第9章 孤立する北

141:仇

 中原暦6625年ガリエルの第4月。遥か西では未だ西誅軍とエルフとの間で熾烈な争いが続いていた頃、エーデルシュタインの北の要衝ハーデンブルグでは、日を追う事に活発になるハヌマーンの機先を制するため、出撃の準備を着々と進めていた。




 昨年行われた北伐は結果として失敗に終わったが、エーデルシュタインに限れば、三国集合地点までは成功裏に収めている。集合地点では前門のハヌマーン10,000と後門のロックドラゴンに挟まれ、あわや壊滅の危機に瀕したが、美香の活躍もあって双方とも返り討ちにする事ができ、大きな損害を与える事ができた。特にハヌマーンに対しては往復途中の戦果も加えれば、12,000にも届く損害を与えており、北伐自体は失敗したとはいえ、この後数年は北からの脅威が軽減されるだろうと目されていた。


 しかし、その目論見は脆くも崩れ去る。北伐から帰還して3ヶ月も経たないうちにハヌマーンの活発な動きが確認されており、その後ライツハウゼンにはアイスバードの集団が来襲している。北の魔物の間で大きなうねりが起きており、少しずつ南下しているのが、ハーデンブルグからも垣間見えた。


 ハーデンブルグの当主、フリッツ・オイゲン・フォン・ディークマイアーは、決断する。少しずつ圧力を増して押し寄せてくる魔物に対し先手を打ち、その圧力を削ぐとともに、規模と動向をいち早く察知し、来襲に備える。そのため、ハーデンブルグから5日の距離にあるヨナの川を越えてハヌマーンの勢力圏に深く踏み込み、一撃を見舞わせるため、2個大隊を派遣する事にしたのだ。


 フリッツからの命令を受け取った第1大隊長オズワルドと第4大隊長ゲルダは、感謝祭明け早々部隊を招集し、編成する。感謝祭の間の防衛を第2第3に任せて英気を養った第1第4の騎士達の士気は高く、討伐隊は万全の体制を整えつつあった。




「ニコラウスさん、ハヌマーンって、どうして中原に攻めてくるんですか?」


 出撃を翌々日に控え、その日は雨という事もあってニコラウスの家で座学を受けていた美香は、ニコラウスにそう尋ねた。


「え?ミカ、それってどういう意味?魔物だから中原に攻めてくるのは、当然の事じゃないの?」


 美香の質問の意図が分からず、隣に座るレティシアが問いかける。それに対し、美香は首を横に振り、説明する。


「ううん、実はそうじゃないのよ。ほら、三姉妹の神話、あるじゃない」

「うん、それがどうしたの?」


 美香に話を振られて、レティシアは神話を思い浮かべる。子供の時から慣れ親しんだ三姉妹の神話。エミリア様とサーリア様が斃れ、遺されたロザリア様が人族やエルフ、獣人とともに、ガリエル、ハヌマーンと戦いを繰り広げる、あの神話。中原に住む3種族であれば誰でも知っているあの神話が、どうしたんだろう?首を傾げるレティシアの前で、美香が人差し指を立てて答えた。


「あの神話では、ガリエルとハヌマーンは、三姉妹の住む森が羨ましくて攻めてきている。でも、『エミリアの森』は7000年前に奪われ、すでに人族の手からガリエルの手に移っているの」

「あ…」


 美香の説明を聞いたレティシアは、思わず口を開いてしまい、慌てて顔を手で覆う。


「つまり、戦いの理由が神話にあれば、向こうから見た戦いはすでに終わっているの。にも拘らずハヌマーンが恒常的に攻めてくるのは、何か別の理由があるんじゃないかと思うんだよね」


 そう話を締めくくった美香は、ニコラウスの方を向く。美香の視線を受けたニコラウスは、口を半開きにしたまま固まっている。いや、ニコラウスはおろか、その向こう側で掃除をしていたカルラでさえも振り返り、同じような顔で固まっていた。


「…驚きました。ミカ様、素晴らしい着眼点です」


 やがて、ニコラウスが驚いた表情のまま、ゆっくりと口を動かし、美香を賞賛する。


「今、この中原でその事に疑問を呈するのは、おそらくミカ様だけです。少々お待ち下さい…ええと、何処だったかな…」


 そう言うとニコラウスはソファから立ち上がり、部屋の隅に平積みになった本をひっくり返す。本に積もった埃が舞い、それを見たカルラの眉間に皴が寄る。


「ああ、これだこれだ」

「ニコラウス様、そこを動かないで下さい」


 やがて1冊の分厚い本を両手で抱えたニコラウスが美香に振り返ると、カルラがつかつかと歩み寄り、その本の表面に湿った布を当てて埃を拭い取った。


「もう良いですよ、ニコラウス様」

「いつもすみません、カルラさん」


 きつい表情のカルラに対しニコラウスはにこやかに一礼すると、美香とレティシアの座るソファへと戻る。カルラは諦めた様に溜息をつくと、右手を翳して「トルネード」を発生させ、本に積もった埃を回収し始めた。


 ニコラウスはテーブルの上に本を載せ、美香達から見えるようにページを捲りながら、口を開く。


「これは50年ほど前、前々回の北伐に参加したセント=ヌーヴェルの騎士が書き遺した従軍記と言われています。彼は、他の者とは異なる視点で魔物達を観察し、ユニークな見解を遺しています。例えば、このページですが」


 ニコラウスはあるページを開き、文章をなぞりながら説明を続ける。


「彼は、ハヌマーン以外の魔物が人族やエルフ、獣人に襲ってくるのは、生存本能や捕食、縄張り争いから来るものであり、我々3種族に対する敵意ではないとの見解を示しています」

「え、そうなんですか?」

「ええ」


 驚いた表情で顔を上げた美香に対し、ニコラウスが頷く。二人の会話にレティシアが割り込む。


「ハヌマーン以外と言うと、オークやリザードマンも?」

「はい。レティシア様がお気づきの通り、オークやリザードマンはハヌマーンと同じく知性を持ち、原始的ではありますが社会的な集団生活を送っています。しかし、彼らの我々に対する態度はあくまで防衛本能であり、自分達の社会を守るために襲ってくるのだと、彼は述べています」

「そうなんですか…。あ、カルラさん、気になるなら一緒に聞きませんか?」

「え!?わ、私は、そんなつもりでは…」


 美香はニコラウスの説明に頷き、顔を上げてカルラに声をかける。カルラは、彼女にしては珍しい事に三人の話が気になるようで、ニコラウスの背中越しにテーブルを覗き込み、手が疎かになっていた。カルラの滅多に見ない姿を見た美香はくすりと笑い、彼女を宥める。


「大丈夫ですよ、カルラさん。そもそもニコラウスさんのお家の掃除は、カルラさんの仕事じゃないですし。ちょっと休憩しませんか?」

「ミ、ミカ様がそうおっしゃるのであれば、少しだけ失礼します」


 カルラは薄っすらと頬を染めて答えると、パタパタと台所へと走り、ティーポットを持って戻ってくる。そして、三人の空いたカップにお茶を注ぐと、自分のカップにも注いでニコラウスの隣の席へと座った。カルラの休憩しているとは思えないピンと伸ばした背筋を見て、美香は笑みを浮かべ、ニコラウスへと視線を戻す。ニコラウスも、カルラが腰を落ち着けたのを見届けると、話を再開する。


「しかし、彼の見解では、ハヌマーンだけは他の魔物と明らかに違うそうです。ハヌマーンだけは、我々3種族に明確な敵意を持ち、殺意を持って襲ってきます。しかも、その殺意は種族によって異なり、特にエルフを目の敵にしているのだそうです」

「え?どうしてですか?」


 美香の問いに、ニコラウスは首を横に振る。


「わかりません。この見解を示した作者も、理由は不明と記しています」

「…」


 美香は視線を下に落とし、本に書き連ねられた文章を眺める。ロザリアの恩恵と呼ばれる自動翻訳によって、この世界の文字は日本語に変換され、美香にも読めるようになっていた。




 ―――


 …のである。したがって、彼らハヌマーンは他の魔物とは異なり、明らかに我々3種族に対し、殺意を持って襲いかかってくる。我々3種族にとって、ガリエルはエミリア様の仇であり、ハヌマーンはサーリア様の仇である。そのため我々は、例えハヌマーンを捕獲する事ができたとしても中原での争いの様に捕虜を生かす事はなく、即座に殺しているのだが、私は気づいたのだ。彼らの目に宿る光も、我々と同じ、誰かの仇である事に。


 我々はガリエルを打倒するために戦いを繰り広げているが、同時にそれは我々が生きるための戦いでもある。ガリエルの力がこれ以上強まり、この中原が氷に閉ざされないよう、生きるために戦っているのである。そう言った意味では、我々と他の魔物は同じである。しかし、ハヌマーンだけは違う。彼らだけは、生きるための戦いを繰り広げているのではない。我々を殺すために、特にエルフを殺すために戦っているのである。


 彼らは何故、我々を殺したいのだろうか。彼らにとって、我々は誰の仇なのだろうか。もしかしたら、それがわかる時が来れば、この永遠の戦いに終止符を打つ事ができるのではないだろうか。…


 ―――




「彼の見解を裏付けるかのように、魔物のうち、中原に『攻め込んで』来るのは、ハヌマーンだけです。勿論、中原に入り込んで害を及ぼす魔物は数多くいますが、それはあくまで獣と同じ理由であり、生きるため食料を奪うためと言った、本能に基づくものです。だが、ハヌマーンだけは違います。彼らだけは、明らかに中原を侵略し、中原に住む人々を殺すために集団で襲ってきます。そのハヌマーンと唯一接しているのが、此処ハーデンブルグなのです」


 本を読んでいた美香の頭頂部にニコラウスの声が降りかかり、美香は頭を上げる。


「ハーデンブルグの戦いの凄惨さは、他の地域の比ではありません。他の地域の戦いは、いわば凶暴な害獣退治です。しかし、此処ハーデンブルグは違います。此処で行われるのは、互いの種族の存続を賭けた、絶滅戦争ジェノサイドなのです」

「…」


 そう結んだニコラウスの瞳に浮かぶ静かな決意を目の当たりにし、美香は息を呑む。


 その絶滅戦争への出撃が、2日後に控えていた。

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