282:収斂

 聖王国の首都ヴェルツブルグ東部に在る、ロザリア教の総本山。その大聖堂の奥にある円筒形の広間の中で、二人の修道士が入口付近に立ち、前方のパネルを見つめていた。


 彼らは衛兵のように直立不動を維持し、広間の中で起きる変化を片時も見逃すまいと目を凝らしていたが、広間は彼らの決意を嘲笑うかのように沈黙を続け、彼らに無為な時間を強いている。修道士達は昼夜問わず交代で広間に張り付いていたが、これまで数ヵ月にも渡る苦労に広間は応えず、彼らはただひたすら辛抱を重ね続けていた。




 だが、その日、ようやく彼らの苦労が報われる時を迎える。


「…あ、あ…嗚呼…」


 彼らが佇む広間を取り巻く円筒形の壁に突如無数の光が灯され、部屋全体が様々な光に覆われていく。初めて見る光景に慄き及び腰になる彼らを余所に、赤青黄緑の光が壁に沿って縦横無尽に走り出し、前方のパネルが白く瞬いた。


『…あーあー。誰か居るかい?』

「「ロザリア様!」」


 パネルから聞こえて来る男らしいロザリアの声を受け、二人の修道士は即座に身を投げ出し、床に手をつき平伏する。


「はい!はい、ロザリア様!御聖言はしっかりと私共の耳に届いております!何なりとご用命を!」

『お、ぉう…、古城美香を連れて来てくれないか?彼女と話をしたいんだが』


 前方から降り注ぐロザリアの聖言を聞いた一人の修道士が顔を上げ、前方のパネルに向かって答える。


「恐れ入ります!陛下は西方諸国との戦いへと親征され、現在此処ヴェルツブルグに居りませぬ。ロザリア様がお目覚めの際には、執政官フリッツ・オイゲン・フォン・ディークマイアーがお目通りしたいと申しておりました。ロザリア様、誠に恐れ入りますが、この場にフリッツをお連れしてもよろしいでしょうか?」

『閣下が?…わかった、お連れしてくれ。また、3時間後でいいか?』

「畏まりました!それでは、3時間後にお待ち申し上げます!」


 やがて広間を埋め尽くす光が鎮まり次第に静寂を取り戻す中、二人の修道士は広間を飛び出し、司教の詰める部屋へと駆け出していった。




 ***


「…え?西方諸国が?」


 絶えず振動を繰り返すボクサーの車内で、柊也は後部座席に腰を下ろしたまま、向かいの座席の上で淡い光を放つ赤蜥蜴に尋ねる。座席にしがみ付いたまま微動だにしない赤蜥蜴から、壮年の男の声が聞こえてきた。


『ああ、そうだ、シュウヤ殿。カラディナ、セント=ヌーヴェルの教会がミカを魔族宣告し、我が国に対する”東滅”を宣言した。我が国はこれから西方諸国全てを相手取り、勝利せねばならない』

「戦況はどうなっていますか?古城の居場所も教えて下さい」

『現時点では戦端が開かれたとの情報は、ヴェルツブルグには届いていない。自国の瓦解は免れ一枚岩を保っているが、戦力に劣り、予断を許さない状況だ。ミカが進発したのは今からひと月ほど前、オストラに到着したとの報告が届いている』

「そうですか…」


 フリッツの報告を聞いた柊也は頷き、そのまま赤蜥蜴へと命令する。


「サラ、古城美香の所在地を地図上に表示する事はできるか?」

『申し訳ありません、マスター。MAHOは、個体の特定追跡機能を有しておりません』


 サラから齎された回答を聞き、柊也が顔を顰める。赤蜥蜴からフリッツの嘆願が聞こえてきた。


『…シュウヤ殿、頼む。ミカを助けてくれぬか。彼女はハヌマーンの攻撃から我が国を救い、路頭に迷う”子供達”を素質と争いの無い世界へと誘おうとする、慈しみ溢れる”母”だ。その”母”を、誤解と偏見を信じた”子供達”が憎悪を剥き出しにして、自らの手で縊り殺そうとしている。頼む、シュウヤ殿。どの様な手を使っても構わない。我々人族に、”母殺し”の汚名を着せないで欲しい。この通りだ…』

「わかりました、閣下。私もすぐに、オストラへと向かいます」


 赤蜥蜴の向こう側で神妙に頭を下げているであろうフリッツの姿を思い描き、柊也は彼に向かって明言する。遠隔通信を終え、淡い輝きを鎮める赤蜥蜴を眺めていた柊也に、隣に座るシモンが尋ねた。


「それでトウヤ、この後どうするつもりだ?」

「…」


 シモンに問われた柊也は、しかし黙ったまま赤蜥蜴を眺めている。やがて、彼は赤蜥蜴に向けて一つの命令を発した。


「…サラ。中原において直近1ヶ月に使用された『クリエイトウォーター』『ライトウェイト』を抽出し、その使用頻度を時系列で地図上に表記できるか?」

『可能です。少々お待ち下さい』


 柊也の問いに赤蜥蜴は舌を伸ばしながら答え、やがて空中にスクリーンが浮かび上がり、中原の地図が表示される。柊也が左手を伸ばし親指と中指を空中で動かすと、地図上に散らばる無数の光の点が色や場所を変えて瞬きを繰り返していく。柊也は指で時系列を動かしながら、シモンに説明した。


「…シモン、此処にヴェルツブルグからオストラに向かって移動する光の塊があるだろう?これが多分古城の直率部隊だ。で、オストラにある塊がコルネリウス軍。一方、国境沿いに南北に連なり、西から来る点を吸収して次第に大きくなる光の帯、これがおそらく東滅軍だな」

「…」


 シモンは柊也の説明を聞き、目の前に広がる光の移ろいに口を開けたまま呆然とする。クリエイトウォーターとライトウェイトを示す光は各所で瞬き、街道に沿って血管のように中原全体に網の目のように広がっていたが、柊也が説明した通り、一つの大きな光の塊がヴェルツブルグからオストラへと移動してオストラでひと際大きく輝き、一方聖王国との国境沿いで小さな無数の光を吸収して次第に光度を増す光の帯に目を奪われ、息を呑む。


 自分にはただ綺麗としか思えない無数の光の動きから、彼は両軍の状況を読み取り、遠くに居ながら全てを把握している。トウヤの生まれた世界の人々は、どれだけの能力を秘めているのだろう。内心で感嘆の声を上げるシモンの視線の先で、国境沿いの光の帯が聖王国に向けて動き出し、それを見た柊也が顔を顰めた。


「…マズいな。これ、コルネリウス軍も古城も気づいてないぞ」

「…え?」


 思わず目を瞬かせるシモンの前で、柊也が空中の一点を指し示しながら赤蜥蜴へと命令する。


「サラ、取り急ぎ、この座標に向けて俺達を誘導してくれ。この後の状況によって、少しずつ修正していく」

『畏まりました、マイ・マスター』


 赤蜥蜴のいらえを聞き流しながら柊也はシモンへと顔を向け、急かすように答える。


「シモン、現在地から見て、俺達が戦いに間に合うかはギリギリのラインだ。これまでのような悠長な旅ができなくなって悪いが、暫くの間頑張ってくれ」

「ああ、構わないよ、トウヤ。それくらいは私達に任せてくれ」


 シモンは真剣な表情を浮かべる柊也に力強く頷くと、操縦席に座るセレーネに伝達するために席を立つ。


 未だガリエルの地に居るボクサーは今まで以上に速度を上げ、オストラ方面へと向け爆走していった。




 ***


「東滅軍が国境を越えました。現在、此処オストラへと向けて侵攻中です」


 オストラ近郊に展開する聖王国軍の司令部において、国境まで進出していた偵察隊からの情報を元に、ホルストが報告を行う。報告を受けた後も沈黙を貫く美香に代わり、下座に座るコルネリウスが尋ねた。


「敵の兵力と、オストラへの到達時期を報告せよ」

「はっ。確認できた兵力だけでも35,000。後続の兵を含めれば50,000に届くかと存じます。オストラへの到着は、およそ5日後と推定されます」

「ご苦労」


 報告を終えたホルストが着座するのを見届けたコルネリウスは、上座に腰を下ろす美香へと視線を転じる。


「陛下、御聖慮がございますれば、お伺いいたしたく」


 コルネリウスの言葉を受け、美香は静かに頭を振る。


「…いえ、何も。大将軍のお考えのままに」

「御意」


 コルネリウスは、美香の答えに一つ頷きを返すと、ホルスト、ユリウスら軍首脳に向けて宣言する。


「我が軍は明後日、此処オストラを進発し、全軍をもって東滅軍を迎え討つ!この一戦に、我が国はもとより、中原の未来が懸かっている!今こそ全軍一丸となり、陛下の御恩に報いるのだ!」

「「「はっ!」」」


 ガリエルの第2月9日、美香はコルネリウス率いる聖王国軍31,600に護られ、オストラを進発する。後に「第3次オストラの戦い」と呼ばれる天下分け目の戦いが、4日後に迫っていた。

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