場当たり的

 筆者は昨日、親戚が亡くなったため葬儀に出席していた。母の妹の旦那さんで、生前非常によくしてもらっただけに、ショックであった。

 喪主は私のいとこ(故人の長男)なのだが、なんとお通夜の最中に倒れた。調べてみるとコロナだったそう。受け入れ先の病院がすぐに見つからず、市をまたいだちょっと距離のある病院に運ばれたが、入院はできなかった。とりあえずの処置を施されたのち、自宅療養となった。



 皆さんもご存知の通り、コロナは一時の大騒動が収まってのち5類扱いとなった。

 病床数を努力して確保していた病院も、その警戒態勢を解いて通常運行に戻った。誰もが「コロナ騒動は終わった」ような感覚でいた中、また身近でコロナにかかったという話をよく聞くようになってきた。



 いとこはかわいそうに、自分の父親の本葬だというのに、お通夜の席で倒れコロナとわかり、残念だが出席できないという事態となった。葬儀の時間、自宅で亡き父に思いを馳せ祈るしかない、という状況のいとこに同情を禁じ得なかった。小さい頃は、よく一緒に遊んだものだ。

 ここで何度も話題に出してきたが、「サッカーボールの今の場所ばかり追うな」という戒めを何度もお伝えしてきた。サッカーでボールがある場所ばかりに全員が群がったら、後先考えないそんな動きでは得点もままならない。先読みして、ボールがあとで来るであろう場所を読んで、先回りして動かねばならない。



 コロナの件では、あまりにもそれができていない。日本人は、あの大騒ぎしたコロナ騒動からあまり学べていないようだ。賢くなっていない。

 それだけ、皆今を生きるのに必死だ、ということかもしれない。しかしそれは「近視眼的に生きる」ことの裏返しで、目先のことばかりしか追えなくなる。

 今、私の身の回りでも、いったん解いてしまったコロナへの警戒態勢のゆえに、満足な対応や治療を受けられていない人が少なくない。そういった人たちの上げる悲鳴を聞いてもらえないだろうか。そして、今からでもいいから、今こういう状況があるという「目先のボール」でもいいから追っていただいて、国には動いていただきたい、と思ったお葬式であった。

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