてすぐ帰るぜ」

 ゴロウが馬から降りようとしていたローザへ背中を見せた。

 ぱっと笑顔になったローザが葦毛の馬からゴロウの背へ乗り継いだ。

「おや、ゴロウさん、そのお姉さんを背負って帰るんですか?」

 ロランドが顔を上げた。ローザは全裸の上にゴロウの武装ロング・コートを羽織っているだけなので、要所要所から女性の要素をちらちらと見せている。

 ローザを舐めるように見つめるロランドの青白い頬に赤みがさした。

 鼻息もかなり荒い。

「ああよォ、ロランド、他にどうしようもねえや。アバズレの妹を持つと大変だぜ」

 ゴロウが背に負ったローザへ視線を送った。

 妹といってもゴロウとローザに血の繋がりは全然ない。

「アバズレの妹って! ゴロウちゃんのバカ! 自分で歩けるから降ろしてよ!」

 ローザがゴロウの後頭部を拳でポカポカ殴った。

 ゴロウはポクポクと後頭部を殴られながら、

「おい、暴れるなよォ、ローザ。自分で歩くって、おめェ、靴も履いてないだろうが――」

 まだ薬が身体に残ってへろへろとしているローザが思い切ってひとの頭を殴っても、さほどの威力がないようだ。

「うぉーい、そこの馬子さんよ、俺たちの馬を繋げてくれや!」

 馬に乗った団体客がロランドを呼んだ。

「あーい、今、行きまーす」

 ロランドがゆるい返事と一緒に踵を返した。暗い色のシャツにズボンと軽装で馬番をしていてもロランドは背に例の禍々しい大剣を背負っている。

「おいおい、誰かと思ったら、お前、ロランドじゃあないか。アルの旦那のとこの団をクビになって、ここの馬子になったのかあ? ようし、うちの団へ来いや、遠慮はいらねえぞ。いやはや、デッド・エンド・ロランドを捨てるとは贅沢な話だよな――」

 馬上の来客は冒険者の一団だった。チリチリ短い黒髪に口髭を蓄えて頬に十字傷がある、ほぼヤクザな見た目の中年男がロランドを勧誘している。

「あ、いや、それは違う違いますよ――」

 ロランドが頭へ右手をやった。どうにも、この黒い丸眼鏡の顔色が良くない青年ロランドは頼りない感じであるが、しかし、その背にある禍津まがつの刃を見たものは、決して生きて帰れぬ袋小路にるという。

 袋小路デッド・エンドロランドは冒険者の間で一目置かれている存在なのだ。

 ローザを背負ったゴロウが夜の大通りをのっしのっしと歩いて帰っていった。

 それを見送ったツクシが、

「なあ、マリー、だったか?」

「何かしら?」

 ディアナの手綱を引いて厩舎へ向かっていたマリーが振り返った。

「どうしてゴロウに馬を貸したんだ?」

 ツクシがマリーを見やった。青い瞳に白い肌の美人である。顔つきが幼いので美少女といったほうがしっくりくるかも知れない。しかし、この彼女は常時、目尻を吊り上げて形良い唇をきつく結び、顎を突き上げてひとを見下げるような態度を崩さない。どうにもツンツンした印象だ。胸をそらしたマリーは、馬の手綱を持っていないほうの手で拳を作って、それを腰へ押し当てていた。その立ち姿もツンツンである。

「ゴロウのいう通り、貴方は本当にバカなの?」

 案の定といおうか――。

 可憐な薔薇の立ち姿はその唇の間から棘を突き出した。

「何だよ――」

 ツクシは顔を歪めた。

「あのレィディを見たら、誰だってただごとではないとわかる筈ですわ。わたくしたちが放っておくわけにもいかないでしょう。レィディはよほど急がないと、あんなに火を出さないのですけれど?」

 マリーがツンツンといった。

「へえ、そうだったのか――」

 そういえば、レィディの炎は身体に触れても熱くなかったな――。

 ツクシは骨馬レィディへ目を向けた。骨馬レィディは馬のしっぽをふりふりしながら、店へ訪れる客と挨拶を交わしている。こうして見ると骨馬レィディはただの馬のようにも見える。実に不可解な馬である。

 もっとも、普通の馬は人語を話さないし、血や肉だって身体に付いているが――。

「――血の臭いがする。ツクシさんでよかった?」

 ツクシが視線を外しているうちにマリーが歩み寄っていた。

「ああ、ツクシでいいぜ。やっぱりわかるか?」

 ツクシは自分の外套へ顔を寄せて、小鼻をぴくぴくやるマリーを見て顔を強張らせた。

 ツクシの鼻腔には若い女の髪から漂う甘い香りが流れ込む。

「ええ、仕事柄、この匂いには敏感ですわ」

 マリーがそのまま上目遣いでツクシをツンと睨んだ。

「そいつはまずいな。宿へ入る前に風呂へいっておくか――」

 ツクシがマリーの顔を眺めながらいった。態度も発言もツンツンで金髪のツインテールはぐるぐる強烈なドリル状態であるが、たいていの男性が目にして喜ぶであろう、可愛らしいマリーの顔である。

「そうしたほうがいいみたいですわね」

 マリーがツクシへ背を向けた。

「おい、マリー嬢ちゃん」

 ツクシが呼び止めた。

「ツクシ、わたくしが若く美しく見えるのは至極当たり前ですけれど、嬢ちゃんはやめてくださる? こう見えてもわたくし、もう立派な成人ですわ」

 マリーが自分の美貌を大いに自負した。スマートで、脚すらりと長く、そのスカート丈は極短い。胸周辺はちょっともの足りない感じだった。

「――お、おう。じゃあ、マリーでいいか?」

 腰の引けたツクシが発言を訂正した。

「マリーでいいですわ」

 マリーが笑みを見せた。

 薔薇の大輪を想わせる豪華な微笑みだ。

「なあ、マリー」

 呼びかけたツクシの声が低くなった。

「まだ何か?」

 マリーがツンとした態度に戻った。

「俺がグェンの仇を一人った。まだ一人、残っているかも知れんが――」

 ツクシが告げた。

「――そう。貴方が?」

 マリーが視線を落として訊いた。

「それで、グェンが浮かばれるわけでもねェだろ――」

 ツクシの低い声に苛立ちがある。

「――そうですわね。でも例え、気休めでも――って、もういないの! 挨拶もなしで、何て失礼なおじさまなのかしら!」

 マリーが視線を上げたときには、ツクシは銭湯へ向かっていた。

 マリーはツンツンぷりぷり怒りながらツクシの背を睨んだ。

 ディアナが激昂するマリーを驚いた様子で見つめている。

「おーい、マリー、手伝ってくれよ!」

 ゴルゴダ酒場宿を訪れる冒険者に逐一囲まれる上、客の馬も捌かねばならないロランドが悲鳴を上げた。

「――うるさいわね、ロランド!」

 八つ当たりで吼えても尚、ツンツン怒りを持続したマリーが足早に厩舎へ向かった。葦毛の馬ディアナが、ポックリポックリと蹄の音を鳴らしてそのあとに続く。


 §


 血の匂いを漂わせながら宿へ帰った場合、

「この男は、外で何をやらかしてきた!」

 などと、ツクシがエイダやミュカレからしつこい追求を受けるのは火を見るよりも明らかだ。

 やれやれ、マリー嬢ちゃんが気づいてくれて助かった。

 ラウさんに頼んで、着替えは宿から取ってきてもらうか――。

 そう考えながら、ゴルゴダ銭湯の暖簾をツクシが潜ると、緑色をした鬼の顔が番台に乗っていた。

「おっ、おう! 今日は銭湯の番頭を女将さんがやっていたのか――」

 ツクシが顔を引きつらせた。

「ツクシ、アンタ、その格好は一体――!」

 エイダがクワッと表情を変えて大砲のように吼えた。

 うーわ、これは面倒くさいことになるぞ――。

 すぐ諦めたツクシがカクンとうなだれた。

 逃げるとたぶんぶっ殺される。

 エイダは怖いのである。

 風速何十メートルか――鼻息も荒くツクシを睨んでいたエイダは、自分もガクッとうなだれて、

「――いや、いいんだいいんだ。ツクシ、気にしないでおくれな」

 台風一過といった感じだ。

 恐る恐る視線を上げたツクシが、

「女将さん、ラウさんはどこにいるんだ。俺はちょっとラウさんに野暮用があるんだが――」

「あ、ああ、うん、ラ、ラウねえ。きょ、今日はとにかく忙しくてねえ――」

 エイダは歯切れ悪く応えた。

「――ああ、そうだよな」

 頷いたツクシが剣帯の右のポーチから財布を取り出した。海老茶色の革製品で形状は小さな巾着袋で、ゴルゴダ酒場宿の裏手にあるチョビ髭親父の雑貨屋で買ったものだ。

「今日は無料タダでいいよ、ツクシ」

 エイダが鬼の笑顔を見せた。

「いや、女将さん、取っておきなよ、商売だろ?」

 ツクシが番台の前で財布を開いた。なかに金貨は一枚もない。銀貨が数枚に少銀貨が数枚、あとは全部銅貨だ。タラリオン金貨の上にはタラリオン白金貨という一番偉い単位の硬貨があるらしいのだが、ツクシはカントレイア世界に迷い込んでから、まだそれを一度も目にしたことがない。

 ツクシの顔色は財布を開くたびに悪くなる。

「ツクシ、たまには黙ってわたしのいうことを聞きな!」

 手桶を突き出したエイダが怒りの前兆を見せた。

「わっ、わかった、女将さん、ありがてえ。俺は万年金欠でな――」

 ツクシは大人しく出した財布を引っ込めて手桶を受け取った。

「アンタは酒が過ぎるんだよ。酒の量を減らしな。そうすれば宿に作った借金だってすぐに消えるさね」

 脱衣所のツクシにエイダが笑いながら声をかけた。

「ああ、うん、そうかもなあ――」

 脱衣中のツクシは生返事だ。

 振り向きもしない。

「ツクシ、ちゃんと聞いているのかい!」

 エイダが吼えた。

 ツクシの債権はすべてこの緑鬼が握っている。

「すまないが、俺の着替えをここへ持ってきてもらえるか、女将さん」

 エイダに背を向けたまま手早く――かなりのスピードで服を脱ぎ捨てたツクシが、そそくさと風呂場へ消えた。

「まったく、ひとのいうことを全然聞かない男だよねえ――」

 ボンッ、と鼻を鳴らしたエイダは呆れ顔だ。


 常連のハゲ親父とツクシは長風呂の時間を競い合った。

 恒例である。

 しばらくすると、顔を赤くしてフラフラになったツクシが更衣所へ帰ってきた。くだんのハゲ親父はまだ湯船に浸かり勝利の凱歌を鼻歌で歌っている。高々と響いてくるハゲ親父の鼻歌を背にするツクシはかなり苛立った表情を見せていた。番台にはエイダに代わってラウが座っていた。ラウは女湯の脱衣所へ顔を振り向けてそれを固定している。

 毎度のことだ。

 女性客には評判がまったくよろしくない。

「お、戻ってきたなラウさん。髪の毛がてっぺんまであったのか」

 ツクシはラウの後頭部へ声をかけた。今日のラウは、羽根つきのチロリアン・ハットをかぶっていない。ラウは長い黒髪を後ろで一本に束ねていた。ストレートでツヤツヤとした案外と綺麗な髪質である。

「へえ? あっ、帽子を忘れてた忘れてた。これがないと、どうにも落ちつかねえ――」

 ラウが番当台の下からお気に入りのチロリアン・ハットを取り出して頭へ乗せた。

「ラウさん、これ返すぜ」

 ツクシが智天使の眼をラウへ手渡した。

「こいつは旦那のお役に立ちやしたか?」

 ラウは懐へ智天使の眼を突っ込んだ。

「ああ、大助かりだったぜ」

 ツクシは、ラウはファナクティクスのアジトの正確な位置をどうして知っていたのだろうと今さらながら不思議に思った。

「そりゃあ、よかったよかった。ウヒヒ!」

 二度頷いたラウがまた女湯の更衣所のほうへ顔を向けた。身体を捻って覗き込む体勢だ。恥も外聞も気にしないといった感じである。番頭台の向こう側から女性客の囁き声が漏れ聞こえた。

 まだ若い声である。

 ツクシはラウの眺めている光景を気にしつつ、

「ああ、ラウさんに何か礼をしなくちゃあな。酒がいいか?」

「いや、あっしは旦那からお代をもらいましたよ。十分すぎるほどでさあ――」

 ラウが背中越しに応えた。

「そうなのか?」

 ツクシは眉根を寄せた。

「へえ、確かに、いただきやした」

 ラウはあっさりとした返答だった。

「ラウさん、あんたは一体――」

 ツクシはそれを尋ねるのは下衆ゲスの勘ぐりだと思った。

「ああ、いや、何でもねェ――」

 口角を歪めたツクシは手ぬぐいを肩にかけてゴルゴダ銭湯をあとにした。

「まいど、ツクシの旦那、ウヒヒ!」

 ラウのひび割れた高い声がその背にかかる。


 §


 風呂から上がったツクシは、ゴルゴダ酒場宿のカウンター席――その右端から数えて二つ目の席で遅い夕食をとった。「適当に軽いものを」とミュカレに頼んで出てきた夕食は、オニオン風味のチキン・フリカッセ(※クリームソースを使った肉の煮込み料理)と澄んだ色合いのきのこスープ、それに白い丸パンだ。

「夜が遅いし、もっと軽いものでよかったんだけどな――」

 ツクシは目の前の料理を見て思った。しかし、朝から食事らしい食事をとっていなかったツクシは腹が空いていた。その料理を綺麗に平らげたあとで、ツクシはそれを自覚した。

 夜半近くになって酒場の客が引け始めた頃合いに、カルロがゴルゴダ酒場宿へ帰還した。

「よう、ツクシ。やってるな」

 カルロが背から巨大な長弓を下ろしながら声をかけた。

「カルロさんか。お先にやってるぜ――おうおう、凄い弓だな」

 ツクシが目を見開いた。カルロが持っているのは、全長がひとの背丈以上ある照準器とスタビライザーを備えた厳つい形状の赤い弓だ。握りの部分の上と下に二つ嵌め込まれた緑色の秘石ラピスが弓のまなこになって輝いている。

「俺の相棒だ」

 カウンター・テーブルに導式弓――狙撃手の長弓を立て掛けたカルロが、ツクシの右隣へ腰を下ろした。

「白ワイン」

 カルロが注文をミュカレへ伝える。

「それが、カルロさんの相棒か――」

 呟いたツクシはエールを呷った。並んで座った二人の男はたいていの時間、お互い黙って酒を飲み続ける。それで気まずい様子もない。

 いくら飲んでも今日は酔えそうにないな――。

 ツクシは何杯目かのエールを干したあと、横のカルロに一声かけて貸し部屋へ向かった。貸し部屋の扉を開けると、なかは明かりが点いていた。

 ベットの上でユキが身を起こしている。

 ユキの大きな瞳がドアノブに手をかけたまま身を固めるツクシの姿を映していた。ツクシはイヤな予感がした。逃げたほうがいいかなとも強く思った。そういっても、背を向けて逃げるわけにもいかない。

 そのまま、ツクシは貸し部屋へ入った。

「――ああ、おう。ユキは起きていたのか?」

 ツクシは腰の剣帯を外した。

 猫耳をペタンと折ったユキはツクシをじっと見つめていた。

 返事はない。

「ね、熱はもう下がったのか?」

 ツクシはおっかなびっくり訊きながら魔刀ひときり包丁を長持の横へ置いた。

 返事がない。

「そっ、そうだ、ユキ、何か食べるか。俺が下からもってきてやるぞ、ん?」

 ツクシが低姿勢な態度を見せながら、それでも不機嫌な顔をユキへ向けた。

「うっぐ。うぐぅ!」

 歯噛みして猫の牙を見せたユキの瞳から大粒の涙がぼろぼろとこぼれた。

「ああ、やっぱり泣くか。まあ、そうくるよな――」

 ツクシは号泣に入った猫耳美幼女の前で大きな溜息を吐いた。

「あっ、もしかしたら、ユキはまだ具合が悪いのか。よし、俺がすぐにミュカレか女将さんを呼んでこよう――」

 ツクシの棒読み台詞である。

 逃げ道を思いついたツクシが背を見せると、

「か、帰ってこないかと思った、みんなもツクシも!」

 ユキはひとの涙を正面から受け止める度胸がない卑怯な大人を怒鳴って止めた。

「くぅお! な、何だ何だ?」

 ツクシがそっと振り返って涙に暮れるユキを見つめた。

「わ、わたし、ツ、ツクシが、かっ、帰ってこないかもって、おっ、思った!」

 ユキはしゃくり上げながらいった。

「何だよ、馬鹿な奴だな――」

 ツクシが視線を落とした。

「うぅ!」

 ツクシはユキから視線を外したが、ユキは泣きながらツクシを睨んでいる。

「――俺は帰ってきた」

 ツクシは口角を無理に歪めて見せた。

「――うん」

 ぐすんとユキが返事をした。

「すぐにマコトたちも、ここへ――ゴルゴダ酒場宿へ帰ってくる」

 根拠などない。

 しかし、ツクシは断言した。

 俺は大人だ。

 だから、俺は子供へ嘘をつく。

 ツクシはそう考えた。

「――うん」

 こくんと頷いて、そのままユキがうつむいた。

「みんな、ここへ帰ってくるんだ。だから、ユキは大人しく寝てろ――」

 ツクシもうつむいた。

 グェンは二度と帰ってこない――。

「――うぅ、うぅ!」

 細い声で泣きながら、ユキがベッドの上で背中を丸めた。

「ユキ、もう明かりを消すぞ」

 ツクシが天井から下がった導式灯の紐を引いた。貸し部屋の明かりが消えた。暗闇のなかを歩いてツクシは小さな机に身を寄せた。机の上にあった導式球形ランプに青い光が点る。寝袋に包まったツクシは床へ仰向けに寝転んだ。ユキがぐずぐずと泣く声がツクシの耳にしばらく聞こえていた。

 やがて、貸し部屋は静かになった。

 ツクシは長い息を吐いて目を閉じた。

 その夜、ツクシは悪夢を見た。

 今まで殺めてきた無数の死者が蘇り、絶え間なくツクシの夢へ来訪する。闇に歪む風景一面を埋めた因業の亡者が恨みつらみで泣き叫ぶ。不吉な予感のみを運んでくる向かい風のなか。腰の魔刀を引き抜いたツクシは口角を邪悪に歪めて見せた。

 この男はもう二度と悪夢から目を逸らさない。

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