十四節 ゴロウ・ギラマンという男

「――ツクシさん、朝ですよ。頑張って起きましょう!」

 ベッドの上でツクシが目を開けると悠里の笑顔が視界いっぱいにあった。

 ツクシの顔は腫れぼったい。

 一方の悠里はツヤツヤピカピカと元気なものだ。

 これが若さである。

 悠里の場合、例の特殊体質も手伝っているのかな――。

 ツクシは不機嫌な顔のまま床へ足を下ろした。

「水場へ案内します」

 悠里がいった。ゴルゴダ酒場宿の裏口を抜けると石畳の広場になっていた。広場の中央にツクシが以前に見たのと同じ手押しポンプと水場があった。大用小用と分かれた立派な石小屋の便所も広場にある。ツクシと悠里とそこで並んで用を足した。

「これは汲み取り式か?」

 ツクシが訊くと、

「ああ、いえ、下水道へ流してますよ。残念ながら完全に水洗とまではいきませんね」

 悠里は笑いながら応えた。

 そのあと、二人は水場で並んで顔を洗った。悠里がツクシに手ぬぐいとササラのようなものを手渡した。この木の棒で歯を磨くらしい。怪訝な顔のツクシが口のなかへそれを突っ込むと、ハッカのような香りが広がる。

「この樹木には殺菌作用があるし、歯も真っ白になりますよ」

 悠里がツクシに教えた。水場に近隣の住民らしきひともちらほらと訪れた。悠里は愛想よく挨拶を交わしている。ササラ歯ブラシを口に突っ込んだツクシは空を見上げた。王都を暗く覆っていた曇り雲は消えていた。雲ひとつないとまではいかない。だが、空は青く高く、頬を撫でる風は柔かく、天気は十分快晴だ。ツクシの口角がゆるむと、その腹が吼えた。それを聞いて悠里が笑った。

 ゴルゴダ酒場宿の裏口から美味しそうな匂いが漂ってくる。

「厨房でコックのセイジさんが朝メシを用意してくれています」

 悠里がいった。

「いたれりつくせりで気が引けるぜ」

 そんなことをいいながらも、ツクシは早足にゴルゴダ酒場宿へ戻っていった。悠里が慌ててあとを追う。宿に戻るとカウンター席にアルバトロスがいた。背を丸めてうつむいたアルバトロスの顔色は悪く一気に老け込んだように見える。それがぶつぶつと独り言を繰り返している。アルバトロスの右に座った悠里がツクシへ着席を促した。

 その席についたツクシが、

「アルさんも朝早いな。これから仕事なのか?」

 うつむいたアルバトロスからの返事はない。

「ツクシさん、放っておいてください。いつものことです。全然懲りないんだから――」

 悠里が吐き捨てるようにいった。改めてツクシが視線を送ると、カウンター・テーブルの上にツクシの腕時計が並んでいた。正確にいうと、ツクシの腕時計だったものの部品が並んでいる。

「アルさん、腕時計を分解バラしちまったのか――」

 ツクシが呟いた。

 アルバトロスの返事はない。屍のようである。

 アルバトロスに代わって悠里が応えた。

「ええ、おやっさんは目新しい機械細工を見ると片っ端から分解したがります。おやっさんの悪い癖ですよ。いつも組み立てられない癖に――」

「アルさん、随分と顔色が悪いぞ、大丈夫なのか?」

 ツクシは心配になってきた。屍のように動きを止めたアルバトロスのなかで右眼窩にある義眼だけがチカチカと忙しなく輝いている。

 悠里はゴミを見るような視線をアルバトロスへ送りながら、

「また寝ていないんでしょ。ツクシさん、いいから放っておいてください。こうなるとおやっさんは丸一日以上使い物になりません。相手にするだけ時間の無駄ですよ。黙って他人ひとの持ち物を分解することもしょっちゅうですからね。みんな本当に迷惑しています」

「ところで悠里、アルさんの義眼は光るようにできてるのか。どうも、普通の義眼じゃないよな、これは――」

 ツクシが訊いた。

「ああ、それは秘石ラピスコアに作られた導式具なんですよ。おやっさんの使っているのは導式義眼です。あっ、秘石は地球でいう宝石と似たような見た目の石ですよ。もっとも、こっちの世界で秘石といわれる鉱石は装飾品ではなくて、もっと実用的なものですけれどね」

「ドーシキ・ギガンって何だ?」

「ああ、ツクシさんや僕がつけている虎魂のペンダントがあるでしょ。これと同じような道具ですよ」

 悠里が自分の首から下がっていたネックレスを手にとった。

「なるほど、これと似たようなもんか。これの機能は翻訳だったよな。アルさんが使っている道具は、どんな機能なんだ?」

 ツクシも自分の首から下がった虎魂のペンダントを見やった。

「おやっさんの右目にあるのは眼球の代替品として使用できる導式具です。それに、視覚情報の記憶や、その伝達までできる高級品ですよ。他には暗視や取得した映像の拡大縮小機能がついてたかな――」

「へえ、こんな小さい道具で遠方に情報の伝達ができるのか?」

「ええ、でも情報伝達にはかなりの制限がありますね。それができるのは現状『導式の担い手』だけです。僕が導式ゴーグルを使っても、おやっさんが取得した情報を共有するのは無理ですね。僕には導式の担い手としての素質がまったくないんです。異世界こっちに来てから、それなりにがんばったんですけどね、無理でした。導式を扱う技術は天賦の才能がモノをいうので――ま、それは置いておきましてね。おやっさんが使っているような視野獲得系の導式具は普通、暗視ゴーグルのようなごっつい形をしていることが多いんです。でも、おやっさんは昔、右目に大怪我をしたので、特注の導式義眼を嵌め込んでいるわけですね」

「なるほどな。アルさんが使っている義眼はウェアラブル情報端末って感じになるのか。いや、眼球そのものの代わりだから、もっと高機能だよな。しかし、視覚情報を導式義眼とやらに記憶できるなら、分解した腕時計の組み立てだって簡単にできそうだが?」

「ああいや、おやっさんは機械を分解してるとき夢中になりすぎて、導式義眼に記憶インプットを忘れるらしいんですよ。このひとは道具を過信しているんです。便利な道具といっても一長一短ですよね、あははっ!」

 笑った悠里が、

「カントレイア世界は、地球世界より便利な物も結構あるんですよ。でもそれ以上に不便なことの方が多いですよ。まずカントレイアには内燃機関で動作するものがほとんど存在していないんですよね。だから――」

「おい、悠里、ちょっと待てよ」

 ツクシが遮った。

「えっ、はい、どうしました?」

 悠里が顔を傾けた。

「この世界には――カントレイア世界か。カントレイアには眼球の代用品になるような義眼を作れる技術があるんだよな?」

「ええ、見ての通りです」

「それなのに、車のエンジンのひとつも作れないのか。それは、ちょっとおかしいだろ。異世界人ってのはみんな馬鹿なのかよ?」

「ええ、そこなんですよね。カントレイア世界は石炭の産出量がかなり少ないんですよ。石油に至っては発見されてもいない。採掘される石炭だってほとんどが製鉄に流れていて、全体的に火力元の供給量が足りないんですね。だから、蒸気機関や内燃機関の技術は確立していても運用が思うようにならないんです。ただ、火力に代わる動力源として、カントレイアでは『導式』が幅を利かせていますよ」

「悠里、その導式ってやつが、俺にはわからん」

「ああ、ツクシさん、導式はですねえ――」

「――おはようございます、悠里さん、ツクシさん。お待たせしました」

 重い声である。

 ツクシが振り向くと背後にいた筋肉樽と視線がカチ合った。その筋肉樽はコック・スーツを着て、頭を手ぬぐいで括っていた。巌のように厳めしい顔から、ツヤツヤとした黒い髭が胸元にまで垂れている。ただ、筋肉樽の背丈は小さい。身長百四十センチ前後――。

「――あ、ツクシさん、このひとがゴルゴダ酒場宿のコックのセイジさんです」

 悠里がセイジを紹介した。

「ご挨拶が遅れて申し訳ございません、ツクシさん。お初にお目にかかります。私はこのゴルゴダ酒場宿で料理長をやらしてもらっている、ドワーフ族のセイジと申します」

 頭を下げたセイジの綺麗な挨拶である。

 慌てて頭を下げたツクシが、

「あっ、ああ、これは、ご丁寧にどうも――おっ、俺はニンゲン族の九条尽だ。ツクシでいいぜ――」

 喧嘩の売り買いは慣れたものだが、礼儀正しいのは苦手なツクシである。

「ええ、悠里さんからお話を聞いております。ツクシさん、弁当を用意してあるんで、出かけに持っていってください」

 セイジが朝食をカウンター・テーブルに並べた。籠には丸い白パンが何個か入っていた。皿の上にはオムレツと太く長いソーセージが二本、それにトマトを使ったサラダがある。男やめものツクシにとっては十分に豪勢な朝食だった。

「今、飲み物をもってきます」

 セイジは軽く頭を下げて厨房へ戻っていった。

「――映画とかで見たことあるぜ。あれがドワーフ人ってやつなのか?」

 困惑した様子でツクシが呟いた。

「ええ、セイジさんは、ドワーフ族ですよ」

 悠里は笑っている。

「特別、詳しいわけじゃないがな。でも俺が知っているドワーフってやつは、こう、何か違う。もっとこう、あれは荒々しい感じのだな――」

「ええ、実際、セイジさんはドワーフ族のなかでも変わり種です。他のドワーフ連中はもっと荒っぽいのが普通ですから。ドワーフの料理人だって珍しい。ドワーフ族は全般、食べ物に無頓着なんですよね。でもセイジさんは態度も腕も一流の料理人ですよ。それだけは間違いないです。男前でイナセですしね、気分のいい男性ひとです。ただまあ、ドワーフなんで背丈がちょっと足りない。カウンター越しに料理を出せないのが、料理人としては唯一の欠点ですかね、あはっ! ま、ツクシさん、朝めしを食べましょう」

 ツクシと悠里が朝食を食べ始めるとセイジが飲み物を運んできた。グラスに入っていたのは赤い色で酸味が強く甘さが控えめな飲料だ。何かの果汁のようである。

「味はまあオレンジっぽいし、名前もたぶんオレンジですよ。よく知りませんが、この果物の名前はオレンジ・モドキでいいと思いますよね」

 悠里がいい加減なことをツクシに教えた。昨晩、酒が過ぎたツクシには飲料の酸味が心地良く感じられる。その朝食を綺麗に食べ終わったあとである。

「悠里、ネスト・ポーターの日銭が入ったら、メシ代と宿代をまとめて払うぜ。誰に払えばいいんだ。ここの女将さん――エイダにか?」

 ツクシが訊いた。

「ツクシさん、気にしなくていいですよ。女将のエイダさんや他の従業員は、おやっさんと古い付き合いなんです。いくらでもわがままは通りますから。それにアルバトロス曲馬団は少数精鋭で名の通った冒険者団なんですよ。予算はいつも余裕があります。好きなだけ僕に甘えてください」

 そんなことをいって笑う悠里の横で、アルバトロスはまだ卓に並べた腕時計の部品を凝視している。

「甘えろっていわれてもな。そうもいかねェよ。男の沽券に関わるって話だ。まあ、金が入ったら悠里、お前に渡すぜ。あとで請求書でも書いておけ。ところで――」

 ツクシがアルバトロスを見やった。

「はい?」

 悠里も自分の団の団長を見やった。

「何でアルバトロス『曲馬』団なんだ」

 ツクシが訊くと、

「ああ、それですか――」

 悠里が苦笑いを見せた。

「俺はサーカス団でもやっているのかと思ったぜ。お前の同僚は、おかしな恰好をした連中が多かったからな。実際に道化師ピエロだっていた。あれはなかなか若くて、いい女だったが――」

「団の名前はおやっさんが適当に決めたらしいですから、理由なんてきっとないですよ。たぶん酔狂というやつです。おやっさんはそういうひとですからね。もしかしたら本気でサーカスをやるつもりだったのかも知れませんよ――じゃあ、ツクシさん。ネストに向かう準備をしましょう。僕も支度を手伝います」

 悠里が立ち上がった。

「何から何まで悪いな。俺みたいないいおっさんが、一回りも年齢が違う若いのに世話になりっぱなしで、惨めなもんだ――」

 顔を歪めて、ツクシも席を立った。

 悠里はその歪んだ顔へ爽やかな笑顔を見せながら、

「僕はツクシさんが本当に大好きですから、全然、気にならないですよ、あっはははっ!」

 階段を上がる悠里の足取りがウキウキと軽そうに見える。

 ツクシは角度も鋭くうつむいて、のそのそ悠里の後ろをついていった。

 階段を上がるツクシの足が鉛のように重い。

 ツクシの貸し部屋にあった革水筒――ツクシが王都で踏んだり蹴ったりされていた際に、黒い顔の子供から手渡された革水筒を目にした悠里が、「ああ、ちょうどいいや。この革水筒に飲み物を詰めてもらいましょう」そう呟いて出ていった。貸し部屋に残ったツクシは悠里が持ってきた旅人の背嚢の中身を確認した。十分、野営できる道具が揃っている。なかに指ぬきをした黒い革のグローブが何セットか入っていた。

「荷運びをやるなら、軍手のほうがいいんだろうけどな――」

 ツクシはグローブを両の手にはめた。サイズはツクシの手にぴったり合う。

 黒革鎧・黒蜥蜴と。暗いオリーブ色のインバネス・コート・飛竜である。

 この二つを抱えた悠里が、ツクシの貸し部屋へ戻ってきて、「これ僕が名前をつけました」そう自慢気に伝えた。

 そんなのマジでどうでもいい――。

 ツクシは顔を歪めて黒革鎧を身に着けるのに悠里の手を借りた。着用してみるとそれは驚くほど軽かった。黒革鎧が自分の皮膚の一部になったような錯覚を覚えるほどだ。

「動きやすいが、こんなシロモノで本当に身を守れるものなのかよ――?」

 疑問に思ったツクシは自分の腕鎧部分を拳で叩いてみた。次に、強く叩いてみる。最後はムキになってブン殴った。勢いで腕は持っていかれても痛みを感じない。打撃した箇所の衝撃が分散しているようだ。

「黒蜥蜴という革は、たいした素材なんだな――」

 ツクシは素直に感心をした。インバネス・コート・飛竜――外套も身に着けてみると、まるで空気をまとっているような感覚だ。しゃがみこんだツクシは足元の黒いアーミー・ブーツの紐を縛り直した。そうしたあと、ツクシは剣帯を装着して死んだ旅人から託された日本刀を腰から吊るした。

「おお、これは『黒騎士ツクシ』って感じっすよ。超イケてますよ。武器が日本刀ってのも、いぶし銀です。その刀の名前は『嵐を呼ぶものストームブリンガー』とかどうですか? どうでしょうね!」

 悠里は鼻息も荒くツクシの晴れ姿をベタ褒めである。

 相手にするのは面倒だな――。

 背嚢を持ったツクシは悠里を無視して階下へ向かった。その途中、階段踊り場に設置されていた姿鏡を見たツクシはカッと目を見開いて立ち止まった。姿鏡に映っていたのは、痛々しいコスプレをした三十路過ぎのオッサンだ。価値観は人それぞれなのだが、しかし、少なくともツクシは鏡に映った自分の立ち姿を破滅的に痛々しいと感じている。

 これはマジでヤバイ――。

 姿鏡を凝視するツクシの頬がピクピクと痙攣した。この男が数年振りかに経験するアイデンティティ崩壊の危機である。

「――クソッたれ。ちょっと待ってろよ、悠里!」

 ツクシは貸し部屋に駆け込んで、ワーク・キャップを引っ掴むと、姿鏡の前まで走って戻ってきた。そうして、ツクシはワーク・キャップを目深にかぶって不機嫌な顔の上半分を隠してみる。

 これで多少マシになったか。

 いや、まだかなり怪しいかも知れんな――。

 ツクシは姿鏡をガリガリ睨む。

 隣で悠里が不満気に、

「その帽子は、ちょっとありえないですわ、それは興が冷めますわ――」

 まだしばらく鏡を睨んで、どうにか納得したらしいツクシが階下へ降りると、

「おや、ツクシ。凄いのを着ているじゃないか。リザードマン・パラディンの革鎧だね。これは見違えたよ。無事に帰っておいでな」

 下にいたエイダがセイジの弁当と革水筒をツクシへ手渡した。エイダは牙のある口で笑っている。ツクシも口角を歪めて返した。

 カウンター席でまだうつむいていたアルバトロスが、

「おい、受け取れ」

 何かをツクシに向けて放った。それを受け止めてツクシは顔をしかめた。飛んできたのは鎖付きの懐中時計だ。ゼンマイ式で動作するそれは手にズシリと重く、全体が白銀で輝いていた。盤も時計の針も凝った装飾が施されていて相当な高級品に見える。ツクシはその懐中時計をアルバトロスへ突っ返そうした。

「デンチで動かない時計はいらね」

 アルバトロスはそう虚ろな表情で呟くと、腕時計の部品を眺め続ける作業へ戻った。

「ツクシさん、遠慮せずに貰っておけばいいんですよ」

 悠里が冷めた顔と冷たい声でいった。諦めたツクシは白銀の懐中時計を眺めた。時刻は午前七時を回ろうとしている。ツクシは剣帯についていた右の小物入れに懐中時計を収めた。迎えに来る筈のゴロウはまだ姿を見せない。

 手持ち無沙汰になったツクシは、近くの丸テーブル席に腰をかけて、

「悠里は俺の着ているこれが、何の革なのか知っているか?」

「ツクシさん、それは黒蜥蜴ですよ」

 悠里の短い返事である。

「――ああ、いや、悠里、俺にわかるようにいえよな。ただの黒いトカゲの革?」

「ああいや、それはリザードマンの革ですよ、正確にはリザードマン・パラディンの革ですね」

「リザード? パラデン? 何だよ、それは、モンスターってやつか?」

「ええとですね、ツクシさん、リザードマンというのは――」


 ――カントレイアの世界地図で見る。

 南半球に位置するドラゴニア大陸の面積の半分を占めるウビ・チテム大森林。その奥深くにある『無法湿地帯アウトローズ・スワンプ』と呼ばれる湿地帯には、二足歩行をするトカゲのような外見の人類――リザードマン族が生息している。リザードマン族は武器の扱いに長け、腕力と敏捷性が高く、グリーン・オーク族と双璧を成すカントレイア世界最強の白兵戦闘能力を持つ種族である。リザードマン族は『リザードマン戦士国』という国家を形成しているのだが、その種族特性として排他的かつ好戦的で他国家と交流は皆無だという。リザードマン戦士国が他国家との接触を図る手段は戦争のみなのだ。

 そうして、幾年もの月日を戦場で生き抜いたリザードマン戦士は、その緑色の外見が敵の返り血で赤黒く染まる。革が赤黒く変色した個体はリザードマン聖戦士パラディン――ヒト族側の呼称では『黒蜥蜴』と呼ばれ、リザードマン族の敬意を集める指導者の立場に就く。その黒蜥蜴が死ぬと、リザードマンは黒蜥蜴の革で鎧を作るのだという。その力にあやかるためにである。この黒蜥蜴の革で作られた革鎧は最高水準の品質であるとのこと。しかし、ウビ・チテム大森林はもちろん、ドラゴニア大陸自体もたいていのヒト族にとっては未開の土地である。であるからして、黒蜥蜴はおろかリザードマン族すらも見たことがないものが王都では大多数を占めており――。


 ――そんなことを語っている途中、

「それはそうと、ゴロウさん、ちょっと遅いですね」

 悠里が心配そうにゴルゴダ酒場宿の出入口を見やった。

「奴は必ずここへ来るさ」

 ツクシもゴルゴダ酒場宿の出入口へ目を向けた。ゴロウ・ギラマンは一度誓った約束を違えるような男ではない。ツクシの男の勘が断言している。果たしてである。ウェスタン調扉の向こうにぬっと白いひと影が立った。その赤髭の巨漢は厳めしいロング・コート――その要所要所へ身を守る為の装甲が施された、武装ロング・コートを羽織っていた。その姿で手に二メートルを超える鉄製の錫杖を持って、大きな背嚢を背負っている。

「おう、遅かったな、ゴロウ」

「ああよォ、さっさと行くぜ、ツクシ」

 これが二人の男が交わした朝の挨拶だった。

 席を立ったツクシの外套の裾がはためく。

「あら、いってらっしゃい、ツクシ」

 二階から洗濯籠を抱えて降りてきたミュカレが、艶かしい声色でツクシにいった。耳元である。

「お、おう。い、いってきます――」

 ツクシが出かけの挨拶をミュカレに返した。小さい声だった。

 宿を後にしようとするツクシの背に、

「気をつけていっておいでな、ツクシ!」

 エイダがまた吠えた。ツクシは振り返らずに右手を軽く上げて返答した。

「幸運を、ツクシ」

 宿から出たところで骨馬レィディも声をかけてくれた。

「ああ、行って来るぜ、レィディ」

 ツクシは口角を歪めて応じる。

 ツクシとゴロウは並んで南へ歩きだした。

 宿から飛び出してきた悠里が、

「必ずここへ戻ってきてくださいね、ツクシさん!」

 交通の要所になっている王都の十三番区ゴルゴダの路上には大量の通行人や荷馬車や馬が行き交っている。何人かのひとが驚いた視線を悠里に送った。しかし、悠里はずっとそこに佇んでツクシの背を見送った。

 ゴロウが髭面をツクシに向けて、

「ツクシ、おめェは悠里を女房にしてるのかよ。ははァ、さては、おめェ、ホモだな?」 

 と、下品に笑った。

 不機嫌な顔を大いに歪めたツクシは滑るように歩を進めた。

 ゴロウは錫杖を地面に突き立て胸を反らし大股で歩を進めた。

 ペクトクラシュ河沿いの大通りを南下して二人の男がネストへ向かう。

 異形の巣ネストはゴルゴダ酒場宿の南西、徒歩で三十分の距離にある。


(一章 刃の伝承 了)

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