十二節 殺しをやるには若すぎる(弐)
「殺しをやるには若すぎる――」
二の矢がエンリコのこめかみを貫いたとき、その矢を放ったカルロは呟いた。
運河沿いに並ぶ倉庫の屋根上に、三人のひと影がある。もっとも、そこの空間にいる大、小、小の三名は魔導の霧が作る鏡面によって外部からは見えないように工夫されていた。倉庫の上にいるのは、深緑色の狩人服に深緑色マントを羽織って巨大な弓を持つカルロ、深紫色のローブに銀色の長い杖を持ったフェデルマ、陰陽師のような格好に長烏帽子をかぶったフレイアだった。
アルバトロス曲馬団の冒険者たちである。
導式弓・
「残酷ね。最初の矢はわざと外したの?」
横のフェデルマがいった。フェデルマのいった「最初の」とは、カルロが放った最初の矢――エンリコの首筋に刺さった一本目の矢のことだ。
「いや、最初の矢は的を外れた」
短く応えたカルロの周辺で半透明の小さな乙女たちが、輪になってひそひそ内緒話をしながら、フェデルマを盗み見ている。
「珍しい」
フェデルマも短くいった。
「お前の魔導式陣が作った
カルロはフェデルマが持つ夢魔の装飾がついた銀色の長い杖、その先で機動している小さな魔導式陣へ目を向けた。カルロの周辺に舞っていた風の乙女が一斉に頷いて見せる。この風の乙女――
その誤差をすぐ修正したカルロは二の矢でエンリコを絶命させたが――。
「――失礼な話」
フェデルマが眉を寄せた。
唇の端を歪めたカルロが、
「もう帰っていいぞ」
周辺に飛び交っていた風の乙女たちは、さらさらと風の声で返事をして大気に溶けていった。
カルロの脇で四つん這いになって、じっとしていたフレイアが突然、喚きだした。
「あぅう、たいへんたいへん! 姉さま姉さま! ピーコちゃん三号が倉庫街でレィディを発見!」
「何ですって、フレイア、私にその『視界』をすぐ貸しなさい!」
フェデルマがフレイアへ顔を向けた。
「あいあいさっ、姉さま!」
フレイアが自分の顔の護符の一枚をはぎ取って、フェデルマの額へそれをビッシと貼りつけた。
「痛った!」
フレイアの動作は結構な勢いであったから、フェデルマの顎がカクンと上を向く。
護符と魔導式ゴーグルがついた顔が上を向いたままのフェデルマに、
「おい、フェデルマ。まさか、レィディに乗っているのはアヤカなのか?」
カルロが訊いた。
これは珍しい。
カルロの顔が強張っている。
「――違うわ、カルロ」
フェデルマは魔導式ゴーグルの側面についたツマミを調整して、レンズ越しに浮かぶ映像のピントを合わせた。
カメラ視点は上空からのものだ。
「えー、それじゃあ、ロランドかマリー?」
フレイアが首を傾げた。
「それも違う。レィディに乗ってるのはネスト・ポーターの――カウンター席で毎日お酒を飲んでる――ええと――?」
上を向いたままフェデルマが眉を寄せた。
名前を忘れてしまったらしい。
「ツクシ、クジョー・ツクシだな」
確かにあの男なら「そうする」だろう――。
カルロは自分の言葉に納得したような素振りで頷いた。
「カルロ、ツクシさんはレィディに乗って、ここへ何をしにきたのかな?」
フレイアがカルロへ顔を向けた。
正確には顔へ大量についた護符を向けた。
「決まってるさ」
カルロが小さく笑った。
カルロの様子を見て、フレイアはまた首を傾げる。
「それで、カルロ、彼をどうするの?」
フェデルマが眉をひそめたままいった。
カルロは顎の先を指で押さえて考えたあと、
「――フレイア、お前の『
「あいっ!」
フレイアが正座をして胸元から護符を取り出し折り紙を始めた。うんせうんせと頑張っているが、倉庫の屋根の上では折り辛そうだ。夜だから手元も暗い。
「カルロ、ツクシを止めないの?」
フェデルマがカルロを見やった。
「ツクシは少なくとも街ごと吹き飛ばさんだろう」
カルロは狙撃手の長弓を背に納めた。
「それは、そうだろうけど――」
フェデルマはまだ不満気である。
フレイアが呪詛が描かれた護符で折り紙を続けながら、
「うぅー、喧嘩するなら、ロランドやマリーを連れてきたほうが早かったのに――」
「フレイア、だから、ロランドとマリーを宿に置いてきたのよ」
フェデルマは呆れ顔だ。
「でも、姉さま。置いてけぼりにされたことを知ったら怒るよ、ロランドとマリー。アヤカちゃんは平気だろうけど。アヤカちゃん、お部屋で寝ているのが大好きだから――」
フレイアはうつむいて折り紙をしながらいった。
「怒らせておけば、いいの。フレイア、さっさとやりなさい」
フェデルマが急かした。
「あぅう、あい、姉さま――」
フレイアがあうあうしながら作業する手を早めた。
手元で折られていた護符が鳥の形となると、フレイアはそれを手のひらに乗せて、ごにょごにょいいながら息を吹きかけた。すると、折り紙の表面にあった赤い呪詛が、その周囲を浮いて回りだし、折り紙は一羽の白いカラスへ変わって王都の夜空へ飛び立った。この白いカラスは、フレイアが倭国の呪詛――祟術で呼び出した式神だ。式神はフレイアの顔前に何枚も重なってついた護符を通して目と成り、またあるときは言葉と成る。現在、フレイアの作った二十四羽の式神(フレイアにいわせるとピーコちゃん●号)が、十二番区の上空を飛び交っている。
王都十二番区マディアは、その全域がフレイアの――アルバトロス曲馬団の監視下にあった。
§
一旦、マコトたちと別れたジョニーと、ジョニーが率いる五百名の兵隊は集合場所を目指して倉庫街の路地裏を進んだ。しかし、ジョニーが選んだ道は周辺の火の手が強く、倉庫を略奪する暴徒も多かった。火が回って通行不能になっている道も多く、進軍は滞りがちである。
ジョニーの後ろに横座りで乗った、裾をフリンジ状にした白いトップスに、紺色のホット・パンツ、折り返しにファーがついた茶色い長ブーツ姿の少女がぶうたれた。
「まーた、この道も火事で通行止め?」
「これは失敗だった。兵隊をもっと小分けにした方が良かったな――」
ジョニーが道の先で燃える荷車の列を見やって舌打ちをした。
ホット・パンツ姿の少女は、パステル・カラーで虹色に塗られた自分の爪先を眺めながら、
「ほら、どーすんの、ジョニー」
「どうするって――また迂回するしかないだろ、キャンディ」
ジョニーが首を回して、自分の馬の後ろに乗った不満の多い少女――キャンディを見やった。青紫に近い肌色のキャンディは、カールが強く掛かったオレンジ色の髪を、編み込んだ髪で短くまとめ、広くおでこを見せて、青い瞳はぱっちりと大きく、きゅっと突き出た感じの口元も可愛らしい。しかし、長すぎるつけまつげや、こってり塗られたピンクのアイ・シャドー、それと同じピンク色の口紅など派手な化粧が施してある顔はケバケバしかった。羽織っているマントはピンク色だ。これも色がどぎつく派手である。
年齢は十六歳前後に見えるが――。
「――ジョニー、わたしは、さっさと、家に帰りたいんだけど?」
キャンディが小憎たらしい口調でいった。
「俺の都合も考えずにいつもいつも勝手なことばかりいうなよ」
そのままジョニーとキャンディは火が出るような調子で睨み合った。一応これは、青年と少女が見つめ合っている形になるが、どうにも、甘い雰囲気とやらからはかけ離れている。
ジョニーとキャンディが無言で激しくいがみ合っているうちに、
「後ろから来たぞ、ファナクティクスの兵隊だ!」
スピアーズの兵隊たちが騒ぎだした。後方からマディア・ファナクティクスの兵隊が手に手に武器を振りかざして突っ込んでくる。その数は八百名以上――ファナクティクスの主力部隊のようだ。すぐお互い武器を構えた不良少年たちの喧嘩が始まった。
キャンディが隊列の後方で起こった騒ぎへ目をむけて、
「ああもう、ウッザ! 超かったるい――」
「これ以上、時間を取られるわけにもいかんし、俺が出るしかないのか。
ジョニーは溜息交じりだ。
「あ、はい? 何を?」
悪寒の騎士――キャンディは手鏡で長々としたつけまつげの様子を確認している。
「お前に訊いた俺が馬鹿だったわ――」
ジョニーはお化粧直しをするキャンディを冷めた顔で見つめた。
「何、ジョニー、その態度。今、超ムカついたんですけど!」
キャンディが横目でジョニーを睨んだ。
「あのさあ、だいたい、何でついてきたんだ、お前――」
ジョニーがボヤく声と一緒に、黒マントを膨らませて馬から飛び降りた。
「はあ? だから、さっきいったじゃん。買い物のついで――きゃっ! ちょっと馬、馬! 誰かこの子を抑えて、ちょっと、ねえ!」
キャンディが主を失ってうろうろする馬の上で手足をバタバタさせている。
ジョニーは馬上で喚いているキャンディを無視して歩いていった。自分たちの大将が動いたのに気づいたスピアーズの兵隊が脇へ寄って道を空ける。スピアーズの兵隊と取っ組み合いになっていたマディア・ファナクティクスの兵隊も、ジョニーの姿を見た途端、夢から覚めたような顔つきになってぽかんとその場に立ち尽くした。
ぶらぶら歩くジョニーへ両脇の倉庫を燃やす炎が照明を当てている。
路面へ落ちたその影には翼がある――。
「ダ、ダタイ・スピアーズの!」
「ジョ、ジョニー・コガラシだぞ!」
「ほ、本物だぞ、本物の『木枯らしジョニー』だ!」
「こっ、殺されるぞお!」
「うわああぁぁぁぁぁぁあ!」
蜘蛛が作る夢から覚めたマディア・ファナクティクスの兵隊が転がるように戦場から逃げていった。
歪みの翼を広げたジョニーは蜘蛛を眺めている。
その視線の先にいるのはハービーだった。ハービーは必要以上の筋肉がある上半身を見せつけるような黒いタンクトップを着て、手にスレッジ・ハンマーを持っている。そして、ハービーは剃り上げた頭のなかに蜘蛛を一匹飼っていた。ジョニーの目にはそれが見える。スピアーズの兵隊は誰一人として逃げだしたファナクティクスの兵隊を追わなかい。
全員が地に降り立った彼らのボス――ジョニーに注目していた。
ジョニーと対峙したハービーは甲高い声で唸った。
微笑んで返したジョニーはその時点でハービーを諦めていた。
俺が展開した
だが、こいつの――ハービーの頭のなかにいる蜘蛛は――。
「――ハービー。お前の蜘蛛の兵隊はみんな逃げたぜ。お前、逃げないの?」
ジョニーの軽薄な調子を帯びた問いかけだ。
「マディア・ファナクティクスを、ハービー・ベントリー様を舐めるな!」
ハービーは甲高い声で咆えながら、スレッジ・ハンマーを振り上げた。怒りに我を忘れ青紫色になったハービーの幼い顔を、ジョニーは見上げていた。ジョニーは決して背丈が小さい男ではないのだが、ハービーは身の丈二メートル以上ある筋肉の大塊だ。その筋肉の塊がジョニーの頭を目がけて建物解体用に使われる巨大なスレッジ・ハンマーを振り下ろした。
ジョニーは溜息を吐きながら右手を無造作に上げる――。
「――うげえっ!」
ハービーの表情が固まった。
頭部の重さだけで二十キロ近くあるスレッジ・ハンマーを、ジョニーは右手一本で受け止めたのだ。
「くっ、てめえぇえっ!」
ハービーがスレッジ・ハンマーを持つ両腕へ力を込めた。常人の三倍以上あろうか。太い腕の筋肉が血管を浮かせて盛り上がる。
ジョニーはビクともしない。
「おおおっ!」
スピアーズの不良少年たちから感嘆の声が漏れた。
このジョニーは本格的な
おそらく、永遠に――。
ハービーと力比べをしていたジョニーが、もういいだろといった感じで、面倒そうに身体を右へ外した。
「――ぐあっ!」
力の行き先を失ったハービーが前へつんのめって倒れた。それでも戦意が衰える様子がないハービーは、すぐにその身を起こそうとした。だが、ハービーの胸元へジョニーの膝が落ちてくる。
「がはっ!」
ハービーは巨大な岩が胸の上に落ちてきたのかと錯覚した。それほどまでジョニーの膝が重い。大巨漢のハービーに比べると、ジョニーの体重は半分ていどしかないように思えるが――。
ジョニーはハービーを片膝で路面へ固定したまま、
「ヒト族を気軽に殺すとさ、俺は怒られるんだよ」
「な、何を――」
ハービーが呻いた。
「何って、ジャダとか
目を細めたジョニーがハービーの頭へ右手を伸ばした。
「あっ! あがっ――」
ハービーが喘いだ。
ジョニーの指先がハービーの褐色の頭へめり込んでいる。
「だから、ハービー、お前を助けてやる。面倒だし不本意なんだけど――」
ジョニーの右手がハービーの頭部へずぶずぶ沈む。
「あっ、あっ、がっ、がっ――!」
ハービーが白目を剥いてガクガク痙攣した。
「でもさ、もう、助けても無駄だと思うんだわ――」
ジョニーの手はその手首までハービーの頭のなかへ侵入していた。
しかし、ハービーの頭からは血が一滴も流れていない。
「あっが、ががが、ガガガ――」
ハービーの手足が石畳を叩いて暴れて深緑色のズボンの股が濡れた。
「お前には悪いんだけど、さ!」
ジョニーが手を引き抜いた。
「あがガガガっ!」
ハービーは脱力した。
ハービーの頭には傷ひとつない。
ジョニーの手は血に濡れていない。
しかし、ビタビタと蠢く黒い何かがジョニーの手にあった。蜘蛛のような黒い生き物だ。だが、その黒い頭胸部から伸びる四つの節を持った脚は、左右非対称を常に保ち、不確定な素数で変化し続けていた。五本、十一本、十七本、十九本――。
水を打ったようにスピアーズの面々は静まり返っている。
遠くで暴徒が騒ぐ声。
近くで倉庫が燃焼する音。
ジョニーは反応を失ったハービーの傍らで膝をついたまま、手で蠢く奇形の蜘蛛を見つめていた。
キャンディが買い物袋を片手に歩み寄って、
「キッモッ! ジョニー、それってなに!」
「ああ、捕まえたぜ。こいつが『
ジョニーは奇形の蜘蛛へ圧力を加えた。
「ギシャ、ギシャ!」
蜘蛛が鳴く。
ジョニーが顔をしかめた。
その手からハービーの記憶が流れ込んでくる――貧しく小さな貸家。たくさんいた、ハービーの兄弟。職を失い酒に溺れ、家族へ暴力を振るい続けた元石切職人の父親。粗暴な夫の顔色を伺い続ける臆病な母親。幼い妹にまで手を上げた父親に、とうとうハービーは我慢ならなくなった。家にあったスレッジ・ハンマーで、ハービーは自分の父親を殴った。何発も、何発も、父親の頭を目がけて、ハービーは怒りの鉄槌を振り下ろした。ハービー・ベントリーは自分の父親を自分の手で殴り殺した。十四歳で殺人犯になったハービーは、家族から離れて
「――取り出してはみたが、やっぱり、手遅れだったよ。ハービーは自分の記憶のほとんどをこいつに――独裁者の蜘蛛に食われちまった。まったく、イデア様は随分とエグい魔導式具を作ったよな――」
ジョニーはハービーへ目を向けた。路面に寝転がったまま夜空を見上げるハービーは目を開いている。しかし、その目はもう何も見てはいなかった。
すべての記憶を失ったハービーはもう廃人になっている。
「あー、そのキモイ蜘蛛、イデア様のアクセ(※アクセサリーの意)で作った魔導生命体ね、納得ぅ――」
キャンディが苦く笑った。
「そうだ、
ジョニーが手にあった蜘蛛を握り潰した。「キシャ!」と鋭い悲鳴を上げて潰れた奇形の蜘蛛は黒い煙を上げて大気に溶けていった。
「確かに、あの子たち、ちょっと心配――」
キャンディが目を細め、鼻先にシワを作った。
「ああ、さっさと終わらせようぜ。何だ、今夜は満月なのか。道理で、喉がヒリヒリしやがる――」
夜空を見上げたジョニーが、鼻と口を覆う赤いバンダナを手で下げると、血色の悪い唇の間に二本の白い牙が見えた。
永遠の不良青年ジョニー・コガラシは
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