変わらないものって何
今朝のネットニュースで、今どきの子どもたちの人間関係のあり方が変わってきている、という分析記事があった。仲良し集団を構成する平均人数が少なくなり、それ以外のクラスメイトと接することに「無駄だし意味がない」と考え、ひどい場合には接さないクラスメイトのフルネームすら覚えていないことも。
スマホの登場も一因で、とかく昔に比べて家族であれ学校であれ人間関係が希薄となり、「面倒」「傷付きたくない」という動機から、それらをもたらす可能性を排除にかかる。ゆえに彼らの辞書に「仲直り」という言葉がない場合がある。いったんこじれても頑張って修復しようなんて思わず、面倒なので「もう切る」となってしまうことが多いようだ。
こうした記事には、実にいろいろなコメントがつく。
一番主流な意見は『批判ばかりしないで見守ろう』というもの。今の大人だって、若い時にもっと昔の世代に「今どきの若いもんは」と言われたはずで、それが歴史上ずっと続いてきている。だから、私たちの価値基準から見て「ん?」と思ってもそれは時代環境に合わせて否応なしに変わっていくものだから、よほどのことでないなら古き者はその変化を見守っていくべきだと。
想定内だが、その意見に嚙みつく者も少なくない。見守るとか、時代が変わっているんだとか理解者風なかっこいいことを言うけれども、それは見守るという名の「放任」ではないのか? 時代に合ったものでいいと言うけれど、時代とか場所とか関係なく「変わらないもの」「大切なもの」ってあるでしょう? そこをちゃんと教えたりしないで、大人が若者に迎合して好かれることがそんなに意味あること?
どうも、高齢者寄りの大人たちは、その多くが「時代を越えて普遍的に変わらないもの」があるという思想が強固にあるので、その時代の風潮に「ええじゃないか」と言えない傾向ある。さて今日は、普通の感覚をもった人には向かない内容なので以下を読むならお気を付けを。
●時代、場所、人種、その他あらゆる要素を越えて普遍的に絶対なことなどこの世界にはない。時代を越えて変わらない何かなどない。
もちろん、重力をはじめ物理的科学的法則を除く。(細かいことを言えば、天文学的に低い可能性だが、それだって絶対ではなく変化がある。ただし膨大な時間のうちでまれにしか生じない)
善とか愛とか、皆さんはいともたやすく口にし、あろうことか自分たちが絶対とするそれが自分たちの外(別宇宙・別次元)でも同じだと考え、もっとひどいのは宗教で、自分たちが触れもできないし認識もできない、異次元の「神様」にすら、知りもしないくせに「全知全能」「完全なる愛・善」「光」などと属性を勝手な印象で決めつけている。誰が確認したん? 祈りに応えられた? ならそれを万民が納得するように説明、証明してくれ。
我々が大事だと思うことを、他の星や次元の住人が同じように大事と思っているなんてことはまずないと考えたほうがいい。よく、どこぞの宇宙人が善意で、愛でこちらにメッセージを送っている、心配しているなどという話があるが、あれはまともにとり合わないほうがいい。実はその正体は「我々自身の理想や願望」で、それが反映したものにしぎず、それをどこぞの宇宙人や異次元人が言ったように「錯覚」、あるいは演じているのだ。(もちろん本人たちは大まじめで悪気はない)
私は、今の時代に物申す気はない。好きに変化してくれたらいい。
ただ、その変化によって我が身に火の粉が降りかかることがあれば、その範囲では「自分が望ましいと考えること」に持っていこうとする行動を取る。ただ、それ以外のことでは抵抗しない。せめてこのような文章の中でボヤくことはする程度である。
変わっていけばいい。善悪含め、変わることは必然である。止めるべきではないし、また止められはしない。
旧約聖書に、十戒というものがある。分かりやすくは「十のいましめ」であり、その中に「汝殺すなかれ」というのがある。例えば現代なら、小学校の国語の教科書に「人を殺してはいけません」などと載るだろうか? いや、当たり前すぎて載らない。そんなこと、常識以前のさらに前提として親から教えられる。
そう考えると、その大昔に皆が読み合う文章にわざわざ「人を殺してはいけない」なんて書いてあるということは「その時代人を殺してはいけないというのが当たり前ではなかった」。当たり前じゃないからわざわざ書くのだ。
じゃあ現代、十戒が出現した当時とどう変わった? 確かに秩序らしきものができ法ができ、人を簡単には殺さない、殺しにくい世界となった。人を殺せば警察につかまり、法の裁きを受ける。ただしこれは一般市民のお話で、超国家権力や裏社会は適用外なことがある。
●大昔のような、直接的な人殺しは減ったが、その分別の見方をすれば「殺し」になるものが増え、結局大昔も今も変わっていない。
一度社会人としてミスしたら、元の軌道に戻れない。様々な縛りのなかで、経済的立場的に追い詰められ、自殺する人もいる。筆者は、自殺者とは自分で死んだ人ではなく「手段は自分での死だが、他殺」だと考えている。殺されたのだ。
死ななくても、もう明日への希望もなくただ生きているだけ、という状態もにたようなものである。表面上、人を殺しはしないという「行儀のよさ」だけで、結局様々な形で人殺しをこの社会は間接的にしているのである。何が「人を殺してはいけません」だ。平気で、国ぐるみでやってるじゃないか。
このように、「時代や場所を越えて変わらないものはない」が、変化して形を変えて出てくるのだ。だから皆さんが信じる愛も善も、今の私たちが定義するような形ではなく、驚くようなものとなって百年後、二百年後存在しているかもしれません。
え、何ですって? それこそが「変わらないもの」なんじゃないかって?
そうですけど、この諸行無常の世界に生きている人間には、捉えきれないものだから考えても意味がないのです。変わらない何かなどこの世界でつかもうと思っても絵に描いた餅で、結局あとあと眺めた時の「結果論」として論じられるに過ぎないことでしかないのです、何かに含まれる普遍なんてものは。
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