感謝の心で生きる、の罠

 筆者はこれまで、時折『感謝の心、お陰様の心で生きる』ことの大切さを訴えてきた。しかし今回は、それに補足をする形で「単に感謝の心で生きるだけではダメ」だという、ちと厳しい話をしよう。実は、ある「心がけ」もセットでないと、ただ感謝感謝と思って生きることはあなたもあなたの周囲も「(よい方向に)変わっていけない」という弊害が生じてしまうのである。



 マイナーなニュースだが、あるキャバ嬢をしているインフルエンサーが、広島の原爆ドームを背景にかわいく撮った自撮り画像をSNSにアップして、「ごはんが食べれて五体満足で生きれていることに感謝」みたいなコメントをつけた。

 すると、それはそぐわないと感じた人が批判し、炎上する騒ぎになった。ただ、これには擁護派も多くいて「何が問題なんだ」「別に批判するほどのことでもない」「まっとうなことを言ってると思います」との反応が主流を占めた。

 中には、「原爆ドームに関心を持って訪れてもらえるだけでも感謝」という広島在住の方の擁護意見もあった。

 筆者も、やはりそこまで騒ぐほどのことではない、と感じる。細かいことをツッコむ人は「五体満足じゃない人・今飢えている人のことを考えろ」とでも言いたいのだろう。一理あるが、あくまでも「一理」であって、多くの理は「放っておけ」のほうにある。そのキャバ嬢が、自身が生きてきたそれまでの人生をもって、知識と意識レベルをかけてそう言うんだから、言わせておいてあげたらいいし聞くほうはいいところだけ受け取ったらいい。



 ただ、この発言は改めて「感謝」とは何かを考える良い機会になる。

 感謝をするという時、気を付けないとあるやっかいな「性質」までおまけで付いてくるのである。それは何かというと——



●現状維持



 感謝をするということは、その状況を「受け入れる」ということでもあり、それは転じて「それはそのままでいい」ということにもなる。

 現状を感謝すると、場合によっては「その現状を変えるということをしない」。

 現代という時代。この地球には、そして日本という地には、何とかすべき課題・問題が山積みである。はっきり言って、現状でよいはずがない。重い腰を上げて、踏ん張って変えていかないと日本の未来は暗い。

 なのに、ご飯を食べれて感謝・毎日朝が来て夜が来て、変わらぬ日々の暮らしに感謝、などとたまたま自分がそうであることの感謝ばかり言っていると、そこで満足してしまって「それ以上何かしようという動きになりずらい」のである。

 感謝の罠はそこにある。感謝は、それをする者の心に「安定」「平安」をもたらす。あなたの外側でいくら問題があっても、感謝し安定した心を保つその人の中では、無理して何かを変えようという気にはならない。その感謝の心の中で世界が完結してしまえるのである。外部から自分に実際的な被害が降りかかるまで、その人は感謝という名の夢から醒めることなく、しまったと思うその瞬間まで安らぎの中に居続けることだろう。



 筆者にも、感謝の心・お陰様の心はある。

 しかし、それと同時に「感謝すべきところはするが、それとこれとは別」で、憂えること・何とかしないとと問題意識も強く持っている。

 すべてをフラットに見る力のある覚醒者なら「外に問題を見出さない」という特質があるにはあるが、幻想だろうが夢だろうが分離だろうが、人が生きているのはあくまでもこの世界だ。だから私は、パフェは別腹で「問題はやっぱり問題じゃないか」と思っている。たとえ一瞬の夢でも、幸せな人生のほうがいいでしょう。そのためにも、「どうなったって宇宙レベルではなにほどのことでもない」というホンネを置いておいて、私は皆さんのために色々言うのである。



●感謝の仕方を間違うな。感謝が現状維持や問題意識を持たないという事態を生むならそれはかえって害である。

 本当の感謝とは、それはそれとしてちゃんと「その外にある問題」も把握し、アグレッシブに何とかしたいと思う心を同時にもつことである。問題解決への飽くなき闘争心もセットでの感謝なのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る