十二節 野望に燃える剣(弐)
カレラが瞳を伏せると、焼けた路面へ涙が散り落ちた。
「カレラ、いらない心配をしなくていい――」
エミールはカレラを引き寄せた。
「――あっ」
顔を上げたカレラは、突然、接近した兄の顔に驚いた。カレラは本来持っているものを、いつも覆い隠している少女だ。だから、何かの拍子でカレラの仮面が外れると――カレラの本質を覆い隠している抑圧から開放されると、その少女は本当に美しい、他人を惹きつける
エミールの聖十字剣がカレラの心臓を刺し貫いた――。
「――馬鹿な奴だ」
エミールが聖十字剣を引き抜いた。カレラは涙を散らしながら崩れ落ちた。地に横たわったカレラの胸元の傷口が炭化して、そこから細く煙が立ち上っている。カレラの心臓は灰になった。そこで炎の勢いが弱くなった。
少女が地へこぼした涙は火の手を弱めるほどの量ではなかったが――。
炎を
「あの野郎――」
ツクシが唸った。
「カ、カレラちゃん――」
ヤマダは気の抜けたような顔だった。
「死ぬ奴は、もう見飽きているが、若い女の子に目の前で死なれると、さすがに堪えるな――」
ゴードン兵長が水筒から喉へ酒を流し込んだ。
「カレラちゃんは、あいつの――武装布教師隊の隊長の妹じゃないんスか?」
ロッシ一等兵が呟いた。
ゴロウが握った拳を震わせて怒鳴った。
「――エ、エミール、おめェは、おめェって奴は!」
「カレラはずっと僕の足を引っ張るだけの馬鹿な妹だった!」
エミールが怒鳴って返した。
「お、おめェはァ!」
ゴロウが炎で焦げた大通路に足を踏み入れた。
「身内に吸血鬼がいたら、異端審問官をやっている僕の立場がない。そうだろ、ゴロウ!」
エミールがゴロウへ顔を向けた。
「それで、
ゴロウは唸りながらエミールに歩み寄った。
「人聞きが悪いな、ゴロウ! これは誤射だ。失敗を犯した隊員は僕が処罰した!」
エミールは笑いながら怒鳴った。
ゴロウの顔が真っ赤になった。
髭のほうが赤いのか、肌のほうが赤いのか、判断がつきかねる顔色だ。
「おめェは、おめェって奴は、どうしてそこまで腐った!」
吼えながら、唸りながら、ゴロウはエミールに歩み寄った。
お互いの攻撃が届く距離までエミールとゴロウは接近している。
「腐ったというのは違う。僕は昔から変わらない。ゴロウはよく知っている筈だろう? 僕は――」
エミールはまだ笑顔だ。
ゴロウはエミールの笑顔が昔から少し苦手だった――。
§
帝歴一〇〇三年。
エミールがカレラを殺した瞬間から九年前である。
エミール・エウタナシオもゴロウ・ギラマンもタラリオン・エリファウス神学学会へ通う学生で、大学部から修身コースへ進学する機会を与えられた優等生だった。
整然とした顔つきのスマートなエミールと野趣溢れる顔つきで大男のゴロウ。
タイプは違うが二人とも若さと才能に溢れた見栄えの良い青年だった。
この二人の青年が応接間にテーブルを挟んで座っている。
ダイニング・テーブルには厚みのある教科書やノートがうず高く積まれていた。エミールとゴロウは王都十二番区マディアの下街のアパートにいる。少し歩けば猫人の娼婦ばかりを集めた高級娼婦館がある、貧民街に近い地域のアパートメントとしては、応接間もあるし、セパレートになった個室もあるしで、悪くない住居だった。ただ、大タラリオン城の東南に位置するエリファウス神学学会の大学部校舎からは遠く、通学に時間を取られるのが難点だ。
ここは、そんなエミールの自宅である。
ゴロウがレポートを作成する手を止めて、
「どうだ、エミール。そのレポートで、あのハゲ教官の査定は通りそうか?」
「――うん、字がすごく汚いぜ」
エミールが顔をしかめた。ゴロウが作成している製薬実験レポートをエミールが点検している。そのレポート用紙には万年筆のペン先を叩きつけて書かれた大蛇のとぐろが、びっしり並んでいた。これがゴロウの字である。
一文字一文字が無駄に力強く、そして、汚い。
「ああよ、それは、いいから――」
ゴロウが太い眉尻を下げて髭のない頬へ手をやった。
これは困ったときによくやるゴロウの仕草だ。
「僕のノートを使っているんだから、このレポートは査定を通るさ。当たり前だろう?」
エミールがレポート用紙をテーブルへ放った。
「あァ、助かってる。どうも、俺は製薬系の実験が苦手でな――」
先日、ゴロウの製薬実験レポートを担当教官が突っ返した。製薬はゴロウの苦手科目なのだ。困り果てたゴロウは学年で一番の優等生で親友でもあるエミールの手を借りようと、エウタナシオ家の住居を訪問した。そんな経緯で、エウタナシオ家の応接間にあるテーブルの上には、教科書だの参考書だのエミールのノートだのエミールから駄目出しされた元レポート用紙が丸まったものだので占拠されている。
「製薬系じゃない。『導的有機薬学2』だぞ」
エミールが椅子から立ち上がった。
「去年までは『錬金薬学1』って名称だったよな確か。名前まで面倒になりやがって――」
ゴロウはテーブルにある『導的有機薬学2 応用』と表題がついた分厚い教科書を睨みつけた。
「去年から名称が変わっていたぞ。呆れたな――」
エミールは開いた窓へ歩み寄った。西の空が青紫色に染まっている。「陽が落ちるのが早くなったな――」そういおうとして、エミールは思い直した。僕はまだ陽が落ちるのを惜しむ年齢ではないと、エミールは考える。それに「年寄りみてえな言い草だ」そうゴロウにからかわれるのも癪だった。
季節は夏の終わりで時刻は夕暮れどき。
ゴロウが椅子の背もたれへ体重を預けて、
「とにかく、製薬は苦手なんだよ。俺はチマチマした作業に向いてねえんだ。薬なんて薬効だけわかればそれで十分だぜ。それに、俺の希望は聖教会の診療所勤めで薬局部じゃねえしな――」
その体重で木製の椅子が軋んでいた。
「治癒・防衛導式系では、ゴロウが一番の成績だろ。実地の内・外科治療学も、僕はゴロウに敵わんぜ。製薬だって本気でやればできそうなものだけどな?」
腰を折ったエミールは、キャビネットの上に置かれた四角い小さな鏡を覗き込んで、胸元の紐ネクタイの歪みを直していた。
「こいつの――製薬系の所為で、俺はエミールから主席が取れねえんだ。学年主席は学費が完全免除の上に奨励金まで出るんだろ。くっそ、俺の
ゴロウは胸元の紐ネクタイを手でゆるめた。
「主席ね――ゴロウは学年主席を狙っているのか。なら、その実験レポートを落として留年しろよ。僕のライバルが減るのは大歓迎だ」
エミールはゴロウへ笑顔を向けた。
「あっのよ、俺はおめェと競争しているつもりはねえぞ。奨励金が羨ましいだけで――」
顔をしかめたゴロウの視界の横からティー・カップが出てきた。
「――あの、お茶です。ゴロウさん」
消え入りそうな声である。
ゴロウが目を向けると、その視線と同じ高さに、銀ぶちの丸眼鏡をかけた幼女の顔がある。視線をさっと落とした幼女は手に持っていた銀のトレイであどけない口元を隠した。
この幼女はエミールの妹のカレラ(六歳)だ。
「お、おいおい、カレラ、これは紅茶かよ。こんな高級なものもらっていいのか?」
ゴロウがティー・カップとカレラを交互に凝視すると、その視線に叩かれたように、カレラは半歩後ろへ下がった。
「――たまにはいいだろ。カレラは紅茶を煎れるのだけ上手いんだ」
席に戻ってきたエミールが砂糖壷からスプーン二杯分、自分の紅茶へ砂糖を入れて、砂糖壺を突き出した。
手の動きだけでゴロウはそれを辞退した。
代わりに、ゴロウは小さなミルク・ピッチャーを手にとって、
「エミール、お茶を煎れるのだけなんていうな。カレラはいい子じゃねえか。おめェみたいなヒネくれた兄貴にはもったいのない妹だぜ。これは育つとすごい美人になるぞ、きっと――」
カレラを見やったゴロウがティー・カップに口をつけた。
褒められたのが恥ずかしいのか、厳ついゴロウが怖いのか、カレラは銀のトレイで顔を完全に隠している。ゴロウは仕方がないので、飾り気のない白のブラウスに、サスペンダーで黒いスカートを吊ったカレラの服装を眺めた。女子神学学会の初等部で支給される夏服だ。
「――カレラ、もういいぞ。部屋で宿題でもやってろ」
エミールがいうと、カレラは銀のトレイを卓に置いて応接間から出ていった。
カレラの小さな背で一本三つ編みが跳ねる様子を横目で見送っていたゴロウに、エミールが訊いた。
「味はどうだ」
「貴族様のお味なんてわからねえよ。俺は庶民だからな。舶来品で高いんだろコレ。エミール、本当にいいのか?」
ゴロウは目の下で湯気を上げる紅茶を眺めている。
「安物さ、気にするな。それに、喉を湿らせておかないと、再提出用レポートの作成中に酒を飲みたがる馬鹿がいるだろ?」
皮肉っぽい笑みのエミールがゴロウの顔を眺めた。
「俺の気が引けるって話だぜ。こんな高級品。
鼻を鳴らしたゴロウが空にしたティー・カップをソーサの上へ戻した。
カチャンと音が鳴る。
「修身コースを終えればこんなもの好きなだけ飲めるさ。ゴロウ、僕たちは
エミールは紅茶を一息に飲み干した。
「エリートなァ――」
ゴロウが髭のない顎に手をやった。
「なんだよ、ゴロウ、奇跡の担い手は王国のエリートだろ?」
エミールがムッとゴロウを見つめた。
「――まァ、そうなるのかな?」
ゴロウは作成中のレポートを眺めている。
「――なるさ」
吐き捨てるようにいったエミールが、ティー・ポットを手にとって、それをゴロウへ突き出した。
手の動きだけで勧められたお茶を辞退して、
「なァ、エミール」
ゴロウは真正面からエミールを見つめた。整然としているが、両の頬にいつも緊張感があって、目元が冷たく、他人を威圧するエミールの顔だ。
エミールは自分のティー・カップに紅茶を注ぎながら、
「――うん?」
「その、なんだ。周りの――
ゴロウの太い眉尻が下がっている。
「――僕は気にしないぜ」
エミールは紅茶に必ず砂糖を入れる。
「ちったァ、気にしろ。この前の研究発表会だってな、あそこまでエックハルトの野郎をやり込めることはなかっただろ? みんなが見てる前でな、エックハルトの奴、顔が真っ青だったぜ。あと一息で小便漏らすんじゃねえかってな。教官連中だっておめェには少し辟易――」
俺はどうも無駄なことをいっているな――。
そう考えているゴロウの視線は下を向いていた。
「雑魚と馴れ合うつもりはない。時間の無駄だ。何の文句がある。僕は神学学会に編入してからずっと主席生だろう」
ゴロウがいっているのは小言のようなものだったが、しかし、それに応えるエミールは苛立っている様子がない。
その口調から感じ取れるのは無関心だ。
「エミール、俺はこんな言い方をしたくはないんだがなァ――」
ゴロウのダミ声に怒気が混じった。
「――ゴロウがいいたいことはわかっている。僕は酒びたりで死んだ没落貴族の息子だ。世間から見れば笑いものだよな。だから、僕は肩肘を張ってるんだ、そうだろう?」
エミールは歪んだ唇へティー・カップを寄せた。
「あ、ああよ、エミール――」
ゴロウが視線を惑わした。
迷った視線の先にあった窓の外はもう薄暗くなっていた。
夕闇に溶けて細部を失いつつある家々の下で灯り点っている。
王都の夜が――週末の騒がしい夜がもうじき始まる――。
エミールがティー・カップの縁から口を離して、
「奴らを見返す機会はこれからにある」
「神学学会の同級生をか? エミールはもう十分に見返しているぜ。学年一の優等生がよ。おめェに勝てる奴なんて学会にいねえだろ。最近じゃあ、教官連中だって、エミール・エウタナシオの顔色を伺っているぜ。このままいけば、おめェは間違いなく聖教会の幹部候補生だからな。だから、もっと余裕が欲しいっていうかな。少なくとも、そんなに誰彼につけてツンケンする必要はない筈だろ――」
まあ、いっても無駄なんだろうがな――。
ゴロウは視線を落として思った。エミールの返事はない。怪訝に思ったゴロウが顔を上げると、エミールは顔を伏せて肩を震わせている。
ゴロウは顔をうんとしかめた。
エミールは笑っているのだ。
「ああ、違う違うよ、ゴロウ。ゴロウは本当に馬鹿な奴だよな――」
苦しそうにいったエミールは胸を反らせてカラカラ笑い始めた。ゴロウは顔の表情を消して、楽しそうに笑う親友の――抜群に頭はキレるが癖のある人間性を持った親友の笑顔を見つめている。
エミールは満面の笑みのまま、
「――ふう、ゴロウ。僕が見返したいのは僕から権力を取り上げた貴族の連中だ。ああいや、この王国全体かな?」
「ああ、おめェの負けず嫌いは、俺の手には負えねえや――」
溜息と一緒にゴロウは肩をガクン落とした。
「ゴロウは誰かに頼まれたのか? ゼミ長のエレナ先輩あたりかな。ま、それはどうでもいい。僕は必ずやる。エリファウス聖教会には権力がある。神学学会へ転入するまでは気づかなかった。貧乏貴族の息子の立場で王国軍西方学会にいた頃よりも、むしろ、僕の将来は広がった――神学学会的にいうと『
エミールは「フン」と鼻を鳴らした。
「ああ、エミールは間違いなく出世するだろうな。おめェの頭が禿上がる頃には、たぶん、『
頷いたゴロウは作成中のレポートへ視線へ目を向けた。レポートの終盤はすべて意義のある文字と数字と数式と導式(判別が難しいほどに汚いが)で埋め尽くしたが、ゴロウは参考文献の記述で迷っている。
エミールのノート、と正直に書くわけにもいかんしな――。
ゴロウが顔を上げるとエミールが睨んでいた。
これは真剣な表情である。
「ゴロウ、失礼だな、
エミールが部屋の窓際に置かれている安楽椅子へ視線を送った。
一年前に死んだエミールの父親は、この椅子に座って一日中酒を飲んでいた――。
「あ、ああよ――」
エミールが何に苛立っているのか不明瞭だ。
ゴロウが困った顔になったところで玄関の呼び鈴が鳴った。
応接間に入ってきたカレラが、
「――お兄様、お兄様。お客様が来て、あっ!」
来客を告げている最中に来訪者が入室してきた。エミールの自宅を今宵と一緒に訪れたのは、上から下まで黒尽くめの服を着た、顔色の悪い、影法師のような青年だった。影法師の青年は黒いハンチング・ハットを目深にかぶっている。
「――いよう、お前ら。
帽子も取らずに影法師は挨拶をした。
「いよう、善い夜だな」
ゴロウが幼馴染を見やった。
相変わらず顔色が悪いなあ、とゴロウは思う。
「やあ、ゴロウの親友で僕の悪友」
エミールが笑いながら影法師の青年――ジャダ・バッドコックへ挨拶を返した。
ジャダは応接間の本棚に肘を預けて、
「俺の新店が女衒街の五番通りで店開きだ。お前ら、知っていたか?」
「ほぉお、ジャダの娼館の新装開店か?」
「ふぅん、新しい娼館――」
ジャダが持ってくる話題は、たいていの場合、後ろめたいものであるから、ゴロウとエミールも悪い顔で笑っている。
「ゴロウとエミールは今から
ジャダは悪い顔になった友人二人を満足そうに眺めている。
「ああよ、おめェまたしなくてもいい出世をしやがったな。今回は
訊いても無駄だ。ゴロウは知っていたがお約束なので訊いてみた。
「それ訊いても無駄だぜ、ゴロウ」
ジャダが唇の端を歪めた。
「だろうなあ――」
ゴロウは苦笑いを見せる。
「ジャダのお誘いはすごく嬉しい。だけれど、僕とゴロウは勉強中なんだ。ゴロウが留年の危機でな。それで僕は嫌々つき合っている。正直、僕としては、どうでもいいんだが――」
溜息を吐いたエミールが、
「――それじゃ、すぐに行くぜ、ゴロウ」
と、立ち上がった。
「何だよ、エミール。結局、行くのかよ――」
ゴロウも立ち上がった。
「ハッ――」
血色の悪い顔をうつむけて、薄い唇の端を反らしたジャダが一番先に部屋から出ていった。
ゴロウとエミールがジャダのあとを追う――。
§
エミールの笑顔が起爆剤だった。
過去の記憶を揺さぶり起こされたゴロウが足を止めてうつむくと、カレラの亡骸がその目に映る。
ゴロウは歯噛みして顔を引き上げた。
使徒の羽衣を羽織り、堕天の骨骸で全身を覆い、聖剣を手から下げたエミールは、まだそこで笑っていた。その全身を覆った太古の導式鎧を電撃のような導式のきらめきが駆け巡ると、その足元から広がった導式陣・退魔の領域が、その効果範囲を大通路の一杯に広げてゆく。
ここで大通路を焼いていた導式の炎は上書きされた導式に圧殺されて消え去った。
「そうか。あいつの立場――異端審問官という立場上、身内に吸血鬼がいたらマズい。それで聖教会内の目撃者も皆殺しに――」
呟いたヤマダが脇道から出た。得意の得物――
ヤマダは短剣の柄に手を置いてその存在を確かめた。
「あの、クソ野郎め――」
ゴードン兵長は背負っていた銃を手にとった。
「そうっスね――」
同意したロッシ一等兵も背から銃を下ろした。
ツクシは常に黙って行動する。
エミールの前で唸りを上げるゴロウの傍らに魔獣の相貌がぬるりと寄り添った。
ツクシは低い声でいった。
「ゴロウ、ここは死体だらけだ。これがひとつふたつ増えたところで誰も気にしねェぜ。ゴロウが生かすか殺すか決めろ。お前の古い
ツクシが腰の魔刀に手をかけて重心を落とすと外套の裾が広がった。
「条件が良くてよォ、良すぎてよォ、こりゃあ困ったなァ、ツクシ――」
ゴロウは歯を剥いてエミールを睨んだ。
「君たちに危害を加えるつもりはないぜ。ここで見たことを忘れて帰れよ。あくまで、これは聖教会内の話だ」
エミールが笑みを消した。
「ああよォ、エミール。俺たちは関係がねえ話だ。関係ねえ話なんだがなァ!」
ゴロウは怒りに全身を震わせていたが、しかし、立ち止まっていた。
歩み寄ってきたヤマダは戸惑った様子を見せたあとにうつむいた。
ゴードン兵長とロッシ一等兵も目配せを交換して視線を落とした。
エミールを睨むゴロウの横顔は確かに怒っていた。
それは怒りの形相だったが、しかし、殺し屋の顔ではなかった。
そうか、お前にはそれがどうしてもできんのか。
まあ、でも、そのほうがお前らしいぜ――。
ツクシは魔刀の柄から右手を外した。
エミールは宣言通り攻撃してくる気配がない。この場からツクシたちが去るのを、エミールは辛抱強く待っている。
ツクシはカレラの亡骸を見やった。
瞬きをすることを永遠に止めたカレラの瞳は虚空を見つめていた。
せめて、だぜ。
あの子のまぶたを閉じてやりたい――。
うつむいたツクシは奥歯を噛んだ。
最後にゴロウが怒らせた肩を落としてガクンとうなだれた。
「それでいい。ゴロウが聖教会を離れていて、よかった――」
エミールはゴロウから目を逸らした。武装布教師も、ワーラットも、吸血鬼の下僕も、カレラも死んだ。ここで起こったことはすべて終わった。ゴロウに――ツクシたちにできることはもう何もない。
誰が最初にこの場から背を向けるのか。
そんな沈黙が、戦場跡に佇んだ男たちへ訪れたのだが――。
フ、ォ、ォ、ォ、ォォォォォォォォォォォォォォォォオン!
無遠慮な咆哮が大通路に訪れた沈黙をぶち破った。
「――なんだ?」
ツクシは怪音がやってくる方向――大通路の東の奥へ目を向けた。
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