267:想像できない未来に向けて(2)

「大草原ですと!?」

「はい、フリッツ様」


 話の飛躍にフリッツは思わず目を剥き、美香が頷いて説明を続ける。


「この世界の治癒魔法は外傷を癒す事に特化しており、病気や消毒には対応しておりません。そのため医療の半分、病気への対処に影響はありませんが、残りの半分、怪我への対処方法が失われる事になります」


 21世紀に例えれば、内科と外科のうち、外科を喪失する事に等しい。この5年間で外科療法を確立する必要がある。だが幸いにも、その知識は地平の彼方に綿々と受け継がれていた。


「エルフ達の住まう大草原はサーリア様の管轄地でありますが、言い伝えではサーリア様がハヌマーンに殺され、そのため彼の地では素質が機能いたしません。つまり、彼らは素質に依存しない医療を確立しているはずです。フリッツ様、大草原に視察団を派遣して下さい。彼の地で彼らと共に数ヶ月生活し、素質の無い世界での生活の教えを乞うのです」

「し、しかし、彼らとは…」


 美香の要請を受けたフリッツは、苦渋の表情を露わにして言い淀む。だが、美香はフリッツを安心させるように穏やかに微笑み、言葉を引き継いだ。


「西誅の遺恨、でございますね?」

「その通りです、陛下」

「それは一旦、脇に置いておきましょう」

「は?」


 思わす間の抜けた声を上げてしまったフリッツに、美香は顔を綻ばせ、親愛の滲む笑顔を向ける。


「先の王朝に宛てた手紙の中で、彼らは過去の遺恨を水に流し、これまでと変わらぬ友誼を示されたと伺っております。彼らは裏表のない、一本気溢れる真っ直ぐな心の持ち主です。彼らの言葉を信じ、受け入れを要請しましょう。何より、あと5年しかないのです。なりふり構っている暇など、ありません」

「陛下…」

「それに、伝手が全くない訳でもありません」

「「「え?」」」


 美香の言葉にフリッツはおろか、高官達の反応がシンクロし、美香は思わず破顔する。


「先輩…柊也さんのご友人にエルフの方がいらっしゃいまして、懇意にさせていただきました。今すぐとは参りませんが、柊也さん達がお戻りになられた後、その方を通じてお願いすれば、快く受け入れていただけるかと存じます」




「…」


 さも当然のようにあっさりと種明かしをした主君に、フリッツ達は内心で舌を巻く。少数ながら中原に進出し人族と生活を共にする事もある獣人とは異なり、エルフが中原に進出する事はない。特に中原の東端に当たる聖王国がエルフと接触する機会は絶無と言え、高官達は誰一人、エルフの知己を得ていなかった。


 にもかかわらず、この世界に召喚されて僅か4年、しかもヴェルツブルグとハーデンブルグから外に出た事のなかった美香がいつの間にかエルフの知己を得ている事を知り、高官達は主君の背中に人智を超越した加護を認め、彼女を奉じた自分達の判断が誤っていなかった事に得も言われぬ高揚感を感じる。美香は高官達への説明に集中し、彼らの熱っぽい視線に気づかない。


「そして、引水工事と視察団の派遣。これらが、雇用問題への対策にもなります」




「「「ど、どういう事でありますかっ!?」」」


 最早フリッツのみならず、高官達が一斉に腰を浮かし、前のめりになる。大の男達に一斉に詰め寄られて美香は驚き、仰け反った。


「え、えっと、素質が失われる事によって、魔術師をはじめ素質に頼ってきた方々が職を失い、路頭に迷う事になります。彼らをそのまま放置しておけば、やがて自暴自棄となって犯罪に手を染め、社会不安へと繋がるでしょう。それを防ぐためにも、彼らに率先して引水工事と視察団に参加していただき、手に職を付けていただくのです。治癒魔法を生業にされていた方には外科医療を学んでいただき、地の魔術師には御者としての経験を、水の魔術師には土木の知識を、と言った風に。素質が失われる事で失業する方が出る一方、他方に新たな雇用が生まれます。その雇用の転換を促進するために、国が支援を行うのです」




「「「…」」」


 国を豊かにするために民が奉仕するのではなく、民を豊かにするために国が支援する。


 21世紀の先進国であれば当然とも言えるこの思考が、この世界の高官達には衝撃だった。数十年に渡ってこの国の中枢を担い、屋台骨を支えてきたと自負する彼らが、社会経験さえない小娘一人の思考に後れを取っている。


 彼らは「ロザリアの御使い」としての美香を知っているし、「人族の母」としての美香も知っている。だから彼らは新たな主君に美香を選んだのだが、実は彼女にはもう一つ、彼らの知らない、主君に相応しい資質が備わっていたのである。




 ――― 美欧大学法学部政治学科。




 勿論彼女は社会経験のない、世間知らずの小娘である。彼女の言い分をそのまま受け入れていては、現実との間に軋轢を生む事だろう。


 だが彼らは、これまで数十年に渡ってこの国の中枢を担ってきた経験豊かな実務官である。主君が指し示す理想に共感できれば、その実現に向けて絶大な力を発揮する事ができる。


「…陛下」

「はい、何かご質問があれば」


 やがてフリッツが厳粛な面持ちで口を開き、名を呼ばれた美香が応える。すると、長テーブルに沿って美香の正面に座る高官、司教達が、次々に起立し始めた。突然の動作に面喰い、目を瞬かせる美香の前で、高官達は美香へと向き直り、姿勢を正す。


「…え、えっと?」

「ご心外かと存じますが、敢えて申し上げます。陛下、太古の彼方からこの混沌渦巻く世界にご降臨あそばされ、路頭に迷い滅亡への途を歩もうとしていた子らに救いの手を差し伸べ、光り輝く未来へとお導きいただきました事、このフリッツ、全人族を代表し、篤く、篤く、御礼申し上げます。此処に居る一同、生きて『母上』の御尊顔を拝するという望外の栄誉に深く感激いたしますとともに、陛下より生を賜った御恩に報いるべく、全国民、子々孫々末代に至るまで忠勤に励みますことを誓います!」

「「「誓います!」」」

「え、ちょっと待って、みんな落ち着いて?」


 私、まだ子供産んだ事ないから!


 威風堂々、威厳を身に纏った厳つい男達に一斉に頭を下げられ、美香は唯一人椅子に座り、為す術もなく往生する。アデーレとレティシア、そしてオズワルドとゲルダの四人は、皆に倣って頭を下げたまま、顔を引き攣らせる美香を見て、笑いを堪えていた。




 ***


 ひとしきり美香に対する精神的な波状攻撃が止み、高官達が再び腰を下ろすと、美香は仕切り直しとばかりに一つ咳払いをする。


「コホン。とりあえず、対応方針としては先ほどの通りとなりますが、他にも決めなければならない事があります。…素質の喪失を、どの様に国民に伝えるか、という事です」

「「「…」」」


 美香の言葉を聞いた途端、高官達は皆一斉に気を引き締める。むしろ、こちらの方が難題と言えよう。高官達の視線の先で美香の右掌が上がり、親指、人差し指が順に折り畳まれた。


「素質が失われるという前代未聞の時代を人々が混乱なく迎えるためには、次の二つを知らしめることが、不可欠かと存じます。一つ、素質の喪失は、不可避である事。二つ、素質の喪失は絶望ではなく、希望に溢れている、という事です。前者を伝えなければ、人々は目前の現実に逃避して将来の備えを怠りますし、後者を伝えなければ、人々は絶望して社会が大混乱に陥る事でしょう」

「全くその通りでございます、陛下」


 美香の発言を聞いたヴィルヘルムが、溺愛する娘を見守る父親と、母親へ憧憬を向ける少年の二つがい交ぜになったような笑みを浮かべる。その美香が、自身の左脇に座る男に目を向けた。




「猊下。この件について、誠に畏れ多い事ではございますが、今の二つを踏まえた内容を、ロザリア様の神託として布告いただけますでしょうか」




「「「へ、陛下!?」」」


 美香の発言に高官達は驚愕し、思わず腰を浮かせる。


 自分達の主君が、教会に向かって、神の言葉を騙ると堂々と言い放ったのだ。美香が高官達を見渡し、明言した。


「今回の件は、王命では力不足です。我が国だけであれば不可能ではございませんが、カラディナ、セント=ヌーヴェルを含む中原各国を同調させるには、ロザリア様の名をもって布告する他にありません」


 自国だけを考えて済む問題ではない。中原全体の未来を考えなければ、ならない。高官達は、横紙破りとも言える美香の胆力と、国境を越えた視野の広さに、感服する。


 この、宗教に対する無遠慮さについては、日本人の無節操とも言える宗教観もあるだろう。高官達の驚きを余所に、美香の枢機卿への説明が続く。


「今回、素質の喪失と引き換えに、この世界の寒冷化を食い止める事ができたと言っても過言ではございません。つまり、我々は素質を犠牲にしてガリエルを討ち取り、神話の世界から続く戦いに勝利した、とも言えるのです。その様な筋書きでロザリア様の神託を布告すれば、人々は素質の喪失を前向きに捉え、希望と共に新時代を迎えられるかと存じます」

「…畏まりました」


 三人の枢機卿は、お互いの顔を見合わせた後、最も手前に座る一人が代表して口を開く。


「陛下の御提案を元にロザリア様の神託を作成し、カラディナ、セント=ヌーヴェル両支部と連携の上、布告を出す手筈を整えて参りましょう」

「恐れ入ります、猊下」

「ご案じ召さるな、陛下」


 神妙な表情で頭を下げる美香に対し、枢機卿は顔を綻ばせる。


「陛下は何と言っても、私達の『母上』。神話に語り継がれる、最初の人族でございます。その『母』に頼まれ、断れる子がおりましょうか。ロザリア様も、ご自身の『娘』の所業として、きっと大目に見て下さります」

「え、えっと、あの」


 いや、だから、私、まだ子供産んだ事ないから!


 三人の認知していない年老いた子供達のにこやかな笑顔に、美香は思わず引き攣った笑みを浮かべる。


 人々は太古の彼方から世界を支えてきた素質を失うという、未曽有の時を迎える事となった。だが彼らは、自分達の許に舞い下りた「母」の温かな手に誘われ、恐怖から逃げる事なく、力強い一歩を踏み出そうとしていた。

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