七節 朝陽のなかに消えた聖女(肆)

 メイベル村には街路灯が一本もない。

 村の広場で頼りになる明かりは、せいぜい酒場宿の軒先に吊るされているカンテラ型の導式灯ていどのものだ。陽が落ちると武装布教師隊は焚火を作って照明を確保した。広場中央にある一番大きい炎を、椅子に腰かけたジャスパン隊長と、メイベルの村人たちが見つめていた。子供たちは親にもたれかかって、うつらうつらとしているものが多い。村人なかに導縛鎖で拘束されて胡坐をかいたゴロウの姿もある。座り込んでいる村人の間を縫って、イディアが忙しなく歩き回っていた。隣接する雑貨店やパン屋から調達した食料だの飲料だのを配りながら、不眠不休でイディアは働いている。見かねた村の女たちが、イディアの手伝いを申し出たが、武装布教師隊は許可しなかった。

 夜明けまで、あと一時間と少しの時間帯――。

 ジャスパン隊長は武装ロング・コートの内ポケットへ懐中時計を戻して舌打ちした。

 北の森へ吸血鬼ヴァンパイアの探索に向かったパルカル・サビオーラ副隊長が率いる武装布教師百名は、陽が落ちる時間帯になっても広場へ戻ってこなかった。ジャスパン隊長は、この時点で致命的な失策に気づいて、探索に出た隊員を呼び戻すため、武装布教師の数名を馬で走らせた。これも帰ってこなかった。ジャスパン隊長が次の一手を打つ前に夏の太陽は西の地平線へ没した。計百十一名の隊員が失踪したまま、メイベル村へ夜が――吸血鬼ヴァンパイア領域テリトリーが来訪した。焚火と共に夜明けを待つ武装布教師隊は、このジャスパン隊長含めて九十二名になる。

 ジャスパン隊長は東の空を見やった。

 夜空の下にある地平線は、ほんの少しだけ白みがかっている、ジャスパン隊長はすぐにでも馬に飛び乗って、クレモンテ城の城下街へ逃げ帰りたい。しかし、吸血鬼の領域である夜間に行動をするのは自殺行為だ。また、ジャスパン隊長が舌打ちをした。斧槍を片手に横で佇んでいたレノ隊員が鈍い表情でジャスパン隊長を見やった。

 ジャスパン隊長は焚火を睨んでいる。


 拘束されて手を使えないゴロウは、イディアの助けでコップの水を飲み干して、

「イディア、気分が悪くなってる奴はいねえか。特に年寄りどもが心配だ」

「ゴロウ様、今のところはおりません」

 膝をついたままイディアが応えた。奮闘中に黒頭巾を無くしたイディアは白髪交じりの黒髪を後ろで束ねていた。村の女たちに結わえてもらったものだ。

「なァ、イディア」

 ゴロウは高貴な魔女の横顔を見つめた。

「はい?」

 イディアがゴロウへその顔を向けた。

「おめェ、何でここまでアレのことを聖教会に黙っていた?」

 ゴロウがダミ声が掠れている。

 暴れたり叫んだり唸ったりを繰り返したゴロウも疲労困憊していた。

「アレとは――メイベル村の吸血鬼ヴァンパイアのことですか?」

 イディアは特別に驚いた様子を見せない。

「――あァ」

 ゴロウが頷いて話を促した。

「絵本ですよ、ゴロウ様」

 イディアは空のコップに視線を落とした。

「絵本?」

 ゴロウの太い眉尻が疑問で下がった。

「『布教師アルケミストとヴァンパイア』です」

 視線を落としたまま応えたイディアは気恥ずかしそうだ。

「あァ、あったなァ、そんな聖教会の絵本。デタラメしか書いてないやつだろ?」

 ゴロウが頷いた。エリファウス聖教会の広報事業部は青少年の教化目的で分厚い聖霊本の内容を簡素にした物語を絵本として出版している。

「私も幼い頃に読みました」

 イディアが微笑んだ。

 これは魔女の微笑みである。

「俺も知ってるぜ。三個のなま首だな。あれは聖教会が出版している絵本の中でも一番ひでえ内容だ――」

 ゴロウは苦笑いを浮かべた。

「あの絵本が幼心に哀れで――吸血鬼のお婆さんも、若い布教師も、病気の女の子も――」

 イディアが魔女の微笑みを顔から消した。

「聖教会は吸血鬼の存在を絶対に許容するなと教えてるからな。病気の治療は必ず布教師アルケミストを頼れっていう、警告もあるのかなァ――」

 ゴロウが鼻で笑った。

「ええ。でも、真実は違うのでしょう。私はこの村の人々を見ていて、そう確信しました。それに、この村にいる吸血鬼は、ゴロウ様とも随分と仲がよろしかったようですし――」

 イディアがまたゴロウへ魔女の微笑みを見せつけた。

 顔をひん曲げたゴロウが、

「ああよォ、イディアはそこまで知っていたのかよォ。どうにも、油断ならねえなァ。しかも、これが、あのバルバーリ辺境伯のご令嬢ときたもんだ。どうして、王国中央の領地を任されているような大貴族のご令嬢が、聖教会みてえな窮屈な――生まれつきの貧乏人で、その貧乏から抜け出す手段を持ち合わせてねえ奴らが、信じてもいねえ神様を語って、立身出世をするための組織にいたんだよォ?」

「女は家督を継げませんから。私には弟もおりますし、父も母もまだまだ元気で、家に何の心配もないのです。私は自分の意思で、聖教会に身を置いておりました。女子神学学会にいた頃の私は布教師を目指しておりました。女の私がひとのためにできることは才覚の芽で――導式でひとびとの病を癒すことだと信じておりました。もっとも、才足らず、私の夢は適いませんでしたが――」

 イディアは溜息を呑み込んだ。

「それでも、おめェは聖教会に残ったのか。よほどの物好きだよなァ」

 ゴロウが歯を見せて笑った。

 イディアはその笑顔から目を逸らして、

「善きひとなのですね、その吸血鬼ヴァンパイア――」

「セリシアのことか?」

 表情を変えて、ゴロウが訊いた。

「ええ――」

 イディアはゴロウの顔から視線を外したまま頷いた。

「あァ、抜群にいい女だ。だが、あいつは魔の眷属だぜ。ヒトじゃねえ――」

 浮わついているような、深刻なような――。

 感情が絡まったゴロウの声だ。

「――はい。私は村人たちの様子をまた見てまいります」

 視線を落としたまま、イディアが立ち上がった。

「イディア」

 ゴロウが呼び止めた。

「何でしょう?」

 立ち上がったイディアが、自分を見上げるゴロウの顔を覗き込んだ。

「村の奴らも、だいぶ落ち着いただろ。おめェはここから離れていたほうが――いや、おめェのことだから、これをいっても無駄だろうなァ。いいんだ、だがなァ、イディアよォ。おめェは、ここにいないほうがいいと思うんだよなァ――」

 ゴロウは何度も首を捻った。

「私は大丈夫です、ゴロウ様」

 イディアは魔女の微笑みだ。

 ゴロウは迷っているようであったが、結局、口を開いた。

「――イディア、ここで『何か』が起こっても取り乱すな。セシリアの姓と名は、セシリア・『ノックス』・メイベルホリック。セシリアは吸血貴族ヴァンパイア・ノーブルの名乗り――『ノックス』を持つ強力な個体だ。あの武装布教師隊の隊長さんは何か勘違いしているみたいだがな。セシリアの探索に出ていった奴らは帰ってくる気配がねえ。ということは、どうも――」

吸血貴族ヴァンパイア・ノーブル。それだから、出来損ないの奇跡の担い手でしかない私にもひずみが見えて――!」

 イディアの目が皿のように丸くなった。

「だから、イディア、今から覚悟をしておけよ――ああよォ、やっぱり、イディアはここから離れていたほうが、いいんじゃねえかなァ。物凄いお偉いさんのところのお嬢さんなんだろ、おめェはよォ――」

 ゴロウはまたモゴモゴいった。

「ゴロウ様、この先、何があろうと、私の覚悟はもうできております」

 イディアはムッと硬い表情だ。

「はァ、まァ、いいや――」

 ゴロウは溜息を吐いた。

「はい、失礼します、ゴロウ様」

 イディアは手桶を持って広場の井戸へ水を汲みに向かった。ただ時間が過ぎるのを待ち侘びているジャスパン隊長が煩わしそうにイディアへ視線を送った。広場の中央を横切るイディアの足元へ何か落ちてきた。イディアは足を止めて落ちてきたものを見つめた。ゴロンとそれは路面を半回転した。猫科の猛獣のような目を持った奇相が眼と口を薄く開けて、イディアを地面から見上げている。

 落ちてきたのはなま首だ。

 ウィッチ・ストーカー〇四隊の副隊長、パスカル・サビオーラのなま首だ。

 イディアの手から落ちた桶がコンコンと音を鳴らした。

 直後、

「イィキェェェェェェェェェェェェェェェエィ――!」

 イディアは糸を引くような絶叫と一緒にペシャンと倒れた。

「だから、俺ァいっただろォがよォ――」

 ゴロウは困り顔だ。

 異変に気づいて村人が騒ぎだした。

 武装布教師隊は武器を構えた。

 ジャスパン隊長も立ち上がって腰から長剣を引き抜いた。

 武装布教師のなま首が次々と上空から降ってくる。ボトン、ボトン、となま首が広場の路面へ着地するたび村民の悲鳴が上がる。村民会館、兼、村長の自宅――過去に途絶えた土着の宗教施設を改造した大きな建物だ。その三角屋根の上に、暗い色の古風なドレス着た女が佇んでいた。手から下げた最後のなま首を宙へ放って、その女は肩を揺らし、声を出さずに笑った。

 いわずもがなだ。

 そこにいたのは吸血貴族ヴァンパイア・ノーブル

 メイベル村の吸血医、

 セシリア・ノックス・メイベルホリックであった。

「あァ、あのオリーブ色のドレス、あいつのお気に入りだったのにな――」

 ゴロウが呟いた。

 セシリアの身に着けているドレスが鮮血で黒く濡れている。

 西の夜空に満月が輝いていた。

 夜はまだ明けていない。

 セシリアの治療を手伝っていたゴロウは、彼女の「寝床」をよく知っていた。

 メイベル村の北の森は八百年前、貴族の別荘が並んでいた土地で、今は廃墟になった館が立ち並んでいる。セシリアが住居として使っていたのは旧領主館の地下室だったが、その地下室は隣接する館の地下室と地下の通路で繋がっていて、迷宮のような構造になっていた。不思議に思ったゴロウは、どのような理由でこのような構造になっているのかを、セシリアに尋ねた。

「大昔、ねずみが掘っていったのよね。私から頼んだわけでもないのだけれど――」

 セシリアは笑いながら答えにならない回答を返した。何にしろ、セシリアの住居は吸血鬼ヴァンパイアの地下要塞のような様相なのだ。それでも並みの吸血鬼なら日中の活動は不可能に近い。陽があるうちに襲撃すれば、どのような広さであれ、武装布教師隊の狩りは問題なく終わっていた筈だった。しかし、セシリアは並ではない。陽の当たらない場所なら日中でも活動できる吸血貴族ヴァンパイア・ノーブルだ。

 武装布教師隊が不用意に貴族の地下要塞へ足を踏み入れた結果が、広場へ飛来してきたこの大量のなま首――。

「――銃班、奴を、吸血鬼を撃てえ!」

 ジャスパン隊長が叫んだ。

 武装布教師隊が持つ、連筒式長銃・ヴァンパイア・ハンター――銃身を円筒状に束ね対吸血鬼用に開発された銃が一斉に火を噴いた。銃声が石畳を叩き、夜が硝煙でけぶって、村人の悲鳴が大きくなる。何百発もの真銀製導式弾(※導式を表面に刻んだ真銀製の丸い銃弾。魔導の胎動を破壊する効力がある)が、満月を背負って笑うセシリアを襲った。屋根瓦が銃弾に当たって弾け飛び粉塵が舞う。粉塵と硝煙に隠されたセシリアはシルエットになった。弾丸が村民会館の屋根の一部が崩れ落ちる寸前まで削り取られると、ようやく銃声が止んで粉塵と硝煙が夜風に流れた。

 セシリアは血塗れているが、その身体からは一筋の血も流れてはいない。そのドレスを紫炎の揺れる魔導式が巡っている。首を傾けたセシリアは眼下の広場を、その新緑のような色合いの瞳に映した。

 広場にいるひとすべてが沈黙したままセシリアへ視線を返している。

「セシリア、その魔導式陣は何だ。俺ァ、今までそんなの見たことも聞いたこともねえぞ!」

 ゴロウの怒鳴り声が沈黙を砕いた。

 セシリアと出会ってから、ゴロウは何度も何度も似たような質問をした。

 今宵も、やはりゴロウはセシリアに問いかけた。

「ゴロウ! 善い夜ね」

 セシリアは血に濡れた美貌へきゃっと笑みを浮かべて、

「あっ、この魔導式陣のこと? これは魔導式陣・不確定性の裁断者アトロポス・シザースよ。必然の結果をあらぬ結果へ逸らす魔導式。あら、貴方、こんなことも知らないの?」

 ゴロウが太い眉尻を下げた。

 この表情かおが見たくてセシリアはいつも同じいい回しを使う――。

「きっ、貴様、やはり、ノックス――吸血貴族なのかっ!」

 ジャスパン隊長が叫んだ。

「ええ、そうよ、私は吸血貴族ヴァンパイア・ノーブル、セシリア・ノックス・メイベルホリック。さあ、舞踏会を続けましょう、聖戦士セイントのおじさまたち。精神変換サイコ・コンヴァージョンを開始、口述鍵キイ強制解除クラック!」

 セシリアは歌うように叫んだ。

 武装布教師隊の面々は歌う吸血鬼を鈍い表情で見上げている。

 ゴロウは絶句して目を見開いた。

 セシリアの背後にある満月が波立つ水面へ落としたように震えている。

 村人は悲鳴を上げた。

 強大な魔導の胎動が作るひずみが、導式の担い手でなくとも、その目に映っていた。

 セシリアが手を広げ、背を反らし、声を出して笑った。

 大量の吸血で今宵のセシリアの唇は血の色を取り戻している。

 赤く艶めいた唇が開いて白い牙が光った。

 セシリアの周囲で、紫焔に包まれた魔導式の円環が、揺らぎ、歪み、捻れて、舞い散る――。

「しっ、指定座標へ魔導式陣砲が来るぞ! 隊は導式陣・退魔の領域を展開、広場全体へ張り巡らせるんだ、早くしろ!」

 ジャスパン隊長が絶叫した。

「はい、隊長」

 揃って応答をすると、広場に散った武装布教師たちが各所で導式陣を展開し始めたが――。

「魔導式陣・串刺し公の晩餐会ウムプラ・ツェペシュを機動!」

 セシリアは歌い続けた。

 武装布教師隊は足元でガクガクと乱れる黄金の導式陣を無感動に見つめている。

 ジャスパン隊長の喉から悲鳴が漏れた。

「目標はすべての白き影!」

 虐殺の独唄曲アリアは最終局面に突入した。

 広場を覆おうとしていた黄金の導式陣が次々消失する。

 ジャスパン隊長の横でセシリアを見上げていたレノ隊員の斧槍が地面に転がった。

「おっ、ごぉお――?」

 レノ隊員の呻き声だ

「――ど、どうした、レノ隊員?」

 ジャスパン隊長がレノ隊員を見やった。

 普段なら人類種強化薬バースト・メディスンが効きすぎているレノ隊員の自発的な発言は、ほとんどないのだが――。

 レノ隊員の眼窩から黒い槍が突き出ている。黒い槍に押し出されたレノ隊員の眼球が視神経で繋がったまま左右に揺れていた。黒い槍は落ちた影――レノ隊員自身の影から突き出ていた。

 村人たちは顔を引きつらせて絶叫した。

 セシリアは武装布教師隊全員に串刺しの刑を執行した。断末魔の声を上げる布教師たちは、背中から下腹部から黒い槍を突き入れられて、その肉体を貫通した黒い穂先は、額や眼窩や肩口から突き出ている。

 ゴロウだけは黙って村民会館の屋根で佇むセシリアを見つめていた。

 彼に見守られながら彼女は飛ぶ。

 その周辺だけ重力をなくしたような――。

 スカートを大きく膨らませて、セシリアは串刺しの森へ降り立った。血塗られたセシリアが処刑場に降り立つと、村人の悲鳴が大きくなった。メイベル村の住民は、セシリアが本来何者であるか、今、ようやく思い出したのだ。思い出して、混乱し、恐怖し、叫び続けた。

 歩み寄るセシリアへジャスパン隊長が何かいおうとした。だが、叫び続け乾いた喉からは、「ひゅうぅう――」そんな掠れた空気音が出たのみだった。

 ジャスパン隊長が今わの際に伝えたかったのは命乞いか。

 魔の眷属への罵倒か。

 それとも、神への祈りか。

 もしくは、神への呪いの言葉だったのか――それは、結局、誰にもわからなかった。遺言の代わりにジャスパン隊長の口からは黒い槍が飛び出した。

「ンッボエェ――」

 呻き声と一緒にジャスパン隊長の口から血が流れ出た。その両手が垂れ下がって、銀の長剣が地へ落ちた。

 魔の槍に刺し貫かれたジャスパン隊長の身体が高々と持ち上がる。

「お馬鹿さん。影のないひとなんて、いないのよ――」

 セシリアが呟いた。

 これが、魔槍に貫かれ、眼窩から、鼻から、口から、耳から、肉体に穿うがたれた穴という穴から血を流し魂なき肉体を震わせる、ブリューノ・ジャスパンという男へ、吸血鬼の淑女が手向けた言葉だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る