266:想像できない未来に向けて(1)

 美香が何とかなだめすかして一同を立ち上がらせると、一行はメインシステムのある部屋を出て、貴賓室へと移動した。美香は枢機卿にいざなわれ、部屋の最も上座、長テーブルの頂点の一席に腰を下ろすと、両脇にレティシアとアデーレ、背後にオズワルドとゲルダを従え、テーブルの両脇にずらりと並ぶ聖王国と教会の要職を担う面々を一瞥し、内心で涙目になりながら口を開く。


「先ほど、皆さんもお聞きになりました通り、神話の時代から続く戦いに決着をつける時が来ました。その方法は、ただ一つ。ガリエルを打ち倒すのではなく、この世界の生活基盤とも言える素質、これを撤廃しなければ、未来が開けないというものです」

「「「…」」」


 美香の宣言を聞き、高官達は事態の深刻さに思わず息を呑む。美香は口を閉ざして一同を見渡すが、皆途方に暮れ、フリッツでさえ口を開こうとしない。


 …仕方ないよねぇ。皆、素質が無い世界なんて、今まで想像した事さえ無いんだもの。


 美香はこの中で唯一人、素質が無い世界を知る人間として、皆に同情を寄せる。




 素質。元の世界の電気・ガス・水道にも相当する、この世界の屋台骨を支える、社会インフラ。




 その社会インフラが、今日いきなり、5年後に無くなると告げられたのだ。皆が途方に暮れてしまうのも、止むを得ない。


 勿論、彼らはこれまで国を支えてきた優秀な人材である。前年のハヌマーンの襲撃の様な未曽有の国難であっても、乗り越えるだけの能力を備えている。


 だが、前回と今回では、事の本質が大きく異なる。それは、前回は復興、「失われたものを元に戻す」作業である事に対し、今回は創造、「未だ存在しないものを創り上げる」作業であるという点である。前回はゴールが初めから見えていたのに対し、今回はまずゴールからイメージしなければならない。


 そのゴールが、今、皆には見えていない。




「…少し、昔話をしましょう。私がこの世界に召喚される前の、私が生まれた世界の話です」




「…陛下?」


 無力感に苛まされ、テーブルの模様を目で追う事しかできなかった面々は、テーブルの上を漂ってきた少女の言葉に顔を上げ、声の出所へ目を向ける。皆の視線を一身に受けた美香は俯き、逆にテーブルの模様を眺めながら、昔を懐かしむように言葉を続けた。


「…私が生まれ育った世界は、この世界と大きく異なっておりました。この世界より技術が発達し、この世界であれば夢物語のような出来事が、ごく普通の日常に存在しておりました。人々は鳥の様に空を飛んで遠くへと移動し、庶民であっても馬車より速く疲れを知らない乗り物を所有している。各家庭には好きなだけ水の出る装置が備え付けられ、人々は家の中に居ながら遠くの風景を見て、離れた場所に住む家族と会話をする事ができる。極々一部ですが、あの夜空に浮かぶ月に行った人だって居る。…私が生まれ育った世界は、そういう世界でした…」

「「「…」」」


 高官達は誰一人言葉を発する事なく、美香の呟きに耳を傾け、俯いたままの姿を食い入るように見つめる。高官達にとって彼女が齎す言葉は、まさに夢物語だった。人が空を飛び、地平の彼方に居る相手の顔が見える。あの空に浮かぶ月に、人が居る。そんな、到底あり得ないとしか思えない出来事が、彼女の生まれ故郷ではごく普通の日常として、存在していたというのだ。にわかには信じられない言葉を耳にして身を固くする面々の前で、彼女が顔を上げ、ゆっくりと一同を見渡した。


「…ですが、前の世界には、この世界では当たり前の素質が、一切ありませんでした。人々は手から火や水を生み出す事はできず、屈強な男達が束になって、やっと、この世界の魔術師が一人で運ぶ荷物を動かせる有様でした。一度怪我を負えば簡単には治らず、人々は長い間、不自由な生活を強いられました…」




「…それでいながら、人々はこの世界と同じ星の下で、素質に頼る事なく、素質に代わる技術をもって、夢物語の様な世界を創り上げたのです」




 高官達は彼女の瞳に魅入り、彼女が紡ぎ出す言葉に惹き込まれ、静かに語り続ける姿を食い入るように見つめる。


「…私は元の世界では仕事に就いた事もない、一介の町娘でした。元の世界の礎とも言える、高度な技術や知識は、一切持ち合わせておりません」

「ですが、私はこの中で唯一、素質の無い世界を知っています。人々が素質の無い世界でどの様に生活し、社会を営んできたかを、知っています。私は皆様に、素質の無い世界を迎えるに当たり、何を案じ、何を工夫しなければならないのか、それをお伝えしたいと思います」


 美香は視線を動かし、テーブルの右側の一番手前に座る壮年の男の目を見て、口を開く。


「フリッツ様、私は素質の無い世界を迎えるに当たって、大きく四つの事に備えなければならないと、考えております」

「それは何でありますか、陛下!?」


 フリッツの鬼気迫る顔を前にして、美香は穏やかな表情を浮かべ、しなやかな指を順に折りながら、言葉を並べていく。


「物流・給水・医療・雇用の四つです。その中でも物流と給水、この二つがすぐにでも取り組むべき重要課題であると、考えております」

「国防は問題ない、とおっしゃられるのですか!?」


 美香が挙げた項目に国防が含まれていない事にフリッツは驚き、思わず身を乗り出して尋ねる。それに対し、美香は柔らかく微笑み、補足した。


「全く影響がない、というわけには参りません。魔法による打撃力は失われますし、素質に依存しているハンターも弱体化します。何より、補給に大きな問題を抱える事になります。ですが、国防の中核となる正規兵は元々素質を持っておらず、素質喪失の影響を受けません。そして補給の問題については、先の四つの対策が取れれば、自ずと解決へと導く事ができます。それに、ハヌマーンを除けば素質が失われる事によって魔物達も弱体化しますから、相対的に外敵の脅威も軽減するのです」


 そして、唯一相対的に脅威が増すハヌマーンは、美香の手によって和平の道が開かれている。


 高官達は美香の慧眼に驚き、目を瞠る。特にハヌマーンへの根回しに至っては、ほとんど神算鬼謀の領域である。当然これは偶然の産物であるが、高官達は、自分達の主君が如何に三姉妹に寵愛されているかを知り、すでに天井知らずとなっている忠誠心を更に引き上げる結果となった。高官達が皆、まるで少年の初恋のような憧憬の眼差しを向けるのに気づかないまま、美香は一同を見渡し、説明を続ける。


「物流と給水、この二つは皆様もご存じの通り、『ライトウェイト』『クリエイトウォーター』の喪失に因るものです。全員が素質を持っているわけではありませんので、勿論代替手段はあります。ただ、あくまで物流・給水の基軸がこの二つの魔法に依存している以上、魔法の喪失に伴う社会の混乱は回避できません」


 ここで美香はテオドールへと向き、口を開いた。


「テオドール様、国内の各都市において、大規模な灌漑工事を計画いただけますでしょうか」

「灌漑工事でありますかっ!?」

「ええ」


 公式の場でもあり、畏まった物言いで驚くテオドールに対し、美香は穏やかな表情で頷く。


「灌漑と表現しましたが、正確には都市部への引水工事です。現在、都市部における給水は、井戸と、『クリエイトウォーター』で水を販売する『水屋』によって賄われています。私の生まれた世界では、『水屋』は存在せず、水道と呼ばれる管を街中に張り巡らし、そこに水を流し込んでいました。その水道敷設と言う引水工事を、行っていただきたいのです」

「水道…ですか…」

「はい」


 国内屈指の資産家であり、経済関係に強いテオドールだったが、初めて聞く単語を上の空で呟く。美香は首肯し、言葉を続ける。


「なお、その際、極力『ライトウェイト』は使わず、運搬は荷馬車に頼って下さい。そのために創出した荷馬車と御者を、素質喪失後の物流へと投入する事になります」

「…畏まりました。陛下、水道がどの様なものか、後ほどお聞かせ下さい」

「詳細は全く存じ上げませんが、私のわかる範囲でよければ、喜んで」

「構いません。お願いします!」


 椅子から立ち上がってテーブルに手をつき、勢い良く頭を下げるテオドールに美香は一礼すると、再びフリッツに顔を向けた。


「フリッツ様、次に医療の問題です。医療の解決の鍵は、大草原にあります」

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