281:聖母親征

「「「陛下!」」」


 会議室で顔を突き合わせていたフリッツ達は、アデーレに付き添われて入室してきた美香の姿を見ると即座に立ち上がり、気遣わし気な表情を向ける。皆の視線を一身に集めた美香は、穏やかな表情で笑みを浮かべると、軽く頭を下げた。


「皆様、ご心配をおかけいたしました。突然の事に取り乱してしまい、申し訳ございません。お蔭をもちまして、ようやく落ち着きを取り戻す事ができました。長い間席を外し、皆様のお気を煩わせました事、お詫び申し上げます」

「いいえ、陛下。私どもこそ、この様な形で陛下の宸襟しんきんを騒がせるに至り、恐懼きょうくに堪えませぬ。国民一同を代表し、深く、深くお詫び申し上げます」


 フリッツの言葉と共に、その場に居る高官達が一斉に頭を下げる。美香は高官達に向かって淑やかに会釈を返すと、高官達が頭を下げたまま動きを止める中、アデーレを伴い席へと向かう。やがて美香が席に就くと、フリッツ達はおもてを上げ、再び腰を下ろした。


 高官達は感情が面に表れないよう表情筋を固めながら、年若い主君の様子を窺う。依然、状況は何ら好転を見せておらず、美香を取り巻く環境は最悪と言っていい。しかし、その様な状況にも拘らず、美香は取り乱す事もなく落ち着いた様子を保っている。それはまさに美香が高官達に全幅の信頼を寄せ、この問題の対応を一任した事に他ならない。それを知った高官達は主君の心身の回復を喜ぶとともに、主君の信頼に報いる事を心に誓い、胸を熱くした。高官達の視線の先で、美香がフリッツに顔を向ける。


「フリッツ様、現在の状況をお教え下さい」

「はっ。西方の宣言を受け、我が国は東滅軍の攻撃に備え兵を整えました。現在の兵力は、オストラに駐屯するコルネリウス軍25,000と、ヴェルツブルグを防衛する近衛師団6,600の、計31,600。この他にも各地から到着した新兵及び志願兵をまとめ、8個大隊を編成中です」


 美香の質問を受け、フリッツが答える。コルネリウスは西部主権回復とともにヴェルツブルグへと帰還していたが、東滅の宣言を受け、麾下の兵とともにオストラへととんぼ返りしていた。


 フリッツの報告を聞いた美香は、ほっそりとした指を顎に添え、小首を傾げる。


「軍事は詳しく存じ上げませんけれども、…思ったよりも相手の動きがゆっくりしていますね?」

「はい」


 美香の問いにフリッツが首肯し、自分の見解を述べる。


「もうすぐロザリアの第6月が終わりますが、未だ侵攻の知らせは来ておりません。恐らくセント=ヌーヴェルからの増援を待っているのでしょう。先のオストラでの戦いにおいてカラディナは少なくない損害を受け、同時に我が国の戦力も把握しています。カラディナ単独での侵攻は利あらずと見て、出兵を控えているものと見受けられます」

「…となると、わたくしも出撃しない事には、戦力で劣ると言う事になりますね?」


 手元の資料に目を通しながら報告していたフリッツだったが、美香の言葉を聞いた途端、勢い良く顔を上げる。テオドールをはじめとする高官達も腰を浮かし、美香を押し留めようとした。


「陛下!?まさか、親征なされるおつもりか!?」

「なりませぬ!今は玉体をご案じ召されよ!」


 父親ほども年の離れた高官達が皆一様に慌てふためき、翻意を促そうとする姿に、美香は感謝の笑みを浮かべながらも、決意を表明する。


「皆様が私のために戦って下さると言うのに、私だけが安全な場所に隠れているわけには参りません。それに聖王国を除く全ての国が相手となると、戦力差は倍ほどにもなろうかと。『ロザリアの槍』を持ち出さない事には、到底勝利は望めませぬ」

「ですが、陛下…実際に戦場において、『ロザリアの槍』を彼らに向けて放てるのですか?」


 フリッツの軍人としての厳しい追及に対し、美香は目を伏せ、静かに頭を振る。


「…残念ながら、現時点でそこまでの覚悟は…。ですが、少なくとも相手の戦意を挫く事と、味方の戦意高揚のお役には立てるかと存じます」




「ロザリアの槍」――― それは、東滅軍との戦いでは、禁断の一手と言える。


 確かに東滅軍を殲滅させるだけであれば、これ以上効果的な手段はない。たった一発とは言え、一人で万を超える敵軍を蹂躙できるのだ。しかも、この過剰戦力は相手にも知られている。つまり、「ロザリアの槍」を見せ球にする事で相手を牽制し、戦場で主導権を握る事ができるのだ。戦力に劣る聖王国としては、これを使わない手はない。


 だが、「ロザリアの槍」を東滅軍に放った時。それは、西方教会の主張を認める事になり、西方諸国との絶滅戦争ジェノサイドへと発展する。一人で数万の兵を殺した美香を、西方諸国は決して赦さないだろう。中原は人族の血で染まり、聖王国の民もやがて同族の血に塗れた美香から離れるかも知れない。そして、何より「子殺し」を行った事に、きっと自分が耐えられない。


「ロザリアの槍」を放った時、それは「全人族の母」の死を意味する。




「…畏まりました。陛下の御心のままに」


 美香の決意を聞き、フリッツが引き下がる。フリッツは、そこまで美香を追い詰めるつもりはなかった。彼女の言う通り、「聖母」の親征は聖王国軍の戦意を大いに引き上げるし、牽制としての「ロザリアの槍」の有用性も十分に理解している。


 あとは、我々が盾になってでも、陛下に「槍」を使わせないよう、戦いを運ばねばなるまい。


 フリッツのみならず、高官達が一様に同じ想いを胸に秘めたまま、御前会議が終了する。


 そして、ロザリアの第6月26日。美香を乗せた馬車とそれを守護する近衛師団6,600がオストラへと向かうため、首都ヴェルツブルグを出立した。




 ***


「ようやくコジョウ・ミカの動向が掴めました」


 ガリエルの第1月13日。カラディナ共和国の首都サン=ブレイユ。


 政府庁舎の一室で、ジェローム・バスチェをはじめとする「六柱」の当主とジャクリーヌ・レアンドルは、高官の報告に耳を傾ける。


「コジョウ・ミカは先月親征を宣言し、オストラに展開する聖王国軍への合流を表明しました。オストラに展開する聖王国軍は現在25,000、総司令はコルネリウス・フォン・レンバッハ。コジョウ・ミカ合流後は32,000まで膨れ上がると推測されます」

「結局、聖王国は自壊しませんでしたな。魔族宣告をもってしても揺るがないとは、コジョウ・ミカはどの様な詐術を弄しているのだ?」


 当主の一人が腕を組み、心外な表情を見せる。魔族宣告は中原において最大の罪業であり、その人物の破滅を意味する。事実、パトリシオ3世はセント=ヌーヴェル国内では決して人気の悪くない国王であったが、魔族宣告によって求心力を失い、最後は家臣の手によって首を討たれた。


 だが、国内で暴政を施き、人々を恐怖に陥れているコジョウ・ミカであるにも拘らず、魔族宣告の中でも聖王国は国体を保ち、この期に及んで32,000もの軍を展開できている。魔族宣告の後、教会とカラディナの連名で二度ほどヴェルツブルグに追及の使者を遣わしたが、執政官フリッツ・オイゲン・フォン・ディークマイアーはコジョウ・ミカ誅滅の要求に応じず、徹底抗戦の構えを崩さなかった。また、並行して送り込んだ暗殺も全て失敗し、返り討ちとなっていた。


 ジャクリーヌが秀麗な眉を顰め、見解を述べる。


「これほどまでに反抗の声が上がらないのは、全くもって異常な事。『ロザリアの槍』にも劣らない禁断の魔法を使い、人々を操っているのかも知れませぬ。何て恐ろしい事…」

「この3ヶ月ほど全く姿を現していませんでしたが、猊下のおっしゃられる禁断の魔法にたずさわっていたのかも知れませんな」


 コジョウ・ミカの所在の把握は、東滅の成否を左右する。彼女は東滅の最終目的であると同時に、最大の障害である。如何に彼女の所在を正確に把握して戦場へと誘き出し、そして「ロザリアの槍」を撃たせることなく仕留めるか。その如何いかんに関わってくる。これまで聖王国内にカラディナ軍が進攻しなかったのも、セント=ヌーヴェル軍の合流が済んでいなかった事もあったが、コジョウ・ミカの所在が掴めず、各個撃破されるのを避けるためでもあった。


 だが、ついにコジョウ・ミカの所在が明らかになった。セント=ヌーヴェル軍も到着し、南部小国家群からの支援も十分に届いている。そして新たな勇者アインの登場によって、士気も最高となっている。




 機は熟した。




 …アイン様、ご武運を。


 ジャクリーヌは目を閉じ、万感の想いを籠めて、静かに胸元で印を切る。




 ガリエルの第2月1日。首都サン=ブレイユからの指令を受け、ついに東滅軍が国境を越え、聖王国へと進攻する。


 総兵力はカラディナ軍27,000、セント=ヌーヴェル軍25,000、及び小国家群からの義勇兵3,000。


 合計55,000もの大軍が中原の未来を賭け、たった一人の首を目指し、戦いへと向かおうとしていた。

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