何もないところに種を蒔く

 今朝のニュースで、タクシーの運転手が特殊詐欺を未然に防いで表彰されたという話を聞いた。お客さん、どちらまで? という定番の声かけから、いい土産屋はないかという会話に発展し、やがて思いもよらぬ「実はうちの息子がなんだか大変なことをしでかしてお金が必要とかで、今から届けに行くところなんだ」という言葉を引き出した。不審に思った運転手は、すぐさま近くの警察で今あった会話を伝え、待ち合わせをすると聞いた場所を伝えた。駆け付けた警官によって、受け取り人が逮捕され、お金を奪われずに済んだ。もちろん、詐欺だったのは言うまでもないだろう。



 そのタクシーの運転手さんいわく『中高年の方は、こちらから話しかけたら色々話してくれる傾向があるので、できるだけ話しかけるようにしている』のだそう。もちろん、嫌そうにしているのに無理に話は続けない。でも、こういうところから犯罪防止に役立てる可能性もあるから、続くようなら会話を大事にしてるのだそう。

 昔と違って、今タクシーの運ちゃんはそれほど話しかけてこない。対応が上手で、指名を取る名物タクシーのあんちゃんがいたのも今も昔、今は時代が変わって「ほっといてくれ」と距離を置くことを望むお客のほうが多いのかもしれない。下手に話しかけてウザがられても損だ、というところで自分からは話さない人も増えたかもしれない。理髪店でも、その傾向があるように感じる。こちらから話すと応じてくれるが、絶対に向こうからは話さない。(高額な美容室はまた違ってその逆)



●何もないところでも、こちらから働きかけてこそ生まれる宝物もある。



 筆者は、かつてキリスト教信者で、信者でいるだけでは飽き足らず牧師を目指したくなった。それを教会の牧師に話したら、牧師養成もしている、神学を教えられるほどの活発な知り合いの教会を紹介され、私は勉強のためそこに通うことになった。

 私の所属した教会はジジババばかりで、恋愛対象になりそうな若い女性がゼロだった。中学生や小学生の女の子ではお話にならない。しかし、勉強に通いだしたその教会は、結婚適齢期の若い女性の宝庫だった。

 半年くらいして、どうしても意識してしまう女性が現れた。仮にAさんとしよう。私はどうしても恋心を抑えられなかった。しかし、所属の教会員でもないのに出入りさせてもらっている恩義はわきまえていたので、本人にアタックする前にその教会のトップに相談した。

 詳しい話はしないが、事情が色々あって「その子のことはあきらめてくれ」と言われた。私はショックであったが、ここへは恋愛しに来たわけではない。気を取り直して、私はそもそもの目的である神学の勉強に精を出した。



 それから半年くらい経ったころだろうか。Aさんをあきらめるよう私を説得した牧師に呼び出された。何の話だろうと思って行ってみると、お見合いというか結婚相手の紹介だった。

 むこうは、うちの教会が高齢者ばかりで出会いはないこと、私が独身であることを分かっており、なお「君のように有望な若者はよき妻(人生の助け手)がいてしかるべきだ」ということで、Bさんを紹介された。当時はAさんばかり見ていて、Bさんの存在は知っていたが恋愛対象としては見たことがなかった。

 私も40が近い年齢で、この機会を逃せないと思った。結婚前提で、まずは話したいと伝え、Bさんも応じ、最短1か月のお付き合いで結婚を決めた。それが、筆者の今の奥さんである。



 私は、種を蒔いた。

 Aさんは射止められなかったが、その一件で教会の長には私が結婚相手を本気で探しているということが伝わった。それを覚えていてくれて、気にかけてくださってあとでBさんを紹介してくれた。Aさんの件では事情があったとはいえ、好きな人間をあきらめろと言うしかなかったことに「申し訳なさ」もあったのかもしれない。

 後日談が、それから1年後、Aさんは教会を離れた。結果論でしかないが、今の奥さんでよかった、という話になるのである。

 冒頭のタクシーの運転手も、ただ料金をもらって客を運ぶというだけのところに、しなくても何ら義務ではない「会話」を大事にし、結果何もなかったかもしれない状況を覆し、オレオレ詐欺を未然に防げた。会話しなければ絶対に起き得なかったことである。



 だから、今日も一つでいいから何かをしてみよう。

 挨拶でも、何かの声かけでも。「言ったって言わなくたって別に何も変わらない」という思いを捨てよう。その一言から、思いもよらぬことに繋がるかもしれないじゃないか。私はさきほどの経験から「ムダと思えることだろうが、万が一しかない可能性であっても、何かになると思ってあえて行動する」ことを生活上のモットーとしている。

 あなたも、面倒がらずに重い腰を上げ、ムダに思えるその一言、そのひと動作を行動に移してみませんか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る