142:聖者降臨

 中原暦6625年ガリエルの第4月15日。オズワルドを指揮官とする討伐隊は、ハーデンブルグを進発する。兵力は、第1、第4大隊の1,200及び輜重が300の、計1,500。全員が騎乗または馬車に乗っており、第4大隊長のゲルダが副将を務め、この他に美香の護衛小隊をニコラウスが率いていた。


 討伐隊は輜重を挟み込む形で、第1大隊が前半部、第4大隊が側面及び後半部を守り、細長い楕円形の布陣で進軍する。ニコラウスの護衛小隊は、輜重の先頭を飾るような形で随行し、周囲を第1大隊に厚く守られていた。


 美香、レティシア、カルラ、マグダレーナの四名は、北伐の時と同じく、屋根付きの馬車に乗っていた。美香、レティシア、カルラは騎乗に慣れておらず行軍についていけないのと、美香が魔法を撃つと大抵行動不能に陥るため、美香の救護所も兼ねていた。


 討伐隊の行程は、おおよそ20日間。ハーデンブルグから5日の距離にあるヨナの川を越え、ガリエルの地で数日間偵察と焼き討ちを行う予定だった。




 美香は川べりの高台に座り、沢山の男達が作業に勤しむ姿を眺めていた。男達は上半身裸になって、一部は腰まで水に浸かりながら、多くの木材を川へと渡していく。対岸でも、いかだで渡った数十人の男達が、周囲を警戒しながら川を横切るように綱を張っていた。


「人力だけで橋を拵えてしまうんだから、凄いよねぇ…」

「そうね。私も実際に目にするのは、初めてだわ」


 美香とレティシアは、感嘆の息を吐きながら男達の作業を眺めている。ヨナの川は大河とまではいかないものの、川幅は広く、水深もそれなりに深い。大軍を渡河させるには橋を架けるしか方法がないが、重機も何もない中で人力だけで橋を架けてしまうその技術に、美香は感心するばかりであった。


 実のところ、美香は、日本に居た時の授業で、古代にも長大な橋が存在していた事は知っていた。西暦100年頃、古代ローマ時代には、すでにドナウ川下流に長さ1km以上の橋が架かっている。また、それよりは短いものの、古代ローマでは戦争のたびに渡河のための橋を架け、戦後その橋を落とすという事を繰り返していたとも言われている。


 だが、それを伝聞として耳にするのと実際に目にするのでは、印象が大きく異なる。美香もまさか、古代ローマ時代に行われていた作業を、実際に目にすることになるとは、想像もしていなかった。討伐隊の面々は、美香の目の前で手際よく木材を並べ、橋を渡していく。


 討伐隊がこの場所に到着した時、すでに橋は存在していた。橋は全部で3本あり、その全てがこちら側の半分が渡され、向こう岸の半分が落とされていた。そして、向こうの川面からは、木造の橋脚だけが顔を覗かせていた。


 男達はいかだで川を渡ると、その橋脚を補強しながら川を横断するように綱を張り、その綱を頼りに次々に木材を運んで橋を渡していく。架橋は3本のうち1本だけに実施されていた。


「ミカ様は、北伐の時には、この光景を見ていらっしゃらなかったですよね?」


 美香とレティシア、二人が座って眺める高台にニコラウスが歩み寄り、美香に声をかける。美香は、後ろを振り向き、ニコラウスに答えた。


「はい。あの時は大軍に囲まれ、ずっと馬車に閉じ籠っていましたから」


 そう答えると、美香は橋の方を向き、指を差しながら質問をする。


「あちらの2本は、架けないんですか?」

「ええ。北伐の時には3本とも使いましたが、今回は規模が小さいですから。手間も考えれば、1本で十分です」

「なるほど…」


 美香は頷き、手を下ろして男達の作業を眺める。その背中に、ニコラウスの説明が流れてくる。


「ヨナの川は、我々にとって重要な哨戒線であり、天然の要害でもあります。ハヌマーンらは土木技術を有しておりませんので、この川を渡る時には大きな損害が伴います。残念ながら我々の兵力が足らず、この川を防衛線とする事は叶いませんが、この川のこちら側がハヌマーンに抑えられているか否かで、ハーデンブルグへの脅威が大きく変わります。そのため、定期的に出撃して、こちら側に渡ったハヌマーンの駆逐を繰り返しているのです」

「そうなんですね」


 ニコラウスの説明に美香は相槌を打つため、再び後ろを振り向く。美香の視線の先で、ニコラウスは川上へ顔を向け、安堵の息を吐いた。


「しかし、未だ向こう岸が占領されていなくて、良かった。最悪、この川を挟んで睨み合いになる事も覚悟していたので、それが回避できただけでも幸いです」


 ニコラウスの頷く姿を横目に見ながら、美香は視線をずらす。視界の端に、二人の許に歩み寄って来るカルラの姿が見えた。


「ミカ様、そろそろ天幕にお戻り下さい。長く風に当たって、お体が冷えてもいけませんから」

「はーい、わかりました。レティシア、戻ろうか」

「うん」


 美香は立ち上がると、レティシアに手を伸ばす。レティシアは嬉しそうにその手を取って立ち上がると、二人は手を繋いでカルラの許へと歩いて行った。




「何とか見つかる前に橋が架けられましたね。ゲルダ隊長、お疲れ様です。夜は我々第1が引き受けますから、第4はゆっくり休んで下さい」

「ああ、頼んだよ、エルマー」


 架橋作業が終わり、手拭いで汗を拭くゲルダの許に、橋を渡って来たオズワルドとエルマーが歩み寄る。ゲルダは豊満な胸をさらしで覆った以外は上半身裸のまま、二人の視線を気にもせず、腰に手を当て、体を反らしている。その立ち姿は、観る者に対し、明らかに色気よりも逞しさを印象付けていた。


 第1大隊所属の地の魔術師が橋を囲うようにストーンウォールを張り、簡易砦を構築する中、オズワルドがゲルダに水筒を渡しながら、尋ねた。


「どうした?随分と不機嫌そうだな」

「…ああ」


 ゲルダはオズワルドから水筒を受け取りながら、橋の奥に広がる森を眺めつつ、威嚇するように鼻の上に皴を寄せ、牙を見せる。


「…静かすぎる。第2の報告を見る限り、此処で小競り合いがあってもおかしくなかったんだが」

「だが、その分損害が出なかった事で、良しとすべきではないか?」

「それはそうなんだけどねぇ…」


 ゲルダは、納得できかねる風で水筒を呷る。


「それは、虎の勘か?」

「…そうだね。鼻がむず痒いんだよ。嵐の前の静けさって奴かね、そんな感じがする」

「そうか…」


 ゲルダの独語にも似た呟きを聞き、オズワルドは押し黙る。戦場に立った者だけが知る、得も言われぬ感覚。何の根拠もないその感覚が、時に正鵠を得ている場合がある事を知るオズワルドは、ゲルダの言葉を無視できなかった。トップ二人の言葉で重くなった空気を入れ替えようと、エルマーが口を出した。


「その時に万全の態勢が取れるよう、隊長二人は休んで下さい。特に隊長、そろそろ行かないと、ミカさんとレティシア様がヘソを曲げますよ?」

「…エルマー、大きな声で言うな」

「アタシも今日はご相伴にあずかろうかね。汗かいたから、マグダレーナに流してもらいたいし」


 気楽なゲルダに対し、仏頂面で答えるオズワルドを見て、第1大隊の騎士達が笑いをかみ殺す。自分達にとって恐ろしくも尊敬に値する大隊長が、二人の少女に順調に躾けられていく姿は、過酷な遠征における貴重な娯楽だった。




 ***


 その日、彼は、平伏する大勢の者を前に、厳かに宣言した。


「##□△%&& 〇〇#$$ □××+$△!」

「%%〇 #$!」

「%%〇 #$!」


 彼の宣言に対し、地上を埋め尽くす者共が諸手を上げ、高らかに唱和する。中には興奮のあまり跳び上がる者もいる。


 彼は、目の前にいる誰よりも体が弱く、戦う事はおろか、長い距離を歩く事もできなかった。しかし、彼の全身を覆う白く長い毛と赤い瞳は彼の種族にとって神聖な証とされ、種族の者達は自分より遥かに虚弱な彼に対し、崇拝の眼差しと全幅の信頼を寄せていた。彼らにとって非常に残念な事に、神聖な証を持って生まれた者は例外なく体が弱く、ほとんどが成人前に死を迎えてしまうのだが、実に200年ぶりとなる成人を迎えた彼を前に、人々は歓呼の声を上げた。


 彼は、熱狂的な人々を前にして、体の中から湧き上がる興奮に身を任せ、演説する。その興奮から来る発熱は虚弱な彼の命を削るほどだったが、彼は意に介する事なく、種族の悲願を口にする。


「\\□□○% #○○▽△++ サーリア〇$ □##$◇&& @**++□! □□〇〇$%!」

「%%〇 #$!」

「%%〇 #$!」


 やっと成人を迎えた。実に200年ぶりに、この時を迎えた。今度こそ、あの日を取り戻す。遥か昔にサーリア様が自分達を庇い、汚らわしいエルフの矢に斃れて以降、悲嘆に暮れるガリエル様の体は日に日に冷たくなり、自分達の棲み処も次第に氷に閉ざされようとしている。今度こそ、ロザリアの許にあろうサーリア様の亡骸を見つけ出して奪い返すとともに、エルフの心臓を抉り、サーリア様の御体にお戻しする。そうすれば、きっとサーリア様はお目覚めになり、また三人で幸せな生活を送る事ができる。悲嘆に暮れるガリエル様もきっとお喜びになり、あの暖かい生活が戻ってくる。


 今度こそ、今度こそ。


 拳を上げ、熱狂的な声を上げる人々の前で、屈強な者達に担がれた輿に身を横たえたまま、彼は腕を振り下ろす。


「$$□%%△ 〇〇#!」

「%%〇 #$!」

「%%〇 #$!」


 一つの白点に率いられた茶色の大軍が、中原に雲霞の如く押し寄せようとしていた。

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