七節 流離いの剣士

 豪雨と格闘し、闇に惑いつつ、ツクシが大通りを東へ進んでゆくと、左手にずっとあった暗い敷地内の入場門らしき場所が見えた。カンテラが何個も連なった大きな街路灯が門の左右に突き立っている。その灯りの下に、フード付のマントを羽織って斧槍を持った男が二人いた。昨日、ツクシを追い回してきた兵士と同じ格好だ。

「ああ、クソ、ここでまた、例の兵隊さんか――」

 南の脇道へ駆け込んだツクシは住宅の石壁を背に追手を警戒した。兵士が追ってくる気配はない。ツクシはすぐに動けなかった。少し走っただけで呼吸が荒くなっている。雨がツクシの体温を奪い残り体力の消耗を早めていた。路地裏にある家々の裏口や窓は鉄の鎧戸で閉じられている。その鎧戸の隙間からなかの明かりが外へ細く漏れていた。野良犬がツクシの足元を通り過ぎた。痩せ細って濡れそぼった野良犬はうつむいたままツクシへ目もくれない。ツクシは路地を東へしばらく進んだあとで大通りへ戻った。東にある光の密集地帯がのツクシの目印になっていたので、暗い路地を歩いても進行方向を見失うことはない。ツクシはまた謎の敷地の沿いを歩いている。疲れ切ったツクシは自分の身体を無理に引きずって歩いているような有様だった。

 あの光がある場所へ辿りついたその途端だ。

 ぶっ倒れて俺はそれまでかも知れんよな。

 ツクシは顔を上げて笑った。おかしくて笑ったわけではない。あまりにも理不尽な状況なので笑うしかないのだ。乾いた笑い声を上げていたツクシの顔がふっと真顔になった。ツクシの対面から一人の男が歩いてくる。その男は黒い鍔広帽子を頭に乗せて、丈の長い、暗いオリーブ色のインバネス・コート(※とんびマント)を羽織っていた。かぶっている帽子の広い鍔に隠れた男の顔は見えないが、ツクシ同様、その黒い鍔広帽子の男も足取りが怪しい。

 ツクシは正面から歩いてくる男を見て旅人だと思った。

 すぐにそう断定した。

 長い旅だ。

 気の遠くなるような、長い、長い旅をしてきた男――。

 旅人とツクシの距離が縮まった。雨はさらに強くなった。石畳の道に水滴が跳ねて足元は白く霞む。二人の男が接近した。その間にあった距離は零に近くなる。そこで足を止めた旅人はうつむいていた顔を上げた。ツクシも足を止めて旅人を見つめた。旅人は顔に深いシワを刻んだ初老の男だ。黒い不精髭に白いものが混じっている。旅人は白色人種のように見えた。その白かったであろう肌は長い間の風雨にさらされたのか浅黒くなっている。旅人は白人にしては細い目で、その瞳は青く、真夏の大空を思わせるような色合いと力強さだ。強い光を持つその碧眼から、ツクシが読み取ったのは諦観とそれに真っ向から抗う強い意志。その二律背反する感情が瞳の中でせめぎ合い、旅人の眼光を鋭く磨いている。しかし、である。旅人の顔は死人のように青ざめ疲れきっていた。ツクシの眼前に立った旅人は生きているのは瞳のみという不思議な顔つきをしている。旅人がぐらりと揺れた。旅人は暗い敷地内を囲う鉄柵にもたれかかると、背負っていた荷物を鉄柵に擦りつけるようにして腰を落とした。

「おい、大丈夫か!」

 ツクシは片膝をついて怒鳴った。

 旅人の顔色は土気色で、その息が極端に細い。素人目に見ても、旅人に死期が迫っているのは明白だった。それに、旅人は青い瞳をしている。

 日本語は通じないだろう――。

 ツクシがいう言葉に迷っていると、

「――Japanese?(日本人か?)」

 初老の男が呟いた。

 ツクシにも理解ができる言葉である。

 英語だ。

 こいつは英語を喋ったぞ。

 あっさり死なせるわけにはいかねェ――。

「あんた、今、何ていった。英語、英語だな、英語だったな! ああっと、イェス、アイム、ジャパニーズ。ホェアーアーユーフロム?」

「これは違う!」

「ああ、クソッたれめ――」

「フーアーユー、ホェアイズヒア? これだ、応えろ、この外人野郎!」

 ツクシは立て続けに怒鳴った。ツクシの最終学歴は高校卒業で熱心に勉強をしてきた人間ではない。ツクシの英語の語彙は貧相だ。旅人に訊きたいことは山ほどあるのだが、英語ではなかなか言葉が出てこない。必死の形相のツクシが面白かったのだろうか。濡れた路面に身体を横たえた初老の男は薄く笑った。

 こっちは笑いごとじゃあねェぞ、オッサン。

 ツクシはイラっとした。

「Hmm Japanese Japanese perfect.No time.Take this.You take over dat wandering――(ふむ、日本人、日本人、それはいい、うってつけだな。もう時間がない。これを持っていけ。お前が引き継ぐのだ。この忌わしい、流離さすらいいの――)」

 初老の男は薄く笑ったまま自分の腰のベルトを震える手で外した。初老の男もツクシと同じく必死だ。その悲愴感に威圧されたツクシは押し黙った。初老の男は細くなった息を吐きながら、自分のベルトをツクシへ突きつけた。それは黒い鞘に収まった刃物が吊るされた剣帯だ。ツクシが旅人から受け取ったのは日本刀だった。

 何故、これを俺に?

 ツクシは問いかけることを諦めた。旅人の顎は力なく落ち、その瞳から光が失われている。彼の長い旅はここで終わりを告げた。ここまでにあった数々の苦闘を刻みこんだその顔は死者の微笑みを浮かべている。ツクシにはそれが安らかな表情に見えた。少なくとも、雨でズブ濡れになりながら、路上で野たれ死にした男としては安らかな表情だろうな、ツクシは思った。重荷から解放されたような、そんな表情かおで旅人は死んだ。ツクシが選んだ道の先には変化があった。しかし、それが自分にとって何を意味するのか。これから、どうすればいいのか。図りかねたツクシは手にきた日本刀をじっと見つめた。それは観察するのに足る光量が街路灯から落ちてきてもいた。

 銀色の柄頭。

 草色の柄。

 鍔に龍の文様が銀彫細工で施されている。

「いや、これは龍ではないぜ――」

 ツクシが目を凝らした。その鍔にあるのは西洋の龍――ドラゴンだ。日本刀に使う鍔としては奇抜なデザインである。

「――伴天連拵ばてれんごしらえってとこか。そんなもの、あるのかどうか知らんがな」

 ツクシがまた呟いた。返事の代わりに刀はツクシの手へ重量を伝える。その重みは、鞘から刃を引き抜いて確認しなくても十分な殺傷能力を持つ凶器である、とツクシを納得させる説得力があった。

 模造刀じゃねェ。

 これは間違いなく真剣だ――。

 真剣を手にしたツクシは、雨強く降りしきる闇のなか、ゆるりと立ち上がった。その右手が刀の柄にかかった。引き抜こうとした瞬間である。

 迷えば、死ぬ――。

 ツクシの頭のなかへ何かが語りかけてきた。

 疲労の所為か、寒さの所為か、異常な状況の所為なのか。

「確かに、そうだな――」

 ツクシは不思議に思わず頷いて見せた。

 迷っていたら、俺は間違いなく死ぬ。

 この日本刀を使って、一丁、やってやるか――。

 ツクシは口角をぐにゃりと歪めた。

 武器を使えば押し込み強盗も手早く済むぜ。

 殺して、奪って、飢えを満たして眠りにつけば体力は回復する。

 追ってくる兵士からも逃走が容易くなる。

 俺はこれから罪を犯して、本格的に追われる身ってわけだ。

 以前の俺は罪人を追う側だった。

 今から俺は追われる側になるって寸法だ。

 ま、これは因果応報ってやつだろうな――。

 ツクシの決意は固まった。武器を手に持ったまま移動するのは何をするにしてもやり辛い。ツクシは剣帯を腰に装着しようとした。すると、腰のベルトから吊るした革水筒がツクシの目に入る。

「まずは腹ごしらえからだぜ」

 ツクシは革の水筒の中身を全部飲み干した。身体に果実でできたビールのような味が疲れた身体に染み渡る。空になった腹が少し満たされるとささくれだった気持ちも少し落ち着いた。動きを止めたツクシは手にもった革水筒を見つめた。それは黒い顔の子供が行き倒れになったツクシに与えた飲み物だ。あの子供がツクシに与えた善意の象徴――。

 ツクシは愕然とした。

 あんな子供ガキでも朝から顔が真っ黒になるまで働いていた。

 その上で、見ず知らずの俺に思い遣りを見せたのに、見ず知らずの他人を相手に押し込み強盗をやらかそうとしている大人の俺は、一体、なんなんだ?

 俺という野郎の考えはどこまで惨めなものなのか――。

「――俺はここに立っている。だから、まだ歩ける筈だ。そうだろう?」

 ツクシは死んだ旅人へ声をかけた。死んだ旅人は、むろん、ツクシに応えない。だが、しかし、その薄く笑った死に顔はツクシの言葉を肯定しているように見えた。

 力強く頷いたツクシが顔を上げたところで、

「あのう、すいません、ちょっといいですか?」

 背後から声がかかった。

 これは日本の言葉である。

「あぁん?」

 不機嫌にツクシが振り返ると馬が二頭いた。黒い馬と茶色い馬だ。二頭の馬の上に二人の男が乗っていた。二人の男は、双方、鍔広帽子をかぶっている。一方は赤茶色の丈の長いロング・コートを羽織って、もう一人は赤茶色のマントを羽織っていた。息を呑んだツクシは街路灯の逆光でシルエットになった馬上の彼らを凝視した。

 今さらのように、ツクシは自分の耳を疑っている――。

「――ああ、その格好はやっぱり、そうだ!」

 二人いる馬上の男の片割れ――青年のほうが声を上げた。

「フフゥム、悠里ユーリ。イェット、ホゥモ、デベェーテ、イデェム、オウムタァン?」

 年を取った男がいった。

「そうですよ、そうですよ、おやっさん。このひとは僕の同郷です。いやあ、嬉しいなあ、こっちで日本人に会えるなんて。転移後に生き残っている人間が僕以外にもいたんですね!」

 馬上で大はしゃぎをする青年と、その横で自分を見つめる初老の男を、ツクシは呆然と眺めた。ツクシは言葉が通じる人間と出会えたという実感がまだ沸かない。興奮した馬上の青年は馬からヒラリと飛び降りた。マントをひるがえして恰好良くだった。しかし、青年は雨に濡れた石畳で足を滑らせて、「うあぁっ!」と、悲鳴を上げながらすっ転んだ。それを見ていた初老の男が馬上で胸を反らして笑った。初老の男が乗っていた黒い馬も笑ったような表情を見せている。バツの悪そうな表情を見せながら、その青年は駆け寄ってきた。それを見て、この若い男は悪い奴じゃなさそうだな、そう考えてツクシは警戒心をゆるめた。

 嬉しそうな笑顔をツクシに寄せて、

「――あ、自分の名前は八多羅悠里やたらゆうりっていいます。日本では神奈川のY市に住んでました。あの、貴方は日本の方ですよね?」

 その青年――悠里がいった。悠里はツクシに抱きつきそうな勢いだ。ツクシは苦笑いで悠里の顔を眺めている。悠里とは目鼻顔立ちがすっきり整って中性的な雰囲気の青年だ。特に目がはっきり大きくて黒い睫が長かった。ツクシが眉根を寄せた。悠里の瞳は青かった。

 日本語を喋っているが、日本人じゃないのかこいつ――。

 さらに眉根を寄せたツクシは言葉を待ち侘びている悠里の熱視線に気づいて、

「あっ、ああ。俺は九条尽くじょうつくしだ。ツクシでいいぜ。悠里さん、俺もあんたと同じ日本の出身だ。それは間違いない」

「――おお、おおっ! まさか、こんなところで日本人に会えるなんて。奇遇というか奇跡というか――あっ、この男、ツクシさんがぶっ殺したんですか?」

 悠里は辺りを見回して旅人の亡骸に気づいた。悠里の表情に特別な感情は浮かんでいない。あっけらかんとしたものだった。殺人の嫌疑をかけられてツクシは顔を引きつらせている。そういわれるとツクシは手に日本刀を持っていた。疑われても仕方がない。

 ツクシは顔を歪めて、

「おいおい、悠里さん、人聞きが悪いな。勝手に目の前で倒れたんだ。俺はそいつを看取ったんだよ。これは、マジだぜ」

「あっ、そう、ふぅん――」

 そんな感じでツクシの言い訳を聞き流した悠里は旅人の亡骸へ歩み寄った。

 初老の男が痺れを切らしていった。

「悠里、イェット、ホゥモ、ノーネ、コシューモ、エスト、コハク?」

「ああ、そうか、ツクシさんは言葉が――おっと、これはラッキー。あっ、ツクシさん、ちょっと待っていてくださいね」

 勇士が旅人の亡骸の首元へ手をやって何か外した。立ち上がった悠里が手に持っていたのは旅人が身に着けていたペンダントだ。チャームの部分の台座に茶色い宝石がはまっている。悠里はそれをツクシに手渡して、「ツクシさん、これを首につけてください」と、いった。

「――何だよ、これ?」

 ペンダントを手にツクシは眉根を寄せた。

「まあ、まあ、騙されたと思って、それを首にかけてください。そうすると、わかりますよ」

 悠里は笑っている。

 ツクシが不承不承ネックレスを首にかけると――。

「――これで言葉が通じるようになった。お前さん、悠里と同郷なのか。おっと、自己紹介が先だな。俺の名はアルバトロス。アルバトロス曲馬団の団長をやっているアルバトロスって名のチンケな親父だよ。職業は冒険者だ。ま、アルと呼んでくれ」

 黒い馬に乗った初老の男――アルバトロスがツクシに理解できる言葉を喋った。絶句したツクシがアルバトロスの顔を見つめた。日焼けした顔には、何本かのシワが刻まれ、鼻も顎も逞しく顔は四角い。黒く短い不精髭が頬や顎から突き出ている。右目には縦へ大きな刀傷があり、眼球が失われた眼窩にはエメラルド・グリーンに輝く義眼がはめてある。

「――あっ、ああ、俺は九条尽だ。ツクシでいいぜ。よろしくな、アルさん――おい、悠里さん、これはどういうことだ。いきなり外国語がわかるようになったぜ?」

 笑顔の悠里を睨むツクシの目つきは突き刺すように厳しいものだ。

「そりゃあ、驚きますよねえ――僕もツクシさんの気持ちはわかりますよ。そのペンダントですね、『虎魂コハクのペンダント』っていう製品です。こっちの言葉でいうと『導式具どうしきぐ』ってやつなんですけれどね。翻訳コンニャクみたいな――ツクシさんは知ってますか。翻訳コンニャク。ググール翻訳のほうが今のひとにはわかりやすいかな。これでもわかり辛いですよね。ざっくり説明をすると導式具は魔法のアイテム、みたいな感じなのですけれどね」

 悠里が身振り手振りを交えて一気にいった。

 ツクシはムッと黙っている。

 悠里は怒涛のごとく続けた。

「しかし、ツクシさん。魔法といってしまうと、異世界こっちのひとはもの凄く怒るんですよ。だから、そこが難しいのですよね。とりあえず、そのペンダントは外国語の翻訳機だと考えてもらえれば結構です。いや、通訳機かな。そっち表現の方がその機能を考えると的確かも知れませんよ。虎魂のペンダントのお値段は、タラリオン金貨で二、三枚ってところですから、まあ、そんな高級なものじゃありません。ここでは、本当にありふれた導式具です。しかし、機能の優秀さを考えると、お買い得、といっていいのかも知れませんね。僕も肌身離さず愛用していますよ。これは手放せません、便利です」

 雨に打たれながら爽やかな笑顔の悠里が、ペラペラ長々と導式具・虎魂のペンダントの機能説明をした。水に濡れた悠里はまさしく水もしたたるいい男だが喋りの調子は完全に営業トークのそれだった。

 長い説明を呆れ顔で聞きながら、この八多羅悠里という男は、日本で営業職でもやっていたのかなあ――などと別のことを考えていたツクシが、

「要するに、このペンダントをつければ、ここの外国語を話す連中と会話が成り立つってことか?」

 そして、ここでようやく、ツクシもわかった。泥老人や赤頭巾の子供が、しきりに首元を指差しながらいっていた「エスト」だの「コハク」の単語は、この外国語を翻訳できるペンダントのことだったのだろう。便利な道具もあるものだな、とツクシは素直に感心をした。この野蛮で狂気的な国の文明はなかなかどうして、捨てたものでもないようである。

「ええ、ええ、そうなんですよ。ツクシさんは飲み込みが早い。でも、そのペンダント、万能じゃないんです。動物とかとは話ができません。体系化した言語にしか、そのペンダントのチャーム部分に組み込まれた『導式』は適用されないんですね。ああ、ツクシさん、この導式ってやつは本当に面倒なんですよ。なかなか理解することが難しい。説明もすごく難しい。僕だってこっちに来た当初は、もう、本当に面食らってしまいました。導式というのは、こっちの総合的な学術体系、みたいなものなのです。これを部分的に理解しようとしても、必要な知識がどんどん増えていって、結局、膨大な知識が必要になってくるわけですね。芋づる式です。例えばですね、治癒の導式なんかだと――」

 悠里がまだ長話を続けようとした。顔を歪めっぱなしのツクシは長い話と難しい話が両方とも大嫌いだ。それでも、ツクシは悠里の気持ちが理解できた。ここへ来たとき、悠里も相当な苦労をしたのだろう。おそらくはツクシと同様にである。だがこれ以上、雨の路上で立ち話を続けるのは、ツクシの体力的に限界だった。

 苛立ったツクシが口を開く前に、

「悠里、ツクシは空きっ腹でふらふらみたいだぞ。その話は後にしろ。それよりもだ、そこに転がっている死人はどうしたもんかな――」

 アルバトロスが悠里を制止した。

「あっ、そうでした。すいません、おやっさん、ツクシさん――そうですよね、確かにネストの近くに死人を放置すると少し面倒ですよね」

 悠里も旅人の亡骸を見やった。道に転がっている死体を見ても、悠里とアルバトロスは平然としている。

「そこの死体、俺たちのご同業に見えるな」

 アルバトロスが呟いた。

「そうですね、この死体は冒険者の見た目ですよ。背嚢も大きいし何よりも雰囲気が埃っぽい――」

 悠里が頷いた。

「――目に入れちまったものは仕様がない。俺たち冒険者の掟――『冒険の最中にたおれた同胞はらからは、せめて墓まで運んでやれ』だ。その死体を死体安置所モルグまで運ぶぞ。ま、場所はすぐそこだ。さほど時間はかからんだろう。悠里、ツクシ、ちょっと俺に手を貸せ。死体を搬送したあとで、メシでも食いながら、ゆっくり話をしよう」

 アルバトロスの「メシ」という言葉に反応して、ツクシの腹が「ゴルアッ!」と吼えた。虎の鳴き声かと錯覚するほど大きい。

 悠里が身を竦ませて、

「おぉう――ツクシさん、もしかして、すごくお腹が減っているんですか?」

「おう、恥ずかしい話だがな。ここ二日はまともに食ってない。ここで使える手持ちの金もないし――」

 ツクシはうつむいた。

「それは、仕方がないですよ! 僕もこっちにきたときは散々苦労しましたからね。ツクシさん、気にすることありません。メシは僕が奢ります。一緒に来て下さいよ。嫌といっても僕はつれていきますよ。絶対に逃がしませんからね。僕はね、今、いい宿に泊まっているんですよ。そこの料理はかなりいけます。保証します。そこは酒場宿なんですけれどね。セイジさんっていう、コックがいるんですよ。この彼がですね、これが本当に腕のいい料理人なのです。口数は少ないのですけれど真面目でね、何を作らせても旨いのです。本当ですよ。セイジさんは男前ですしね、驚きますよ、日本でも滅多に――」

 悠里は好意で発言を続けているようだ。

 だが、ツクシはもう倒れそうだった。

 こいつのお喋りを聞きながらここで死ぬのか。

 いったんは助かったと思ったんだが――。

 ツクシが諦めかけたところで

「悠里、いい加減にしろ、さっさとその死体を馬の背に乗せるのを手伝え!」

 アルバトロスが黒い馬からヒラリと路面へ降り立った。雨はまだ降り続いている。石畳の道は薄く水の膜が張るほど濡れていた。しかし、アルバトロスは悠里のように転ばない。地面に降りたアルバトロスは肩幅のある、どっしりとした体形だった。身長はツクシより少し低く百七十センチ前後。年齢は五十歳前後に見えた。しかし、アルバトロスの身のこなしは軽やかで一挙一動、青年のようなエネルギーを発散している。

 やはり、これは只者でなさそうだぞ――。

 ツクシはアルバトロスに対しての警戒をちょっと強めた。

「――あっ、すんません、おやっさん」

 カクンとうなだれた悠里が、道に転がっていた旅人の亡骸の足を持った。悠里とアルバトロスは手馴れた感じで旅人の亡骸を馬の背へ乗せた。アルバトロスはツクシにも手を貸せといったが、その必要はなかったようだ。アルバトロスは旅人の亡骸と一緒に黒い馬の背に跨った。悠里も自分が乗ってきた栗毛の馬にヒラリと跨ってツクシへ手を差し伸べた。

「――俺も馬に乗るのかよ?」

 ツクシが眉根を寄せた。ツクシは馬に一度も乗ったことがない。

「ええ、もちろん。死体安置所はそう遠くないですけれど、ツクシさん、疲れてるでしょ。あ、この馬はシューティング・スターって名前なんですよ、略してシューター。流れ星号です。ほら、この馬、額のところが白い毛で星の形になっているから、それで僕がこの名前をつけたんです」

 悠里が嬉しそうにいった。その馬の名前なんて誰も訊いてねェだろ、とツクシは胸中で毒を吐いた。悠里は馬上で嬉しそうな笑顔を見せていた。

「俺の団へ来てしばらくの間、悠里はそいつによく振り落とされてたけどな」

 アルバトロスが軽口をたたきながら、「良し、行くぞ、ココア」そういって馬の横腹を乗馬靴の拍車で叩いた。「ブルルッ」と、アルバトロスの黒駒――ココアが鼻と蹄を鳴らした。悠里が乗るシューターはツクシをじっと見つめている。馬は賢い動物で乗るひとをよくよく見るらしい。

 嫌われてないといいんだが――。

 ツクシは不安だったが、手にあった剣帯を腰に巻き、旅人から受け取った刀を吊るすと、差し出された悠里の手を取った。

「冒険者は遠乗りが多いし、荷と一緒に移動することも多いですからね、頑丈な馬を使っているんですよ。だから、シューターもココアも二人乗りは余裕なんです、簡単に潰れるような弱い子じゃありません。そこは心配無用です、ツクシさん。じゃ、いきますよ、ハイヨー、シューター!」

 悠里がシューターの足を進めた。そんなこと訊いてねェだろ、ツクシはそう思った。馬の鞍は大きめにできていた。悠里の後ろに乗ったツクシの尻は鞍に乗ったが足を乗せるあぶみはない。馬の乗り心地は慣れないと不安定である。ツクシが悠里の腰に手をやった。

「それはくすぐったいので、僕の身体に手をしっかり回してください」

 悠里が笑った。疲労困憊していたツクシは仕方なく悠里の背に自分の身体を預けた。

「中年男のお姫様だ。気持ち悪いな!」

 アルバトロスが悠里にもたれかかったツクシを見てゲラゲラ笑っている。

「ああ、アルさん、まったくだ。格好がつかねェよ――」

 ツクシは顔を歪めた。心底から嫌そうだ。その前にいる悠里は嬉しそうに笑っている。

 馬上の三人とひとつの亡骸は濡れた石畳の大通りを西へ向かった。


※異界語の翻訳※


原文「フフゥム、悠里。イェット、ホゥモ、デベェーテ、イデェム、オウムタァン?」

訳文「ふぅん、悠里。その男はお前の同郷からきたのか?」


原文「悠里、イェット、ホゥモ、ノーネ、コシューモ、エスト、コハク?」

訳文「悠里、その男は虎魂のペンダントを持っていないのか?」

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