十五節 独裁者の蜘蛛(参)

「うーお、ひでェ!」

 ゴロウの雄たけびである。

「何じゃあ、こりゃあ!」

 ゴロウの絶叫である。

「うぬおぉお! お、おい、ローザ、ローザよ! 生きてるか? おい、返事をしろォ!」

 またもゴロウが咆哮した。

 死人も揺さぶり起こしそうな大声だ。

 俺も倉庫のなかの様子を見に行ったほうがいいのかな――。

 最初、ツクシそう考えた。しかし、倉庫から路地の隅々にまで響き渡るゴロウの汚い叫び声は元気そのものだ。

 まあ、あの調子なら平気か。

 マリー嬢ちゃんの馬も俺が見ていないといかんし――。

 ツクシは外で待つことにして、葦毛の馬ディアナの手綱を握ったまま、丸い月を見上げた。

 地には鮮血散らす斬殺体。

 頭上は異界の古都を照らす中秋の名月。

 薄い雲が横から流れてきて、その月の顔を半分隠した。

 白い鳥が星空の上を飛び回っている――。


「――待たせたな、ツクシ」

 ゴロウが戻ってきた。

「おう、ゴロウ。何だ、その女は生きているのか?」

 ツクシが視線を送ると、ゴロウは腕にゆるゆるとウェーブのかかった黒髪の女を抱えていた。女性はゴロウの白い武装ロング・コートで身を包んでいる。

「ああよォ、俺ァ、朝からずっとこいつを――ローザを探していた。他の女はみんな手遅れだったぜ。悔しいけどよォ――」

 ゴロウが太い眉尻を下げた。

「――ゴロウちゃん!」

 目を覚ましたローザがゴロウの太い首へ腕を回した。

「なるほど、そいつはゴロウのいい女ってわけか」

 頷いたツクシが、白い武装ロング・コートの裾から見える、ローザの裸の足を見やった。白い爪先に真っ赤なマニキュアが塗られている。

「あァ、そういうのじゃあねえよ、ツクシ。こいつは――ローザは俺の古い馴染みなんだ。こいつがオシメをつけてたころからよく知っていてなァ――」

 ゴロウが苦い微笑みを見せた。

「へえ、オシメねえ――」

 ツクシの眼光がぬめぬめと鋭くなった。どうもコートの下のローザは全裸のようだ。それをゴロウの武装ロング・コートで隠しているだけである。たふたふ豊かな胸元や、むっちりと油の乗った白いふとももなどが、チラチラとはだけて見えた。

 この女性の肉体の淫奔な造形美はツクシ好みである。

 大好きである。

 ローザは全体へ適度に脂肪がのった、エロチックな肉体の持ち主。

 男好きしそうな隙のある美貌。

 波打った黒髪の若い女――。

 ツクシはローザに細かい判定を下した。

 判定を下したあとも、ツクシはローザから視線を外さない。

 ローザは意識がまだはっきりしていないのか、自分の肉体へ絡みつくツクシのぬめぬめした視線に気づかない様子で、

「――ゴロウちゃんのバカ」

「ローザ、喋るな、今は休んでいろ。これ以上、俺に心配をさせるな。どいつも、こいつもよォ――おっしゃ、馬に乗れ」

 ゴロウがディアナの背にローザを乗せた。

 ツクシも積極的に手を貸してローザを馬の背へ押しやりながら、

「ゴロウ、倉庫のなかにゾクの生き残りはいなかったか?」

 ゴロウが斬殺体がごろごろと転がる周辺へ視線を送って、

「ツクシ、もうこれで十分だろ」

 ゴロウはディアナのあぶみへ足をかけた。

「――ああ、そうだな」

 頷いたツクシも骨馬レィディの背へひらりと跨った。

 馬上のひとになったゴロウが同じく馬上のひとになったツクシへいった。

「十二番区を西に大回りで帰るぜ。ローザはどうも混合した向精神剤をしこたま打たれたみてえだ。まっすぐ帰って、すぐに解毒してやりてえところだが、来るときに東の区画は警備兵が多かったんだよ。事をこれ以上荒げたくねえ。遠回りでも面倒な奴らに見つからない道を行く」

 ツクシは骨馬レィディに乗ってしばらく進んだあと、

「――いや、ちょっと待てよ、ゴロウ」

「ん、どうしたァ?」

 馬上で並ぶゴロウが訊いた。

 くてんとなったローザもゴロウの背に体重を預けながらツクシを見やった。

「あの貴族のガキが――フランクが持っていたブレスレットだ。もしかして、それが女王様フロゥラが欲しがってたやつか? ああと――名前は何だった?」

 ツクシがゴロウへ視線を送った。

「あァ、これか――たぶん、間違いねえ。これが女王様が探してた魔導式具――独裁者ディクタートルのブレスレットだろうなァ。こんなに複雑で強力な魔導式を扱うシロモノ、俺ァ、初めて見たぜ。女王様が目の色を変えて探すわけだァ――」

 ゴロウが懐から独裁者のブレスレットを取り出して髭面を曲げた。後ろのローザはゴロウ手にある金色のブレスレットに興味を惹かれている様子だ。

 女性はキラキラしているものに弱いのである。

「あれには俺も驚いたぜ」

 ツクシも顔を歪めた。独裁者のブレスレットはおそらく純金製であるし、細工も精巧で装飾品としての価値が高そうに見える。しかし、その魔導式具が持つ性能は目を背けたくなるほど禍々しい。

「ツクシ、おめェもあと一歩でこいつに支配されていたぜ。おい、誰がおめェを助けたかいってみろ、ん?」

 ゴロウがニヤニヤ笑った。

「俺のほうからは頼んでねェぜ。余計なマネをしやがってよ――」

 ツクシは吐き捨てるように応じた。

「あァ? 命の恩人に向かってそういう態度かよ、このゴボウ野郎。だから、俺に酒を奢れよ、な?」

 ゴロウは歯を見せて笑った。

「貧乏人にタカるんじゃあねェよ、この赤髭野郎。それより、ゴロウ。女王様が探していたブレスレットを、フランクが持っていたってことはだぜ。女王様が追っていた吸血鬼――ニバス・デメルクもあの倉庫にいたんじゃないか?」

 ツクシの声が極端に低い。

「あァ、くっそ! その可能性はあるよなァ――」

 ゴロウの太い眉尻がガクンと下がった。

「そのニバスかどうか知らんが、俺は顔に包帯を巻いたクソ生意気な小僧を倉庫のなかでった筈だ。今考えると、そいつ、妙に犬歯が尖っていたような気がする。ゴロウ、倉庫のなかに吸血鬼の死体はあったか?」

「どうだったかなァ――」

「チチンプイプイを使える奴なら吸血鬼かどうか、わかるんだろ?」

「うーん、吸血鬼が死ぬとな、魔導の胎動も一緒に消えちまうんだよなァ――」

 ゴロウのダミ声は自信がなさそうだ。

「それはまずいぜ、ゴロウ。俺はそいつを――ニバス・デメルクを逃がしたかも知れん。女王様の探していたブレスレットが、フランクの兵隊を動かしていたとすると――」

「ああよォ――」

「グェン殺しの黒幕は吸血鬼のニバス・デメルクだ。フランクはただのコマになる」

 ツクシの三白眼に殺気が戻っている。

「――まァ、そういうことになるよなァ。だがよォ、ツクシ、ニバス・デメルクが逃げたとなると探してもそう簡単には見つからないと思うぜ。吸血鬼の身体能力はヒト族より全然高いからな。当然、逃げ足も速い。それに、夜は魔の眷属の領域だ。ミシャだって首を長くして、後ろのローザの帰りを待ってるからよォ――」

 困り顔のゴロウが面倒事の気配を全身から放出するツクシを見つめた。

「よし、ゴロウ、お前は先に帰ってろ。俺が確認をしてくる。レィディ、すまんが、ちょっと現場へ戻ってくれるか?」

 どうにもツクシはゴロウの話を右から左に聞き流す傾向がある。

「おいおい、ツクシ! だから、聞けよ、ひとの話を! 馬鹿なのか、おめェは! さっきも俺ァいっただろう。警備兵におめェが見つかったらだなァ――」

 顔を赤くして怒鳴るゴロウを、

「ツクシ、ゴロウ、聞いて」

 ツクシの股の下から骨馬レィディが止めた。

「どうした、レィディ?」

 ゴロウの発言はツクシの耳に右から入って左から抜ける。だが、ツクシは骨馬レィディのいうことには、耳を注意深く傾ける態度を見せていた。

 ゴロウは目を丸くして、そんなツクシをじっと見つめている。

 骨馬レィディは背に乗せたツクシへ、馬の頭蓋骨半分を見せながら、

「吸血鬼ニバス・デメルクの件はもう心配ないわ」

 眼球のない眼窩の奥で冥界の炎がチロチロと揺れている。

「レィディ、それって根拠はあるのか?」

 意表を突かれてツクシが眉根を寄せた。

「私を信用しなさい、ツクシ」

 強迫的ではないが断定的な調子でいった骨馬レィディは顔を前へ向けた。

 釈然としない顔のツクシを乗せたまま、骨馬レィディはその背が揺れない冥界の歩みで進む。

 骨馬レィディはそれ以上を語るつもりがないようだ。

「――あァ! 来る途中で見かけた、あの導式鳥!」

 ゴロウが骨馬レィディの骨の顔を見つめた。

 ゴロウの視線に気づいても、骨馬レィディは前を向いている。

「ドーシキチョー? 何だそれ、こっちの世界の蚊取り線香か?」

 怪訝な顔でツクシが訊いた。

「はァん、レィディ、そういうことかァ?」

 独りで納得した様子を見せてゴロウが頷いた。

「何だ、ゴロウ、はっきりいえよな」

 ツクシがゴロウを刺すようにして睨みつけた。

「ま、グェンの敵討ちを考えた奴は他にもいたってこった」

 軽い調子でそういって、ゴロウは髭面を進行方向へ向けた。

「二人して、もったいつけやがって。気になるだろ――」

 ツクシが視線を下へ向けて文句を並べた。

 ゴロウはツクシが死神から不機嫌な中年男へ戻ったことを確認して、

「まァ、もう帰ろうぜ」

 と、話題を切り上げた。

 ツクシはしばらくの間、怪訝な顔を見せていた。だが、そのツクシもどうやら事はすべて終わったらしいと薄々感づいている。今は遠くに聞こえていた暴徒の騒ぐ声がほとんどない。王都十二番区マディアに満ちた不吉な予感に煽られていたひとびとが落ち着きを取り戻しつつあった。


 §


 北から男が三人、光の少ない倉庫街の裏通りを、月明かりを頼りに歩いてきた。男たちはそれぞれ戦利品を抱えている。この三人は元暴徒である。三人とも汚れたボロ服を着て、見るからに貧乏そうだ。

 酒瓶の入った木箱を大事そうに抱えて歩く黒髭の男が、

「背嚢を持っていけばよかったな。盗ったモン、全部は持ち切れなかった――」

 豚の足一本分の大きな生ハムを両手にぶら下げた黒髭の大男が、

「ペーター、ラモン。オラはあの家具がどうしても欲しかっただよ――」

「ジョナタン、あのでっかい衣装箪笥をか? 天幕の中に置いてもなあ。無駄な持ち物は周辺のやっかみを買うだけだぞ」

 そういった黒髭の男は麦か豆かの穀物が入っているらしい麻袋を肩に担いでいる。

 この三人ともみんな、黒い顔に黒い髭をぼうぼう伸ばし、似たようなボロ服を着ているので、誰が誰やら見た目の判別がつき辛い。しかし、彼らの背丈は大・中・小と違いがある。

 大のボロ服で、大きなハムを両手に持った髭男がジョナタン。

 中のボロ服で、酒瓶の入った木箱を持った髭男がペーター。

 小のボロ服で、麻袋を担いだ髭男がラモン。

 こう区別するとわかりやすい。

 その大中小と並んだ三人の「中」であるペーターが、

「そうだ、そうだ。余計なものはいらネ。ラモンのいう通りだ」

「でも、ペーター、うちのカアちゃんがな、前から箪笥を欲しがってるだよ――」

 ジョナタンが溜息と一緒に視線を落とした。

「家具を置きたいならヨ、天幕街を出て、まともな貸家に引っ越さねえとよゥ――」

 ペーターが唾を吐いて顔をしかめた。戦争難民――流民るみんである彼ら三人が戦利品と一緒にこれから帰る場所は天幕街だ。下水の設備もままならず治安が悪いその場所は王都で最悪の生活環境にあると断言できる。

 うつむいて考えている様子だったラモンが、

「――せめてな。家族揃って倉庫街の南あたりに引越したいよな。あの周辺なら家賃も安い。どうだ、お前ら、明日からまたネストの仕事に戻るか?」

 やれ、親に死なれた、

 それ、子供に死なれた、

 ああ、連れ合いに死なれたと、

 戦乱に巻き込またとき家族を欠いたものが流民には多い。そういう意味合いでは、戦争開始当初、住んでいた場所が王都に近く、逃げるにしても余力があったこの三人組は幸運な部類といえるだろう。

「――でもやっぱり、ネストは――異形種はおっかねえべ。ペーターもジョナタンだって異形種を見たべ? あんなのにまた襲われたら――」

 背丈が大きく、見た目だけなら三人のなかで一番厳ついジョナタンが、太い声を震わせた。

「半年前、異形種に襲われた輸送隊は全滅だったよなあ――」

 ペーターの声が重かった。

「ペーター、そうはいってもな、俺たちのできる仕事は、ネスト・ポーターの他にねェだろ。王都にゃ俺たちの畑はねえし、牛を飼う厩舎だってねえ。ああ、まず牛がいないか。牛がいないのに、厩舎だけあっても、用はないよな――」

 ラモンの視線が足元へ落ちた。ラモンは穴を空いた箇所にツギを当てた自分のブーツを見つめている。三人組は過去の、そこそこ豊かだった農村の生活に思いを馳せて会話を切らした。

 沈黙したまま暗い倉庫街の裏道をしばらく歩いたあと、

「はあ、どうすっかな。王国市民証明があれば他の仕事も探せるんだがよゥ。西の工業区あたりとかよゥ。でも役所は流民へ証明書を発行してくれないからなあ――お!」

 ペーターが呟いたところで脇道からひと影が飛び出てきた。

「けっ、警備兵だべ!」

 ジョナタンが両手に持った大きなハムを構えた。

 この男はハムを武器にして戦うつもりらしい。

「――ああいや、警備兵とは違うみたいだぞ?」

 ラモンが壁に手をついて呼気荒げる黒マントの男を覗き込んだ。

 警戒しながら歩み寄ったペーターが、

「だ、大丈夫なのかい、兄さんよゥ?」

 ゆっと黒マントの男がうつむいた顔を上げた。演劇役者と見紛うような、整った顔つきの若い男だ。若い男はその綺麗な顔をねじ曲げて牙を剥いた。食いしばった歯と歯の間から血が漏れている。その首元も鮮血にまみれていた。

「――あひっ!」

 ペーターが仰け反った。

 黒マントの若者は何かいいたそうな表情を見せたが、背を向けると暗い路地の奥へ走っていった。

「――牙?」

 ジョナタンはハムを両手で構えたまま、走り去った黒マントの若者の背中を見つめている。

「大怪我で死にそうだったが。よく、あんなに早く走れるもんだな――」

 ラモンが呟いた。

 黒マントの男の背は三人組の視界からすぐ消えた。

「あの兄ちゃん、すんげえ牙があったぞォ――?」

 目を丸くしたままのペーターが左右の連れへ顔を交互に振り向けた。

「牙があるひと――ありゃあ、猫人族だべか? 目の色もちょっとおかしかったべ?」

 ジョナタンが両手に生ハムをぶら下げる体勢に戻った。

「でも、あいつは耳もしっぽもなかったぞ?」

 ラモンが眉間にシワを寄せた。

「王都は本当にいろんな種族がいるなあ――」

 ペーターがそういって黒マントが去った方向へ顔を向けたまま歩きだした。

 まだ黒マントが消えた路地の奥を見つめていたジョナタンを、

「ま、とにかく、さっさと帰ろう。警備兵に見つかったら面倒だ――」

 ラモンが促した。

「――ンだべな。カアちゃんとテトが腹を空かして待ってるべ」

 手から下げた大きなハムを見やってジョナタンがいった。元暴徒で元農夫の三人組は肩を並べて帰路を急いだ。三人の肩と肩との間にある距離が、さきほどより少し近くなっている。


 元農夫の三人組の脇を抜けたニバスは倉庫街の裏道を北東に向かって逃走している。

 あの男がマシラのいっていた――。

 ニバスはその光景を思い出すだけでも、傷の痛みを忘れてしまうほどの恐怖で震える。ニバスは切れた舌の根が塞いだ喉へ、短刀で穴を開けてつくった気道で息をしながら逃げていた。

 あの黒い剣士が、クジョー・ツクシ――。

 走りながらニバスは後ろを振り返った。

 追ってくるひと影はない。

 あれは何なんだ、何者なのだ。

 クジョー・ツクシ――。

 舌を切断され、床で悶絶していたニバスが目撃したのは白い刃の一方的な殺戮だった。クジョー・ツクシは時間の経過を無視した殺しの領域を展開し、倉庫内にいた蜘蛛の兵隊を片っ端から斬り殺していった。元々は魔帝国の魔導学会に在籍していたニバスの目から見ても、クジョー・ツクシの斬撃は明らかに未知のものだった。あの殺戮の技術はカントレイア世界にあまねく奇跡の力――導式でも魔導式でもなかった。まったくの時間経過なしで「結果」を発生させるのは、現状、どのような技術を駆使しても不可能なのだ。

 クジョー・ツクシの視界に入ることは反撃不能の確実な死を意味している――。

 そう判断したニバスは、ツクシが倉庫の外へ戦場を移した瞬間を見計らって、アジトから逃げだした。

 どうにか、奴は追ってこないか――。

 後方をもう一度確認したニバスはそこで足を止めた。

 死の恐怖が薄れると、舌の激痛と喉の激痛が再びニバスを襲った。きつく結んだ青い唇の間から「うぐっ、うぐっ」と呻き声が漏れている。ニバスの藤色の瞳から大粒の涙がこぼれて落ちた。ニバスは自分の顔に巻いてあった包帯を逃走中に捨てた。ツクシはニバスの素顔を知らない。だから、これが簡易な変装になるとニバスは考えたのだ。

 ふらついたニバスが倉庫の壁へ肩をぶつけた。生命を維持する肉体の構造は吸血鬼もヒト族のそれと大差はない。ニバスは血を失いすぎている。

 吸血が必要だ、ニバスは思う。

 それに、俺の切られた舌はどうするか――。

 ニバスは失われた舌の痛みでまた顔を歪めた。吸血鬼の肉体再生能力はヒト族より強い。しかし完全に失われた肉体の部位を再生することまではできない。

 適当な誰かから舌を引き千切って、自分の舌に縫い合わせるか――。

 ニバスが無くした舌を再生する強引な方法を思いついた。屍骸の縫合は屍鬼のルークが得意だった。だが、ルークはもうこの世にいない。ニバスにとっては便利だった餓鬼集団レギオン・マディア・ファナクティクスも、おそらく、クジョー・ツクシの刃で全滅したのだろう。ニバスは王都の夜で孤立している。

 いや、待てよ、もしかしたら――。

 ニバスがひとつだけ希望を見つけた。

 フランクが白い刃を持ったあの死神を――クジョー・ツクシを独裁者ディクタートルのブレスレットで支配できたかも知れないぞ――。

 流れる涙を一抹いちるの希望で止めたニバスが、逃げてきた道を振り返ると、そこにひと影が立っていた。

 ニバスの顔が恐怖で凍りついた。

 しかし、そこにいたのは刃を持った死神ではなく女だった。二股に分かれた先にボンボンがついた白と黒の道化帽子を頭に乗せて、同じく白と黒のタイル・パターン柄がついた軽武装服ブリガンダインを着た女だった。

 道化のような女――。

「――あんたが吸血鬼ヴァンパイアのニバス・デメルク?」

 道化の女が顔を傾けた。

「ひゃらら(誰だ)?」

 唐突に名前を呼ばれて驚いたニバスは口中と喉を苛む激痛を忘れて発言した。

「あたし、クラウンだよ。あんたが吸血鬼のニバス・デメルク?」

 道化の女――クラウンがその唇へ薄笑いを貼りつけたまま、また訊いた。

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