二節 天使の再来

 庁舎から出て広場へ向かう途中である。

 ゴロウが認識票をツクシに渡して、

「首にかけろ。そいつを絶対になくすなよォ。仕事が終わったら庁舎の受付に認識表を返すんだ。それで賃金が出る決まりになってるからなァ」

 形状は軍隊のドッグ・タグだよな――。

 ツクシは手にきた認識票を眺めた。金属の小さな板に細いチェーンがついたものである。金属板は厚みがあって中央に水晶のような鉱石がはめ込まれていた。ツクシが目を寄せると金属板の表面に細かい文様が刻まれている。

 例えるなら何かの回路のような――。

「――ゴロウ、これも導式具ってやつか?」

 ツクシが認識票を首にかけた。

 ゴロウが歯を見せる笑顔で、

「おっ、ようやく、わかってきたじゃあねえか。ツクシ、その認識票はな、ネスト内部で移動した距離と働いた時間を、なかの導式灯と連動して記録する仕組みになっているんだ。それに応じた賃金が管理省からネスト・ポーターへ支払われるってわけだな。だから、まァ、なかで動かないと管理省から銭は出ないってことになる。この仕組みを考えた奴は賢いぜ。性根は、たぶん、悪いがなァ――」

 そんな会話をしながら辿り着いた広場には、ネスト・ポーターが集合していた。

 大人数である。

 ざっと視線を巡らせたツクシが、

「二千人近くいるんじゃねェか――急場しのぎで集めた大人数をこれだけ一度に動かせるのかよ。どう見ても烏合の衆だろ、こいつら――」

「余計な心配をするな、ツクシ。あの看板だ。俺たちはウルズ組だ。こっちへ来い」

 ゴロウがツクシを促した。広場に七つ並んでいた立て看板のひとつに、ツクシたち四人は移動する。看板に文字が書かれていた。ツクシに異界の文字は読めない。ゴロウの発言を辿るとその看板にはウルズと表記されているのだろう。作業する班の振り分けなんだろうな、とツクシは頷いた。実際、他のネスト・ポーターたちも立て看板の周辺に分かれて集合している。

「七つかよ――」

 そう呟いたのはツクシの後ろにいたチムールである。

 その横にいたヤーコフが大きな背を小さく丸めて、

「そ、そうだな、チムール。今日も減ってない。良かった良かった」

「どうかな、管理省の連中は嘘ばっかり吐きやがるからよ――何にしろよ、地下七階層の作業は勘弁だよ」

 チムールが地面にぺっと唾を飛ばした。

「――何だ、その数字?」

 ツクシが訊くと、

「ツクシさん、今回、俺たち、仕事をする階層のことだ。ふ、深い階層で働けばそれだけ日当にイロがつく」

 ヤーコフが愛想良く応じたがチムールは横を向いている。

「へえ、それなら深いほうがいいな。七が歓迎だ、縁起もいい――」

 ツクシの口角が歪んだ。浅い階層で日本へ続く扉が見つかる可能性は低い。ツクシはそう考えている。『ここではない別の世界へ続く扉』がネストの浅い階層にあるのなら、すでに発見されて、ネスト・ポーターの話題に上っている筈である。

「深い層で働いても死ぬだけだよ。墓石の下に銭を入れても意味がねえだろうよ。お前は馬鹿なのかよ、新入りよ」

 横を向いたままチムールが毒づいた。

 ツクシがチムールへ顔を向けて、

「――死ぬ? ああ、ネストの深い階層には異形種ヴァリアントとやらが出るらしいな。チムール、それはどういう生き物だ?」

「俺は知らんよ。でも、間違いなく出るらしいよ」

 チムールはツクシと目を合わそうとしない。

「らしいってどういうことだ?」

 ツクシは怪訝な顔だ。

「知らねえよ。知りたくもねえよ。だから俺に訊くなよ、新入りよ――」

 チムールはまた地面へ唾を吐いたあと押し黙った。

 ゴロウが沈黙したチムールに代わって応えた。

「ツクシ、異形種を見た奴は死ぬってことだ。それに異形種を相手にしているのは最下層の王国軍だからなァ。管理省の奴らは情報を表に出さねえし、ネスト・ポーターは地下七階層にある『大階段前基地』までしか移動をしねえからよォ――」

 頷いたヤーコフが、

「ツ、ツクシさん。異形種がどんな化け物なのか、おれたちには、わ、わからないんだ。見たことがないんだ。管理省も教えてくれない」

 ゴロウの赤い髭面もヤーコフの黒い髭面も真剣な表情だ。

「その異形種ってのは、珍しい生き物なんだろ。見学をしたくないのかよ?」

 ツクシは口角を歪めている。

「見学なァ――」

 ゴロウが髭面を曲げた。

「ツ、ツ、ツクシさん、ツツツ――!」

 ヤーコフは頬を赤くしているので、興奮しているようだが、そうなると言葉が上手く出てこないようだ。

「ん?」

 ツクシが短く促すと、

「ヴァ、異形種ヴァリアントを見た奴は大勢いるんだ」

 ヤーコフは吐き出すような調子でいった。

「へえ、いるのか?」

 ツクシは目を開いた。

「ああよォ、異形種を見た奴は大勢『いた』が正しいな――」

 ゴロウが声が重い。

「――いた、のか?」

 ツクシが顔を歪めた。

 おそらくは――。

「ツクシさん。異形種を見たネストの荷運びは全員死んだ。異形種に、み、みんな、こ、殺されたんだ」

 ヤーコフが硬い声で告げた。

「目撃者は行方不明か。だから、異形種の正体がわからない――」

 ツクシが視線を落とした。

 ネストの異形種に関係する情報は、これ以上、こいつらから得られそうにないな――。

 そう判断したツクシは話題を変えた。

「ヤーコフ、ネスト・ポーターは各階層に振り分けられて、そこにとどまるとかいったな?」

 ヤーコフが頷いて、

「あ、ああ、そうだ。ネスト・ポーターは、指定された階層にとどまって荷を運ぶ」

「それは、どういうことだ?」

「な、何か、おかしいか?」

「おかしいだろ。表で荷を受けた俺たちはそれをネストの最下層まで運ぶんだろ。同じ階層に止まっていたら荷が進まないじゃねェか」

「あ、ああ、それはツクシさん――」

 応えようとしたヤーコフを、

「ゴロウよ、お前がこの新入りをつれてきたんだろうがよ、何も教えてないのかよ?」

 チムールが遮った。

 苦笑いのゴロウが、

「まァ、昨日の今日だからなァ――ツクシ、ネスト内部は一階層を下るのに、どの階も二日三日の時間がかかる。丸腰の話でだぜ」

「そんな広いのが、地下七階層まであるのか?」

 ツクシは眉根を寄せた。

「いや、現状で探索が終わっているのが地下八階層までだからな。それより下層は聖霊のみぞ知るだ。どうだ、ツクシ、驚いたか。ネストのなかで迷ったら間違いなく死ぬぜ?」

 ゴロウが嬉しそうに笑った。

「そりゃあ、困ったな――」

 ツクシが視線をふっと落とした。

「どうしたァ、ビビったか?」

 ゴロウの笑顔がニヤニヤ大きくなる。

「――弁当が七日分いるだろ」

 ツクシが唸った。

「――あァ?」

 拍子抜けしたゴロウが背を丸めた。

「今から表の出店で携帯食を買ってくるぜ。ゴロウ、俺に金を貸せ。手持ちがないんだ」

 深刻そうな顔つきのツクシがゴロウをじっと見つめた。

「――あァ、いや、金は貸さねえよ。それにツクシ。最下層まで最低で七日を往復だから、必要な食料は十四日分以上だろ。おめェ、このていどの計算もできないのか?」

 ゴロウはツクシの計算間違いを指摘したが、ツクシはそのままの表情でゴロウをじっと見つめている。

「――とにかく、まともに階段から階段を下りて歩いたら地下八階層にある王国軍のキャンプへの補給にならねえだろ。だから、ネストでは階層間の移動に導式エレベーターを使うんだ」

 ゴロウの発言を受けて首を捻ったツクシが、

「ああ、ネストにはエレベーターが設置してあるのかよ。地下一階層から最下層へエレベーターで直通なら荷運びにこんな大人数はいらん筈だがな?」

 広場には二千人近くの日雇い労働者が集まっている。

 ゴロウが説明した。

「いや、導式エレベーターは最下層まで直通してねえ。地下一階から地下二階へエレベーターで下ったら、そこから歩いて移動して別のエレベーターで次の階層へ下りるんだ。これの繰り返しだな」

「――わからんな。何故そんな面倒なことをする?」

 ツクシが横目で睨むと、

「ツクシは案外と細かいなァ」

 呟いたゴロウが懐へ手を突っ込んで、「これを見りゃあわかるだろ、ホレ――」と、取り出したものを、ツクシに突きつけた。ゴロウの手の上にあるのは、八卦鏡のような形状の道具だ。

「この導式具は『智天使の瞳ケルヴィム・オキュラス』っていうんだ。値段は金貨が四枚に銀貨が二枚、それに少銀貨が八枚と銅貨が二枚だった。これでも、かなり値切ってやったんだぜ――」

 ゴロウが智天使の瞳の中心にはめ込まれた緑色の石を指で擦った。すると、半透明の立体地図が導式具の上に照射される。ゴロウの指の動きに合わて、その立体地図の画像が拡大・縮小した。

「へえ、この道具は立体映像を照射できるのか。よくできているな――」

 ツクシが目を見開いた。

「ああよォ、ツクシ。これがネストの内部構造になる。もっとも、この導式具は移動した箇所しか記録してくれねえからな。これがネスト全体の構造ってわけじゃねえ」

「――ああ、ネストは下の階層が真下にないんだな。上層と下層が部分的に重なっている箇所をエレベーターを繋げているのか。なるほど、これだと、エレベーターで最下層に直送は無理そうだ」

 頷いたツクシが手を伸ばすと、ゴロウは智天使の瞳をスッと懐へ戻した。

 くっそ、本当にケチな野郎だ――。

 殺気立ったツクシがゴロウの髭面に力強くガンを飛ばした。

 ゴロウはツクシの殺気を総身に浴びて心地良さげに笑いながら、

「最下層までエレベーターを直接繋げないのは他にも理由がある。それはネストのなかにいけばわかるだろうぜ。何にしろだ。導式エレベーターを使えば階段を使うよりも時間が省ける。ネストは階段そのものも馬鹿みてえに大きくて長いからなァ」

 ゴロウをギリギリ睨んでいたツクシは気を取り直して、

「各階層ごとに分かれた荷運び組が、ネスト内部にあるエレベーター間で荷を運ぶことになるのか。バケツ・リレー方式だな?」

「あァ、そうだ。まず手ぶらで指定された階層までエレベーターで降りる。先頭の組に積荷があると移動に手間取って後発組の移動が滞るからな。指定された階層に到達したら、先行した組が、上から降りてくる荷を受けるわけだ。それを、同じ階層にある下りエレベーター前まで運ぶ。そしたら、下から上がってくる荷を受け取って、元の場所へと戻ると。これがネストの荷運びの仕事の流れだ。ネストに元々ある階段は基本的に使わねえ」

「ツクシさん、階段を使って荷を運ぶときもたまにあるんだ。ど、導式エレベーターは、故障が多いから」

 ヤーコフがいった。

「階段を使うのはよ。できる限り、やりたくねえよ」

 チムールが地面に唾を吐いた。

 うつむいて考えていたツクシが、

「俺たちは、どのくらいの時間、ネストのなかで働くんだ?」

 ゴロウが視線を上にやって、

「ん、それはまちまちだなァ――基本的には運ぶ荷がなくなるまで働くんだよ。三日くらいで終わることが多いが、それ以上かかることもあらァな。メシの心配だけはねえぜ。各階層のエレベーター前にあるキャンプ――エレベーター・キャンプで行商人が色々な食いものを売ってる。あいつらは兵隊よりよっぽど肝っ玉が据わっていやがる。管理省の許可をもらって、ネストのなかで商売をしている連中は、命より銭が大事って感じの呆れた野郎ども揃いなんだ。そいつらをネスト行商っていうぜ。まァ、ネスト行商が売るものは、ネストの外で買うよりだいぶ割高だがなァ――」

「――なるほど。勤務時間が長くて不安定なのか。それで野営の道具が必要なんだな。だいたい、わかった。助かったぜ、ゴロウ」

 ツクシがゴロウへ素直に礼をいった。

 顔は不機嫌なままである。

 目を丸々とさせて、激しく動揺した様子のゴロウが

「あっ、ああよォ、ま、まァ、そういうこった――」

「――今日は階層分けの抽選が遅くないかよ?」

 唸ったチムールがまた地面に唾を吐いた。

「定時まであと十分くらいだ。チムール、い、苛々するのはダメだ――」

 ヤーコフがいった。チムールは横を向いている。

 そこで、大人の重いざわめきで満ちたネスト管理庁敷地内の広場に、

「あっ、見つけたぞ。おーい、ゴロウ、ゴロウ!」

 若い声が通った。ツクシが目を向けると背の高いひと混みをスルスルと抜けて、ゴルゴダ酒場宿の馬子――グェンが駆け寄ってくる。その後ろから子供が二人、走ってついてきた。

「おいおい、ゴロウ。『やどりぎ亭』にいなかったから探したぜ!」

 息を弾ませたグェンの赤いバンダナが落ちて目を半分隠していた。グェンについてきた二人の子供も、「ゴロウ!」「ゴロウ発見!」と、声を上げた。

「はァ、グェン、モグラ、それに、おいおい、今日はユキまでいるのかよォ。ネストで小遣い稼ぎは感心しねえんだがなァ――」

 ゴロウがボヤいた。

 あっ、と目を見開いたツクシが、

「お前は革水筒の!」

「あっ、道で倒れていたおじさん!」

 黒い顔の子供も瞳を見開いた。

 グェンについてきたのは、ツクシを助けた赤頭巾の子供だ。

「なんだよ、ユキ。この目つき悪いオッサンとお前、知り合いだったの?」

 黒い顔の子供――ユキにグェンが声をかけた。

「うん、グェン。ちょっとだけ知り合い――」

 ツクシを見上げたままユキが小さな声でいった。

 ツクシはいつもの不機嫌に戻った顔をグェンへきゅっと向けて、

「ところで、クソガキ。こんなところで何をしてる?」

「くおっ――仕事だよ、し、ご、と! このクソオッサン!」

 グェンは一瞬ひるんだがすぐツクシへ吠えかかった。

「仕事? ゴロウ、ネストの荷運びってのは子供ガキでもできる仕事なのか?」

 ツクシがゴロウへ視線を送った。

「いや、子供に荷運びは無理だぜ。ただなァ、ネスト・ポーターの荷物持ちみたいな役割はあってな。その役回りはジジババだとか女子供がやることも結構あってだなァ。俺としては感心しねえんだが――」

 困り顔のゴロウが頬の髭に手をやった。

「あぁん? 荷運びの荷物を運ぶだと? 何だよそれ?」

 ツクシが首を捻った。

 ゴロウは困り顔のまま、

「そこらが、ややっこしいんだがよォ。ネスト・ポーターでも得物を持ってる奴らは輸送隊の護衛に回ることが多くなる。浅い層でも屍鬼だとかファングが襲撃をしてくるからな。そいつらを武器を使って追い払うのに手荷物が邪魔になるんで、得物持ちは自分の相棒をつれているんだ。都合がつかないときは相棒を金で雇うこともあるぜ。我が身が危なくなっても兵隊は頼りにならねえからなァ」

「――屍鬼? ファング? よくわからんが、ネスト・ポーターは安全のためにお互い信用できる相棒バディを連れていくってわけか?」

 怪訝な顔のツクシへ、

「ツ、ツクシさん、たぶん、チムールと俺が、そ、そのバディってやつだ」

 ヤーコフが声をかけた。

「ま、そういうことだよ、新入りよ」

 頷いたチムールの声から角が取れている。ツクシは凸凹コンビに視線を送った。ヤーコフもチムールも子供たちを見る眼差しは柔らかい。チムールのほうは面倒な性格だが、それで悪党というわけではないようだ。

「ゴロウ、また銀貨三枚でオイラを使ってくれよう、たのむよう!」

 グェンについてきたもう一人の子供が声を張り上げた。この子供は身長が百七十センチ近くある。遠目に見れば大人だが、しかし、その物言いを聞くとまだ幼い。

 困り顔のゴロウが、

「ああよォ、モグラ。ネストへ子供ガキをつれていくのは気が進まねえって、俺ァいつもいっているだろ。今日は宿の仕事がねえのかよォ?」

 小太りで全体的に丸っこいこの子供の名はモグラというようだ。モグラの髪はトップだけ妙に量が多くて、それがツンツンと立っているので、顔の形ががパイナップルのように見えた。

「ゴロウ、モグラを使ってやってくれ。今日はラウのオッサンも薪割りは間に合ってるっていうからさ、モグラが遊んでいるんだよ。だからさあ、助けると思ってさあ、頼むよ、ゴロウ、な!」

 グェンが説得した。

「――ああもう、仕方ねえなァ。でも、モグラ。俺たちが深い階層に当たったら、大人しく帰れよ?」

 ゴロウはすぐ折れた。太い眉尻を落とし、肩を落とし、背を丸めたゴロウにいつもの迫力はまったくない。

「オイラは平気だ、逃げ足は自信ある。荷物をオイラにくれよ、ゴロウ!」

 モグラがゴロウの情けない髭面をを見てニッと笑った。苦い表情のままである。ゴロウが背負っていた背嚢をモグラに渡した。

「俺はお前に救われた。お前はユキって名前なのか?」

 ツクシが訊いた。ユキはツクシをじっと見上げている。ユキの身長は百三十センチ前後。まだ本当に子供の身体だ。

 鈴を鳴らしたような声である。

「うん。おじさん、オレの名前はユキ。グェン、今日はオレもネストへ行く」

 ユキがいった。

「へ? ユキ、お前はこのまま帰るんじゃ――」

 額のバンダナを手で押し上げたグェンが目を丸くした。

 顔を戻したユキはキッとツクシを見上げて、

「おじさん、オレを雇って。おじさんの荷物持ちをオレがやる!」

 ツクシは何もいわなかったが、グェンとゴロウは同時に口を開いた。

「おいおい、ユキ、確かに今日は宿の仕事が暇だけどさあ――」

「ユキよォ、そんな細い身体で背嚢が背負えるのかよォ。おめェは大人しく帰れやい、な?」

「オレも働く!」

 ユキが吼えた。

「あのさあ、ユキ。宿にまだ雑用があるかもしれないし――」

「あのなァ、ユキ。ネストは危険なんだよ。モグラはまァ慣れてるけどよォ。いいから、おめェはグェンと帰りねえ。悪いことはいわねェからよォ――」

 ゴロウとグェンが説得したが、

「やだ!」

 ユキはツクシをまっすぐ見つめている。

「ユキ、金はいくら欲しい?」

 ツクシが訊いた。ゴロウとグェンは、ぎょっと目を丸くしてツクシを見つめた。モグラはポカンと口を開けてツクシを眺めている。ヤーコフも驚きの視線をツクシに向けた。常に横を向いているチムールですらツクシの不機嫌な横顔を凝視した。

「銀貨一枚でいい!」

 ユキは琥珀色の瞳を真剣の色に染めている。

「ゴロウ、管理省から出る日当はいくらだ。銀貨一枚以上、もらえるのか?」

 ツクシが横目でゴロウを見やった。

 無上に悪いその目つきに凄まれて、

「まっ、まちまちだが、当たる階層によっては金貨四枚いくときだってあるぜ。ネスト・ポーターの日当だけは結構いいからなァ――」

 つい、ゴロウの口が滑った。

「金貨は銀貨で何枚分だ?」

 ツクシの視線がユキの黒い顔へ戻った。ユキはずっと怯まずにツクシの不機嫌な顔を見つめている。

「銀貨十枚で金貨一枚になるけどよォ。おい、ツクシ、まさか、おめェは本気でユキをつれて行くつもりなのか?」

 ゴロウが呻いた。

「ユキ、俺は九条尽だ、ツクシでいいぜ――お前には恩があるからな。おじさんでも、オッサンでも、クソオヤジ呼ばわりでも一向に構わん。好きに呼べ。俺がお前を銀貨三枚で雇ってやる。荷を持ってついてこい」

 ツクシが背嚢をユキに突きつけた。

「ほんと? ほんとにいいの?」

 ユキはツクシの荷を受け取った。

 背嚢を抱えるその腕がまだ細い――。

「おいおい、ツクシ、本気かよ、考え直せ!」

 そういっても、これは無駄かなァ――。

 ゴロウはそんな思いに囚われながら喚いた。

 ツクシは不機嫌な顔のままでいった。

「俺が見たところ、王都ここで生きる親無しの子供ガキどもは、どうも、自力で生きていくしかねェみたいだ。それなら仕事をやらせるさ。可哀そうだ可哀そうだと、同情だけして眺めているよりも、児童労働のひとつでもこさえて提供してやるほうが、よっぽどマシだろうぜ。それに俺はユキにでかい借りがある。頼まれたら断れん」

「ありがとう、ツクシ、わた――オレ、がんばるから!」

 ユキがパッと笑うと、ツクシは無言で頷いた。

「おいおい、グェン、お前からも、ユキとツクシに何かいってやれやい!」

 完全に腰が引けた様子のゴロウがグェンに助けを求めた。

「この目つきが悪いオッサンとゴロウは同じ階層で働くのか?」

 グェンは独り言のようにいった。

「そうだ、それがどうした、グェン?」

 ゴロウが困り顔で頷いた。

「ユキを頼むぜ、ゴロウ」

 グェンははっきりといった。

「あァ? おっ、おいおい、グェンよォ――」

 ゴロウはグェンを言いくるめようと考えたが言葉に詰まった。

 ゴロウを見やったグェンの目にも決意がある。

 まったく、どいつも、こいつも、俺の気苦労なんてお構いなしかよォ――。

 ゴロウは髭面を歪めた。

「ゴロウ、そのオッサンのいう通りだ。俺たちは餓鬼集団レギオンのメンバーは宿なし親なしの孤児だからな。金を稼がないと生きていけない。例え、それが危険でも――おい、そこの目つきが悪いオッサン!」

 グエンが声を上げた。

 ツクシは黙ったままグェンへ目を向ける。

「オッサン、ユキとモグラを頼んだぜ。でも、これだけは覚えておけ。俺の餓鬼集団レギオン――ゴルゴダ・ギャングスタのメンバーに怪我をさせたら絶対に承知しない。ユキもモグラも俺の家族ファミリーだ」

 グェンはツクシをじっと見つめた。

「俺は名前はツクシだ。いい加減に覚えろよ、クソガキ」

 口角を歪めてツクシがいった。

 そのツクシの邪悪な笑顔をまっすぐ見つめて、グェンがいい直した。

「ツクシ、ユキとモグラを頼んだ」

「わかった、グェン。俺にまかせろ。二人ともきっと無事に地上へ返してやる」

 ツクシが口角を歪めて目を細めて頷いて見せた。

「男の約束だぜ、ツクシ――さて、俺は急いで宿へ戻らなきゃ。ラウのオッサンうるさいからなあ。ユキ、モグラ、気をつけてな!」

 少しだけの笑顔を見せたグェンは、さっと踵を返すとひと混みの間をスルスル走っていった。

「うん、グェンも気をつけてね!」

「うん、グェン、いってくるよう!」

 ユキとモグラがグェンの背に叫んだ。

「だ、大丈夫かなあ、チムール?」

 大きな背を小さく丸めてヤーコフがチムールに訊いた。

「そんなのよ、俺たちの知ったことじゃねえだろうよ、ヤーコフよ」

 横を向いて応えたチムールは唾を吐かなかった。

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