十二節 永遠に呪われた冒険者

 悠里はツクシの不機嫌から視線を外して、

「ツクシさん、気持ちはわかります。でもですね。風呂場でもいいましたが漆黒のジグラッドへ行くのは無理ですよ。漆黒のジグラッドへ運よく入れたところで、必ず日本に帰れるという保証もありません。間違いなく『ここではないどこかへ繋がる扉』はまだ開いていると思います。噂を聞くと漆黒のジグラッド周辺は時空が不安定になっているらしいですからね」

「確かめる価値はありそうだがな――」

 ツクシが呟いた。

「でも、漆黒のジグラッドに扉があっても、それがどこに繋がっているかはわかんないんですよ。もしかしたら別の場所――他の世界に繋がっているのかも知れない。日本ではない、どこかにですね。このカントレイア世界みたいな――」

 悠里も呟くようにいった。

 ツクシはワインの杯に口をつけながら、

「悠里はもう日本へ帰る気がないのか?」

「そりゃあ、ツクシさん、僕だって帰れるものなら帰りたいですよ。日本には僕の両親がいるし、僕の兄妹だっているし、家で猫だって飼っていたし、友達だってそれなりにいたし、趣味もあったしです。ああ、元気にしてるかなあ、ファンタジー文学同好会のみんな――」

 悠里が顔を上げた。笑顔ではない顔である。悠里は一年以上この異世界で暮らしているらしい。望郷の念も募っているのだろう。

 同情したツクシは神妙な顔つきで、

「そうか、そりゃあ、悠里だって日本へ帰りたいよなあ――」

「まあ、もっとも、彼女にはここへ来る直前、フラれちゃいましたけれどね。彼女と僕は大学生時代から付き合ってたんです。僕のほうは勝手に将来はこいつと結婚するのかなあ、なんて思ってたんですけれどね、漠然とですけれどね――」

 悠里が泣き声でいった。

 これはどうも面倒な感じに脱線する流れだ。

「あっ、ああ、悠里その話はまたあとでだな――」

 顔を強張らせたツクシの言葉を、

「でも、ツクシさん、僕が社会人になってからですよ!」

 くわっ、と表情を変えて悠里が止めた。

「ああ、おう――」

 ツクシは呻き声だ。

 カクン、とうなだれた悠里が、

「僕が社会人になってから、その彼女と疎遠になったんです。いえ、疎遠になったというよりも、彼女が僕から離れていったんですね。まあ、僕の元カノのことはどうでもいいですね、すいません。あとは会社くらいか――」

「ああ、悠里、その漆黒のジグなんちゃらってのは――」

 ツクシは口を挟んだが、

「ツクシさん、会社はこの際どうでもいいんですよ!」

 ガバッ、と顔を上げた悠里である。

「ああ、うん。そうか――」

 ツクシは諦めて視線を落とした。

「ツクシさん。日本で僕がやっていたのは歩合の営業職でした。面接のときはルート営業って聞いていたのですけれどね。実際の現場は飛び込み営業ですよ。よくある話ですよね。その会社はね、家庭用のウォーター・サーバーをですね、売る会社でした。まあ、これは本当にもうどうでもいいんです。たいして好きでもない仕事でしたからね。今月で無断欠勤一周年以上ですよ。だから、もうとっくの昔に僕はクビになっているのだろうし――」

 鬱々と語る悠里へ、

「あのな、悠里。そろそろ、その――俺が日本へ帰る話をだな――」

 ツクシはいったのだが、

「ああ、やっぱり、彼女は僕の将来性に不安を感じたのかな!」

 うつむいたまま怒鳴った悠里は聞いてない。

「ああ、おう。ま、まあ女ってのは、たいてい、打算的で身勝手だからな――」

「ツクシさん! 僕は彼女と別れるときですね、『大学時代のあなたはもっと輝いてた』なんてことを、いわれました。僕は本当に落ち込みましたよ。夜は眠れないし、ご飯も喉を通らないほどですね。でもね、ツクシさん、僕だってね、新入社員で、もう毎日、必死でしたからね。たまのデートでも疲れた顔になりますよ。それをですね、あのクソ女は――」

 酔客がだいぶ引けたゴルゴダ酒場宿に悠里の辛気臭い念仏が流れていった。まったく止まる気配がない。このまま悠里は朝まで愚痴り続けそうだ。

 杯の縁を噛んだツクシの顔が後悔で歪んでいる。

 アルバトロスが悠里へ空にした杯を突きつけて、

「まあ、俺も悠里から色々聞いてるからな。ツクシも悠里と同じ、その『ニホン』って国から来たんだろ?」

 悠里が鼻をくすんくすんやりながらアルバトロスの杯へワインを注いだ。

「ああ、アルさん、それだけは間違いないぜ。俺は日本から来たんだ」

 頷いたツクシが空にした杯を置くと、そこへも無言の悠里がワインを注いだ。

 杯を呷って頷いたアルバトロスが、

「――うん。ツクシが国に帰りたいってのも俺はわかる。悠里もこっちへ来て一週間くらいはニホンへ帰りたがっていたからな」

「まあ、それが普通だよなあ――ああ、おいおい、ちょっと待て。たった一週間だと?」

 頷きかけたツクシが悠里を見やった。

 うなだれた悠里はまだ鼻をグスグスやっている。

 アルバトロスがいった。

「だが、ツクシ。その漆黒のジグラッドっていう古代遺跡塔は戦争がなくてもヤバイ場所なんだ。元々誰も近寄らなかった――いや、近寄れなかった場所なのさ。だから、あそこら一帯は無人の荒野ノーマンズ・ランドって名で呼ばれてる」

「でも悠里はその危険な場所から逃げてきたんだろ?」

 ツクシはチーズを齧りながら首を捻った。

「ああ、最初は俺も信じられなかった。しかし、後では納得した」

 頷いたアルバトロスが、

「おい、悠里。いつまでもめそめそするな」

「――あっ、はい、おやっさん?」

 悠里が顔を上げた。

 青い目がうるうるしている。

「ツクシはお前のアレをもう知っているのか。いや、ツクシも、もしかすると、アレなのか?」

 アルバトロスが訊いた。

 アレとか、アレなのかとか、何をいってるんだこのオッサン。

 俺にそのはねェよ。

 ツクシはアルバトロスの無精髭がツンツンした顔を凝視した。

 アルバトロスは深刻そうな顔つきだ。

 ツクシは焦った。

 額に脂汗まで浮いている。

「いえ、おやっさん。ツクシさんはアレじゃないと思いますよ。確認をしていいませんが――」

 悠里がツクシをじっと見つめた。

「ああ、そうだぜ、悠里。俺にそっちの趣味はねェからな」

 ツクシは唸った。

 その不機嫌な顔に視線を置いたまま、

「そうですよね、この際、知っておいてもらったほうがいいのか――」

 悠里が真剣な表情で呟いた。

「なっ、何だ、俺は知りたくねェぞ、そんなもの!」

 ツクシは椅子から腰を浮かせた。逃げ腰である。

 悠里は真剣な顔のまま、

「ツクシさん。血を見るのは平気ですか?」

 ツクシは眉根を寄せて悠里の顔を見つめたが冗談をいっている気配はない。もっとも、悠里はどこまで冗談でどこまでが本気なのかが、よくわからない男ではあるのだが――。

「血って、血液のことか。特別、好きじゃないが、見てひっくり返ることはないと思うぜ。どうした、悠里、何がいいたいんだ?」

 ツクシの問いに応えず、フォークを手にとった悠里は、

「そうですか。じゃあ、ツクシさん、しっかり見ていてくださいね。これ、一度しかやりませんから。普通に痛いんですよ。これが不便なんですよねえ――」

 悠里はフォークを振り上げて、「じゃあ、いきますよ、せぇの!」と、仰向けにした自分の左手へ突き刺した。杯にあったワインが波打ち、大皿のハムやチーズが飛び跳ねる。苦痛に顔を歪めた悠里が、「くぅ――」と肩を震わせながら、自分の手の平に突き立てたフォークを引き抜いた。悠里の手のひらに三つの穴が空き、赤い血が丸く膨らんだ。

「おいおい、悠里、何をしているんだ――」

 ツクシが呻いた。悠里はツクシの顔の前へ傷つけた自分の手を突き出した。むろん、手のひらからは血が流れている。しかし、しばらくすると、その流れ出した血が悠里の手のひらに空いた穴へ戻る。映像を逆回転させているような光景だ。流れ出した血が悠里の体内へと戻ると傷口も閉じた。今、表情と身体を固めたツクシが凝視しているのは傷ひとつなくなった悠里の手のひらだ。

 唖然としたツクシが、

「悠里、これは何の手品だ?」

 悠里は手をぶるぶると振ると、

「ああ、痛かった――まあ、ツクシさん、こういうわけなんですよ。僕はカントレイアに召喚されたとき、死んじゃったんです。その後、偶然出会ったアヤカに再生された僕は見ての通り『不死者ノスフェラトゥ』になりました」

「ノスファラ? それは、何なんだ――」

「ツクシさんも骨馬のレィディを見ましたよね?」

「ああ、あの骨の馬な――」

「彼女と僕は不死者です。存在することを主人に――アヤカに許可されて存在している存在です。レィディも僕も、アヤカが作っているんですね。だから、絶対に壊れない。けれども、強い力で常に縛られています。作って『いる』ですよ。現在進行形です。僕はアヤカに『作られ続けている』から、『何をされても体は絶対に治る』し、『存在している』ってことになりますね」

「――何だかよくわからないが、悠里は不死身ってことなのか?」

「ああ、いえ、『死なない』でなくて、『許可がないと死ねない』が正しいですね。まあ、簡単にいうと僕はもう人間じゃない――」

 悠里はうつむいた。悠里のいっていることがツクシにはよくわからない。しかし、ツクシはがっくりうなだれた悠里を問い詰めることができなかった。

 視線を落としたまま悠里が続けた。

「この体質の僕が日本へ帰ったとしたらどうなるでしょう。バレたら周囲に大騒ぎされますよね。それに、日本へ帰った時点で僕が僕という存在を保てるかどうかもわからないんです。戻ってみたら案外と平気だった、とかもあるのかも知れませんね。何でもやってみないとわかりませんから。でも、不死者が作られる経緯を考えると、日本に帰った途端、僕の存在は煙のように消えちゃう可能性が高いんですよ。不死者はアヤカの気分次第でどうにでもなる存在ですから。だから、もう、僕は日本へ帰れないです――でもね、ツクシさん」

「――ああ」

 ツクシが頷いた。

「でもね、実際、カントレイアから日本へ帰る手段がないから、あまり気に病む必要もないんですよね。あっはははっ!」

 悠里が笑った。

 どうやら、気持ちの切り替えは早い男のようだな――。

 ツクシは口角を歪めて返してワインの杯を手にとった。そのついでに大皿にあったハムも一切れ口に入れた。旨いものだ。スーパー・マーケットで買うパック入りのハムとはまるで違う。それは肉らしい肉の味だった。

 アルバトロスもハムを手にとって、

「わかったか、ツクシ。悠里が危険な漆黒のジグラッドから脱出できたのは、こういう事情があるんだ。悠里は何をされても絶対に死なない身体なんだな。あとはまあ、アヤカ嬢ちゃんの力もあるけどな――」

「ああ、アヤカの力を借りるという手もありますよね、でも――」

 頷いた悠里もハムに手を伸ばした。

「アヤカ嬢ちゃんは、ひと風情がコントロールできるタマじゃないからな――」

 アルバトロスは手にあるハムを見つめている。

「そうですね。アヤカは自分の力を完全に制御できるわけじゃないですから。でも単純にあれは性格の問題のような気もするんだよな――」

 悠里はボヤきながらハムをはむはむしている。「アヤカ」という名前を口にした途端、アルバトロスと悠里が遠い目になった。二人とも何かを呆れているような、何かに怯えているような――。

 そのアヤカってのは誰なんだ?

 ツクシが訊こうとすると他の丸テーブル席で怒鳴り声が上がった。


「――てめェ、それはサマ(※イカサマの意)だろうよ!」

 甲高い男の声だ。

「あはぁ、負けが込んでいいがかりか――いい加減にしてくれや?」

 別の男の声である。

「フォア・カードが一晩に何度も何度も出てたまるかよ、ふざけてんじゃねえよ!」

 甲高い声が吠えた。

「チムール、け、喧嘩、よくない」

 吃音気味の低い声だ。

「黙ってろよ、ヤーコフ、俺は舐められるのが大嫌いなんだよ!」

 甲高い声が唸った。

「ちっ、博打も知らねェ田舎モンが。愚図々々いっていないで、負けた金をおいて帰れよ」

「あ? 今、いまなんつったよ、てめえよ――」

「聞こえなかったのか。トーマスはな、田舎者カッペの流民のネスト・ポーター風情がぎゃあぎゃあとうるせえよなあ、っていったんだ」

「おいチビ、敗けた金を置いてとっとと失せろ」

「俺たちだって好きでネスト・ポーターをやっているわけじゃねえよ、上等だよ、お前ら全員、表へ出ろよ!」

「チムール、お、落ち着け!」

 ツクシたちから離れた場所にある丸テーブル席で、カード博打に興じていた男たちが揉めている。どうもそこにいた小男――チムールはカード博打の結果に不満があるらしい。巨漢のヤーコフが激高するチムールを必死でなだめている。

 

 悠里が笑いながら、

「ツクシさん、あのまま表でぶっ殺し合うこともよくありますよ。どっちが先に死ぬか賭場が立つんです。あれは賑やかで楽しいですよ、ゴルゴダ酒場宿の名物のひとつです。楽しみですね。あはっ!」

 ツクシは悠里の笑う横顔をじっと見つめた。

 その視線に悠里が気づく気配はない。

「――おうおう、おめェら! ネスト・ポーターがどうかしたかァ!」

 壁も床も振動するようなダミ声だ。カウンター席で怒鳴った男がぬっと立ち上がって、博打で揉めていたテーブルへ歩み寄る。身長百九十センチ超、筋骨隆々、頭を白い布でくくった、赤い髭面もむさくるしい大偉丈夫だ。のっしのっしと近づいてきた赤髭の大男を見て、揉めていた男たちの顔が一斉に強張った。

「ああ、あのひと今日はここで飲んでたんですね。気づかなかったな――」

 悠里が残念そうな口振りでいった。

「誰なんだ、あの赤髭の大男は?」

 ツクシが訊いた。

「あいつはゴロウだ」

 応えたアルバトロスも喧嘩騒ぎを眺めている。

「あの赤髭はゴロウって名前か。アルさん、あのデカブツは何者なんだ?」

「ゴロウはネストで仕事をしながら長く生き延びているしぶとい野郎だ。今のあいつは、ネスト・ポーターの顔役ってとこになるんだろうな。この近くに定宿があるらしい。ゴルゴダ酒場宿ここへもよく酒を飲みにくる」

「ネスト・ポーター、ネスト、異形種か――」

 ツクシは突発した喧嘩騒ぎを見物した。


「げえっ、ゴロウ、お前、いたのかよ!」

「ゴロウ、お前の出る幕じゃあねえだろ、な? な?」

「ゴロウ、俺たちは田舎モンに礼儀を教えている最中なんだよ」

「だ、だいたい、先にアヤをつけてきたのはこのチビだぜ。な、わかるだろ?」

 カード博打をやっていた男たちが一斉にゴロウへ拒絶反応を見せた。

「何だ、ゴロウかよ――」

 チムールが吐き捨てるようにいった。

「ゴ、ゴロウさん!」

 ヤーコフが呼びかけた。

「いよゥ、チムールにヤーコフ、善い夜だな」

 ゴロウは歯を見せて笑った。

 意外にもその歯が揃ってキラリと白い。

「全然、善くねえよ。ゴロウはこの話に関係ねえだろうよ。すっこんでいろよ。俺は今、マジで頭にきてるんだよ。こいつらを今から八つ裂きにしてやるよ!」

 憤るチムールの横で、困り顔のヤーコフが、

「ゴ、ゴロウさん、チムール、止めてくれ」

「はァあ、チムールよォ。騙されるおめェも悪いんだぜ。ヤーコフを困らせるんじゃねえよなァ。チムールはヤーコフの兄貴分なんだろォ?」

 ゴロウが博打の席にいた男の一人の手首を掴んだ。

 見上げるような大男にしては俊敏な動作だった。

「みぎゃあ!」

 男は悲鳴と一緒に起立した。そのままゴロウは片手で男の腕を捻り上げた。ものすごい力技だ。顔を真っ赤にした男は動けない。

「あっ、がっ、があ――」

 眼玉が飛び出そうなほど目を見開いた男が海老反りになったところで、その服の裾からカードがパラパラ落ちてきた。床に落ちたカードは卓上にあるカードと同じ絵柄だ。イカサマ博打の証拠だった。

「それ見ろ、やっぱり、サマだろうよ。てめェら、全員、今からぶっ殺してやるよ!」

 チムールの手が腰に吊るした山刀へかかった。

「お、落ち着け、チムール!」

 ヤーコフがチムールを後ろから取り押さえた。

 ゴロウはイカサマ男を片手で確保したまま、その耳元で唸った。

「なァ、トーマスよォ、『フォア・カードのトーマス』さんよォ?」

 イカサマ男――トーマスは激痛で声も出ないようだ。

 ゴロウは構わずに、

「おめェも、そのお仲間も、本当に懲りねェのなァ。『ネスト・ポーターを相手にイカサマでカモるな』。俺は前にもおめェにそういっただろ。このまま一生サマができねえ手の形にしてやってもいいんだがよォ。この俺ァ腐っても布教師アルケミストだからな。怪我人を手前てめぇでこさえるのはちょっと気が引けるんだよなァ。だからよォ、ここらで手打ちにしてやってくれや、それでいいだろ、なァ――ヤーコフ、チムールをつれてさっさと帰れ!」

「たっ、助かった、ゴロウさん!」

 ヤーコフはチムールを引きずるようにしてゴルゴダ酒場宿から出ていった。外でチムールが何か喚いている。その喚き声もすぐ聞こえなくなった。ゴロウはチムールとヤーコフが去ったのを確認してからトーマスを解放した。海老反りになっていたトーマスがカード博打の会場に倒れると悲鳴と一緒にカードが舞う。

「あーァ、トーマスよォ。痛い思いさせて悪かったなァ。ネストへ通ってる俺の立場ってモンもあるからよォ。わかってくれや、なァ?」

 背を丸めたゴロウがニヤニヤと笑った。トーマスは怯えた目で赤い髭面の笑顔を見上げている。トーマスのお仲間らしき三人の男は丸テーブルの席に座って、ずっとうつむいたままだ。

「まァ、ネスト・ポーターを相手に派手なアソびをしてくれるなって話だ。侘びってわけじゃあねえがな、抜けたチムールの代わりに俺が参加してやるぜ。おっしゃ、おめェら、さっさとカードを配れ。腕が鳴るぜえ!」

 ゴロウは喜々として博打の席についた。

 他の男たちの顔色が極端に悪い。

 今にも死にそうな顔つきだ。

 沈鬱な空気のなかでカード博打は再開された。


「何だ、あの赤髭男。あのイカサマ四人組とカードをやりだしたぜ。あれでいいのか?」

 派手な喧嘩を期待していたツクシは残念そうだ。

「ああ、ゴロウさんがいつものあれを。あのひとも本当にひどいよなあ――」

 悠里は苦笑いだった。

「ツクシ、心配はいらん。あのゴロウって野郎は博打で負けた金は絶対に払わないのを身上にしている男だ。あれはあのむっさ苦しい髭面に合わないドケチな野郎で有名でな。その癖、博打は三度のメシより好きときてる――」

 アルバトロスが肩を揺らして笑った。一悶着あったあとゴルゴダ宿酒場は静かになった。嬉しそうにわあわあとやっているのは赤髭男のゴロウくらいなものである。

 カード博打であんな表情を出していたら、とても勝てんよな――。

 ツクシは横目でそれを見ながら呆れている。

「週末なら、緑の妖精旅楽団が演奏をしている時間帯なんですけれどね。まあ、静かなのも悪くないですけれどね――そこで僕からツクシさんに提案があるんですが――」

 悠里がツクシの杯へワインを注ごうとしたが、

「ああ、いや、今日はこれ以上飲むと話ができなくなりそうだ。これくらいでよしておく」

 ツクシは悠里を制した。ツクシはもう酔いが回っていた。悠里の顔には酔いの気配が出ていない。アルバトロスは悠里から杯を受けた。この男もまた酔っている気配がない。

 こいつらと付き合っていると、肝臓がもう一個は必要になりそうだよな――。

 ツクシはうつむいて口角を歪めた。

 ワインの杯を干してアルバトロスが口を開いた。

「うん、悠里、俺もそれを考えていた。実はな、ツクシ。俺が団長をやっているアルバトロス曲馬団に空席があるんだよ。今日、俺はお前と会ったばかりだ。だが、お前は見所がある」

「冗談はよしてくれ。この俺のどこに見所があるってんだ。俺ほどうだつの上がらない男はそうそういないぜ――」

 ツクシはうつむいた。

「いや、お前のその目つきだ」アルバトロスがいった。「ツクシのそれはな、鉄火場で切ったはったをするために生まれてきた男の目だ。俺だってドヤクザな冒険者稼業を、それなりに長くやっている。だから、一目見ればすぐにわかるのさ。ツクシ、お前さえよければ世話をするぞ」

 真正面からで一切の怯みがない言葉だった。

「――俺にこの世界で冒険者とやらをやれって話か?」

 ツクシが顔を上げた。

 アルバトロスは唇の端を吊り上げて、

「そうだ。冒険者稼業は楽じゃない。ベッドの上で死ぬのが難しいヤクザな商売だ。だが遣り甲斐はある。それに冒険者は自由で飽きがこない。これは何にも代えがたい。ツクシ、冒険者はお前にしっくりと来る生き方だと俺は思う。どうだ、やってみる気はないか?」

 男の誉れをくすぐる口説き文句である。

 ゆるんだ口角をすぐに「へ」の字へ戻したツクシは、

「死人がアルさんの団にあった席を空けてくれたのか?」

 アルバトロスが笑って、

「ツクシ、いわなくてもわかっているじゃないか。これは益々気に入った。鈍い奴から順にくたばる世界だからな、カンが鋭くないとやっていけない。なあ、ツクシ、俺の団でメシを食ったらどうだ?」

 沈黙した悠里はツクシの顔をじっと見つめていた。

 ここ一番というときは悠里だって黙れる男なのだ。

「――アルさんに訊きたいことがある」

 ツクシが地を這うような低い声でいった。

「ツクシ、何でも訊け」

 アルバトロスが作る確信犯の笑みに、

「――異形の巣ネストのことだ」

 ツクシは意外な返事をぶつけた。

「何だ、やぶから棒に。ネストだと?」

「ツクシさん、ネストですか?」

 アルバトロスと悠里は釣り損ねた魚を見送っているような顔つきだった。

 ツクシは不機嫌な顔のまま続けた。

「俺はずっと考えていた。確かネストには異形の生き物が出現するといったな?」

「ああ、そうだが――」

「そんな噂ですけれどね――」

 アルバトロスと悠里が視線を交換した。

「この世界にはいない生物。異なる形。だから異形。そんなのがネストの奥から沸いてくるわけだ」

 ツクシの眼光が鋭さを増した。

 その顔にあった不機嫌の上に不機嫌が重なる。

 無尽蔵に――。

「――ああ、そうだ。だが、ツクシ、それがどうした?」

 ツクシの真剣を見てアルバトロスが受け手に回った。

 ツクシは眼光もいよいよ鋭く、

「こっちの世界――カントレイア世界の住人の視点からだと俺たちだって『異形』になる。悠里も俺も人間の形をしているからわかり辛い。だが、悠里も俺も間違いなくこことは別の世界から来た存在だ」

 卓の上は沈黙した。

 夜更けのゴルゴダ酒場宿にゴロウの歓声だけが響いている。

 アルバトロスと悠里は同時に、

「――ああ、ツクシがいいたいことはわかってきた」

「――ああ、そうか。そう考えると、ツクシさんと僕も異形ですよね」

「悠里がこっちへ来るときに使った扉だ。その漆黒のジグラッドとやらに行くのは話を聞いている限り無理があるな」

 ツクシは悠里に目を向けた。

「はい、そうですね――」

 悠里が小さく頷いた。

「だが、ネストは目と鼻の先だぜ」

 ツクシがいった。

 悠里は返事をしない。

 アルバトロスも腕組みをして沈黙した。

「俺はネストへ通ってみようと思う。実際、俺がこっちへ迷い込んだ地点もネストの近辺の筈だ。俺は兵士に追われて回り道をした。だが、ここまでに辿った経路を考えると、俺がこの世界に出現した地点とネストはそんなに遠くない。悠里や俺と同じ異形の生き物とやらが出現するらしいネストで、『日本へ続く扉』があるかどうかを探ってみる価値はありそうだ」

「でも、ツクシさん。ネストはですね!」悠里が声を上げた。「荒っぽい冒険者連中が揃って敬遠するような場所なんですよ。実際、毎日のように死人が出ています。あそこで死ぬのは王国軍の兵士だけじゃないんです。ネストの荷運びだって、兵士同様に危険なんです。だから、ツクシさん、それは――ネストに潜入するのは、ちょっと、僕としては賛同しかねますよね――」

 そういったが、悠里は自分の発言に無力さを感じていた。悠里は日本で喋ることを仕事にしていた人間だったし、カントレイアに迷い込んでからも、それを駆使して生きてきた男だ。ツクシが今いったことは内容に破綻がない。ツクシを翻意させようにも取り付く島がない。それは悠里にもわかっていた。一度は伝えた内容を再度ツクシに語りかける悠里の顔に笑みはない。悠里の顔はただ真剣なだけだった。

「悠里、お前がいっていたことだぜ。ネストでやる荷運びの日銭は悪くないんだろ?」

 ツクシが悠里へ視線を送った。

 それはまるで刃のような眼光だった。

「それはそうらしいですけれど――」

 悠里は歯切れが悪い。

異世界こっちでしばらく生活をするにしても金が必要だろうからな。ネスト・ポーターをやれば日本へ帰る道を探すついでに銭にもなる。これなら一挙両得だぜ。見逃す手はねェ」

 ツクシは一直線に不機嫌な顔だった。

 この表情かおになると、ツクシさんはテコでも動かない――。

 悠里の端正な顔が歪む。

 悠里はツクシと今日会ったばかりだが営業職の直感でそれがわかった。

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