十節 緑鬼の女将と小鬼の番頭

 入店したツクシと悠里は騒音に包囲された。

 三十以上はある丸いテーブル席を陣取った野郎どもが料理やパンを酒を使って腹へ流し込みながら常に何事かを吼える。その喧騒が、ゴルゴダ酒場宿を揺らしている。この喧噪の境目をプラチナ・ブロンドの髪をたなびかせたウェイトレスの女が踊るように給仕をしていた。この彼女がむつくけき野郎の荒野で咲いた一凛の可憐だった。その花の道を補佐するように小柄で細身の若いウェイターも淡々と働いている。真ん中で子供のような小さなひとの楽団――ツクシが天幕の街で見た緑の小男楽団が歌いながら踊っていた。丸テーブルの上が舞台代わりだ。その周囲にはクァルテットにハンチング・ハットをかぶった少年だか少女が加わって、卓上の歌劇へ伴奏をつけている。一曲が終わるたびおひねりのコインがその緑の小男楽団へ乱れ飛ぶ。宙を飛び交う金はすべて硬貨なので投石しているようなものだ。

 店内の満席で満席のどこを見ても荒々しく騒がしい。

 悠里がボヤいた。

「ああ、やっぱり満席だ。時間帯的に、そんな予感はしていたんですよね。ここは王都で有名な店なんですよ、本当に――」

「宴もたけなわってわけか、クソが!」

 ツクシは近くの卓にある大皿に盛られた肉料理――子羊の香草焼きを睨んでいる。その卓にいた威勢がよさそうな野郎どもの一人とツクシの視線がカチ合った。しかし、すぐに席にいた野郎のほうが冷や汗をかきながら目を逸らした。ツクシの顔は人間がこれ以上の悪い顔を作るのは不可能と断言できるほど厳しいものだった。

「おや、悠里、ずいぶん遅かったじゃないか」

 ぶっとい女の声がした。

「あっ! 女将さん、今、戻りました」

「ん? 悠里はアルの代わりに誰をつれてきたんだい?」

「そうそう、紹介しますね。こちらはツクシさんです。僕の同郷なんですよ。タラリオンに到着したばかりでしてね、女将さん、良くしてやってください」

「へえ、悠里の同郷なのかい! しかし、随分とおかしな格好をしているねえ――」

「あっ、ツクシさん、ツクシさん。こちらはエイダさんです、ゴルゴダ酒場宿の女将さんなんですよ」

 ツクシが子羊の香草焼きから視線を外して正面を向いた。巨大な女が目の前に立っている。黄金の瞳に、尖った耳、上向いた大きな鼻に逞しい顎。口から突き出た牙が二本、上へ向かって伸びていた。身長は二メートルを優に超し、それが筋肉で横にぶっ太い。どう見てもツクシの二倍はある体格だ。そして、その肌は鮮やかな緑色である。

 どう見たって、鬼だろうぜ、こいつはよ。

 さては、腹ペコの俺を食いにきたな。

 ふざけるな、そう簡単にはやらせねェぜ――。

 疲労の極限にあるツクシの身体へ生存本能が闘争心という名の火をくべる。

 ツクシは腰を落として身構えた。

 ツクシの殺気を浴びた緑鬼の女はその眉間をすっと冷やした。

 騒音が徐々に引けてやがて完全になくなった。

 静寂が訪れる――。

 突き出た牙も禍々しい口を裂き、

「――へえ、ツクシとかいったね。アンタ、随分といい表情かおするじゃないか。わたしゃ、気に入ったよ、この男」

 緑鬼の女はニヤリと笑った。掛け値なし、それは百獣の王の笑みだった。

 このまま動かねェと、俺は確実にお陀仏か――。

 頬に冷や汗を流したツクシの右手が腰にある刀の柄にかかる寸前、悠里がツクシに飛びついて、

「ツクシさん、落ち着いて、エイダさんはゴルゴダ酒場宿の女将さんですよ! 見た目よりもずっと無害です! 極悪人に見えるけどそれなりにいいひとです!」

「ふざけやがって。この鬼が女将さんだと?」

 ツクシは緑鬼の女――ゴルゴダ酒場宿の女将エイダをまた睨んだ。

 エイダは眉根を寄せて、

「ああ、ツクシはグリーン・オーク族を見るのが初めてなのかい? そりゃあ、驚くのも無理はないねえ。改めて自己紹介をするよ。わたしゃ、ゴルゴダ酒場宿の女将をやっているグリーンオーク族のエイダ・メル・ウパカだ。メルは女って意味で、ウパカは部族名さね」

 エイダは細かい三つ編みの頭に紺色の三角巾をつけて、白いシャツに紺色のスカート姿だ。それに紺色の前掛けをつけている。服装だけ見れば宿の女将さんといわれて納得できる。しかし、まくりあげたシャツの袖から覗くその緑の腕は太くたくましく鋼のごとくだった。ツクシは警戒したが鬼の腕が掴みかかってくる気配はない。エイダはきょとんとツクシを見下ろしていた。

 ツクシは身体の重心を落としたまま、

「あんたはエイダっていうのか。俺は九条尽だ、ツクシでいいぜ――おい、悠里、グリーン・オーク族ってのは何だ。オークっていうとあれか。豚のような鬼のような――」

「あっ、いやいや、グリーン・オークは豚ではありませんよ。ツクシさん、それはいけません。すんませんね、女将さん。ツクシさんはタラリオンに来たばかりで何も知らないんです、本当にすんません。気を悪くしないでください。申し訳ない――」

 顔色を変えた悠里は綺麗に腰を折ってエイダへ平謝りである。それを横目で眺めながら、やっぱり、悠里は日本で営業職をしていた男だな、ツクシはそんなことを確信した。

「ああ、悠里。わたしゃ、そんなの気にしないさね。この王都でもグリーン・オーク族はかなり珍しいから無理もないさ。ツクシ、オークってのはね、ドラゴニア大陸にあるウビ・チテム大森林の主だった魔神の御名みななんだ。グリーン・オーク族はその血を受け継いでる種族なのさ。もっとも、誰の記憶に残っていないほど遠い昔の話さね。だから、それが本当のことなのか、ヨタ話なのかは、今となってはわからないよねえ――」

 エイダは教えたあとで、「ぶははっ!」と豚のような笑い声を響かせた。対峙するツクシとエイダを見守っていた酒場の客はこの二人の闘いが大惨事に発展しないと判断したらしい。酔態と喧騒が戻ってくる。

 笑い声を止めたエイダは眉根を寄せて上向いた鼻先を動かしながら、

「それにしても、ツクシ、アンタは随分と汚い身なりだねえ。一体どこを這いずり回ってきたんだい。それに随分と汗臭いよ。悠里、アンタもアンタでびしょ濡れじゃないか。先に風呂へ入ってきなよ。そのうちに席も空くだろうさ。席はちゃんと取っておくからさ」

 ツクシは自分の作業着へ視線を落とした。確かに汚ない。泥と汗が染みた作業着が雨に濡れて真っ黒になっている。

 だが、風呂なんかより先にメシだ。

 風呂は入らなくても死なないが、メシを食わないと人間は死んじまうだろ。

 メシだ、メシだ、メシだ――。

 喋るのも億劫になったツクシはエイダをまた睨んだ。ツクシの殺気を受け流しつつ、エイダはニヤリと笑みを浮かべた。やはりこれは百戦錬磨にして負け知らずといったような、百獣の王の微笑みである。酒場にあった歓談の声がまた引けた。

「わかりました、了解です、エイダさん! ツクシさん、先に汗を流しましょう。さっぱりしてから、ゆっくり食べましょう。ゴルゴダ酒場宿はですね、裏で銭湯も経営しているんですよ。いい風呂ですよ、その名もゴルゴダ銭湯です。ま、そのまんまの名前ですけれどね、あはは――」

 悠里は取り繕ったのだが、ツクシはエイダをがっつり睨んでいる。

 笑顔を消したエイダも全身から闘気っぽいものを放出し始めた。

 風もないのに前髪を揺らした悠里が、

「ちょっと、ツクシさん、僕の話をちゃんと聞いてください!」

「ああ、ちゃんと聞こえてるぜ。だが、俺は着替えを持ってねェ。風呂に入ったところで、俺はこの汚い作業着のままだ。だからメシが先だメシが先だメシが先なんだよ――」

 もうどうやっても両者の激突は避けられないのか。

 酒場にいた客が一斉に息を呑んだ瞬間、

「あっ、そうか、ツクシさんの着替えですね! オッケー、オーライです。おーい、マコト、マコト、銭湯に僕の着替えを持って来て。二枚分――ああ、僕のサイズだとツクシさんに合わないかな――あっ、そうだ、ショウの部屋から着替えを適当に持って来てくれ!」

 悠里がウェイターへ叫んだ。ツクシが目を向けると、給仕をしていたウェイターは眼鏡をかけた少年だった。この少年をマコトというらしい。マコトはツクシにも見覚えのある顔だった。

 確かあの眼鏡の小僧、俺に水筒をくれた黒い顔の子と一緒に――。

 ツクシがあっと表情を変えた。

「――わかった、悠里」

 マコトは短く応えて階段を上がっていった。

 マコトに気を取られて、ツクシの殺気がエイダから逸れたところで、

「ちょっとエイダ。手が空いてるなら遊んでないで手伝ってよ、もぉう!」

 カウンター・テーブルの向こうでウェイトレスがきゃんと鳴いた。

「ああ、ミュカレ、すぐ厨房へ戻るさね。とにかく、あんたらは先に風呂へ入ってきな!」

 エイダは怒鳴り声と一緒にカウンター裏の厨房へ消えた。残されたツクシと悠里は耳鳴りで顔をしかめている。エイダの声はとても大きい。

 ツクシはがっくりうなだれて、

「お預けをくらった犬っころの気分がわかるぜ――」

「女将さんは一度いい出したら聞きませんからね。ま、メシは逃げやしません。実際、今は空いている席がないのも事実ですから、先に汗を流しましょう。ゴルゴダ銭湯は宿の裏です、すぐそこですよ」

 苦笑いの悠里がツクシを促した。

 ツクシと悠里はゴルゴダ酒場宿から出たところで、骨馬レィディから「あら、もうお帰り?」そう声をかけられた。

「――いや、風呂だぜ」

「――いえ、お風呂ですよ」

 ツクシと悠里はうつむいたまま応えてゴルゴダ銭湯へ向かった。

 徒歩で一分もかからない距離だ。

 その短い間に、

「なあ、悠里。俺は一番肝心なことをお前に訊き忘れていたぜ――」

 ツクシがいった。

「何です?」

 悠里がツクシへ顔を向けた。

「ここは俺たちが元いた世界とはまったく別の世界なのか?」

 ツクシの視線は路面を辿っている。

 そこもアスファルトではない。

 石畳の道だった。

 悠里も視線を落として、

「ええ、その通りです。この事実をストレートに伝えても、すぐに納得できないでしょうから、ここまで言いそびれていました。ここはカントレイアという名前の世界なんですよ。元いた世界から見ると異世界カントレイアになるのかなあ。こっちに住んでいると向こうが――日本が異世界になるのでしょうけれど――」


 §


 ゴルゴダ銭湯は、一応のところ、正面入り口に「ゆ」と書かれた紺色の暖簾がかかっていた。だが建物は和洋折衷の奇妙なデザインだ。赤い瓦が乗った屋根の下に和風建築の外観である。悠里がツクシに教えた。カントレイア世界には日本と似たような文化を持つ『倭国わこく』という島国があって、以前、そこを訪れたエイダが倭国の銭湯をタラリオン王都で再現しようと四苦八苦して建てたものらしい。

「実際に苦労したのは、大工さんだとか左官屋さんだとか石工さんみたいな、職人さんたちでしょうけれどね」

 そんな話をしながら、ツクシと悠里が二人して「ゆ」の暖簾を潜ると、番台にいた小男が声をかけてきた。

「おや、悠里の旦那、善い夜でやんすねえ。ええっと、そっちの旦那は――どこかで会ったかな?」

 ゴルゴダ銭湯の番頭は、羽根の付いた黒いチロリアン・ハットを頭に乗せて、開襟シャツに革のベストを羽織った、青い肌の男だった。ギョロリとした大きな目だ。それが黄緑の瞳で瞳孔が縦に裂けている。悪魔のような目がツクシの不機嫌な顔を見つめていた。

「はい、善い夜ですね、ラウさん。このひとは僕の同郷から来たツクシさんですよ。ツクシさんは王都に来たばかりなんです。どうか、良くしてやってください」

 悠里がツクシを紹介した。

「へへえ、そいつはどうもどうも。あっしはラウっていいやす。このゴルゴダ銭湯で番頭をしているケチなゴブリンでやんすよ。酒場宿の厩舎で馬の世話もしていやすがね。ま、これからはゴルゴダ酒場宿と一緒にこの銭湯を贔屓にしてやってくださいよ。ツクシの旦那――ウヒヒ!」

 ゴブリン番頭のラウは嫌な感じの声で笑った。

「――ああ、俺は九条尽だ。ツクシでいいぜ。よろしくな、ラウさん」

 ツクシは、いちいちリアクションをするのはもう面倒だ、そんな態度だった。

 悠里は腰のポーチを開いて財布を取り出しながら、

「ラウさん、二人分の手桶をお願いします。僕が払いますよ」

「ありがてえありがてえ。ヒト族大人二名様、手桶代込み込みドンドンで、勘定は銀貨三枚に少銀貨は五枚になりやす――はい、まいど、まいどっ、ウヒヒッ!」

 ラウが手桶を突き出した。手桶には石鹸とごわごわとした感じのスポンジ、それにタオルが入っている。それを手にツクシと悠里は脱衣所へ向かった。脱衣所にある木製ロッカーは縦に大きい。まるで運動部の部室にあるロッカーのようだった。

 こんな大きく作る必要があるか?

 ツクシは首を捻ったがその疑問はすぐ解消された。ツクシは腰に刀をぶら下げている。ロッカーは腰にぶら下げた武器が入るサイズに設計されているのだ。その扉にちゃんと鍵がかかるようになっていた。なるほどこれは間違いなく銭湯だよな、とツクシは感心した。ツクシが横へ視線をやると、悠里は自分の革鎧を外していた。その表面が日焼けして色褪せ、使い込んだ印象を受けるものだ。悠里も腰に長めの短剣を二本下げている。

 悠里は革鎧を器用に脱ぎながら、

「ツクシさんは、ラウさんを見てもあまり驚かないんですね。女将さんを見たときはあんなに驚いてたのに」

「似たようなのをもう見たからな。もっとも、そいつはずっと爺さんで肌の色はちょっと違ったが。ゴブリンとかいってたよな、あのおっさん。あれは小鬼のたぐいなのか?」

 ツクシは作業着を脱ぎながら訊いた。

「ええ、ラウさんはゴブリン族です。正確にはホブ・ゴブリン族ですね。この世界では、ただのゴブリン族っていうと、ヒト族と敵対関係にある種族を指す言葉になります」

「へえ、敵対ね。まあ、鬼だもんな――」

「ホブ・ゴブリンもゴブリンも、実際は同じ種族なんですけれどね、まったく外見も身体能力も同じです。ヒト族と共存しているのがホブ・ゴブリン。ヒト族との共存を嫌っているのがゴブリン。まあ、ぶっちゃけると、ヒト側の観点で勝手に彼らを色分けしているだけです。カントレイア世界ではヒト族が最大勢力ですから、自然とそうなるんでしょうね――わあ、ツクシさん、いい肉体からだをしていますね。凄いなあ、細身のスジ筋ってやつですよ。ガッチガチじゃないですか!」

 ツクシは横目で素早く悠里を確認した。自分の肉体を上から下まで舐めるように眺める悠里の青い瞳がキラキラ輝いている。お星様のようである。

「――あっ、ああ。俺は昔、身体を使う仕事をしてたからな。仕事を変えても習慣が抜けなくて休日はジムへ通っていたんだ――それはそうと、悠里は目が青いな。本当にお前は日本人なのか?」

 ツクシは肉体の話題から逸らそうと疑問をぶつけてみた。

「国籍は日本ですよ。母方の血にスラブ系――ロシア人の血が入ってるんですよね。それで目だけ青いんです。髪は黒いんですけれどね。悠里って名前もロシアっぽいでしょう?」

 悠里が風呂場へ続く開き戸を開けた。石作りの風呂場だ。奥にある石の浴槽で先客が何人か湯に茹って顔を赤くしている。壁沿いには蛇口と腰掛が並んでいた。天井からカンテラが何個かぶら下がって、それが照明になっている。

 壁に富士山はあるかな――。

 ツクシは少し期待したが、さすがにそれは描かれていない。すべて石造りという以外は普通の銭湯だ。ただ、換気が少々悪く、立ち込める湯気で風呂場の視界は白く霞んでいる。ツクシと悠里は蛇口の前に座って垢を落とした。石鹸を身体にガシガシ擦りつけながら、やはりカントレイア世界の生活水準は、元いた世界の中世よりも、近世の方が近いのかな、そんなことをツクシが考えていると、

「ツクシさん、背中を流しましょうか?」

 悠里が全開の笑顔で要請だ。是が非でも自分はそうしたい、悠里の笑顔ははっきり主張していた。ツクシはていねいにその申し出を断った。ツクシは腹が減っていたので、さっさと酒場宿へ戻りたくもあったのだが、「まあ、せっかくだから」ということで、湯船に浸かることにする。ツクシは頭に手ぬぐいを乗せて肩まで熱い湯に浸り壁を睨む。すると、悠里がスーッと浴槽内を移動してきてツクシの前にきた。

 今のツクシは悠里を睨んでいる。

「ツクシさん、どうして壁を眺めているんですか?」

 悠里はへらへらしていた。

「壁を眺めていたほうが落ち着くだろ?」

 ツクシは唸った。

「達磨大師みたいっすね、あはっ!」

 悠里が移動する気配がない。

 このまま黙ってお互いの顔を眺めていると、何かの勘違いをされるかも知れん――。

 焦ったツクシは悠里がカントレイア世界へ迷い込んだときのことを訊いた。今から一年前のことだ。それが起こったのは、ツクシと同様、出勤して会社の出入口を潜り抜けた直後のことだった。王都の天幕街に出現したツクシと違って、悠里がこの世界に出現した場所は『漆黒のジグラッド』と呼ばれている古代の遺跡塔で、それはグリフォニア大陸の中央北寄りにあるという。もう一つ、悠里にはツクシと違う点があった。

「あの場所は明らかに空間が歪んでました。言葉にし辛いですけれど――未来と過去といろいろな世界が、雑多に交錯しているような場所で――だから、漆黒のジグラットへ行けば異世界カントレイアから日本へ戻る方法が見つかるかも知れません。漆黒のジグラッドには、ツクシさんのいっていた四次元ドアがあると思うんですよ。これは僕の推測なんですがね」

「それなら、行って調べればいいだろ。なぜやらない?」

 ツクシは首を捻った。

「いえ、それが、今は問題があるんですよ――」

 悠里が語った。漆黒のジグラッドは、タラリオン王都から東北東へおよそ千八百キロ進んだ先の『無人の荒野ノーマンズランド』にある。カントレイア世界の移動手段は徒歩か馬が基本で、王都タラリオンから漆黒のジグラッドへ移動するには相当な日数が必要だ。それに加え、タラリオン王国は北で国境を隣接している国家――エンネアデス魔帝国と戦争状態にあるとのことだった。漆黒のジグラッドの周辺は両軍の主力が睨み合う激戦区になっているらしい。

「――だから、今の漆黒のジグラッドは一般人が近づける場所ではないですね」

 悠里が手ぬぐいで顔をぬぐった。

 ツクシが茹で蛸のように赤くなった顔を悠里へ向けて、

「なあ、悠里?」

「はい、何です?」

「俺は倒れそうだぜ――」

「ああっ、そうだった、すぐ出ましょう、メシにしましょう!」

 悠里が勢いよく立ち上がって浴槽の湯を揺らした。

 ツクシは鼻先に出現した悠里の猛々しい男自慢を見て、

「どうにも、こいつは日本製じゃねェよな――」

 と、真っ赤になった顔を歪めた。

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