143:第一波(1)
ヨナの川を越えた討伐隊は、橋の防衛に100名を残して出立した。橋の防衛隊は、橋の両側にストーンウォールで簡易砦を築くと、殻を閉じた二枚貝の様に、その中に閉じ籠った。
ヨナの川を出立した討伐隊1,400は、北伐の時に辿った北西への道を外れ、北東方向へと移動する。北西方向については、北伐の痛手から未だ回復途上のはずだ。先日ライツハウゼンを襲ったアイスバードから考えれば、動きが活発なのは北東方向であろう。そう仮説を立てたオズワルドは、北東方向へと進路を向け、3日後に北西に進路を変更して弧を描く様に移動する事で、一帯を偵察する方針を打ち出していた。
途中、少数のオークやリザードマンの群れに遭遇した討伐隊だったが、襲ってきた場合を除き、基本的には相手を避けるようにして移動する。オークやリザードマンは、中原に侵攻する意思がない。ハーデンブルグから遠く離れた此処であれば、ロックドラゴンでさえも無視して構わない。倒すべきは、ハヌマーンのみ。討伐隊は明確に敵を絞り込み、進攻していた。
***
東の部族を率いる長は、部族の男達に向かって、出陣の鬨の声を上げる。
「%&&〇〇! □□+△×%%〇 △▽$$!」
「%%〇 #$!」
「%%〇 #$!」
部族の男達の威勢の良い唱和を耳にして、東の族長は満足そうに笑みを浮かべた。
3ヶ月前、遥か北についに聖者が現れたとの噂を耳にした東の族長は、自らの目で真偽を確かめようと留守を有力者に託し、わざわざ1ヶ月かけて北の地へと足を運んだ。そこで目にした光景は、今でも族長の瞼の裏に焼き付いている。
彼の姿を目にした時、族長は体が雷に撃たれた様な衝撃を覚えた。彼は、その全身を一点の曇りもない白く長い毛に覆われ、赤く爛々と輝く瞳を族長へと向けていた。彼は他の者より痩せており、その立ち姿には力強さの一欠けらも見いだせなかったが、そのか弱い姿は同性であるのにも関わらず、族長がこれまで抱いたどの女よりも美しく、煌びやかに輝いていた。
族長は目に涙を浮かべ、彼の前に跪くと額を地面に擦り付け、平伏する。そのままの体勢で感動に身を震わせる族長の耳に、彼の声が聞こえて来る。
「\\□□○% #○○▽△++ サーリア〇$ □##$◇&& @**++□ □□〇〇$%…」
彼の言葉を耳にした族長は、弾かれるように頭を上げ、涙を流す。
ああ、彼こそが本物の聖者だ。これほどまでにサーリア様の身をご案じ召され、自身の命を削ってまでサーリア様をお助けしようとするその御志。神聖な証を持って生まれた者は例外なく短命であり、奇跡的に後1ヶ月で成人を迎えられる彼も決して長くは生きられないであろう事は族長の目にも明らかだったが、彼はその命をサーリア様のためだけに費やそうとしている。この御志に、我が部族は勿論の事、全ハヌマーンが応えなければならない。族長は体の中から湧き上がる激情に流されるまま、彼に誓いの言葉を贈る。
「$$%□〇! 〇▽##□ サーリア〇$ □××$$+ +△〇〇!」
「%%〇 □△#%% 〇□…」
族長の誓いの言葉に、彼は優しく頷くと、細く痩せた手を差し伸べる。族長は、涙を流しながらその手を押し戴くと、その手の甲に軽く歯を立てた。
あの日から2ヶ月が経過した。彼が壮健であれば、きっと今頃配下の者達に南征の檄を飛ばしているはずだ。我が東の部族は、それに先んじて露払いに立ち、彼の期待に応えなければならない。東の族長は、部族の男達の鬨の声に手を挙げながら、西の方角へと目を向ける。
あの山の向こうには、西の部族がいる。奴らとは長年犬猿の仲だったが、彼の南征の命に奴らも歓呼の声を上げ、馳せ参じた。水と油のはずだった我々を糾合し肩を並べさせた彼の人望には、東の族長も感嘆するばかりだったが、だからと言って西の奴らと仲良くするわけではない。確かに奴らは敵ではなくなったが、これからはライバルなのだ。彼の偉大なる南征の、栄えある一番槍は、我ら東の部族が務めるべきなのだ。
先日、幸先よく南の崖にへばり付くアイスバードどもを蹴散らす事ができた東の族長は、南西から聞こえる、多数の生き物が地を蹴る音を耳にして、歯を剥き出しにする。
「%&&〇〇! △〇〇## ×〇$$ △▽$$! サーリア〇$ △×%%〇 △▽$$!」
「%%〇 #$!」
「%%〇 #$!」
族長の掛け声に男達は雄叫びを上げ、東の部族の一群は、南西に向け、一斉に突撃を開始した。
***
「%%〇 #$!」
「%%〇 #$!」
「隊長!この数は…!」
「…くそ!」
森の合間を縫うように広がる草原を北東へと疾走していた討伐隊は、前方に横たわる森から聞こえる多くの雄叫びと地響きに、急ぎ左へと方向転換する。オズワルドは眉を逆立て、馬を駆りながら声を張り上げた。
「全軍、応戦準備!ウォールを張って、敵の突進を止め、魔法で出鼻を挫け!輜重及び護衛小隊は反転退避!本隊も輜重が離脱した後、後退する!馬から降りるな!死ぬぞ!」
オズワルドの指令を聞いた地と水の魔術師達は、その場に次々とストーンウォールとアイスウォールを並べ立てる。
「汝に命ずる。石を纏いて大いなる巌を成し、彼の者の前にそびえ立て」
「汝に命ずる。氷を纏いて大いなる巌を成し、彼の者の前にそびえ立て」
輜重の荷馬車を操る地と水の魔術師達も、大きく弧を描きながら前方にウォールを並べ立て、そのまま元来た道へと駆け戻る。第1、第4の騎士達は、乱雑に立ち並ぶ無数のウォールの隙間で槍を構え、魔術師達は魔法の詠唱に備えた。
「%&&〇〇! □□+△×%%〇 △▽$$!」
「%%〇 #$!」
「%%〇 #$!」
森の中に蠢く黒い帯を認めたオズワルドは、声を張り上げ、腕を振り下ろした。
「撃てええええ!」
「汝に命ずる。炎を纏いし球となり、巴を成せ。我に従って三条の弧を描き、彼の者を打ち据えよ」
「汝に命ずる。風を纏いし見えざる刃となり、巴を成せ。我に従って三陣に空を凪ぎ、彼の者を切り刻め」
「汝に命ずる。礫を束ねて岩となり、巴を成せ。我に従って三条の弧を描き、彼の者を打ち据えよ」
「汝に命ずる。氷を纏いし礫となり、巴を成せ。我に従って三条の弧を描き、彼の者を打ち据えよ」
「汝に命ずる。彼の目と光の袂を分かち、闇の帳で抱擁せよ」
「〇×##%! ××□△&& ##%□〇!」
「□〇%%〇! △×\\〇 〇×!」
オズワルドの一声の下、森から飛び出してくるハヌマーン達に、一斉に魔法が襲いかかる。地水火風はおろか、闇の「ブラインド」まで使った一斉掃射を浴び、ハヌマーン達は悲鳴をあげてのた打ち回り、ハヌマーンの突撃は急停止する。
しかし、後続は止まらない。のた打ち回る仲間を踏み潰し、ハヌマーン達は次から次へと森から飛び出してくる。
「%%〇 #$!」
「%%〇 #$!」
「隊長!左右からも!」
「くそ!」
部下の報告を耳にしたオズワルドは、呪詛の声を上げる。ハヌマーン達は、横列する討伐隊1,100を取り囲む勢いで、左右からも次々と飛び出して来ていた。
「全軍下がれ!1キルド後退の後、反転し第2射を行う!」
「第4下がるよ!第1に息を合わせて、第2射だ!」
オズワルドが後退を指示し、戦況を見て同じ結論に達したゲルダが後退を指示する。この戦力差では、踏み止まっても包囲殲滅されるだけだ。しかし、1,100全てに指示が行き渡るのには僅かにタイムラグが発生し、そのタイムラグが生死を分ける。
「ぐわあああああ!」
「畜生!ハヌマーンどもめ!」
最左翼と最右翼の少数の兵達の後退が遅れ、その彼らにハヌマーン達が襲いかかる。討伐隊は、ハヌマーンに押し潰される仲間に手を差し伸べる事もできず、その身を引き千切るようにして後退する。
「こりゃマズい…、5,000…いや、6,000近くいるね…」
ゲルダは後ろを振り向き、彼女には似つかわしくない苦悩の表情を浮かべた。
「うわわわわ!」
「きゃあああああ!」
馬車に大きな慣性が働き、バランスを崩したレティシアが美香に圧し掛かった。
「ご、ごめんなさいっ、ミカ!だ、大丈夫!?」
「痛たたたた、だ、大丈夫…」
意図せず美香に抱きつく事になったレティシアが顔を赤らめながら謝るが、馬車の窓枠に頭をぶつけた美香はレティシアの動揺に気づかず、顔を顰めながら答える。ハンターあがりだけあって、四人の中で一番バランス感覚の良いマグダレーナがいち早く立ち直り、御者台の小窓を開いて、御者に問い掛けた。
「一体、何があったの!?」
「ハヌマーンです!ハヌマーンの大軍の出現で、反転後退しています!」
「え、ハヌマーンが…?」
必死に手綱を操りながらマグダレーナに答えた御者の言葉を聞き、美香は馬車の窓を開け、後ろを向く。
美香の遠ざかる視線の先には、横一列に並ぶ本隊の面々。彼らは馬に乗ったまま、一面にウォール系を並べ、その先に広がる森を見据えている。
すると突然、一斉に魔法が吹き荒れ、赤い炎や灰色の石礫、透明な氷の塊が出現し、森へと飛翔していく。その魔法が森に吸い込まれる直前、森から躍り出た多数の生物に次々と着弾すると、あちらこちらで炎が立ち昇り、その中で生物が斃れた。しかし、すぐに炎は茶色にかき消され、森と草原は辺り一面、茶色一色で埋め尽くされる。
「何…、あの数…」
馬車の後ろの小窓を覗いたレティシアが、呆然と呟く。ハヌマーンの群れはまるで草原を茶色一色で塗りつぶすかのように押し寄せ、薄く横に広がった本隊を飲み込もうと襲いかかる。
「あ…」
ハヌマーンの群れを前に本隊は潔く反転し、美香達や輜重を追いかけるように後退するが、弓形に変形した両翼が飲み込まれ、瞬く間に茶色いうねりの中に消えていく。ハヌマーンの群れはウォール系を掻き分けながら本隊へと押し寄せ、本隊はうねりに消えた仲間を顧みる事なく一心不乱に前を向き、ハヌマーンを引き離して美香達を追いかけている。その速度は輜重よりも早く、本隊の姿はみるみる大きくなる。美香はある事に気づき、自分達の斜め後ろを走る荷馬車へと目を向けた。
荷馬車の馬は、御者に応えて必死に駆け抜けているが、口の端から早くも泡が出始めている。
輜重が、もたない。
「ニコラウスさん!」
美香は馬車から身を乗り出し、斜め前を走るニコラウスの名を呼んだ。
「ミカ様!危険です!馬車にお入り下さい!」
「駄目です!このままでは、馬がもちません!」
振り返ったニコラウスは、身を乗り出した美香の姿を見て諫めるが、指摘を受けて周囲を見渡し、色を失う。表情を険しくするニコラウスに対し、美香は声を張り上げた。
「ニコラウスさん!オズワルドさんに取次ぎを!私が、出ます!」
「「「ミカ様!?」」」
「ミカ!?そんな、止めて!」
美香の発言を聞いてニコラウスとカルラ、マグダレーナが仰天し、レティシアが狼狽して縋りつく。自分の腰に手を回して、目に涙を浮かべたレティシアに対し、美香は優しく、宥める様に答えた。
「どちらにせよ、馬車の中にいる限り、私は何の役にも立たない。起きてようと寝込んでいようと、大した違いはないの。ならば、此処で一発ぶっ放して、少しでも生還の可能性に賭けた方が、建設的じゃない?」
「ミカ…」
レティシアは、この期に及んで自分を気遣い、優し気な目を向ける1歳年下の少女の姿を呆然と見上げる。まただ。また、この人に全ての責任を押し付けてしまう。この人のせいじゃないのに。本来なら、この人には何の関係もないのに。私はこの人に何もしてあげられないのに、私達は、この世界は、この人に全てを押し付けようとしている。
馬車が跳ね、レティシアの目から一筋の涙が零れて頬を伝っていく。それを見た美香は、顔を近づけ、レティシアの涙を舐めとった。
「…レティシア、悪いけど、また私の介護、よろしくね」
「…ミカぁ…」
涙の止まらなくなったレティシアの顔を見て、美香は微笑むと、再びニコラウスの方を向く。
「ニコラウスさん!」
「…わかりました」
馬を駆りながら苦渋の面持ちでニコラウスが答え、顔を上げる。
「このまま走り続けて下さい!私が、取り次いできます!」
「お願いします!」
美香の返答を受け、ニコラウスが速度を落とし、後ろへと下がっていく。次第に距離の離れるニコラウスを見ながら、美香は視線を動かし、背後に広がる茶色の絨毯を眺めた。後、考えるべき事は一つだけ。
一発。
何という言葉を紡いだら、一発で6,000を止める事ができる?
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