246:リヒャルト来襲

 遡る事、ガリエルの第2月8日。それは唐突に訪れた。




 ***


 その日、カラディナに属する先遣隊600名は、エーデルシュタインとの国境を越えてから2日目を迎えていた。


 建国以来初のハヌマーンの侵入を受けたカラディナの東半分は大混乱に陥ったが、5ヶ月を経過した頃には北部から東部にかけて平定が完了し、あとは南部の山野に隠れるハヌマーンの掃討を待つのみとなった。概ね国内の平穏を取り戻したカラディナ政府は、エーデルシュタイン王国からの第二波に備え、首都近郊に配備していた軍を国境沿いに配備、国境を越えて部隊を派遣し、情報収集に乗り出した。


 奇襲を受けたカラディナはそれでも被害を東半分で食い止める事に成功したが、エーデルシュタインはハーデンブルグを突破され、ヴェルツブルグも陥落して遥か西のカラディナ国境までハヌマーンの蹂躙を許している。もはや全域が機能しておらず、エーデルシュタイン国内には未だ多くのハヌマーンが我が物顔で闊歩していると予想された。


 その推測の下、先遣隊は警戒を露わにしてエーデルシュタイン国内を進軍していたが、予想に反してハヌマーンの姿は一頭も見当たらない。土地が痩せており農村もなく、ハヌマーンの侵入によって物流も途絶えた無人の荒野を進みながら、先遣隊の隊長が首を傾げる。


「おかしい…、ハヌマーンが全くおらん。奴ら、何処に行ったのだ?」

「この辺りは土地が痩せていますからね。我が国とエーデルシュタインの南部に流れたのかも知れませんね」


 隊長の言葉に副官が見解を述べる。先遣隊はそのまま東へと行軍を続けていたが、その日のうちに予想外の事態に直面した。




「貴軍は、如何なる目的で我が国へと不法に侵入しているのか!?速やかに我々の問いに答えよ!」


 先遣隊の隊長は、高圧的な追及を受けて思わず頭に血が上るが、賢明にも武力に訴える事は慎んだ。目の前に展開された軍の数は、優に2,000を越えている。力に訴えたとしても、包囲殲滅されるのが目に見えていた。


 事態の打開を図るため、隊長は前方へと躍り出て、目の前に広がる正体不明の軍に向かって声を張り上げる。


「我々は、カラディナ共和国に所属する正規軍だ!先のハヌマーンの攻撃により窮地に陥った貴国を救うべく、救援に赴いた次第である!その我々に対し感謝の声を上げるどころか、あまつさえ追及の刃を向けるとは、如何なる所存であるか!?我々こそ、貴軍に説明を求める!」


 隊長の反論に正体不明の軍は矛を納めるが、しかし先遣隊に対し、強固な意思を伴った拒絶の言葉が返って来た。


「失礼した!我々は聖王国に所属する正規軍である!貴軍の申し出は有難く思うが、幸いにしてすでにハヌマーンは掃討され、我が国は平穏を取り戻している!貴国の支援は不要である!」

「聖王国だと!?」


 相手の言葉に、隊長が驚きの声を上げる。カラディナの東側に位置する国は、エーデルシュタインただ一国。聖王国などと言う国は、聞いた事もない。


「今一度お教え願いたい!聖王国とは如何なる国であるか!?この一帯は、エーデルシュタイン王国の領土と認識している。エーデルシュタイン王国は如何したか、お教え願いたい!」

「エーデルシュタイン王国は、先のハヌマーンの攻撃により滅亡した!現在、この一帯は我々聖王国の領土である!」

「なんだとっ!?」


 予想外の言葉に、隊長は狼狽する。エーデルシュタイン王国と言えば、千年に近い歴史を持つ、中原最大の大国である。そのエーデルシュタインが、ハヌマーンに蹂躙されたとは言え、こうも簡単に滅亡するとは思えなかった。状況の整理がつかない隊長の耳に、高圧的な声が重なる。


「繰り返し、貴軍に申し伝える!現在、貴軍は我が聖王国の領土内に深く侵入している!貴軍の救援の意思には感謝の言葉もないが、気遣いは不要!速やかに帰国されたし!さもなくば我が国への侵略行為とみなし、相応の対応をさせていただく!」

「隊長、如何なさいますか!?」

「…」


 緊迫した空気を感じ、副官の声に緊張が走る。隊長は前方に展開された軍を睨み付けると、歯ぎしりを立てながら答えた。


「…止むを得ん、兵を引く」

「はっ!」


 やがて先遣隊は警戒をしながら後退し、聖王国を名乗る軍に背を向けると、国境に向けて一目散に撤退した。




 ***


 ガリエルの第2月25日。


 カラディナの首都サン=ブレイユでは、エーデルシュタイン国境から飛び込んで来た驚愕の情報を前に、「六柱」の当主達が顔を突き合わせていた。


「…エーデルシュタインが滅亡したというのは、事実なのか?」


 当主の一人が疑問を呈すると、他の当主が見解を述べる。


「仮に国王ヘンリック2世、またはクリストフ王太子が存命であれば、国の僭称はまかり通らないだろう。王家は滅亡、または相当衰退していると見て良いのではないか?」

「だが、そうなると国内がすぐに纏まるとは考えにくい。有力貴族が自立して、国が乱立していると見るべきだな」

「では、我々はこの事態に何をすべきか?」


 当主達は口を閉ざし、一斉に「六柱」筆頭のジェローム・バスチェの顔を見る。当主達の視線を一身に受けたジェロームは、柔らかい椅子に深く身を沈め、鼻で嗤った。


「…丸く治まる前に貰える物は全て貰い、出がらしをリヒャルトに押し付けよう。リヒャルトと連絡を取ってくれ」




 ***


「何だとっ!?父上とクリストフが!?」

「左様でございます、殿下」


 ガリエルの第3月7日。


 ギヴン近郊に駐屯するリヒャルト達は、カラディナ政府の特使セドリック・ジャンの言葉に耳を疑う。


「貴国の西部は、聖王国などと称する一派によって占領されておりました。恐らくハヌマーンの攻撃によって陛下並びにクリストフ殿下がお亡くなりになり、遺された貴族達が王を僭称して、内戦状態になっていると思われます」

「父上っ…!」


 セドリックが齎した衝撃の事実に、リヒャルトは爪が食い込むほど拳を握りしめ、歯を食いしばる。故国の惨状を知って臍を噛むリヒャルト達に対し、セドリックが嘲笑の光を目に浮かべながら、礼儀正しく頭を下げた。


「この事態に対処するため、我が国はエーデルシュタイン王国の正当な後継者である殿下と友好条約を結び、全面的な支援を表明いたします。殿下のヴェルツブルグ奪還に必要な糧食を提供し、軍による支援も行います。エーデルシュタインはハヌマーンの攻撃によって荒廃し、生き残った者は愚かな権力争いにうつつを抜かし、民は路頭に迷っております。この混沌を救えるのは、殿下をおいて他におりません。隣国の窮状を憂い、平和を願う我が国の誠意を、どうかお受け取り下さい」

「…」


 その言葉とともにリヒャルト達の前に差し出された友好条約の内容を目にし、リヒャルト達の顔が強張る。条約には、リヒャルトがヴェルツブルグを奪還した際の、カラディナに支払うべき莫大な報奨金、並びにエーデルシュタイン国内での利権と各地に散らばる鉱山のカラディナへの譲渡が記載されていた。領土の割譲こそないが、土地が痩せており、ガリエルからの防衛費が重く圧し掛かるラディナ湖西部の接収を嫌ったに過ぎない。


 蒼白な顔を浮かべるリヒャルトに対し、セドリックが深々と頭を下げ、地面に向かって嘲笑する。


「こうしている間にも、ヴェルツブルグは刻一刻と瓦礫へと姿を変え、多くの住民達が悲鳴を上げ、無益な血を流している事でしょう。我が国と殿下の友好条約が遅れれば遅れるほど、多くの血が流れるのです。何を躊躇われるのですか?貴国を救えるのは、もはや殿下しかおられないのですよ?さあ、殿下、ご英断を!」

「…」




 翌ガリエルの第3月8日。リヒャルト王子とカラディナ共和国政府の間で友好条約が成立し、カラディナ共和国はリヒャルト王子のエーデルシュタインでの復権に対する全面的な支援を表明した。




 ***


 同じ頃、カラディナ東部においてエーデルシュタイン進軍に向けた徴兵が行われ、数多くのハンター達が国境沿いに配備された正規軍に合流すべく、向かっていた。


 ラ・セリエから国境へと向かうハンター集団の、先頭を歩く大男が後ろを振り向き、背後に続く若い男女に声を掛ける。


「アイン、ミリー、お前達は、戦争は初めてだったな。人との戦いは、魔物とは違い、力と技が全てではない。相手の知恵、そして自分の心との戦いだ。今までの様に己の力量や知識に慢心していると、いつか足元を掬われる。覚悟しておけ」

「肝に銘じておくよ、師匠」

「分かりました、レオさん」




 ガリエルの第3月25日。感謝祭を目前に控えたこの日、リヒャルト軍9,000、及びカラディナ正規軍及びハンター17,000が国境を越え、聖王国と称する武装勢力の占領域へと侵入した。

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