五章 香る光の処女
一節 西方からきた王女
『スリサズ』は、カントレイア世界で『三世』だとか『3』だとか『参』だとか、おおむねは数字の『三』を表す古い言葉である。これは
本日、ツクシたちが配属されたのはスリサズ組だ。
そのスリサズ組へ振り分けられたのは作業階層は地下五階層になる。
エイシェント・オークに襲撃を受けた地下六階層と地下七階層の輸送作業は兵員が担当しているらしい。今回は二階層分の人手が不要になったので、今朝方に行われたネスト・ポーターの募集は普段よりも数が少なかった。それでもツクシたちは悠々と仕事にありついた。ひとの口に戸は立てられぬものである。異形種――エイシェント・オークの出現の噂は、瞬く間にネスト・ポーターの間へ広まった。それどころか、もう王都の住民の話題にも上がっている。ネスト・ポーター希望者は激減した。
ネスト地下五階層は地下六階層と同様、石牢の大迷宮の様相だ。スリサズ組はその輸送路を下りエレベーター・キャンプを目指して進行中である。この時点でスリサズ組はキャンプ間一往復の輸送業務をすでに終えている。疲労が蓄積しているのに加えて、先日に発生した異形出現がネスト・ポーターたちの心と足取りを重くしていた。だが、その隊列の先頭を行く四輪荷車第一班に配属されたこの八人だけは、大声でやかましく雑談を交わしながら荷を進めている。これがツクシの班だ。
ツクシの班は若い女性が四名(獣人♀の一名もこれに含む)も入った構成なので、どうしても口数が多くなる――。
苔むした石壁を眺めながら、金髪を編み編みお団子にした美少女が、背で右手と左手を組んでふらふらと歩いていた。お散歩をしているような態度の美少女の後ろで、リュウは苦虫を噛み潰したような顔を見せている。四輪荷車の荷を引くフィージャも無い眉尻を下げて困り顔だ。
痺れを切らしたような形だった。
「シャオシン、ゴロウが疲れているみたいだぞ。荷押し役を代わってやれ。輸送が始まってから、お前は一回も荷に触っておらんではないか!」
リュウが金髪美少女――シャオシンへ忠告した。
「下賎の仕事をするのはお断りなのじゃ!」
シャオシンがリュウをきゅっと睨んだ。しかし、シャオシンは声も容姿もまだ幼く、目を吊り上げて怒りを見せても全然迫力はない。
「ご主人さま、仕事をするひとを下賎といってはいけません」
フィージャはむっと無い眉を寄せて、それでも穏やかな口調で窘めた。
「とにかく、いやなものは、いやなのじゃ」
シャオシンが視線を落とすと、柔らかく伸びた
「ネストに来たいといったのはシャオシンだろう。いいからやりなさい」
リュウがプイと斜め下を向いたシャオシンをじっと見つめた。
「わらわは働きたいわけではないわ、家にひとりで閉じ篭っているのは退屈なのじゃ!」
シャオシンは下を向いたままわがままを吼えた。
そのわがままがキャンキャン石畳の路面を飛び跳ねる。
「まァ、
四輪荷車を押すゴロウの声は疲れていた。
その横で荷を押していたツクシが髭面を見やった。
ゴロウのどんぐり眼の下に濃い紫色のクマがある。
「ほぉう、この赤髭野郎はマジで疲れていやがるのか、ざまあみやがれ――」
ツクシが周辺に聞こえるように呟いて口角を歪めた。
ゴロウはツクシへ髭面を向けて歯を剥いた。
そのまま殴り掛かりそうな気配だ。
するする下がってきたシャオシンが、
「わらわは十四歳じゃ、
「俺ァ、ゴロウだ、クソガキ!」
ゴロウが赤鬼のような髭面をシャオシンへ向けた。
「――し、し、知らんわ!」
プイと横を向いたシャオシンがキャンと鳴いた。
身長百五十センチ弱の細い身体が小刻みに震えている。
怖かったらしい。
「すいません、ゴロウさん、気を悪くなさらないでください。そういう態度はよくないですよ、ご主人さま」
フィージャの声色は深刻なものだったが、シャオシンはツンツンプンプンそっぽを向いている。
「それだけは、ゴロウがいう通りだぜ。今、ネストは危険だ。あの異形種をエイシェント・オークとかいったか。あいつらの危なっかしさは屍鬼やファングの比じゃあねェ。それに、今日はリカルドさんもいないからな」
ツクシが顔を歪めた。
「すまん、ツクシ。俺たちも散々止めたんだがな。いい出すと聞かんのだ、うちのお姫様は――」
「ツクシさんと一緒の班ならば安全ではないかと。すいません、私どもの勝手な考えで――」
リュウとシャオシンが同時にツクシへ謝った。
両方、声が暗い。
「俺に謝られてもなあ――ん? 何で俺と一緒だと安全なんだ?」
ツクシが眉根を寄せたところでシャオシンが真横にきた。
かなりすばしっこいな、この
ツクシが横目でシャオシンを見やった。顎がほっそり尖った小顔を向けて、シャオシンは視線を返している。透けるような白い肌だ。まぶたは皮膚の裏を巡る青い血の色で染まって化粧なしでも天然のアイ・シャドーになっていた。シャオシンは透けるような白い肌の女の子なのだが、ツクシがいた元の世界の白人――コーカソイドとは違って、顔にある凹凸は滑らかだ。これはウェスタリア大陸人特有の美少女である。神秘的な雰囲気すら漂う美少女が不機嫌なツクシの横顔を興味深そうに見つめている。
「――クジョー・ツクシとかいったな。お前は、サムライ・ナイトなのじゃろ?」
しかし、喋りだすとシャオシンは残念な感じの美少女だった。
「あのな――」
ツクシの視線が少女の美貌から外れて落ちた。
「お前、サムライ・ナイトの剣術を使うそうじゃな。わらわは興味があるぞ。ひとつ見せてみよ」
シャオシンは興味を持続している様子である。
リュウかフィージャが余計なことをこの小娘に吹き込んだな――。
ツクシはとりあえずの形で近くにいたリュウを睨んだ。流れるような動きでリュウは視線を外した。どうも、このわがままで好奇心旺盛な美少女に妙なことを吹き込んだのは、リュウのようだ。
ツクシはリュウの横顔をしばらく睨んだあと、
「――あのな。俺のひときり包丁は、叩き斬る対象がないと
諦めたツクシが自分が使う
「コロシアイ? 跳ぶ? ミキリ? 一体、何のことじゃ? わらわに詳しく教えるがよい、興味があるぞ」
シャオシンが食い入るようにツクシを見つめた。
ああ、もう、面倒くせェな――。
ツクシはうなだれた。
「――シャオシン!」
大声で呼びかけたリュウが、
「サムライ・ナイトに向かって失礼だろう。サムライ・ナイトが扱うカタナの
リュウは厳しい口調で真面目腐った顔だった。
「ええ、それに、サムライ・ナイトは礼節を重んじると聞きます。そんな態度だと、ご主人さまはきっと『ハラキリ』されて『ゲイシャ』ですよ。いいんですか?」
フィージャもリュウに加勢した。
「ふん、
プイッ、ツーン、とシャオシンがわがままを吠えた。
「お前ら、あのな。それ、たぶん、全部、間違えてるからな――」
うつむいたままのツクシが口のなかでブツブツ文句を並べた。リュウとフィージャがいくらいってもシャオシンは反省する気配がない。いよいよ怒ったリュウがシャオシンの腕をガッシと捕まえてガミガミと説教を開始した。シャオシンはリュウから顔を背けて細い身体をくねらせ自分の不満を不貞腐れた態度で表明している。フィージャが穏やかな口調で、しかし獣耳をぺたんと折って、激昂するリュウを定期的に制している。
「はあ、うるせェなあ、もう――」
ツクシが溜息を吐いた。
「賑やかね――」
四輪荷車の脇をガシャンガシャン歩いていたニーナがツクシへ顔を向けた。
ニーナの顔にいつもの元気がない。
「ああ、女が数を揃えると本当にうるせェよな――ところで、ニーナ、リカルドさんの具合はどうだったんだ?」
ツクシが訊いた。
本日はリカルドが病欠である。
「――ん。明け方に少し咳が出ただけだから」
ニーナの顔に笑みがない。
「おい、ゴロウ。ちゃんとリカルドさんを診てやったのか?」
ツクシが唸った。
「あァ? 気軽にいいやがってよォ。昨日の夜は大変だったんだぜ。グェンたちに引っ張りまわされるわ、明け方になったらニーナが血相を変えて駆け込んでくるわでなァ。俺ァ寝不足だよォ。ふぁあァ――」
ゴロウは大あくびを挟んで、
「――まァ、リカルドさんの容態は安定しているから心配ねえよ。肺腐熱の症状は日によって波があるんだ。ニーナ、親父さんにひどい喀血はなかったんだろ。神経質になりすぎるのもよくねえぜ。薬をちゃんと飲んで、一日寝ていれば落ち着く筈だ」
「そうだけど――」
ニーナは視線を落としたまま頷いた。
「ニーナ、安心しろやい。リカルドさんの病気は悪化してねえよ」
ゴロウが視線を前へやった。
ニーナは返事をしなかった。
少しの間、赤い髭面を横目で眺めていたツクシが、
「――なあ、ゴロウよ」
「ふぁあァ?」
ゴロウが大あくびで返事をした。
ツクシは四輪荷車の横へ顔を出して、荷を引くヤマダをが眺めながら、
「ゴロウ、ヤマさんも診てやれ。今日も顔が真っ青だぞ。どうも、あれは過労だろ。酒屋の仕事が忙しいのかもな。ヤマさん、俺がいくら訊いても何もいわないんだ。
ツクシは心配そうにしている。普段、表面に感情の出辛いこのオッサンが、こんな態度を見せるのは非常に珍しい。
「あっ、ああよォ。まァ、ツクシ。ヤマは何の心配ねえと思うぜ。た、たぶんなァ!」
ゴロウは硬い笑顔だ。
ツクシは胡乱な目でゴロウの引きつった笑顔を眺めている。
ゴロウはツクシと視線を合わそうとしない。
ツクシたちの四輪荷車へ幻影のように付き添っていた男が、
「ヤマのあれは、女絡みかもな」
「――へえ、そうなのか、ディダック」
ツクシが幻影の男――ディダックを見やった。ディダックは黄ばんだ肌に鷲鼻の、顎がしゃくれた男である。横から見るとディダックの顔は三日月のような形だ。
「女に溺れると、みんな、あんな感じさ――」
黄ばんだ三日月はしわがれた声でそういってツクシへ視線を返した。頭に深緑色のハンチングハットを乗せたディダックは、暗い色のシャツを着て、深緑色のベストを羽織り、背嚢を背負った外見だ。全体的に暗い色合いの服装なので、その上に乗ったディダックの黄ばんだ顔が本当に三日月のように見えた。このディダックは、ゴロウの『
この道具が頻繁に使用されている証拠――。
「ヤマさんが女ねえ――」
ツクシが呟いた。
「ヤ、ヤマが女ァ? そ、そうなのかなァ?」
ゴロウは右目と左目の視線をウロウロと競争させている。
「へえ、そうか、ヤマさんの疲労の原因は女なのか。それなら、俺の出る幕じゃねェよな」
女が絡むと面倒だ――。
ツクシがうつむいて口角を歪めた。
「でも、本当にフラフラしてる。ヤマさんの彼女、悪い女じゃないといいのだけれど――」
ニーナが眉を寄せた。フィージャの横で左右に体を揺らしながら、ヤマダは補修された銃が満載された四輪荷車を引いている。
少し沈黙があったあと――沈黙といっても、まだリュウとフィージャはシャオシンへお説教を続けているのだが、
「そ、そんなことよりよォ、じきにエレベーター・キャンプだぜ。おめェら、今夜はどうするんだ?」
ゴロウがいった。
「ああ、失踪兵士の探索か――」
ツクシが顔を歪めた。
「自分はいつでもいけるっすよ!」
ヤマダが気合の乗った返事をしたが賛同するものはいなかった。
「――ヤマさん、素直に賛成はできないわ」
ニーナが無言の総意を代表した。
「そうっすよねえ――」
ヤマダがカクンとうなだれた。
「私たちも――」
フィージャが獣耳を折りたたんで、隣で荷を引くヤマダを見やった。
「シャオシンがいるから無理はできん。力になれなくてすまん――」
リュウはまだシャオシンの腕を捕まえたままだ。
「なんじゃ? なんの話なのじゃ? わらわに教えるがよい!」
シャオシンは神秘の美貌を左右に振って、四輪荷車第一班の面々を見回した。
みんなシャオシンから顔を背けている。
相手にするのが面倒だ、そういう態度である。
「気にするな、リュウ、フィージャ。
ツクシがいった『
シャオシンがツクシを「キイ!」と睨んでいる。
ツクシのほうは、シャオシンの羽織っている武装ハーフ・コートの前からはだけて見える、こげ茶色の革鎧の胸元へ――年齢相応の胸元へ視線を突き刺して口角を歪めた。シャオシンが不機嫌で邪悪なツクシの笑顔を本気で睨みだした。シャオシンの鼻息がフーフーと荒い。ツクシはフフンと大人の余裕を見せている。
「ああよォ、確かに金は惜しいが――ネストを探索中に
ゴロウが結論を出した。
「おい、何かがこっちへ来るぜ」
口数が少ないディダックの発言に周囲は注目した。
「どうした?」
ツクシが鼻先を動かした。
「ツクシさん、足音がします。進行中の大通路の北東――脇道の奥からですね。大人数が走っていますよ」
獣耳を立てたフィージャは輸送路の奥を見つめている。
「へえ、ディダックはフィージャ並の地獄耳だな。奥で動いてるのは例の異形種――エイシェント・オークか? 以前のように臭いはしないが――」
見えなかったら、また水をぶちまけてみるか――。
ツクシが後ろへ視線を送って隊列の中央付近にいるネスト行商を確認した。
行商の屋台は飲み物の樽を満載している。
「いえ、ツクシさん。移動している足音からすると、体重はヒト族か、それ以下ですね。数は――かなり多いですよ。二百近くいる――」
フィージャは首を捻った。
「体形はヒト族に近い――屍鬼は最近見なくなったし何者なんだろう?」
ヤマダが荷を引く手を止めた。輸送隊列の進行方向から大人数で騒ぐ声が、ヒト族の耳にも聞こえている。
そのうち、輸送隊列の全体が停止した。
「お、おい、おめェら、こりゃあ、失踪した兵士かもしれねえぞ!」
ゴロウも目を丸くして動揺した様子を見せているが、これは恐怖で動揺しているわけではなさそうだ。
「ゴロウ、そうじゃないでしょ。だいたい、私たちは輸送中だから追えないわよ。失踪した兵士を探索できるのは、あくまで休憩時間の最中だけなんだから。念のため、戦闘の準備をしておきましょ。ネスト・ポーターたちが動揺しているわ――」
ニーナが背から突撃盾を下ろして左腕部へ装着した。
「くっ、そこを何とかならないんすかね!」
狩人弓を手にとったヤマダは顔を真っ赤にしている。
この男もゴロウ同様、欲ボケをしている様子だ。
「やっぱり、こっちへ来ているぜ」
ディダックが呟いた。
「フィージャ、こっちへ近づいてくるのは、エイシェント・オークとは別の種類の異形種なのか?」
異形種には種類がある――自分の背嚢を四輪荷車の上へ放り投げたツクシは、ジークリットが漏らした情報の断片を思い出した。
「これが異形種なんでしょうか――こちらへ走ってくる『何者かの集団』の匂いは――ナッツだとかフルーツの匂いがします。それに交じって体毛のある獣の匂いですね。これは体臭なんでしょうが――判断がつきかねます――」
フィージャが両手に
「フィージャの耳と鼻を使っても敵の正体がわからんのか。みんな、警戒を怠るなよ」
リュウは厳しい顔で竜頭大殺刀を手にとった。
喧騒の聞こえてくるほうを、興味津々の様子で見つめていたシャオシンが、
「ねずみじゃ、ねずみじゃ!」
輸送路の横っ腹の脇道から、二足歩行する巨大なねずみが、チュウチュウ大量に出現して、チュウチュウとツクシたちの視線の先を横切ると、向かいの脇道の道へチュウチュウと駆け込んでゆく。
ヒト型ねずみの群れは何やら急いでいる様子だ。
「――ああ、あれは間違いなく、ねずみだよな」
ツクシが不機嫌に憮然といった。
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