245:後悔

 中原暦6626年ロザリアの第6月からガリエルの第3月にかけて西部軍事作戦と並行して行われた、オストラでの美香の施策については、後世の評価が真っ二つに分かれている。彼女の執り行った施策を、「ロザリア様の御使い」の名に相応しい慈悲深い判断と絶賛する声がある一方、罪を犯した下々の者にまで頭を下げるその姿を弱腰と捉え、為政者に相応しくない所業であると突き放す、痛烈な批判も存在する。だが、彼女の施策の是非はともかく、この施策によってオストラを中心とする西部一帯の治安が回復し、聖王国の版図に組み入れられた事は、紛れもない事実である。


 3ヶ月に及ぶホルスト、ユリウスの軍事作戦は功を奏し、ラディナ湖西岸からカラディナ国境までの広い範囲に蔓延っていた盗賊達は一掃された。ホルストとユリウスは抵抗を続ける盗賊達を容赦なく斬り伏せたが、投降に応じた者、捕縛した者は斬る事なく全てオストラへと護送した。その数、延べ5,000名。コルネリウスはホルスト達の下から護送された罪人を受け取ると、復興途上にあるオストラの街の外に並べ、一人ずつ美香と引き合わせたのである。


 罪人達と対面した美香は、西部を襲った厄災の原因を説明し、前王朝の滅亡を伝える。そして、彼らを襲った不幸に対して為政者として謝罪した後、彼らを無罪放免とし、オストラの復興への協力を要請したのである。




 ***


 過日、西部の処遇に頭を悩ませていたフリッツとコルネリウスに対し、美香は次の通り述べている。


「今、私達が彼らに与えるべき事は、過去に対する納得、そして未来に対する不安の払拭です。これを怠っては、例え武力によって治安が回復したとしても彼らは自暴自棄となり、再び犯罪に手を染める事でしょう。彼らに心の整理をつけさせ、仕事を与え、当面の生活を保障する。その中で彼らに更生の足掛かりを見つけ出してもらい、社会復帰してもらうのです」

「だが、どうやって彼らを納得させる?」


 美香の説明を聞き、渋い表情を浮かべるフリッツに対し、美香は決意の光を瞳に浮かべ、答える。


「私が彼らと一人ひとりお会いし、伝えます」

「無茶だ!盗賊達は、西部全域に広がっている。下手するとその数は、万を超えるのかも知れないのだぞ!?ミカ、君はその一人ひとりと会うつもりなのか!?」


 思わず腰を浮かし、ソファから立ち上がってしまったコルネリウスに向け、美香は宥めるように微笑む。


「彼らに納得してもらうためには、しかるべき立場の者から伝えないといけませんから。王家も教皇も不在となった今、それができるのは『ロザリア様の御使い』の称号を持つ、私しかいません。それに、大勢を集めると集団心理が働いて暴動にも発展しかねません。一人ひとり隔離して、話をしなければならないのです」

「財源はどうする?」


 フリッツが腕を組み、厳粛な父親の面持ちで、美香に対し叱り付ける様な目を向ける。


「オストラの復興をはじめ、西部全域の回復には莫大な資金がいる。そこに、罪人達の社会復帰に向けた支援が加わるわけだ。その資金を、何処から捻出する?」


 重厚な言葉とともに繰り出された鋭いフリッツの視線にも、美香は怯まない。


「旧王家の資産を投じます」

「何っ!?」


 思わず目を剥くフリッツ達に向け、美香の説明が続く。


「王城の焼損により相当の資産が失われましたが、旧王家は各地に直轄領を有しており、未だ膨大な資産が残されております。此処から資金を捻出し、復興への原資とします。ただ、旧王家の資産だけに頼って枯渇させては、後の国家運営に支障をきたしますから、他の伝手も当たりましょう。それには、お父さん達の力が必要です」

「何処だ、その伝手とは?」


 思わず身を乗り出す二人の顔を交互に見やりながら、美香は言葉を口にする。




「――― ヴェルツブルグに残る3人の司教様に、取次ぎを。教会に眠る莫大な寄付金を拠出していただくのです」




 ***


 翌日から、美香の発案に基づき、フリッツ達が西部回復に向けた資金集めを開始した。


 まず、フリッツと美香は大聖堂へと赴き、「全人族の母」の名の下に3人の司教を枢機卿へと任命した。これは一種の共依存とも言え、美香は教会の承認を得て「全人族の母」を名乗り、3人の司教はその「全人族の母」からの任命を根拠に枢機卿へと就任した。いわばお互いが相手の立場を補強し合ったのである。


 こうして3人の枢機卿を共犯者へと仕立てあげたフリッツは、続けて教会に眠る莫大な寄付金の、復興への拠出を持ちかける。ロザリア教会は「ロザリアの祝福」に必要な金貨5枚の喜捨によって潤沢な資金を有しており、この資金を元に教会の運営や慈善活動を行っている。その長い歴史の中で腐敗の時代も過去にあったが、近年は清廉な教皇が続いたおかげで健全さが保たれており、王城が陥落し大聖堂も炎に包まれたこの度の厄災に対し、新任の枢機卿達も協力を惜しまなかった。


 フリッツは、この教会から拠出された莫大な資金を元に、各領主から大量の資材を買い付け、荒廃した西部全域へと投入する。その際、領主達に対しても復興地域に対しても「『新たな枢機卿達』による慈悲深い申し出」である事を声高に伝え、枢機卿達に対する支持基盤の補強も忘れなかった。


 同時にフリッツは全国の領主に対し、新兵の育成を「発注」する。各領主の経済力を元に300~1,000名の兵を割り当て、自領内での募兵と6ヶ月の修練を託したのである。


 6ヶ月後、コルネリウスの手配した監察官が各領主の下を巡り、発注した新兵の「検品」を行う。そして、その検品に合格すると、発注時に取り決めた報奨を領主に支払い、「納品」された新兵の半数をヴェルツブルグへと送り届けた。残された半数の兵はそのまま領主の下に留まり、昨年の内乱によって低下した自領の治安維持へと投入される。領主への報奨は、全て旧王家の資産から賄われた。


 こうしてヴェルツブルグには新兵とは言え2万もの兵力が全国から集まり、昨年の内乱によって危機的状況に陥った国力が回復していく。経済は活性化され、地方の領主もその恩恵を受け、内乱と王家滅亡が引き起こした社会不安は、急速に払拭されていく。




 その中で、美香だけが独り傷つき、ぐずり、悔む毎日を送っていた。




 ***


 勿論、彼女より不幸のどん底で苦しむ者は数多くいる。ヨセフの娘ノーラは、美香より年下であるにも関わらず男達の辱めを受け、母と妹を喪い、ぼろ雑巾と化した父と二人で明日をも知れない毎日を必死に生きていた。


 だが彼らの多くは、「今が」どん底だった。明日はまだ変わらないかも知れない。でも明後日はちょっとだけ良くなるかも知れない。人々は何の根拠もなく将来を楽観視し、今を生きる糧にして前を向いて歩いた。


 だが、美香は違った。彼女は復興途上のオストラにおいて、毎日罪人達と一人ひとり向き合い、彼らに頭を下げ、無罪を言い渡し、オストラの復興への協力を申し出た。その数は、多い日で100名を超える。


 大多数の者達は美香の言葉を聞いて呆然とした後、憑き物が落ちたかのように晴れやかな笑顔を浮かべ、要請を受諾して社会復帰への道を志す。その多くは西誅軍として従軍し、オストラの敗戦によって落ちぶれたハンターや兵士達だった。彼らはコルネリウス達によって早々に引き抜かれ、軍に組み込まれた。


 だがその一方で、少なくない数の者達が美香の話を聞くと動転し、怒り狂い、美香をなじった。その多くは周辺地域に住んでいた農民やオストラの住民達であり、彼らはオストラの戦いによって生活を破壊され、全てを失い、誰にも頼る事ができず、犯罪に手を染めた者達だった。彼らは己に降りかかった理不尽な不幸を嘆き、行き場のない怒りを美香へと向け、罵声を浴びせた。そんな彼らの剣幕に美香は怯え、割って入ったオズワルドやゲルダの背中越しに震えながら詫び続ける他になかった。


 だが、彼女は止めなかった。嵐が過ぎ去ると、彼女は気を落ち着かせ、次の者の到着を待つ。そして、扉が開くたびに彼女は震えながら、笑顔を浮かべていた。




 ***


 早く帰りたいな…。


 美香はベッドの上で蹲り、目の前の柔らかな突起を口に含みながら願う。


 美香は罪人達との面会を終えて宿舎へ戻ると、コルネリウス達とともに食事を摂り、束の間の団欒の時間を過ごす。この時は誰も仕事の話をせず、カルラやマグダレーナも席に着き、他愛のない話に花を咲かせる。その中で美香は、レティシアやカルラの話に笑顔を見せ、ゲルダの茶々にツッコミを入れながら、食事を楽しんだ。


 しかし食事を終え部屋に戻った美香は、レティシアの手を引いてベッドに潜り込むと、レティシアの胸に顔を埋め、乳房を求めるようになる。それはやがて来る明日に背を向け、いつまでも母親の胎内に居たいと望む、胎児の姿だった。


 美香は、軽く考えていた。自分が誠意を見せ、懇切丁寧に説明すれば、きっと相手も分かってくれる。彼女はそう考え、オストラへと赴き、罪人達と対面した。


 だが、美香の目論見は外れ、彼らは彼女の言葉に混乱し、憤りを覚え、行き場のない怒りを彼女へと叩きつけた。その、血に塗れた魂の慟哭の前では彼女は全くの無力で、誰かの背中に隠れ、震えながら詫び続ける他になかった。


 彼女は自分の浅はかさを悔やみ、明日の太陽が昇らない事を願いながら、乳房を求める。そうして、二人は燭台だけが淡い輝きを放つ薄暗い部屋の中で身を寄せ合い、夜を過ごしていた。




 ***


 ガリエルの第3月26日。


 西部全域の作戦の終了を宣言し、ホルスト、ユリウス両軍を合流したコルネリウスは、全軍をオストラの西部へと展開する。




 ――― カラディナの支援を受けたリヒャルト軍の来襲に備えるためである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る