七節 狼面人と武人、それに落ち武者

 石材と石材の繋ぎ目から水が染み出して、大気は冷湿り気を帯びている。

 苔で覆われた石壁を眺めながら、この巨大な地下迷宮を誰がどうやって作ったのか、ツクシは疑問に思った。もっとも、時代を経たであろう石壁や高い石造りの天井を観察しつつ、ツクシが無い知恵を絞るのは今日が初めてではない。前にもネスト地下六階層での輸送作業に従事した際、ツクシはこの光景を目にしている。

 まあ、この世界で見るもの聞くものに逐一驚いていたら身が持たん。

 ここらで考えるのはやめておくか――。

 諦めたツクシは視線を落とした。足元は石畳で舗装されている。道幅は上の階層よりもまだ広い。ネストの地下四階層から下は石材で作られた巨大迷宮のような光景だった。まだツクシは見たことはないが、地下七階層から下はさらに凝った景色になると聞く。

 一体、ネストとは何なのだ。

 古代遺跡か何かなのか――。

 考えまいとしても疑問が湧き出てくる。

 四輪荷車を押しながらツクシはまた溜息を吐いた。

「ツクシさん、疲れたのなら私が代わりましょうか?」

 左右非対称の色を持った獣の目がツクシをじっと見つめている。右が青色で左が金色の瞳である。

「お、おう。き、気にするなよ、フィージャ――」

 ツクシは呻き声で応えた。

「いえ、代わりましょう」

 ツクシに語りかける顔は白と暗い灰色の獣毛でもふもふ覆われていた。鼻面は長く前方へ伸び、三角形の獣耳を持ち、口は奥まって大きく裂けている。

 これは狼の顔である。

「いっ、いや、いいんだ、本当に――」

 ツクシが口篭った。

 四輪荷車の横を歩いていた白髪のチョンマゲが、

「ツクシ、遠慮せずに使えばいい。フィージャの体力は底なしなのだ。ヤマも疲れているように見えるぞ。フィージャと荷の引手を交代したらどうだ?」

 チョンマゲでも月代はない。

 白い長髪を頭のてっぺんで縛って、それを長々と後ろへ垂らした髪型の人物だ。

「だっ、大丈夫っすよ、リュウさん。自分、荷車を引くの慣れてるっすから――」

 ヤマダがチョンマゲの人物――リュウへ顔を向けた。確かに、リュウがいった通り、今日のヤマダは顔色が悪い。ヤマダの苦い笑顔から常日頃なら多少は存在している生気がごっそり抜け落ちていた。

「ヤマ、無理はするナよ」

 そういったのは、ヤマダの横で一緒に荷車を引いている落ち武者氏である。この落ち武者氏は今朝方、ツクシたちへギュンターと名乗った。そのギュンターが心配そうにヤマダの顔を見やっている。ギュンターの頭は月代のように見えるが、これは剃っているわけではない。ただのハゲである。

「ツクシさん、ヤマさん、リュウのいう通りですよ。遠慮をなさらないで」

 狼のヒト型はほぼ全身が獣のそれだが口調は穏やかだ。

「あ、ああ、じゃあ、頼もうかな。悪いな、フィージャ――」

 ツクシは狼のヒト型――フィージャの申し出を遠慮がちに受けた。

「同じ班にいるのだから、遠慮しないでください、ツクシさん」

 フィージャが白い牙をぎらりと見せた。

 これは、笑っているのか、脅しているのか――。

 ツクシは硬い表情のまま荷押し役をフィージャと交代した。フィージャの横で四輪荷車を押しているゴロウが真横にきた獣面をちらちら盗み見ている。

 ツクシの横にニーナが寄ってきて、

「ツクシ、リュウもフィージャも結構、いいひとたちだよね?」

 小声である。

「まあ、そうみたいだな。だが、リュウはともかく、フィージャは『ひと』の範疇に入れていいのか?」

 ツクシも声を低くした。

 ああ、いや、声を小さくしたところで、あの獣耳相手だと意味がないのかな――。

 心配になったツクシが横目でフィージャを見やった。

 フィージャは荷を押しながらてふてふ舌を突き出していた。

「ウム、ツクシよ。フィージャは学術的にいうと人類種フェンリル属になる。それゆえ、これは『ヒト』と称しても広義では問題ない。しかし実際、我輩もこうしてフェンリル族を目の前にするのは初めてだ。長生きはしてみるものよなあ――」

 リカルドがフィージャをまじまじと見つめた。

「フェンリル族がそんなに珍しいのか?」

 リュウが白い眉を寄せた。だが、珍しいものだからこそ、ここにいる面々はフィージャをしげしげ眺めているのである。そのフィージャがふいに狼の顔を上げて、その鋭い牙を「カッ!」と一同に見せつけた。

「あひえっ!」

「ナナッ!」

 後ろへ顔を向けてフィージャの様子を窺っていたヤマダとギュンターが飛び上がった。

「お、おう、そんなに怒るなよ、フィージャ。俺たちが悪かった」

 ツクシの顔を引きつった。

「フィージャさん、ごめんごめんね、ジロジロと見ちゃって――」

 ニーナは狼狽している様子である。

「ムウ、すまぬ、フィージャよ。我々が無神経だったか――」

 リカルドは視線を落として反省している。

「い、いや、悪気はねえ、ねえからよォ――!」

 荷を押すフィージャの横で、目を丸くしたゴロウは冷や汗をかいていた。

「ああ、いえ、その――」

 獣耳を伏せたフィージャが、「くぅん」と鳴きながら下を向いた。

「みんな、それはフィージャの笑顔だぞ。ま、確かにわかりにくいな」

 リュウが呵々カカと短く笑った。


 今朝方のネスト管理省庁舎へ時間が戻る。

 ツクシたちは登記所の列に並びながら例の賞金――失踪兵士探索の件について、

「ああでもないこうでもない、取り分が減るからお前は帰れこの野郎」

 だのなんだのと、半ば喧嘩腰で――おおむね、いがみ合っているのはツクシとゴロウである――作戦を練っていたところ、フィージャから声をかけられた。仰天して身を固めたツクシたちの前で、フィージャとその横にいたリュウが自己紹介をした。

 フィージャ・アナヘルズは身長二メートルを超えるフェンリル族の女性で、狼の顔と獣毛に覆われた身体――女性らしく胸もある――の獣人だ。フィージャの全身は獣毛でもふもふ覆われているが衣類はちゃんと着ていた。その上に鎧を装着している。革と金属の素材を組み合わせて作られた赤い大鎧だ。これは袖(※肩の部分)やスカート状になった草摺が段を紐で結わえる構造になっていて、タラリオン王国ではあまり見られない形状のもの。黒い腰帯から戦闘爪バグ・ナウをぶら下げて、下は太ももに余裕のある黒ズボンを履いてる。足元は赤い脛当てにかなり大きめのブーツだ。

 劉雨華リュウ・ユンファ――リュウは身長百六十五センチの目元も艶やかな麗人だ。リュウは白い髪を頭のてっぺん付近で縛って、チョンマゲのような髪型をしている。訊くと年齢は二十代の半ばということだったので、どうやらこのきらきらとした髪は生まれ持ったもののようだ。リュウは山吹色の武装ハーフ・コートを羽織って、その下に黒い道着のようなものを着込んでいた。足元は功夫靴クンフー・ブーツだ。このリュウの背にある武器が異様だった。弓のような形の刃渡り一メートル以上ある、龍を模した装飾がついた刃物である。弓の弦にあたる部分が取っ手になっていて、どう扱うのやら想像がつかない奇妙な形だった。

「これは『龍頭大殺刀りゅうとうだいさつとう』という名の武具なのだ。相当な功夫クンフーを積まねば扱えぬものだぞ」

 リュウもフィージャもウェスタリア大陸の出身だと告げた。カントレイアの世界地図で見ると、赤道直下で細くくびれて地続きに見える――正確は一番細くなっている地点に狭い海峡があるのだが――グリフォニア大陸とドラゴニア大陸とは違って、ウェスタリア大陸は大内海――輝ける七つの内海で隔離された西方に位置する大陸である。リカルドやニーナの言葉そのままだと、ウェスタリア大陸からグリフォニア大陸を訪れるものはかなり珍しいらしい。

 自己紹介のあと、

「俺たちも失踪兵士の探索を行いたいのだ」

「私どもは二人で人手が足りないし、ネスト・ポーターとしての経験も浅いので、良かったら、同じ班で活動させてくれないでしょうか?」

 リュウとフィージャがツクシたちへ頼み込んだ。

「お、お前、鼻は利く方か?」

 ツクシは遠慮がちにフィージャへ訊いた。

「それなら、まかせて下さい」

 フィージャは白い牙を見せつけた。

 ほほう、これは猟犬代わりに使えるかも知れんよな。

 どう見たって犬だ、これ――。

 そう考えたツクシたちはフィージャとリュウと一緒に登記することにした。これでツクシたちの班は、ツクシ、ゴロウ、ヤマダ、リカルド、ニーナ、フィージャ、リュウで七人だ。

「人数が中途半端だなァ。八人なら四輪荷車班に納まりがいいんだが――」

 ゴロウが前にもいった台詞をまたボヤいた。ツクシが周囲へ視線を走らせると登記所の列にてっぺん禿の中年男――落ち武者氏が一人でいた。

「ああ、オッサン。オッサンも俺たちとやるか?」

 ツクシが落ち武者氏を誘った。

 誘われた落ち武者氏は、

「それはありがたいナ。俺の名は、ギュンターだ。ギュンター・モールス。まあ、よろしくナ」

 このギュンター・モールスは肌は浅黒く、頭のてっぺんが禿げ上がり、襟足の髪を長く伸ばしているので、落ち武者のように見える中年男性である。あと目立つ特徴といえば、線を引いただけのような糸目。服装は紺色の上下に茶色い作業用ベスト羽織った姿で、これといった特徴がない。武器として槍を持っている。以前、ツクシたちが屍鬼の魔導師アンデッド・メイガスに襲われた際、このギュンターはネスト・ポーターの避難誘導に尽力していた。ツクシたちはギュンターを高く買っている。

 この日、ツクシたちが参加したのはネスト・ポーター・アンスール組だった。

 アンスール組の作業階層はネスト地下六階層に振り分けられた――。


 現在、アンスール組は地下六階層の輸送路を進んでいる。

 この階層のエレベーター・キャンプ間の距離はおおよそで十キロ。積荷の重量にもよるが、二時間半から三時間の時間を要する道程だ。輸送路として使われている大通路には、やはり上層と同じく脇道がある。そこから一匹のファングが顔を見せていた。

「時間が遅くなったな。初日からネストを探索するのは無理か?」

 ツクシが唸った。導式エレベーターを使っても一階層降りるのに一時間半から二時間以上の時間がかかる。下の階層へ行けば行くほど、輸送作業の開始時間も終了時間も遅くなる。アンスール組がエレベーター・キャンプ間を二往復した時点で、時刻は夜の八時を回っていた。

「クソッ、あの犬畜生でも叩き斬って憂さを晴らすか――」

 ツクシが殺気奔った瞬間、「キャイン!」と悲鳴を上げて、ファングは脇道の奥へ逃げ去った。

「残念だが、この時間帯だと厳しいな。無理な疲労を重ねるのは禁物だ。動くべきときに動けなくなる」

 リュウは肌がヒリつくような殺気を察知して、背にある得物――『龍頭大殺刀』へ利き手を伸ばしていた。

「くっそ、仕事が少なくなったといっても運ぶ荷がなくなったわけじゃねえからなァ――」

 ゴロウが唸った。輸送作業を早く終えたいのだろうか。常は肉体労働を嫌いがちな(怠け者ともいう)ゴロウが今日は積極的に荷車を押している。

「ファング、逃げちゃったか。しかし、本当にネストは平和になったっすね。屍鬼がいないと全然違うや――」

 荷を引くヤマダが狩人弓ハンター・ボウを背負い直した。最近のヤマダは頭に鹿打ち帽子ディア・ストーカー、背には弓に矢筒とチムールの遺品でその身を固めている。ヤマダは弓道の経験者なので、弓は彼にとって効率的な武器のようだ。最近は服装も狩人服に作業用ベストを羽織った姿になった。ヤマダは行動もまさしく狩人で、ツクシと競うようにしてファングを射殺いころしている。

「ウム、屍鬼は腐った身体とは思えぬ怪力を持ち合わせておったからな――」

「それでも、まだファングは減らないわね――」

 リカルドとニーナは装備の特性上、荷運びに向いていないので、荷車の脇をガシャンガシャン歩いているだけのことが多い。二人とも暇そうだ。

「ま、ファングは所詮、犬だからナ。警戒していればなんてことは――おっ! すっ、すまないナ、犬ってのはフィージャさん、あんたのことじゃないんだナ!」

 ギュンターが顔を強張らせた。

「いえいえ、気になさらないでください」

 荷を押すフィージャが穏やかな口調で応えた。

「そうだ、気を使うことはないぞ、ギュンター。そもそも、フィージャの祖先は犬ではなく、冥界の大狼――フェンリルということになっているらしい。まあ、ウェスタリアの伝説ではだがな」

 そういって、リュウが笑った。

「しかし、珍しい形の武器だな。バウバウだったか――」

 ツクシがフィージャの腰に二個ぶら下がっている武器に目を向けた。

 三本の鋭い鉄の爪がついた手甲のような武器である。

「ええ、ツクシさん。バグ・ナウといいます。こうして、手にはめて使う戦闘爪ですよ。フェンリル族は手先が器用ではないので、直接手に着脱できる武具を好んで使うものが多いんです」

 フィージャが両手に戦闘爪バグ・ナウを装着して白い牙を見せた。

「おっ、おう。そうか、それ、そう使うのか――」

 フィージャは笑っているのか、威嚇しているのか、どっちだ――。

 ツクシの顔が強張った。

 フィージャの手にある武器も殺傷能力が高そうな得物であるが、フィージャの牙も十分武器として通用するだろう。以前に比べればずっと安全になったネストの輸送路をゆるみきった態度でツクシたちが進んでいるうちに、アンスール組は下りエレベーター・キャンプに到着した。

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