二節 魔を追うもの

「ワ、ワーラットだとォ?」

 ゴロウのダミ声が裏返った。

 大通路を急いで横切っていくワーラットたちは、手に手に|槍だの銃を携えて武装をしていた。足がねずみの足でヒトより大きくたいていは革サンダルを履いている。しっぽはもちろんねずみのしっぽだ。

「えぇえ、えぇえ――」

 ニーナは目を白黒させている。

「何でネストにワーラット族が――あっ、ヒト族が、ねずみの群れに交じっているっすよ!」

 ヤマダが指を差した。

 ワーラット族の群れのなかに、フード付き黒マント姿のひとがちらほらと交じっている。

「ほう、あれがワーラットなのか!」

 リュウが感嘆の声を上げた。

「なるほど、ワーラット族でしたか――」

 頷いたフィージャも納得した様子である。

「ウェスタリア大陸にワーラットはおらんからの。フィージャでもわからぬわけじゃな。見た目はそのまま二本の足で歩くねずみかの――ちょ、ちょっと可愛いかも知れん。あっ、小さいのが転んだぞえ!」

 このシャオシンの感性だと「ちょっと可愛い」になるらしいが、ワーラット族はねずみをそのまま肥大させた容姿をしているので見ようによっては少々不気味だ。

「ゴロウ、何だ、あの巨大なねずみ――いや、俺も王都で一度あれを見たことがある気がする。確か、あれはいつだったか――」

 ツクシがうつむいて不機嫌な顔を歪めた。

 そういっているうちに、ワーラットの群れは脇道へ消えたのだが、一匹だけ身体の小さいワーラットが大通路の中央でぽてんと仰向けになって手足をジタバタやっていた。ワーラットの子供のようである。

 転んだらしい。

「あっ、黒マントが戻ってきたっすよ!」

 ヤマダが叫んだ。

 戻ってきた黒マントの男はワーラットの子供を助け起こしている。

「ん、あの黒マント、この前転がってた死体と同じ見た目だよな。あいつも失踪した兵士なのか。いや、それより、あのでかいねずみの大群は何だったんだ?」

 ツクシの口から出てくるのは疑問ばかりだ。もっとも、ここにいる全員が呆気に取られているので質問したところで答えは返ってこない。

「何だ、今度は白い服が飛び出てきたぞ?」

 リュウが白い眉をひそめた。

 ワーラットが逃げてきた脇道から、今度は白い服を着たひとが飛び出てきた。

「白い武装ロング・コートのひとたちは、間違いなくヒト族ですよね。彼らは何者でしょう?」

 フィージャも無い眉を寄せた。

「む、あの白服ども陰陽の担い手じゃな――」

 はしゃいでいたシャオシンの声色が真剣なものになった。

「と、止まれ、止まれ、輸送隊は至急、移動を停止しろ!」

 そういわれたところで輸送隊列はすでに停止中だ。

 今頃になって、オータ特務少尉が率いる輸送警備中隊が列の前方へ走ってきた。出っ歯で痩せ気味の、いかにも小役人らしい風貌のオータ特務少尉は、白い服の集団を見て何やら焦っている様子だった。異形種の襲撃事件を受けて輸送隊列につく護衛は増員された。現在、スリサズ組を護衛している隊は総勢八十二名の予備役兵で構成された中隊である。

 ワーラットの子供は、黒マントの男に助け起こされて、向かいの脇道へ逃げ込んだ。しかし、逃げ遅れた黒マントの男は追ってきたらしい白い服の男たちに囲まれている。

 あの白い外套はゴロウの着ているものとよく似ているな――。

 ツクシはゴロウへ目を向けた。

 そのゴロウは顔を赤くして前方で発生した事態を睨みつけている。

「あれは武装布教師アルケミスト隊。何で、彼らがネストにいるの?」

 ニーナの顔が青ざめた。

「へえ、ニーナさん、あれがエリファウス聖教会の武装布教師隊なんっすか。おお、すごい装備だ。ツクシさん、ツクシさん、あれ、あれ、あの武装布教師が両腕に装備しているのは導式陣砲収束器カノン・フォーカスっすよ。たぶん、あの型は帝暦一〇一一年に王国陸軍の導式術兵ウォーロックに配備されたやつっす。おお、そうだそうだ、導式ヘルハウンド・ナパーム・ランチャー・〇九年式フランマ・エヴォカーだ。うひゃあ、間違いない。ははあ、あれを聖教会も持ってたんすねえ。こうなると本当に軍隊っすよ。戦争ができるぞこれは――」

 ヤマダが熱っぽく語った。

「ヤマさん、何だよ、それ――」

 ツクシは呻き声で訊いた。

「ツクシさん、ツクシさん、最新型っす、導式機関を利用した光球焼夷弾の生成射出装置っす。撃った弾を誘導できるんすよ!」

 ヤマダが指を差した武装布教師の男は両手に巨大な小手をつけている。それは金属で作られた黒い蟹鋏といった形状のものだ。この導式具がヤマダがいった導式陣砲収束器・〇九年式フランマ・エヴォカーらしい。

「あっ、ああ、そうなのか、ヤマさんは詳しいな――」

 何でそんなどうでもいいことに詳しいんだ、こいつ――。

 ツクシはちょっと引いている。

「おい、こりゃあ、どうなってるんだ、ディダック?」

 ゴロウが唸った。

「うちのボスよろしく『それ訊いても無駄だぜ』といいたいところだがな。俺にもわからんよ、ゴロウ。『あれ』はお前の『専門』じゃないのか?」

 暗い声でディダックが応じた。

「だから、俺ァ『あれ』の『専門』じゃあねえよ、くっそ!」

 ゴロウが髭面をひん曲げた。

「ツクシ、何なんだ、あの白い服の連中は?」

 リュウは首を捻っている。

「俺も詳しくないぜ。だが話を聞いている限り、聖教会の『僧兵』みたいな感じらしいよな」

 ツクシが応えた。

「白い服を着た彼らが、エリファウス聖教会の僧兵ボンズになるのですか?」

 フィージャが訝し気な声でいった。

「きゃつらめ、仏法守護者ヴォディサフ・ガーディアンの癖に刃物を持っておるぞえ。あれではまるで破戒僧なまぐさじゃよ」

 シャオシンが金色の眉をひそめた。


 黒マントを囲んだ武装布教師隊の一人が進み出た。百九十センチ近くの上背がある痩せた男だ。パタ――握りの部分に前腕部を覆う金属製の小手がついた、銀色の長剣を両手に装着している。白い丸帽子の下の凹凸の少ない顔に黒目がちの丸い目が二つ。

 その武装布教師は白い爬虫類を思わせる顔つきだった。

「ほう、一対一か。貴様らにしては殊勝な心掛けだな?」

 黒マントの男が皮肉な調子でいった。頭にかぶったフードの影に隠されているが、男の視線は武装布教師たちを観察している。黒マントの男の目から見ると、武装布教師隊は、秘匿された詠唱術オカルティック・チャント――機動寸前まで導式陣を完全に隠蔽する方法で全員が何らかの導式陣の予備機動に関与していた。

 退魔か、防壁か、他には何かあったかな――。

 黒マントの男が唇の端を歪めて、

「決闘だろう。ならば、黙っていないで名乗れ。我が名は、クリストファ・ノックス・リーエルハウス」

 黒マントの男――クリストファが頭を覆っていたフードを後ろへ落とした。ウェーブのかかった長い黒髪に、緑色の瞳は力強く、はっきりとした男性を感じさせる顔だちだが、肌の色は極端に青ざめて死人のようだった。だが、死人を思わせる相貌に気品と色気に満ちている。クリストファの年齢は曖昧だった。ひどく年寄りのような、まだ若者のような、そう見えても中年のような、年齢を重ねることを放棄してしまったような――。

 次いで、クリストファはマントを背に払った。白いシャツに革ベスト、黒いズボンに折り返しのついた革のブーツ――クリストファは何も防具らしいものを身に着けていない。腰の剣帯からサーベルが一本だけ吊られている。

「――ノックス、聞き間違いか?」

 白い爬虫類が薄い唇の間からのそりと声を漏らした。

 脇道の奥から一番最後に出てきた武装布教師の男が、

「デセス隊員、注意しろ。『吸血貴族ヴァンパイア・ノーブル』――ハッタリではなさそうだ」

「――はい、隊長」

 デセス隊員が表情を変えずに応じた。

「君の名をデセスというのか。ま、お手柔らかに頼むよ、デセス君――」

 クリストファが微笑みながらサーベルを引き抜いた。引き抜いた先で、刃と刃が衝突して、火の粉が散る。それが連続した。デセス隊員は諧謔を解さない男のようだ。無言で両手のパタをクリストファへ突き入れている。高速で襲い掛かってくる二本のパタの刺突を、クリストファは右手のサーベルだけで対応した。その剣さばきも足さばきも華麗なもので、まるでクリストファの周囲だけ重力が半分になったように見える。

 剣と剣のぶつかりあう間隔が秒刻みで狭まる――。


「――あの黒マント、なかなかに使う。タラリオン王国の兵士は随分と念入りに功夫クンフーを積んでいるようだな」

 リュウが表情をキリッと引き締めた。

「リュウ、私たちも日々の鍛錬を怠らぬようにせねばいけませんね」

 フィージャが真面目腐った獣面をリュウへ向けた。

「はっ、速すぎる。目で追いきれないっすよ。あいつら、本当に人間っすかね。特にあの黒マント、垂直跳びで大人の身長分は軽く超えてるっすよ。きょ、強化人間か何かっすか、あれ――」

 ヤマダが呻いた。

「うむ、ヤマよ。黒マントは、身体に陰陽(※ウェスタリア大陸では運命潮流マナ・ベクトル陰陽イェンヤンと呼称する)の『ひずみ』がある。あれは人類かどうか、怪しいものじゃ。よもやもすると、きゃつは『鬼』かも知れぬぞえ」

 シャオシンが真剣な顔だ。

「――鬼か」

 ツクシが呟いた。

 ゴロウ、ニーナ、ディダックの三人は一様に暗い表情で何もいわずに視線の先の戦いを見つめていた。


「――口述鍵を強制解除。魔導式陣・雷裂波ヴァジュラを機動」

 クリストファが左手を突き出すとデセス隊員を中心に大気が押し退けられた。

 石畳の路面がバキバキと割れて粉塵が上がる。

 魔の衝撃波がデセス隊員を直撃した。

 しかし、デセス隊員は何事もなかったかのように粉塵のなかから飛び出すと、クリストファの心臓を狙ってパタを突き入れた。しかし、その時点で、クリストファは尋常ならざる跳躍力に加え、衝撃波の反発を利用し、背後へ高く跳んでいた。目標を外したデセス隊員は爬虫類のような顔を上げた。その顔には何の感情もなかった。クリストファの眼下にあるデセス隊員は黄金に輝く導式の円環が幾重にも巡っている。

 随分と無防備に攻撃をしてくると思っていた。

 やはり周囲の聖戦士セイントどもが奴の身体に導式の防壁を張り巡らせていたようだな――。

「己の名も名乗れぬような男と真剣に命のやり取りなど馬鹿馬鹿しい。そうではないか、デセス君――精神変換サイコ・コンヴァージョン、魔導式陣・魔烈弾マギカ・ブレットを形成する。口述鍵、強制解除――!」

 クリストファは宙で魔導式陣を形成した。自分を取り囲む武装布教師の一角に魔導式陣砲を放って蹴散らし脇道へ逃げ込む。脇道にある光は少ない。導式灯を破壊すれば闇に沈んだ空間は夜目が利く我ら魔の眷属の領域――これが、クリストファの逃走計画だった。

「もういつ消滅しても構わぬこの身だが、貴様らのような下衆ゲスどもの手でそれをされるのは癪に障るわ!」

 品格と魔性が同居する相貌を皮肉に歪めたクリストファの目論見は、魔導の力を放たんと突き出した左手に絡みついた黄金の鉄鎖に食い止められた。デセス隊員が「隊長」と呼んだ男が聖十字剣ディバイン・クロス・ソード――煌びやかな装飾が施された両刃剣をかざしている。その切っ先から導式が巡る黄金の鎖が伸びて、クリストファの左腕を捕らえていた。隊長が聖十字剣を振り下ろすと、クリストファは鎖に引かれて路面へ叩きつけられる。隊長は聖十字剣の切っ先を向けたままクリストファへ歩み寄った。

 導式の鎖はクリストファの全身に絡みついて食い込み自由を奪っている。


「――おお、導式陣・聖鉄鎖の戒めディバイン・チェインが予備動作なしで! あのひとの武器もかなり凄いっすよ、ツクシさん。自分、あんなの見たことないっす。あれって聖教会の聖遺物アーティファクトってやつっすよ、たぶん。しゅ、しゅごい、これはしゅごい!」

 ヤマダが右手をグッと握り締め、興奮して赤らんだ顔をツクシへ見せた。

 プロレス観戦中のプロレス・ファンといった感だ。

「へえ、チチンプイプイであんなこともできるのか――」

 ツクシのなかでは導式も魔導式も陰陽も全部チチンプイプイで統一されている。

 それなりに合理的ではある。

「くっそ、なぜだ、おめェ、エミール!」

 ゴロウは聖十字剣の隊長を睨んでいた。

「どうした、ゴロウ?」

 ツクシは一応目を向けたのだが、この様子だとまともな返事は返ってこないかもな、と考えた。

「――いや、何でもねえよ」

 やはり、ゴロウはツクシの質問に応えなかった。

 武装布教師隊の隊長は拘束されたクリストファへ何か質問した。その会話の最中、クリストファは高笑いをした。隊長は高笑いに背を向けた。

 クリストファの脇に立っていた武装布教師が頷いて、三日月斧クレセント・アックスを振り上げる――。

「――うぐっ!」

 シャオシンの顔からいっぺんに血の気が引いた。

「ご主人さま、落ち着いて――」

 フィージャがシャオシンの肩を抱く。

「あ、あぁあ――!」

 ヤマダがぽかんと口を開けて絶句した。

「――殺したか」

 ツクシが低い声でいった。

 クリストファはその場で斬首された。

 吸血鬼ヴァンパイアの血に濡れた三日月斧クレセント・アックスを持つ隊員は声を出さずに笑っていた。

「あれは逃亡した兵士なのだろう。裁判にかけんのか!」

 リュウが叫ぶようにいった。

 ずっと押し黙っていたニーナが

「――リュウ。あそこで殺された男はたぶん失踪した兵士じゃないわ。武装布教師隊は聖教会の異端審問官――魔を追う者ウィッチ・ストーカーなの。噂には聞いていたけれど、本当に冷酷ね」

「異端審問だと? ニーナ、あそこで殺されたのは異教徒なのか?」

 ツクシが訊いた。

「違うわ、ツクシ。ウィッチ・ストーカーが狩るのは屍鬼と吸血鬼よ。それと、『それら』にくみするもの、かな。結局は異教徒も狩っていることになるのかしらね、そういう話も聞いたことあるから――」

 ニーナが瞳を伏せた。

 ニーナは勇猛果敢な戦士であるが、ひとの死を好んでいるわけではない。

 もっとも、ニーナの視線の先で死んだのは、ひとではなかったようだったが――。

「あの男の動きは屍鬼じゃなかったな。そうなると、布教師どもが殺したのは吸血鬼ヴァンパイアか――」

 まだ屍鬼の魔導師アンデッド・メイガスの一件は終わっていない――。

 以前、ツクシは吸血鬼がネストに関係した痕跡を発見した。

 ツクシが横目でゴロウを見やった。

 ゴロウは焼けた鬼瓦のような形相になっていた。ゴロウはエリファウス聖教会に籍を置いていた時期がある。何が理由でその聖教会から離れたかを、ツクシがゴロウに訊いたことは一度もない。

 訊いたことはないがな。

 ま、訊くまでもない――。

 ツクシは首を失った吸血鬼ヴァンパイアへ視線を戻した。

 吸血鬼の流した血は、ひとと同様に赤いものだった。

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