十五節 雨上がりの夜空に

 ウルズ組は強行軍に近い形で帰り道を進行した。

 ネスト・ポーターからの不満はひとつも出なかった。疲労困憊した背中を恐怖が押している。浅い階層の輸送でネスト・ポーターの犠牲者が一日に二桁名を超えた事例がこれまでない。屍鬼が組織的にネスト・ポーターを襲ったこともない。予定されていた時間よりも早く、ウルズ組はネストからの脱出に成功した。帰りの道で犠牲者は誰も出なかった。表へ出るとシュトルツ少尉の宣言通りだ。夜空に星がまたたいている。地上では雨が降って、それがやんだばかりのようだ。濡れた路面に星が落ちている。

 ツクシは認識票を管理省の受付に返却して賃金を受け取った。

 金貨二枚に銀貨が九枚、それに小銀貨が二枚。

 これが異形の巣で命を懸けて、あるいは命を失って労働に従事したネスト・ポーターたちへの報酬だった。

 ゴロウも一緒に賃金を受け取りながら、

「ツクシ、ゴルゴダ墓場にある死体安置所モルグは診療所も兼ねてるんだ。女の布教師もあそこには常駐しているぜ。まァ、あれは『導式使い』になるのかなァ。どうもあの姐さんは王国軍学会の出身らしいからよォ――」

 ツクシもゴロウがいおうとしていることはすぐわかった。ユキを診療してもらうため、ゴロウは死体安置所へ寄るつもりのようだ。相手が女性ならユキも裸を見せることに抵抗は少ないだろう。チムールとヤーコフの亡骸を死体安置所へ搬入する必要もある。兵士たちの亡骸は軍が馬車を使って死体安置所へ運び入れるが、ネスト・ポーターの亡骸には対応しない。身内の手で遺体を引き上げなければファングの餌になって消えるだけだ。

 ツクシたちは揃ってゴルゴダ墓場へ向かった。

 ツクシの背嚢をトニーに渡してゴロウがヤーコフの死体を背負った。自分の背嚢をリカルドへ預けてヤマダがチムールの死体を背負う。導式鎧を装備しているリカルドとニーナは長時間の荷運びに向いていない。導式鎧の機能を扱うのには集中力を要する軽級精神変換ナロウ・サイコ・コンヴァージョンが必要だとのこと。長時間持続して導式鎧の機能を発揮することは難しい。そんなことをネストのなかでニーナがツクシへ教えた。

「導式鎧の使用者は、いつもすごいパワーを発揮しているように見えるけれど、実際は機能を部分的に短時間稼動させているだけなのよ」

 これがニーナの弁だった。四輪荷車をニーナが押した途端、前輪が浮き上がり、前のヤーコフとヤマダが顔色を変えたのを思い出し、ツクシは口角を苦く歪めた。うつむいたそのツクシの首筋をユキの銀髪と猫耳がくすぐっている。ツクシの背中にはまだユキが乗っかっていた。ツクシは息を荒げている。ユキは幼い子供でまだ体重が軽いといっても、五時間近い道程を背負って歩くとたいへんな重労働である。しかし、ツクシの背からユキが降りる意思を示すことはなかった。ツクシもユキを自分の背から降ろす気がない。ツクシは疲れきっていたが意固地になっている。

 ツクシは非常に面倒くさい大人なのである。

 夜闇に黒く塗り潰されたゴルゴダ墓場は、一つ一つの部位が曖昧となって、死者たちの荘厳な沈黙を記した一個のモニュメントになっていた。一年ほど前、この墓場東の敷地にネストが突如出現して、ネスト管理省の施設が建設された。ゴルゴダ墓場は、元あった敷地を半分近く削られている形なのだが、しかしそれでもまだ広大だ。

 あとでツクシがリカルドから聞いた話である。

 ゴルゴダ墓場の丘の中央には『戦女神』と称された過去の偉人が葬られているらしい。それを聞いて、そうなると、これは古墳のようなものなんだなと、ツクシは広さに納得をした。ゴルゴダ墓場の中央に葬られたその偉人は、現在はエリファウス聖協会が定義する聖人の列に加わっているそうで、タラリオン国王マルコ・ユリア・タラリオン十五世の『ユリア』は聖人名だという。日本人のツクシにはそのネーミング方法が今ひとつピンと来なかったが、どうやら、女性名がついていても現在のタラリオン国王は男性のようだった。

 ともあれ、ツクシたちは墓場の敷地にある死体安置所に向かった。

 死体安置所の鉄の扉は開放され、そこから光が漏れている。出入りするひとも多い。ウルズ組に配属されていたネスト・ポーターたちが、ツクシたちと同様、怪我人や死人を担ぎこんでいる。墓堀人のラファエルとアズライールが対応に追われていた。相変わらずガス・マスクで顔を覆った兄弟はその風貌が不気味だ。

 そのラファエルとアズライールが、

「ああ、今夜は随分とお客さんが多いなあ――」

 死体安置所へ入ったツクシは廊下に設置された長椅子へユキを降ろした。

 黙ったまま、モグラはユキの隣に腰かけた。

 ツクシはユキの隣の腰を下ろして、

「腹が減ったか?」

 モグラは頷いた。ユキは顔も上げなかった。ツクシは若草色の床を見つめた。廊下の導式灯が床へ三人の影を丸く作っている。ゴロウが受付でユキの診察の申し込みをした。王国軍服姿の女性が眠そうに応対している。ヤマダ、リカルド、ニーナ、トニーは、「チムールとヤーコフの埋葬手続きと遺品の整理をしてくる」そういい残して死体安置室へ向かった。

 受付を済ましたゴロウがツクシの隣へ腰を下ろして、

「明日にでも、チムールとヤーコフの住処ヤサへ荷物を引き取りに行くかァ。あいつら独り身だったし流民るみんだからな。もう身内は一人もいねえだろうしよォ――」

「葬式をやるのか?」

 視線を落としたままツクシが訊いた。

「ああよォ、あいつらの墓を建ててやらねえとなァ。埋葬手続きをいい加減にやると、死人の持ち物は全部、国に持っていかれちまうからよ。衛生管理やら財産やらは、内務省の行政員が逐一うるせえんだ。死んだあとにだけだぜ、ふざけた話だろ。戦争が始まったとき、この国は北にいた俺たちを見捨てた。死体になった途端、ムシり取りにきやがる――」

 ゴロウの表情も声音も変わらない。だが、ゴロウは間違いなく怒りに満ちていた。ツクシはその怒りの熱が肌で感じ取れた。

「ゴロウも戦地にいたのか?」

 ツクシが訊いた。

「――思い出したくねえ」

 ゴロウは唸るように応えた。

「そうか」

 お前は手前てめえの泣き言を、他人に聞かせるような野郎じゃねェか――。

 ツクシは胸中で軽口を叩く。ツクシとゴロウの会話が途切れると長椅子の対面にあった診療室のドアが開いて先客が出てきた。出てきたのはネストでツクシたちが会話を交わした、あの落ち武者氏とその細君だった。どうやら、落ち武者氏が屍鬼との戦闘中に手傷を負ったようである。

「お前さんらも、どこか怪我かい。屍鬼は毒を持っているからナ、用心に越したことはないナ」

「チムールとヤーコフは残念だったねえ――」

 ツクシたちに声をかけると、落ち武者氏と細君は仲良く並んで歩いていった。

「――次の方、どうぞ」

 診療室のなかから女の声だ。

「ユキ、一人でいけるか?」

「一緒にいくか、ユキ?」

「大丈夫か、ユキ」

 ツクシとゴロウとモグラが同時にいった。ユキは黙ったまま長椅子から立ち上がった。ユキの右手はツクシの外套の裾を掴んでいる。

「うん、俺が付き添うか――」

 ツクシが立ち上がった。ユキの歩き方がぎこちないのを見てツクシの顔が歪む。歪んだ顔をユキへ見せたくない。ツクシが顔を背けると廊下の掲示板に張り出された印刷物が目に入った。ツクシに異界の文字は読み取れない。

 診療室に入ったツクシの鼻先が動く。

 薬品と古本と消毒用アルコールの匂いだ。書類と本が山と詰まれた机を前にして、ドクター・コート姿の女性が椅子に腰かけていた。書類へ万年筆を走らせている。

 ツクシが診療室を見回しながら、

「あんたが、ここの先生なのか?」

「ええ、そうです。患者はそのですね。貴方がその娘に乱暴をしたの?」

 ドクター・コートの女が診療室入り口で佇むツクシとユキに顔を向けた。鼻まで覆う白いフェイス・マスクをつけて、青みがかった長い黒髪の女性だ。

「――いっていい冗談と悪い冗談があるぜ、姐さん」

 殺気立ったツクシは腰の魔刃へ手がかかる勢いだ。ずっとうつむいていたユキが「あっ」と驚いて顔を上げるほど憤っている。

「もちろん、冗談です。おおむね状況は把握できました。このほうが根ほり葉ほり聞くよりも良いでしょう。ところで貴方は、その半獣人ルー・ガルー――ユキちゃんね――貴方は、ユキちゃんの身内の方?」

 ドクター・コートの女は深紫の視線をツクシへ流した。

 憤るツクシを映しても、その瞳はまったく動じていない。

 説明できない圧力がツクシの怒りを冷ましてゆく。

 戸惑ったツクシは顔を背けて、

「――身内は違うがな。とにかく、先生、ユキを診てやってくれ」

「こっちへいらっしゃい、ユキちゃん」

 ドクター・コートの女の一言で、ユキがふらりと前に進み出て、そこにあった丸椅子に腰かけた。椅子を半回転させたドクター・コートの女はユキに対して慈母のような眼差しを向ける。

 これ、かなり得体の知れない女だよな――。

 ツクシはまだ困惑している。

 ユキの頬に右手を添えたドクター・コートの女が、

「いい娘ね。どれどれ。ん? 左目の周辺に導式の治療痕。もう傷は治療済みのように見えますが――?」

「わかるのか?」

 ツクシが目を細めてみたが、ユキの顔はユキにしか見えない。ユキの変化といえば、ずっと垂れていた猫耳が半ばまで持ち上がっているていどだった。

「治療後、しばらくは運命潮流マナ・ベクトルの乱れが残りますから。もっとも、導式陣が機動した痕跡を視認できるのは導式の担い手だけ。あら、綺麗な式。一流の導式使いの治療。ただ、この男性ひと精神サイコは、かなり強引――ユキちゃん、顔の治療をするとき痛かったでしょう?」

 ドクター・コートの女が訊くと、ユキは小さく頷いた。

「ああ、そうだぜ。ユキの顔を治療をしたのは、むっさ苦しい赤髭面のケチな大男でな。それで、ユキと俺はここへ寄ったんだ」

 ツクシは疲労が限界に近いので、ゴロウを罵って気を紛らわした。

「ああ、ユキちゃんの治療をしたのは男性の方――それで、この診療所へ――」

 ドクター・コートの女が頷いた。

「そういうことなんだ。ユキを綺麗に治してやってくれよ、女医さん」

 ツクシが念を押した。

「ジョイって? まあ、いいわ。今からユキちゃんの治療をするから貴方は外で待っていなさい」

 ドクター・コートの女は、ツクシへ有無をいわせないような指示をして、

「ユキちゃん、それでいい?」

 ユキへは柔らかく問いかけた。

「んぅ」

 女の手を頬につけたままユキが頷いた。

 ツクシが訊いた。

「女医さん、あんたの名前は――」

「――クリスティーナ」

 ドクター・コートの女――クリスティーナが短く名乗った。

「俺は九条尽だ、ツクシでいいぜ――ユキ、俺は外で待ってるからな。先生のいうことをちゃんと聞けよ。いいな?」

 ツクシが診療室を出ると、睡魔に負けたモグラが長椅子の上でうつらうつらしていた。ツクシが廊下の時計を見やると午後十一時三十五分――

「――妙に貫禄のある女だった。ゴロウ、あの女医さんは何者なんだ?」

 ツクシがゴロウの隣に腰を下ろした。

「ああ、あの姐さん、妙におっかなくてなァ。ネスト・ポーターの間では『死神先生』って渾名だぜ」

 ゴロウは顎髭を撫で回している。

「縁起でもねェな――」

 ツクシがうつむいて口角を歪めた。

「ネスト・ポーターはここへ来る前に死ぬ奴が多いからなァ。死人が多いのはあの姐さんの所為じゃねえよ。俺が見たところあの姐さんの腕前は手堅いぜ。ま、しかし、変人揃いだよなァ、ここの職員はよォ、受付嬢はいつも眠そうだし所長はアル中だしでなァ――」

 そんな話をしているうちに、ヤマダ、リカルド、ニーナ、トニーが戻ってきた。

「埋葬手続きを済ませてきたぞ」

 リカルドがいった。明日の午前十時にチムールとヤーコフの亡骸が、ゴルゴダ墓地に埋葬されるとのことだ。

「墓の銭は足りたのかァ?」

 ゴロウが訊いた。

「ええ、彼らの――チムールとヤーコフの手持ちで間に合ったわ」

 ニーナが頷いた。

 廊下で立ち話をしているうちに治療を終えたユキが戻ってきた。

 クリスティーナが診察室に続く扉の向こうで、

「ユキちゃんの命に別状は無いけれど、感染症の予防薬はいくつか出しておくわ。受付で持って帰りなさい」

「おっしゃ、チムールとヤーコフの形見分けだのなんだの細かいことは、明日の葬式へ回そうや。帰って寝るぞォ!」

 ゴロウがダミ声で帰宅を宣言した。

 異を唱えるものはいない。

 みんな疲れきっている。

 ツクシが受付へ向かうと、ユキの治療費として金貨四枚と銀貨二枚が請求された。王国には国民皆保険制度がないので医療費が高いのだ。

「それでも、エリファウスの診療所に比べれば遥かに良心的な値段だと思うぜ」

 ゴロウが教えた。

 気休めにもならねェよ――。

 顔色を悪くしたツクシは憎まれ口も叩けない。ツクシの手持ちでは支払いが足りないのである。見かねたリカルドがカンパを呼びかけて、ユキの治療費は全員が分担して支払うことになった。こういうときゴネ倒すのが常のゴロウも何もいわずに金を出した。

 死体安置所を出ると、

「――ツクシ」

 ここまでずっと沈黙していたユキが顔を上げた。

「どうした?」

 ツクシがユキを見つめた。

「おんぶ」

 猫耳がようやく立つようになったユキである。ゴルゴダ墓場の門を潜ったツクシは、何かを忘れてきたような気がして振り返った。背の高い樹木の間からゴルゴダ墓場のなだらかな丘が見える。黒い丘の頂に立つ霊廟が星の瞬く夜空を背景に、シルエットになっていた。チムールとヤーコフはもう帰れない。モグラに声をかけられたツクシが巨大な墓標へ背を向けた。

 雨上がりの夜空の下をユキを背負ったツクシが歩いて帰る。


 §


 ツクシとユキとモグラの帰りが遅い。

 夜半を過ぎても、まだ席の大半を埋める酔客をさばきつつ、エイダは落ち着かなかった。ツクシたちがネストの浅い階層で働いているのなら、上下の移動距離は短いので作業に三日間を費やすことはほとんどない筈なのだ。エイダが苛々し始めた頃合いに、ユキを背負ったツクシが姿を見せた。ツクシは疲労が限界を超えて死にそうな顔だ。ゴロウとモグラも似たような顔つきだった。

「ああもう、アンタら随分と遅かったじゃないか。あまり心配をかけさせるんじゃないよ!」

 エイダはどすどす寄ってきた。それでもエイダはほっとした表情かおを見せていのだが、しかし、すぐその表情を消した。

 エイダの鼻先がくんくん動いている。

 まだユキの身体へこびりついている男性の臭い――。

 顔色を一変させたエイダの前で、

「――女将さん、ユキを風呂に入れてやってほしい」

 ツクシがいった。

 この男の嗅覚も犬並みに鋭いものがある。

 何が起こったのかは臭いでわかる――。

「ああ、ツクシ。そのほうがいいみたいだねえ――」

 エイダが大声でミュカレを呼んだ。

 ふわふわとやってきたミュカレが怒り心頭のエイダを見て首を傾げた。

「ミュカレ、ユキをすぐ風呂に入れてやんな」

 エイダが命じた。ずっとうつむいているユキの様子を見て何かを察したのだろうか。何もいわずにミュカレはユキの手を引いて裏口へ消えた。

「それで、アンタら、ユキをちゃんと見ていたのかい――?」

 エイダはもの凄い形相を見せている。鬼が本気で怒るとこうなるのである。

 怒り狂う緑鬼の前でツクシとゴロウはうなだれた。

 ついでに、モグラもその横でうなだれていている。

「すまねェ、全部、俺の所為だ、女将さん――」

「ああよォ、言い訳をするつもりはねえぜ――」

「女将さん、オイラが悪いんだ。殴られて気絶しちゃったからさあ――」

 ツクシとゴロウとモグラが下を向いたままいった。エイダの返事はない。緑色の鬼面が怒り燃え盛って紫色へ変化している。全身から濛々と噴出するエイダの憤怒に圧殺されて、いつの間にか、酒場の喧騒が消え去っていた。

 女将さんにここでまとめてブチ殺されるかもな――。

 ツクシはしょんぼりうなだれながら覚悟を決めた。ゴロウもモグラも観念した様子だった。腰に手をあて三人を睨んでいたエイダが、「ぶすぅん」と鼻を大きく鳴らして怒らせていた肩と視線を同時に落とした。

「よくよく考えれば、わたしもアンタらと同じさね――ユキをネストへ行かせちゃあ、いけなかった。アンタらも風呂へ行ってきな――」

 そう力なく告げたエイダは厨房へ戻っていった。

 エイダの歩みにいつもの勢いがない――。


 ツクシとゴロウ、それにモグラも、ゴルゴダ銭湯で汗を流した。

 風呂から上がったところで

「モグラ、メシはどうする?」

 ツクシが訊いた。

「オイラ、釜焚きをしながら裏で食べるよう――」

 モグラは脱衣所の裏手から出ていった。

 あいつ、責任を感じてやがる――。

 ツクシの重い気分がさらに重くなる。

 モグラ、お前は何も悪くねェぜ。

 悪いのは全部、この俺なんだ――。

 ツクシはモグラの背を見て思った。

 思うだけで声はかけなかった。

 ユキの件は俺がすべて悪い。

 その上に俺は卑怯な大人か――。

 ツクシの不機嫌な顔に不機嫌がまた積もる。


 夜半を過ぎて客が引け始めたゴルゴダ酒場宿だ。

 ゴロウとツクシは並んでカウンター席に座った。ミュカレが運んできたのは大盛りのチキン・リゾットだった。

「ああ、米のめしか。これは、ありがたい――」

 今日は腹が減っている気がしないがな――。

 ツクシはそう思っていたが口には出さなかった。

「ツクシへ特別メニューよ。まだ、ライスが余っていたから。ゴロウはそのついで」

 ミュカレが湯上りで色づいて艶めく人外の美貌をツクシの不機嫌な顔へ横付けした。

「俺ァついでかよォ。しかし、ミュカレ、なんだこりゃあ。ユキじゃねえが、本当に蛆が這っているように見えるぜ――」

 怪訝な顔をしていたゴロウも最初のひとくちを食べると、そのあとは無言でチキン・リゾットを完食した。皿まで舐め取りそうな勢いだった。セイジが作るものにハズレはないのである。

「――ツクシ、ユキは上の部屋で寝てる」

 ミュカレが厨房へ足を向けながら伝えた。その背から聞こえた声だ。ミュカレの表情はツクシに見えなかった。ツクシは返事をせずにチキンリゾットを口へ運んだ。食欲はあまりない。それでも食えば腹へすんなりと入る。

「明日すぐに葬式か。喪服がねェな――」

 ツクシが呟いた。

「ツクシ、そんな気取ったもんじゃあねえから変な心配をするな」

 ゴロウが赤ワインの杯を傾けた。

 エールの杯に口をつけたツクシは空にしたチキン・リゾット皿を眺めている。

 ユキとモグラはちゃんとめしを食べれたのかな――。

 ツクシはそんなことを考えながら、

「モグラは、親父さんと一緒に王都へ逃げて来たといってたよな。モグラの家族もいないのか?」

「あァ、モグラの親父は王都に来てすぐに死んだ。親父もネスト・ポーターだったんだ。やっているうちに屍鬼の毒に当たってな。気が弱っている奴は病気への抵抗力も弱くなる。特に肺腐熱は厄介だ――おーい、ミュカレ、もう一杯、赤のワイン!」

 ゴロウが空にした杯を掲げた。

「はあい」と、ミュカレがカウンター・越しにゴロウの杯へワインを注ぐ。

 ツクシは空の皿を見つめたまま、

「それで、モグラはネストで働いているのか。いや、それでもか――」

「王都の孤児みなしごは生きるために何だってやるしかねえよ。ツクシ、おめェだって、そういってたじゃねえか。ユキのことだって全部が全部、おめェの所為じゃあ――」

 言葉を切ったゴロウは、ワインの杯を一気に干して、

「――いや、俺ァもう帰る。明日、葬式前にここへ来る」

「――ああ。ミュカレ、もう一杯、頼む」

 生返事のツクシは空になったタンブラーの底を見つめていた。ミュカレの代わりにエイダがやってきて、ツクシの横に座った。カウンター席の椅子がミシリと悲鳴を上げる。エイダはウィスキーの瓶を一本持っていた。ボルドン酒店の看板商品バルドルだ。

「ツクシ、ユキの話を詳しく聞かせてもらうよ。本音をいうとね。わたしゃ、今日だけはアンタの話を聞きたくないんだ。だけど、聞かないわけにもいかないだろうさね――」

 エイダがツクシの杯へウィスキーを注いだ。

 杯へ注がれる琥珀色の液体は、ユキの瞳の色によく似ている――。


 ――エイダのしつこい事情徴収とりしらべから解放されたツクシは貸し部屋へ向かった。夕食の会計は銀貨六枚に小銀貨が六枚だった。下の酒場では軽い食事を取っただけだったし、ウィスキーはエイダの奢りだったわけだから、半額程度の値段で済む計算だった。しかし、ミュカレは倍に近い金額をツクシに請求した。ゴロウがまたツクシへ食事の勘定を押し付けて遁走したのである。

「油断も隙もありゃしねェ。エイダの事情徴収からも逃げやがって。でかい図体の癖に要領のいい野郎だぜ――」

 ツクシは殺気の籠った独り言と一緒に階段を上がった。

 ネストでの食事代やら、ユキの治療費やら、夕食の払いやらで散財したツクシの手元にあるのは、金貨一枚と銀貨が十枚、それと小銀貨五枚だ。ツクシにはまだ宿にツケ――借金が金貨五枚と銀貨六枚まるっと残っている。

 ああ畜生、ユキへの報酬の銀貨三枚もまだ渡してなかったよな――。

 ツクシはそんなことを考えながら貸し部屋の扉を開けた。ベッドの上では、やはり断りもなくツクシのシャツを寝巻き代わりにしたユキが寝ている。その寝姿はいつもより、しっぽと身体を強く丸めているように見えた。ツクシは寝袋に包まると堅い床へ寝転んだ。ユキのくぅくぅという寝息が聞こえない。貸し部屋の天井を眺めながら、俺はユキへ謝ったほうがいいのかなと、ツクシは考えた。

 だがな。

 俺はどんな言葉でユキへ謝ればいいんだ――。

 自分を嘲笑ったツクシは迷っているうちに眠りの世界へ落ちていった。

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