八節 死体安置所



 馬上で揺られながら、ツクシが短い質問をすると、悠里の口からは十以上の答えが返ってきた。そのたび話がややこしくる。悠里の多弁から必要な情報だけを拾い集めると、どうもツクシがいる場所は、タラリオン王国という国の首都であり、正式名称を王都タラリオンというらしい。

「この王都タラリオンは、北グリフォニア大陸の中央西端、三つの大陸に囲まれた大内海に面する入り江の奥の平地に位置しています。世界地図で見るとですね、主要な三つの大陸のうちの北東に位置するのがグリフォニア大陸になります。その大陸の中央付近を領土にしているのが、タラリオン王国になるんですよね、あはっ!」

 笑顔の悠里が元気にいった。

 グリフォニア大陸、タラリオン王国、王都――ツクシがこれまで耳にしたことのない大陸名であり国名だった。もう十分間以上は馬上で揺られていた。しかし、悠里からツクシが得られた情報はこのていど――。

「――悠里さん、タラリオン王国の情報は、もうこれで十分だ」

 ツクシが唸った。

 鞍の前で笑顔の悠里と違って、ツクシはおそろしく不機嫌な顔だ。

「あっ、ツクシさん。僕に『さん』はつけなくていいですよ、僕よりもツクシさんのほうが年上だし、悠里さんなんて呼ばれると気が引けますから。呼び捨てでお願いします。僕はツクシ『さん』で通しますけどね。あはっ!」

 悠里がまた声を上げて笑った。ツクシはひとつも笑わない。馬上で得られた情報がもうひとつある。八多羅悠里は二十四歳の独身男性らしい。一方のツクシは三十路の峠を四つ越えた男やもめである。むろん、ツクシは、悠里こいつの年齢なんて今はどうでもいい、と強く思っていた。その苦々しい顔のツクシへ顔半分を背中越しに見せて、悠里が「あはっ!」とまた笑った。

 まあ、悪気はないのだろうがな――。

 渋い顔になったツクシが、

「――わかった。じゃあ、シンプルに応えてくれ。できる限り短くだぜ。俺が知りたいのは日本へ帰る方法だ。すぐ日本へ帰りたいんだよ。車のローンが――いや、これはまあ今はいい。そうだな、日本の大使館だとか、飛行機だとか、船だとか、この際だ、四次元ドア――そんなイカレた小道具を引っ張り出されても驚かないぜ。ここから日本へ帰る手段を俺に教えてくれ。何かあるんだろ?」

「なるほどお、ツクシさん。四次元ドアですか。そうですね、それしかないかも知れませんね。盲点だったな――ええ、確かに入ることができれば出ることもできる。そう考えたほうが自然ですよね。しかし、ツクシさん。『漆黒のジグラッド』は今ですね、とんでもなく大変なんですよ。だから、そこに行くのはちょっと、無理があるかも知れません」

 悠里はやはりツクシのとってトンチンカンな返答をした。ツクシは歯をギリギリと食いしばった。腹は積極的は立てて使うものだ、ツクシはこう考えているような男なのだ。

 その短気で不機嫌で考えの足りないツクシが、

「おい、悠里、本気と冗談の区別もつかないのか?」

 悠里は「ふふん」と微笑んでそんなツクシへ視線を送っている。

 こいつ、もしかしたらマジで馬鹿なのかな――。

 ツクシがそう考え始めた直後、悠里が道の先を指差して、

「あっ、入場門が見えてきましたよ、ツクシさん!」

 それも、今はどうでもいいんだ、この野郎。

 俺が知りたいのは日本へ帰る手段だ。

 二日も俺は会社を無断欠勤をしているんだぞ。

 首になったらどうしてくれるんだ。

 これ以上の戯言を俺に聞かせたら、マジでぶん殴るってやるかよ、この野郎――。

 ツクシはそんなことを胸中で唸りながら悠里の指差した先に目を向けた。そこにあったのはツクシが一度見た光景だ。悠里が指差しているのは高い鉄柵内にある暗い敷地への入場門だった。その入場門の左右にカンテラが四つ連なる大きな街灯が突き立っている。そして、やはり、その下に斧槍を持った兵士が二人が突っ立っていた。

 ツクシが顔が歪めて、

「おい、悠里、馬をすぐ止めろ。兵士はまずいぜ。あの格好の奴らに、俺は死ぬほど追い回されたんだ!」

 雨はいつの間にか小降りになっていた。雨音がツクシと悠里の会話を邪魔をすることはない。それでもよく聞こえるように、ツクシは悠里の耳元でガミガミと吼えた。

 しかし、悠里のほうは、

「ああ、そう、ふぅん――ツクシさん、やっぱり殺しちゃいましたか。二、三人くらいですか? もっとかな? そんな雰囲気はあったんですよね。僕は何となく察しがついていましたよ。ツクシさんはすごいなあ、まだこっちへ来て間もないのにもう殺しですか!」

 畜生、やっぱりこいつは馬鹿なのかな。

 ツクシは全力で歯噛みした。その奥歯が砕けそうだ。しかし、ツクシは生命の危機なので引くわけにもいかない。

 ツクシがまた吠えた。

「俺はこの国に来てから、そんなことをやらかした覚えは一度もねェ。悠里、とにかく馬を止めろ、奴らに捕まったら俺は間違いなく殺されちまうだろ!」

 ツクシと悠里の会話に耳を傾けていたアルバトロスが、

「ツクシ、安心しろ、大丈夫だろ、たぶん」

 悠里が同調して、

「おやっさんがそういうなら、たぶん、大丈夫ですよ、ツクシさん」

「たぶんにたぶんを重ねてるんじゃねェ、無責任にもほどがあるだろ――」

 ツクシは唸ったのだが、悠里とアルバトロスの返事はない。ツクシが呻き声を上げたところで謎の敷地の入場門に辿り着いた。ツクシを見て兵士の二人組は不審気な顔を見せている。

 アルバトロスがツクシへ顎先を向けて、

「よう、警備兵さんたち、また来たぜ、さっきここを出たときから二人ほどツレが増えているが気にするな。まだ死んでない運のいい野郎は悠里の友人らしいぞ」

「ああ、そうなんだ、アルさんは運にも死人にも好かれているんだな」

「羨ましくはないな。死体のほうも生きているほうも若い女ってわけじゃなし」

 兵士の二人は笑って返した。

 悠里も笑顔で、

「今日は忙しいですよ。その上にあいにくの雨ですし」

 兵士がツクシ一行を止めなかった。どうやら指名手配からは免れているようだな、ツクシはひと安心だ。もっとも、ツクシは王都へ迷い込んでから一度も罪を犯してはいないのだから、追い回されるのも理不尽な話ではある。そう考えはじめると空腹の後押しもあって、ツクシはまた苛々し始めた。軽い腹は立ちやすい。

「この巨大な敷地は何なんだ?」

 ツクシは嫌々の態度で悠里に訊いた。また悠里から長い返答があるのだろうな、そんな感じでツクシは身構えている。

 しかし、意外にも、

「ああ、これ墓場ですよ。ゴルゴダ墓場っていいます」

 短い言葉が悠里から返ってきた。

「なるほど、生きている奴はほとんどいないのか。だから、敷地内が暗いんだな」

 ツクシは納得した。悠里とアルバトロスが向かった場所は、入場門に入ってすぐのところにある白い八角形の建物だった。この建物が死体安置所とやららしい。周囲には何本か街路灯が立っていて建物の壁を青白く照らしている。ツクシの目には死体安置所というよりも病院のように見えた。

「おぅい、また仕事だぜ!」

 馬から降りたアルバトロスが死体安置所の正面にある鉄扉の前に立って声を上げると、死体安置所の鉄扉が内側から開いた。金属の軋む音が終わると、そこに二人の男が立っている。身長二メートルに近い筋骨隆々の大男二人組である。両方とも紺色のオーバー・オールを着て、足元は泥に塗れた長靴だ。ツクシは眉根を寄せた。奇妙な点がひとつある。その二人組はガス・マスクのような仮面をつけている。

「ちくしょう、またかよ、忙しいなあ」

「ああ、しかもまた、アルさんかい?」

「アルさんのところは随分と景気がいいね、短い間に二つも死体を持ってくるのか?」

「こっちは忙しくてかなわないよ!」

 そのガス・マスク二人組は交互にいった。

 ツクシが訊く前に、

「あの二人はゴルゴダ墓場の墓堀人ですよ。兄弟でしてね。あのガス・マスクはちょっと不気味ですけれど気のいい連中です。名前はアズライールとラファエルっていいますよ。どっちがどっちか見た目だとわからないですけれどね」

 悠里が教えた。

「アズライール、ラファエル、こいつが――冒険者の死体がすぐそこに転がっていてな、まあ悪いが泣いてくれ」

 アルバトロスが軽い調子でいった。その場に突っ立ったままのアズライールとラファエルは不服そうだった。アルバトロスは笑みを浮かべている。魅力のある笑みだ。顔面に大きな刀傷を持ち、派手な色の義眼を眼窩にはめ込んでいるヤクザな強面こわおもてに、気品のようなものが漂っている。

「文句をいっても、どうせそこに死体を捨てていくつもりだろ?」

「アルさんにはかなわないよなあ、まったく――」

 アズライールとラファエルがアルバトロスの黒駒の背にあった死体を降ろして、死体安置所のなかへ運び入れた。

「じゃ、おやっさん。宿へすぐ帰りましょう。時間も時間です。僕もお腹がペコペコですよ」

 悠里が馬上でいった。

「それは、同感だぜ――」

 ツクシも空っぽの腹のなかで同意した。

 しかし、アルバトロスは、

「お前ら、俺についてこい。いいものが見れるかも知れん。本物かどうかはわからんがな。本物だとするとテレンツィオの野郎に渡すのは惜しいぜ――」

 アルバトロスの背は死体安置所のなかに消えた。

「うーん、また、始まった――」

 悠里がボヤいた。

「アルさん、どうしたんだ?」

 ツクシが訊くと、

「おやっさんの悪い癖ですよ。ああなるとおやっさんはひとのいうことが聞こえなくなります。仕方ない。僕たちもなかへ行きましょうか。降りてください、ツクシさん」

 悠里が溜息交じりに応えた。ツクシが渋々の態度で馬から降りたあと、悠里もシューターからひらりと降りた。今度は悠里も転ばなかった。恰好よく馬から飛び降りることに成功した悠里がシューターとココアを近くの杭に手早く繋ぐ。

 死体安置所の玄関口を潜ると、そこは受付があったり長椅子がいくつもあったりして、やはり病院のような雰囲気だった。眠そうな顔に眼鏡をかけた受付嬢だっている。受付から続く廊下の奥で白衣を着た人間が行き来しているのが見えた。ツクシが悠里に訊くと、受付から続く廊下の奥が死体安置所になるらしい。

 その廊下を並んで歩いている最中、

「死体を安置する部屋は当然多いのですが、その他にも診療室だとか遺品置き場がありますよ。ネストに近いこの死体安置所は、ちょっと特殊で、生きている人間――病人や怪我人も相手にするんです。その治療をする導式使いも常駐していますよ」

 悠里がツクシへ教えた。廊下の壁にある張り紙を眺めながら歩くツクシは、「ああ、そうなのか――?」と、生返事だ。張り紙にある文字がツクシに読めない。

 廊下の突き当りにあった大部屋はまさしく死体安置所だった。ゴルゴダ墓場に葬られる遺体はここを経由する決まりになっているらしい。天井から吊るされた無数のカンテラが、台に置かれた死体に青白い光を当てていた。

 こういう場所に無断で入ってきていいものか――。

 死体安置所の出入口でツクシは躊躇した。悠里はずかずかと足を踏み入れた。優男の割に根性が据わっている。ツクシは口角を歪ませて悠里のあとに続いた。旅人の亡骸も台の上に乗せてあった。まだその上に布がかけられていない。その近くに赤茶色の鍔広帽子を手に持ったアルバトロスが立っていた。アルバトロスの黒い頭髪は整髪料を使って後ろに送ってある。そのアルバトロスの脇には白いドクター・コートを着た小男がいた。寝癖のついた黒い蓬髪ほうはつに、まばらな不精髭を生やした初老の男だ。小さい背丈で背を丸めているので、その身体が余計に小さく見える。

「アルよ。それは本当かね?」

 そのドクター・コートの小男が、アルバトロスへ怪訝な顔を向けた。

「さあな――」

 アルバトロスは旅人の亡骸をじっと眺めている。

「まさか、お前、暇ついでに俺を担ぎにきたんじゃねえだろうな?」

 ドクター・コートの小男が顔をぐしゃっと歪めた。

 アルバトロスは小男の歪んだ顔を横目で見やって、

「ああ、そうだよ。俺はお前を担ぎにきたんだ、テレンツィオ。だから、すぐにここから消えろ。お前、酒臭いよ、鼻が曲がるぜ、俺に近寄るんじゃねェ。迷惑だ」

 ドクターコートの小男は名前をテレンツィオというらしい。

「ほほぉう。その口振りだとアルは一人だけで甘い汁を吸おうって魂胆だよな。俺の目が黒いうちにはそうはいかんぜ。この死体はアルが道端で拾ってきたんだろ。アズライールとラファエルがそういってたからな。それなら、これはモルグが管轄する財産ってことだ。モルグは公営だからな。つまり、この死体は国家の財産だ。よし、わかったら、さっさと帰れ、アル。俺の仕事の邪魔だ」

 テレンツィオがアルバトロスの胸を小突いた。

「モルグの財産だと? こいつの持ち物を、お前の酒代にするわけにはいかんぞって話だよ、この酒びたりのロクデナシが。いいからお前は引っ込んでろよ、テレンツィオ」

 アルバトロスがテレンツィオへ肩をぶつける。

「モルグは行政の管轄下だっていってるだろう。年を食って耳が遠くなったのかね、このチンピラジジイは――それはそうとだ。アル、お前、髪の毛の生え際がまた後退していないか?」

 テレンツィオがアルバトロスの頭髪をじっと見つめた。その色は黒々として若々しいが、その生え際はテレンツィオの指摘で間違いがない。まあ、年齢相応の生え際ではある。

 肩を震わせたアルバトロスが、

「――くそっ、本当にうるさい奴だな! テレンツィオ、俺の髪の生え際はここ数年動いてない。お前の目が酒でダメになってるんだ。この生まれ損ないのくたばり損ないが。とにかく、こいつの持ち物を俺に確認させろ。アル中の目じゃ物の真価がわからんだろう」

 テレンツィオはニヤニヤしている。どうやら、旅人の荷物のなかに金目のモノがあるらしい。それでアルバトロスとテレンツィオが揉めているようだ。

「二人とも、まだハゲ上がっちゃいねェが、やってることはハゲタカだ。死んだあの男も浮かばれねェよな――」

 ツクシは口角を歪めた。

「――おやっさん、この死体、見たところは、貧乏臭い冒険者ですけれどね」

 いつの間にか、アルバトロスとテレンツィオの喧々諤々に悠里も紛れ込んでいる。

「あっ、テレンツィオさん、またお邪魔してますよ。すんませんね、何度も何度も――」

 テレンツィオに笑顔を向けた悠里もハゲタカの群れに参加するらしい。

 呆れ顔のツクシも旅人の亡骸へ歩み寄った。

「おう、悠里。死体の背嚢の中身を確認してくれ。俺はこっちを見る」

 アルバトロスが旅人の外套を剥ぎ取った。指示をする前に、悠里はしゃがみこんで旅人の背嚢を漁っている。ツクシは突っ立ったままそれを眺めていた。

 悠里が床に背嚢から取り出したもの床に並べながら、

「うーん。着替えに寝袋に鍋に手持ちカンテラに――あ、木炭もある。炭布(※着火剤)とファイア・スターター(※火打ち石)もありますね。あとは包帯に解毒用の丸薬。お、金属製のスキットル・ボトル。この中身は――消毒用アルコールかな。飲用も兼ねてってとこかも知れませんね。金だとか導式具は入っていません。道具はまだ使えるものばかりです。しかし、どれも随分使い込まれてるなあ。年季が入ったものばかりですよ、かなり長い間、冒険者をやっていたんだろうな、このひと――」

 ツクシは腰に吊るした刀へ視線を落とした。おそらくこれが死んだ旅人が持っていた持ち物のなかで最も価値があるものなのだろう。旅人が死の瀬戸際、震える手でツクシに託した日本刀である。ツクシは死んだ旅人の顔を見やった。誰がやったのだろうか。薄く開いていた旅人のまぶたが閉じている。何かの重圧から解放されたような微笑みを浮かべて、旅人は死んでいた。あのとき旅人は、どのような責務から解放されたのか。旅人から託された刀の柄にツクシは右手を置いてみる。

 刀は何も応えない――。

「――だからよ、この死体はお前の団にいた男じゃないんだろ。俺は知っているんだからな、お前の団の構成な。モルグの財産へ手をつけるのは犯罪だぞ。それに、昔と違って今は上層部うえがうるさいんだよ、お前が勝手な真似をするとな。俺が書類を作るのも面倒になる。見ろよ、この死体の山を。俺は忙しいんだよ。仕事を増やすなって話だ。おい、聞けよ、アル、俺が表の予備役兵どもに声をかければお前はお尋ね者だぞ、今のお前はもう貴族様じゃないんだぜ。しがない市井の老いぼれ冒険者なんだ。お前、年齢を食いすぎて、自分の立場も忘れたのか? おーい、それとも、本当に耳が遠くなったのか、このヤクザジジイ。聞、け、よ、俺の話を!」

 テレンツィオがアルバトロスにガミガミ吠えかかった。アルバトロスは相手をせずに旅人の外套を眺めている。アルバトロスの右目にあるエメラルド・グリーンの義眼が不規則に光っていた。怪訝な顔になったツクシが目を凝らしている。

「テレンツィオ。この死体はそこの男が管理する冒険者団の団員だったのさ。なあ、そうだろ、ツクシ団長?」

 アルバトロスの生身のほうの目――これもエメラルド・グリーンの瞳を持った左目に、ツクシの姿を映した。アルバトロスの薄い唇の端が歪んでいる。俺に話を合わせろ、である。

 しかし、ツクシは腹芸が得意な男ではないので――。

「――あっ、ああ、そ、そうだな。俺が団長の九条尽だよな」

 ツクシの返事は甲高かった。裏返った声だ。旅人の荷物を漁っていた悠里の肩が震えている。顔を向けたテレンツィオがツクシを睨んだ。ワーク・キャップに作業着といったツクシの服装で何やらの長と主張しても説得力はない。もちろん、ツクシの演技もまずかった。

「くっそ、でまかせだろ。アル、お前はいつもそうだ!」

 外見は風采が上がらぬ感じだが、その見た目に反しテレンツィオはなかなか勘の鋭い男のようだ。しかし、痛いところを突かれたようで元から赤らんでいた顔をさらに紅潮させている。

「さあなあ? 明日の朝にでも区役所で冒険者登録簿を調べて来いよ。タラリオン王国財産管理法のうちの冒険者財産とその処分の項――『死亡した冒険者に血縁者がなく、また、本人が遺言を残していない場合、冒険者の遺品は、そのものが帰属していた団のその代表者に帰属することとする』。つまり、この死んだ団員の荷物はそこにいるツクシ団長の財産ってわけだ。法律はきちんと守ってもらうぜ、行政員さん」

 アルバトロスがニタリと笑った。これは下品な感じの笑顔である。テレンツィオが下品に笑うアルバトロスを穴が空くほど睨んだが、「おい、悠里、これは当たりだぜ」アルバトロスは笑って悠里に声をかけた。

「当たりなんですか?」

 悠里が立ち上がった。

 アルバトロスが旅人の亡骸をあちこちまさぐりながら、

「こいつの革鎧の素材は『黒蜥蜴くろとかげ』だ。手持ちの資料と見比べたから疑う余地はない。もっとも資料のほうがデタラメだったらそれまでだがな。この濃い緑のインバネス・コートもいいぜ、何の動物の毛かは結局わからんかったが、ものすごい素材で編んである。どこを見ても糸がほつれてないしツギを当てた気配もない。ドラクルの体毛で編んだっていっても、プロの売人バイニンを騙せそうだ。しかし、両方とも色は俺の趣味じゃないな――」

 悠里とツクシは旅人の亡骸ををしげしげと見つめた。旅人は外套の下に黒い革鎧を着込んでいた。全身を覆うその形状はバトル・スーツに近い。悠里の顔は怪訝なものだ。無表情のツクシはアルバトロスが何を言っているのかわからない。

「黒蜥蜴ってマジなんですか?」

 悠里が訊いたが、アルバトロスは頷いただけで、まだ旅人の亡骸を熱心に眺めている。

「噂では聞きますけど。リザードマン自体を僕はまだ見たことがないんですよねえ。だから、ピンとこないなあ――」

 悠里が呟いた。

「おい、アル、これは本物の黒蜥蜴の革鎧なのか。おいおい、冗談だろ、なあなあ?」

 顔色を変えたテレンツィオが卑屈な態度になった。

 卑屈なテレンツィオを横目で見やったアルバトロスは、

「ああ、冗談だよ、テレンツィオ。よし、こいつの荷物を持って帰るぞ。悠里、ツクシ、手伝え、今からこいつの革を剥ぐ」

 結局、ツクシもハゲタカの仲間に加わった。テレンツィオは顔を真っ赤にしてくどくどとアルバトロスに絡んでいたが、やがて諦めたのか、死体安置所の脇にある小部屋へ消えた。革を剥がれても、旅人は黒革鎧の下に質素な麻のシャツとズボンを着用していたので丸裸にはならなかった。旅人の上衣は赤黒く染まっている。服の上からは確認できない。上半身のどこかに旅人は致命傷を負っていたようだっ。

 旅人の財産をすべて没収した後である。

 十字を切るような仕草を見せたアルバトロスが、鍔広帽子を胸に置いて、死んだ旅人へ黙祷を捧げた。帽子を取った悠里も両手を合わせて死んだ旅人を拝んだ。少し遅れて、ツクシもワーク・キャップを腋に挟み、死んだ旅人へ向かって手を合わせた。ハゲタカたちが旅を終えたひとのために祈ると賑やかだった死体安置所に静寂が訪れる。手に鉄製の杭と金槌を携えたテレンツィオが死体安置所に戻ってきた。テレンツィオは無言で死んだ旅人の額に鉄杭の先端をあてがった。

 仏さんに何をしているんだ、このおっさん――。

 ツクシが怪訝な顔になった。アルバトロスと悠里の表情は変わらない。テレンツィオは無言のまま、金槌を使って旅人の額へ鉄杭を叩き込んだ。乱暴である。驚いたツクシが何をしているのか訊こうとしたのだが、それは悠里が制止した。その悠里がいうには、「死人の屍鬼化を防ぐための処置ですよ」とのことだ。「テレンツィオさんは今すごく不機嫌なので声をかけないほうがいいと思いますよ」とも悠里は小声でいった。「屍鬼」という単語にツクシは疑問を感じたが、悠里に訊くと話が長い。だから訊くのをやめた。

 まあ、このおかしな国の風習なのだろうな――。

 ツクシは無理矢理に納得する。

「――さて、行くぞ、お前ら。ああ、悠里はそっちの背嚢を持って来い。じゃ、あばよ、テレンツィオ」

 アルバトロスは荷物を片手に背を見せた。

 慌てて、ツクシと悠里がその背を追った。

「もう二度とここへは来るなよ、こそ泥どもめ!」

 テレンツィオが三人の男の背に怒鳴った。

「ああ、そうするよ、テレンツィオ。死体安置所モルグに好き好んで来る奴はいないんだろうしな。生きている限りはな――」

 アルバトロスが胸を反らして笑った。

 悠里が肩を震わせている。

 ツクシも口角を歪めた。

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