六節 宴のあと

 吸血鬼のニバス・デメルクは若い男だから女性を犯すのが嫌いではない。

 だが、ニバスは女性と性交渉するよりも女を痛めつけて死に追いやるほうが、ずっと興奮する性分だったし、それを目的に生きている男だった。だから、ニバスは昨夜に女衒街を襲撃して餓鬼集団レギオンのアジトへ連れ帰った女たちへもいつもと同じことをした。

 気に入った女は犯しながら吸血する。

 気に入らない女は殴り殺す。

 今はその行為のあとである。

 地下室でソファに身を埋めたニバスの足元で、その行為の対象になったその女たちが横たわっていた。いずれも若い女性だ。まだ生きてるものもいるようだが、たいていは瀕死に見えた。ニバスはそのうちの一人の指先――オレンジ色のマニキュアを塗った指先が蠢いたのを目に止めた。地下室には油のランプを使った小さい照明しかないが、魔の眷族のニバスは夜目が利く。

「まだ生きているのか――」

 ニバスはソファに座ったまま足元の女を蹴った。黒いブーツの硬い爪先が、やわい脇腹へ食い込むと、オレンジ色のマニキュアの女が弱々しい呻き声を上げた。

 皮下出血が女の裸体を斑模様にしている。

「まだ生きていたか――」

 ニバスは頷いただけで表情は変えない。何ら感情を動かさなかったニバスだが、その鼻先だけは動いていた。

 異臭が足元からせり上がってくる。

 肉が腐る過程の臭いだった。

 この地下室に死体を置いてあるわけではない。

 それでも臭う。

 このニバスはヒト族の女を殺すのを生き甲斐にしているのだが、そのあとにできた死体は目に入れるのを嫌がるほど嫌う。残虐行為を働いたあとでも、この神経質に整えられた黒い髪や、綺麗にしてある爪の先、垢のない肌を見ればわかる。ニバスという男は極端な潔癖症なのだ。

 以前まで、地下室の縦穴から捨てた死体は消えていた。

 ニバスが死臭を気にすることはなかった。

 だが、今は地下室の穴へ捨てた死体が下に留まって腐っている。

 その臭気が這い上がってくる――。

「――ルークはネストでどんなヘマをしたんだ?」

 ニバスが呟いた。

 投棄した死体を処分していたのは、王都の地下道でじめじめ暮らしていた(ルークにいわせると研究になる)屍鬼の魔導師アンデッド・メイガス――ルーク・イド・ドラゴウンだった。ニバスが作る死体を処分していたルークが消えてからというもの、餓鬼集団・マディア・ファナクティクスはアジトの転居を繰り返している。この死体の臭いにニバス同様、餓鬼集団のメンバーも耐えられないのだ。

「ルーク、あの馬鹿は――」

 ニバスが唾を吐いた。

 ルークは馬鹿といわれるのが大嫌いな男だった。

 かつてのルーク・イド・ドラゴウンは魔人族ディアボロスの貴族で、それも、魔帝国の首都チェルノボーグにある魔導学会の優等生だったのだ。しかし、学会を卒業してからのルークは色々と上手くいかなかったらしく――しかし、まあ、あの様子ではそれまでも他人に自慢できるような人生ではなかったのだろうな、そう考えてニバスは少し笑った――それを拗らせた末、自らの意思で屍鬼の国へ訪れて、骸の女王イデア・エレシュキガルに忠誠を誓った。

「だが、ルークはあの忌々しい骸の女に忠誠を誓ったというよりも――」

 ニバスは赤ワインを瓶から直接飲んだ。

 純血の魔人族であり、その上に貴族階級出身で自信過剰だったルークは、いずれ屍鬼の国を乗っ取って、屍鬼の帝王になる予定だったらしい。

 だが、実際は違った。

 ルークは骸の女王の手で屍鬼へ改造されて、そのあとは頭脳労働を強要されていた。

「認めたくはないが――」

 ニバスが吐き捨てた。

 このニバスもルークと同類だ。魔人族ディアボロスとヒト族の混血――ダーク・ハーフのニバスは、純血種の魔人族に魔導の力が遠く及ばないことを妬んで気を病み苦しんだ。魔帝国では魔賢帝の治世時代に優位種保護法――純血の魔人族に社会的特権を与える人種差別法は撤廃されたが、それでも混血種は差別を受けた。悩んだニバスは己の人生と血に復讐するため、魔人族より強い魔導の力を持つ吸血鬼へ転生することを思いついた。魔帝国を離れたニバスは長い時間をかけて吸血鬼を探索し、遂に魔帝国とタラリオン王国の国境線近くにあった小さな村に何人かの吸血鬼が住んでいることを突き止めた。ニバスはその村にいた女の吸血鬼に接触して彼女と交わった。

 その邪悪な性根に反してだ。

 ニバスの容姿は美青年で例え相手が吸血鬼でも女なら騙すのは造作もなかった。

 吸血鬼へ変異体化ミューテーションすることに成功したニバスは、吸血鬼の女王フロゥラ・ラックス・ヴァージニアと面会をするために屍鬼の国へ向かった。

 交わった吸血鬼から聞いた話だ。

 フロゥラは魔導を極めた存在らしい。元からニバスも知っていたが、この吸血鬼の女王はカントレイア世界における伝説的な存在でもある。再び旅するニバスの目的はフロゥラから魔導式に関する知識を得ることだ。それは陽の光から隠れて、ねずみの地下道を歩く長い旅路だったが、不老の吸血鬼にとって時間の長さは苦にならない。果たして、フロゥラと面会を果たしたニバスだったが、そこで絶望した。

 何ということだ、

 これは、神なのか、

 それとも、悪魔なのか――。

 強力な眷属を侍らせて、絶対王者の椅子へその御身を深く沈めた吸血鬼の女王の前にかしずいたニバスは、ただただ頭を下げて恐怖に打ち震えることしかできなかった。フロゥラはニバスの容姿で騙せないし、もちろん、真っ向勝負で勝てる相手でもない。強大な蝙蝠の翼を背に負う吸血鬼の女王ヴァンパイア・レジーナは、新米吸血鬼のニバスにとって、すべてが、何もかもが桁違いに格上の存在だった。

 その上でフロゥラは神代に失われた冥の英知――死霊術ネクロマンシーを使いこなしている――。

 自分より圧倒的に上の存在と遭遇したとき、たいていのひとの反応は信服するか反撥するかの二つになる。ニバス・デメルクが選んだのは後者だった。屍鬼の国で不満を持て余していた吸血鬼ニバスと屍鬼ルークは意気投合して逃亡した。

 ニバスとルークが目指したのはタラリオン王国の王都だ。人口三百万人を超えるカントレイア世界で最大の都市だった。

 風の噂によるとタラリオン王都に異形の巣ネストが出現したという。

「ニバス、異形の巣には失われた冥の英知を司る存在がある筈なのだ――」

 ルークはニバスへ語った。

 もっともそれはルークの見込みていどの話であったのだが――。

 何にしろ、邪な希望を抱いたこの二人の魔の眷属が、華のタラリオン王都へ辿りついたのは、今から一年と数ヶ月前のことだ。

 仮宿として王都十二番区マディアの空き倉庫に潜伏していたニバスは、そこを集会場に使っていた餓鬼集団レギオンの若者たちと遭遇した。

 ニバスは薄汚い若年の集団を見て、こいつらは何かに使えるかなと考えた。

 若者たちのほうも容姿は端麗なれど邪悪な雰囲気を醸すニバスに対して強い興味を抱いたようだ。

 このとき、ニバスが出会ったのは餓鬼集団・マディア・ファナクティクスのメンバーだ。当時、この餓鬼集団の指導者はエンリコ・ベルナンデスだった。ヒト族から見ればエンリコは悪党の部類だが、魔の眷族のニバスから見れば取るに足らないチンピラだった。

 この雑魚エンリコでは、俺の役に立ちそうにない――。

 そう考えたニバスは、悪餓鬼どもにタカられて財布代わりに使われていた下っ端、貴族のヤサグレ次男坊のフランク・ド・ダッシュウッドに目をつけた。ニバスはフロゥラの邸宅から盗んできた魔導式具――独裁者ディクタートルのブレスレットをフランクへ渡して餓鬼集団の支配を勧めた。陽の下で活動ができないニバスが独裁者ディクタートルのブレスレットを持っていても、その真価を発揮することができない。それに、その魔導式具を使用すると、ニバスが持つ魔導の胎動へ悪影響が出る恐れもある。

 それほどまで、骸の女王が作成した魔導式具は強力なものだったのだ。

 フランクは貴族趣味の、冷酷で頭がキレる青年だったが、しかし、肺病みを抱えた虚弱体質で何もかもに飽きっぽい短絡的な性格だった。その上、老いも若きも男も女も平等に毛嫌いをしている。

 このフランクは、タラリオンの貴族社会で生きているうちに、他人を毛嫌いするようになったのか。

 それとも先天性の肺病が影響して人格が鬱屈うっくつしたのか――。

 ニバスは漠然と考えていた。直接本人へ訊いたことは一度もない。どうでもいいことでもある。マディア・ファナクティクスへ腰掛け代わりに参加したニバスが気に入ったのは、フランクの精神にあった闇の部分――それまでの結果であって過程ではなかった。ニバスの考えでは、救いようがないほど荒み、ヒト族とそれが作る社会を心底を憎んでいるフランクは、他人の心を一方的に支配する独裁者のブレスレットを扱うのに相応しい負け犬だった。

 負け犬は一旦力を得ると弱者に容赦しない。

 元の位置へ戻ることに恐怖して形振り構わず走り続ける。

 死ぬまでな――。

 ニバスはほくそ笑んだ。

 果たして、である。

 フランクは独裁者のブレスレットを手に入れると己の野望を剥き出しにした。否、野望というよりも、他人とそれが作るものに対する破壊願望を魔道の力で具現化させた。マディア・ファナクティクスを掌握したフランクは、隣接していた餓鬼集団を攻撃して吸収合併を繰り返し勢力を急拡大、欲望の赴くままに暴れ狂った。人心支配の魔導式を受けた餓鬼集団の兵隊はフランクのどんな命令でも必ず実行した。

 犯す、奪う、殺す、破壊する――。

 フランクはすぐ金も女も酒も薬も不自由しなくなった。魔導の力に頼るがために、収獲のおこぼれを手下へ与えて人心を掌握する必要がない組織は破竹の勢いだった。かつて望んだものを供給過剰で持て余すようになったフランクは、拉致して痛めつけた女や市民や敵対した餓鬼集団のメンバーをニバスへ寄越して殺処分を命じた。ニバスは殺戮が望みであり、吸血も必要だったから、ヒト族の殺処分を喜んで請け負った。

 だが、今のニバスは命はともかく、死体の処分ができなくなっている。

 黒い肌の巨漢――ハービーが地下室へ降りてきて、

「ニバスさん、フランク様がすぐ来いって――」

 それだけいうと、地下室に充満した死臭に顔をしかめて、急いで階段を駆け上がっていった。

「わかった――」

 ニバスはソファから立ち上がって、地下室の片隅に置かれた机へ足を向けた。途中でニバスは女の足を踏みつけた。声は上がらない。ニバスが目を向けると、その女の体温は部屋の温度に近い値まで下がっている。こいつは死んでいるな、とニバスは思う。そう思っただけだ。机の上のバンテージを手にとったニバスが肌の露出した箇所――顔や腕にそのバンテージを巻きながら、

「ルークめ――!」

 と、唸った。

 ニバスがねずみたちから噂話の通りだった。古代にあった地下道は王都の下の全域を網羅していた。長い歴史がある王都の地下は上の住民が気づかないうちに大迷宮になっていたのだ。その地下道を使って王都までやってきたニバスは吸血の対象――生者との接点を求めて十二番区の倉庫街を寝床として選んだ。死者と接点が必要な屍鬼のルークはゴルゴダ墓場の地下霊廟へ直行した。そのとき、ルークの手にしていたのが、骸の女王の命を受けて研究していた屍鬼生成用の魔導式具――水晶髑髏の錫杖の複製品レプリカだった。

 ルークはゴルゴダ墓場の地下霊廟で水晶髑髏の錫杖の力を解放し、自分の兵隊――屍鬼を作成したが、そこで問題が起こった。ルークは初めて扱う錫杖の力を制御できなかったのだ。ルークが生成した大量の屍鬼は水晶髑髏の錫杖で制御できる数を超えていた。その上、ルークが製作した屍鬼は生前の知性を再現できない失敗作ばかりだった。屍鬼の群れは地上へ溢れだして、好き勝手に王都の市民を襲った。これが、今から一年前と数ヶ月前、王都十三番区ゴルゴダを中心に勃発した屍鬼動乱の大まかな経緯になる。

 タラリオン王都に潜伏して力を蓄えて、あわよくば、異形の巣ネストの謎に迫ろうと考えていたニバスとルークは計画の最初から躓いたのだ。タラリオン王都と屍鬼の国は、その間にドワーフ公国を挟んでいるので距離がある。しかし、派手な行動を起こせば恐るべき二人の女王――イデアとフロゥラの耳に入る可能性は高い。

 吸血貴族ヴァンパイア・ノーブル

 宮廷屍鬼魔導団アンデッド・メイガス・テンプラー

 悪寒の騎士たちドレッド・ナイツ――ニバスやルークでは太刀打ちできない強力な魔の眷属が盗人への刺客として二人の女王から差し向けられることになるだろう。それに、王都は屍鬼と吸血鬼を敵視するエリファウス聖教会のお膝元でもある。吸血鬼のニバスも屍鬼のルークも、力を得るまでは目立つ行動をできる限り控えたいと考えていた。

 もっとも、

「エリファウス聖教会の武装布教師隊など、カントレイア世界に二人いる、あの人外の女王に比べれば恐れるに足らずだ」

 ニバスとルークはそう侮ってもいたのだが――。

 これ以降、ニバスとルークは慎重に事を進めた。

 ニバスはマディア・ファナテクティクスを隠れ蓑に吸血と殺人を繰り返し、地下道へ死体や瀕死のものを遺棄した。放棄された死体は屍鬼ルークが回収して屍鬼を生成し、この手勢を率いてネストを探索する。この二人の生活はしばらく順調だったのだが、また面倒事が起きた。

大地下墓地宮殿メガロ・カタコンベ・パレスから持ち出してきたこの魔導式具が生成する防腐の霧で、肉体の腐食は十分食い止めれよう。これは屍鬼の騎士――悪寒の騎士たちが使う魔導式鎧と同じ効果オーラを放つのだ」

 王都に来た当初の話だ。

 ルークはそんなことをいって自信たっぷりだったのだが、実際には不十分だった。日を追うごとにルークの肉体は腐ってゆく。同時に、ルークの精神も錯乱した。ルークは死体回収のため、マディア・ファナクティクスのアジトにしていた倉庫の地下道を定期的に訪れていたのだが、そこでも、支離滅裂なことを喚き散らすようになった。

 その怨嗟の絶叫に気づいたものがいる。

 気づいたのは指導者リーダーのフランクだった。

 さて、どうなるかな――。

 ニバスは警戒したのだが、

「はあーん、お前らが、ネストに出現する屍鬼を作っていたのか――この屍鬼どもとを使って、ネスト・ポーターの輸送隊列から武器と弾薬を調達できないか。それで死体が増えるなら、そこにいる屍鬼のルークとやらにとって都合がいいんだろ。武器で組織が強化されたら、ニバスだってルークだって、もっと好き放題できる」

 地下道に降りてきたフランクは笑いながらルークとニバスへ提案した。

 このとき、ニバスはフランクを少し見直した。周囲の悪餓鬼に小突かれて財布を出していた頃と今のフランクは別人になっていた。悪党の貫禄がついてきたのだ。

 別の問題で自分の兵隊――屍鬼を増やす必要性があったルークはフランクの提案を承諾した。王都の地下を拠点に活動していたワーラット族が、ルークの率いる屍鬼軍と小競り合いを起こすようになって戦力が不足していたのである。

 計画通りネスト・ポーターの輸送隊列を襲った直後、ルークは消息を絶った。その日、マディア・ファナクティクスのメンバーも戦利品を外へ運び出すために、ネストへ潜入していた。

 フランクとニバスが現場から逃げ戻ってきた猿顔男のマシラから話を聞くと、同行していた仲間――ひき蛙のコジと、ミケルの双子の兄のチャドは、正体不明の剣士に斬り殺されたらしい。その斬撃の凄まじさを語るマシラの猿顔が恐怖で凍りついていた。怯え切っているのにも関わらず、マシラはそのあと、仲間を斬り殺した剣士の情報を熱心に集めて、その名前と居場所を突き止めた。

 その剣士の名をクジョー・ツクシといった。

 マシラは餓鬼集団・ゴルゴダ・ギャングスタのメンバーと、そのクジョー・ツクシが、ペクトクラシュ河の川べりで水浴びをしているところを見かけたらしい。どうも、そのクジョー・ツクシはゴルゴダ酒場宿を定宿にしている中年男で、その周辺を縄張りにしているゴルゴダ・ギャングスタと何か繋がりがあるようだ――マシラはフランクとニバスへそんな報告をした。

 しかし、フランクとニバスはマシラの話を聞き流した。餓鬼集団の兵隊が何人死のうが、フランクにとっても、ニバスにとっても、関心を払うべき問題ではない。実際、フランクが持つ独裁者のブレスレットの力で、兵隊は好きなときに好きなだけ増やせるのだ。

「それだって、フランクの命がある限りだが――」

 ニバスが声を出さずに笑った。それよりもニバスが気がかりだったのは、ルークの消滅の件だ。精神は狂気していたが、それでも、ルークはニバスより強力な魔導式を扱える魔導師メイガスだった。魔帝国でも魔導師とまで称されるほどの魔導の担い手は数少ない。そのルークは誰かの手で消された。

 一体、誰がルークを消したのか。

 マシラがいっていたクジョー・ツクシとやらか。

 タラリオン王国が俺たちの存在に気づいて、ネストの屍鬼退治に本腰を入れたのか。

 それとも、屍鬼と吸血鬼を敵視する聖教会の武装布教師隊か。

 まさか、屍鬼の国からもう追手が(これがニバスにとって最悪のケース)――。

 ニバスは歪んだ顔にバンテージを巻き終わった。マディア・ファナクティクスのサブ・リーダー『包帯男ニバス』の出来上がりである。血文字で魔導式がびっしり書き込まれたその包帯は陽光をあるていどまで遮ることができる。

「気休めていどだが、何にしろ、顔だけは隠さなければ――」

 ニバスは苛立ちながら木の階段を上がった。この倉庫の元の所有者は――中年の、頭がハゲた小太りの男だったが――ニバスが殺して地下道へ捨てた。倉庫の所有者の家族も騒がれると面倒なのでみんな殺した。ニバスが殺したのは子供も含めて六人の家族だ。彼らの名前はおろか、その顔すらニバスはもう忘れている。

 ニバスが階上の倉庫へ姿を見せると、階段の上がり口に突っ立っていたハービーが、

「ニバスさん、フランク様は部屋にいる」

 ニバスはハービーを一瞥するとアジトを見回した。寒々とした飾り気のない天井の、剥き出しの梁から、傘型の導式灯が下がっている。雑多な樽や木箱に囲まれたテーブルの上には食い散らかされたハムやパンが転がっていた。

 食いかけのパンの上で触覚を動かしていた油虫がニバスの藤色の瞳に映る。

 舌打ちをしたニバスが視線を落とすと、床の上で酒で酔ったり薬物でへべれけになった餓鬼集団のメンバーが雑魚寝をしていた。

 それが数十人にいる。

 こいつらも、油虫ゴキブリとさほど変わらんな――。

 ニバスが顔を上げて笑った。

 近くにいたハービーは怪訝な顔だ。

 壁の高い位置に空いた鎧戸から満月まであと一息の欠けた月が見える。

 月は青空に犯されて霞んでいた。

 時刻は明け方だ。

 この日の深夜、女衒街の五番通りにあった娼館を襲って、女と食い物と酒と薬を調達した帰り道だった。ペクトクラシュ河沿岸沿いの廃路になった下水道へ独りで入っていくグェンをニバスたちは偶然見かけた。ニバスとその仲間はグェンを追って、敵対していた餓鬼集団ゴルゴダ・ギャングスタのメンバーのアジト――排水路の管理室を突き止めた。ニバスとその仲間はそのままアジトを襲撃した。地下のネグラで寝ていたゴルゴダ・ギャングスタのメンバーは地下道を逃げ惑った。グェンだけは踏み留まって短剣を引き抜いた。

 短剣を奪ったニバスは奪った短剣をグェンの心臓へ突き立てた。

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