三節 邪視
奇妙な事態に遭遇したが、スリサズ組自体は何事もなく下りエレベーター・キャンプに到着した。その時点で時計の針は午後八時を回っていた。夜間の休憩時間だ。エレベーター衛兵の手でバリケードが施錠される。
「あれでも、ないよりはマシだからな――」
ツクシは荷台から積荷を降ろしながら口角を歪めた。迷彩服を着込んで透明化したエイシェント・オークが襲撃してきても、バリケードを強引に突破すれば位置が判明する。先日、エイシェント・オークがエレベーター・キャンプを襲ったタイミングは、バリケードが開放された直後だった。エイシェント・オークとはいえ、棒立ちで火器の集中砲火を浴びて無事でいられるほどまで頑強でもないらしい。
先日の襲撃を受けて、増員されたエレベーター衛兵隊は以前の倍以上の人員になった。キャンプの装備も増強されている。バリケード内側には念入りに土嚢が積まれ、火薬砲――ヤマダの説明では、正式名称で〇六年式改対人炸裂弾平行射出砲、通称では
「このサイクルは平時――異形種の襲撃がなくても同じなのよ」
ニーナがツクシに教えた。
警護が強化されたエレベーター・キャンプに到着したネスト・ポーターは黙々と運んできた荷を降ろしている。ただ一人、シャオシンだけは荷降ろしを手伝わずにふらふら歩き回り、ネスト行商達の屋台に取りついて、「あれはなんじゃ、これはなにじゃ、教えろ、教えろ」と、質問攻めにしたり、兵士や働くひとをへらへら眺めたりしていた。リュウは肉体労働を断固拒絶するシャオシンを睨みつけているが、あまり効果がないように見える。
「みなさん、申し訳ありません。うちのご主人さまが役立たずで――」
獣耳を折って謝るフィージャの、もふもふとした犬っぽいしっぽが力なく垂れ下がっていた。フィージャのご主人さまは役立たずらしい。ツクシたちと周辺で働いていたポーターたちが笑った。荷置き場から遠い位置にいたシャオシンが笑い声に気づいて、ムッと表情を変えた。
荷下ろしが終わって、ネスト・ポーターたちが夕食をとり始めた。
ツクシもシャオシンの生誕十四年目に入った白いなま足を眺めながら、ネスト行商から調達した白身魚のスープと黒パンをモグモグやっていた。サムライ・ナイトに興味があるシャオシンは自分の好奇心を満たす目的でツクシの横へちょこんと座った。だが、シャオシンが顔を向けて口を開こうとするたび、ツクシはぬめぬめとした視姦で対抗して、その行動をけん制している。
質問されるのは面倒だ。
若い女の子のからだを眺めながらメシを食うのは良いことだ。
これは一石二鳥だよな――。
ツクシはそう考えていた。
ウェスタリア大陸の神獣――
うん、胸元もかなり開いているな。
やはり、内容はあってないようなものだが――。
頷いたツクシは、シャオシンの細いうなじや、いたいけな胸元を視線を使って舐め回した。このぬめぬめにいよいよ耐え切れなくなったシャオシンは、夕食を食べる手を止めて、右隣のリュウへ震える視線を送った。上目遣いで頬赤らめ、呼気が途切れがちになったシャオシンの蒼穹の瞳が濡れそぼっている。明らかに助けを求めている様子だ。
リュウは黒パンをモグモグしながらツンと前を向いてシャオシンを無視していた。夕食前までシャオシンへガミガミとお説教をしていたから、リュウはまだ怒っている。胡坐をかいたリュウの横で正座をして、白身魚のスープの深皿へ鼻面を突っ込みフガフガやっているフィージャもシャオシンの救援要請を見て見ぬフリだ。
邪魔が入らないことを確認して頷いたツクシは、シャオシンの未熟なからだを飽くことなく視線を使って犯し続けた。その責め苦にいよいよ耐え切れず、不覚にも「んあっ!」と細い嬌声を漏らしてしまったシャオシンは恥辱に身をよじりながら、眉間に谷を作って、金の眉尻を落とし、うぶな下の唇を噛み締め、はだしの爪先を丸める――。
しかし、こんなに肌が露出していては防具として役に立たんだろうぜ――。
ツクシはシャオシンの革鎧を見た当初そう思った。しかし、ぐったり脱力して無抵抗になった絶世の美少女十四歳を視線を使ってねぶっているうちに考えが変わった。シャオシンの革鎧やブーツには要所要所に黄色い
それに、この
戦闘能力が多少はあるのか――。
シャオシンの腰帯からはガードがついたユニークな形の短剣――
それも導式具か。
導式具ってやつなのか、ん?
ツクシがうつむいてふるふる震えるシャオシンへ顔を寄せたところで、
「今日はエレベーター・キャンプが静かよね、ツクシ?」
車座の対面にいたニーナの凍えた声だ。
「あぁん?」
ツクシが無言のセクハラを楽しんでいたところを邪魔されて不機嫌になった顔を上げると、ニーナの切れ長の瞳が剃刀のように鋭くなっていた。
すごく怖い。
ようやくツクシのぬめぬめから開放されたシャオシンは、手を地へついてうなだれつつ、フーフーッと深呼吸をして、
「――あっ、ああ。今日はお客さんがいるからな」
ツクシは視線を惑わしながら革水筒に口をつけた。中身はエールだ。休憩時間のエレベーター・キャンプは騒がしくなるのだが、今日は水を打ったように静かだった。ネスト・ポーターたちはみんな声を潜めて会話を交わしている。
「夜も『狩り』に出るんすかね?」
黒パンで頬を膨らませたヤマダが武装布教師隊を見やった。兵士天幕の前に置かれた長テーブルで武装布教師隊が夕食をとっている。総じて無表情で会話はひとつもない。食事という名の儀式を執り行っているような趣だ。
「――奴らは全然、喋らんな」
リュウが唇へ瓢箪を寄せた。
ツクシの鼻先が動く。
リュウの瓢箪の中身は例の
今日は自分の分だけか。
使えねェぞ、もっと気を利かせろ――。
ツクシは気の抜けた顔でうつむいた。
「お酒を――ワインを飲んでますけれど本当に喋らないですね」
フィージャも自分の瓢箪に口をつけた。奥まって裂けた獣の口を持つフィージャは、瓢箪の水筒から水を飲むのが難しいようで、口の端から中身がこぼれる。フィージャはそのたび手ぬぐいで口元をぬぐった。もふもふと綺麗な毛並みを持つこの獣人は綺麗好きのようである。
「
ようやく正気に返ったらしいシャオシンがスプーンを口に咥えながら横目でゴロウの髭面を眺めた。ツクシの左隣で胡坐をかいたゴロウは革水筒の赤ワインをがぶ飲みしている。匂いでわかる。
「――ゴロウ」
ツクシが呼びかけた。
「――あァ?」
ゴロウは髭面をうつむけたまま応じた。
「あいつらは何者なんだ?」
ツクシが武装布教師隊へ目を向けた。
「あいつらかァ。あいつらがやっていることは俺の専門外でよォ――」
ゴロウのダミ声が沈んでいた。
「それは、わかってるぜ」
ツクシがいった。
ゴロウはその無愛想な声に救われたような気分になって、
「ツクシ。俺ァ、以前にも、あいつらの仕事を見たことがある。おめェもさっきそれを見た。まァ、そういうこったなァ――」
それでも、ゴロウの表情も声も重苦しいものだった。
「――そうか」
頷いたツクシが車座になった対面で、ちぎった黒いパンを白身魚のスープに浸しているニーナを見つめた。
視線に気づいてもニーナは顔を上げない。
なるほどな、聖教会の武装布教師隊は、タラリオン王国の腫れ物ってわけか――。
ツクシは革水筒のエールを呷った。
ツクシたちが作った車座にディダックもいたが発言はなかった。
武装布教師隊がエレベーター・キャンプから出ていくと、ネスト・ポーターたちから安堵の溜息が漏れた。開いたバリケードが閉鎖される前に、エレベーター衛兵隊長のシェーファー中尉が失踪兵士探索に出るものを募った。ツクシはこれまで見たことのない顔だ。エイシェント・オークの襲撃を受けてここへ派遣されているらしい。シェーファー中尉は軍帽の下で落ち窪んだ眼窩の底にある瞳を氷のように光らせて不敵に笑っている。その横に、上半身鉄鎧姿の痩せた出っ歯の中年男――オータ特務少尉が控えていた。大半のネスト・ポーターたちがお互い顔を見合わせるなか、蛮勇を誇示して男を上げようと血気盛んな若者が二十名余、探索を志願した。
その若者たちは空元気で騒ぎながら、エレベーター・キャンプから出ていった。
「もう『専門家』が到着したからな。管理省から賞金が出るのは、おそらく今日で終わりだぞ。どうだ、あの他に死にたいものはいないのか?」
シェーファー中尉が不敵な笑顔を大きくした。
「四輪荷車第一班、ディダックだ」
暗い声だ。
不敵な笑みの軍人へ幻影の男が近づいている。
「――貴様は一人で探索に出るつもりなのか?」
シェーファー中尉が気づかないうちに距離を詰められて笑みを消した。
「ああ」
ディダックが短く応えた。
「ほう、本当に自殺志願者か。これは面白い、オータ少尉、登記をしてやれ」
シェーファー少尉がオータ特務少尉を促した。
「あ、はい、部長。ああ、いや――シェーファー中尉殿でしたな。えーあー、ディダック――ネスト・ポーター・スリサズ組、四輪荷車第一班に配属中のディダック・ガルヴァーニ。登記名、特徴共、本人に間違いなしと――えーと、じゃあ、えー、コホン。これが失踪兵士の手配書だ。あとで回収するから紛失するな。紛失した場合は弁償として支給される賃金から小冊子の代金を差し引くことになる。エレベーター・キャンプ外での行動は各自自由だが、
オータ特務少尉が手元の黒いファイルへ目を落としてクドクドと説明をしているうちに、ディダックの姿は消えていた。
シェーファー中尉が輸送路ではない通路を歩いてゆくディダックの背を見やって、
「奴が生きて帰ってくるか賭けるかね。銀貨五枚でどうだ、オータ特務少尉?」
「あ、いえ、私、賭け事はやりませんので、そのう――」
オータ特務少尉はディダックに渡しそびれた手元の失踪兵士手配書を見つめている。
「――冗談だよ、オータ特務少尉」
シェーファー中尉は唇の端を歪めると、仕事が段取り通りにいかなかったことを悔やむ小役人に背を向けた。
そこで、めいめい持ち寄った酒を呷っていたツクシたちが、ディダックがいないこと気づいて声を上げた。しかし、東側バリケードはエレベーター衛兵の手で閉鎖されたあとである。
「色々な種族のるつぼみたいなタラリオンの王都でも、ワーラット族を見かけることは稀なんすよね」
ヤマダがいった。
「王都にワーラット族がいたとしても、普段の彼らは地下で生活しているから、見かけないだけかも知れないわね」
ニーナがいった。
「ワーラット族は、ドワーフの鉱山で穴掘りの手伝いをして、生計を立てていることが多いって話だがなァ――」
これはゴロウの発言だ。
これらは、夕食中、シャオシンが「教えろ、教えろ」と
「あのねずみは危険なのか?」
ツクシが訊くと、
「それはないんじゃないかしら。少なくとも、これまでワーラット族は他の種族と交戦状態になったことが一度もないわよ」
ニーナは笑った。ワーラット族が他の種族に危害を加えることはほとんどないらしい。ワーラット族は陽の光が苦手で、たいていは穴を掘って地下を住居として暮らすので、他の種族と生活圏が衝突しないという。
「へえ、そうなのか――それで、ゴロウ。ディダックを止めなくてよかったのか?」
ツクシが近頃は数本持ち込んでいる革水筒を振って残量を確かめた。
「ツクシ、案外、おめェはしつこい性格をしてるよなァ――」
ゴロウが革水筒の赤ワインを喉へ流し込んだ。
「ゴロウさんこそ、案外、冷たいっすよ。ディダックさんを一人で行かせるなんて。今、ネストは超危険なんすよ!」
胡坐をかいて顔を真っ赤にしたヤマダは革水筒に入ったエールをぐびぐびと飲んでいた。ボルドン酒店と刺繍で店名が入った手ぬぐいを額に巻いたヤマダは、日頃の憂さを酒で晴らすサラリーマンのように見える。
ゴロウが珍しく悪酔いしているヤマダを見やって、
「あんだよォ、ヤマまでよォ――」
「ヤマさん、飲み過ぎじゃない?」
ニーナが笑いながら唇に自分の杯へ寄せた。ニーナは酒に強くないので、ぶどうジュースのような低アルコールのワインを飲んでいる。
「飲まずにいられないっすよ。失踪兵士の賞金、今日で終わりとか聞いてないっす。自分、今、どうしても金が要るんすよ、マジで――」
ヤマダはうなだれて愚痴を垂れ流した。
うーん、ヤマさんは、よほど悪い女に金を貢いでいるのかな――。
ツクシとニーナが荒れるヤマダを見つめた。
表情を硬くしたゴロウが、ヤマダから顔を背けると、その視線の先では、リュウが胡坐をかいている。
リュウは手に持った空の瓢箪を逆さに振りながら、
「ゴロウ、あのディダックは一体何者なのだ?」
「な、何者っていわれてもよォ。ディダックは
ゴロウが視線を惑わせた。
「これは何かを隠している顔じゃな。わらわを侮るな、この赤鬼!」
シャオシンが黒い漆器の椀を地にドンと置いて吠えかかった。
このシャオシンへ
「あんだとォ、クソガキ!」
ゴロウが身を乗り出してシャオシンを睨んだ。
フィージャが自分の背に隠れてふるふる震えるシャオシンを見やって、
「ご主人さまが悪いんですよ。すいません、ゴロウさん」
「まァ、ディダックの野郎なら、大丈夫だ、たぶんなァ――」
ゴロウが腰を落ちつけた。
「ゴロウ。俺たちは守らねばならぬものがいる。正直にいってほしい。ディダックは堅気でないのだろう。本当に大丈夫なのか?」
ゴロウを見つめるリュウの眉間が凍えている。
ゴロウは革水筒の赤ワインを一息に呷って、
「――リュウ。少なくとも、ディダックは俺たちへ危害を加えねえ。それは保障するぜ」
リュウは顎へ手をやって考えた様子を見せたあと、
「まあ、信用するとしよう。ゴロウは嘘がつけるような男に見えんしな」
「あんだよォ、それ。じゃあ、俺ァ、そろそろ寝るぜ」
ゴロウは顔をしかめて、それでも歯を見せて笑いながら立ち上がった。
「ん、ゴロウ、今日はもうお開きか。珍しいな」
ツクシが空になった革水筒を逆さに振りながらゴロウを見上げた。
「ツクシ、私たちも寝ましょ。お酒、飲み過ぎよ、身体を壊すわ」
ニーナは未練がましく革水筒を弄ぶツクシを呆れ顔で眺めている。
「ま、飲みたくても、空だぜ――」
ツクシはまだ未練がましく飲み物を売る屋台へ目を向けた。ネスト行商の屋台に飲み物――たいていは酒類を買い求めるひとが群がっている。空にした水筒を持ち寄って補給する形だ。ツクシが持ち込んできた水筒は全て空だが、ツクシの財布の中身も空に近い。
「うん、俺も飲み足りん。そうだ、ツクシ、良かったら、まだ華香酒が――」
リュウが背嚢を漁った。
ツクシの口角が溶けるようにしてゆるむ。
目を丸くしたニーナがツクシのだらしなくなった横顔を凝視している。
「いえ、リュウ、もう寝ましょう。ご主人さまも初めてのネスト探検で疲れていますから」
フィージャがシャオシンへ目を向けた。
この犬っころめ、余計なことをいうんじゃねェ――。
ツクシがきっと顔を振り向けてフィージャをギリギリ睨んだ。
フィージャは視線を返さない。
「――ぅみゃっ? わ、わらわはまだ寝んぞ。ツクシに訊きたいことがいっぱいあるのじゃ」
シャオシンは小さなあくびを噛み殺した。
「へえ、じゃあ、シャオシンは俺と一緒に寝るか。じっくり『おアソび』をしながら、夜通し話を聞かせてやるぜ」
まだ懲りてないのか、このメス
ぬらぬらと目を輝かせたツクシがシャオシンへすっと身を寄せた。
「あっひいっ!」
シャオシンは背筋をピンと伸ばして硬直した。
シャオシンの悲鳴で胡坐をかいたまま舟を漕いでいたヤマダが目を覚まして顔を上げた。
顔が真っ赤だ。
存分に貞操の危機を実感させたあと、
「ククッ! 冗談だよ冗談。シャオシンは乳を膨らませてから出直して来いよな」
ツクシがシャオシンから視線を外すと、
「ああ、おい、ニーナ、リュウ、それにフィージャまで何だよ。冗談だぞ、冗談――」
ここにいる女性陣が全員、ツクシを睨んでいた。
寝ぼけ眼のヤマダも、何が起こっているのかなと、そんな表情でツクシを見つめている。
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