十四節 リカルド・フォン・アウフシュナイダー辺境伯(参)
タラリオン王国の北東部は、アルーノ・リーベル地方と呼ばれている。
大戦の勃発時、そのアルーノ・リーベル地方にあったアウフシュナイダー領地内へ、グリーン・ワイバーン十二騎を使って舞い降りた計六十一機の重装機動歩兵隊。この部隊には部隊番号が振り分けられていなかった。タラリオン王国戦史上、この部隊は存在しなかったことになっている。しかし、この幽霊部隊には足のある隊長が確かにいた。タラリオン王国陸軍のレオン・フォン・アウフシュナイダー中佐である。この幽霊部隊の内実は軍令違反者の集団で、隊員はそのほとんどがアウフシュナイダー領の出身者だった。そして、このレオン中佐が率いた幽霊部隊はグリフォニア大陸を電撃的に南下する魔帝軍を数日間食い止めることに成功した唯一の部隊でもある。幽霊部隊にいた兵士が運用した導式機関仕様重甲冑――白い量産型導式鎧にちなんで、レオン中佐が率いたこの部隊は、のちに『
俗称、
この
魔帝軍との戦闘が発生している国境線、その遥か後方へ最前線を設定した司令部に下級仕官と兵士が不信感を持ったこと。戦場に残された領民へ魔帝軍が虐殺行為を繰り返しているという噂。北の国境線へ家族を残しているものの焦りと怒り。これらの不満を短時間で組織化した、量産型導式鎧の開発とそれを標準装備とする新部隊設立の責任者であった、レオン・フォン・アウフシュナイダー中佐の存在。
レオン中佐は名君の誉も高いリカルド・フォン・アウフシュナイダー辺境伯の嫡子である。アウフシュナイダー領内出身の兵員はその父親と同様、レオン中佐のひととなりを慕うこと尋常ではなかった。また、同郷の支持だけではなく、レオン中佐は熱心な仕事への態度と豪胆かつ清々しい人格――ややもすると一直線すぎて面倒な人格を、王国軍の上層部と同僚、それに部下から総じて高く評価されていた人物である。レオン中佐は佐官という立場上、戦場から入ってくる情報とタラリオン王国の作戦情報を入手することも
場所は王国軍東部駐屯地にある兵舎の執務室。
レオン中佐は空軍に所属するアウフシュナイダー領出身のグリーン・ワイバーン騎兵と短い会話を交したあと、アウフシュナイダー領へ当時新設された導式機関仕様重甲冑装備重装機動歩兵部隊(※略称、重装機動歩兵部隊)投入することを決断した。レオン中佐はこの重装機動歩兵隊の創設に二十代の歳月――タラリオン王国軍に入隊してからの十四年間を、すべて捧げたといっても過言ではない。
レオン中佐が新設したこの部隊の戦闘力は、新世代における決戦兵力となり得る画期的なものだったのだが、長く続いた平和な時代のなかでその真価が理解されなかった。特別、国庫を掌握する元老院の貴族議員もしくは代議員に、量産型導式鎧の真価は無視された。レオン中佐はその開発費と隊増設の予算確保のため、王都と東部にある東方防衛軍の駐屯地を行き来して元老院や上層部への陳情を重ねている。そのレオン中佐には、「自分が手塩にかけて作った新設部隊の実力を、元老院の連中へ見せつけてやろう」そんな意図も多少あった。
だが、それは瑣末だ。
レオン中佐の心中は自分の故郷とそこに住む善良な領民、それに頑固だが愛すべき父親を一刻も早く救いたい、その思いと焦燥のほうが遥かに強い。レオン中佐は自らも導式機関仕様重甲冑で身を固め、重装機動歩兵隊の有志六十名と共にグリーン・ワイバーンへ騎乗し戦場へ急行した。上層部からの命令や許可などもちろんない。これはレオン中佐の独断専行、否、自殺行為に近い作戦行動だ。グリーン・ワイバーンの上で死兵と化したレオン中佐の背に刃渡り二メートルの
レオン中佐の一撃で隊長を失った先鋒隊――魔帝軍第二四一騎兵大隊は壊滅した。天空より降り立った
翌日の深夜。
魔帝軍はアウフシュナイダー城下街にある異常な戦力を察知して進撃を停止、郊外へ軍を引いた。この際、魔帝軍は魔導式陣の運用に加えて後方より到着した火砲を使う遠隔攻撃へ作戦を変更する。この遠方から届く砲撃でリカルドが率いる予備役大隊とレオン中佐の白金部隊、それに城下街にまだいた非戦闘員の死者が出た。この死者にはリカルド辺境伯の執事であったクリンスマン老、それに、アウフシュナイダー城に勤めていた家政婦たち数名も含まれていた。リカルド様とお坊ちゃま――リカルドの息子レオン、それに兵士たちの世話をするといい張って彼らは城下街を離れなかったのだ。
熱風を受けて、クリンスマン老の白髪は黒く焦げていた。
「この、頑固者め!」
クリンスマンの亡骸を胸に抱いたリカルドの絶叫が、城下街を燃料に赤く染まる星空へ駆け上がる。
空襲の夜が明けると城下街は大損壊を受けていた。
領民の脱出が続く城下街に消火活動を行えるほどの人員は残されていない。あちこちで上がる火の手が傍若無人に黒煙を吹き上げながら、城下街を灰と石の山へ塗り替えてゆく。小高い丘の上にあるアウフシュナイダー城も砲撃を受けて半壊状態だ。その上空に合成獣ゴブリンの群れ――グレムリン航空隊が飛来して、手に抱えてきた円柱状のガラス瓶を投下した。そのガラス瓶は割れて草汁のような色をした液体で路面を濡らした。胸が悪くなるようなひどい悪臭がする液体だ。グレムリン航空隊が投下した円柱状のガラス瓶には肺腐熱発症菌とその培養液が入っていた。
魔帝軍が使う戦術疫病兵器である。
通常、肺腐熱菌は、ひとの体内に入ると危険な病原菌であるが、感染力は強いものではない。だが、魔帝軍によって、自然界の菌にはない空気感染力を付与された魔帝軍の肺腐熱菌は、すぐに活動を始めた。白金部隊と予備役大隊に、次々肺腐熱菌の感染者が発生する。最初のうちは風邪とよく似た症状だ。悪化すると喀血をする。やがて、肺機能が低下して呼吸困難で死に至る。他内臓器官への合併症を引き起こしながらである。
肺腐熱病は一旦感染すると完治が難しい。ただ、カントレイア世界では近年、薬学が日進月歩の勢いで発達中である。投薬治療を受けて安静にしていれば肺腐熱に感染しても症状の悪化を食い止めることは可能になっていた。しかし、城下街に肺腐熱の治療を行えるものはもういない。導式と薬術を扱う布教師――エリファウス聖教会の関係者はすでに王都へ逃げ去っている。魔帝国の侵攻開始の報を受けて、エリファウス聖教会本部から教会関係者脱のため、教会が保持するグリーン・ワイバーンが北の国境線沿いにあるすべての聖教会支部へ派遣されたのだ。このエリファウス聖教会はタラリオン王国だけでなく、他国にも多数の支部を持つ、カントレイア世界で最大の権力と資産を持った宗教団体である。聖教会は神学学会の他にも様々な事業を展開しており、さらには私兵軍団――武装布教師隊、馬や帆船はもちろんのこと、グリーン・ワイバーンをも保持している。タラリオン王国元老院への発言力も強い。もっとも、エリファウス聖教会の権力と資金はすべて聖教会の利権を守ることだけに費やされているようであったが――。
崩壊した城下街の広場でリカルドたちは作戦会議を行った。
今、白金部隊が城下街を放棄をすると魔帝軍は脱出した領民の列を追撃する。南部へ移動している領民の最後尾について移動しつつ撤退戦を行う案も出た。最後の一兵になるまで諦めない。これが白金部隊の兵士に共通する意見だ。ここまで来て尚、白金部隊の士気は衰えていなかった。しかし、開けた地形では重火器を多く揃えた魔帝軍に対して、白金部隊がその戦闘能力を発揮することが難しい。それに、領民と移動しつつ戦闘をする余力も白金部隊には残されていなかった。不眠不休の戦闘が丸二日間続き、欠員も発生している。会議が沈黙したところへ、ここまで領民の避難に尽力していたグリーン・ワイバーン十二騎が飛来した。
そこで、レオン中佐が城下街に砲撃を加えている魔帝軍の司令部へ、グリーン・ワイバーン騎兵を使った強襲作戦を提案した。アウフシュナイダー領内の西南に隣接するジャンバオロ・デ・バルバーリ辺境伯が管理する領地内、その南部横一線にタラリオン王国軍は最前線を構築する計画である。その地点まで、アウフシュナイダー領から脱出した領民が逃れる時間さえ稼げればそれでいい。レオン中佐の考えはこのようなものだった。
そして、レオン中佐はこうも考えていた。
ここで、俺は死ぬ。
「――だが、みんなに無理強いをするつもりはないぞ」
話の最後に、レオン中佐はいった。レオン中佐の言葉を聞いて、
兵士たちはみんな笑っている。
「――ウウム、我が息子と兵士の、何と豪気なことよ。これは愉快。我輩は大いに愉快であるぞ。では、共に死ぬとするか皆の衆!」
芝居がかった台詞と一緒に、笑顔だが瞳を揺るがせたリカルドへ、グリーン・ワイバーンの上からレオンが手を差し伸べる。
リカルドが息子の手を取ろうと手を伸ばした。
しかし、そこで息子の手は父親の胸を強く突く。
バランスを崩したリカルドは尻餅をついた。
「良し、いいぞ、すぐに行け!」
レオン中佐が命じるとグリーン・ワイバーン騎兵はすぐ手綱を手繰った。翼が上へ下へと羽ばたいて緑の巨躯が浮上する。風圧で広場周辺の炎が揺らぎ火の粉が舞った。
「――なっ、何をする、この馬鹿息子めが!」
地に尻をつけたまま、リカルドが叫んだ。
カイゼル髭のついた顔が真っ赤になっている。
「親父殿、油断めされましたな。逃れた領民たちとニーナを――私の可愛い妹をお願いします。あれは、じゃじゃ馬ですから、一人きりにさせると心配です。だから、ここで父上に死なれると私が困る。生きてください、父上は、生き抜いてください!」
急浮上するグリーン・ワイバーンの上から聞こえる声はすぐ遠くなった。リカルドがその姿を見上げながら何かを叫んだ。グリーン・ワイバーンの背にいた
魔帝軍に突撃した十二騎のグリーン・ワイバーンは一騎も帰ってこなかった。
レオン中佐と
そのあとである。
予備役兵の数人に引きずられるようにして、アウフシュナイダー領内を脱出したリカルドは領民と共に街道を南下した。最終目的地は王都だったのだが、その途中、バルバーリ領に集結中であったタラリオン王国軍第四防衛軍集団にリカルドは保護された。肺腐熱を発症していたリカルドはバルバーリ領内へ足を踏み入れた時点で、歩行することが困難なほど衰弱していたのだ。
得た病を癒す暇もない。
リカルドは王都は元老院議会へ召喚された。そこで待っていたのは元老院議員――貴族によるリカルドへの糾弾だった。
貴族たちはまず、
「独断で領民を南方に脱出させたのは、国王の命に逆らった反逆行為だ」
そう糾弾した。
次に、
「軍令違反者――レオン・フォン・アウフシュナイダー中佐とその部隊を、アウフシュナイダー領地内へ受け入れたことは、国家への反逆行為だ」
とも糾弾した。
最後に、
「レオン・フォン・アウフシュナイダー中佐へ軍令違反を促したのは、リカルド辺境伯本人ではないのか?」
そんなありもしない疑惑の追及まで始めた。
領民に名君と謳われたリカルド・フォン・アウフシュナイダー辺境伯には同じ貴族階級の敵が多かったのだ。
戦前、リカルドがアウフシュナイダー領の領主だった頃の話に戻る。
リカルドの代で豊かになったアウフシュナイダー領へ生活に困窮した他領の領民が流れ込むようになった。領民の身分は農奴である。タラリオン王国法において地方の領民は各々の地方を管理している領主の財産として定義されており、領民の異なる領地を跨いだ住居の移転は原則禁止となっている。だが、リカルドは他領の農奴を積極的に受け入れた。リカルドは弱きもの、貧しきものに対して、情が厚すぎる男であったし、現実的にも経済が活性化したアウフシュナイダー領地内で労働力が不足している。しかし、これを容認してしまうと他の領主は地方行政官としての面子が丸潰れだ。リカルドが面白く思われないのも当然の話だった。
さらに、リカルドは元老院議会に強い影響力を持つエリファウス聖教会とも折り合いが悪かった。前述の通り、アウフシュナイダー領ではエリファウス聖教会が運営する貧民向けの診療所が開設されていた。これらはすべて、リカルドが聖教会へ行った恫喝に近い要求で設立されたものである。その要求中、リカルドは「聖教会が自分の要求を呑まねば、領内から追放する」とまでいい放った。リカルド自身はエリファウス聖教の敬虔な信者だ。だが同時に堕落した聖教会の内情を良く知ってもいた。慈善事業を渋るタラリオン国内随一の営利宗教団体に対して、リカルドの口調も荒くなる。最終的に聖教会関係者はリカルドを敵視するようになった。魔帝軍から逃れたリカルド辺境伯は王都でも敵に包囲された形になった。
むろん、敵ばかりであったわけではない。
例えば、リカルドが王国陸軍の重装機動歩兵隊に在籍していた頃からの友人である王都第六区の区役所長のヨセフ・フォン・ベルシュタイン侯爵は、元老院議会で糾弾の矢面に立つリカルドを何度も何度も弁護した。リカルドとは馬が合って、頻繁に交流――お互い暇があると席を設けては朝まで大酒を酌み交わしていた、赤ら顔の太っちょ辺境貴族、ジャンバオロ・デ・バルバーリ辺境伯なども、わざわざ王都まで出向いてリカルドを非難する貴族たちに噛みついて回った。実働部隊はほとんど市民階級出身者で構成される王国軍も、リカルドに――その息子レオン中佐の行動も含めて同情的だった。
しかし、結局は多勢に無勢である。
リカルド・フォン・アウフシュナイダー辺境伯は、「国王の命に反逆した」として罪に問われた。周囲の尽力で罪人になることは免れたが、爵位を剥奪されたリカルドは平民になった。その領地も、当然、王国に没収された。もっとも、没収されたアウフシュナイダー領は現在、魔帝軍の主力部隊が駐屯する前線基地になっている。
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