六節 朝陽のなかに消えた聖女(参)

 エリファウス聖教会第四支部、その異端審問課に勤める隊員たち――ウィッチ・ストーカー〇四隊の武装布教師二百三名は、メイベル村の家々に押し入ると、少ない家財をすべて引っくり返したあと、村人たちに武器を突きつけて、中央の広場へ集合させた。パン屋や雑貨店、洋品店や酒場宿、それに自治会館、兼、村長自宅に囲われた村の広場――村では数少ない石畳で舗装された広場に集められた村人が注目するなかだ。

 武装布教師の二人が陽の光に焼かれ悶絶するパブロ老人を押さえつけていた。

「うあぁ、あぁ、あぁああァっ、おおっ、ひぃ、ヒッィィィイ!」

 パブロ老人は赤子のように泣き喚いた。

「じいじ、いじめるの、やめて、やめて、やめてよォ!」

 おかっぱ頭の女児が絶叫した。

「ああっ、お、おやじ、おやじぃ! やめろ、やめてくれ、やめてくれ、頼む、頼むからぁあ!」

 前に出ようとしたパブロ老人の息子が付近にいた武装布教師に押し戻された。

 後ろにいた何人かの村人がパブロ老人の息子を受け止める。

「ママァ! パパァ! 誰か! じいじ、助けて、助けてあげてぇぇえ!」

 泣き叫ぶ幼女の顔がピンク色に変色した。

 けいれんの兆候――。

「――見ちゃダメだ、ダメだ、ミカ!」

 白い三角巾に白いエプロン姿の中年女が我が子を――ミカを抱き寄せて、その視線を遮った。ミカの母親の女性にしては逞しい肩が震えている。祖父、父、母、娘と四人で暮らし、メイベル村で洋品店を営んでいたヤンセン一家の祖父パブロ・ヤンセンは夏風邪を拗らして、つい先日、セシリアの吸血治療を受けている。

 パブロ老人の悲鳴と抵抗が小さくなると、武装布教師の二人――巨大な男と小柄な男が、パブロ老人を放して立ち上がった。大小二人組は歩み寄ってきた男――ウィッチ・ストーカー〇四隊の隊長、ブリューノ・ジャスパンを見つめている。

「――パスカル副隊長、これはどう思う?」

 ジャスパン隊長は細い口髭と黒い顎髭を親指でちょいちょいと整えた。

「隊長、弱い魔導の胎動が陽の光で壊れるとき見られる典型的な兆候です」

 武装布教師の小さいほう――パスカル副隊長がジャスパン隊長に応えた。

「んっんー、パスカル副隊長、模範解答だね。生焼けになったこの爺さんは吸血鬼ヴァンパイア下僕しもべだよな。血族――吸血鬼ヴァンパイアなら、もっと派手に燃えて灰になる筈だからねィ――」

 ジャスパン隊長が顔を上げた。白い丸帽子の下にあるジャスパン隊長の、切れ上がった目の縁にあるまつげが長い。年齢は四十路絡み。ジャスパン隊長は神経質に整えた髭に長い睫のスカした感じの中年男だ。

「はい、隊長」

 パスカル副隊長は細い顎の顔に猫科の猛獣のような目の若い男だった。少しの間、パスカル副隊長の奇相を眺めていたジャスパン隊長は何を納得したのか頷くと、パブロ老人の顔を蹴り上げた。

「あぁあぁあ――」

 村民たちから悲鳴のような溜息が漏れた。

 ジャスパン隊長の乗馬ブーツに、パブロ老人のはがれた皮膚がベロンとくっついている。

 ジャスパン隊長は浮かせた片足を振りながら、

「――おい、ジジイ、まだ死ぬなよ。この村の吸血鬼ヴァンパイアはどこで寝ている? 散々、探したが、まだ見つからん。俺に手間を取らせるな――あーら! 俺の蹴りで死んだのか? おーい、もしもーし、今、死なれると困るんだけどねィ?」

 ジャスパン隊長は腰を折って動きを止めたパブロ老人を見つめた。生まれてきてからずっと、メイベル村で衣服を仕立て続けてきたパブロ老人の指先が、焼きすぎた肉料理のようになっている。

 ジャスパン隊長は首を捻って、

「あーらら、こりゃあ、もう、駄目かもねィ!」

 村人がパブロ老人の家族を必死に止めていた。悲嘆に暮れる村人を囲み武器をつけている武装布教師たちは総じて無表情だ。広場には繋ぎとめられていた武装布教師隊の馬の一匹がふいに後ろ立ちになっていなないた。

「――てっ、めえっ、らァ!」

 ゴロウが土煙を巻き上げて広場へ突進してくる。

「――んっん? ああ、あれは、メイベル村支部の――ファビオ隊員、あーと、それに、アーマンド隊員。武器を使わずに奴を止めろ。あんなのでも布教師だ。怪我をさせると、あとあとで総本部がうるさいからねィ」

 ジャスパン隊長が隊の馬と荷を見張っていた武装布教師二人へ命令をした。

「はい、隊長」

「はい、隊長」

 二人の武装布教師――ファビオ隊員とアーマンド隊員が手に持っていた斧槍を置いて走った。淡々とした返事とは裏腹だ。白い武装ロング・コートの裾をはためかせて走る二人の武装布教師は疾風のような動きだった。

 ファビオ隊員はゴロウの腰にタックルを決めた。

 ゴロウはファビオ隊員を引きずって走り続けた。

 アーマンド隊員がゴロウの上半身へ腕を回して食らいつく。

「――邪魔だァ!」

 ゴロウはファビオ隊員の首を掴んで放り投げた。片手だけで大の男を放り投げてしまったのだ。宙を飛ぶファビオ隊員の首がおかしな角度に捻れている。次いで、ゴロウはアーマンド隊員の肩を引っ掴み、その顔へ膝蹴りを叩き込んだ。メキャッと音がした。顔面が陥没したファビオ隊員が吹っ飛ぶ。アーマンド隊員もファビオ隊員も倒れたまま起き上がってこなかった。

 広場にいる村人の総勢三百名余は呆然とゴロウを見つめた。

 身長百九十センチを超える大男の、口が悪くて大酒飲みの、だが、他人ひとの頼みを最後の最後には断り切れないお人好しの、村人がよく知る布教師ゴロウ・ギラマンはそこにいない。赤毛逆立て眼尻吊り上げ歯を剥いて、広場に迫るのは一個の鬼神だった。

「おっ、おいおい、『洗礼済みバプタイズド』を二人も一瞬でか。あっ、呆れた馬鹿力だよねィ。おい、レノ隊員、お前がやれ。この際、骨の二、三本なら折ってもかまわん。だが絶対に殺すなよ、一応、相手は布教師アルケミストだからねィ」

 ジャスパン隊長は近くにいた大男――レノ隊員へ命令した。

「――はい、隊長」

 レノ隊員がゴロウの前に立ちふさがった。レノ隊員は身長二メートルに達する筋肉の大塊で、エラの張った顔についた目と鼻と口が全て中心に寄っていて、何もかもが鈍く見える男だった。

「そこを退かねえと殺すぜ」

 ゴロウが唸った。実際、返事を聞く前に、体重が全て乗ったゴロウの右ストレートがレノ隊員の顔面に突き刺さった。顔面の砕ける音がパキパキと漏れ聞こえる、爆薬のようなゴロウの拳骨だ。しかし、レノ隊員は倒れない。レノ隊員の顔面へ突き立ったゴロウの拳が引けると、鼻の穴から噴出した血と一緒に歯が石畳の路面へ落ちて、カラカラと音を鳴らした。

「無駄、聖霊ウルテマ様、俺、守ってる。痛み、感じない――」

 顔面を血まみれにしたレノ隊員が表情を変えずにいった。

 レノ隊員はゴロウを脅したつもりのようだが、しかし、それは逆効果だった。

 赤い髪の鬼神はさらに荒ぶる。

「――ぅうぬぉおおおおおおっ!」

 ゴロウはレノ隊員に掴みかかって持ち上げた。身長二メートル、体重は百八十キロに達するウイッチ・ストーカー〇四隊で一番の巨漢であるレノ隊員を、ゴロウは一瞬で頭上高く持ち上げてしまったのだ。

「――うっ、お、お前、なっ、なっ、な!」

 ゴロウの頭の上で手足をジタバタと動かして、レノ隊員が鈍い表情のまま驚きの声を上げた。

 ゴロウはそのままレノ隊員を叩きつけて粉々にするつもりだったのだが――。

「――があっ!」

 背後へ回り込んだパスカル副隊長が、ホースマン・フレイルでゴロウの後頭部へ一撃を食らわせた。猫科の猛獣さながらの動きだ。不意打ちを受けたゴロウはレノの巨体と一緒に崩れ落ちた。何人もの武装布教師が、わっと覆いかぶさって、意識朦朧のまままだ暴れるゴロウを取り押さえる。

「――やれやれ」

 息を吐いたジャスパン隊長が、

導縛鎖どうばくさ(※反導式の効果を持つ黒い鎖。タラリオン国内の一部で使用が許可されている特殊な魔導式具)で、そいつを縛れ、念入りにね。こいつがメイベル村の布教師ゴロウ・ギラマンか。『洗礼無しノン・バプタイズド』の身でレノ隊員をあっさり持ち上げるとはねィ。暴力沙汰を起こして王都から左遷されたと聞いていたが、ふふふっ、納得だよねィ――」

 そこで、

「――ィキェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェエイ!」

 今度は遠方から金属的メタリック絶叫シャウトが聞こえた。

「――おいおい、今度は何だ?」

 ジャスパン隊長が寄ってくる絶叫へ目を向けて、

「あっ、あれは吸血鬼ヴァンパイア――じゃあ、ないよねィ。今は昼間だし。見た目はそんな感じだけどねィ?」

「あの女は何者でしょう、隊長?」

 パスカル副隊長の表情に変化はないが、その声だけは訝し気なものになっていた。

 村人も全員、走ってくるイディアを見つめている。

 隊員たちも鈍い表情で広場に現れたイディアを眺めていた。

 なりふり構わない。

「――やめて、やめて、もう、やめてェェェエ!」

 イディアは身を投げ出して燻製のようになったパブロ老人へ覆いかぶさった。

「何でここへ来た、イディア!」

 ゴロウが唸った。ゴロウの身体を拘束している導縛鎖がギチギチと音を立てる。そのゴロウの目の前に斧槍の穂先が落ちてきて路面を削った。

 斧槍を持ったレノ隊長が鼻の潰れた顔でゴロウを見下ろしている。

「――ああ、思い出した。聖教会舘メイベル支部の修道女スールイディアだねィ。一体、何のつもりだ?」

 ジャスパン隊長がイディアをを見下ろした。

 イディアは土気色になった顔を上げて、

「ハッ、ハッ、ヒュー、ヒュー、ゲフッ、ゲッホ、ゲホゲホ!」

「んっんー? 何だあ?」

 ジャスパン隊長は腰を折って耳を寄せた。

「おっ、おっ、おっ、オヴォェエ――」

 イディアが水っぽいゲロを吐いた。

「うおっ、吐いた!」

 仰け反ったジャスパン隊長は二歩くらい後退した。

「おっ、おおゥ、お許しを、聖戦士セイント様、お許しを、この老人に、お慈悲をォ!」

 イディアが叫んだ。

「んっんー、慈悲ねィ――?」

 ジャスパン隊長は顎の髭をいじっている。

聖戦士セイント様! パブロおじいさんは十分な罰を受けた筈です。慈悲を、善き裁縫職人、善き老人、聖霊の善き信徒であるパブロ・ヤンセンに、どうか、ご慈悲を!」

 イディアは食い下がった。

 口煩いが真面目なイディアは、メイベル村の住民全ての顔とフル・ネームと職業、それに年齢を記憶している。

「んっんー、パブロっていうのか、そのじいさん――ふふふっ! 修道女イディア、安心をしたまえよ。どうやら、このジジイには、もう天のご慈悲が与えられたようだよねィ!」

 ジャスパン隊長は細い口ひげを親指でいじりながら微笑んで見せた。

 あっ、と表情を変えたイディアは、

「あっ! ああっ、ああ、パブロおじいさん、おじいさん――あ、貴方たちは、何てことを、何ということを――」

 パブロ老人の呼吸はすでに止まっている――。

「彼の魂もさぞかし喜んでいるでしょう」

 パスカル副隊長が白蛇の十字架カドゥケウス・シンボルの印を右手で切って、陽で焼けて真っ黒になったパブロ老人の亡骸を祝福した。その宗教的な所作で、パブロ老人の死を悟った村人たちから悲鳴が上がった。彼らの大半は洋品店主人の無事をもう諦めていた。それでも、悲鳴が上がった。

「――てめぇ、らァツ! がっ、はっ!」

 ゴロウの後頭部へ斧槍の柄が落下した。

 レノ隊員の一撃である。

 どよめいていた村の広場はやがて沈黙した。

 上から強く照りつける真夏の陽差しを反射して、武装布教師の手にある過剰な装飾がついた連装長銃だの、斧槍だの、フレイルだの、長剣だのの武器だけが騒がしくきらめいている。

 抵抗する者がいなくなったのを確認したジャスパン隊長は、満足気に頷きながら村人たちに向き直って、

「さて、村長。告白の機会をくれてやる。貴様らは吸血鬼をどこに匿っているのだ。第四支部に届いた『告発文』には『メイベル村の住民が魔の眷属を匿っている』となっていたけれどねィ?」

 ジャスパン隊長は村長の前に立っている。

 村長は小刻みに震えながら、

「――あ、あ、とと、ろろ!」

「んっんー? 聞こえんねィ?」

 ジャスパン隊長が腰を折って村長に耳を寄せた。

 村長はジャスパン隊長の顔に唾を吐いて、

「この悪魔どもめ、儂の村から、とっとと消え失せ――ギャッ!」

 ジャスパン隊長の裏拳が村長の顔面を殴りつけた。村の女たちが悲鳴を上げて倒れた村長を助け起こし、村の若い男たちは一斉に顔色を変えた。しかし、助け起こされた村長が手を上げて憤る村の男たちを制した。ブルブル震える村長の老いた手を見て村の男たちはうつむいた。

 懐からハンカチを取り出したジャスパン隊長がそれで顔を拭いながら、

「陽が出ているうちに仕事を片付けたいよね。パスカル副隊長?」

「はい、隊長」

 パスカル副隊長が無感動に応えた。

 少しの間、ジャスパン隊長はパスカル副隊長の奇相を見つめあと、

「――んっんー。順次、罪の告白をしてもらおうか。最初は村長だ。聖戦士セイントに唾をするとは、これはもはや、救いようがないよねィ。聖霊ウルテマに対する不敬だよねィ――おい、パスカル、このクソジジイへ簡単に赦しを与えるな。念入りに懺悔をさせろ。そうだなあ、千回くらい殺してくれと泣き叫んで頼んできたら、慈悲を見せてやってもいいよ。ま、一万回でも、百万回でもいいのだけれどね。一人を相手に、そこまで時間を取るのも何だろう?」

「はい、隊長――全体、『異端審問』の準備を!」

 パスカル副隊長の指示で。武装布教師隊が幌馬車の荷を降ろし始めた。最初に降ろされたのは審問用の車椅子――拷問椅子だ。聖教会の幌馬車には他にも拷問器具が積んであった。膝砕き器、生爪を剥ぎ取るペンチ、乳房裂き器、鍵爪がついた鉄製のムチ、焼きゴテに火床、内臓巻き取り器などなど――人体へ最大限の苦痛を与えるために開発された、文明の利器の数々がお披露目されると、ざわついていた村の広場は静かになっていって、やがて、完全に沈黙した。導縛鎖に拘束されて転がったゴロウだけが顔を真っ赤にして、地響きのような唸り声を上げている。折れた鼻が曲がったままのレノ隊員が怒り狂うゴロウを鈍い表情で見下ろしている。

 審問用車椅子が広場の中央に並んだ。

 その前に、村長を含んだ五人の村人が、武装布教師の手で引きずり出された。選ばれたのは、村長と老婆と若い男と若い女、そして、子供の五人だ。この子供は陽に焼かれる祖父パブロを見て泣き叫んでいたミカだった。武装布教師に襟首を掴まれて審問用車椅子へと引きすられていくミカは今も泣き叫んでいる。ミカの両親――ヤンセン夫妻が我が子を取り戻そうと武装布教師にむしゃぶりついていた。ヤンセン夫婦は泣きながら絶叫していた。村民はもう誰もヤンセン夫婦を止めようとしない。

 この悲嘆と絶望を、もはや何ものも止めようがない。

 そう思われたのだが――。

「――聖戦士セイント、お待ちを、魔の眷属が寝床にしているのは北の森ですゥ!」

 大質量の鉄塊が遥か天空から落下してきたか。

 そう錯覚するような絶叫だった。

 パブロ老人の亡骸の傍らで膝をついて、その魂へ祈りを捧げていたイディアが、スックと立ち上がると、火を巻き上げるような足取りで審問用車椅子まで歩み寄り、立ちはだかった。このイディアは強い風が吹いたら倒れてしまいそうな、痩せっぽちの、身長の高い女性である。しかし、ギョロリとした目の玉を煌々と燃やし、背筋をまっすぐ伸ばし、足を開き、両拳を硬く握り締めたその立ち姿は、まさしく、仁王立ちだった。

 武装布教師たちの動きが止まった。

 拷問を指揮していたパスカル副隊長がジャスパン隊長へ視線を送る。

 ジャスパン隊長が細い口髭を親指で整えつつ、

「まあ、ここは修道女イディアの話を聞いてみよう。実際、聞き捨てならない発言でもあるしねィ――」

「イディア、おめェはセシリアを――この村の吸血鬼ヴァンパイアを知っていたのか!」

 ゴロウが怒鳴るようにして訊いた。

「ゴロウ様、村のひとを救うには、もうこれしか方法がないようです。私はメイベルの村に来た最初の日から察しておりました。才足らず、奇跡の担い手――布教師にはなれませんでしたが、私には幼少の頃、小さな『才覚の芽』があったのです。ですから、魔導の胎動が作るひずみが――魔の眷族の痕跡が、村のそこかしこに見えておりました。ただ、私は村の住民が元気で幸せなら、それでもよいと――」

 イディアの視線がその足元へ落ちた。

「ふふふっ、修道女イディアよ、貴様も背信者だったというわけだねィ。潔い態度は褒めてよい。では貴様に罪の告白をしてもらうことにしようかねィ。良し、準備しろ」

 ジャスパン隊長が笑顔で命令すると、武装布教師がイディアに歩み寄った。

 村人は固唾を呑んでその光景を見守っている。

 ゴロウも言葉を失ってイディアを凝視した。

「――ええ、聖戦士よ、この私がメイベル村を代表します。私を拷問椅子に縛りつけなさい。私は魔の眷属を見すごしました。しかし、私には告白する罪など、ひとつもありません。聖霊ウルテマに、その御子エリファウス・トーレに、そして、我が名に誓って、私の負い目が一切ないことを、今から証明して差し上げましょう」

 顔を上げたイディアにあったのは決死の覚悟。

「お、おい、イディア、おめェは死ぬつもりか――?」

 ゴロウの声が掠れた。

「さあ、この私を――修道女スール・カトリーナ・イディア・デ・バルバーリを、この場で異端審問にかけるがいい、聖戦士セイントども!」

 イディアが叫んだ。

 武装布教師たちは無言で無反応だった。

 一人だけだ。

 ジャスパン隊長は髭をいじる手をピタリと止めた。

「――今、デ・バルバーリっていったかい? あれって貴族の名乗りだよねえ?」

 村人の一人が静寂を破った。

 その口火を切ったのは、ふてぶてしい態度の中年の女だった。

「デ・バルバーリ――中央大草原帯を治めるジャンバオロ・デ・バルバーリ辺境伯のことかのう――だっ、大貴族じゃ、大貴族じゃぞ、イディア様は大貴族様のご令嬢じゃ!」

 メイベル村で二番目に年寄りの老婆(一番の年上は村長である)が、しわがれた声で叫んだ。

「も、もしかして、修道女スールイディアは、あの名門バルバーリ家のご令嬢なのかね?」

 老いた男がキョロキョロ周囲を見渡した。

「イディア様、イディア様!」

 村の若い女が叫ぶ。

「やれるもんならやってみな、布教師どもめ!」

 村の若い男が甲高い声で野次を飛ばした。

「貴族の令嬢に手をかけてみろ、お前らは全員、間違いなく縛り首だぞ!」

 次に中年男の太い声で野次が飛んだ。白い暴力で抑圧されていた村人たちが口々にイディアの名を呼んで騒ぎだした。その声はうねるように全体へ広がり、やがて、大合唱となった。

「イディア、おめェって奴ァよォ。どこまでド根性が据わっていやがる。心配をかけさせやがって――」

 ゴロウが大きな息を吐いた。

 修道女スール・カトリーナ・イディア・デ・バルバーリの見た目は美人ではない。枯れ木のように痩せた身体に高い身長で、肌色は色艶なく不健康そうであるし、三十路をちょっと過ぎたばかりなのに、黒い長髪に白髪が目立つほどあって、まるで老婆のようである。顔の作りだって良くはない。目はギョロリと丸く、眉は薄く、鼻は大きく鷲鼻で、薄っぺらい唇には、安物の下品な赤い口紅を、毎日変わらず適当に塗ってある。イディアは性格も好かれるといい難い。細かいことに口煩く、常に口元を引き締め気難しく、極端な潔癖症で、他人にも自分にも手厳しい。だが、今、村人の目には、修道女服姿の美しいひとが、確かに見えていた。ひとの美しさは、容姿や日常で使用している上っ面の性格で測れない。しかし、たいていの場合、そのひとが持つ美しさは――そのひとの真価は、極限まで追い詰められたときにのみ、他人へ露見するもので――。

 その身のうちから溢れる出る高貴と共に。

「さあ、やってみろ、聖戦士セイントども!」

 イディアが絶叫した。

 村人がイディアの絶叫シャウトで沸く。

 地面を揺らして沸いた。

 ぎょろりとした目に宿った不退転の覚悟を、修道女スールイディアがジャスパン隊長へ見せつける。

「この女、本当に貴族の血縁者か。しかも、あの面倒なバルバーリ辺境伯の実子とは、これまた面倒な。あの親にしてこの子ありだねィ。どうも、下調べを抜かったな――」

 ジャスバン隊長が呟きながら、パスカル副隊長の奇相へ目を向けた。

 パスカル副隊長は黙っている。

 独り頷いたジャスパン隊長が、

「パスカル副隊長、どうやら罪の告白は、これで終わったようだ。隊の半分をここへ残せ。他は村の北の森を探索だ。村民はここで『狩り』が終わるまで待機してもらおうか。村民の安全のために、だよね? ふふふっ――」

「はい、隊長」

 パスカル副隊長が頷いた。

「まだ陽も高い――」

 空を見やって目を細めたジャスパン隊長が、

「見つかった吸血鬼ヴァンパイア下僕しもべは、そこで死んだジジイが一人だけだ。この様子だと、今回の獲物は血族も作れないような雑魚だろう。仕事はすぐに終わるよねィ。ああ、パスカル、吸血鬼の『灰』を取ってくるのを忘れるなよ――」

 ジャスパン隊長は目を向けたが、パスカル副隊長はもうそこにいない。

「んっんー? もう行ったのか。『洗礼を受けた戦士たちバプタイズド・ウォーリアーズ』は、せっかちなのが玉に瑕だねィ――」

 ジャスパン隊長が呟いた。

 この『洗礼を受けた戦士たちバプタイズド・ウォーリアーズ』とは、人類種強化薬剤バースト・メディスンの薬効で戦闘能力を強化された武装布教師の別称である。タラリオン王国で医薬品の研究・販売を一手に牛耳るエリファウス聖教会は薬物の技術を私兵部隊へ投入し、ヒト族を超えた戦士を作り出すことに成功した。この人類種強化薬剤によって高い戦闘能力を得た武装布教師は、魔の眷属と互角に渡り合う事が可能な優秀な戦士の集団である。

 だが、しかし、武装布教師は身体と精神力の強化と引き換えに、ひとが持つ一部の性格――他者への共感性を欠損している。これは、薬剤の副次的な作用であるという研究者もいるし、武装布教師隊へ投与されている向精神薬の作用だという研究者もいる。この点は未だ定かではない。人類種強化薬剤バースト・メディスンの成分情報は、タラリオン王国においてもエリファウス聖教会においても、最高機密扱いに属するものなのだ。

 乱暴にいってしまえば、武装布教師隊とは薬物中毒者で組織された狂人の集団だ。もっとも、この武装布教師隊を統率する者――エリファウス聖教会異端審問課の長には、正気のまま狂気することを求められている。

 ウィッチ・ストーカー〇四隊の隊長ブリューノ・ジャスパンがその例である。

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