八節 姿無き殺戮の徒(壱)
下りエレベータ・キャンプに入場したところで、アンスール組を警備していたアヴジェーンコ輸送警備小隊のフィリップ特務軍曹が触れて回った。
「荷降ろしは明日の朝でいい。夜間の休憩へ入れ」
ネスト・ポーターの総勢三百名が、各々好きな場所に座り込んで夕食をとりはじめる。
「荷下ろしを明日に回したってことは、下からの荷がまだ上がってきてないのか――?」
導式エレベーター付近の荷置き場を見やりながら、ツクシはオニオン・スープの深皿に直接口をつけた。味噌汁を飲む要領だ。深い木皿に入った赤唐辛子入りオニオン・スープと、そのスープへ突っ込まれたボイルド・ソーセージに黒いパン。これがネスト行商が売った夕食だった。車座になって同じ夕食を食べるツクシたちの表情は、どれも和やかなものなので、どうやら今回の食事は当たりのようである。
「やだ、また導式エレベーターのトラブル?」
ニーナがちぎった黒パンをオニオン・スープに漬けて眉を寄せた。
「フム、兵士の様子を見ると、そうでもなさそうだが――」
リカルドはワイン(※低アルコール)の杯を傾けている。
「兵隊さんはのんびりしたもんだよなァ。まァ、下の階の連中が怠けてるんだろうぜ。最近、少したるんでるんじゃねえのか、全体的によォ。おっと、結構、熱いなあ、このスープ――」
ゴロウが顔をしかめた。
「荷置き場に死体袋が並んでるよりは、いいっすよ」
ヤマダは黒パンで頬を膨らませている。
「まあ、それは、違いないナ」
ギュンターが深皿のオニオン・スープをスプーンですくいながら顔のシワを増やした。これは笑ったようだが、ギュンターは重ねた年齢の所為なのか、はっきりと表情が顔に出てこない。
「あの死体袋の山を見たときは驚いた。噂に聞いてはいたが――」
リュウは背嚢を漁っていた。
「死人を運ぶのは気が滅入りますからね――キャン!」
フィージャが仰け反った。てふてふと長い舌を突きだして、フィージャは涙目である。スープが熱かったらしい。
猫舌とはいうが、狼の場合は何というのだろうか――。
夕食を食べる手を止めたツクシたちは、じっとフィージャを見つめている。
「――ん? リュウ、随分と大きな
気を取り直して、ツクシが瓢箪へ目を向けた。
リュウが背嚢から取り出したものである。
「ヒョウタン――栓がついてるってことは水筒か。リュウ、それは何が入ってるんだ?」
ゴロウが顎鬚に手をやった。
「お近づきの挨拶だ。やるか?」
リュウが口元に締まった笑みを湛えて一同を見渡した。
「酒なら断る理由はないよな」
ツクシの口角がゆるんだ。
「ウェスタリア大陸のお酒っすか。自分も酒屋の端くれですから興味ありますねえ、それは――」
ヤマダが身を乗り出した。
「おっ、酒かァ!」
ゴロウが吼えた。
横に座るツクシは耳鳴りで顔を歪めている。
「おお、飲ませてくれるのかナ」
ギュンターが糸眼で弧を描く。
「フ、フム、さっ、酒とな――」
リカルドはもう落ち着かない様子だ。
「お父様、ダメよ」
ニーナが眉尻を吊り上げているが、リカルドは気づかないフリを通している。
「よし、ゴロウ。屋台からコップを人数分調達して来――あの野郎、もう行ってやがる」
ツクシが声をかけたときにゴロウはもういない。ネスト行商の屋に取りついて、ゴロウは酒の器を調達しようと交渉している。
ツクシはリュウへ顔を向けて、
「それは何という酒なんだ?」
「
リュウは瓢箪を愛おしそうに眺めつつ栓を抜いた。
「あの大きな酒の壺を運んできたのは私ですけれどね――」
運んだ酒の壷がよほど重かったのか、フィージャは恨みがましい口調だった。
「へえ、匂いは紹興酒に近いな――」
ツクシの鼻先がヒクヒク動いている。
「そこからでも匂いがわかるのか。ツクシは本当に鼻がいいんだナ――」
ギュンターが糸眼を開いた。ツクシたちは八人で車座を作っているが、ツクシとリュウは対角線上にある場所に座っていて距離は近くない。
「お酒だけには一生懸命だよね、ツクシって!」
ぷんっと鼻息を荒げたニーナがツクシへ目を向けた。
ツクシの目はリュウの瓢箪に釘付けである。
「ツ、ツクシよ、どのそうな匂いなのだ、我輩に教え――」
ヤマダが落ち着きのないリカルドの発言に被せて、
「――紹興酒。リュウさん。それって、もしかして米から造る酒っすか?」
「お、知ってるな、ヤマ。そうだ、米なのだ。タラリオンでは米がなくてな。他は特別な不自由をしていないのだが、その点だけ参っている。毎日毎日パンばかりでは腹に力が入らんよ――」
そうこぼしたリュウはパンよりお米派のようである。
「へえ、リュウ、お前の
ツクシもお米派なのでリュウの気持ちはよくわかった。
「ウェスタリア大陸の南部は稲作地帯なのだ――」
「もうひと月もすれば、
途端、リュウとフィージャの瞳が遠くを見やった。
馬鹿な男だぜ、俺は――。
自分を罵りながらツクシは顔をしかめた。
あの二人の山男の瞳も今のリュウやフィージャと同じ感情の色を浮かべていた――。
「――リュウ、フィージャ、余計なことを訊いたみたいだな」
ツクシが声を落とした。
「いいんだ、ツクシが謝る必要はない」
「気になさらないでください。ツクシさん」
リュウとフィージャは笑っているが、その瞳はまだ故郷の残像を映したままだ。
「――口を閉じて聞け、ネスト・ポーターども!」
エレベーター・キャンプに怒声が響き渡った。
怒声が続く。
「先日に通告した通り現時刻からバリケードを開放する。エレベーター・キャンプを出て失踪兵士探索を行う者は、各班長がアヴジェーンコ特務少尉へ報告し、指名手配書を受け取れ、以上だ!」
エレベーター衛兵の隊長、ボーグナイン曹長の咆哮が喧騒を制圧した。怒声を発するために生まれてきたようなこの叩き上げ軍人は地下六階層の名物男である。
「バカでかい声の野郎だな――」
ツクシは呆れ顔でボーグナイン曹長を見やった。
エレベーター衛兵隊は王国正規軍から出向する形でネスト管理省に所属しているので軍隊の規律がある。ネスト・ポーターの輸送隊列に追随する小隊は、ネスト管理省から派遣される名誉尉官が率いる予備役兵で構成されている。この彼らは元々省庁や区役所の行政員(※タラリオン王国における公務員)なので、いざ戦闘となるとほとんど頼りにならない。実際、アンスール組を警護する輸送警備小隊の隊長――アヴジェーンコ特務少尉は周囲に群がってくるネスト・ポーターへ面倒そうに対応していた。それでも、アヴジェーンコ特務少尉はこの場にいる兵員のなかで階級が一番上になる。
王国軍の戦力がよほど不足しているのか。
それとも、ネスト管理省――元老院が軍にネストの対応をさせたくないのか。
どっちにしろだ。
以前、ゴロウやジークリットがいっていた通り、ネスト管理省はかなり面倒な構造になっているのだろうな――。
ツクシが眉根を寄せていると、手配書を片手に戻ってきたゴロウが、
「おっしゃ、すぐ行くぞ。準備しろ、おめェら!」
ツクシが知らないうちにゴロウが受付を済ましてきた。
「おっ、例の失踪兵士探しか。お前さんたちは元気だナ」
そういいながらも、ギュンターが一番最初に立ち上がった。年齢は四十を半ば越えているらしいが、この中年男も元気なものである。
「だが、今日はもう夜遅いし、リュウの酒がだな。ゴロウ、知ってるか、紹興酒。いや、こっちだと華香酒っていうのか。独特の香りがあるんだ。薬臭いっていうひともいるが、角砂糖を入れて飲むとな――」
ツクシは酒への未練を垂れ流している。
「ええ、すぐ行きましょう、ゴロウさん!」
ヤマダがスックと立ち上がった。
「ヤ、ヤマさん、今日はどうしちゃったの、随分とやる気があるみたいだけど――?」
ニーナは目を白黒させた。
結構、失礼な態度である。
「――自分、金がどうしても要るっすよ」
ヤマダの黒ぶち眼鏡のレンズがギラリと光る。
ヤマさん、そんなに金欠だったのか――。
ツクシとニーナは殺気立つヤマダを凝視した。
「そうか、みんな疲れ知らずだな。さすがはネスト・ポーターの先輩たちといったところだ――よし、俺たちも行くぞ、フィージャ」
リュウが背嚢へ瓢箪を戻して立ち上がった。
「そうしましょう、リュウ。金銭が必要なのは私たちも同じですから」
フィージャも白い牙を見せながら立ち上がった。
「おら、ツクシ、ちんたらしてるんじゃねえ!」
まだ座っていたツクシはゴロウに怒られた。
「んー、私たちも行こうか、ツクシ?」
ニーナが促しながら腰を浮かせた。
「リカルドさんはどうす――」
ツクシが見やると、リカルドはすごく悔しそうな、かつ暗い表情で、さらに下唇を噛みながら真下を向いていた。
リカルドさんには荷物を見ていてもらおうか――。
酒を諦めたツクシが渋々と立ち上がると、リカルドも幽鬼のように立ち上がった。結局、リカルドも探索に参加するようだ。バリケードの周辺に集まったネスト・ポーターたちが上げる気炎でエレベーター・キャンプが騒がしくなった。ツクシが見回すと、この場にいるネスト・ポーターの半数近くが失踪兵士探索に挑戦するようだ。もっともネスト・ポーターの補佐役――子供や女、老人などはほとんどがエレベーター・キャンプに留まっていた。
「結構、やるひとが多いっすね――」
ヤマダが周囲を睨んだ。
その眉間に深い谷ができている。
案外、ヤマさんは金に意地汚い人間なのか――。
表情を消したツクシがヤマダを眺めている。
「ツクシ、これが手配書だ。じきにバリケードが開くぜ」
ゴロウがツクシへ小冊子を渡した。
「へえ、かなり多いな、もう百人近くの兵士がネストで失踪しているのか――」
ツクシが呟いた。小冊――失踪兵士の手配書は、ネストで失踪した兵士の似顔絵と一緒に身体的な特徴が細かく書き込まれた、指名手配犯カタログのようなものだった。
「百人つってもなァ。ほとんどはネストのなかで死体になってるだろうぜ。死体は犬が食っちまうんだろうし、綺麗に残っているかどうかは怪しいもんだ――」
ゴロウも手配書を覗き込んだ。
立ったまま柔軟体操をしていたリュウが、
「失踪兵士の死体を発見しても賞金はでるのか?」
リュウはつま先に頭がつきそうな体勢だ。
「ええ、ちゃんと出るわよ。それは登記所で確認したわ」
ニーナは導式機関仕様重甲冑を着こんでいる。
その横に白い導式重甲冑姿のリカルドも視線と顎と肩を落として佇んでいた。
「探し物なら私の鼻が役に立ちますよ」
フィージャが白い牙を見せた。
ギュンターが狼の顔を見やりながら、
「これはいけそうな気がしてきたナ」
「手配書にはネストの各階層地図も付属してるが――でも、かなりいい加減だぞ。使えんだろ。ネストは似たような光景が続くしな――」
ツクシが顔を歪めた。
「これがあるからよォ。心配すんな、ツクシ」
ゴロウが懐から小さな八卦鏡のようなものを取り出した。
「ああ、前にも見たな、それ」
ツクシがいった。ゴロウが持っているのは地形を記録して立体地図を投射することができる導式具――
「ああよォ、ネストのなかで迷った場合のことを考えて買っておいたんだ。ようやく陽の目を見そうだぜ。こいつの地図は現在地も表示されるからな。これで迷うことは絶対にねえ」
ゴロウは歯を見せて笑った。
ツクシは無言で鼻先が動かしている。
ゴロウが怪訝な顔になった。
「――
突然、ツクシが怒鳴った。
「グルル!」
フィージャが応じたように牙を剥いた。
「急に、どうした、おめェら!」
ゴロウが目を丸くして、ツクシとフィージャの獣のような面構え――もっとも、片方の顔は完全に狼である――を交互に見やった。この場でツクシとフィージャが殺し合いを始めるのかとゴロウは錯覚したのだ。しかし、二匹の獣は同じ方向――バリケードの隙間から見える通路の奥を睨んでいた。
「フィージャ、どうしたのだ?」
リュウの声に狼狽している様子はないが緊張はあった。
「リュウ、ひとの血と獣の匂いです。複数の『何か』がエレベーター・キャンプに接近しています。北のバリケード方面から――」
フィージャの鼻先がふんふん動いている。ツクシたちはバリケードに目を向けた。エレベーター衛兵隊何人もの手でバリケートは開かれようとしている。そこに失踪兵士探索に参加するネスト・ポーターのひと集りができていた。
「いや、何かっていわれてもよォ――?」
ゴロウが頬髭をさすった。
エレベーター・キャンプ周辺は導式灯が多く設置されているので視界は良い。
しかし――。
「――何も見えないナ。ネスト・ポーター連中に視線が遮られているのもあるけどナ」
ギュンターが眉間にシワを寄せた。
「自分、目はあまり良くないんすよねえ――」
ヤマダは苦笑いである。
「えー、気のせいじゃない?」
ニーナが小首を傾げてツクシとフィージャへ視線を送った。
「ウム、見たところは何の異常もなさ――」
視線の先の光景にリカルドは――ツクシたちは言葉を失った。
血が吹き上がって散った。
バリケードを開こうと力んでいたエレベーター衛兵の首筋に斧槍の刃が叩き込まれた。首を薄皮一枚残して切断されたその兵士は悲鳴も上げずに倒れた。付近にいた兵兵が何の前触れもなく死体になった同僚をぽかんと眺めている。その兵士の顔面に斧槍の穂先が食い込んだ。また衛兵が一人、悲鳴を上げる間もなく倒れた。双方とも倒れたまま動かない。ネスト・ポーターが騒ぎだした。混乱はすぐにエレベーター・キャンプ全体へ伝播して怒号と悲鳴が上る。犠牲者は増え続けた。開きかけたバリケード付近中心に死体が次々出来上がる。
兵士天幕前で配給食を食べていたアヴジェーンコ特務少尉が、
「しょ、小隊、集合! 集合だ! 隊列を組んで銃構え――」
底力がないその命令は喧騒にかき消された。
その近くにいたボーグナイン曹長が、
「アヴジェーンコ輸送警備小隊、並び、地下六階層下りエレベーター衛兵隊は集合! 横二列に隊列、北バリケード方面に向けて銃構えつつ警戒!」
ボーグナイン曹長のほうへ混乱していたエレベーター衛兵隊とアヴジェーンコ輸送警備小隊が駆け寄ってくる。
「――で、でも、ボーグナイン曹長。俺たちは『何を』攻撃すればいいんですかね?」
息を切らしながら訊いたのは、アヴジェーンコ輸送警備小隊の副隊長、フィリップ特務曹長だった。
「敵は間違いなくいる。銃構え、警戒だ!」
ボーグナイン曹長はフィリップ特務曹長の顔を睨んだ。睨んだ先のフィリップ特務曹長は血反吐を吐きながら倒れた。その首筋を自分の腰にあったサーベルが刺し貫いている。周辺に集まっていた兵士は死体になったフィリップ特務曹長を見て――正確にいうと、その常軌を逸した殺され方を見て女のような悲鳴を上げながら、思い思いの方向へ逃げだした。ボーグナイン曹長だけは死んだフィリップ特務曹長を睨んだままその場に留まっている。
襲撃している敵の姿がここにいる誰の目にも見えていない――。
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